国民党の「南京大虐殺」は免罪する中共-台湾人が解明する中国政治文化のからくり
2014/02/14/Fri
■強化される中国の「日本軍の虐殺」宣伝
中国の国際社会に向けた反日プロパガンダ攻勢は強化される一方だ。二月十四日の産経新聞によると、「日中戦争時に旧日本軍の南京占領で起きたとされる『南京事件』に関する当時の資料を、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に申請するとして、江蘇省南京市当局が準備作業を始めた」という。
「同市の公文書館は11日に、1937~47年当時の『中華民国』南京市政府などが作成した文書183点を公開した。旧日本軍が行ったとする「犯罪的な行為」に関する内容」だそうだ。
ユネスコの記録遺産に申請する公文書
こうした執拗かつ綿密なプロパガンダに呼応する日本人も少なくない。先日、「南京大虐殺」を「蒋介石の宣伝」として否定した百田尚樹・NHK経営委員の発言に対し、中国メディアは批判キャンペーンを張ったが、そこにおいて日本のメディア、識者による百田批判はいいように利用されている。
このように「南京大虐殺」に対する中国人の主張が、あの民族特有の政治文化に基づいた「宣伝」であることを、日本人はまだまだ充分に理解していないようである。
そうした中、在日台湾人医師である楊憲勲氏が十四日に発表した論文(漢語)は興味深い。
■国民党の二度にわたる「南京大虐殺」
「隠された南京大虐殺」(被隱瞞了的南京大屠殺)と題するこの文章は、「中華民国の軍隊は一九三七年十二月十二日、つまり南京城が日本軍によって陥落する前日、南京の挹江門前で数万人の中国人を虐殺している」「中華民国政府は南京執政期間中、南京の雨花台で十万人以上の差は中国人を虐殺した」と指摘する。
そしてその上で、「昨日、中華民国大陸委員会の王郁琦主任委員は南京を訪れたが、中華人民共和国では上下誰一人として中華民国政府の二度にわたる南京大虐殺に関する謝罪を要求していない」とし、「本当に謝罪は必要ないのか。それとも中国人の生命の尊厳は、加害者の国籍によって調整されるものなのか」と問いかけるのだ。
ちなみに「王郁琦は南京を訪れ」云々は、十一日の台中初の閣僚級会議(台湾併合を目指す中国側が御膳立てした対話に台湾側が応じた)に出席のための台湾の国民党政権の王郁琦大陸委員会主任委員による南京訪問を指す。
南京を訪れた国民党政権の王郁琦・大陸委員会主任委員一行。国民党による
虐殺について誰からも謝罪を求められていない
■犠牲者を差別する中国政府の御都合主義
論文には、おおよそ次のようなことが書かれている。
―――蒋介石は(一九三七年)十二月十二日の日記で、「挹江門の外では死者が山のように積まれていた。人々は川(※揚子江)を渡ろうと争って少数の船に乗り込もうとし、銃声が鳴り響いた。取り残された部隊は船を銃撃して沈め、死者が出た」と書いている。つまり中国軍の素質の低落、指揮系統の混乱、現場の指揮官の無能、無責任、そして蒋介石の場当たり的な姿勢と誤算により、南京陥落前の段階で中国軍はまず中国の軍民同胞を虐殺していたのだ。
―――南京大虐殺記念館が記念するところの三十万人の英霊には、中国軍に殺害された同胞は含まれていないし、他所で記念することもない。生命の軽重は加害者の国籍によって異なるのか。
南京大虐殺記念館。中国が主張する犠牲者数に、国民党に殺害された人々は
含まれていない
―――もう一つの南京大虐殺を見てみたい。(中華民国が南京で執政した)一九二七年から一九三七年まで、そして一九四五年から一九四九年までの間、十万人以上の共産党委員、労働者、農民、知識分子が南京の雨花台で蒋介石の国民党によって処刑された。
―――中華人民共和国政府は一九五〇年、雨花台烈士陵園を作り、一九八四年には拡張工事を終了している。つまり親共産党の中国人は中華人民共和国政府によって丁重に記念されているわけだが、しかし挹江門で殺害された親国民党の中国人には見向きもされていないのだ。生命の軽重は、被害者がどの政党を支持するかで、これほど大きく異なるのか。
