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2026-04-27

野良卓にメアリー・スー持ってこないで欲しい

大規模TRPGサーバーで、PLやKPをしてたまに遊んでいる。

身内卓でやってるときはまったく気にならなかったのに、野良卓でやるようになってからメアリー・スーが嫌いになった。

身内卓でやってるときは、そもそもメアリー・スーがいなかった。みんな一般人だった。

特殊HOだったとしても、基本的には弱点があって「このキャラがいるならシナリオ攻略余裕!」って程の技能やステにする人がいなかった。

しかし、卓募集でPLを集めると絶対ひとりはメアリー・スーが来る。

なんなら、3人シナリオで全員メアリー・スーだったこともある。

戦闘フレーバー程度のRP中心シナリオだったのに。

認識合わせられてないのが問題とか思う?

あのね、「一般人で来てください」って言っても、大金持ちの家でメイドしてる身長180cmの拳銃などの戦闘技能盛り盛りPCが来るの。

いやね、戦闘メインのシナリオに行くにはぴったりでしょうよ。

ゴリゴリ戦闘シなのに、うちのエモシ向けのパンピ連れてったら大顰蹙だよ。

そう。シナリオにはシナリオに相応しい探索者がいるんです。

から推奨技能とかHOとかあるわけで、、

戦闘シに、回避すらないPC持っていかないのと同じように、エモシに呪文AF特殊技能特殊設定爆盛りのPCで来ないで欲しい。

エモくない。

これがメアリー・スーしたい人とそうじゃない人の違いというか。

本来TRPGメアリー・スーが主流だったんだろう。

Xの方ではCoCプレイヤースタンスCoC日本人気について議論されてるけど、私がCoCを始めたのは「自分だけのエモいストーリーを作りたい」という理由からだ。

もちろん戦闘シでも、唯一無二の、その卓だけのPCだけの素晴らしいストーリーになる。

システムはあまりやったことないけど、戦闘特化のシノビガミでも、RPキャラ全員の個性が立つセッションになったこともある。

けどそれはPLとの噛み合わせが良かっただけで、ここが合わなかったら私の求める「唯一無二のストーリー」がなくなっていただろう。

エモを求める層が手を出すのが、CoCによく見られるエモシや、そもそも技能や判定をシンプルに削ってRP中心に進められるエモクロア、判定は一切ないが自分推理力でエンドが変わるマダミスなのではないだろうか。

私がよく卓を囲む、つまりメアリー・スーをしないPLの多くがエモクロアやマダミスに手を出している。

実際にプレイしたことがなくとも、エモクロアやってみたいマダミスやってみたいという話はよくあがる。

エモクロアプレイヤーとシノビガミプレイヤー合流地点CoCなのではないだろうか?

秘匿メインとかうちよそ向けとかガッツリ世界観キャラ方向性が決まってるシステムもあるけど、CoCはルルブ一冊でどんなシナリオにも行ける。

1d100の、パーセントの分かりやすい判定値に、数多くの技能オリジナル技能も当たり前に作れる。

探索でも謎解きでも戦闘でも。

それがCoC人口が多い理由であり、今回のようなメアリー・スー問題の原因だと思う。

RP勢と戦闘勢で、本来システム住み分けるところを同じシステムで楽しめてしまうのだ。

1920年代アメリカ本来舞台とか、探索箇所を提示しないクラシックとか、白い部屋とか、そういう話じゃなくなっている。

私もここ1年で参入したタチだから偉そうなことは言えないけど、とにかく「自由度の高さ」がCoCの特徴であり、魅力であり、嫌われる要因なのだろう。

神話生物なんて出てこなくてもいい。

探索だってフレーバー程度で、おしゃべりするだけでいい。

と思えば、異形の力を借りて神話生物に自ら立ち向かうこともできる。

あつ森で住民と仲良くなることを楽しみにしているプレイヤーと、エルデンリング強敵相手に死に覚えで攻略していくプレイヤーが同じゲーム自分スタイルで遊んでいるようなものだ。

あつ森ユーザーエルデンリングプレイしても、戦いに慣れてなくて勝てなくておもしろくない。

エルデンリングユーザーがあつ森プレイしても、手強いボスなんていないし攻略法を自分で見つけてプレイテクで打ち負かす刺激はない。

つまるところ、本来我々RP勢とメアリー・スー戦闘勢や攻略勢は相容れない部類なのだ

長々と書いたが、私が言いたいのはメアリー・スーをやめろではない。

RPメインのエモシにメアリー・スーを連れてこないで欲しい。

なんで探索者たちで旅館に泊まるストーリー身長200cmヤニカスカス借金返済のためにマグロ漁船乗ったことある刑事が来るんだよ。

なんで大事幼なじみ行方不明になるストーリー記憶喪失10ロリ脳外科医が遊びに来るんだよ。

うちのボカロPやりつライブハウスバイトで細々と食いつないでるベーシストでイゴーロナクと戦ってやろうか。

邪魔だろ、どう考えても。

しか後者ならすぐ死ぬから良いとして、前者は全然死なないから本当に邪魔

これはもはや戦闘狂に対する愚痴になるけど、メアリー・スーやる人ってやたらと戦闘技能武器をごねがち。

通常探索でダイス失敗してもごねないのに、武器獲得のダイスで失敗したら「〇〇のためにこの場所をよく見てみます!」とかで追加技能振りがち。

なんなら、シナリオから提示されてないのに倉庫とか物置小屋に入ったら「武器になりそうなものがないかします」とか、観光地で「木刀を買います」とか、戦闘あるよとも言ってないのに武器欲しがる。

武器なんてないって言っても「ハサミならあるんじゃないですか?」とか言ってくる。

そこになかったらないんだよ。

KPが「ないです」とごねを却下したときは、シナリオ的に有り得ないのももちろんあるけど、あったらうざいときが多いです。主観

あのね、武器がないと終わるシナリオはね、ちゃんと探索者作成ときに書いてるからね。

武器があるかどうかを幸運で探せるのは、別にそれが失敗でも生き残れる程度の難易度からだよ。

強い武器と高い戦闘技能と高ステータスが求められるシナリオでは書いてますからーーーー!!!!!

ダイス振るまでもなく、NPCから武器配られたりしまからーーーーー!!!!!!

メアリー・スーを楽しむのは良い。

野良卓でも、戦闘シナリオで他の人とキャラの食い合いになっても楽しめるのなら良い。

RP勢のいたって善良なる一般市民探索者の個性を奪って、RPを奪って、物語手綱を握らないで欲しい。

メアリー・スー勢って言うてRPでも出張ってくるから他のPC発言できないこともわりとあるから本当に配慮して欲しい。

PLだったら「PCはどうするの?」って自然RP促せるけど、KPからやたらと「PLさん、なにかRPありますか?」って言ったら没入感がなくなってしまうから言えないのだ。

ダメだったらナーフします」

ダメだったら別の子連れてきます

なら、最初からナーフ必要のない一般的PCを用意していてください。

エモシはノイズの少ない探索者で来てください。

シナリオの前提にない設定をもって来ないでください。

過去一ひどかったメアリー・スーは「HO調査内容(自発的)を、友達ニャルラトホテプから依頼されたので、シナリオのメイン事件には興味ないけどなんか来た」探索者。

HOに沿ってないかシナリオの究極のシーンで辻褄合わなくて他のPLのシナリオ体験を穢してしまった。

他にも色んなメアリー・スー要素で、PLのひとりがキレて「KPがダメって言ってるんだからダメだよ、こっちはニャルとか関係ないんだよメイン事件に集中しろ」って、あわや卓解散危機すら感じた。

あ、ちなこの探索者、CSには一言ニャルラトホテプとか書いてなかったです。

当日の導入RPで突然「この子は友人のニャルラトホテプに呼び出されます」って言われた。

複数人シナリオTRPGはPL全員、PC全員が主人公

TRPGをやる上で、それだけは忘れないで欲しい。

2026-03-05

anond:20260305213549

喝采民主主義」(かっさいみんしゅしゅぎ)という言葉は、主に20世紀ドイツ政治思想カール・シュミット(Carl Schmitt)の民主主義論に関連して使われる概念です。

