靖国問題:李登輝氏が見せた遺族の思い―許されざる首相の参拝放棄
2007/08/08/Wed
■外国に言われてやめる気か
昨年の終戦記念日における小泉首相の靖国神社参拝によって、反日マスコミに踊らされる「愚民」層は別にしても、多くの心ある国民は中韓の横暴な干渉を撥ね退けた小泉氏に快哉を叫び、そして小泉氏とともに、静かに英霊に思いを馳せたはずだ。それは当日の参拝者が、近年では最も多い二十五万八千人に達したことからもわかる。
これがどんなにすばらしいことであったか。戦争を知らない戦後生まれが人口の八割を占める今日、反戦平和教育の結果、誰も英霊に関心を持たなくなると懸念されてきた中でのこの参拝者数だ。国の将来のために散華した英霊が、首相以下、国民の目覚め、そしてまごころを、どれほどまでに喜んだことであろうか。
ところが中日新聞の八日配信のニュースによると、「安倍晋三首相は六日、終戦記念日の十五日は靖国神社への参拝を見送る意向を固めた」と言う。その理由として「中韓両国などが強く反対していることに加え、七月の参院選で与党が惨敗し、安倍首相の政権基盤が不安定化していることから、これ以上の政局混乱は避けるべきだと判断したものとみられる」とのことだ。
一方安倍首相は七日、こうした報道を牽制するためだろう、「外国から言われて、参拝すべきでないと言うべきではない」と語っている。
しかし本当に参拝しないと言うなら、「外国に言われたから」と言わざるを得ない。もし「外国」が何も言わなければ、恐らく堂々と参拝することだろう。「政権基盤の安定化」のためにも、進んで参拝をするのではないのか。今や国内左翼が何を言おうと、国民の圧倒的多数は参拝を支持する時代である
■終戦の日の参拝はなぜ「義務」か
たしかに中韓、ことに中国の圧力は相当のものであるらしい。小泉前首相の参拝がたびたび終戦の日を避けて行われたのも、中国に屈した政府部内勢力の猛反対があったからだと聞く。だがそれでも敢えて言いたいのは、安倍首相には国民を代表し、終戦の日に参拝する義務があると言うことだ。
このように言うと一部からは、「春秋二回の例大祭への参拝が重要だ。終戦の日にこだわる必要はない」との異論もあろう。もちろん例大祭には参拝するべきだ。しかし今や終戦の日にも、参拝する必要があるのである。なぜなら、国民がそれを望んでいるからだけではない。何よりも英霊がそれを望んでいるはずだからだ。中韓がその日の参拝を問題視し、そのため歴代首相がその日の参拝を取り止めてきたと言うこの上なき国辱を、英霊がどのような思いで眺めているかを考えろと言うことだ。
■李登輝氏が非難したものは何か
すべての国民は「遺族」の思いで靖国神社をお参りすべきであるが、それと同様に首相もまた、内外の反対者の前では、「遺族」の立場に立って対処すればいい。
六月七日、李登輝氏は亡兄の祀られる靖国神社を参拝したことを思い出そう。李氏はその日、「六十二年間会ったことのなかった兄と会えた」「父は十年前に亡くなるまで、兄の戦死を信じなかった」「靖国神社に感謝する」と涙ながらに語った。
これが戦没者遺族の心と言うものである。李氏は自分の参拝に関し、「政治や歴史に関連付けて見て欲しくない」と訴えたが、それが遺族の真情なのだ。
李氏は参拝の前に記者団の前でこう言っている。
「(靖国問題を)中国や韓国が歴史、政治問題として取り上げるのは、(国内問題を)自国内で処理できないため。(対日カードとして)作り上げられた。それに対し日本の政治はあまりにも弱かった。こういう問題が外国政府に批判される理由はない。自分の国のために亡くなった若者をまつるのは当たり前のことだ」
いくつかのメディアはこの発言を取り上げて「中韓両国を非難した」と報じたが、これはむしろ「日本を非難、叱咤した」と見るべきだろう。
■「遺族」の立場で堂々と当たれ
また李氏は、「(中国の)指導者は何も言っていない。(報道官が)騒いでいることを大きく取り上げるのは間違いだと思う」と、日本のメディアをたしなめた。
これらの発言を、引退した外国の政治家の気楽な発言と思ったら大間違いだ。これもまた、遺族ならではの怒りの声にほかならないのである。
安倍首相もまた、このように言えばいいのである。遺族の心を己が心として、真心を込めて堂々と言えばいいことなのだ。
「私は、国のために尊い命を捧げた戦没者英霊に対し、全国民を代表して心からの慰霊の感謝を行うため、靖国神社を参拝しなければならない。英霊の心を思え。遺族の心を思え。身を慎み、心を鎮め、政治的な批判は一切避けるべきだ」と。
台湾では反日教育を受けた戦後世代を含め、多くが李氏の見せた遺族としての真情に心を打たれ、予想された「親日」「媚日」「軍国主義賛美」と言った正面切った批判はほとんど起こらなかった。同じように日本国民の多くも、そのような安倍首相に心を打たれることだろう。もちろんそれでも反撥する政治家、メディア、一部の「愚民」はいるだろうが、そのときには彼らの醜悪さが、今まで以上にクローズアップされることとなるだろう。
もちろん反中国世論も盛り上がる。そしてそれを見た中国は、いよいよ対日恫喝戦略を見直さざるを得なくなる。日本国民の覚醒によって、中国の「靖国カード」はすでに限界点に達しつつあるからだ。この期に及んで、日中関係の維持など配慮する必要はない。むしろそのようなものは、根底からの見直しを行うべきものなのだ。つまり「外国」の顔色を伺いつづけることに終止符を打てと言うことだ。
目覚めた日本に、英霊のご加護は必ずある。
※安倍首相への参拝要請先(首相官邸への要望受付)
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
