はてなキーワード: 読了とは
20代の女であるが、初めてヘアヌードの写真集を購入した。電子で。
恋愛対象は今のところ異性だが、性的な目で見るのはもっぱら女性の裸である。
学生の頃、女性の裸をGoogleで検索して愉しんでいたことを思い出す。(生憎スマートフォンを持っておらず、家族共用のタブレットで見ていたのだが、当時バレてなかっただろうかと今になって不安になってきた)
そうやって女性の裸体に興味津々のまま大人になるも、裸体を見る機会など無く(というよりも、見たとてドギマギすることは無く)今に至るのだが、なんとこの度ヘアヌードの写真集を購入した。
以前AVをちゃんと見た時に感じたのだが、私は生々しいエロにはそこまで興奮しないのだ。
という訳で電子書籍サイトでヘアヌード写真集を物色していたのだが、とてつもなく好みの顔を持つ女の子がいたため、衝動で購入。
そして読了。
素晴らしい体験であった。
彼女のスクエアに整えられたネイルもされていない爪がそっと乳首に触れている写真。それだけで何回か致せた。素晴らしすぎる。腕に押しつぶされゆるやかに潰れる胸。清楚さすら思わせるすっきりとした臀部。薄い腹、抱えたくなる細い腰、鎖骨にかかるストレートな黒髪。そして整えられたアンダーヘアに"女"を感じるのである。あどけなく微笑む彼女の服の下にこんなに神秘的なエロが潜むと誰が思おう?
と、勢いで書いてしまった訳だけども。
Microsoft Officeのwordとexcelのスペシャリストの資格を取りました。結構面白かったので、せっかく覚えたスキルを忘れないためにも出来るだけプライベートでもwordとexcelを活用していきたいです。wordとexcelをプライベートでどのように活用していけば良いと思いますか?何か案を出してください。
とchatgptに聞いてきた。
以下はその回答。
いいですね、その発想はかなり実用的です。資格って「取って終わり」になりがちですが、日常で使うようにするとスキルがちゃんと“使える状態”で定着します。Microsoft Word と Microsoft Excel はプライベートでもかなり応用が効きますよ。
→ 特に「自動計算+可視化」を使うと、Excel力が落ちにくいです。
ここが一番おすすめです。好きなことと結びつけると自然に使います。
ブログ下書き
迷ったらこれが良いです:
→ これ、地味ですがかなり力つきます。
■ 正直なところ
とルール化するといいです。
もしよければ、
ダイエットもしたい。
いい組み合わせですね。ちゃんと設計すれば、Microsoft Excel と Microsoft Word だけで「生活改善+趣味+アウトプット」が全部つながります。
中途半端に手を出すより、“1つの仕組みとして回す”のがコツです。
テーマはこれです:
項目例:
評価(★1〜5)
感想(短文)
視聴日/読了日
「気分(感動・考えさせられる等)」分類
月1で「今月のベスト」をまとめる
運動内容
+重要:
グラフで推移表示
週1で「振り返り日記」
うまくいったこと
崩れた原因
改善策
👉 継続力が段違いで上がる
これ、Excelと相性いいです。
アイテム名
使用頻度
必要度(★)
+応用:
ここが一番大事です。
Word(メイン)
テーマ例:
👉 「考える力」と「書く力」が伸びる
Excel(補助)
書いた本数管理
テーマ一覧
■ ⑤ すべてをつなぐ「週次ルーティン」
これをやると一気に習慣化します。
週1(30〜60分)
月1(1時間)
ダイエット結果振り返り
部屋の見直し
■ 正直なアドバイス
全部完璧にやろうとすると確実に続きません。
Word:週1だけ書く
👉 「続く → 少し足す」が正解です
■ このプランの強いところ
ダイエット → 数値で成果見える
希望があれば、
までかなり細かく作れます。
本稿は、日本のECサイト「楽天」に代表される高密度情報型デザインと、書物文化に見られる静的・省略的デザインとの対照を軸に、現代の情報嗜好と知的傾向の分岐を検討する。
近年の統計によれば、日本では「1か月に1冊も本を読まない」者が6割を超え、読書離れが急速に進行している一方、ECサイトにおける視覚的デザインの工夫が購買意欲を有意に高めることが報告されている。
本論では、これらのデータを参照しつつ、楽天的デザインに親和的な層と、これを忌避する層の間に見られる情報処理様式と時間意識の差異を、読書行為の変容という観点から理論的に位置づける。
デジタル空間のデザインは、単なる視覚表現ではなく、そこに関与する主体の認知特性や価値観を反映する文化的装置である。