シュミットヴァイマル共和政時代特に1920年代)に、民主主義本質を次のように捉えました

民主主義とは「治者と被治者同一性」(支配者と被支配者が本質的に同じであること)を前提とする。

人民意志(Volkswille)は決して誤らないとされ、それが政治の究極の正統性(Legitimität)の根拠になる。

しか現実には、この「人民意志」は秘密投票議会討論のような自由主義的・手続き的な方法表現されるものではなく、直接的で情動的な「喝采」(Akklamation)、つまり群衆の歓呼・拍手賛同叫びによって表明される。

 

まりシュミットにとっての本物の民主主義は、

指導者(あるいは提案)に対して人民が「喝采」を送る瞬間こそが民主主義の核心であり、

それによって指導者人民が「同一化」し、正統性が成立するという考え方です。シュミットの有名な表現代表例)「国民意志は歓呼、喝采によって、自明反論しがたい存在によって表明されうるのであって、それは…統計的装置(=投票制度)によってよりもいっそうよく民主主義的に表明され得るのである。」

(『現代議会主義精神史的地位』など)

この考えは、 議会民主主義議論妥協多様性重視の自由主義民主主義)を人工的・非本質的と批判

代わりに直接的・情動的・同質的人民の現前(群衆一丸となって喝采する状態)を民主主義純粋な形とみなす

 

という点で、非常にラディカル(かつ危険視される)ものです。現代的な文脈評価ポピュリズムとの親和性が高いとよく指摘される(指導者への熱狂的支持=喝采民主主義正統性を与える)

ナチス政権への協力歴があるシュミットゆえに、「喝采民主主義」はファシズム権威主義への理論道筋提供したと批判されることも多い

一方で、現代ポピュリズム現象大衆集会での熱狂SNS上の「いいね!」の集中など)を理解する際の参照点として、再評価・再検討される動きもある

 

最近日本では、2025年松本彩花さんの書籍独裁喝采――カール・シュミット民主主義〉論の成立』(慶應義塾大学出版会)が刊行され、このテーマが再注目されています

要するに「喝采民主主義」とは、

投票議論ではなく、人民の直接的な熱狂賛同喝采)によって指導者人民が一体化する民主主義

という、シュミット独特の(そしてかなり挑発的な)民主主義観を指す言葉です。

この概念、どういう文脈で気になったのかな? もっと深掘りしたい部分があれば教えてください!

24 ウェブページ

2026-02-26

理系出身だけど文系科目の試験内容って面白い

東大世界史2025

共通課題を抱えていた4つの大陸国家は、1910年代から1920年代にかけ て後継国家に移行していく。その際に、支配領域民族人口構成の面で、大 きな変化があった場合とそうでない場合があった。これらの点に着目して、4 つの大陸国家の変容を、2つの類型に分けて、12行以内で記述せよ

どうして戦争が起こる社会情勢になっていったかとか興味があったから、普通に試験勉強でそういう勉強ができるのは良いなと思った

2026-02-18

戦後80年に寄せて

はじめに

 先の大戦終結から、80年が経ちました。

 この80年間、我が国は一貫して、平和国家として歩み、世界平和繁栄に力を尽くしてまいりました。今日我が国平和繁栄は、戦没者を始めとする皆様の尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものです。

 私は、3月硫黄島訪問4月フィリピンカリラヤの比島戦没者の碑訪問6月沖縄戦没者追悼式出席及びひめゆり平和祈念資料館訪問8月広島長崎における原爆死没者・犠牲者慰霊式出席、終戦記念日全国戦没者追悼式出席を通じて、先の大戦反省と教訓を、改めて深く胸に刻むことを誓いました。

 これまで戦後50年、60年、70年の節目に内閣総理大臣談話が発出されており、歴史認識に関する歴代内閣立場については、私もこれを引き継いでいます

 過去三度の談話においては、なぜあの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられておりません。戦後70年談話においても、日本は「外交的経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内政治システムは、その歯止めたりえなかった」という一節がありますが、それ以上の詳細は論じられておりません。

 国内政治システムは、なぜ歯止めたりえなかったのか。

 第一次世界大戦を経て、世界総力戦時代に入っていた中にあって、開戦前内閣が設置した「総力戦研究所」や陸軍省が設置したいわゆる「秋丸機関」等の予測によれば、敗戦必然でした。多くの識者も戦争遂行の困難さを感じていました。
 政府及び軍部の首脳陣もそれを認識しながら、どうして戦争回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜の命を犠牲とする結果となってしまったのか。米内光政元総理の「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう注意願いたい」との指摘もあった中、なぜ、大きな路線見直しができなかったのか。

 戦後80年の節目に、国民の皆様とともに考えたいと思います

大日本帝国憲法問題点

 まず、当時の制度上の問題が挙げられます戦前日本には、政治軍事を適切に統合する仕組みがありませんでした。

 大日本帝国憲法の下では、軍隊を指揮する権限である統帥権独立したものとされ、政治軍事関係において、常に政治すなわち文民が優位でなくてはならないという「文民統制」の原則が、制度存在しなかったのです。
 内閣総理大臣の権限も限られたものでした。帝国憲法下では、内閣総理大臣を含む各国務大臣は対等な関係とされ、内閣総理大臣は首班とされつつも、内閣を統率するための指揮命令権限制度上与えられていませんでした。

 それでも、日露戦争の頃までは、元老が、外交軍事財政統合する役割果たしていました。武士として軍事従事した経歴を持つ元老たちは、軍事をよく理解した上で、これをコントロールすることができました。丸山眞男言葉を借りれば、「元老重臣など超憲法存在媒介」が、国家意思の一元化において重要役割果たしていました。

 元老が次第に世を去り、そうした非公式の仕組みが衰えたのちには、大正デモクラシーの下、政党政治軍事統合を試みました。
 第一次世界大戦によって世界に大きな変動が起こるなか、日本は国際協調の主要な担い手の一つとなり、国際連盟では常任理事国となりました。1920年代政府政策は、幣原外交に表れたように、帝国主義的膨張は抑制されていました。
 1920年代には、世論は軍に対して厳しく、政党は大規模な軍縮を主張していました。軍人は肩身の狭い思いをし、これに対する反発が、昭和期の軍部の台頭の背景の一つであったとされています

 従来、統帥権作戦指揮に関わる軍令に限られ、予算体制整備に関わる軍政については、内閣の一員たる国務大臣の輔弼事項として解釈運用されていました。文民統制の不在という制度上の問題を、元老、次に政党が、いわば運用によってカバーしていたものと考えます

政府問題

 しかし、次第に統帥権意味拡大解釈され、統帥権独立が、軍の政策全般予算に対する政府及び議会の関与・統制を排除するための手段として、軍部によって利用されるようになっていきました。

 政党内閣時代政党の間で、政権獲得のためにスキャンダル暴露合戦が行われ、政党国民の信頼を失っていきました。1930年には、野党立憲政友会立憲民政党内閣を揺さぶるため、海軍の一部と手を組み、ロンドン海軍軍縮条約批准を巡って、統帥権干犯であると主張し、政府を激しく攻撃しました。政府は、ロンドン海軍軍縮条約をかろうじて批准するに至りました。

 しかし、1935年憲法学者貴族院議員美濃部達吉天皇機関説について、立憲政友会政府攻撃材料としてこれを非難し、軍部も巻き込む政治問題に発展しました。とき岡田啓介内閣は、学説上の問題は、「学者に委ねるより外仕方がない」として本問題から政治的に距離を置こうとしましたが、最終的には軍部要求に屈して、従来通説的な立場とされていた天皇機関説否定する国体明徴声明を二度にわたって発出し、美濃部著作発禁処分となりました。