雨花台烈士陵園。国民党に殺害された左派中国人の犠牲者は立派に記念さ
れている。しかし今や中共は、加害者である国民党の責任を問おうとしない
まさに論文の言うとおりである。中国政府は歴史問題に関わる対日批判において、いつも「中国人民の感情を傷つける」と口にするが、実際にはこのように、殺害された同胞に差別を加える御都合主義であるわけだ。
■中国の属国になるまで反日宣伝は止まない
次のようにもある。
―――二〇〇四年三月、台湾総統選挙で敗れた連戦は翌年四月、国民党主席の肩書で南京を訪れたが、国民党を代表して雨花台で謝罪することはせず、共産党もそれについて何も言っていない。雨花台の恨みは大したことではなくなったようだ。国共間ではすでに「投降が最大の誠意」というコンセンサスでもあるのか。
―――二〇一三年二月二十五日、連戦は国民党名誉主席の肩書で再び北京を詣で、「一つの中国、両岸平和、互恵融和、中華振興」との言葉を習近平への手土産にした。この日を選んだ理由をはっきり言えば、それは二日前にワシントンで会談した安倍、オバマを牽制するためだった。
十一日の台中閣僚会談でも明らかなように、中華民国=国民党政権はすでに中国に対し、宥和(服従)姿勢を示しているが、それが国民党による過去の虐殺の免罪符になっているということらしい。
なお王郁琦・大陸委員会主任委員と閣僚級会談を行った張志軍。国務院台湾事務弁公室主任は十二日、南京大虐殺記念館を訪れ、「両岸同胞は血脈の繋がる兄弟。共に民族の苦難の歴史を銘記し、日本国内の歴史書き換えを企図して公然と抗戦勝利の成果と戦後秩序に挑戦する右翼勢力に対して大声でノーと言い、その挑発行為に断固反撃を加えなければならない」と強調している。尖閣問題で譲歩しないばかりか、靖国神社をも参拝するなど、中国の圧力に屈しない安倍政権に対する台中共闘の呼びかけである。
中国政府は「日本は正式な文書において侵略戦争に関する謝罪を中国人民に対して行ったことはない。ただ一九九五年に村山富市首相が漠然とアジア人民に謝罪しただけだ」(二〇〇〇年、朱鎔基首相)との認識に立ち、「歴史問題の適切な処理」を要求している。つまり明確な形で日本の侵略の非を認め、その上で贖罪として尖閣諸島問題を含む様々な問題で中国に譲歩するなど、属国の如くあれということだ。
まさに「投降が最大の誠意」となるのだろう。日本が現在の国民党の馬英九政権の如く、自ら国家主権を差し出すかのように中国に服従しない限り、あの国の反日宣伝は止まないに違いない。
■毛沢東が称える一八六四年の南京大虐殺
―――人類史上、最も残酷な都市虐殺は一八六四年七月十九日、曽国藩兄弟が湘軍を率いて太平天国の首都である南京攻略し、その後行った殺戮行為だ。曽国藩自身の手記には「分段捜殺を行い、三日間で十万人以上の賊を斃した」「万室を焼き払い、百物を奪い尽くした」とある。清代の詩人は「人を見れば殺し、家を見れば焼き、子女は悉く湘軍のものとなった」と記録する。
毛沢東が称える曽国藩。19世紀半ばに「南京大虐殺」を行ったことは自ら
認めている
南京城内に雪崩れ込む曽国藩の湘軍。この時の虐殺も「日本軍の虐殺」の描写のヒントになったか
―――現代の観点から言えば、首謀者の曽国藩兄弟は明らかに国際刑事裁判所に関するローマ規定第七条の「人道に反する犯罪」を犯しており、ヒトラーやヒムラーと同罪だ。
―――しかし残念ながら曽国藩と同郷の毛沢東は「近しい人の中では曽文正(※国藩)にのみ心服する。洪楊の役(※太平天国の乱)の収拾の仕方は完全無欠だ」と称賛するのだ。もう一人の同郷者である馬英九の祖父、馬利安は、かつて曽国藩の部下であったことを誇りとしていた。どうしても理解に苦しむ。彼らは果たして生命の尊厳というものを理解しているのか。
