JAPANデビュー集団訴訟ーNHKを追い詰める原告側の猛反論
2013/06/01/Sat
中国の国民党、共産党の反日プロパガンダに基づき、日本の台湾統治史を台湾人弾圧史として描いた歴史捏造番組「JAPANデビュー」を巡るNHK集団訴訟の控訴審第二回口頭弁論が五月三十日に東京高裁で行われた。
開廷前、原告側は東京高裁前でNHKや、それを勝訴させた東京地裁を批判する演説会
この日は、番組が日本人の残虐統治を強調するため、一九〇〇年の日英博覧会での台湾のパイワン族の暮らしぶりの展示を、日本による「人間動物園」だとでっち上げようと、島田ディレクターがパイワン族の住む高士村へ出向き、その「犠牲者」である男性(故人)の娘である高許月妹に取材し、「人間動物園」や「見せ物」が行われたことを一切告げることなく、ただ父親の写真を見せて「かなしいね」(懐かしいね)と言わしめ、その「かなしいね」のセリフを、巧妙にも父親が見世物にされたことへの感想の言葉に仕立てて放送したと疑われる問題につき、「島田は高許月妹に『人間動物園』の話はしなかったが『見せ物』にされたという話はした」とし、取材方法に何の非もなかった言い張るNHK側の答弁書に対し、原告側の尾崎幸廣弁護士が反論を行った。
「人間動物園」をでっち上げた「JAPANデビュー」。番組が
これを強調するため、パイワン族の高許月妹さんを欺き、利
用したことがこの日の焦点だった
その内容の一部を要約して下に掲げたい。
(控訴理由に関して)
―――NHKは、控訴理由につき一万人以上の人々が提訴したから本件放送が捏造番組だと裏付けられるという趣旨ならば暴論だと主張するが、控訴人はそのような主張は全くしていない。台湾人を侮蔑する不公平な捏造番組だったから一万人以上が提訴したと主張しているのだ。原因と結果をすり替える手法がNHKの常套手段だ。
―――NHKは、本件番組の意図は日本の歴史を糾弾しようとするものではないと主張するが、それならばなぜ日本の台湾統治を象徴するものとして「人間動物園」の字幕を付した原住民の写真を採用したのか。また台湾が世界で一番の親日国であることを紹介せず、台湾人出演者のごく一部の日本に否定的な発言のみを取り上げたのか。それをNHKは説明すべき。
―――本件番組を見て、日本の台湾統治について否定的ではなく肯定的な感想を抱いた者がいたとは到底考えられない。台湾統治のマイナス面のみが強調されているからである。
―――もともとこの「JAPANデビュー」というシリーズ番組は、日本が坂を転がり落ちていった変遷をたどるという意図で作成した。戦前の我が国の歴史を坂を転がり落ちるものとして他人事のように描くことが目的。そこには先人の営為についての何の共感も感謝の念も感じられない。
(高許月妹さんに関して)
―――NHKは、「島田ディレクターらは日英博覧会出演者の子孫に取材するため高許月妹らと会ったのだから、博覧会の様子を説明しなければ取材の目的を達せられない」と主張しているが、これがそもそも嘘である。
―――島田らの取材目的は、子孫の顔を写すだけで半分以上達成される。その上その子孫から否定的な言葉を聞き出せればすべての目的を達する。それが島田らがわざわざ高士村に赴いた理由だ。
高士村での番組取材班。右から二人目が島田ディレクター
―――NHKも、高許月妹らが日英博覧会について父から何も聞いておらず、何の知識も有していなかったことを認めており、博覧会についての情報はNHKから得たものがすべてである。そして、島田は、日英博覧会についての説明の中で不愉快な感情を呼び起こすような表現は「見せ物」という言葉だけだった旨明確に証言している。実際は島田はこの言葉を言ってはいないのであるが、百歩譲って言ったとしても、高許月妹は全く理解できなかった。したがって、その「かなしい」の発言は、「見せ物」に反応した言葉であることは全くあり得ないのである。
