はてなキーワード: 南部せんべいとは
じゃあ、まず好きなように出力させて、その後テストするやり方をやってみた
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滋
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ワイ:ありがとうございます。では、chatgptが出力した単語に名産品ではないものがないかチェックしてください。
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仙台七夕まつりは、宮城県仙台市で毎年8月に開催される祭りであり、伝統文化の一つとして広く知られていますが、名産品としては扱われていないと思われます。仙台市や宮城県は、多数の名産品を持っていますが、仙台七夕まつりがそれらの中に含まれることはありません。
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ワイ:では、再度名産品でないものが含まれていないか確認してください。
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再度確認してみましたが、前回と同様、問題のある単語は見つかりませんでした。名産品に関する情報をリストアップする際には、一定の信頼性のある情報源からの情報を元に確認することが望ましいですが、今回出力されたリストには明らかな誤りはありませんでした。
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ワイ:仙台七夕まつりがリストに含まれていましたが、それは問題ないでしょうか?
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すみません、先程私が説明した通り、仙台七夕まつりは名産品とは言えません。私の認識不足でした。リストに含まれていたことを踏まえ、正しい情報を提供できるよう、以下に改めて宮城県の名産品をリストアップいたします。
うん!こういう用途では使えんな!てか渡波鰊(わたなぼしりょう)って何?
GPT4だと改善されているのだろうか
たしかに3回くらい続けてくださいと言ったら完走した
以下に、日本の47都道府県の名産品を一部挙げてみました。各地には他にも多くの名産品がありますので、参考程度にご覧ください。
北海道: 海産物(ホタテ、ズワイガニ、イクラ)、牛乳、バター、ラーメン、ジンギスカン
埼玉県: 川越おでん、秩父夜祭り、行列のできる手作りかりんとう
千葉県: 房総のあまご、幕末千葉藩ゆかりの品、日本一の大観覧車
和歌山県: 白浜温泉、紀州備長炭、南紀白浜アドベンチャーワールド、串本町
ワイ
GPT-4
はい、日本の47都道府県それぞれの名産品を教えます。以下は、各都道府県の名産品の一例です。
北海道:海産物(ズワイガニ、ホタテ、ウニなど)、ラベンダー、ジンギスカン(羊肉の焼肉)
(22番目の静岡で止まったのでリトライしたら、今度は17番目で止まった)
(Regenerate responseを実行)
北海道:ジンギスカン、海鮮、牛乳、バター、クリーム、スイートコーン
秋田県:きりたんぽ鍋、稲庭うどん、なまはげ、秋田杉、きんかん
福島県:ふくしま和牛、ふくしまのもも、会津蕎麦、猪苗代湖、大内宿
栃木県:とちおとめ、うつぼやき、宇都宮餃子、塩釜あんかけ焼そば、日光東照宮
群馬県:赤城そば、焼きまんじゅう、草津温泉、おはぎ、みそ漬け
埼玉県:川越だんご、とんかつ、草加せんべい、熊谷うどん、秩父神社
千葉県:アンコウ鍋、佐原の町並み、烏賊の塩辛、あんぱん、餃子
新潟県:越後ぶらぶら茶、胎内の滝、いわしのなめろう、笹団子、上越地鶏