楽天市場のようなECサイトでは、価格情報やポイント倍率、キャンペーンバナーなどを画面上に高密度で提示する設計が長らく採用されてきた。
一方、近年のECトレンドとしては、ホワイトスペースを活用したミニマルなレイアウトや「視覚的な疲労を軽減するクリーンなデザイン」が推奨されるなど、楽天的デザインとは対照的な志向も強まっている。
ある調査によると、「1か月に1冊も本を読まない」と回答した者は6割を超え、数年前の調査から大きく増加している。
このような状況は、視覚情報の大量消費を前提とするウェブ環境と、静的・継時的な読書体験との間に、選好や習慣のレベルで断絶が生じている可能性を示唆する。
楽天的デザインの志向原理は、「即時的理解」と「報酬感覚」に集約される。
新規UIについてユーザビリティテストやA/Bテストを反復し、「操作性」と「わかりやすさ」を定性的・定量的に評価する枠組みが整備されていることは、「ユーザーが短時間でお得さやメリットを理解し、すぐに行動できる設計」が企業側にとって合理的であることを示している。
視覚デザインが行動に与える影響については、ファッションECサイトを対象としたオンライン調査が参考になる。
ある調査では、15~69歳の男女100名に対し、「デザインされたページ」と「文章のみのページ」のどちらが購入意欲を高めるかを問うたところ、過半数が前者を支持し、後者は一桁台にとどまった。
この結果は、情報の「量」だけでなく、「視覚的構成」が購買行動を強く規定することを示す。
楽天的知性とはすなわち、こうした視覚的・即時的な情報環境に最適化された判断様式であると言える。
これに対し、書物のデザインは、伝統的に情報量を統制し、余白と行間によって「読者の内的処理」に委ねる構造を維持してきた。
読書離れの進行は、この「時間を要する認知様式」が、スマートフォンやSNSを中心とした即時的情報処理様式と競合し、相対的に不利な選択肢となっていることを意味する。
したがって、「楽天的知性」と「読書的知性」の対置は、単なる趣味嗜好ではなく、情報処理コストと報酬構造の差異に根ざした構造的分岐とみなすことができる。
では、この分岐を超えて、楽天的知性と読書行為を再接続することは可能だろうか。
EC分野の調査が示すように、視覚的にデザインされたページは、文章のみのページに比して明確に高い購買意欲を喚起しうる。
この傾向を読書の文脈に適用するならば、「読書したくなる本のデザイン」を設計する余地があることになる。
具体的には、以下のような方向性が考えられる。
章ごとに要約やインフォグラフィックを挿入し、視覚的な「到達点」を明示すること。
紙・電子を問わず、読了進捗を可視化し、小さな達成感を連続的に与えるUIを導入すること。
QRコードやリンクを通じて、関連資料や動画・図解にアクセスできる多層的テクスト構造を提供すること。
これらは、伝統的な読書観からすれば「楽天的すぎる」異端と映るかもしれない。
しかし、ユーザーの本音や行動データを基にUIを不断に更新していく実務的枠組みがすでに存在する以上、読書体験側もまた、利用者の認知特性を前提とした再設計を回避することはできないだろう。
本稿は、楽天的デザインと読書的デザインの対立を、現代日本における情報嗜好と知的様式の分岐として整理し、いくつかの実証データを通じてその背景を補強した。
「不読率」が多数派となったという事実は、読書行為がもはや自明の文化資本ではなくなった現状を示し、
一方でEC調査は、視覚的に構成された情報環境が行動喚起に非常に強い影響力を持つことを明らかにしている。
「楽天的インテリジェンス」を単に俗流と切り捨てるのではなく、現代の支配的認知様式の一形態として理解し、それに応答するかたちで読書メディアを再デザインすること。
この課題を引き受けるとき、読書文化は「静的知性」と「動的知性」の二者択一を超え、それらを連結するハイブリッドな知的実践へと移行しうる。
kindleで気になる本を見つけるたびに適当に買っていたら、積読ばかり増えてしまった。
読みたい本は沢山あるけれど、いざライブラリを見ても目移りばかりしていたので、
予め読む本を決めてしまった。
すると、このリストを見ると不思議とテンションが上って読書欲が湧いてきた。
3. atomic habits
6. サピエンス全史上
7. サピエンス全史下
10. 21Lessons
仕事に直接関係ある本は必要に応じて読んでいるので、非業務関係の書籍でリストを組んだ感じ。
みんなの今読んでいる本or読む予定の本は?
