台湾の国旗・国歌を嫌う親台湾派が多いのはなぜか(上)
2015/11/19/Thu
■忘却された「台湾の国旗」に再び脚光が

日台交流が盛んになる中、再び中華民国旗に脚光が当たり始めた
日本では一九七二年の日中国交樹立後、メディアやその他あらゆるところから、台湾にある中華民国の「国名」が消え、さらには「国旗」までで抹殺された。
言うまでもなくそれは、「中華民国」の存在を徹底的に否定する中華人民共和国への過剰なまでの配慮によるのだが、そうした結果、それらは忘却の彼方へ追い遣られてしまった。
ところが最近、ネット上で中華民国国旗をしばしば見かけるなど、どうも断交後に生まれた若い世代の間で、再びそれらへの認知が広がりつつあるようなのだ。東日本大震災後に台湾への友好気運が高まる中、この友好国の象徴として、この国旗を探し当てたのだろう。
中国などに気兼ねすることなく日台交流を楽しもうという新しい流れが起きているのだろう。そのこと自体は歓迎すべきことである。
しかしその一方で、せっかく中華民国旗に親しみを抱き始めた親台派に対し、「それは台湾の旗ではない」と文句を言う古くからの(?)親台派も少なくない。私自身もネット上、そんな議論を見たことがある。
実は私も、そう訴えたい一人である。
しかしいきなり批判されても、される側は「何で?」と戸惑うだろう。「他国の国旗を侮辱していいのか」と反論したくもなるに違いない。
実際に批判を聞いて「侮辱」と受け取る台湾人も少ないと思う。何しろ日本以外の国では、どこも国旗は神聖なものと教えている。
そこでここでは、この問題を客観的に取り上げてみたいと思うのである。
■台湾人の国旗として相応しいかという議論
実はこの「中華民国国旗は台湾の旗ではない」というのは、多くの台湾人の主張でもあるのだ。
来年の総統選挙で政権奪還の可能性が高まる民進党も、党としてはそう言わないが、しかし党員の多くはそう思っているのではないか。
なぜかと言えば、あれは国民党が中国から持ち運んだ中国国民党の党旗であり、台湾人の国の旗として相応しくないとの認識が持たれているからだ。
実を言えば国民党の旗は、「青天白日旗」という名で、それとは別にあることはある。
青地に白い太陽を描いたもので、後に中華民国の「国父」と崇められる孫文(中山)が一九一九年、国民党を創設した時に採用したとされる。もとは同党の前身である反満革命組織の興中会の旗だった。

左が国民党旗で右が中華民国旗。国旗という名の党旗である
孫文は次いで一九二一年、中華民国政府に反旗を翻す広州中華民國政府を発足させ、その非常大総統に就任した際に国旗を制定したのだが、それが「青天白日」を赤地の左上角に配する「青天白日満地紅旗」である。
それが蒋介石の中華民国国民政府(国府)に継承される。戦時中に国府が(あるいは汪兆銘の南京国民政府も)この国旗を掲げていたのを記憶する人もいるだろう。
そして一九四九年に蒋介石政権が国共内戦で敗れて台湾へ亡命したことで、「青天白日満地紅旗」は「台湾の国旗」と目され今日に至っているのである。
しかし「台湾の国旗」とは言っても、もともと台湾とは何の関係も持たない、亡命政権がたまたま持ち入れただけの「中国の国旗」なのだ。
国旗掲揚の際に演奏される「中華民国国旗歌」という曲の歌詞冒頭は、「山川は壮麗で物産は豊か。炎帝・黄帝の後裔にして東亜に覇を唱える」(山川壮麗、物産豊隆、炎黄世胄、東亜称雄)。どう見ても中国の自然、産物、民族、歴史の讃歌ではないか。
そして何だかんだ言っても、国民党徽である「青天白日」を掲げる以上、実質的には国民党旗であり、「党国体制」(党と国とが一体化した国民党独裁体制)の名残であると言うこともできる。
中華民族主義と国民党への忠誠心を抱かせようと、台湾住民に押し付けて来たこの旗は、すでに台湾人の国家建設が目指される民主化時代を迎えた今日、果たして国旗として相応しいだろうか。

