はてなキーワード: 箱根とは
後のちの月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼い訣わけとは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年余よも過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、寧むしろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味を貪むさぼって居る事が多い。そんな訣から一寸ちょっと物に書いて置こうかという気になったのである。
僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切やぎりの渡わたしを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。矢切の斎藤と云えば、この界隈かいわいでの旧家で、里見の崩れが二三人ここへ落ちて百姓になった内の一人が斎藤と云ったのだと祖父から聞いて居る。屋敷の西側に一丈五六尺も廻るような椎の樹が四五本重なり合って立っている。村一番の忌森で村じゅうから羨ましがられている。昔から何ほど暴風が吹いても、この椎森のために、僕の家ばかりは屋根を剥がれたことはただの一度もないとの話だ。家なども随分と古い、柱が残らず椎の木だ。それがまた煤やら垢やらで何の木か見分けがつかぬ位、奥の間の最も煙に遠いところでも、天井板がまるで油炭で塗った様に、板の木目も判らぬほど黒い。それでも建ちは割合に高くて、簡単な欄間もあり銅の釘隠しなども打ってある。その釘隠しが馬鹿に大きい雁であった。もちろん一寸見たのでは木か金かも知れないほど古びている。
僕の母なども先祖の言い伝えだからといって、この戦国時代の遺物的古家を大変に自慢していた。その頃母は血の道で久しく煩っており、黒塗りのような奥の一間がいつも母の病褥となっていた。その次の十畳の間の南隅に、二畳の小座敷がある。僕がいない時は機織場で、僕がいる間は僕の読書室にしていた。手摺窓の障子を開けて頭を出すと、椎の枝が青空を遮って北を覆っている。
母が長らくぶらぶらしていたから、市川の親類で、僕には縁の従妹になっている民子という女の子が、仕事の手伝いや母の看護に来ていた。僕がいま忘れることができないというのは、その民子と僕との関係である。その関係といっても、僕は民子と下劣な関係をしたのではない。
僕は小学校を卒業したばかりで十五歳、月を数えると十三歳何か月というころ、民子は十七だけれど、それも生まれが遅いから十五と少しにしかならない。
やせぎすであったけれども顔は丸い方で、透き通るほど白い皮膚に赤みを帯びた、まことに光沢のよい子であった。いつでもいきいきとして元気がよく、そのくせ気は弱くて憎気の少しもない子であった。
もちろん僕とは大の仲よしで、座敷を掃くといっては僕のところをのぞく、障子をはたくといっては僕の座敷へ入ってくる。私も本が読みたいの、手習いがしたいのという。たまにははたきの柄で僕の背中を突いたり、僕の耳をつまんだりして逃げてゆく。僕も民子の姿を見れば来い来いと言って、二人で遊ぶのが何よりおもしろかった。
「また民やは政のところへ入っているな。こら、さっさと掃除をやってしまえ。これからは政の読書の邪魔などしてはいけません。民やは年上のくせに……」
などとしきりに小言を言うけれど、その実、母も民子を非常にかわいがっているのだから、いっこうに小言がきかない。民子は「私にも少し手習いをさせて……」などと、ときどきだだを言う。そういうときの母の小言も決まっている。
「お前は手習いより裁縫です。着物が満足に縫えなくては、女一人前として嫁に行かれません」
このころ僕に一点の邪念がなかったのはもちろんであるが、民子の方にも、いやな考えなどは少しもなかったに違いない。
しかし母がよく小言を言うにもかかわらず、民子はなお朝のご飯だ昼のご飯だと言っては僕を呼びに来る。呼びに来るたびに、急いで入って来て、本を見せろの筆を貸せのと言ってはしばらく遊んでいる。その間にも母の薬を持ってきた帰りや、母の用を足した帰りには、きっと僕のところへ入ってくる。僕も民子がのぞかない日は、何となく寂しく物足りなく思われた。今日は民さんは何をしているかなと思い出すと、ふらふらっと書室を出る。民子を見に行くというほどの心ではないが、ちょっと民子の姿が目に触れれば気が落ち着くのであった。何のことだ、やっぱり民子を見に来たんじゃないかと、自分で自分をあざけるようなことがしばしばあったのである。
村のある家に瞽女が泊まったから聴きに行かないか、祭文が来たから聴きに行こうのと近所の女たちが誘っても、民子は何とか断りを言って決して家を出ない。隣村の祭で花火や飾り物があるからとのことで、例の向こうのお浜や隣のお仙などが大騒ぎして見に行くというのに、うちの者まで民さんも一緒に行って見てきたらと言っても、民子は母の病気を言い訳にして行かない。僕もあまりそんな所へ出るのは嫌いであったから家にいる。民子はこそこそと僕のところへ入ってきて、小声で、「私はうちにいるのが一番面白いわ」と言ってにっこり笑う。僕も何となく民子をそんな所へやりたくなかった。
僕が三日おき四日おきに母の薬を取りに松戸へ行く。どうかすると帰りが遅くなる。民子は三度も四度も裏坂の上まで出て、渡しの方を見ていたそうで、いつでも家中の者に冷やかされる。民子はまじめになって、「お母さんが心配して、見ておいで見ておいでと言うからだ」と言い訳をする。家の者は皆ひそひそ笑っているとの話であった。
そういう次第だから、作女のお増などは、無性に民子を小面憎がって、何かというと、「民子さんは政夫さんのところへばかり行きたがる。暇さえあれば政夫さんにこびりついている」などとしきりに言いはやしたらしく、隣のお仙や向こうのお浜などまであれこれ噂をする。これを聞いてか、嫂が母に注意したらしく、ある日母は常になくむずかしい顔をして、二人を枕元へ呼びつけ、意味ありげな小言を言った。
「男も女も十五、六になれば、もはや子どもではない。お前たち二人があまり仲がよすぎると、人があれこれ言うそうじゃ。気をつけなくてはいけない。民子が年かさのくせによくない。これからはもう決して政のところへなど行くことはならぬ。
わが子を許すわけではないが、政はまだ子どもだ。民やは十七ではないか。つまらぬ噂をされると、お前の体に傷がつく。政夫だって気をつけろ……。来月から千葉の中学へ行くんじゃないか」
民子は年が多いし、かつは意味あって僕の所へゆくであろうと思われたと気がついたか、非常に恥じ入った様子に、顔を真赤にして俯向いている。常は母に少し位小言を言われても随分だだをいうのだけれど、この日はただ両手をついて俯向いたきり一言もいわない。何のやましい所のない僕は頗る不平で、「お母さん、そりゃ余り御無理です。人が何と云ったって、私等は何の訳もないのに、何か大変悪いことでもした様なお小言じゃありませんか。お母さんだっていつもそう云ってたじゃありませんか。民子とお前とは兄弟も同じだ、お母さんの眼からはお前も民子も少しも隔てはない、仲よくしろよといつでも云ったじゃありませんか」母の心配も道理のあることだが、僕等もそんないやらしいことを云われようとは少しも思っていなかったから、僕の不平もいくらかの理はある。母は俄にやさしくなって、「お前達に何の訳もないことはお母さんも知ってるがね、人の口がうるさいから、ただこれから少し気をつけてと云うのです」色青ざめた母の顔にもいつしか僕等を真から可愛がる笑みがたたえている。やがて、「民やは、また薬を持ってきて、それから縫いかけの袷を今日中に仕上げてしまいなさい。政は立ったついでに花を切って仏壇へ供えてください。菊はまだ咲かないか、そんなら紫苑でも切ってくれよ」
本人達は何の気なしであるのに、人がかれこれ言うのでかえって無邪気でいられない様にしてしまう。僕は母の小言も一日しか覚えていない。二三日たって民さんはなぜ近頃は来ないのか知らんと思った位であったけれど、民子の方では、それからというものは様子がからっと変ってしまった。民子はその後僕の所へは一切顔出ししないばかりでなく、座敷の内で行き会っても、人のいる前などでは容易に物も言わない。何となく極りわるそうに、まぶしい様な風で急いで通り過ぎてしまう。よんどころなく物を言うにも、今までの無遠慮に隔てのない風はなく、いやに丁寧に改まって口をきくのである。時には僕が余り俄に改まったのを可笑しがって笑えば、民子も遂には袖で笑いを隠して逃げてしまうという風で、とにかく一重の垣が二人の間に結ばれた様な気合になった。それでも或日の四時過ぎに、母の言いつけで僕が背戸の茄子畑に茄子をもいでいると、いつのまにか民子が笊を手に持って、僕の後にきていた。「政夫さん……」出し抜けに呼んで笑っている。「私もお母さんから言いつかって来たのよ。今日の縫物は肩が凝ったろう、少し休みながら茄子をもいできてくれ。明日麹漬をつけるからって、お母さんがそう言うから、私飛んできました」民子は非常に嬉しそうに元気一杯で、僕が、「それでは僕が先にきているのを民さんは知らないで来たの」と言うと民子は、「知らなくてさ」 にこにこしながら茄子を採り始める。茄子畑というは、椎森の下から一重の藪を通り抜けて、家より西北に当る裏の前栽畑。崖の上になっているので、利根川は勿論中川までもかすかに見え、武蔵一円が見渡される。秩父から足柄箱根の山々、富士の高嶺も見える。東京の上野の森だというのもそれらしく見える。水のように澄みきった秋の空、日は一間半ばかりの辺に傾いて、僕等二人が立っている茄子畑を正面に照り返している。あたり一体に静としてまた如何にもはっきりとした景色、我等二人は真に画中の人である。「まあ何という好い景色でしょう」民子もしばらく手をやめて立った。僕はここで白状するが、この時の僕は確かに十日以前の僕ではなかった。二人は決してこの時無邪気な友達ではなかった。いつの間にそういう心持が起っていたか、自分には少しも判らなかったが、やはり母に叱られた頃から、僕の胸の中にも小さな恋の卵が幾つか湧きそめていたに違いない。僕の精神状態がいつの間にか変化してきたは、隠すことの出来ない事実である。この日初めて民子を女として思ったのが、僕に邪念の萌芽ありし何よりの証拠である。民子が体をくの字にかがめて、茄子をもぎつつあるその横顔を見て、今更のように民子の美しく可愛らしさに気がついた。これまでにも可愛らしいと思わぬことはなかったが、今日はしみじみとその美しさが身にしみた。しなやかに光沢のある鬢の毛につつまれた耳たぶ、豊かな頬の白く鮮かな、顎のくくしめの愛らしさ、頸のあたり如何にも清げなる、藤色の半襟や花染の襷や、それらがことごとく優美に眼にとまった。