(追記)
1ヶ月1冊のつもりで12冊挙げたけど、早速進捗遅れているのは見逃して。
性犯罪者が病気なのだとしたら他の犯罪者が病気でない理由は何なんだ、という気分になる
病気だとしたら、応報的に刑罰を科す正当性が消え去るんじゃないのか、とも思う
論点がいくつかあるな……こういうときはさくっとChatGPTに聞く
①性犯罪のみを病理化する説明は、他の犯罪との比較に耐える一貫性を持つのか
②病気モデルは、自由意思・責任・応報という刑罰の前提をどの程度掘り崩すのか
③応報を退けた刑罰は、矯正・治療・再犯防止としてどこまで正当化可能なのか
④回復不能な被害が要求する規範的評価(非難・応報)と、治療・管理中心の処遇が採用する技術的合理性との乖離はどこで回収されるのか
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以下を見て思ったメモ
「『出たら大丈夫そう』と聞くと『またやる気がする」刑務所で性犯罪者に対する再犯防止プログラムに効果の無さを指摘する意見が集まるが、もはや「病気」ではないのか? - Togetter
考えを吐き出してメモしないとずっとそれを考えてしまって他の作業が滞る
禁酒とランニングを始めた時期と激辛を食べられなくなった時期が一致しているが何か関係があるのだろうか
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ふと思ったが、ロボトミー手術について調べると面白いかもしれない
interestingの面白い
薄く関連性があるような 歴史など読みたい 示唆的なものがひょっとしたらあるかも
うーんちょっと違ったか 歴史を読むこと自体は面白いけどちょっとこの話題とは遠かったか
「治療によって治療される人の人権が損なわれる場合、どうなる?」という前例になるかもという予感があったが別の話題だった
なんかロボトミーの話題深掘りしたら再接続するかもだし、他の医療行為とかでこの話ありそうな気がするから別件で調べて本読みたい
もしも治療で不可逆的に人格が変容したのであれば(変容前の本人の同意があったとしても)その人格が消え去るのが居心地が悪いというか もしも連続していないと考えると、それは死刑的性質……言葉が強すぎるが……を持っているんじゃないかというか、みたいな ←化学的去勢は可逆的だった気がするし人格が変容するほど大きな作用は生まないんじゃない?詳しく調べた方がいいよ ←わかっとるわい、調べます、それはそれとして求められる「治療」って究極そういうことにならんか?という言語化できていない違和感があって…… ←その「治療」による人格変容ってカウンセリングや教育などによる「反省/更生」した人格変容と何が違う?