 このようにして、政府軍部に対する統制を失っていきます

議会問題

 本来は軍に対する統制を果たすべき議会も、その機能を失っていきます

 その最たる例が、斎藤隆夫衆議院議員の除名問題でした。斎藤議員1940年2月2日衆議院本会議において、戦争の泥沼化を批判し、戦争目的について政府を厳しく追及しました。いわゆる反軍演説です。陸軍は、演説陸軍侮辱するものだとこれに激しく反発し、斎藤議員の辞職を要求、これに多くの議員同調し、賛成296票、反対7票の圧倒的多数斎藤議員は除名されました。これは議会の中で議員としての役割を果たそうとした稀有な例でしたが、当時の議事録は今もその3分の2が削除されたままとなっています

 議会による軍への統制機能として極めて重要予算審議においても、当時の議会は軍に対するチェック機能果たしていたとは全く言い難い状況でした。1937年以降、臨時軍事特別会計が設置され、1942年から45年にかけては、軍事費のほぼ全てが特別会計に計上されました。その特別会計の審議に当たって予算書に内訳は示されず、衆議院貴族院とも基本的秘密会で審議が行われ、審議時間も極めて短く、およそ審議という名に値するものではありませんでした。
 戦況が悪化し、財政がひっ迫する中にあっても、陸軍海軍組織利益面子をかけ、予算獲得をめぐり激しく争いました。

 加えて、大正後期から昭和初期にかけて、15年間に現役首相3人を含む多くの政治家が国粋主義者青年将校らによって暗殺されていることを忘れてはなりません。暗殺されたのはいずれも国際協調を重視し、政治によって軍を統制しようとした政治家たちでした。
 五・一五事件二・二六事件を含むこれらの事件が、その後、議会政府関係者を含む文民が軍の政策予算について自由議論し行動する環境を大きく阻害したことは言うまでもありません。

メディア問題

 もう一つ、軽視してはならないのはメディア問題です。

 1920年代メディア日本の対外膨張に批判的であり、ジャーナリスト時代石橋湛山は、植民地放棄すべきとの論陣を張りました。しかし、満州事変が起こった頃からメディア論調は、積極的戦争支持に変わりました。戦争報道が「売れた」からであり、新聞各紙は大きく発行部数を伸ばしました。

 1929年米国大恐慌を契機として、欧米経済は大きく傷つき、国内経済保護理由に高関税政策をとったため、日本の輸出は大きな打撃を受けました。
 深刻な不況を背景の一つとして、ナショナリズムが昂揚し、ドイツではナチスが、イタリアではファシスト党が台頭しました。主要国の中でソ連のみが発展しているように見え、思想界においても、自由主義、民主主義資本主義時代は終わった、米英の時代は終わったとする論調が広がり、全体主義国家社会主義を受け入れる土壌が形成されていきました。
 こうした状況において、関東軍の一部が満州事変を起こし、わずか1年半ほどで日本本土の数倍の土地占領しました。新聞はこれを大々的に報道し、多くの国民はこれに幻惑され、ナショナリズムは更に高まりました。

 日本外交について、吉野作造満州事変における軍部の動きを批判し、清沢洌松岡洋右による国際連盟からの脱退を厳しく批判するなど、一部鋭い批判もありましたが、その後、1937年秋頃から言論統制の強化により政策への批判は封じられ、戦争積極的に支持する論調のみが国民に伝えられるようになりました。

情報収集分析問題

 当時、政府を始めとする我が国が、国際情勢を正しく認識できていたかも問い直す必要があります。例えば、ドイツとの間でソ連対象とする軍事同盟を交渉している中にあって、1939年8月独ソ不可侵条約が締結され、とき平沼騏一郎内閣は「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」として総辞職します。国際情勢、軍事情勢について、十分な情報収集できていたのか、得られた情報を正しく分析できていたのか、適切に共有できていたのかという問題がありました。

今日への教訓

 戦後日本において、文民統制は、制度としては整備されています日本憲法上、内閣総理大臣その他の国務大臣文民でなければならないと定められています。また、自衛隊は、自衛隊法上、内閣総理大臣の指揮の下に置かれています
 内閣総理大臣が内閣首長であること、内閣国会に対して連帯して責任を負うことが日本憲法に明記され、内閣統一性制度上確保されました。
 さらに、国家安全保障会議が設置され、外交安全保障総合調整が強化されています情報収集分析に係る政府体制改善されています。これらは時代に応じて、更なる進展が求められます

 政治軍事を適切に統合する仕組みがなく、統帥権独立の名の下に軍部が独走したという過去の苦い経験を踏まえて、制度的な手当ては行われました。他方、これらはあくま制度であり、適切に運用することがなければ、その意味を成しません。

 政治の側は自衛隊を使いこなす能力と見識を十分に有する必要があります現在文民統制の制度を正しく理解し、適切に運用していく不断努力必要です。無責任ポピュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家としての矜持責任感を持たなければなりません。
 自衛隊には、我が国を取り巻く国際軍事情勢や装備、部隊運用について、専門家集団としての立場から政治に対し、積極的説明し、意見を述べることが求められます

 政治には、組織の縦割りを乗り越え、統合する責務があります組織が割拠、対立し、日本国益を見失うようなことがあってはなりません。陸軍海軍とが互いの組織論理を最優先として対立し、それぞれの内部においてすら、軍令軍政とが連携を欠き、国家としての意思を一元化できないままに、国全体が戦争に導かれていった歴史を教訓としなければなりません。

 政治は常に国民全体の利益福祉を考え、長期的な視点に立った合理的判断を心がけねばなりません。責任所在が明確ではなく、状況が行き詰まる場合には、成功可能性が低く、高リスクであっても、勇ましい声、大胆な解決策が受け入れられがちです。海軍永野修身軍令部総長は、開戦を手術にたとえ、「相当の心配はありますが、この大病を癒すには、大決心をもって、国難排除に決意するほかありません」、「戦わざれば亡国と政府判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である」と述べ、東條英機陸軍大臣も、近衛文麿首相に対し、「人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と迫ったとされています。このように、冷静で合理的判断よりも精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはなりません。

 政府が誤った判断をせぬよう、歯止めの役割を果たすのが議会メディアです。

 国会には、憲法によって与えられた権能を行使することを通じて、政府活動を適切にチェックする役割を果たすことが求められます政治一時的世論迎合し、人気取り政策に動いて国益を損なうような党利党略と己の保身に走っては決してなりません。

 使命感を持ったジャーナリズムを含む健全言論空間必要です。先の大戦でも、メディア世論煽り国民を無謀な戦争誘導する結果となりました。過度な商業主義に陥ってはならず、偏狭なナショナリズム差別排外主義を許してはなりません。

 安倍元総理尊い命を落とされた事件を含め、暴力による政治蹂躙自由言論を脅かす差別言辞は決して容認できません。

 これら全ての基盤となるのは、歴史に学ぶ姿勢です。過去直視する勇気と誠実さ、他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容さを持った本来リベラリズム健全強靭民主主義が何よりも大切です。
 ウィンストン・チャーチル喝破したとおり、民主主義は決して完璧政治形態ではありません。民主主義コスト時間必要とし、ときに過ちを犯すものです。
 だからこそ、我々は常に歴史の前に謙虚であるべきであり、教訓を深く胸に刻まなければなりません。

anond:20260218162600 に続く

2025-11-05

anond:20251105130758

ディーゼルパンクではないけど、1920年代あたりの社会モデル異世界もの

魔法とかは存在するけど、人口膾炙しているわけではない。

ナーロッパみたいなのを1920年代風でやりたい。

2025-08-18

anond:20250818115417

大正時代」と「現代2020年代)」の**肉の消費状況**を比較できる表をまとめてみました。

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## 🥩 大正時代現代の肉消費比較

指標大正時代(1912〜1926年現代2020年代 日本
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**年間一人あたり牛肉消費量** 約0.5 kg大正15年時点、明治初期はほぼゼロ10 kg農林水産省統計2020年代
**年間一人あたり豚肉消費量** 数百 g程度(とんかつ等が普及し始めた段階) 約13 kg
**年間一人あたり鶏肉消費量** ほぼ嗜好品レベル地鶏軍鶏中心) 20 kg(肉類で最多)
**肉類総消費量(全体)** kg前後(主に牛・豚・鶏を合わせて) 約45 kg(牛・豚・鶏の合計、2020年代平均)
**食事に占める比率** 主食は米+魚介類が中心、動物性たんぱく質はごく少量(1910年代から1920年代で+4%程度増加) 動物性たんぱく質が大きな割合を占める。肉は魚介類を上回る(1960年代以降逆転)
**主なイメージ料理** 牛鍋(すき焼き)、とんかつ流行期、カレーライス牛肉焼肉ハンバーグ唐揚げトンカツ牛丼など日常