「生命の尊厳」を軽視するのが中国伝統の殺戮文化といえようか。中国が物語る日本軍の「南京大虐殺」の描写はまさに「人を見れば殺し、家を見れば焼く」であり、その凄惨さは日本人の想像を絶するほどだが、それは日本人には理解できないあの国の殺戮文化に基づく創作だと見るのが妥当なのではないだろうか。
■平和祈願を知らない中国人の犠牲者利用
論文の次の指摘も、中国伝来の政治文化を知る上で参考になる。
―――「太平天国は邪教であり、殺すべきだ!」との理屈はそのまま法輪功迫害にも適用されてはいないか。権力者に邪魔な宗教をすべて邪教とするのはそもそも中国では常識だ。
―――蒋介石の国民党から見れば雨花台における共産党員とその仲間を殺すのは政権維持のために必要な行為だった。同じように鄧小平の共産党にとっても、天安門での学生虐殺は必要な行為だった。中華文化の観点から言えば、大義名分は充足している。このように歪められた歴史認識は繰り返し政治利用され、その必然的結果として二〇一二年九月十八日前後に、日本企業は若者たちに襲撃された。
―――中華思想による魂の処理方法はつねに忠義の顕彰から始まる。そしてそれを以って一致団結を呼び掛け、さらに富国強兵を叫び、最後は復讐雪辱へと激化して行くのである。
―――戦争犠牲者の魂に対して求められるのは鎮魂であり、平和祈願であり、政治利用などではない。中国人はこの道理を理解するべきだ。
もちろん中国人がそれを「理解」するのは至難だろう。なぜならそれは「中華思想」(民族性)を捨て去ること、つまり中国人が中国人であるのを止めることに等しいからである。
したがって日本が中国の属国とならない限り止むことのない反日プロパガンダを抑止するには、まずは日本人があの国の政治文化のからくりを理解し、その欺瞞を国際社会に知らせて行くしかない。そしてそのためにはまず、日本人自身があのプロパガンダと歩調を合わすのを止めなければならない。
そうすることは日本の名誉を守るだけでなく、中国の「富国強兵」の脅威から自らの安全を守ることにも繋がるのである。
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中国の国際社会に向けた反日プロパガンダ攻勢は強化される一方だ。二月十四日の産経新聞によると、「日中戦争時に旧日本軍の南京占領で起きたとされる『南京事件』に関する当時の資料を、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に申請するとして、江蘇省南京市当局が準備作業を始めた」という。
「同市の公文書館は11日に、1937~47年当時の『中華民国』南京市政府などが作成した文書183点を公開した。旧日本軍が行ったとする「犯罪的な行為」に関する内容」だそうだ。
ユネスコの記録遺産に申請する公文書
こうした執拗かつ綿密なプロパガンダに呼応する日本人も少なくない。先日、「南京大虐殺」を「蒋介石の宣伝」として否定した百田尚樹・NHK経営委員の発言に対し、中国メディアは批判キャンペーンを張ったが、そこにおいて日本のメディア、識者による百田批判はいいように利用されている。
このように「南京大虐殺」に対する中国人の主張が、あの民族特有の政治文化に基づいた「宣伝」であることを、日本人はまだまだ充分に理解していないようである。
そうした中、在日台湾人医師である楊憲勲氏が十四日に発表した論文(漢語)は興味深い。
■国民党の二度にわたる「南京大虐殺」
「隠された南京大虐殺」(被隱瞞了的南京大屠殺)と題するこの文章は、「中華民国の軍隊は一九三七年十二月十二日、つまり南京城が日本軍によって陥落する前日、南京の挹江門前で数万人の中国人を虐殺している」「中華民国政府は南京執政期間中、南京の雨花台で十万人以上の差は中国人を虐殺した」と指摘する。
そしてその上で、「昨日、中華民国大陸委員会の王郁琦主任委員は南京を訪れたが、中華人民共和国では上下誰一人として中華民国政府の二度にわたる南京大虐殺に関する謝罪を要求していない」とし、「本当に謝罪は必要ないのか。それとも中国人の生命の尊厳は、加害者の国籍によって調整されるものなのか」と問いかけるのだ。