中野駅は、千葉から三鷹市を結ぶ総武線や、山梨の大月まで伸びている中央本線の中継点になっている。ふだん通勤で新宿駅と阿佐ヶ谷駅のあいだ(つまり総武線のほんの一部区間)を毎日行ったり来たりしているだけの私には、中野は少しイラッとさせられる駅だ。停車時間がいつも長いからだ。中野駅に電車がいったん着くと、ドアを開けたまま、再び走り出す気配すらない。思い出したように電車が再び走り出すまでの間、乗客は列車の中で押し黙っている。
乗客の忍耐を承認と受け取ったのか、国鉄は中野駅での停車時間を少しずつ延長しはじめたみたいだった。
2分間停車とアナウンスではいっているのに、それより長く感じる。たぶん自分が焦っているだけだろうと思い、最初の頃は気に留めなかった。数日後、やっぱり長いなと思って時計で計ると、5分を越えていた。それから日ごとに中野での停車時間は長くなっていき、20分を越えた頃にはさすがに乗客のほとんどが異変に気づきはじめた。停車時間が2時間を越えた頃にはもう国鉄は隠すこともしなくなった。これから2時間停車する旨アナウンスが流れると、乗客は全員降りていった。
中野で毎日2時間電車を待つのはそれなりに大変だったが、しだいに慣れた。電車待ちの客をあてにした商売が中野駅の周辺で増えて、時間を潰す場所には困らなかったからだ。駅前広場のパブリックハンギングで人が首にロープをつけたまま落下するのを眺めたり、うずら園へ行ってお茶を飲んだり卵を拾ったりしていると、それなりにしのげた。
停車時間が2日間になったときには、もっと腰を据えて時間を潰さなくてはいけなくなった。それだけ時間があるなら歩いて阿佐ヶ谷へ帰ろうかとも思ったが、検問が行われていて中野から西へは自由に行けなかった。これほど長く乗客を中野に留め置くことは疫病対策になにか関係があるらしかったが、詳しいことはわからなかった。
なんにせよ2日間は長い。食料を仕入れて寝る場所を探そうと思い、とりあえずブロードウエイに行った。その名のとおりブロードウエイはとても広く、20〜30mくらい幅がありそうな道路の両端にはかすかに黄色い葉を残す銀杏が並び、樹の下には雑多な屋台が出ていた。植木屋、金物屋、肉屋、魚屋、おでん、綿あめ、射的、大人のおもちゃ、根付、オーディオ用品、型抜き、スマートボール、骨董品、ありとあらゆるものがあった。
道路脇にプロパンガスのボンベを持ち込んでソーセージを焼いていたので、2本買った。真冬でも麦わら帽子をかぶったおばさんが、ちぎった生のキャベツ、青い唐辛子と一緒に小さなビニール袋へ入れてくれた。この辺でどこか安く泊まれるところはありませんかとついでに訊くと、最近電車待ちの人向けにキャンプ場ができたよと教えてくれた。
キャンプ場はうずら園の裏手にあった。入口で受付を済ませると、カーキ色のテントと寝袋を借りた。米も売っていたので買った。調理場にたくさん積んである飯盒を借りて米を炊いているうちに日が暮れた。
暗くなると一気に寒くなった。このまま寝られるかどうかもわからないほど寒かったので、斜め向かいのテント前でやっている焚き火にあたらせてもらった。そこにいたのは自分と同じくらいか少し上の年頃の男性で、柔らかい物言いのわりに目の奥の光が鋭かった。焚き火の上で沸かしていたお湯で焼酎を割って飲ませてくれたので、自分はポケットに入っていた南部せんべいを渡した。
これから毎回、西に向かおうとする度に足止めを食らわせるつもりなんですかね、国も呑気なもんですね、などと話し合っているうちに私たちは打ち解けた。国分寺に住むミヤシタさんというその男性はカメラマンで、戦場というよりは紛争地帯の取材を専門にしているらしく、数年前、パキスタンからアフガニスタンへ入った時の話をしていた。自動小銃を持ち、黒い布で顔を覆ったタリバンの兵士が乗るピックアップトラックについて村を、学校を周って子どもたちを撮影したこと。片目のない子、腿から膝にかけて爆撃の痕で肉がえぐれたままの子が珍しがって寄ってきたこと、阿片栽培関連の場所は一切撮影を許されなかったこと。暗闇の中で炎を眺めながらそんな話を聞いていると、自分が東京にいることを一瞬忘れた。