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## 🔎 ポイント解説

**大正時代**は「牛肉」が圧倒的に注目され、肉類消費の中心。ただし量は年間1人あたり **500g程度**に過ぎず、庶民食生活ではまだ「ご馳走」でした。

**現代**は「鶏肉」が最も多く、豚肉牛肉と続くバランス型。合計で **約45kg/年** と、大正期の **10倍以上** になっています

**食文化の転換点**は1960年代魚介類中心から肉食中心に移行しました。

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2025-07-30

anond:20250730132113

キリストの真似かどうかは分からんが、wikipedia見ると普及したのはどんだけ早くても1920年代以降ぐらいっぽいな。

2025-07-27

劉仲敬による「香港民族存亡論」(訪談095, 2020年7月1日

https://anond.hatelabo.jp/20250727144129

要旨:香港という存在は「中華化」「冷戦」「経済発展」を経て「脱武装中産階級」に変質し、現在は“生存力”を失った国家なき中間層集団になっている。そのため、中国共産党に対抗する実力もないまま衰退してゆく。真に生き延びるのは、暴力慣習法を受け入れた“黒幫型コミュニティ”のみである

主な論点

1. 香港の抗争における無力さの根本原因

中産階級本質的に「賭け」に過ぎず、自身の行動が状況を変える力を持たない。

真に必要なのは暴力闘争能力だが、香港人はそれを歴史的に失っている。

香港の「愛国者」にも軍火走私(武器密輸)のような“実行力”が欠けている。

2. 香港社会歴史的変遷

1940年以前の香港:広東系土豪、走私(密輸)、幇会が支配する“野蛮な”地域教育水準も低かった。

抗日戦争1945年中華民族という観念国民党主導で香港に輸入され、赤華(共産)と白華(国民党)が対立

冷戦初期〜1980年代共産主義への恐怖から、走私勢力民兵は“血汗工場労働力へと再編され、中産階級形成される。

1997年以降:共産党に近い黒幫(黒社会)が台頭。英米寄りの中間層は方向を失い、支配力を喪失

3. 香港中産階級特性限界

高収入高家賃・英語使用」層は武力を持たず、また移民脱出することしか考えていない。

民主化運動の主力だが、暴力闘争には向かず、共産党にとっては“鎮圧やす存在”。

結果的に、彼らの運動西側の中産層から共感は得られても、実際の変化を生み出せない。

4. 暴力適応する“もう一つの香港

経済的に下層の人々は、「攬炒」や火炎瓶を投げるような暴力的な手段に出やすい。

彼らは「粵人の暴力伝統」を受け継ぎつつあり、暴力的行動は文化的に根ざしている。

このような勢力こそが、生き残る香港の新しい“主流”となる可能性がある。

5. 最後未来予測香港は“黒幫都市”に回帰

香港金融貿易港としての機能を失えば、政府財政破綻し、警察も維持できなくなる。

治安維持は黒幫の役割になる。これは1920年代の状況への“逆戻り”。

市民自分たちの“黒幫ボス”を選んで身を守るようになる。

結論

香港中産階級(とその政治的運動)は「非暴力・高教養」ゆえに無力であり、国家武装勢力圧力に対して生存できない。一方、慣習法暴力を受け入れた“部族的”黒幫型組織こそが、秩序と生存を担う新しい香港の姿である

https://vocus.cc/article/5f0ca449fd8978000175e1dd

2025-05-31

日本庶民は、いつ頃から日常的に白米を食べ始めましたか

非常に良い質問です。では、時代背景を踏まえて、丁寧に解説しましょう。

🏯 日本人が白米を日常的に食べるようになった時期

日本庶民が 「白米(精白米)」を日常的に食べる ようになったのは、明治時代後期から大正時代にかけて、都市部を中心に普及したとされています

全国的一般庶民食卓に白米が浸透したのは、おおむね大正時代末期〜昭和初期(1920年代1930年代) とされています

太平洋戦争から見て、10年〜20年ほど前 のことですね。

🌾 それ以前(江戸時代以前)の庶民主食は?

白米は、江戸時代までは高級品であり、主に武士富裕層食べ物でした。

庶民特に農民主食は、以下のような 雑穀や未精白の米(玄米・分搗き米) が中心でした。

江戸時代以前の庶民主食

特に地方農村部では、米が貴重だったため、麦や粟、稗などの雑穀を中心に、少量の米を混ぜた「雑穀飯」が主流 でした。

江戸町人などは、比較的白米を食べられることもありましたが、それでも贅沢品として扱われ、日常的に食べる家庭は少なかったのです。

🌿 補足:白米が普及した理由

これらの要素が重なり、明治後期〜大正期にかけて、白米食が徐々に浸透していったのです。

🍚 まとめ

時代庶民主食 白米の普及状況
江戸時代雑穀、麦飯、玄米 高級品、特権階級食べ物
明治時代(後期) 雑穀+米の混合 都市部で白米が広がり始める
大正時代昭和初期 白米(都市部中心) 広く普及し、農村部にも浸透
太平洋戦争 白米の供給制限 米不足で麦飯や芋飯が主流に

2025-04-07

「オデーサ」って別にオデッサ」でもよくないか

ロシアによるウクライナ侵略後、ウクライナ地名をなるべくウクライナ語で書こうという流れが強まり(これ自体はとても良いことだ)、「キエフ」が「キーウ」、「ハリコフ」が「ハルキウ」と書かれるようになった。そして「オデッサ」も「オデーサ」と書かれるようになっている。

もちろん「オデーサ」でも構わないのだが、別にオデッサ」でも良いのではと思うようになってきた。以下に説明する。

まず、ロシア語だとどう綴るのかを確認しておこう。ロシア語ではОдесса(Odessa)と綴る(左がキリル文字で、右はそれをローマ字に直したもの。以下同じ)。これを「オデッサ」と表記してきたわけだ。

しかし実際のロシア語の発音とはほど遠い。というのもロシア語は綴り発音乖離が著しい言語であり(アクセントの置かれないoがaと読まれるというのは有名な話である)、したがって「アジェサ」のように発音するわけだが、ロシア業界常識としてロシア語は発音ではなく綴りに基づいて日本語表記するという慣例があるので、綴りを素直に読んで「オデッサ」と呼んできたのである

いっぽうでウクライナ語ではОдеса(Odesa)と綴る。ロシア語との差異はsが1つか2つかである。……えっと、この綴りって「オデッサ」って書いても許される範囲じゃない?

