戦う台湾独立勢力―国民党・洗脳支配の道具「孫文銅像」を引き倒し!(附:現地映像)
2014/02/23/Sun
■台湾人に加えられた孫文神格化の洗脳教育
2月22日、台南市中心に建つ中華民国国父、孫文の銅像が民衆の手で引き倒された
辛亥革命を指導し国民党を創設したとし、台湾では「中華民国の国父」として神格化されている中国の革命家の孫文(孫中山)。その三民主義は人民統制のイデオロギーとなり、肖像は公共施設や学校などで掲げられ、あるいは各地で銅像が建てられている。
辛亥革命100年に当たった2012年、孫文の功績を称える国民党の馬英
九総統。狙いは国民に対する中国人化の洗脳宣伝
国民党の宣伝による影響もあり、日本人一般も誤解しているが、実際に孫文は辛亥革命を指導などしていない。先頃NHKニュースは「辛亥革命を起こした孫文」と報道したので、その誤りを指摘したところ、「孫文に直接関与していない」と認めた。
2月12日、「辛亥革命を起こした孫文」と報じたNHK。その後誤りを認める
そのような孫文ではあるが、国民党の中国人化政策の下、直接洗脳教育を受けた台湾人の孫文に対する尊敬心には抜きがたいものがある。
民進党政権時代の脱中国化政策によって各地の蒋介石の銅像は撤去されたが、孫文の銅像が比較的に安泰だったのは、蒋介石と違って孫文は直接台湾人を迫害しなかったためだろうか(それは孫文が台湾人とは無関係な存在である証拠でもあるが)。
もちろん脱中国化に国民党が反撥する中、孫文にまでは手が伸びなかったということでもあろう。
いずれにせよ洗脳教育の恐ろしさを感じさせる。
ところが二月二十二日、台南の中心地に位置する湯徳章記念公園に建つ孫文の銅像が、民衆の手によって引き倒されたのだ。
「下手人」は台湾独立派団体である「公投護台湾連盟」である。その日は約二百人以上の人々が現地に集まり、重さ六百キロの銅像にロープを掛け、台座から一気に地表へと引き下ろした。最近ではウクライナでレーニン像が引き倒されたがそれとよく似た光景だった。
■二・二八虐殺の犠牲者である湯徳章を記念
この湯徳章公園は日本時代の一九一一年に作られ、元は大正公園と呼ばれたが、終戦直後の一九四七年の二・二八事件当時は台湾人の処刑場と化した。
台南市の台湾人リーダーだった弁護士の湯徳章氏(父親は日本人。日本人の台湾人差別に憤慨し、台湾籍を選んだ)も、ここで殺害された一人だった。事件当初、市民を指揮して混乱の収拾に当たっていたが、その後報復のために殺到した国民党軍によるエリート狩りで真っ先に捕えられ、「反乱罪」の濡れ衣を着せられ、市中引き回しの上、銃殺に処せられた。市民には笑みを向け、軍隊に対しては「バカヤロ―」と叫んで不屈の精神を見せ、縦容死についたその最期は、民衆の心に深く刻まれた。
2・28事件当時、台湾人の権益を守るため、体を張って奔走し、ついに壮絶な
死を遂げた湯徳章氏
その後公園は民生緑園(「民生」は孫文の「民生主義」からとった)と改称され、一九七五年にはライオンズクラブの寄贈により孫文像が建った。
しかし一九九八年、台湾独立運動の闘士だった民進党の張燦鍙市長が、公園名を湯徳章記念公園に改め、湯徳章氏の胸像を孫文像の傍らに建てた。
さらに二〇〇四年、台南市は湯徳章公園を「元大正公園」との史跡に指定しており、孫文像は史跡の上に建つ非史跡建築物となった。
二〇一三年二月二十八日の二・二八事件記念日、民進党の頼清徳市長は、その日を「湯徳章記念日」とするとともに、孫文像を他所へ移す意向を示した。孫文像の移転はコンクリート製の台座の老朽化による倒壊を懸念した寄贈者の要請によるものだった。
孫文像の傍らに建った湯徳章氏の胸像
ところが国民党や同党の市議会議員がこれに猛反対し、現在の地点での修復を要求。八、九月には一カ月以上も公園を不法占拠した。かくして市は移転の延期を余儀なくされ、今日に至っていた。
■中国人から尊厳守る台湾人の権利