ちなみに「王郁琦は南京を訪れ」云々は、十一日の台中初の閣僚級会議(台湾併合を目指す中国側が御膳立てした対話に台湾側が応じた)に出席のための台湾の国民党政権の王郁琦大陸委員会主任委員による南京訪問を指す。
南京を訪れた国民党政権の王郁琦・大陸委員会主任委員一行。国民党による
虐殺について誰からも謝罪を求められていない
■犠牲者を差別する中国政府の御都合主義
論文には、おおよそ次のようなことが書かれている。
―――蒋介石は(一九三七年)十二月十二日の日記で、「挹江門の外では死者が山のように積まれていた。人々は川(※揚子江)を渡ろうと争って少数の船に乗り込もうとし、銃声が鳴り響いた。取り残された部隊は船を銃撃して沈め、死者が出た」と書いている。つまり中国軍の素質の低落、指揮系統の混乱、現場の指揮官の無能、無責任、そして蒋介石の場当たり的な姿勢と誤算により、南京陥落前の段階で中国軍はまず中国の軍民同胞を虐殺していたのだ。
―――南京大虐殺記念館が記念するところの三十万人の英霊には、中国軍に殺害された同胞は含まれていないし、他所で記念することもない。生命の軽重は加害者の国籍によって異なるのか。
南京大虐殺記念館。中国が主張する犠牲者数に、国民党に殺害された人々は
含まれていない
―――もう一つの南京大虐殺を見てみたい。(中華民国が南京で執政した)一九二七年から一九三七年まで、そして一九四五年から一九四九年までの間、十万人以上の共産党委員、労働者、農民、知識分子が南京の雨花台で蒋介石の国民党によって処刑された。
―――中華人民共和国政府は一九五〇年、雨花台烈士陵園を作り、一九八四年には拡張工事を終了している。つまり親共産党の中国人は中華人民共和国政府によって丁重に記念されているわけだが、しかし挹江門で殺害された親国民党の中国人には見向きもされていないのだ。生命の軽重は、被害者がどの政党を支持するかで、これほど大きく異なるのか。
雨花台烈士陵園。国民党に殺害された左派中国人の犠牲者は立派に記念さ
れている。しかし今や中共は、加害者である国民党の責任を問おうとしない
まさに論文の言うとおりである。中国政府は歴史問題に関わる対日批判において、いつも「中国人民の感情を傷つける」と口にするが、実際にはこのように、殺害された同胞に差別を加える御都合主義であるわけだ。
■中国の属国になるまで反日宣伝は止まない
次のようにもある。
―――二〇〇四年三月、台湾総統選挙で敗れた連戦は翌年四月、国民党主席の肩書で南京を訪れたが、国民党を代表して雨花台で謝罪することはせず、共産党もそれについて何も言っていない。雨花台の恨みは大したことではなくなったようだ。国共間ではすでに「投降が最大の誠意」というコンセンサスでもあるのか。
―――二〇一三年二月二十五日、連戦は国民党名誉主席の肩書で再び北京を詣で、「一つの中国、両岸平和、互恵融和、中華振興」との言葉を習近平への手土産にした。この日を選んだ理由をはっきり言えば、それは二日前にワシントンで会談した安倍、オバマを牽制するためだった。
十一日の台中閣僚会談でも明らかなように、中華民国=国民党政権はすでに中国に対し、宥和(服従)姿勢を示しているが、それが国民党による過去の虐殺の免罪符になっているということらしい。
なお王郁琦・大陸委員会主任委員と閣僚級会談を行った張志軍。国務院台湾事務弁公室主任は十二日、南京大虐殺記念館を訪れ、「両岸同胞は血脈の繋がる兄弟。共に民族の苦難の歴史を銘記し、日本国内の歴史書き換えを企図して公然と抗戦勝利の成果と戦後秩序に挑戦する右翼勢力に対して大声でノーと言い、その挑発行為に断固反撃を加えなければならない」と強調している。尖閣問題で譲歩しないばかりか、靖国神社をも参拝するなど、中国の圧力に屈しない安倍政権に対する台中共闘の呼びかけである。