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・ここでいう治療が一見慈悲的なように見えるが、実際は処罰感情からくる刑罰的性質で求められているんじゃないか(「去勢」という強烈な字面)
・もしも侮辱的性質を持つ病気呼ばわりが混じっていたとしたら、実際に病気扱いされると処罰ではなく治療がされるので処罰感情を満たせなくなるのは皮肉な構図では
も気になる
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「言われる相手が重犯罪者だったとしても、他人に対して死刑とか厳罰に処せとか好き勝手言われているのを見聞きするのが嫌だ」みたいな話が私の心の中にあり、誰かに「処罰感情を律せよ」と直接言うと説教でしかないので屈折した形でこのような疑問として昇華されている自覚がある
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「病気によって犯罪行為を行ったとしても、病気であることは完全免責の理由にはならない」という話は当然ある 自分も完全免責になるとは思っていないし 責任能力はグラデーション 何かで見たな……事件当時なんらかの精神疾患があったのは間違いないが犯行に及ぶ判断能力/責任能力は持っていたとみなされたので死刑ではなく無期懲役判決、みたいな事件……たしかwikipediaのページをブクマしていたはず……あとでgrepする……熊谷連続殺人事件か
でもそこじゃなくて自分の興味は刑法における自由意志の話なんだよな ここが論点の①と②に接続する気がする だから性犯罪以外が病気かどうかは実はどうでもいい 自由意志について考えるとっかかりでしかないので
犯罪者を治療が必要な病人扱いというのは、刑法/責任能力を成り立たせる前提の自由意志というフィクションの崩壊に一歩近づく判断なんじゃないのか、という気がして
そのことに意識的になったうえで病気扱いしている?というヒヤヒヤ感というか
この犯罪行為は自由意志によって行われた(人災的)/自由意志でない要因で行われた(天災的) (責任能力は本来グラデーション的だが簡単のため二分する)
に分類できるとして、医学など科学の発展で後者に分類できるそれの割合がどんどん増えていくとしたら、それは厳罰化とは逆の方向なのではないか 心神喪失による無罪とか減刑とかにすら猛烈な反発があるのに
厳罰化の犯罪抑止効果は限定的、という話があるから自分としてはそれはいいんだけど、納得/安心/説得的な説明を人々に行うことができるのかどうか
「自由意志は存在する/しない」のダブルシンクを行えているうちはいいんだけど
まあもちろん自分の認識誤り、ここらへんの理解が全然違う、入門書読み直せみたいな話かもしれない 積読タワーがどんどん増えていくよ~
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自由意志をめぐる葛藤2:学んだ末に迷路。本の紹介など。|手記千号
ここで挙げられた参考文献全部読みたいな~
もっと基礎から体系的に学びたさもある トリビア的に興味があるところだけつまみ食いは後で自分自身を苦しめる
しかし、取っつきやすさもまた重要 前述のnoteで挙げられた、『人が人を裁くということ』が新書で手に取りやすそうだ……kindle無し!
じゃあamazonで「よく一緒に購入されている商品」でピックアップされている『増補 責任という虚構 (ちくま学芸文庫)』を……「2024年9月27日にKindle本を購入」! 積んでた~
今『ローマ教皇 伝統と革新のダイナミズム (文春新書)』を読んでいる最中なのよ 読了するまで待ってくれる? 「いいよ♡」 ありがと♡ じゃあ次に読む予定だった『三位一体―父・子・聖霊をめぐるキリスト教の謎 (中公新書 2866)』は後回しということで…… 「ひどい」
西洋で発展した概念を知るうえでキリスト教的考え方を知っておかないとどうにも腹落ちしないような気がしているので、最終的にはどちらも絶対読むから許して