そこへ動いたのが公投護台湾連盟だった。メンバーの一人に今回の行動の目的を尋ねたところ、「市民の安全のため、ロープで台座の安定性を測ったところ、像はあっという間に倒れてしまった」と言っていた。
彼らの声明文によると、「二・二八記念日前夜において、我々は頼市長に対し、湯徳章記念日制定の公約を果たし、台南市民の安全、福祉のため気迫ある施政を行いことをアピールする」とある。
公投護台湾連盟の声明文。台湾を愛する台湾人の止
むに止まれぬ思いが込められている
〇八年に復辟を果たした国民党政権は聯共制台(中共と提携して台湾を制する)に走るとともに、再び台湾人に中国人化の洗脳教育を加えようとしている。
先頃強引に大幅改訂を行った高校用の学習指導要領により、来年の新学期からの台湾史の教科書には孫文の革命物語(作り話)が載る見込みだ。
二月十二日には中国の国務院台湾弁公室が「両岸同胞は孫中山先生の精神を継承し、共同で中華民族の偉大なる復興に力を致そう」と台湾側に呼び掛けた。言うまでもなく「中華民族の偉大なる復興」におけるメインイベントは「中国統一」(台湾併合)である。
中国も「近代革命の偉大なる先駆者」と位置付ける孫文は、国共両党が同じ中華民族であることを確認するための政治的な「道具」となっているのだ。
このように国民党の「聯共制台」の計略により、再び台湾人は中国人から自由を奪われかねない状況に陥りつつあるのだ。
そうした中、今回の「器物損壊」は違法であるとしても、そのこと自体は小さな問題だと思う。
約七十年間にもわたって中国人に生命、人権、自由、尊厳を脅かされ、今後もこの不条理な状況がさらに深刻化する恐れがある中、このような形で自らの意志を表明する権利は台湾人にあるはずだ。
在天の湯徳章氏も、そのように思っているはず。
なお「公投護台湾連盟」のリーダーである蔡丁貴教授は現地で縦容として逮捕された。
逮捕された蔡丁貴氏
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銅像引き倒し現場の映像
2月22日、台南市中心に建つ中華民国国父、孫文の銅像が民衆の手で引き倒された
辛亥革命を指導し国民党を創設したとし、台湾では「中華民国の国父」として神格化されている中国の革命家の孫文(孫中山)。その三民主義は人民統制のイデオロギーとなり、肖像は公共施設や学校などで掲げられ、あるいは各地で銅像が建てられている。
辛亥革命100年に当たった2012年、孫文の功績を称える国民党の馬英
九総統。狙いは国民に対する中国人化の洗脳宣伝
国民党の宣伝による影響もあり、日本人一般も誤解しているが、実際に孫文は辛亥革命を指導などしていない。先頃NHKニュースは「辛亥革命を起こした孫文」と報道したので、その誤りを指摘したところ、「孫文に直接関与していない」と認めた。
2月12日、「辛亥革命を起こした孫文」と報じたNHK。その後誤りを認める
そのような孫文ではあるが、国民党の中国人化政策の下、直接洗脳教育を受けた台湾人の孫文に対する尊敬心には抜きがたいものがある。
民進党政権時代の脱中国化政策によって各地の蒋介石の銅像は撤去されたが、孫文の銅像が比較的に安泰だったのは、蒋介石と違って孫文は直接台湾人を迫害しなかったためだろうか(それは孫文が台湾人とは無関係な存在である証拠でもあるが)。
もちろん脱中国化に国民党が反撥する中、孫文にまでは手が伸びなかったということでもあろう。
いずれにせよ洗脳教育の恐ろしさを感じさせる。
ところが二月二十二日、台南の中心地に位置する湯徳章記念公園に建つ孫文の銅像が、民衆の手によって引き倒されたのだ。
「下手人」は台湾独立派団体である「公投護台湾連盟」である。その日は約二百人以上の人々が現地に集まり、重さ六百キロの銅像にロープを掛け、台座から一気に地表へと引き下ろした。最近ではウクライナでレーニン像が引き倒されたがそれとよく似た光景だった。