中国政府は「日本は正式な文書において侵略戦争に関する謝罪を中国人民に対して行ったことはない。ただ一九九五年に村山富市首相が漠然とアジア人民に謝罪しただけだ」(二〇〇〇年、朱鎔基首相)との認識に立ち、「歴史問題の適切な処理」を要求している。つまり明確な形で日本の侵略の非を認め、その上で贖罪として尖閣諸島問題を含む様々な問題で中国に譲歩するなど、属国の如くあれということだ。
まさに「投降が最大の誠意」となるのだろう。日本が現在の国民党の馬英九政権の如く、自ら国家主権を差し出すかのように中国に服従しない限り、あの国の反日宣伝は止まないに違いない。
■毛沢東が称える一八六四年の南京大虐殺
―――人類史上、最も残酷な都市虐殺は一八六四年七月十九日、曽国藩兄弟が湘軍を率いて太平天国の首都である南京攻略し、その後行った殺戮行為だ。曽国藩自身の手記には「分段捜殺を行い、三日間で十万人以上の賊を斃した」「万室を焼き払い、百物を奪い尽くした」とある。清代の詩人は「人を見れば殺し、家を見れば焼き、子女は悉く湘軍のものとなった」と記録する。
毛沢東が称える曽国藩。19世紀半ばに「南京大虐殺」を行ったことは自ら
認めている
南京城内に雪崩れ込む曽国藩の湘軍。この時の虐殺も「日本軍の虐殺」の描写のヒントになったか
―――現代の観点から言えば、首謀者の曽国藩兄弟は明らかに国際刑事裁判所に関するローマ規定第七条の「人道に反する犯罪」を犯しており、ヒトラーやヒムラーと同罪だ。
―――しかし残念ながら曽国藩と同郷の毛沢東は「近しい人の中では曽文正(※国藩)にのみ心服する。洪楊の役(※太平天国の乱)の収拾の仕方は完全無欠だ」と称賛するのだ。もう一人の同郷者である馬英九の祖父、馬利安は、かつて曽国藩の部下であったことを誇りとしていた。どうしても理解に苦しむ。彼らは果たして生命の尊厳というものを理解しているのか。
「生命の尊厳」を軽視するのが中国伝統の殺戮文化といえようか。中国が物語る日本軍の「南京大虐殺」の描写はまさに「人を見れば殺し、家を見れば焼く」であり、その凄惨さは日本人の想像を絶するほどだが、それは日本人には理解できないあの国の殺戮文化に基づく創作だと見るのが妥当なのではないだろうか。
■平和祈願を知らない中国人の犠牲者利用
論文の次の指摘も、中国伝来の政治文化を知る上で参考になる。
―――「太平天国は邪教であり、殺すべきだ!」との理屈はそのまま法輪功迫害にも適用されてはいないか。権力者に邪魔な宗教をすべて邪教とするのはそもそも中国では常識だ。
―――蒋介石の国民党から見れば雨花台における共産党員とその仲間を殺すのは政権維持のために必要な行為だった。同じように鄧小平の共産党にとっても、天安門での学生虐殺は必要な行為だった。中華文化の観点から言えば、大義名分は充足している。このように歪められた歴史認識は繰り返し政治利用され、その必然的結果として二〇一二年九月十八日前後に、日本企業は若者たちに襲撃された。
―――中華思想による魂の処理方法はつねに忠義の顕彰から始まる。そしてそれを以って一致団結を呼び掛け、さらに富国強兵を叫び、最後は復讐雪辱へと激化して行くのである。
―――戦争犠牲者の魂に対して求められるのは鎮魂であり、平和祈願であり、政治利用などではない。中国人はこの道理を理解するべきだ。
もちろん中国人がそれを「理解」するのは至難だろう。なぜならそれは「中華思想」(民族性)を捨て去ること、つまり中国人が中国人であるのを止めることに等しいからである。
したがって日本が中国の属国とならない限り止むことのない反日プロパガンダを抑止するには、まずは日本人があの国の政治文化のからくりを理解し、その欺瞞を国際社会に知らせて行くしかない。そしてそのためにはまず、日本人自身があのプロパガンダと歩調を合わすのを止めなければならない。
そうすることは日本の名誉を守るだけでなく、中国の「富国強兵」の脅威から自らの安全を守ることにも繋がるのである。
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