そうなると恐ろしいもので、物を言うにも思い切ったことは言えなくなる、恥ずかしくなる、極りが悪くなる、皆例の卵の作用から起ることであろう。ここ十日ほど仲垣の隔てが出来て、ろくろく話もせなかったから、これも今までならば無論そんなこと考えもせぬにきまっているが、今日はここで何か話さねばならぬ様な気がした。僕は初め無造作に民さんと呼んだけれど、後は無造作に言葉が継がない。おかしく喉がつまって声が出ない。民子は茄子を一つ手に持ちながら体を起して、「政夫さん、なに……」「何でもないけど民さんは近頃へんだからさ。僕なんかすっかり嫌いになったようだもの」民子はさすがに女性で、そういうことには僕などより遥に神経が鋭敏になっている。さも口惜しそうな顔して、つと僕の側へ寄ってきた。「政夫さんはあんまりだわ。私がいつ政夫さんに隔てをしました……」「何さ、この頃民さんは、すっかり変っちまって、僕なんかに用はないらしいからよ。それだって民さんに不足を言う訳ではないよ」民子はせきこんで、「そんな事いうはそりゃ政夫さんひどいわ、御無理だわ。この間は二人を並べておいて、お母さんにあんなに叱られたじゃありませんか。あなたは男ですから平気でお出でだけど、私は年は多いし女ですもの、ああ言われては実に面目がないじゃありませんか。それですから、私は一生懸命になってたしなんでいるんでさ。それを政夫さん隔てるの嫌になったろうのと言うんだもの、私はほんとにつまらない……」民子は泣き出しそうな顔つきで僕の顔をじっと見ている。僕もただ話の小口にそう言うたまでであるから、民子に泣きそうになられては気の毒になって、「僕は腹を立って言ったではないのに、民さんは腹を立ったの……僕はただ民さんが俄に変って、逢っても口もきかず、遊びにも来ないから、いやに淋しく悲しくなっちまったのさ。それだからこれからも時々は遊びにお出でよ。お母さんに叱られたら僕が咎を背負うから……人が何と言ったってよいじゃないか」何というても子供だけに無茶なことをいう。無茶なことを言われて民子は心配やら嬉しいやら、嬉しいやら心配やら、心配と嬉しいとが胸の中でごったになって争ったけれど、とうとう嬉しい方が勝を占めてしまった。なお三言四言話をするうちに、民子は鮮かな曇りのない元の元気になった。僕も勿論愉快が溢れる、宇宙間にただ二人きりいるような心持にお互いになったのである。やがて二人は茄子のもぎくらをする。大きな畑だけれど、十月の半過ぎでは茄子もちらほらしかなっていない。二人でようやく二升ばかりずつを採り得た。「まあ民さん、ご覧なさい、入日の立派なこと」民子はいつしか笊を下へ置き、両手を鼻の先に合せて太陽を拝んでいる。西の方の空は一体に薄紫にぼかした様な色になった。ひた赤く赤いばかりで光線の出ない太陽が今その半分を山に埋めかけたところ、僕は民子が一心入日を拝むしおらしい姿が永く眼に残っている。二人が余念なく話をしながら帰ってくると、背戸口の四つ目垣の外にお増がぼんやり立って、こっちを見ている。
民子は小声で、「お増がまた何とか言いますよ」「二人ともお母さんに言いつかって来たのだから、お増なんか何と言ったって構いやしないさ」一事件を経る度に二人が胸中に湧いた恋の卵は層を増してくる。
機に触れて交換する双方の意志は、直ちに互いの胸中にある例の卵に至大な養分を給与する。今日の日暮は確かにその機であった。ぞっと身震いをするほど著しい徴候を現したのである。しかし何というても二人の関係は卵時代で極めて取りとめがない。人に見られて見苦しい様なこともせず、顧みて自らやましい様なこともせぬ。従ってまだまだのんきなもので、人前を繕うという様な心持は極めて少なかった。僕と民子との関係も、この位でお終いになったならば、十年忘れられないというほどにはならなかっただろう。
親というものはどこの親も同じで、我が子をいつまでも子供のように思っている。僕の母などもその一人に漏れない。民子はその後ときおり僕の書室へやってくるけれど、よほど人目を計らって気兼ねをしながら来るような様子で、来ても少しも落ち着かない。先に僕に嫌味を言われたから仕方なく来るのかとも思われたが、それは間違っていた。僕ら二人の精神状態は、二三日では言い表せないほど著しい変化を遂げている。僕の変化は最も激しい。三日前には、お母さんが叱るなら自分が責任を負うから遊びに来てくれとまで無茶を言った僕が、今日はとてもそんな気持ちではない。民子が少し長居をすると、もう気がとがめて心配でならなくなった。
「民さん、またお出いでよ。あまり長く居ると人がつまらぬことを言うから」
民子も気持ちは同じだけれど、僕にもう行けと言われると妙にすねだす。
「あなたはこの前、何と言いました。人が何と言ってもよいから遊びに来いと言ったじゃありませんか。私はもう人に笑われてもかまいません」
困ったことになった。二人の関係が密接になるほど、人目を恐れるようになる。人目を恐れるようになっては、まるで罪を犯しているかのように心も落ち着かなくなる。母は口では、男も女も十五六になれば子供ではないと言うが、それは理屈の上のことで、気持ちではまだ二人を子供のように思っている。そのため、民子が僕の部屋に来て本を見たり話をしたりしていても、すぐ前を通りながらまったく気に留める様子もない。この間の小言も実は嫂が言うから出ただけで、本心からではない。母はそうだったが、兄や嫂やお増などは盛んに陰口を言って笑っていたらしく、村中でも「年上の娘を嫁にする気か」などともっぱら噂しているという。それらのことが次第に二人にも伝わり、僕の方から言い出して、しばらく距離を置くことにした。
僕はズボン下に足袋裸足麦藁帽という出で立ち、民子は手指を佩いて股引も佩いてゆけと母が云うと、手指ばかり佩いて股引佩くのにぐずぐずしている。民子は僕のところへきて、股引佩かないでもよい様にお母さんにそう云ってくれと云う。僕は民さんがそう云いなさいと云う。押問答をしている内に、母はききつけて笑いながら、
「民やは町場者だから、股引佩くのは極りが悪いかい。私はまたお前が柔かい手足へ、茨や薄で傷をつけるが可哀相だから、そう云ったんだが、いやだと云うならお前のすきにするがよいさ」
それで民子は、例の襷に前掛姿で麻裏草履という支度。二人が一斗笊一個宛を持ち、僕が別に番ニョ片籠と天秤とを肩にして出掛ける。民子が跡から菅笠を被って出ると、母が笑声で呼びかける。
「民や、お前が菅笠を被って歩くと、ちょうど木の子が歩くようで見っともない。編笠がよかろう。新らしいのが一つあった筈だ」
稲刈連は出てしまって別に笑うものもなかったけれど、民子はあわてて菅笠を脱いで、顔を赤くしたらしかった。今度は編笠を被らずに手に持って、それじゃお母さんいってまいりますと挨拶して走って出た。
村のものらもかれこれいうと聞いてるので、二人揃うてゆくも人前恥かしく、急いで村を通抜けようとの考えから、僕は一足先になって出掛ける。村はずれの坂の降口の大きな銀杏の樹の根で民子のくるのを待った。ここから見おろすと少しの田圃がある。色よく黄ばんだ晩稲に露をおんで、シットリと打伏した光景は、気のせいか殊に清々しく、胸のすくような眺めである。民子はいつの間にか来ていて、昨日の雨で洗い流した赤土の上に、二葉三葉銀杏の葉の落ちるのを拾っている。
「民さん、もうきたかい。この天気のよいことどうです。ほんとに心持のよい朝だねイ」
「ほんとに天気がよくて嬉しいわ。このまア銀杏の葉の綺麗なこと。さア出掛けましょう」
民子の美しい手で持ってると銀杏の葉も殊に綺麗に見える。二人は坂を降りてようやく窮屈な場所から広場へ出た気になった。今日は大いそぎで棉を採り片付け、さんざん面白いことをして遊ぼうなどと相談しながら歩く。道の真中は乾いているが、両側の田についている所は、露にしとしとに濡れて、いろいろの草が花を開いてる。タウコギは末枯れて、水蕎麦蓼など一番多く繁っている。都草も黄色く花が見える。野菊がよろよろと咲いている。民さんこれ野菊がと僕は吾知らず足を留めたけれど、民子は聞えないのかさっさと先へゆく。僕は一寸脇へ物を置いて、野菊の花を一握り採った。
民子は一町ほど先へ行ってから、気がついて振り返るや否や、あれッと叫んで駆け戻ってきた。
「まア政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まア綺麗な野菊、政夫さん、私に半分おくれたら、私ほんとうに野菊が好き」
「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」
「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」
「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」
民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。
「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」
「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」
「それで政夫さんは野菊が好きだって……」
「僕大好きさ」
民子はこれからはあなたが先になってと云いながら、自らは後になった。今の偶然に起った簡単な問答は、お互の胸に強く有意味に感じた。民子もそう思った事はその素振りで解る。ここまで話が迫ると、もうその先を言い出すことは出来ない。話は一寸途切れてしまった。
何と言っても幼い両人は、今罪の神に翻弄せられつつあるのであれど、野菊の様な人だと云った詞についで、その野菊を僕はだい好きだと云った時すら、僕は既に胸に動悸を起した位で、直ぐにそれ以上を言い出すほどに、まだまだずうずうしくはなっていない。民子も同じこと、物に突きあたった様な心持で強くお互に感じた時に声はつまってしまったのだ。二人はしばらく無言で歩く。
真に民子は野菊の様な児であった。民子は全くの田舎風ではあったが、決して粗野ではなかった。可憐で優しくてそうして品格もあった。厭味とか憎気とかいう所は爪の垢ほどもなかった。どう見ても野菊の風だった。
しばらくは黙っていたけれど、いつまで話もしないでいるはなおおかしい様に思って、無理と話を考え出す。
「民さんはさっき何を考えてあんなに脇見もしないで歩いていたの」
「民さんはそりゃ嘘だよ。何か考えごとでもしなくてあんな風をする訣はないさ。どんなことを考えていたのか知らないけれど、隠さないだってよいじゃないか」