■二・二八虐殺の犠牲者である湯徳章を記念
この湯徳章公園は日本時代の一九一一年に作られ、元は大正公園と呼ばれたが、終戦直後の一九四七年の二・二八事件当時は台湾人の処刑場と化した。
台南市の台湾人リーダーだった弁護士の湯徳章氏(父親は日本人。日本人の台湾人差別に憤慨し、台湾籍を選んだ)も、ここで殺害された一人だった。事件当初、市民を指揮して混乱の収拾に当たっていたが、その後報復のために殺到した国民党軍によるエリート狩りで真っ先に捕えられ、「反乱罪」の濡れ衣を着せられ、市中引き回しの上、銃殺に処せられた。市民には笑みを向け、軍隊に対しては「バカヤロ―」と叫んで不屈の精神を見せ、縦容死についたその最期は、民衆の心に深く刻まれた。
2・28事件当時、台湾人の権益を守るため、体を張って奔走し、ついに壮絶な
死を遂げた湯徳章氏
その後公園は民生緑園(「民生」は孫文の「民生主義」からとった)と改称され、一九七五年にはライオンズクラブの寄贈により孫文像が建った。
しかし一九九八年、台湾独立運動の闘士だった民進党の張燦鍙市長が、公園名を湯徳章記念公園に改め、湯徳章氏の胸像を孫文像の傍らに建てた。
さらに二〇〇四年、台南市は湯徳章公園を「元大正公園」との史跡に指定しており、孫文像は史跡の上に建つ非史跡建築物となった。
二〇一三年二月二十八日の二・二八事件記念日、民進党の頼清徳市長は、その日を「湯徳章記念日」とするとともに、孫文像を他所へ移す意向を示した。孫文像の移転はコンクリート製の台座の老朽化による倒壊を懸念した寄贈者の要請によるものだった。
孫文像の傍らに建った湯徳章氏の胸像
ところが国民党や同党の市議会議員がこれに猛反対し、現在の地点での修復を要求。八、九月には一カ月以上も公園を不法占拠した。かくして市は移転の延期を余儀なくされ、今日に至っていた。
■中国人から尊厳守る台湾人の権利
そこへ動いたのが公投護台湾連盟だった。メンバーの一人に今回の行動の目的を尋ねたところ、「市民の安全のため、ロープで台座の安定性を測ったところ、像はあっという間に倒れてしまった」と言っていた。
彼らの声明文によると、「二・二八記念日前夜において、我々は頼市長に対し、湯徳章記念日制定の公約を果たし、台南市民の安全、福祉のため気迫ある施政を行いことをアピールする」とある。
公投護台湾連盟の声明文。台湾を愛する台湾人の止
むに止まれぬ思いが込められている
〇八年に復辟を果たした国民党政権は聯共制台(中共と提携して台湾を制する)に走るとともに、再び台湾人に中国人化の洗脳教育を加えようとしている。
先頃強引に大幅改訂を行った高校用の学習指導要領により、来年の新学期からの台湾史の教科書には孫文の革命物語(作り話)が載る見込みだ。
二月十二日には中国の国務院台湾弁公室が「両岸同胞は孫中山先生の精神を継承し、共同で中華民族の偉大なる復興に力を致そう」と台湾側に呼び掛けた。言うまでもなく「中華民族の偉大なる復興」におけるメインイベントは「中国統一」(台湾併合)である。
中国も「近代革命の偉大なる先駆者」と位置付ける孫文は、国共両党が同じ中華民族であることを確認するための政治的な「道具」となっているのだ。
このように国民党の「聯共制台」の計略により、再び台湾人は中国人から自由を奪われかねない状況に陥りつつあるのだ。
そうした中、今回の「器物損壊」は違法であるとしても、そのこと自体は小さな問題だと思う。
約七十年間にもわたって中国人に生命、人権、自由、尊厳を脅かされ、今後もこの不条理な状況がさらに深刻化する恐れがある中、このような形で自らの意志を表明する権利は台湾人にあるはずだ。
在天の湯徳章氏も、そのように思っているはず。
なお「公投護台湾連盟」のリーダーである蔡丁貴教授は現地で縦容として逮捕された。
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銅像引き倒し現場の映像