番組に映る高許月妹さん。父が「人間動物園」の犠牲になっ
たことを「かなしい」と嘆いた、とすべての視聴者は思っただ
ろう。しかしそれが違ったのだ
―――本件番組は、「かなしい」の発言を、取材当時にはNHKにも認識のなかった「人間動物園」についての感想として放送したのであり、これが捏造編集でなければ、何が捏造編集になるのかと問わなければならない。
ーーー原裁判所は、高許月妹の陳述書の内容を全く信用せず、また、(通訳を務めた高許月妹の隣人である)陳清福の陳述書も、台湾からはるばる来てく行った証言も排斥して、一方的に島田の証言を採用するという偏頗な判断をした。
―――そのような裁判所だから、初めから結論を決めて、高許月妹の本人尋問がないことをむしろ幸いとし、仮に高許月妹が陳述書どおりの内容を法廷で陳述したとしても、それを無視しただろう。これは、現時点における控訴人の判断であり、これを暴論という(NHKの)表現こそ暴論である。
―――NHKは、「島田が『かなしい』を悲哀の意味に解したのは理由がある」と主張するが、控訴人は、島田が「かなしい」を一般的な悲哀の言葉と受けとったことを一概に不当と主張しているのではない。この言葉が「見せ物」に関連する感想でないことが明らかであるにもかかわらず、そのように受け取ったという証言が虚偽であることを主張しているのである。
―――そして、この控訴人主張が万一認められないとしても、父が「人間動物園」として展示されたことについての感想として「かなしい」という発言があったのではない、という控訴人主張はNHKでも認めるはずである。なぜなら、取材当時、島田を含めて被控訴人側の者は誰一人「人間動物園」という言葉を知らなかったからである。
―――NHKは、「『かなしい』の発言は、島田が日常の様子を見せ物にした旨の説明をした直後になされた」と述べるが、これは島田の証言に即しても虚偽である。島田は「カメラを回していない場面で(これもとても真実とは考えられないが)、一枚ずつ写真を見せてアルファベットで記載されたパイワン語の名前を読んだりしながら『見せ物』という言葉を発し、その後カメラ位置を設定し直すなどして写真を見せた」と証言している。NHKの答弁書は自らの証言にも反するものである。
島田ディレクターが高許月妹さんに見せた父親の写真。高許さんはこれを見てパイワン語で「かなしい」(懐かしいの意)と言った
(「人間動物園)に関して)
―――NHKは、「『見せ物』に関する説明は『人間動物園』と同趣旨であるから、取材時に使用しなかった『人間動物園』という表現を放送で使用することは許される」と主張するが、これこそが暴論である。「見せ物」と「人間動物園」は全く異なる概念である。
―――NHKは、外国人学者の論文等を引いて、「当時の白人社会では、植民地の人間を動物として展示していたので、日本もそれを真似た」などと説明するが、白人国家が人種差別的催しをしたのならば非難されるべきは当該白人国家であり、日本はそのような試みに追従するようなことはなかった。反対に、人種差別と懸命に戦って来たのが我が国の歴史である。
(島田ディレクターの証言に関して)
―――高許月妹及び陳清福の陳述と、島田の陳述のいずれが正しいかは、取材時の録音録画を提出すれば一瞬にして判明するのである。取材を受けた者がそれを熱望しているのであるから人権を侵害する恐れもない。それにもかかわらず、NHKは裁判戦術上、録音録画を提出しなかったのである。
―――高許月妹及び陳清福は明確な陳述書を提出し、かつ陳清福は高齢の身を押してはるばる出頭して法廷で陳述した。一方、NHK側の島田は不明瞭な陳述書を提出し、言葉に詰まりつつ、異様に丁寧な言葉遣いで、自己の立場を守るだけの陳述に終始した。