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決定論/非決定論/応報主義/一般予防主義/特別予防主義/相対的自由意思論/責任主義/時計じかけのオレンジ(注:キリスト教の自由意志概念と刑法の自由意志概念の混同に気を付ける事)
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ChatGPTにこの文章の危うい点を箇条書きにまとめてもらったので以下にメモ
・「治療による人格変容」→「人格の死」「死刑的性質」への連結は比喩が強すぎる可能性。人格の変化・断絶・消滅は別概念。定義を曖昧にしたまま飛ばしている。
・現実の医療・治療の多くは可逆的・限定的であり、「人格を書き換える治療」を仮想的に肥大化させて批判している恐れあり(藁人形化)。
・医学的治療による人格変容と、教育・更生による人格変容の原理的差異を未整理。「何が違うのか」を言語化しないまま直感に寄っている。
・「治療」という語に、処罰感情・侮辱・排除欲求が必ず混入しているかのように扱っているが、社会防衛・再犯防止など非応報的動機まで一括りに疑っている可能性あり。
・自由意志が医学的説明の進展によって一方向的に崩壊するという前提が強い。実際には刑法はすでに相対的自由意志・責任能力のグラデーションを内蔵している。
・全体に、思考実験(極端ケース)と現実制度批判が混線している。「もし究極的にそうなったら?」と「今の制度はどうか?」を分けて考える必要あり。
とっちらかりすぎたので、まとめなおすならどの単位かをChatGPTに聞いた結果をメモ
正直に言う。絵は上手いはずなのに「今、誰がどこで何をしてるのか」が絶望的にわからない不思議な漫画だった。特に作品の大部分を占める戦闘シーンはもはや意味不明で、追うこと自体が苦痛の極致。
ストーリーも構成が練られているというより、その場の思い付きで支離滅裂に積み上げられた印象しかない。全体的に「雰囲気」だけで押し切ろうとしているが、肝心のキャラクターに魅力がなさすぎて、読んでて虚無感がすごかった。
無印の時点でも「面白いか?」と疑問だったが、続編(re)はさらに輪をかけて酷い。ネットの酷評を見て「やはり私だけじゃなかったか」と確信した。この読書体験で得られたのは、完走したという無駄な達成感だけだった。
およそ4年間で3500時間ほど聞いたAudibleを解約、アプリも削除した。
一冊が大体7〜12時間と考えると、300〜500冊ほど読んだ(聴いた)ことになる。
まだ小学校低学年と幼稚園の子どもを抱え、妻は育児で疲れ、基本的な家事は私の担当だ。
仕事から帰りがてら業務スーパーに寄り、手頃な食材を買い、帰宅すると家族の話を聞きながら、座る暇もなく料理をする。
この間に長女の宿題もチェックする。
食事中はゆっくり過ごすが、終わったらすぐ洗い物をし、そのまま子どもと風呂に入る。
子どもたちの明日の用意を確認し、可能なら簡単な掃除をする。そして寝かしつけをする。
子どもの目が覚めてしまい、私と離れたくないとぐずっていても、ここは心を鬼にしなければならない。
ここが一番辛いところだ。
もちろん違反行為なのは知っているが、これから3時まで働く上で、無音は耐えられない。
無音は嫌いだった。
そしてウーバーイーツ。
それらは無音で、死んだ時間だった。
頭だけが空っぽになり、将来のことや借金のことなど、悩んでも仕方のない事ばかり考えてしまう。
そんな無為なことを考えてしまう頭に、物語を詰め込んでくれたのがAudibleだった。
Audibleを使う前、読書とは不安のない学生が行える、特権階級の娯楽なのだと思っていた。
学生時代は読書好きだった私が、家庭を持った後はほとんど本が読めなくなったためだ。
たとえ時間があっても、考えることの多い立場では、頭がざわついて読書に集中できない。
元々Audibleについては否定的だったが、少しでも無為な時間を有意義なものに変えたくて、気まぐれで使ってみたのがきっかけだ。
耳が慣れず、物語の把握に苦労して何度も巻き戻した。
しかしそのうち「どうせ何もできない時間だったものが、こうして読書に使えるのだから、多少読み飛ばしても良いだろう」と開き直るようになると、