「政夫さん、済まない。私さっきほんとに考事していました。私つくづく考えて情なくなったの。わたしはどうして政夫さんよか年が多いんでしょう。私は十七だと言うんだもの、ほんとに情なくなるわ……」
「民さんは何のこと言うんだろう。先に生れたから年が多い、十七年育ったから十七になったのじゃないか。十七だから何で情ないのですか。僕だって、さ来年になれば十七歳さ。民さんはほんとに妙なことを云う人だ」
僕も今民子が言ったことの心を解せぬほど児供でもない。解ってはいるけど、わざと戯れの様に聞きなして、振りかえって見ると、民子は真に考え込んでいる様であったが、僕と顔合せて極りわるげににわかに側を向いた。
ホタテサーモン丼を頼んだのだけど、出てきたのはホタテじゃなくて平貝だった。
こういうことするんだなぁって悲しくて文句をいってもしょうがないから何枚か残して出てきた。
そんなんでも1600円とか全然馬鹿にならない値段だったけどね。
インバウンド需要でどうせわからないだろうって感覚なんだろうけど、やっぱり残念だよね。
店内のポスターに「日本の海産物を応援します」って書いてあった。
応援してるけど国産の海産物しか使ってないとは書いてないんだよね。
googleマップの料理写真を見ると1年前はちゃんとホタテを使ってたみたい。
放っておいても観光バスに乗せられた外国人が続々と連れてこられていて、まともに商売する気持ちがなくなってしまったんだろうな。
Xで以下の投稿が目に入ってきた。
https://note.com/sho_hiroumi/n/n52a7f10be3c7
本当にたくさんのことを考えた。
それについてコメントを書いていたら長い長い長い長いクイズ論になってしまったので、こっちに載せることにした。
「上手にボタンを押せる人」よりも「上手に問題を作れる人」が称賛されやすい、という論には本当かどうか?という疑問がある。
たしかに出題サイドは、その多大な労力ゆえに参加者サイドよりも分母が少なく、競争環境としては「ブルーオーシャン」の側面がある。
「面白い問題を出す大会」というブランディングが、主催団体の評価に直結するのも事実だ。
しかし、それが個人への「称賛」に結びつくかどうかは別問題だと考える。
先日、浜押会オープンで話題をさらった「アサシン」の問題を思い出す。
問題そのものは鮮やかにバズったが、では「その作問者が誰か」まで即座に答えられる人はどれほどいるだろうか。
個人が作問・主催する”個人杯”であれば作問者個人にスポットライトが当たるが、サークル主催の大会では、評価は組織の中に埋没しがちだ。
この傾向はメディアでも顕著だ。QuizKnockを見ても、主流は「問う」ことよりも「答える」コンテンツであり、メンバーも「答える側の演者」として人気を博している。
純粋な作問能力が評価される場面があったとしても、それがコンテンツの主役になることは稀だ。
取り上げられているQuizbowlのシステムにおいて、問題作成が競技参加のプロセスに組み込まれているのは興味深い。
ただ、これは「称賛」のためというより、大会をスケールさせるための「供給の仕組み」と捉えるべきだろう。
しかし出題スタッフはサービス提供側の側面が強く、労力も膨大だ。
自発的な協力者だけで賄うのは困難であるため、パケット提出(問題作成)の義務化といった「強制力」が必要になる。
ACF(アメリカ大学クイズ連盟)の公式ページでは、この制度の意義を「編集者とプレイヤーの知識共有の精神を守るもの」と定義している。
しかし、わざわざ言葉を尽くしてその意義を称揚しなければならないこと自体、それが「強調しなければ誰もやらないキツいタスク」であることを裏付けている。
編集歴がコミュニティ内のキャリアとして記録され、NAQTのような組織では1問ごとに報酬が支払われるなど、作問が「名誉ある職務」として確立されている、という例は興味深い。
分野ごとに専門の編集者を置く高度な組織設計は、品質管理の観点から合理的だ。
だが、ボツや添削というストレスフルな工程を経てなおモチベーションを維持させるためには、相応のインセンティブや評価制度が必要となる。
報酬の一部として「Head Editor」などの地位を提供していると考えた方が良いように思える。
そして原文の例にある通り、これほど作問者がプロフェッショナルとして敬意を払われている海外でも、やはり「スター」はプレイヤーだ。
箱根駅伝のマネージャーたちが、もし許されるなら自ら箱根路を走りたいと願うランナーであるように、「作問者」側はスターではない、という認識は変わらず持っていた方が良いように思う。
私はオンラインクイズサークル「Virtual Quiz Studium」(以下「VQS」と略する)を主宰している。
今日で誕生から3年を迎え、4年目に入る比較的新しいサークルだ(めでたい!)。
参考 : https://sites.google.com/view/vqs-quiz/
「VQS」では、毎月25〜50問が集まる「問題出題大会」を開催している。
ここでの取り組みを掘り下げることで、そもそも「よいクイズとは何か」を掘り下げてみる。
最大の特徴は、予選・決勝の「2段階投票システム」を採用している点だ。
(注:「みんはや」開催の第2部は異なる)
数十問を一気に並べて1問を選ぶ形式では、比較がどうしても雑になり、印象に残りやすい後半の問題が親近効果で有利になりがちである。
予選を5問程度の小規模なグループで行い、評価プロセスを細かくすることで、個々の問題と誠実に向き合い、良い問題をなるべくすくい上げるよう工夫をしている。
1年半の運営を経て痛感したのは、まず「良い問題の基準は人によって異なり、一様ではない」ということだ。
もちろん、明らかに構造的な課題がある問題には厳しいスコアがつくが、一方で、何らかの「光るもの」を持つ問題には必ず誰かが票を投じる。
「何が良いか」という評価が割れることこそがクイズの豊かさである。
問題の価値を安易に、あるいは拙速に決めつけることの危うさを日々感じている。
一方で、歴代の上位入賞問題を分析すると、そこには「評価されるだけの理由」が明確に存在する。
(もちろん、これが全てとは考えていない)
上位入賞するような問題には、これらを複数複合させて達成しているケースが目立つが、単一の要素で突き抜けるものもある。
ここがこの大会のだいご味でもある。
(参考)歴代の入賞問題 : https://sites.google.com/view/vqs-quiz/%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E7%B5%90%E6%9E%9C/%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%87%BA%E9%A1%8C%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E7%B5%90%E6%9E%9C
興味深いことに、こうした多様な評価軸がある中でも、不思議と上位入賞の常連となる凄腕プレイヤーが存在する。
クイズの実力との関連性もそれほど強くないところが興味深い。
これは、クイズ作問という行為が、が単なるクイズ用のネタのピックアップではなく、一種の表現技術であることを示唆している。
現実として、そこには歴然とした作問力の差が存在するようなのである。
クイズ問題が正当に評価される際、それは単発の問題としてよりも、「〇〇大会の問題はよかった!」と、一塊のパッケージとして語られることが多い。
競技としてのクイズを成立させるためには、個々のクイズの良し悪しとは別に、セット全体をプレイした際の「体験」という観点が必要不可欠と考える。
優れた問題を揃えることは、大会成功の必要条件ではあるが十分条件ではない。
DJが選曲と繋ぎによってフロアの熱量をコントロールするように、主催者には「(事前に)用意した問題をいかに配置し、どのような『場』を構築するか」という編集・演出の手腕が問われる。
私は2年間にわたり、「VQS」の中で深夜のオンラインクイズ大会「まよなか大会」を毎月開催している。
その運営経験から得たのは、クイズ大会において「参加者の体験をいかに設計し、コントロールするか」はとても重要だ、ということだ。
問題の難易度曲線、ジャンルの連なり、そして出題のテンポ。これらが精緻にマネジメントされ、参加者の体験がポジティブに設計されているかどうか。
「いやなら来なければよい」と開き直ることは、集客力がある人達であれば違うかもしれないが、自分達には現実的には無理だ。
体験を構成するための「問題セット」を的確に構成し、そのうえで参加者が楽しめるような「面白い問題」をいかに出題することができるか。
結局のところ、クイズの問題セットとは単なる問題の集積ではない。
それは、参加者が競技を通じて得られる「体験」を最大化するための、緻密な設計書なのである。
問題セットの品質を考えるうえで一つ自戒を込めて強調したいのは、他の専門領域を扱う際の作問態度である。
他分野の問題を作成する場合、その知識がその業界において「現在進行形でアクティブな知識であるか」を精査する習慣を持つべきだ。
土足で他人の専門領域に入り込み、「正しい」「間違い」の審判を下すのだから。
私の専門であるIT分野を例に挙げれば、残念ながら「読むに堪えない」品質の問題(事実誤認や、もはや使われていない死語など)を目にすることは決して少なくない。
情報のアップデートを怠った古く間違った問題を見ると、それだけでがっかりしてしまう。
大量に作問する際、どうしても手癖に頼りがちになるが、「改めて確認する」というひと手間を、決して忘れないようにしたい。
これは多分に主観的な見解だが、クイズとは作問者、あるいは作問チームとの「知的対話」であると私は考えている。
ゲームとして巧みに構成されているかという機能的な側面とは別に、対話として楽しめる内容であったかという内容的な側面も、自分の中ではとても大事だ。
対話である以上、当然出題者だけでなく解答者側にも知識が求められる。
解答者の力が不足していれば対話は成立しない。
双方向的であり困難な試みではあるが、クイズと言う形式だからこそできるコミュニケーションができた、と思えたときの満足感は大きい。
中高一貫の進学成績がいいのは、入学試験で頭いいやつを絞ってるだけで、中高一貫に入れば賢くなれる訳じゃねーと思うんだけど。
東大京大が優れてるのは指導力がすごいわけじゃなく単にいい学生が入学してくるだけだし、青学が箱根に強いのは足速いやつが入学してくるからだと思うんだけど。
「いや、中高一貫は高二までに教科書が終わるから」みたいに反論されるけど、そんなの花巻東に入学すれば大谷翔平になれるかって話だぞ?