というのは、日本語では、これまで綴り発音からは「ッ」が入らない語であっても「ッ」を入れて表記することがあったからだ。たとえば、スラブ系の-vich/-vić/-vičという苗字はしばしば「~ビッチ」と書かれてきた(「ストイコビッチ」とか「ミロシェビッチ」とか)。だが冷静に考えてほしい、この綴りのどこに「ッ」を入れる要素があるのだろうか。文字の重なりもないし、実際に詰まって発音されるわけでもない。

それでも「~ビッチ」って綴りが使われてきたんだからオデッサ」って書いても「は? これはウクライナ語Odesaの日本語表記だが?」って言い逃れできるじゃん? わざわざ慣れ親しんだ表記を変えなくてもよいのではないか

もちろん「オデーサ」の方が正確ではあるので、たとえば余計な「ッ」を入れずに「ミロシェヴィチ」と書く派の人なら一貫性を重視して「オデサ」か「オデーサ」と書くべきだろう。でも「オデッサ」と書く人がいたとしても、その人が「ミロシェビッチ」と書いているのなら、それは間違いとか不適切とは言い切れない。日本新聞はずっと「ミロシェビッチ」と書いてきたんだから別にオデッサ」でもいいだろう。

ところで、南木義隆『蝶と帝国』という百合作品オデッサ舞台になっているのだが、作中ではずっと「オデーサ」と呼ばれる。へえ、地名表記ウクライナ語で通すことにしたんだ、と何気なく読んでいたら、終盤、街を占領した赤軍兵士が「オデッサ」と呼び始め、それに傍点がつけられて強調されていたので喫驚したし落胆した。なぜかといえばオデッサ現在でも市民の大多数がロシア語を母語とする圧倒的な「ロシア語の街」であり、しかヒロイン都市部お嬢様という設定なのだからどう考えても彼女たちはロシア語で喋っていたに決まっているわけで帝政期の都市部ではロシア語が支配的であり、ウクライナ語は「農民言語」だったというのはロシア帝国史の常識)、さらにいえばそのような「ロシア語の街」に民族自決イデオロギーを掲げた共産党が乗り込んできて「都市部でもウクライナ語を使え」キャンペーンを張った(1920年代のコレニザーツィヤ政策)というのが史実なのだから、著者の認識は二重三重おかしい。だってこの作品黒人キャラが出てきて主人公と会話したりするんですよ。ロシア帝国都市しかオデッサ!)に住む外国人が話す言語なんてロシア一択でしょ……百合作品としては出来が良かっただけに、もうちょっとウクライナ史やロシア史について勉強しようよ、と思ってしまった。いや、完全に余談なんだけれども。

2025-02-15

anond:20250214212724

普通に産めよって思う。

子供を産んでいた年齢のグラフみたいなのがあるんだけれど、1920年代40代での出産普通だったように見える。

そのグラフを見ると1980年代40歳代での出産まれになったけれど、どちらかと言えば最近現象に見えるね。

山本五十六って父親56歳、母親45歳の時の子供なんだよね。

2025-02-09

anond:20250208124757

wikipediaでは一大カテゴリ形成してるやつだ。

割と新しい合成地名

大丸有(だいまるゆう) → 東京都千代田区町名である大手町丸の内有楽町総称

谷根千(やねせん) → 文京区東端から台東区西端一帯の谷中根津千駄木周辺地区を指す総称

元増田が書いてたやつ;

国立(くにたち) → 国分寺立川の間に、西武がゲッティゲンモデルにした学園都市を構想し、国立駅をつくり、一橋大(こくりつ大学だね)を誘致した。国立音大(くにたちおんだい)はよく間違えられるが私立

古い合成地名令制国由来;

奥羽山脈 → 陸奥国出羽国

三陸海岸 → 陸前国陸中国陸奥国

房総半島 → 安房国上総国

甲武信ヶ岳こぶしがたけ) → 甲斐国武蔵国信濃国三国国境

三遠ネオフェニックスバスケチーム。旧浜松・東三河フェニックス) → 三河国遠江国

濃尾平野 → 美濃国尾張国

両丹日新聞 → 丹波国丹後国

播但線播但連絡道路 → 播磨国但馬国

伯牛(いんはくぎゅう)、因伯人(いんぱくと、地酒ジン) → 因幡国伯耆国インパクト狙いで草

雲伯方言 → 出雲国伯耆国

備讃瀬戸 → 備前国備中国讃岐国

芸予諸島、芸予フェリー → 安芸国伊予国

防予諸島防予フェリー → 周防国伊予国

防長長州藩通称) → 周防国長門国

土讃線 → 土佐国讃岐国

予讃線 → 伊予国讃岐国(当初は讃予線と呼ばれた)

予土線 → 伊予国土佐国

筑豊炭田 → 筑前国豊前国

豊予海峡 → 豊後国伊予国

日豊海岸日豊本線 → 日向国豊後国

肥薩おれんじ鉄道線 → 肥後国薩摩国

海外合成地名

国・大陸・構想;

ユーラシア大陸(Eurasia) → EuropaAsia

ベネルクス三国(Benelux) → Belgium ~ the NetherlandsLuxembourg

パキスタンPakistan) → ウルドゥー語ペルシア語の 「清浄な」を意味するپاک(パーク)+接尾語ـستان (スターン)で「清浄な国」の意。しかし元々はイギリス領インドのうちイスラム教徒が多く住む5つの北部地域総称として、民族主義者チョウドリーラフマト・アリーが、パンジャーブのP、カイバル・パクトゥンクワ州に住むアフガン人のA、カシミールのK、シンドのS、バロチタンTANから前述の意となる「Pakstan」として総称し、後に発音やすくするため「i」が加えられてPakistanとなったもの。『パキスタン宣言』は1933年の小冊子

アトラントローパ構想(Atlantropa) → AtlantisEuropaジブラルタル海峡ボスポラス海峡に巨大なダム建設して、地中海の海面を200メートル下げ、アドリア海などを陸地化して新たに広大な土地を得つつ、ダム水力発電を行って莫大な電力を得るという1920年代ドイツの構想あるいはその運動ロマン怪物

ユーラフリカ(Eurafrica) → Europa ~ Africa。アトラントローパ構想の現実主義的後継

双子都市都市圏など;

ブダペスト(Budapest)→ Buda ~ Pest、ハンガリー首都双子都市

メヒカリ(Mexicali)/ カレクシコ(Calexico)→ メキシコアメリカカリフォルニア州国境双子都市。当然メヒカリのが大きい。同じ国境双子都市でも、観光地感あるティファナと異なり、ヒリヒリした独特の雰囲気ある

アークラテクス(Arklatex, Ark-La-Tex)→ アーカンソー州ルイジアナ州テキサス州が接し、場合によってオクラホマ州南端も含む州境都市

テクサーカナ(Texarkana)→ アークラテクス都市圏のひとつ文字通りテキサスアーカンソーの2州に跨る双子都市Texarkana, Texas と Texarkana, Arkansas に分けられるが、テクサーカナ連邦政府ビル州境に跨って建ってる

シャンバナ(Chambana)→ イリノイ州双子都市シャンペーン(Champaign)~ アーバナ(Urbana)に跨る都市圏の俗称工学系の名門、イリノイ大学アーバナシャンペーン校が有名

カリストガ(Calistoga)→ California+Saratoga。双子都市ではない。カリフォルニア州に、ニューヨーク州の高級保養地サラトガスプリングスみたいな温泉リゾート都市を作ってやるぜ!で誕生。「カリフォルニアサラトガ」を「サラフォルニアカリストガ」と言い間違えて定着した説もある

双子都市とは;

別々の街道鉄道接続する物流拠点として、主として国境州境形成された都市群。

例えばコンゴ民主共和国(旧ベルギー領)の首都キンシャサと、コンゴ共和国(旧フランス領)の首都ブラザヴィル

北米大陸では特に例が多く、名前シルエイティ/ワンビアみたいなニコイチ感あふれがち。

日本だと燕三条富士市富士宮市みたいなやつか。

逆に係争地の場合国境半年ごと交互にスペイン/フランス領に変わるフェザン島(銀英伝フェザーン元ネタ)や朝鮮半島38度線のように、立ち入り禁止無人となる。

もっと見たい方へ;

wikipedia合成地名

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%90%88%E6%88%90%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7

Category:日本合成地名には、現在 1,146 ページが含まれています

合成地名コレクション

https://uub.jp/nam/gousei.html

wikipedia双子都市

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E5%AD%90%E9%83%BD%E5%B8%82

wikipediaかばん語

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%B0%E3%82%93%E8%AA%9E

wikipedia_EN「Blend word, portmanteau」

https://en.wikipedia.org/wiki/Blend_word

日本語は特にカバン語が多く、合成地名よりも東大 (Tōdai), Pokémon, karaoke, ヘタリア(Hetalia)などが例として挙げられている。

wikipedia「アトラントローパ」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%91

2025-01-18

anond:20250118062303

AIに尋ねたら、"リフレ政策の支持者は、経済活性化させるために中央銀行が無制限紙幣を発行することが必要だと主張します。"についての増田反論はその通りだそうな。

リフレ政策リフレーション政策)とは、経済活性化させるために、一般的には中央銀行金利を低く保ったり、資産購入(量的緩和)を行ったりして、貨幣供給を増やすことを指します。つまりリフレ政策目的は、経済を刺激するために貨幣供給量を増加させることです。