不思議とより細かく、詳細に内容が把握できるようになった。
登場人物が多すぎたり、中国の歴史物など、音だけでは漢字名が想像しにくいものは除外するようになった。
またナレーターが下手なら切る。逆に上手ければ原作の評価が微妙でも聞いてみるなど、Audibleの特性を理解していき、徐々にAudibleを本の代用品としてではなく、Audibleそのものとして楽しむようになった。
楽しかった。
死んだ時間だった、退屈な作業が、家事が、ウーバーイーツが、極上の物語を聴ける場へと変わった。
一日中浮遊感が続く、あの心地良い読了感をまた味わえるとは思わなかった。
色々な幸運が重なり、借金がなくなり収入も増えた。ウーバーイーツも引退できた。
お金のことについて悩むことがなくなり、逆にお金を使って更に次の一手を考えられるようになった。
頭は常に、これからどうやって更に収入を増やすべきかとか、元々の趣味だった歴史なんかの話だったりとか、そういうもをぐるぐる考えるようになった。
通勤中や家事の間、からっぽになった頭の中は、そういうことでいっぱいになり、もうAudibleが与えてくれる物語は必要としなくなっていた。
Audibleと、物語を書いてくれた作者、そこに命を吹き込んでくれたナレーターの方々には感謝しかない。
誇張ではなく、なければ病んでいただろう。
ただ耐えるだけの年月に寄り添い、間違いなく、文字通り支えてくれたのだ。
・基本的に図書館に置いてある本は、よい本(最低限ダメではない=司書さんのフィルターが通っているため)である事を、前提とする。著者を信用する。
・本は全部読む必要はなく、中身から必要なものを抜き取って、自分の知識に組み入れて思考を組み立てる
(会話と同じ)
・権威を信じることは必要はないが、彼ら著者はその分野においては私よりも才能か能力か時間を圧倒的に投下してきた人
・自分が何かを知りたいとき、その分野の人に教わりたいことになるが、じゃあ誰に聞けばいいの?ってことになるため、自ら発信している人はとてもありがたい。となる。
・学問系の本(に限らずだが)、思考系の本は、世の中の正解を知りたいというよりも、考える力を付けたいという意味合いが強い
本を読みつつ人と話し続けるのが良いのだろうとは思います
初めにこのことを書かなければならないと思った。
なぜなら本書において三宅香帆は信じられない前提を置いている。
若者は、自分が面白いと思う物や好きと感じることが自分では分からないという前提だ。
だから初めに書く。
私は自分の好きなものや、自分の嫌いなものを確かに自分で判断することが出来る。
その上でこの本は面白くないと感じるし、筆者のことは嫌いだ。
私は23歳の男だ。地元の友人は結婚ないし婚約をしている中で、そろそろ若者としての賞味期限切れを感じつつあるが、若者という立場で文章を書く。
本書で述べられる考察とは何か。
それは既に存在している正解を探す行為であり、そこから与えられる「報われた」という感情が報酬となって流行を見せているという主張が展開された。
変な家、あなたの番です等で正解のある内容を考えることでほっとして安心できる。これが若者の思考であり令和でウケる要素があると書かれた。
そこには正解を当てたという「意味」があり、これがあるからこそ物語を楽しむ時間が無意味であることの恐怖を和らげることが出来る。
だからこそ答えがある場所に、成果が得られそうな場所に集まる。
そうして物語を楽しむという行為が報われるという行為に奪われていくという話だ。
この流れを聞いてどういった印象を受けるだろうか。
何が良いのかも判断が付かず、それらしいものに絡めとられていく様子が私には浮かんだ。
私はこの主張に否を突き付けたい。
確かに若者が好みそうなコンテンツ、作品が計算して作られることはあるだろう。
だがそこに乗っかるのはあくまで自分たちが楽しいから、自分たちが良いと感じるからのはずだ。
ネガティブな感情に追いやられ、そればかりしか楽しめなくなる集団が多数派かのような内容を押し付ける行為は認められない。
一読した部分では分からないことや読み取り難い部分があり、作品に再度触れながら仮説を立てたり根拠を探したりした。
が、それでいい。何故か?