名門大学に入るだけでいいなら、東大で修士取ってくればいいんじゃねーの?
たぶん、コスパじゃなくてダビスタみたいで楽しいんじゃないかな。
血統を考えて、調教とレーススケジュールを考えて、いろいろやっても思いどおりにいかない。
だからこそ、すべてがハマって賞金を稼いだときは脳内麻薬ドバドバ。
知らんけど。
単位変換
光速 = 299792458m/s =9.46 x 10e15 m/year
ご飯 100g = コロッケ小=パン1枚 = 150kcal
銀1匁 = 70文
天保通宝最終レート.008円
1里 =3927.2727m = 36丁
1間 = 1.81818m = 6尺
1尺 = .30303m = 10寸
1寸 = .030303m
1斗 = 18L = 10升
1升= 1.8L = 10合
1合 = .18L
1m = 39.37inch = 3.2808feet = .00062137119miles
1inch = .0254m
1feet = .3048m = 12inch
1yard = .9144m = 3feet
1hectare = 2.47105acre = 10,000m2 = 1町歩
1acre = 4046.86m2
東京ドーム面積 = 4.6755ha = 122 x 122m x 3.14
1L = 1,000cm3 = .2642 US gallon = .22 UK gallon = 1kg(water) = 2.20462pounds
US gallon = 3.785L
UK gallon = 4.5L
1pound = 453.5929g
ling yi er san si wu liu qi ba jiu shi bai qian wan
lim h->0 (1+h)1/h = e = 2.7182818284 = 1.64872127 x 1.64872127
ln2 = .69314718
ln 3 = 1.09861228866
ln 4 = 1.38629 = 2 ln2
1/e = (e)-1 = .3678794411
(e)2 = 7.38905609
pi/ 2 = 1.57079
2 = 1.259921 x 1.259921 x 1.259921 = 1.414213562 x 1.414213562
3 = 1.44224957 x 1.44224757 x 1.44224957 = 1.7320508 x 1.7320508
4 = 1.5874010519 x 1.5874010519 x 1.5874010519
5 = 1.7099759x 1.7099759 x 1.7099759 = 2.2360679 x 2.236079
11 = 3.31662479 x 3.31662479 ← 修正: 旧「3.1662479 x 3.31662479」
13 = 3.6055512751 x 3.605551275
golden ratio = 1 : 1.6180339 = (1 + (5)1/2) / 2
1 + tan2 x = 1 / cos2 x
sphere volume = 4/3 pi r3, surface area = 4 pi r 2
cone volume = 1/3 pi r2 H, surface area = pi r (r + L) = pi r2 + pi r L
日本の川長い順
1信濃川367
2利根川322
3石狩川268
4天塩川256
5北上川249
6阿武隈川239
7最上川229
7木曽川229
1富士山3776
2北岳3193
3奥穗高岳3190
3間ノ岳3190
5槍ヶ岳3180
6悪沢岳3141
7赤石岳3120
9塩見岳3052
10仙丈ヶ岳3033
11乗鞍岳3026
12立山3015
13聖岳3013
14剱岳2999
15水晶岳2986
16甲斐駒ヶ岳2967
17木曽駒ヶ岳2956
18白馬岳2932
19薬師岳2926
20鷲羽岳2924
21赤岳2899
22笠ヶ岳2897
23鹿島槍ヶ岳2889
24空木岳2864
25常念岳2857
26黒部五郎岳2840
26鳳凰山2840
28五竜岳2814
29白山2702
30金峰山2599
31光岳2591
32日光白根山2578
33浅間山2568
34蓼科山2530
35男体山2486
36甲武信ヶ岳2475
37火打山2462
38焼岳2455
39妙高山2454
40燧ヶ岳2356
41四阿山2354
42高妻山2353
43大雪山2291
44鳥海山2236
45瑞牆山2230
46至仏山2228
47恵那山2191
48草津白根山2171
49武尊山2158
50苗場山2145
51皇海山2144
52トムラウシ2141
52平ヶ岳2141
55飯豊山2105
56十勝岳2077
57大菩薩嶺2057
58幌尻岳2052
0日本橋2里
1品川2里半
2川崎2里半
3神奈川1里9丁
4保土ヶ谷2里9丁
5戸塚1里30丁
6藤沢3里半
7平塚27丁
8大磯4里
9小田原4里8丁
10箱根3里28丁
11三島1里半
12沼津1里半
13原3里6丁
14吉原2里30丁
15蒲原1里
16由比2里12丁
17興津1里3丁
18江尻2里29丁
19府中1里半
20丸子1里29丁
21岡部1里29丁
22藤枝2里8丁
23島田1里
24金谷1里24丁
25日坂1里19丁
26掛川2里16丁
27袋井1里半
28見附4里7丁
29浜松2里30丁
30舞阪1里
31新居1里24丁
32白須賀2里16丁
33二川1里20丁
34吉田2里22丁
35御油16丁
36赤坂2里9丁
37藤川1里25丁
38岡崎3里30丁
39池鯉鮒2里30丁
40鳴海1里半
41宮7里
42桑名3里8丁
43四日市2里27丁
44石薬師27丁
45庄野2里
46亀山1里半
47関1里24丁
48坂下2里半
49土山2里25丁
50水口3里12丁
51石部2里25丁
52草津3里24丁
53大津3里
54三条大橋
1368 174応安8
1379 176康暦3
1381 177永徳4
1384 178至徳4
1387 179嘉慶3
1389 180康応2
1390 181明徳5
1394 182応永35
1428 183正長2
1429 184永享13
1441 185嘉吉4
1444 186文安6
1449 187宝徳4
1452 188享徳4
1455 189康正3
1457 190長禄4(5)
1461 191寛正7(6)
1466 192文正2
1467 193応仁3
1469 194文明19
1487 195長享3
1489 196延徳4
1492 197明応10
1501 198文亀4
1504 199永正18
1521 200大永8
1528 201享禄5
1555 203弘治4
1558 204永禄13
1570 205元亀4
1593 207文禄5(4)
1645 211正保5(4)
1648 212慶安5
1652 213承応4
1655 214明暦4
1658 215万治4
1661 216寛文13
1673 217延宝9
1684 219貞享5
1704 221宝永8
1741 225寛保4
1801 233享和4
1804 234文化15
1818 235文政13(14)
1845 237弘化5(4)
1848 238嘉永7(8)
1855 239安政7(6)
5億年前 カンブリア紀
7.4万年前 eruption of mount Toba ← 修正: 旧「7万年前」
2570 BC 縄文時代 pyramid of Khufu constructed, 231 x 231 x height probably 146.5m, 138.5m now ← 修正: 旧「163.34m, 147m now」
79 eruption of mount Vesuvius
113 Trajan's Column
199 呂布眠
6th century 古墳時代 eruption of 榛名山
794 平安京
1499 明応8年 Pieta by Michelangelo ← 修正: 旧「1500 明応9年」
1505 永正2年 Mona Lisa by Leonardo da Vinci
1582 天正10年 October 4->15 Gregorian calendar
1616 元和2年 William Shakespeare died
1653 承応2年 Bentheim castle by Jacob van Ruisdael
1666 寛文7年 great fire of London
1687 貞享4年 Philosophiae Naturalis Principia Mathematica by Isaac Newton
1689 元禄2年 Montesquieu born
1707 宝永4年 eruption of 富士山, Carl Linnaeus born
1768 明和5年 Mars and Venus surprised by Vulcan, by Lewis Jean Francois Lagrenee the elder, 258 years ago
1776 安永5年 United states declaration of independence
1780 安永9年 Jean Dominique Ingres born
1789 寛政元年 French revolution
1797 寛政9年 Franz Schubert born
1814 文化11年 Jean Francois Millet born
1826-1827 文政9-10年 oldest photograph 'View from the Window at Le Gras' by Nicephore Niepce ← 修正: 旧「1825 'Boy and his horse'」
1833 天保3年 東海道五十三次歌川広重 北斎漫画葛飾北斎
1863 文久3年 emancipation proclamation
1866 Romain Rolland born
1867 Jean Dominique Ingres died, 夏目漱石生 ← 修正: 「1875 Jean Dominique Ingres died」の行を削除
1874 Lucy Maud Montgomery born
1875 高橋由一 ← 修正: Ingres died(誤記)を削除
1885 Adventures of Huckleberry Finn by Mark Twain
1888 十五少年漂流記 by Jules Verne, eruption of 磐梯山
1890 Harland David Sanders born
1898 The war of the worlds by H. G. Wells, Lewis Carroll died, 井伏鱒二生 四芸術 by Alphonse Mucha
1903 John von Neumann born