しかし、リフレ政策の支持者が「無制限紙幣を発行することが必要だ」と主張することは、通常はあまり見られません。リフレ政策基本的な考え方は、経済需要不足やデフレを解消するために貨幣供給を増やすことにありますが、「無制限に」という表現現実的ではなく、過剰なインフレを引き起こすリスクも伴います

また、リフレ政策に対する支持は、無制限お金を発行することを前提とするわけではなく、適切な貨幣供給の増加とバランスが求められます。過度に紙幣を発行すれば、インフレが加速し、経済に悪影響を与える可能性があるため、慎重な政策運営必要です。

したがって、リフレ政策の支持者が「無制限紙幣を発行するべきだ」と主張するのは、一般的には過度に単純化された主張であり、経済政策の実際の議論とは乖離しています

②"1920年代ドイツでは、過剰な通貨供給ハイパーインフレ引き起こし、人々の貯蓄は一夜にして無価値になりました。"に対する増田反論についてもAIに尋ねたが、「供給不足自体インフレを引き起こす要因の一部であったとしても、過剰な通貨供給が最も重要な要因であるという点が経済史学者の一般的見解」とのこと。

「過剰な通貨供給ハイパーインフレ引き起こした」という見解が、一般的には妥当とされていますが、反論一定理由があるため、その背景を理解することが大切です。

ドイツハイパーインフレの原因

1920年代ドイツハイパーインフレは、第一次世界大戦後の複雑な経済状況に起因しています戦争の結果、ドイツ経済は壊滅的な打撃を受け、生産能力は著しく低下しました。また、戦後賠償金支払い(ヴェルサイユ条約による賠償金)が大きな負担となり、その支払いに備えてドイツ政府通貨を大量に発行しました。この通貨供給過多がインフレ引き起こし、最終的にはハイパーインフレに至りました。

反論観点

反論の主張は、戦争による生産能力の壊滅とその後の供給不足がインフレの原因であり、通貨を刷りまくった結果として必要物資を購入しようとした政府の行動が原因ではなく、インフレが生じた後にその対策として紙幣が大量発行されたという点に焦点を当てています

実際、戦争での破壊的な影響と供給不足がインフレ悪化させたことは間違いありませんが、問題本質ドイツ政府賠償金支払いのために大量に通貨を発行したことにあります通貨供給の増加は、インフレさらに加速させ、最終的にハイパーインフレに至ったのです。供給不足自体インフレを引き起こす要因の一部であったとしても、過剰な通貨供給が最も重要な要因であるという点が経済史学者の一般的見解です。

結論

反論戦争後の供給不足と政府の行動を重視しており、これも一定の要素として理解できますしかし、ハイパーインフレ根本的な原因は通貨供給の過剰であり、経済史学観点からは「過剰な通貨供給インフレ引き起こした」という見解がより妥当です。

こういった説明妥当性について検証したければ、検索型のAIに聞けば根拠とした情報源も出してくれるわけだし、ほんと、会議AIを同席させるのはもはや必須と思える。

anond:20250118032536

これはこれは、紙幣を無制限に発行できるという妄想を信じているリフレ派さんですか?ハイパーインフレって知ってますか?あなた理論現実経済に与える影響を考えたことがありますか?

リフレ政策の支持者は、経済活性化させるために中央銀行が無制限紙幣を発行することが必要だと主張します。しかし、歴史を振り返ってみると、無制限通貨発行がもたらした結果は惨憺たるものでした。例えば、1920年代ドイツでは、過剰な通貨供給ハイパーインフレ引き起こし、人々の貯蓄は一夜にして無価値になりました。

リフレ派の方々は、短期的な景気刺激策としての効果を強調しますが、長期的な視点を持つことが重要です。無制限通貨発行は、結局のところ物価の上昇につながり、国民生活に深刻な影響を及ぼす可能性があります経済は単なる数字ではなく、人々の生活のものです。あなた提唱する政策が本当に人々に利益をもたらすのか、一度立ち止まって考えてみてください。

リフレ政策けが経済成長を促進する手段ではありません。構造改革生産性向上、教育投資など、多様なアプローチ検討することが求められています経済は複雑であり、一つの解決策だけでは不十分です。リフレ派としての立場を持つあなたも、他の視点意見に耳を傾けることで、新たな知見を得ることができるでしょう。

リフレ政策一見魅力的ですが、その背後には多くのリスクが潜んでいます経済健全な成長にはバランス必要です。ハイパーインフレの恐怖を忘れずに、より持続可能で安定した経済政策について真剣に考えてみませんか?あなた自身未来世代のために。

2024-12-02

anond:20241202180345

この言葉は、1920年代SF作家チャールズフォート(Charles Fort)が初めて使用したと言われています。彼は超常現象科学では説明できない現象研究しており、その中で「瞬間的な移動」の概念説明するために「teleportation」という言葉造語しました。

その後、SF小説映画などで広く使われるようになり、一般に普及しました。


テレポート (teleport)」や「テレポーテーション (teleportation)」の語源は、ギリシャ語ラテン語に由来しています

"tele-": ギリシャ語の「τῆλε (tēle)」に由来し、意味は「遠く」や「遠距離」を表します。

例: telephone電話)や telescope(望遠鏡)などにも使われています

"port": ラテン語の「portare」に由来し、意味は「運ぶ」や「移動させる」です。

例: transport輸送する)や portable(持ち運び可能な)などに関連します。

これらを組み合わせた teleport は、「遠くへ運ぶ」や「遠隔地へ移動させる」という意味になります

2024-10-28

自動車歴史で最も重要な車 10

思い立ったので書く

乗るしかないこのビッグウェーブ

ちなみに独断偏見だよ

https://anond.hatelabo.jp/20241012181121

0.基準

多くの自動車メーカーに影響を与え、後に自動車スタンダードとなるような技術理念を持つことを選考基準とした

1.ベンツパテントモートルヴァゲン(1886年)

世界初ガソリン内燃機関動力とする3輪自動車現代自動車の始祖にあたる。

自走式の自動車はモートルヴァゲン以前に前例があるものの、馬車を改造したものしかなかった。機動性と実用性を考慮し、ドライバーが手足のように操作できることを念頭に開発された自動車は、モートルヴァゲンが初となる。「バランスを取ることなく、ドライバー自由コントロールできる自走式の乗り物」を自動車とするならば、それを定義したのがこのモートルヴァゲンといえる。

発明者のカールベンツメルセデス・ベンツ創始者の一人。その妻であるベルタベンツ1888年旦那内緒でモートルヴァゲンを持ち出し、息子2人と長距離旅行実家に里帰り)を敢行。ガソリンスタンドなど無い時代に、幾多の故障トラブルを乗り越えながら往復200kmの長距離走行を成功させている。この時の経験は、モートルヴァゲンの改良に大いに役立ったという。

2.フォード T型フォード(1908年)

世界初大量生産車。ヘンリー・フォードによるライン生産方式発明により、一部の富裕層乗り物であった自動車大衆のものになった。自動車史のみならず、人類歴史にに大きな足跡を残した偉大な車である

大成功を収めたフォードであったが、その十数年後にはゼネラルモータースの台頭により、フォードは窮地に立たされることになる。

3.フォルクスワーゲン タイプ1(1941年)

いわゆる「ビートル」。基本的設計を変えないまま2003年まで生産された。累計生産台数は2152万9464台。フルモデルチェンジを含めない単一車種の生産台数としてはぶっちぎりでトップ