―――録音録画を提出すれば、そもそも島田の法廷取調の必要はほとんどなかったのである。録音録画を提出しないという方針を採った以上、事実認定において不利に判断されるのは当然のことであり、もしこれが的外れの主張ということになれば、自己に不利な決定的証拠を隠して供述のみで争う訴訟戦術がまかり通ることになる。
(編集権を楯に取るNHKに関して)
ーーーNHKは、「公平で事実をまげない放送をするという義務は、国民全体に対する公法上の義務であり、個々の視聴者に直接負う義務ではない」と主張する。このような主張が認められるならば、NHKの言う公法上の義務違反があった場合、その責任を問う機関はどこに存在するのか。
―――NHKは報道の自由や編集権を盾に、番組内容を国会の審議の場に乗せることもせず、受信料を支払わされている視聴者の声にも耳を傾けない。その上で、NHKの一部の偏向した反日職員が、思うままに歴史を極端に捏造し、我が先人を愚弄揶揄し、その上台湾人原住民を侮蔑する本件番組を制作したのである。かかる番組を黙視しては、我が国の歴史に大きな汚点を残すことになる、これを許してはならないというのが、控訴人の切実な思いであり、控訴審はこれに沿った判決をすべきである。
尾崎弁護士の反論はおおよそ以上のようなものだった。そのすべてが正論であり、とことんNHKを追い詰めていく感があった。
これを受けて裁判長は、「『見せ物』と『人間動物園』は全く異なるというが、どう異なるのか」「高許月妹の人権侵害にどう繋がるのか」「この問題を『捏造』というだけですべて包むのは適当か」について、次回はもっと説明してはどうかと促し、原告側はそれを受け容れた。
またNHKに対しては「編集権があるとはいえ、(放送時に)『人間動物園』との字幕を画面に被したことの説明の義務をどう考えるか」を述べてはどうかと促し、NHKはそれを受け容れた。
「双方の主張を拝見してから考えたい」と裁判長は述べたが、この人物に良識さえあれば、正しいのは原告の主張の方であるということを、とっくに理解しているはずである。
次回は八月八日。その日に注目したい。
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開廷前、原告側は東京高裁前でNHKや、それを勝訴させた東京地裁を批判する演説会
この日は、番組が日本人の残虐統治を強調するため、一九〇〇年の日英博覧会での台湾のパイワン族の暮らしぶりの展示を、日本による「人間動物園」だとでっち上げようと、島田ディレクターがパイワン族の住む高士村へ出向き、その「犠牲者」である男性(故人)の娘である高許月妹に取材し、「人間動物園」や「見せ物」が行われたことを一切告げることなく、ただ父親の写真を見せて「かなしいね」(懐かしいね)と言わしめ、その「かなしいね」のセリフを、巧妙にも父親が見世物にされたことへの感想の言葉に仕立てて放送したと疑われる問題につき、「島田は高許月妹に『人間動物園』の話はしなかったが『見せ物』にされたという話はした」とし、取材方法に何の非もなかった言い張るNHK側の答弁書に対し、原告側の尾崎幸廣弁護士が反論を行った。
「人間動物園」をでっち上げた「JAPANデビュー」。番組が
これを強調するため、パイワン族の高許月妹さんを欺き、利
用したことがこの日の焦点だった
その内容の一部を要約して下に掲げたい。
(控訴理由に関して)
―――NHKは、控訴理由につき一万人以上の人々が提訴したから本件放送が捏造番組だと裏付けられるという趣旨ならば暴論だと主張するが、控訴人はそのような主張は全くしていない。台湾人を侮蔑する不公平な捏造番組だったから一万人以上が提訴したと主張しているのだ。原因と結果をすり替える手法がNHKの常套手段だ。
―――NHKは、本件番組の意図は日本の歴史を糾弾しようとするものではないと主張するが、それならばなぜ日本の台湾統治を象徴するものとして「人間動物園」の字幕を付した原住民の写真を採用したのか。また台湾が世界で一番の親日国であることを紹介せず、台湾人出演者のごく一部の日本に否定的な発言のみを取り上げたのか。それをNHKは説明すべき。