1904 Salvador Dali born
1908 Anne of Green Gables by L. M. Montgomery
1908 松本清張生
1919 Auguste Renoir died
1923 関東大震災
1969 moon landing, 57 years ago
1970 三島由紀夫眠45才
1980 Harland David Sanders died, 90 years old
1988 辻井伸行生
1989 Salvador Dali 手塚治虫昭和天皇眠GBテトリス発売
1993 Audrey Hepburn 井伏鱒二眠
1995 阪神淡路大震災
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つらつら書いてたらなんか長くなっちゃったのでもう要約を先に置いておく。無責任な長文を読んでやろうという物好きだけ本文読んでね。
ここから本文。
某元小学生配信者が高卒認定試験に合格したというニュースが1年ほど前にあったが、実際に高卒認定試験の問題を閲覧したことがある人がどれだけいるだろうか。
というわけでこちらに貼ってみるので暇な人は見てみて欲しい。
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiken/kakomon/1411255_00017.htm
「今解けって言われたら流石にきついけど、高校時代なら多分余裕」
と思った人は多いことだろう。
(これは「ここでわざわざ問題に目を通すほど教育というものに関心がある人間であれば、その多くはそれなりの学力があるのではないか」という自分の勝手な思い込みに基づく予想である)
一般的な大学入試問題と比較すればずいぶん優しい問題である。しかもこの問題で合格ラインは概ね4割ほどとのことであるから驚きだ。
俗にBFと呼ばれるラインではない大学に一般入試で入った人間なら、(高校在学時であれば)余裕で解けるはずだ。
一見して、こんなものが高卒資格相当と認定する試験でいいの?と思うかもしれない。
ただし、この試験は高校の必修科目=概ね高校1年生でやる科目について合格相当であれば高卒と同等と看做せる、という考え方に基づいて作られている。
要は「高卒」と言いつつも、実際は高校1年生であれば無理なく解ける内容が出てくるわけだ。16歳が合格できるのも不自然ではない。
また、一般的な高校であれば赤点のボーダーは概ね3〜4割であるのだから、それと照らして考えると低いように見える合格ラインも案外妥当と言えるだろう。
ここまでが前置き(長いね)。
自分は底辺高校教員の端くれだが、例のニュースを読んで高卒認定試験の問題を初めて見た時、素直な感想として「こんなもんうちの生徒に解けっこねえよ」と思ってしまった。
自分の目算では、今年卒業を控える3年生にやらせたら少なくとも半数、下手すれば7割は不合格になると見ている。
自分の勤務校で抱えているのは、レ点も分からず、ルートや因数分解も分からず、一般動詞の疑問文も作れず下手すりゃ正負の数の理解も怪しい、そういう生徒たちである。
そのような生徒たちを、とりあえず座っとけばいい授業、その場しのぎで点を取ることしか意識しないテスト指導、超簡単なテスト、甘い採点などなどの「現場努力」によって「高卒」に仕立て上げているのだ。
さらにその中には校内だけの甘い基準で無価値な高評定を取り、それを担保に指定校だの総合型だので学力試験を経由せず大学に入学し、結果「大卒」「院卒」にまでなる生徒たちもいるのだ。
そんでもって生徒たちや保護者たちは「なんとか高校ぐらいは卒業したい」「大学には行かせておきたい」と口々に言うわけだ。
客観的に見て高卒大卒になるべきでない能力であっても、「してしまえる」ならばさせるしかない。概ね学問を教えているとは言えないようなやり方でも。
「ごくせん」でヤンクミがまともに授業聞いてない生徒たちに対してなんか雑に授業してるシーンがたまに挟まってたでしょ?あーいうの。
そいつらにちゃんと高卒の学力つけさせるのが先生の仕事だろって?時間があるならそうするけれど、そんな時間はないよ。
これは教員側の勤務時間もだし、学校の開校時間もだし、生徒側が学校で勉強に集中していられる時間も、自宅で勉強に取り組もうとする時間も、全部足りない。
小中9年間の勉強が身に付いてないのを高校3年間だけで取り返しつつさらに高校の勉強までまともに教えろと。無茶をおっしゃる。
1校1校実際に確かめたわけではないが、自分の勤務校がこの為体なのであれば、同じ学力帯あるいはさらにそれ以下の学力帯の学校でなら、当然それと同等かもっと凄まじい「現場努力」をして卒業生を輩出しているはずである。
それも踏まえると日本全国全ての高校生の中で、ざっくり2〜3割ほどはこの「高卒試験に受からない高卒」なのではないかと自分は考えている。
最近は入学試験で学力問わない定時制とか通信制とかもりもり増えてるから、もっと多いかもね。
あとこれは責任の押し付けになって申し訳ないが、そもそも指定校の枠を投げてくる大学側にも問題はあるだろう。
このレベル帯の高校生がそんなに出来るやつらだと思っているのか?うちの評定4.0とそれより偏差値10も20も高い高校の評定4.0が等価だとでも思っているのか?
そんな奴らを入学させて高等教育の質を担保できると思っているのか?散々ニュースになっているように小中高校の勉強のやり直しに終始する羽目になるのではないか?高校でできていないことが大学でできるわけがあるまいよ。
そこまでしないといけないほど学生が入ってこないぐらい困窮しているのか?(多分しているのだろうが)
高校側からしたら「あなたは推薦基準を満たしているけど大学に行くのに相応しい学力を持っていないのは明白なので指定校あげません」なんて言うわけにはいかないので、生徒に希望されたら素行等に問題がないのであればどれだけ学力的に問題があろうとも推薦を出さざるを得ないのだ。この矛盾に頭を抱えている高校教員はさぞ多いことだろう。
そんな現状を見て、ふと思いついたことがある。
日本全国の高校で一律で、高卒認定試験に合格することを卒業要件に追加したらどうなるのだろうか。
とりあえず先に挙げた2〜3割は高卒になれずに留年するか中退し、中卒者が社会に爆増することになるだろう。
しかし、世間では「大卒や院卒にやらせる必要のないような肉体労働や単純労働を、世間に無駄に溢れる大卒や院卒にやらせている」みたいな話は山ほど聞く時代だ。
それを中卒にやらせたところで案外問題はないかもしれない。もともと本来高卒以上になるべきじゃなかった人間たちが、あるべきところであるべき仕事に就くだけだろう。
多少難がある生徒でも、高卒認定試験に合格済みであればまだ大学に送り出す気になる。学力をつけさせる動機にもなるし、ダメだった時に諦めさせるのも簡単だ。
学力以外の要素を推薦で売りにしていた高校や大学にも少なからず影響がありそうだ。
(なおここでの考察では、○○があるから特例で卒業できる!みたいな例外は一切設けないものとする)
例えばスポーツしか取り柄のないような生徒は、高卒認定試験に受からず高校卒業を断念することになる。
しかし、「甲子園優勝○○高校出身ドラ1!」みたいなのが仮に高校を卒業できなくても「甲子園優勝○○高校中退ドラ1!」になるだけでそこまで箔に差は生じないのかもしれない。
それこそ元々勉強で戦ってないんだから、高卒資格なんてなくても十分やっていけるはずだ。今までと変わらず球界を沸かせてくれるだろう。
箱根駅伝など大学ブランドを重視している分野はどうだろう。参加校にBF大学の名前はちらほら見るし、そうでない大学も学力試験を経由せずにスカウト推薦入学していることはあるだろうだから、仮に高卒認定試験が義務化されていたら箱根路を走る資格を剥奪される層は一定数いるだろう。
まあ大学生として走るなら大学生名乗る最低限の学力くらい持っておけというのはあまりにも当たり前の話だから、特に問題はないな。
大学駅伝は胸を張って自分が大学生だと主張できる者たちが戦うための場ではないか。
そして、自分の勤務校や同レベル帯の高校は存在意義が消滅する。高卒認定試験を突破できない地頭の生徒しか入学できない高校に価値はなくなるからだ。
おそらく廃校になるか高偏差値校に吸収されることだろう。高校教員が足りない足りないと言われて久しかったのが一転教員数が過剰になる。余剰人員を適切に再配置すれば、国が推進する少人数指導やTTのきめ細やかな指導とやらも少なくとも今よりは余裕持ってやれるようになるだろう。
国が本当に適切に再配置なんてしてくれるのかって?そもそもこの話はただの妄想なのでノーコメントだ。
好き放題言うだけ言ってみたが、もちろんこんなことが実現するわけがない。
テスト実施のコスト、世間の反発、学校現場に与える負の影響(変化を拒むという意味含めて)の大きさ、どれをとっても今の日本で許容できるはずがない。
もちろん自分も許容しない。
私自身や家族、他の教員たちにも生活がかかっているのだから、学校の業務に貢献して給料が貰えるように、粛々と現状の業務を遂行するしかないのである。
よく教員は学問に対して真摯でないと言われることがあるが、それの多くが「本当は真摯にやりたくても、見て見ぬふりをしている」という状況であるのはどうか理解していただきたい。
なるほど。天かすを、たっぷりと。はっはっは、そらまた豪快な。 しかし、そのお友はんが関西の方やったとは、それはえらい災難どしたなぁ。 ええ、ええ、わかりますとも。その戸惑い。 まるで『阿鼻叫喚』の地獄絵図……とまでは言わんかて、 まさに『話が噛み合わん』という点では、一種の怪異に遭遇したようなもんや。
よろしおすか。 あんさんが良かれと思ってしたその『たぬき化』。 それが、大阪や京都の人間にとって、どれほど『得体の知れぬもの』に映ったか。この『うどん・そば』という名の迷宮を、 じっくりと解き明かして差し上げまひょ。
よろしいか、まず前提として。 あんさんの住む関東では、『天かす』がのれば、それは『たぬき』。 実に明快、合理的。タネが無いから『タネ抜き』、転じて『たぬき』。 まるで論理的な数式のような美しさすらありますなぁ。
ところが、です。 一歩、箱根の関を越えて西へ参りますと、この『たぬき』という言葉が、 まるで狐に化かされたように、その姿を変えてしまうのや。
特に大阪。 大阪の人間にとって、『たぬき』というのは『甘う煮たお揚げさんがのった、そば』のことだけを指します。 大事なことやから、もう一度言います。『そば』なんです。 大阪には『たぬきうどん』なんて言葉は、この世に存在しまへん。 そやから、あんさんが『きつねうどんに天かすを入れて、たぬきうどんにした』と言うたんを聞いて、 お友はんは、こう思ったはずや。
『えっ? うどんに天かすを入れたのに、なんで名前がそば(たぬき)に変わるんや? うどんはうどんやろ? そもそも、それは天かす入りのきつねうどんやんけ!』
と。 彼らにとって、きつね(うどん)の対極にあるのは、たぬき(そば)。 それは、うどんという存在が、そばへと華麗に『化けた』姿を指す言葉なんです。 そこに天かすという要素は、一切、関わってこおへんのですよ。