この車の偉大さを伝えるにあたり、長ったらしい解説必要なし。世界中で広く愛され、たくさんの人々の生活を支えた。

4.メルセデス・ベンツ W120(1953年)

世界で初めて衝突安全ボディを採用した車。衝突時に車体を意図的につぶすことで、衝撃を吸収し安全性を高める。

今では当たり前の技術だが、その当たり前を作り上げ沢山の命を救った功績は大きい。

5.ボルボ PV544(1958年)

3点式シートベルト現在一般的に使われているシートベルト)を世界で初めて標準装備した車。ボルボは「安全は独占されるべきでない」としてこの特許無償で公開。その結果3点式シートベルトは急速に普及し、世界中自動車安全に大きく貢献した。メルセデス・ベンツとともに敬意を。

6.ポルシェ911(1964年)

スポーツカーとしての高い走行性能と、人や荷物を載せる実用性を高い次元で両立させた車。高級スポーツカーとしては珍しくルーフキャリアが装着可能で、荷物屋根積みすればスキーキャンプなどレジャーにも使える実用性を有する。初代の発売から現在に至るまで、世界中自動車メーカーにとってスポーツカーのお手本であり続けている。

7.ブリティッシュモーター・コーポレーション ローバーミニ(1969年)

エンジン横置きFFフロントエンジンフロントドライブ大衆車の先駆車。コンパクトな車体ながら広い室内空間を確保できるこのパッケージングは、現在自動車の主流となった。

BMWブランドが買収された後は、様々な自動車メーカーが挑戦し失敗し続けた「小さな高級車」を初めて成功させたブランドとなった。

8.フェラーリ F40(1987年)

フェラーリ創業者エンツォフェラーリ最後に手掛けたスペチアーレ(限定モデル)。希少価値を高めるため「欲しがる顧客の数より1台少なく作る」ビジネスモデルは、高級車はもちろん高級時計ブランドバッグなど、ラグジュアリーブランドビジネスとして今では一般的手法となった。世界最強の高級ブランドフェラーリ象徴するF40は、自動車業界の枠を超えて特筆するべき製品といえるだろう。

9.トヨタ 初代プリウス(1997年)

世界初HV乗用車。初代プリウス赤字覚悟実験的なモデルだったが、2代目プリウス商品力を高め大ヒットを記録した。

近年のトヨタEV販売積極的でないため脱炭素できていないと叩かれがちだが、発売から現在までCO2排出削減に最も貢献した車は、他でもないプリウスである。「良い製品でも売れなければ意味がない」というトヨタの考えを地で行く名車。

10.テスラ モデル3(2017年)

走るスマートフォン。もはや自分運転する必要などない時代を予感させ、モートルヴァゲン定義した自動車定義を覆そうとしている。トヨタが「自動車メーカーからモビリティメーカーへの変革」を目指すようになるなど、世界各国の自動車メーカー経営戦略の転換を迫られた。

また、テスラ運転支援技術悲惨事故を引き起こすなど、自動運転技術が普及していく過渡期として重要出来事引き起こしている。良くも悪くも、今後自動車史における大きなターニングポイントとして語られることは間違いない。

以下、悩んだけど選外

1920年代ゼネラルモータース(シボレーキャデラック等)

たくさんのブランドや車種を展開する販売戦略(多品種少量生産)やオートローンなど、現在は当たり前になっているマーケティング手法を生み出した。自動車史において非常に重要であるものの「これ!」となるような特定の車種を選ぶことができなかったため選外とした。

マツダ コスモスポーツ(1967年)

夢のエンジンと呼ばれたロータリーエンジン世界中自動車メーカーオートバイメーカー研究したが失敗。唯一実用化に成功したのは、東の最果てにある小さい自動車メーカーだった。高く評価されるべき技術だが、広く普及した技術とはならなかった。

ちなみに、ソ連ロータリーエンジン車を生産していた事実はあまり知られていない。一説によると3ローターの市販車は、マツダではなくはソ連が初だとも言われている。昭和51年マツダソ連技術者に工場を案内したことがあるらしく、その際に技術流出した(らしい)。

シトロエン DS(1955年)

油圧サスペンションやモノスポークホイール流線型宇宙船のような外見など、意欲的な工夫が多数盛り込まれシトロエンの傑作。特殊な車に見えるが、大衆車として145万台以上生産された。

誰もが認める名車だが、マツダロータリーと同じく一般的技術として普及しなかったため選外。

ちなみに、油圧サスペンションの油圧はブレーキパワステトランスミッション駆動にも使われているため、何らかの原因で油圧がかからなくなると、最悪サスペンションブレーキハンドルすべてが利かなくなる。

メルセデス・ベンツ ミディアムクラスW124(1985年)

「最善か無か」最後時代メルセデスとして名高いW124型ミディアムクラス/初代Eクラス安全性を最優先に考え、最善の自動車を実現するべくコストをかけて徹底的に開発された名車。世界中自動車メーカー研究対象になった。

しかし、日本車の躍進や東西ドイツ統合による経済的混乱などの理由で、メルセデスベンツはこの車以降、コストをかけた車づくりをあきらめることとなる。

トヨタ 初代レクサスLS日本名セルシオ)(1989年)

日本車の高級車市場進出象徴ともいえる一台。この車が出るまでは日本車=安くて丈夫な大衆車だったが、それを覆した。きわめて静粛な車内と乗り心地、そして高いクオリティに対する値段の安さは、全世界に衝撃を与えた。メルセデスが「最善か無か」の車づくりをあきらめたのはこの車が原因。

ホンダ 初代シビック(1972年)

世界中自動車メーカー不可能と思われていたアメリカ環境規制、マスキー法を初めてクリアした名車。ホンダ北米市場で躍進するきっかけとなった。

ちなみに、マスキー法はビッグ3フォードGMクライスラー)の反発により実質的な廃案となる。アメリカ環境規制がマスキー法同水準に達するのは、1995年になるまで待たなければならなかった。

トヨタ 70系ランドクルーザー(1984年)

アフリカ中東南米ジャングルの奥地...。どんな場所でも生きて帰ってこれる車。厳しい環境で、農業鉱業、人命救助などに活躍している。この車がないと生きていけない人が、世界中にはたくさんいる。

開発者インタビューによると、地引網漁に使われている事例もあったらしい(ランクルで浜から海にざぶざぶと入って網を投げ、引き上げる。釣った魚を売る時にも使う)。

マツダ ロードスター(1989年)

パワーがないけど、軽量で安く走る楽しさにあふれるスポーツカーデビュー当初、この類のスポーツカー瀕死寸前だったが大ヒットを記録し、数々のフォロワーを生み出して今に至る。

2024-07-24

子供大人とは違って変な倫理観とかそういう物がないか合理的だ。

子供普通から外れた子供いじめる。でも、普通感覚共同体感覚がない子供大人になっても生きるのに苦労し、死にたいと思うようになる。そうであれば、まだ子供のうちに殺してしまった方が、本人も楽だし、周りの人間への負担も少ないだろう。

狩猟採集をしていた頃の人類もきっと、普通とは違う人間いじめ、時には殺していたに違いない。それが、農耕をするようになり、普通とは違う、本来であれば生きるべきでない人間も、労働力として使えるようになってしまった。

1920年代には、優生学といって、国籍障害の有無で強制的に人を殺した方が良いと言う考え方が広まったらしい。私は、これには断固反対する。本人の意に背いて殺すことはよくないからだ。

ただ、そうすると、いじめられている子供のうち、死にたくないと思っている子供は殺すべきではないことになる。そして、その子供が大人になって、自ら死にたいと思うようになってから初めて死という救済を与えられることとなる。だが、これは無駄に苦しませるだけだ。