―――本件番組を見て、日本の台湾統治について否定的ではなく肯定的な感想を抱いた者がいたとは到底考えられない。台湾統治のマイナス面のみが強調されているからである。
―――もともとこの「JAPANデビュー」というシリーズ番組は、日本が坂を転がり落ちていった変遷をたどるという意図で作成した。戦前の我が国の歴史を坂を転がり落ちるものとして他人事のように描くことが目的。そこには先人の営為についての何の共感も感謝の念も感じられない。
(高許月妹さんに関して)
―――NHKは、「島田ディレクターらは日英博覧会出演者の子孫に取材するため高許月妹らと会ったのだから、博覧会の様子を説明しなければ取材の目的を達せられない」と主張しているが、これがそもそも嘘である。
―――島田らの取材目的は、子孫の顔を写すだけで半分以上達成される。その上その子孫から否定的な言葉を聞き出せればすべての目的を達する。それが島田らがわざわざ高士村に赴いた理由だ。
高士村での番組取材班。右から二人目が島田ディレクター
―――NHKも、高許月妹らが日英博覧会について父から何も聞いておらず、何の知識も有していなかったことを認めており、博覧会についての情報はNHKから得たものがすべてである。そして、島田は、日英博覧会についての説明の中で不愉快な感情を呼び起こすような表現は「見せ物」という言葉だけだった旨明確に証言している。実際は島田はこの言葉を言ってはいないのであるが、百歩譲って言ったとしても、高許月妹は全く理解できなかった。したがって、その「かなしい」の発言は、「見せ物」に反応した言葉であることは全くあり得ないのである。
番組に映る高許月妹さん。父が「人間動物園」の犠牲になっ
たことを「かなしい」と嘆いた、とすべての視聴者は思っただ
ろう。しかしそれが違ったのだ
―――本件番組は、「かなしい」の発言を、取材当時にはNHKにも認識のなかった「人間動物園」についての感想として放送したのであり、これが捏造編集でなければ、何が捏造編集になるのかと問わなければならない。
ーーー原裁判所は、高許月妹の陳述書の内容を全く信用せず、また、(通訳を務めた高許月妹の隣人である)陳清福の陳述書も、台湾からはるばる来てく行った証言も排斥して、一方的に島田の証言を採用するという偏頗な判断をした。
―――そのような裁判所だから、初めから結論を決めて、高許月妹の本人尋問がないことをむしろ幸いとし、仮に高許月妹が陳述書どおりの内容を法廷で陳述したとしても、それを無視しただろう。これは、現時点における控訴人の判断であり、これを暴論という(NHKの)表現こそ暴論である。
―――NHKは、「島田が『かなしい』を悲哀の意味に解したのは理由がある」と主張するが、控訴人は、島田が「かなしい」を一般的な悲哀の言葉と受けとったことを一概に不当と主張しているのではない。この言葉が「見せ物」に関連する感想でないことが明らかであるにもかかわらず、そのように受け取ったという証言が虚偽であることを主張しているのである。
―――そして、この控訴人主張が万一認められないとしても、父が「人間動物園」として展示されたことについての感想として「かなしい」という発言があったのではない、という控訴人主張はNHKでも認めるはずである。なぜなら、取材当時、島田を含めて被控訴人側の者は誰一人「人間動物園」という言葉を知らなかったからである。
―――NHKは、「『かなしい』の発言は、島田が日常の様子を見せ物にした旨の説明をした直後になされた」と述べるが、これは島田の証言に即しても虚偽である。島田は「カメラを回していない場面で(これもとても真実とは考えられないが)、一枚ずつ写真を見せてアルファベットで記載されたパイワン語の名前を読んだりしながら『見せ物』という言葉を発し、その後カメラ位置を設定し直すなどして写真を見せた」と証言している。NHKの答弁書は自らの証言にも反するものである。