終戦直後、中華民国の接収を歓迎するために描かれた同国国旗。デザインの誤りは、台湾
人にとりこれが外国の旗だったことを象徴している
そうした議論が長年、国民党及びその支持勢力に対して行われているのである。
■独裁時代の遺臭芬々―国歌は完全なる国民党歌
ちなみに党国体制の名残といえば、中華民国の国歌などもまさにそれだ。
こちらは完全なる国民党歌である。
歌詞は一九二四年、孫文が国民党総理として黄埔軍官学校(国民党校)創設式典で行った「三民主義、吾党所宗」という訓示に、胡漢民、戴季陶、廖仲愷ら党幹部が肉付けし、そこに曲を付したもの。国府成立当時に党歌となり、一九三七年に国歌となり、そして国旗とともに台湾へ持ち込まれたのだ。
ちなみに歌詞は以下の如し。
三民主義 吾党所宗 (三民主義は立国の根本。我が党はそれを宗とし)
以建民国 以進大同 (中華民国を建設し、大同世界へと進もう)
咨爾多士 為民前鋒 (志士の諸君、民の先鋒となろう)
夙夜匪懈 主義是従 (日夜怠ることなく、三民主義に従おう)
矢勤矢勇 必信必忠 (勤労勇敢であることを誓い、信義を守り忠義を尽そう)
一心一徳 貫徹始終 (みなで心を合わせ、最後まで貫徹しよう)
国民党への無条件の忠誠を要求する内容で、一党独裁時代の遺臭芬々たるものがある。
こんな洗脳のための歌をいまだに学校で生徒に押し付けているのなら、何とも残酷な話である。
(つづく)
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日台交流が盛んになる中、再び中華民国旗に脚光が当たり始めた
日本では一九七二年の日中国交樹立後、メディアやその他あらゆるところから、台湾にある中華民国の「国名」が消え、さらには「国旗」までで抹殺された。
言うまでもなくそれは、「中華民国」の存在を徹底的に否定する中華人民共和国への過剰なまでの配慮によるのだが、そうした結果、それらは忘却の彼方へ追い遣られてしまった。
ところが最近、ネット上で中華民国国旗をしばしば見かけるなど、どうも断交後に生まれた若い世代の間で、再びそれらへの認知が広がりつつあるようなのだ。東日本大震災後に台湾への友好気運が高まる中、この友好国の象徴として、この国旗を探し当てたのだろう。
中国などに気兼ねすることなく日台交流を楽しもうという新しい流れが起きているのだろう。そのこと自体は歓迎すべきことである。
しかしその一方で、せっかく中華民国旗に親しみを抱き始めた親台派に対し、「それは台湾の旗ではない」と文句を言う古くからの(?)親台派も少なくない。私自身もネット上、そんな議論を見たことがある。
実は私も、そう訴えたい一人である。
しかしいきなり批判されても、される側は「何で?」と戸惑うだろう。「他国の国旗を侮辱していいのか」と反論したくもなるに違いない。
実際に批判を聞いて「侮辱」と受け取る台湾人も少ないと思う。何しろ日本以外の国では、どこも国旗は神聖なものと教えている。
そこでここでは、この問題を客観的に取り上げてみたいと思うのである。
■台湾人の国旗として相応しいかという議論
実はこの「中華民国国旗は台湾の旗ではない」というのは、多くの台湾人の主張でもあるのだ。
来年の総統選挙で政権奪還の可能性が高まる民進党も、党としてはそう言わないが、しかし党員の多くはそう思っているのではないか。
なぜかと言えば、あれは国民党が中国から持ち運んだ中国国民党の党旗であり、台湾人の国の旗として相応しくないとの認識が持たれているからだ。
実を言えば国民党の旗は、「青天白日旗」という名で、それとは別にあることはある。
青地に白い太陽を描いたもので、後に中華民国の「国父」と崇められる孫文(中山)が一九一九年、国民党を創設した時に採用したとされる。もとは同党の前身である反満革命組織の興中会の旗だった。

左が国民党旗で右が中華民国旗。国旗という名の党旗である
孫文は次いで一九二一年、中華民国政府に反旗を翻す広州中華民國政府を発足させ、その非常大総統に就任した際に国旗を制定したのだが、それが「青天白日」を赤地の左上角に配する「青天白日満地紅旗」である。
それが蒋介石の中華民国国民政府(国府)に継承される。戦時中に国府が(あるいは汪兆銘の南京国民政府も)この国旗を掲げていたのを記憶する人もいるだろう。
そして一九四九年に蒋介石政権が国共内戦で敗れて台湾へ亡命したことで、「青天白日満地紅旗」は「台湾の国旗」と目され今日に至っているのである。
しかし「台湾の国旗」とは言っても、もともと台湾とは何の関係も持たない、亡命政権がたまたま持ち入れただけの「中国の国旗」なのだ。
国旗掲揚の際に演奏される「中華民国国旗歌」という曲の歌詞冒頭は、「山川は壮麗で物産は豊か。炎帝・黄帝の後裔にして東亜に覇を唱える」(山川壮麗、物産豊隆、炎黄世胄、東亜称雄)。どう見ても中国の自然、産物、民族、歴史の讃歌ではないか。
そして何だかんだ言っても、国民党徽である「青天白日」を掲げる以上、実質的には国民党旗であり、「党国体制」(党と国とが一体化した国民党独裁体制)の名残であると言うこともできる。
中華民族主義と国民党への忠誠心を抱かせようと、台湾住民に押し付けて来たこの旗は、すでに台湾人の国家建設が目指される民主化時代を迎えた今日、果たして国旗として相応しいだろうか。

終戦直後、中華民国の接収を歓迎するために描かれた同国国旗。デザインの誤りは、台湾
人にとりこれが外国の旗だったことを象徴している
そうした議論が長年、国民党及びその支持勢力に対して行われているのである。
■独裁時代の遺臭芬々―国歌は完全なる国民党歌
ちなみに党国体制の名残といえば、中華民国の国歌などもまさにそれだ。
こちらは完全なる国民党歌である。
歌詞は一九二四年、孫文が国民党総理として黄埔軍官学校(国民党校)創設式典で行った「三民主義、吾党所宗」という訓示に、胡漢民、戴季陶、廖仲愷ら党幹部が肉付けし、そこに曲を付したもの。国府成立当時に党歌となり、一九三七年に国歌となり、そして国旗とともに台湾へ持ち込まれたのだ。
ちなみに歌詞は以下の如し。
三民主義 吾党所宗 (三民主義は立国の根本。我が党はそれを宗とし)
以建民国 以進大同 (中華民国を建設し、大同世界へと進もう)
咨爾多士 為民前鋒 (志士の諸君、民の先鋒となろう)
夙夜匪懈 主義是従 (日夜怠ることなく、三民主義に従おう)
矢勤矢勇 必信必忠 (勤労勇敢であることを誓い、信義を守り忠義を尽そう)
一心一徳 貫徹始終 (みなで心を合わせ、最後まで貫徹しよう)
国民党への無条件の忠誠を要求する内容で、一党独裁時代の遺臭芬々たるものがある。
こんな洗脳のための歌をいまだに学校で生徒に押し付けているのなら、何とも残酷な話である。
(つづく)
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