将来苦しむとわかっているのに生かすことは果たして人道的と言えるのだろうか。

2024-05-16

anond:20240516113111

Pamela

女性名前で、フィリップシドニーが1590年代出版した「アルカディア」で作り出されたとされていますギリシャ語pan-(「すべて」を意味し、語頭の子音が唇音の場合はpam-になります。詳しくはpan-を参照)とmeli(「ハチミツ」を意味し、Melissaの最初の要素にもなっています。PIEの*melit-ya(「ハチミツ」を意味する語根*melit-の接尾語形)から来ている)の合成で、「全てが甘い」という意味を持つとされていますが、これは推測に過ぎません。この名前サミュエル・リチャードソンの小説「パメラ」(1741年)によって人気が高まりましたが、1920年代になってから一般的になりました。アメリカ合衆国で生まれ女の子名前として1947年から1968年までトップ20に入りました。

2024-04-14

anond:20240414090144

右翼的愛国的な作品評価されるタイミングというのもある。日本で言えば戦時中戦争画とか、アメリカ1920年代頃とか。場所と時流によるだろう。

2024-03-20

[]超モガ

「モガ」は1920年代流行ったモダンガール略称だが、そのなかでも流行最先端を行く人を超モガと呼んだらしい。

2024-02-05

どっこいしょ 民謡1703年伊香保節 幕末どっこいしょ節

どっこい 江戸時代

どっこらしょ 1950年代

よいしょ 明治 当世書生気質 元はよいさ? よやさ よいやさ

よっこらしょ 1920年代

よっこいしょ 1950年代

よいとこしょ 江戸時代

うんしょ 明治

うんとこしょ 江戸時代文政

2024-01-27

恐慌に至ってようやく陰謀論調査したナイ委員会はしかし遅かった

ウィルソンに隠し事をさせていたのは保険工業であった

1920年代から1930年代を通じて、軍需工業アメリカ政府を騙して第一次大戦に参戦させたのではないかという議論を扱った書籍記事が多数現れた

2023-12-13

令和の謎文化

土用の丑の日 1900年代〜 発祥江戸時代

バレンタインチョコ 1970年代〜 発祥菓子

ホワイトデー 1980年代〜 発祥菓子

恵方巻 1990年代〜 発祥大阪

豆まき 江戸時代〜 発祥中国

台風コロッケ 2020年代〜 発祥2ch

ハロウィン 2000年代〜 発祥欧米

クリスマス 1920年代〜 発祥キリスト教

ナスときゅうりの精霊馬 江戸時代

バースデーケーキ 戦後〜 発祥アメリカ

・二礼二拍手一礼 2010年代〜 発祥明治時代宮内庁

 

衰退した謎文化

年賀状 定着が戦後ピークが2003年現在1960年代と同等

・旗日 定着が1900年代〜、ピークは不明現在はごく一部

初潮赤飯 定着は江戸時代ピークは昭和

お見合い 定着が昭和時代(その前は命令婚が主流)、ピークは昭和初期

・許嫁 お見合い前では一般的戦後ほぼ無くなる

・お月見 最近見かけない、七夕はあるのに

・初釜 ごめん詳しくない

 

こいつまだ残っててすごいなと言う謎文化

盆踊り

2023-12-01

山田太一訃報を知った。

それまでふぞろいの林檎たち岸辺のアルバムくらいしか知らなかった山田太一だが、

昨年、NHK再放送されていた「男たちの旅路I~III」を初めてみて、山田太一世界は奥深いと、認識を改めたのを覚えている。

ある種、衝撃を受けた。

男たちの旅路I~III」は戦中派のイメージが強い鶴田浩二山田太一が説得して、鶴田の初テレビドラマ出演となったいわくつきのドラマだった。

このドラマのすごさは、戦中派の鶴田あるいは特攻世代鶴田の、ある種、ブレない、英霊に操を立てる保守の固まりみたいな偶像を粉々に砕いたところだ。

戦中派保守というと、三島由紀夫吉田満といった1920年代半ば生まれで、10代の思春期国家への忠誠を純粋培養で叩き込まれ世代

その世代のブレなさに憧れて、保守を自認しているのが、昨今のなんちゃって感の強い保守たちだ。どんなに差別的発言をしても非を認めず一貫している、みたいなアレも含めてね。

特攻で死んでいった仲間に義理立てして結婚恋愛もしないという役柄(鶴田)だったが、死の病に直面した部下の女性桃井かおり)に愛を告白され、戸惑いながらも、一線を越えようとしない。山田脚本のなかでやってのけたのは、そうした戦中派世代のこだわりを、戦前派の世代ドラマのなかでは上司として登場する池辺良)がなんで抱いてやらんのだ、お前は分別のかたまりだ、と一蹴するところだ。

池辺良の役柄には、戦争中、終戦直後に上官の立場として、清濁を飲み込みながら必死で生き延びてきた池辺自身経験が反映されている。

また大正昭和初期にモダンカルチャーを受容する過程を経て、いつしか日本社会全体が国家主義へ傾倒してゆく日本の変遷をまざまざとみてきた世代でもある。その世代から下の世代としてみる、特攻世代というのは、若者思い込みの強さを強く感じ取っていたに違いない。人の考えも社会も時が経てば変わる、それを知っているのが戦前世代。それに対して、敗戦後に変貌した日本社会を目の当たりにした戦中派は、国を信じて死んでいった仲間を忘れることはできない。

そうした世代間のギャップが、鶴田を悩みに悩ませる演出によって見事に表現されているのが、男たちの旅路第3部最終回だ。

このドラマを通じて、鶴田浩二に興味を持った俺は、八千草薫と共演した【シャツの店】もぜひ見てみたいと思った。

また、保守というのが、靖国神社に強いこだわりをもつ戦中派の前の世代として、戦前派の保守というもの存在していたことにも思い至り、改めて福田恆存なども読んだりしてみた。昔の保守を知れば知るほど今の保守がばかばかしくなった。

山田太一のものの考え方でいえば、第二部で描いた「シルバーシート」は圧巻だった。老人が都電車庫に立てこもり反乱を起こす。あえて社会迷惑をかける意図的な行動に出た。

有形無形に、社会迷惑をかけるな、と社会から言われ続ける老人の気持ちのやるせなさをここまで訴えかけるドラマはない。

誰しも、迷惑をかけずに老後を過ごせるなんて、誰にもわからない。認知症になるかもしれないし、長い闘病や介護社会負担をかけるかもしれない。

立てこもる老人たちを説得する役を演じた鶴田浩二に対して、笠智衆がいう。あんたには若いからからないのだ、老人になったときはじめてわかるときがくる、と。

大人分別という鶴田の説得が通用しなかったという、ここでも出てくる鶴田の敗北の演出もさることながら、老いて初めて分かる、というリアルセリフが心に残った。

同じくNHKドラマチロル挽歌」も印象深いドラマだ。

高倉健大原麗子という因縁の二人(参考:居酒屋兆治)を軸に、やっぱり山田高倉健偶像破壊するような脚本を書いている。

リゾート法によって急速に全国で展開されたテーマパーク開発はバブル経済の華だった。

炭鉱の閉山で疲弊する地域経済起爆剤としてテーマパークを呼び込む北海道炭鉱の町。

しかバブル崩壊に伴い、計画が構想され、着工寸前まで来たもの撤退を迫られることになったのが90年代初頭の社会像だった。

町の期待をよそに、寡黙なキャラ高倉現場担当として町にやってきたこから、開発会社本社から撤退の後始末を、という隠れた命題高倉に任せたのではといぶかる町。そんななかでも、慣れないサービス業に苦心し、町を盛り上げようと市長応援する高倉健の姿は、居酒屋兆治で演じた姿とはやはり違う。

阿部寛は、若い頃に、建設現場社員というチョイ役で出演したこドラマから多くのことを学んだ、とどこかで言っていた気がする。

4日、BS再放送するそうだ。

ふぞろいの林檎たち」もすごいドラマだった。大学生役の中井貴一が初めての風俗でテコキで抜いてもらった挙句に、風俗嬢にこんな仕事やめなよと説教するシーン。リアルおっぱい出しているのも80年代らしい。こういう演出はもう昨今のドラマではありえないだろう。

長くなった。

ともあれ、大きな存在が亡くなった。

ここ5年くらい、脚本を書いておらず、闘病を続けていたと聞く。

合掌。

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