島田ディレクターが高許月妹さんに見せた父親の写真。高許さんはこれを見てパイワン語で「かなしい」(懐かしいの意)と言った
(「人間動物園)に関して)
―――NHKは、「『見せ物』に関する説明は『人間動物園』と同趣旨であるから、取材時に使用しなかった『人間動物園』という表現を放送で使用することは許される」と主張するが、これこそが暴論である。「見せ物」と「人間動物園」は全く異なる概念である。
―――NHKは、外国人学者の論文等を引いて、「当時の白人社会では、植民地の人間を動物として展示していたので、日本もそれを真似た」などと説明するが、白人国家が人種差別的催しをしたのならば非難されるべきは当該白人国家であり、日本はそのような試みに追従するようなことはなかった。反対に、人種差別と懸命に戦って来たのが我が国の歴史である。
(島田ディレクターの証言に関して)
―――高許月妹及び陳清福の陳述と、島田の陳述のいずれが正しいかは、取材時の録音録画を提出すれば一瞬にして判明するのである。取材を受けた者がそれを熱望しているのであるから人権を侵害する恐れもない。それにもかかわらず、NHKは裁判戦術上、録音録画を提出しなかったのである。
―――高許月妹及び陳清福は明確な陳述書を提出し、かつ陳清福は高齢の身を押してはるばる出頭して法廷で陳述した。一方、NHK側の島田は不明瞭な陳述書を提出し、言葉に詰まりつつ、異様に丁寧な言葉遣いで、自己の立場を守るだけの陳述に終始した。
―――録音録画を提出すれば、そもそも島田の法廷取調の必要はほとんどなかったのである。録音録画を提出しないという方針を採った以上、事実認定において不利に判断されるのは当然のことであり、もしこれが的外れの主張ということになれば、自己に不利な決定的証拠を隠して供述のみで争う訴訟戦術がまかり通ることになる。
(編集権を楯に取るNHKに関して)
ーーーNHKは、「公平で事実をまげない放送をするという義務は、国民全体に対する公法上の義務であり、個々の視聴者に直接負う義務ではない」と主張する。このような主張が認められるならば、NHKの言う公法上の義務違反があった場合、その責任を問う機関はどこに存在するのか。
―――NHKは報道の自由や編集権を盾に、番組内容を国会の審議の場に乗せることもせず、受信料を支払わされている視聴者の声にも耳を傾けない。その上で、NHKの一部の偏向した反日職員が、思うままに歴史を極端に捏造し、我が先人を愚弄揶揄し、その上台湾人原住民を侮蔑する本件番組を制作したのである。かかる番組を黙視しては、我が国の歴史に大きな汚点を残すことになる、これを許してはならないというのが、控訴人の切実な思いであり、控訴審はこれに沿った判決をすべきである。
尾崎弁護士の反論はおおよそ以上のようなものだった。そのすべてが正論であり、とことんNHKを追い詰めていく感があった。
これを受けて裁判長は、「『見せ物』と『人間動物園』は全く異なるというが、どう異なるのか」「高許月妹の人権侵害にどう繋がるのか」「この問題を『捏造』というだけですべて包むのは適当か」について、次回はもっと説明してはどうかと促し、原告側はそれを受け容れた。
またNHKに対しては「編集権があるとはいえ、(放送時に)『人間動物園』との字幕を画面に被したことの説明の義務をどう考えるか」を述べてはどうかと促し、NHKはそれを受け容れた。
「双方の主張を拝見してから考えたい」と裁判長は述べたが、この人物に良識さえあれば、正しいのは原告の主張の方であるということを、とっくに理解しているはずである。
次回は八月八日。その日に注目したい。
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