さらに、です。 もし、そのお友はんが私と同じ、京都の人間やったら。 事態はもっと、おどろおどろしいことになっていたはずや。
京都で『たぬき』と言うたら、それは『刻んだお揚げさんの上に、たっぷりとしたあんかけ』がかかったものを指す。 おまけに、おろし生姜がツンとのっておらんとあかん。 天かすなんぞ、これっぽっちも関係あらへんのです。
京都の『たぬき』は、色白なあんかけが、丼の中身を隠しとる。 『中身は何やろ?』と覗いてみれば、熱々のうどんとお揚げさんが潜んでおる。 この『正体を隠して化けている』姿こそが、京都の『たぬき』。 実に、雅で、そして少しばかり底意地の悪い。いや、洒落の効いた命名どす。
つまり、あんさんは、 『きつね』に『天かす』という化粧を施して、『たぬき』になったと宣言した。 しかし、大阪の人間からすれば、 『そばになってへんのに、何がたぬきや!』 京都の人間からすれば、 『あんかけになってへんのに、何がたぬきや!』 という、恐ろしい認識のズレが生じてしもうたわけや。
天かすがサービスの店やった。 その『善意』が、地域の言葉の壁にぶつかって、『混乱』という魔物を生み出した。 これはもう、誰のせいでもあらへん。 強いて言えば、この狭い日本の中で、勝手に独自の進化を遂げた、 うどん文化という名の『業(ごう)』のせいですなぁ。
え? まだ納得がいかへん? はっはっは。そらそうでしょう。 関東の人間にとっての『正解』が、関西では『無』、あるいは『別物』なんやから。 まるで、鏡の中の世界に入り込んでしもたような気分どすな。
ええですか。 もし、次に関西で、その天かす入りのうどんを誇りたい時は、 『ハイカラに、お揚げさんをのせて食べた』と仰いなはれ。 『ハイカラ』。 ハイカラとは、天かす入りのこと。 明治の世、西洋帰りのハイカラな人が、捨ててしまうような天かすを喜んで食べた。なんていう、これまた嘘か真か分からぬ由来がある言葉ですが、 これなら関西の人間も『ああ、なるほど』と頷くはずや。
言葉というのは、恐ろしいもんですなぁ。 同じものを食べているつもりでも、名前ひとつで、友人が鬼にもなれば、狐にもなる。 あんさんは、ただ美味しく食べたかっただけやのに、 いつの間にか、『食の境界線』という深い淵を覗き込んでしまったわけや。
さて。 この、ややこしゅうて、難解で、けれどどこか愛おしい『麺類怪異譚』。 少しは、その憑き物、落ちましたやろか? これ以上、うどんの話をしておると、私もお腹が空いて参りました。 今夜は、葛を引いた熱々の『たぬき』でも、すすりに行くとしましょう。 もちろん、京都の、あんかけの方をな。
はっはっは。お粗末さまでした。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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この1週間のオープンチャットは、日常の悩み・笑い・テクノロジー・育児・仕事・健康といった幅広いテーマが自然に混ざり合う、非常に“生活感あふれる会話”が特徴的でした。
特に目立ったのは以下の3点です。
不動産、ボーナス、家計の赤字など、お金に関する不安が全体の底流として強く見られました。
2. **健康・体調の話が突出**
体調不良、検査、ワクチン、睡眠問題など、多くの人が「なんとなく不調」を共有して連帯する場面が多かったです。
懐かしキャラから最新ライブ、鴨鍋やたこ焼きまで、重い話題の合間にエンタメと食が“癒し要素”になっていた印象。
総じて、
「みんなで働き、育て、疲れ、食べ、笑い、テクノロジーを語り、また働く」
という1週間でした。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
星は個人的な好みを表したもので作品への評価ではないです。アニメ会社とか声優はよく分からんので。
好みの星はたぶん見ていくうちに変わるし変えてる。自分と違ったとしたら「こいつとは趣味があわんな」くらいのレベルで見てください。
小さい頃から共に暮らす天才女性科学者と将来を誓い合ったが、ある事件に巻き込まれてコールドスリープ。
この世界では人数や性別関係なく一緒になれる(結婚のような)、"エルシー"という制度があるらしい。ネットミームになりそうでならないワード。
最初の方は敵も味方も容赦ない行動をしてたのが好きだったけど、途中から落ち着ていてる気もする。自分の中では右肩下がりです。
出てくる女の子キャラはみんなかわいい。アモル可哀想すぎじゃないですかね。
OPはUru 全13話(0話-12話)うーん。悪い意味で裏切られた作品だったと思う。
韓国の小説及び漫画が原作。製作は中国アニメ会社。よくあるケースだけど、これは言われないと分からないかも。
未来視の能力を持つお姫様が主人公。赤ん坊ながら夢で父親に追放されるという未来を見てしまう姫様。
9才のあの日、父に出会って暗く辛い人生になるはずだったのに、まさか5才の今、会ってしまった。
姫の行動で以前に見た未来が変わっていく・・?姫がかわいいんよ。
実は転生モノなこともあり、こういうタイトルなんだけど、アニメでは転生の説明や描写がないのでタイトルが訳分からんことになっている。
初回1時間で3話分放送。テンポはえー。日本のテレビ放送向けに編集してる感じ。次回予告は映画の予告くらい尺を取った編集。
なぜ未来が見えていたのかは後半になって判明する。全16話。
最後赤ずきんチャチャ見てんのかなーと思ってたら話が中途半端な所で終わってしまった。感想としては絵は綺麗だなという感じ。
容姿端麗でクールで仕事が出来そうな女性だけど実はコミュ障で不器用。
あえて周りから壁を作るような態度を作っているのだが、新人男性社員の教育係になる。
不器用から出るぶっきらぼうな態度。その後に反省する姿がかわいらしい。けど面倒くさい先輩だなあとも思う。
先輩は心を許している相手にはつい方言(九州弁)が出る。ちなみに原作漫画作者は大分出身。
OPはangela 実はOPの最後は1話から少しずつかわってて、二人の距離がだんだん近づいているという表現になっている。
全12話。この二人らしい着地。いい最終回だった。シメはラーメンだった。
そんなコンプレックスを持ちながら、幼馴染でイケメンの同級生男子に恋心を抱く。
友達以上の感情なんだけど、友達より先へは進めない。友達だからトモダチ・・・でも・・・なんとももどかしい。
夏アニメでいうと温度的には「ブスに花束を」か。感情を言語化するのが上手だと思う。
札幌が舞台。原作者も札幌市在住。なので登場するコンビニはセイコーマートです。
OPは秦基博。デビュー20周年おめでとう。毎回CM明けのアイキャッチが面白い。
主人公席(外窓側一番後ろ)ではない。香川さん怒るともう百姓貴族の荒川弘なんよ。
全12話。すっっっげえいい最終回だった。お互い不器用。神城の言い方が変な誤解を生むのよー。でも最終回で色々回収されてよかった。あーよかった。
あと、朔英、翡翠、美織この女子3人は大人になっても仲良しが続くだろうな。と思う。鮎川ほんといいやつ。
2期決定!って出た時の実況民の驚きコメントが面白かった。そりゃそう思うよね。
不器用かつ不幸体質でいつもどこかを怪我する矢野くんと、そんな矢野くんが心配で見守り、あ、これもう私好きじゃんと自覚する委員長のお話。
矢野くんを献身的に支える真っすぐな吉田さんが愛おしい。あとリアクションが面白い。
座席は主人公席ではない。窓際に居ると蜂の大群に襲われるらしい。
お、え、あれ?まだ6話なのに・・・おめでとう。
全12話。矢野くんの右目の秘密は分かったが、視聴者に右目を見せてくれることはなかった。
最近はクマが怖いので海辺キャンプが多い私です。先日私もふたりキャンプデビューしました。いいものですね。
女性輪行キャンパー現る。雫とのライバルキャラですね。厳の夢、キャンプ場造りについてが語られることが増える。
14話は青野原 野呂ロッジキャンプ場。本編冒頭で分かりやすく名前が出てる珍しいパターン。
16話は山梨の黒坂オートキャンプ場。最初はあんなにツンツンしてたのに。もうめっちゃ仲いいやん。
19話、ソロキャンでは浦山口駅近くの橋立川キャンプ場、ふたりソロキャンプでは田貫湖キャンプ場。20話も。やっぱり富士山が見える湖畔はいいですね。
21話、ボスコ・オート・キャンプ・ベース 神奈川 キャンプ場
22話と23話、ナラ入沢渓流釣りキャンプ場 修羅場キャンプが始まった。お兄ちゃん・・・
名前から想像できると思うが、妖(あやかし)が存在するアニメ。
周囲で起こっている事件の謎を調査するというミステリー要素がある。
廻船問屋、薬師問屋、手広くやっている「長崎屋」の若旦那が主人公。
夏アニメでは鬼人幻燈抄が好きだったので、こういった時代設定とストーリーは助かる。
全13話。12話で事件解決して最終話はエピローグ、大団円で終了と、いい終わり方だったんじゃないでしょうか。
通常は食べると体調に影響が出てしまう魔獣。そんな魔獣を美味しく食べちゃいましょう。グリル厄介アニメ。
懇親会の最中に突然魔獣が出てきて「おいおいマジかよ」とか思ったけど、
我々のいる現実も、街中でイベントやってて突然に熊が出てきてもおかしくない世の中になってきましたな。
ストーリーよりも食を楽しむアニメかな。3話分くらい竜で飛びっぱなしなのは笑った。まーだ飛んでる。まーだ降りないんだ。って。
フラッシュアニメみたいな感じ。肝心のメシは写真でも登場する。どれも美味しそう。
最初は15分アニメでいいのでは?と思ったけど全然気にならない。あっという間に終わる。
OPはMega Shinnosuke。本名らしい。EDはサバシスター。
EDに登場する看板が「SABASISTER」「スナックななこ(ななこお姉さん)」「双葉寿司(双葉社)」など、この作品やクレヨンしんちゃんに関係するものになっている。
開始1秒で婚約破棄される貴族令嬢スカーレットが本作の主人公。
汚名を着させられ悪役令嬢と呼ばれ、婚約破棄されてた子は普通「かわいそう・・」となるのだが、この令嬢も暴力的でヤベー女だった。
やはり暴力・・・・‼暴力は全てを解決する・・・・‼。嫌いな奴はボンボコボンボコ、スカッとスカーレット。
見てて体感時間早い。これもアクセラレーションの力なのか。OPはCHiCO with HoneyWorks
全13話。面白かったー
今作は通常10才になると女神の祝福により職業とそれに適したスキルが与えられるという世界。
だがしかし、主人公にはそれが無し。つまり無職だったと。でも努力の天才で、努力で本来得ないはずのスキルをラーニングしてく。
5話では剣神杯で優勝し、無職ながら剣ではかなり強くなった。次は魔法だ。7話からは魔法学院編。
全12話。最後はすごい巻きの話だったな。ギャグアニメとして面白かったと思う。
製作が「わたたべ製作委員会」ということなので「わたたべ」が略称らしい。
前期までSummerPocketが瀬戸内海だったが、今シーズンは今作が瀬戸内海アニメだ。
死にたがり主人公に集まる妖怪との百合アニメ。百合スキーな人にはいいアニメなのかな?