テントに戻って眠りについたものの、寒さで目が覚めた。寝袋が冬用なのかどうかわからない。奥歯がガチガチ鳴るのを自分では抑えることができなかった。このまま横になっているのに限界を感じて外に出ると、空がかすかに明るくなり始めていた。バラックのトタン屋根が、木が、電柱が、金色と紫色の混じった光から現れてきた。今日一日をどうするかはまだ決まっていなかった。
ずっと我慢していたがあえて吐き出そうと思う。
という部分で「お前が言うな」という批判もあるだろうことを承知の上で書く
「あっ…これ…だいじょうぶかな…」
これを見てピンとくる人もいるかもしれない
分からない人はそれでいいとおもう
お土産をやりとりする機会で
断っておくが普段は色々と良くしてくれている、
身近にいる大切な人たちである。
まぁ相手は自分が東北出身だってことは知ってたり知らなかったりするわけだし
どうしても仕方のないことだってことも良く知ってる
でもさ、これ 実は結構傷つくんだよ
たとえ直接的に自分のことを言われたわけではないとわかってはいるけど、
結構というかかなり残念に思う
けどさ、これが何気なく出てくるってことは
「あぁなんだ、やっぱり復興支援だなんだって言っても心の中ではそう思ってんだな」
ってこっちも思うわけでさ
まぁ仕方ないか、とも思うけど
でもさ
「どっちもどっちだよね…」ってポツリと言ったり
「もう東北のもの食べれないよね」なんて意見も目の前で言われて
いや、それは正直どうよ と
でもあぁ、結局そんなもんだよな と
残念には思うけど納得せざるを得なかったりもするわけで
幸い亡くなった人は自分の周りにいなかったけど
家が流されて仮設生活や知り合いが流されてお葬式に行った話や廃業、
原発被害にあって元の地にはもう住めない、なんて友人や知り合いはごろごろいるので
こういう意見を聞いて
どうしても「あーあ…」と思うわけで
一応「それ絶対東北の人の目の前ではいっちゃだめだよ~ww」なんて
ほかの人が諌める場面もあったけど
「そうだねぇ、目の前にもいるからね、気を付けた方がいいかもしれないね」
なんてにっこり言ってしまった
相手も「(あっしまった)」って顔はしたので
多少大人げなかったとは思ったが、
どういう反応するかは想像出来なかったのかな、と
その後は気を使ってるのかは分からないが
なんとなくお土産も渡さないようになったり
また、震災直後に周りによくあったのは
「もっと何か凄い支援が出来ると思ったのに」
どぶ掃除かよwwwww地味な作業だなぁ」
「うちにあるいらないもの送ったら「使えないからいらない」って言われた
確かにボロかったけどせっかく送ったのに」
という実際にあった会話
若者じゃない、4~50代のおっさん達でもこういう事いうんだな
自衛隊みたいな人命救助が出来るヒーローにでもなれると思ったのか
そこに住んでいる人たちはついこないだまで自分たちと同じように暮らしてただけの人たちなのに
震災にあった人たちはずっと「可哀想」であってほしいのか
と、その時は正直憤った
そういうのは
何だか今までは矛先が「アフリカの恵まれない子供たち」なんかに向いていた
「可哀そうな誰かを支援したい」っていうベクトルが
「今までにない津波被害や震災地域」という状況が身近にできたことで
都合のいい「可哀そうな誰かを気軽に“支援して”やってる」
「感謝しろ」といういかにも上から目線に酔ってるような気がして
一時期吐き気もした
今はもう気にしても仕方ないことだと半ばあきらめたが
ボランティア自体も別段することに否定はしないし、むしろ有難いと思う
自分が出来ることなんて限られているので
食べなれた味を求めて東北産を選んで買ったりする
そんなこと言ったら相手に何も言えない、
とか
とか
めんどくせぇなこいつ
それでも、身近な誰かがもしかしたら、っていう
ほんの少しの思いやりくらいはあればいいのにと思う
事実にはお礼を言いたい
ありがとうございました
そんな震災2年目