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昨年の終戦記念日における小泉首相の靖国神社参拝によって、反日マスコミに踊らされる「愚民」層は別にしても、多くの心ある国民は中韓の横暴な干渉を撥ね退けた小泉氏に快哉を叫び、そして小泉氏とともに、静かに英霊に思いを馳せたはずだ。それは当日の参拝者が、近年では最も多い二十五万八千人に達したことからもわかる。
これがどんなにすばらしいことであったか。戦争を知らない戦後生まれが人口の八割を占める今日、反戦平和教育の結果、誰も英霊に関心を持たなくなると懸念されてきた中でのこの参拝者数だ。国の将来のために散華した英霊が、首相以下、国民の目覚め、そしてまごころを、どれほどまでに喜んだことであろうか。
ところが中日新聞の八日配信のニュースによると、「安倍晋三首相は六日、終戦記念日の十五日は靖国神社への参拝を見送る意向を固めた」と言う。その理由として「中韓両国などが強く反対していることに加え、七月の参院選で与党が惨敗し、安倍首相の政権基盤が不安定化していることから、これ以上の政局混乱は避けるべきだと判断したものとみられる」とのことだ。
一方安倍首相は七日、こうした報道を牽制するためだろう、「外国から言われて、参拝すべきでないと言うべきではない」と語っている。
しかし本当に参拝しないと言うなら、「外国に言われたから」と言わざるを得ない。もし「外国」が何も言わなければ、恐らく堂々と参拝することだろう。「政権基盤の安定化」のためにも、進んで参拝をするのではないのか。今や国内左翼が何を言おうと、国民の圧倒的多数は参拝を支持する時代である
■終戦の日の参拝はなぜ「義務」か
たしかに中韓、ことに中国の圧力は相当のものであるらしい。小泉前首相の参拝がたびたび終戦の日を避けて行われたのも、中国に屈した政府部内勢力の猛反対があったからだと聞く。だがそれでも敢えて言いたいのは、安倍首相には国民を代表し、終戦の日に参拝する義務があると言うことだ。
このように言うと一部からは、「春秋二回の例大祭への参拝が重要だ。終戦の日にこだわる必要はない」との異論もあろう。もちろん例大祭には参拝するべきだ。しかし今や終戦の日にも、参拝する必要があるのである。なぜなら、国民がそれを望んでいるからだけではない。何よりも英霊がそれを望んでいるはずだからだ。中韓がその日の参拝を問題視し、そのため歴代首相がその日の参拝を取り止めてきたと言うこの上なき国辱を、英霊がどのような思いで眺めているかを考えろと言うことだ。
■李登輝氏が非難したものは何か
すべての国民は「遺族」の思いで靖国神社をお参りすべきであるが、それと同様に首相もまた、内外の反対者の前では、「遺族」の立場に立って対処すればいい。
六月七日、李登輝氏は亡兄の祀られる靖国神社を参拝したことを思い出そう。李氏はその日、「六十二年間会ったことのなかった兄と会えた」「父は十年前に亡くなるまで、兄の戦死を信じなかった」「靖国神社に感謝する」と涙ながらに語った。
これが戦没者遺族の心と言うものである。李氏は自分の参拝に関し、「政治や歴史に関連付けて見て欲しくない」と訴えたが、それが遺族の真情なのだ。
李氏は参拝の前に記者団の前でこう言っている。
「(靖国問題を)中国や韓国が歴史、政治問題として取り上げるのは、(国内問題を)自国内で処理できないため。(対日カードとして)作り上げられた。それに対し日本の政治はあまりにも弱かった。こういう問題が外国政府に批判される理由はない。自分の国のために亡くなった若者をまつるのは当たり前のことだ」
いくつかのメディアはこの発言を取り上げて「中韓両国を非難した」と報じたが、これはむしろ「日本を非難、叱咤した」と見るべきだろう。
■「遺族」の立場で堂々と当たれ
また李氏は、「(中国の)指導者は何も言っていない。(報道官が)騒いでいることを大きく取り上げるのは間違いだと思う」と、日本のメディアをたしなめた。
これらの発言を、引退した外国の政治家の気楽な発言と思ったら大間違いだ。これもまた、遺族ならではの怒りの声にほかならないのである。
安倍首相もまた、このように言えばいいのである。遺族の心を己が心として、真心を込めて堂々と言えばいいことなのだ。
「私は、国のために尊い命を捧げた戦没者英霊に対し、全国民を代表して心からの慰霊の感謝を行うため、靖国神社を参拝しなければならない。英霊の心を思え。遺族の心を思え。身を慎み、心を鎮め、政治的な批判は一切避けるべきだ」と。
台湾では反日教育を受けた戦後世代を含め、多くが李氏の見せた遺族としての真情に心を打たれ、予想された「親日」「媚日」「軍国主義賛美」と言った正面切った批判はほとんど起こらなかった。同じように日本国民の多くも、そのような安倍首相に心を打たれることだろう。もちろんそれでも反撥する政治家、メディア、一部の「愚民」はいるだろうが、そのときには彼らの醜悪さが、今まで以上にクローズアップされることとなるだろう。
もちろん反中国世論も盛り上がる。そしてそれを見た中国は、いよいよ対日恫喝戦略を見直さざるを得なくなる。日本国民の覚醒によって、中国の「靖国カード」はすでに限界点に達しつつあるからだ。この期に及んで、日中関係の維持など配慮する必要はない。むしろそのようなものは、根底からの見直しを行うべきものなのだ。つまり「外国」の顔色を伺いつづけることに終止符を打てと言うことだ。
目覚めた日本に、英霊のご加護は必ずある。
※安倍首相への参拝要請先(首相官邸への要望受付)
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