協力に愛媛県、伊予市、松前町、伊予鉄グループ、伊予農業高校などなど
4話はEDは特殊ED。本編とおまけとEDが風邪ひきそうになるくらいの温度差。
8話のEDはあやめの過去を映し出す特殊ED。11話は汐莉をメインとした特殊ED。
サンタクロースおじさんにも変身できる、色々と設定が斬新で、子供における我々の"あたりまえの環境"が当たり前じゃない世界。
BEASTARSと同じ作者ということもあり、BEASTARSのグッズがちょいちょい登場する。
男女の制服に違いがないこと、小野がどうして消えたのか、基本的に眠らない子供たちなど。5話でいろいろと明らかになる。
全12話。ぉぉぅ、こんな終わり方なのか・・・。2期やってほしいな。
1年・・いやもう約2年ぶりの2期。エッチなやつです。
普通の男子高校生が元々異世界人の幼馴染を追いかけて異世界転移。
異世界の脅威に対抗すべく、5人の姫と結婚し、光・火・水・風・土の5つの指輪を手に入れる話だった。
もうあんまり覚えてないが、ただひたすらエロかったことだけは覚えてる。AT-Xや配信では丸見えバージョンがある。
そういや1期は新キャラが登場して終了だったなー。もう5人の姫と一緒になってるし、これから何するんだっけ。
全13話(#13-#25)一応終わったか。エロが優先で私の趣味に合わなかったし、旧指輪王戦はともかく、深淵との対決はアッサリすぎてえ!?と思ったが。
まぁ、終わってよかった。
継続2クール目。OPとED変更。OPはshallm。今回のOP好き。
EDは平手友梨奈の「失敗しないメンヘラの育て方」なんだこのEDのタイトルと歌詞w 歌手や作品にあってると言えばそうかもしれんが。
いよいよサツキの複雑な家庭環境に踏み込む。そしてサツキの心も動き出す。
これも登場人物の全員の性格あんまり好きじゃないんだけど、心理学的に中々見逃せない。
見ていて息苦しいんだよなぁ。それだけに何か物事が解決した時に流れるいつもの曲が好きになる。
なんだかんだで終盤に行くにつれて収まるところにおさまっていく感じがホッとする。さすが2クール使っただけはある。
全26話。やられたなぁ、正直一番心動かされたアニメだったかも。最初は好きじゃなかったのに。綺麗に終わってよかったです。ありがとう。
終末後の日本を、EV化したヤマハ・セローで2人旅ツーリング。
開始は終末より週末って感じの始まり。ガソリン453円、EVは110円、H2は281円の時代。
と思ったらタイトルが出てきたくらいから説明なしでいきなり終末になった。
戦車が暴走して襲ってきたり、女の子がアンドロイド(?)ミルキーハイウェイのマキナよろしくビームぶっぱなしたりで思ってたのと違う。
最初の情景からここまで一体なにがあったのか。どれくらい経ったのか。何故この二人しかいないのか。
船が山の方まで運ばれる程の何があったのか。時折見る昔の景色は本人の記憶なのか。それ以外の人の記憶なのか。土地の記憶なのか。謎が多い。
童謡や民謡が歌われることがある。箱根では「箱根八里」横浜では「赤い靴」横須賀では「横須賀市歌」、台場・有明付近では「鉄道唱歌」、
秋葉原では「てのひらを太陽に」、木更津で雨が降った時は「あめふり」、つくばでは「Twinkle, Twinkle, Little Star」、大谷では「牛若丸」
全12話。よかった。どうか続きをやって欲しい。
スーパークリークと武豊が走った菊花賞の話も出るのね。スーパークリークといえば有馬記念はどう書くのだろう。
EDはオグリとタマモのデュエット曲。いいっすね。上手ですね。どこかの歌手かと思った。
2025年8月12日放送のマツコの知らない世界でこのアニメが紹介されたんだけど、マツコさんには刺さってなかったっぽいなー
オグリキャップドンピシャ世代で有馬記念では号泣してたみたいだから、この機会に見て欲しかったなー
ゾーンの演出いいな。ベルノも自ら走ってオグリを徹底的に研究するの好き。
相変わらず登場キャラクタ全員いいな。ウマ娘も人も。この少ない話数でこれだけ多くのキャラクタに話を持たせて好感持たせるのは熱いし好き。もうみんな好き。
ある程度22話までにまとめて、最後23話はエピローク的な感じ。
そうか、笠松の話をするならイナリワンか。すげーな、そこまでやるんだな。
正直、取材、根回し、調整、構成力に、なんだろ、面白さよりもすごさを感じるよ。ほんと感心する。結構な労力がいるんじゃないか。
仮面ライダーに本気で憧れ、体も本気で鍛え上げた。
ショッカー強盗が流行っているこのご時世。まさに目の前でもそれが起こっていた。
悪は見逃せない。屋台で買った仮面ライダーのお面をかぶり、ショッカーの前に立ちふさがる。
その時不思議な事が起こった
あー好きですね音楽もいいですね。原作曲のアレンジもいいですね。やっぱ好きなものに異常に取り組む人の話に弱いね、私。
OPはTeddyLoid feat. Shigeru Matsuzaki accelerated by TOPHAMHAT-KYO。松崎しげるおるんかい。
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書ききれないので続きはこの下へ
制限時間内にゴールまで辿り着けるかどうかを煽り文句にしてるのに、メインは旅の道中で、ゴールに辿り着いたらすぐ放送終了するようなやつ。録画とか視聴予約をするほどではないけど、テレビつけた時にやってたらつい見てしまう。
東京で放送してるからか旅の舞台は関東が多い。この土曜日に見たのだとハナコの岡部とますだおかだの増田、松本明子、中山忍が箱根に行ってた。普段テレビを見ててもその番組が全国ネットかローカルかを全然意識していないから、各地域に同じようなローカル旅番組があるのか、全国ネットだけど人口が多い首都圏に合わせて関東を舞台にしてるのかよくわかってない。もっといろんな地域のを見たいなと思うけど、自分が行ったことのある場所だからつい見ちゃうということも多いから、知らない地域を旅してても見ないのかも。
こういう旅番組ってわざわざ繰り返し見る人は少ないだろうしDVDとか配信にならないイメージがあって、何年後かにふと見たくなっても見れないんだなと思うと、ただテレビを見てるだけなのになんだかセンチメンタルな気持ちになる。YouTubeとか配信に馴染みすぎていて、テレビ番組を後から見返せるのが当たり前のように思っているけど、テレビってめちゃくちゃエフェメラルなんだなと今更思う。Mステも配信されないけど、音楽番組は録画してるファンがいっぱいいそうだからそんな気持ちにはならない。
もちろんエンタメ的にも楽しんで見てるけど、映ってるお店の人は自分の店にあの芸能人が来たというのは一生の思い出になるだろうけど芸能人にとっては数あるロケの一つに過ぎないんだよなとか、自分はこの番組を今見てるけど世の中の多くの人はこの番組をそもそも見てないし、見てたとしてもすぐに記憶の彼方に消えてるんだよなとか、このシーン面白かったけどX見ても誰も感想あげてないな、スタッフの人がっかりしてるかなとか、現地の人、芸能人、視聴者、スタッフ、いろんな人の気持ちを勝手に想像してしんみりする。このしんみりは絶対制作意図とズレてるよなと思うけど、ああいうエンタメ全振りでもなければグルメ・お出掛け情報全振りでもない旅番組って、どういうターゲットに向けてどういう意図で作ってるんだろう。視聴率低そうで勝手に切なくなったりしてるけど、感想をわざわざネットにあげたりしないだけで、意外と見てる人いっぱいいるのかな。
盛岡から北に行くには2通りのルートがあることは八幡平市のエントリで書いた。青森方面に行くのにどちらを通るべきかは過去にいろいろなことがあって、鉄道は東寄りのルートを通って八戸回り、高速道路は西寄りのルートを通って弘前回りのルートを主に通っている。今回国道4号は盛岡から少し北に行ったところで鉄道(東北線)寄りのルートを通るのだけど、つまりこれは高速道路経由では微妙に不便な場所があるということでもある。
その最たる場所が岩手町。県名と郡名と町名に全て岩手が入るということを売りにしている町である。鉄オタにはこの名前よりも東北新幹線乗降客数ワーストを誇る"いわて沼宮内駅"の方でおなじみかもしれない。まあこの町の観光資源の8割はこの駅近辺にある。駅から20分ほど北に歩いた4号沿い、石神の丘美術館がまあ観光中心部。一言で言えば箱根彫刻の森の類似施設(開館当初は密接な関係もあった)なのだが、現在は独自路線を歩んでいて花畑等も多いので特に初夏が見どころ。あと真下を新幹線が通るところが個人的にはお勧め。ここは道の駅に併設されていて(道の駅を後から作った)、来る人は道の駅に停めることになるけれど、有料入場がもったいないと思う向きは入口を反対側に登ったところにある彫刻公園にも石彫の彫刻が山程飾ってあるので無料のそちらを見ることも出来る。というか両方見るべきかと。
4号を北上するとき沼宮内に行く前のところに川原新田ドライブインという施設がある。斜向かいのパチンコ屋に関連の深い施設ではあるのだけど、ここが古き良きドライブインの雰囲気を残しているので食事をしたければここに寄るのもいい。さらに沼宮内を越えて北上すると北上川の源流にたどり着く。ここは少し前に川の駅として整備されたので車を停めやすい。源流だし国道4号からは少し外れるけれどそこまで山奥ではなく行きやすい。