答えを探し求める過程で作品世界への理解が深まり、これまでの自分では気が付かなかった領域が見えたからだ。
そうして感じ取った部分を基に、またもう一度その作品が好きになる。
時間をかけて丁寧に読み、初めに探していた部分とは違った側面がいくつも見えてくる。
この物語は、もしかしたらこういうことを描きたかったんじゃないか。
改めて考察を終えた後作品を振り返ると、それまでとは全く違う姿が見える時がある。
そんな瞬間が楽しくて、考察をする。
人が考察をするのってそういう部分を求めてるからなんじゃないのか?
コンテンツが語らなかった部分を積極的に読み取ろうとすることで、自分の中で新しい物が芽生える。
受動的な視聴とは違う。
自ら生み出す創作とも違う。
それでも自分の行動が挟まる(ように見える)余地があって、自分の手で何かが変わった体感が得られる。
この能動性に考察との共通項があるからこそ、二つが同時発生的に消費者の中で存在感を放つようになったのではないか。
そこには、コンテンツが溢れるようになった時代も関係しているのかもしれない。
ただそこにあるものを消費する営みに疲れ、一歩積極的な行動に価値を感じるようになった。
そんな背景がもしかしたらあるのかもしれない。
ここまで書いたことと、本書で主張されたことは、どちらが正しいのかは分からない。
著者に課せられたハードルはそんな低い物ではないはずだ。
根拠のない持論を重ねること。
何かの作品に対して向けるなら好きにすればいいが、現実に人間に向けるなら話は別だ。
「若者」達に向かって、生き方や接し方を説く。より上の世代に向けて「若者」との接し方を示す。
分析する力も、説得する力もまるで足りてない。
自身のツイートで若者を救いたいと言っていたが、別にあなたは必要とされてない。
彼女がこの本でやっているのは、勝手に問題意識を植え付けることだけ。
ネガティブな像を作り、最終的に自分の提示する方向性に誘導する。
高級感のある情報商材屋だ。イラストをアイコンにしたビジネスブルーバッジがよくやっている。
もっと根本的にだ。仮に考察の目的が正解当てゲームに主眼を置いた物だったとしよう。
ドラマの正解当てばかりに躍起になってるやつ、見たことあるか?
もっと言えば、そもそも考察でそんなに正解に辿り着いているか??
本書の嫌いな部分はこういう所だ。
自分の言いたいことのために、もっと当たり前のことをいくつも無視している。
娯楽に触れる上で最も嫌われるのは「つまらない」ことのはずだ。
報われるだとか、最適化だとか、くだらないことをごちゃごちゃ語るんじゃなくて、シンプルに面白くないことはしたくない。誰だって楽しいことが好きなはずだ。
失敗したくないだとか、何を言っているんだ。
寂しいならお友達が周りに沢山いるだろ。
他人をわざわざ付き合わせるな。
この本は一時が万事そんな調子だ。
根拠になっていない根拠に著者の妄想が乗っかり、あなたはそう思うのかもしれませんね以上に見どころがない話が続く。
さっき書いた考察という行為に対する私の主張も、別に特段の根拠がある訳ではない。
少なくとも私と私の周りにいる人間は物語を愛するために考察をする。
だったら本を書く前に、そんなことをしなくてよいと直接声をかけるべきではないか。
声をかけた結果の対話でもあれば、この本はもっとマシな内容になっただろう。
やけに人気そうな割に話すことが薄いなと思ったし、Kindle Unlimitedで読んだ『好きを言語化する技術』は途中で投げた。
読みづらい上にnoteで書けよみたいな話ばかりで。
正直批判する側に相当アレなやつが多いし、いちゃもんばかりつけられているように見えた(例えば飯田一史のやり方は気に喰わない)。
実際彼女の著書を最後まで読み切った訳ではないから、一冊しっかり読み切ろうと手に取ってみればこのザマだ。
全く言語化について考えたことがない人間には役立つ部分もあるからだ。
そういう悩みを抱えた人間。
これは対象が明確だ。
