和歌山線13・五条駅
奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に途中下車して訪ねてみる。
今回は、「王寺駅」から12駅目の奈良県五條市の「五条駅」である。
「五条駅」で下車する。
尚、市名は「五條市」であり、駅名だけが「五条駅」のようである。
五條市と云えば、幕末の「天誅組」で知られている所である。
今回はその「天誅組」に関連した遺構を訪ねてみることにする。
「天誅組」は、幕末の騒乱期に大和行幸を計画した朝廷の呼応し、幕府の機関である五條代官所へ討ち入り、幕府領を朝廷直轄地として「五條御政府」を打ち立てた。
しかし、反対派の宮中クーデターにより行幸は中止となり、逆に「天誅組」は朝廷や幕府方から反逆者の烙印を押され、東吉野村で多くの隊士が戦死し、壊滅してしまったのであった。
駅前から右手に商店街があるので、先ずはそれを辿る。
途中で南へ下ると、天誅組隊士「乾十郎」の顕彰碑が建っている。
更に南へ下がると国道24号線へと出る。
それを西方向へ進むと、右手に「桜井寺」の門前へと出る。
「桜井寺」は「天誅組本陣跡」とされている。
西へと進む。
国道24号線と国道310号線の交差点を西へ進み、少し北方向へと入ると「五條市役所」がある。
市役所の道路に面した所に「五條代官所跡」、「明治維新百五十年記念碑」の石碑が建っている。
その西側は「五條小学校」である。
小学校を回り込むと、グラウンドの外側に隊士であった「井澤宜庵宅跡」の石碑が建っている。
井澤宅は元々は小学校のグラウンドにあったとのことである。
国道24号線へと戻り、西へ進む。
「明治維新発祥の地」の大看板が建っている。
「天誅組」の変の翌年(1864年)に代官所がこの地に移設されたところである。
公園状になっていて、坂道を登ってみる。
明治維新や天誅組の石碑が見られる。
正面は「五條代官所」の長屋門である。
左半分は資料館として活用されている。
長屋門の右手は奈良地検五条支部、そしてその右は福祉センターである。
そして、北には金剛山が見える風景がある。
また、長屋門の右手前にはSLが静展示されている。
このSLは我が国で最初に製造された蒸気機関車で8620型という。
和歌山線では、雄大な金剛山麓を走り続け、その勇壮な姿と86型から「金剛・ハロー号」と名付けられたとのことである。
鉄道に関係するSLを眺めたことで、今回の「五条駅」のミニ探索をこの地点で終了したのであった。
今回は、「王寺駅」から12駅目の奈良県五條市の「五条駅」である。
「五条駅」で下車する。
尚、市名は「五條市」であり、駅名だけが「五条駅」のようである。
五條市と云えば、幕末の「天誅組」で知られている所である。
今回はその「天誅組」に関連した遺構を訪ねてみることにする。
「天誅組」は、幕末の騒乱期に大和行幸を計画した朝廷の呼応し、幕府の機関である五條代官所へ討ち入り、幕府領を朝廷直轄地として「五條御政府」を打ち立てた。
しかし、反対派の宮中クーデターにより行幸は中止となり、逆に「天誅組」は朝廷や幕府方から反逆者の烙印を押され、東吉野村で多くの隊士が戦死し、壊滅してしまったのであった。
駅前から右手に商店街があるので、先ずはそれを辿る。
途中で南へ下ると、天誅組隊士「乾十郎」の顕彰碑が建っている。
更に南へ下がると国道24号線へと出る。
それを西方向へ進むと、右手に「桜井寺」の門前へと出る。
「桜井寺」は「天誅組本陣跡」とされている。
西へと進む。
国道24号線と国道310号線の交差点を西へ進み、少し北方向へと入ると「五條市役所」がある。
市役所の道路に面した所に「五條代官所跡」、「明治維新百五十年記念碑」の石碑が建っている。
その西側は「五條小学校」である。
小学校を回り込むと、グラウンドの外側に隊士であった「井澤宜庵宅跡」の石碑が建っている。
井澤宅は元々は小学校のグラウンドにあったとのことである。
国道24号線へと戻り、西へ進む。
「明治維新発祥の地」の大看板が建っている。
「天誅組」の変の翌年(1864年)に代官所がこの地に移設されたところである。
公園状になっていて、坂道を登ってみる。
明治維新や天誅組の石碑が見られる。
正面は「五條代官所」の長屋門である。
左半分は資料館として活用されている。
長屋門の右手は奈良地検五条支部、そしてその右は福祉センターである。
そして、北には金剛山が見える風景がある。
また、長屋門の右手前にはSLが静展示されている。
このSLは我が国で最初に製造された蒸気機関車で8620型という。
和歌山線では、雄大な金剛山麓を走り続け、その勇壮な姿と86型から「金剛・ハロー号」と名付けられたとのことである。
鉄道に関係するSLを眺めたことで、今回の「五条駅」のミニ探索をこの地点で終了したのであった。