岩手町の名物はキャベツとホルモン鍋なんだが、キャベツはともかく、ホルモン鍋は肉屋が持ち帰りの肉として売っているばかりでここで食べるのは難しい。調べたら定食として提供している店が1軒見つかったが、自分も現地で食べたことはない。
岩手町の沼宮内の北の端から国道281号を入ると葛巻町にたどり着く。これが久慈市へのルートで安全だがお勧めしない、と説明した葛巻経由ルートだ。推す観光地はあまりない(いちおう平庭高原という観光地はあるが関東近辺から比べると施設は何もないに等しい)。ただ、くずまきワインは赤ワインの中に山ブドウを原料にしたものがあって、これは少し珍しいかもしれない(白とロゼは山ブドウから作ってないし、赤ワインの中にも山ブドウの混合だったりブドウが原料のものも多い)。
さらに北上すると一戸町に入る。南から入って一番最初に着くのは奥中山で、ここは盛岡市民にとって最も近いミニストップがある場所だったのだが閉店して随分経つ。少し先に行くと奥中山高原駅があり、この辺が奥中山地区の中心であり、カフェもいくつか存在する。観光の中心はここから西に登った奥中山高原スキー場で、もちろん歩くには遠いが車なら10分かからない。春から秋にも釣り堀と温泉が楽しめる。さらにここからもう少し奥に行くと"いわて子供の森"という児童施設があって県内の子連れには大好評の場所なのだが、たぶん観光で県外から来た人が楽しい場所ではない。
奥中山は峠の山頂にあるような場所で、ここから北上するとずっと下り坂である。途中に"雅"というドライブインがあり、ここの評判も非常にいい。自分も2度ほど利用したことがある。さらに下ると無人駅小繋駅があって、ここは映画"待合室"のモデルになった駅であり今でもそのきっかけとなったノートは置かれているらしい。さらに下ると小鳥谷駅。ここは映画"星屑の町"のロケ地だが、この近辺の見どころはここよりもその手前を曲がったところにある藤島のフジ。大きな藤棚で、花の見頃はだいたい5月。この時期には車でけっこう混雑するが、せいぜい岩手なりの混雑なのでそこまで心配しなくていい。その少し北には世界遺産を構成する御所野遺跡がある。たぶん皆が歴史で習ったのとは違う形の竪穴住居が屋外に展示してある他、奥の方には博物館もある。ここは是非ガイドツアーに参加して欲しい。春から秋なら土日祝およそ1時間毎に1度、無料で参加可能(それ以外の季節、時間帯は要予約+有料)。ここから一戸の市街地まではすぐそこ。そして市街地の北の端で国道4号は八戸自動車道と交差し、一戸ICがある。
旧浄法寺町へ一戸から行くにはさらに北の鳥越近辺から県道に入るのが一般道ルートだが、八戸自動車道経由で行くほうが絶対に楽である。ここには東北で最も古い寺である天台寺があり、浄法寺の観光資源の半分はここの住職だった瀬戸内寂聴絡みである。残りの半分が漆器・浄法寺塗で、これらの多くが天台寺に向かう道路沿いにある(瀬戸内寂聴絡みは少し離れたところの温浴施設と、浄法寺の役場の2階にもある)。
一戸から二戸市には2つのルートがあり、1つは素直に4号を北上する方法、もう1つは末の松山トンネルを通過する方法で、個人的には後者のルートが好きなのだが4号を北上したほうが格段にわかりやすい。このルートのせいで二戸は地の果てにありそうな印象を持つが、むしろこの近辺で最も大きいのが二戸市であり、平成の大合併の時には浄法寺を合併して二戸市として存続している。ただ、二戸駅で降りた人は二戸の何もなさに気がつくと思う。正直、二戸駅は二戸の市街地から2kmほど離れている。
二戸の観光地として最初にあがるのは馬仙峡である。市街地の南端にある夫婦岩を望む渓谷的な場所で、この夫婦岩のそばには二戸市を望む展望台があるが川沿いの公園から見たほうが断然いい。さらに言えばこの公園は桜の名所でもある。この公園のそば、と言いつつあんまり隣でないところに南部せんべいの小松製菓の工場があり、蕎麦屋とチョコレート工場、お土産店が併設されていて二戸の新たな観光地になっている。まあ個人的にはここのそばにあるドライブイン的な食堂、レストパーク馬渕川のほうが先に訪ねたほうがいい気もしているけれど。この南部せんべい店だけでなく二戸にはいくつか代表的な企業がまだまだ頑張っていて、それらはだいたい市内中心部にある。まずは南部美人。酒造会社で、コロナ渦の時には酒から消毒用アルコールを作って提供したことでも話題になった。ここは酒蔵見学に一味加えていて、要予約だが酒造りのコスプレ込みで記念写真のラベル込みのコースを提供している。もう1つはあべはん。たぶん聞いたことがないと思うが鶏肉の生産をグループで行っていて、やっぱり直営店が市内にある。もちろん鶏製品を買ってもいいのだが、ここで買うべきなのは実はお菓子チーズピッコロだ。二戸市民自慢の銘菓だったのだが今年始めに作っていた洋菓子店が閉業してなくなったのをこの会社が引き継いだのだ。
ソウルフード的なものはまだある。盛岡の福田パンと似た立ち位置のパンとして丹市パンというのが存在し、福田パンが盛岡の高校時代の思い出商品となっているようにこちらのパンは二戸の学生の思い出商品となっている。パンの風味は若干異なるが切り開いた間に種々のクリームを挟む形式で、個人的にはカレーが一番お勧めなのだがないときもしばしばある。たぶん一番の問題はここが学生の多く集う店ということで、駐車場が狭いので車で来るときは注意が必要。本当ならもっとソウルフードな店が二戸にはあった。どちらも"きんじ"という名前で、1つは市街地にあったラーメン店、もう1つは駅前にあった蕎麦屋だが、どちらも既に閉業している。ただ新しい店もしっかりあって、最近駅前から市街地に移転したフランス料理のボヌールとそれより前から市街地にあったイタリア料理のフルハウスはどちらもおすすめ。
市街地を北に外れてもう少し北に行くと金田一温泉がある。いくつもの宿があるなか最も有名なのは座敷わらしがいるという噂の緑風荘だと思う。以前は予約がないと泊まれなかった(そして予約が取れなかった)座敷わらしの間こと槐の間は、現在は共用スペースになっていて宿泊者は誰でも深夜に入ることが可能になっている。まあ、これは好きな人は、といった感じで。昼間だけだがここは日帰り入浴もやっている、というか金田一温泉は日帰り入浴受け付けている宿がけっこうある。
一戸ICから1つ先のICが九戸ICであり、九戸村の入口の1つである。ここの話は久慈への経路について書いた時に少しだけ書いた。葛巻町、(旧)山形村、軽米町に向かう結節点となる村である。ここの一番の見どころは、二戸の見どころとも言える折爪岳。車で頂上まで登ることが出来て、ここからの眺めが抜群。以前はここまで登ればAFNを聞くことも出来た。さらに7月にはヒメボタルの鑑賞会(要予約・有料)も開かれる。
九戸ICからさらに1つ先が軽米IC。軽米町の入口の1つである。ここの観光資源と言えば以前はフォリストパークという花畑だった(過去形で書いているが今でもしっかり営業している)。最近ここが注目されているのは、マンガハイキュー!!の背景にこの町の市街地の建物が多数採用されていることにある。このこともあって軽米町は軽米高校の文化祭の日(今年は10/18)に合わせて町民体育館を荷物置き場兼コスプレ着替え場所兼バレーボール体験場として解放するくらいのことになっている(なおシューズは持参・ただしバレー技術を磨く必要はないとのこと)。
熱海までは東海道線が動いてて、伊東線が全面的に運休になり、バス便も無いしで、予約していた伊東への移動手段が無くなった。
当日の熱海は「終日運休」という放送を聞いて、行き場を失った人がごったがえしてた。キャリー引いた人、団体の外国人、いろいろいたけど彼らはどうしたんだろう。私はあきらめて引き返した。
宿のキャンセル料だけ取られた。伊東線が止まっているのですが、と電話したのだけど、キャンセル料は発生すると。
公共交通機関が止まった場合はキャンセル料が免除されると書いてあったのに、伊東線が止まっていてもキャンセル料は発生すると。
熱海までの交通費を無駄に発生させて、足止め食らって引き返して、キャンセル料が発生して、という何もいいことがない一日になった。
あまりにも気分悪くて、同じホテルチェーンで予約していた3人の2泊3日の予定をキャンセルした。日付的に1か月以上先の予定だったからキャンセル料はかからなかった。
9月5日に1人で行ったのは下見に近いところがあって本番は3人でリゾートホテルに連泊するところにあったんだけど、そもそも行き先の伊豆をやめた。北関東方面の温泉地の連泊にした。
ただ1つのホテルチェーンが伊東線が運休になってもキャンセル料を発生させたというだけの話なんだけど伊豆に二度と行きたくなくなった。
伊豆の印象がほぼ無いプレーンな状態から、思いっきりマイナスになった。鉄道がやられてもほかの移動手段があるところまでしか行きたくない。もう熱海までしか行きたくない。
まず路線バスが無いとかあり得ない…。もう交通が便利な場所にしか行く気がなくなった。箱根に人気が集中しすぎと思っていたけど、そら集中するわ。
何十回も行ったけど一回も嫌な思いしたことない。便利なんだもの。「箱根は高い」「箱根は混んでる」ってよく言われるけど、値段が高くても無駄にならないんだもの。