そういった人々にとって助けになる可能性はある。
noteやYoutubeで探せばもっと分かりやすく深い内容の物があると思うが、それでも本の価値は0ではない。
誰のことを書いている。
様々な作品に、自分の主張を通すために無理やりな解釈を加え続ける。
これでいいと本当に思ったのだろうか。
内容を磨きあげるためにベストを尽くしたのだろうか。
これでいいと思ったのなら、読者を舐めている。
彼女を擁護する者の中に、彼女と同様に「若者」を舐めている者がいないか。
最近三宅香帆の文章を添削するというnoteが話題になった(https://note.com/kyunkyun_p_d/n/n9cc45ed3d74b)。
私の立場を示すなら、必要な指摘と的外れな指摘が混在していると思っている。
確かに三宅香帆の文章は読みづらいと思うが、それはターゲット層の違いもある。
1-の章立てで指摘されてた表現群はちゃんと狙いがあるし、修正前の方が素晴らしい内容だと感じた。
一方で2-、3-の章での指摘な重要な物もある。
彼女の文章は、読み手がおかしな部分を見逃したり、言いたいことを察したりする必要がある部分がそれなりにある。
例えばこれだ。
https://x.com/tsurezure_lab/status/1989617763934244949?s=20
このツイートに載っている表は『考察する若者たち』の冒頭で出てくる。
この表を持って
『そう、ドラマや映画の「ただの感想」よりも「考察」のほうが、いまや人気なのです。』(Kindle 3ページ目から引用)と主張する。
いやそれは違和感ない??
ショートと通常の合計では考察動画の方が多いかもしれないが、じゃあ考察の方が人気なんですねとスッと飲み込むのはやや難しくないか。
別に大したことじゃないかもしれないが、パッと見で違和感ある主張を並べる理由もない。
一つ二つならまだしも全ての章で強引な主張に溢れている。
これ、本当に本を読まない人間向きの本か?
結構な人数が無意識に、本を読まない人間は論理的思考力に欠ける馬鹿だと考えてないか?
本を読まなくとも、論理展開のおかしさに気付ける人は少なくない。
そんな中で適当な内容ばかり書いてある本を目にすれば、むしろ価値がない物として認識される。
雑に作られた形の壊れた文章を、三宅さんはそういうライターだからで済ませるのは、三宅香帆を一番馬鹿にしてるだろ。
アティチュードばかり頭にあって、目の前の良し悪しについて考えることを放棄してないか?(これは彼女の属性だけで飛びついて批判してそうな側にも言える話ではあるが)
何年も書いてる人間がちゃんと考えれば、もっといい内容を書けるに違いない。
彼女周りの人間及びファンダムは、三宅香帆を過度に低く見積っているように見える。
人を舐めるな。
過去に発売された本達は、彼女の名前が残り続けるにふさわしい内容だったのか?
全くそうは思わない。
三宅香帆本人もだが、彼女を過剰に持ち上げようとする人々の方がより嫌悪感がある。
チェックする人間は何を考えているのか?
売り出したいものがあるなら、付け入る隙を減らすように粗は取り除いておくべきだ。
クオリティの低い物が注目を集めれば批判が集まるのは当たり前だ。
彼女に連なる様々な動きが、本を売り出すために仕掛けるプロジェクトだとするなら、シンプルに全ての能力の限界が近いとしか思えない。
本を出版する人間達は、もっと面白くて、真摯な発信が出来るはずだ。
どうしても自然に差し込む方法が思いつかなかったので、趣旨とは外れる部分を書く。
何故か後半は自分語りになってしまったので本当に読まなくていい。
野村克也、日本歴代二位の通算本塁打数を誇る名打者、かつ名捕手として野球の戦術戦略に様々な形を導入した人物でもある。
彼の特徴はと問われて何を答えるかは人それぞれだが、野球の実績以外にも目を見張る点がある。
正しい数字かは不明だが150冊以上の本が出版され、30冊以上が文庫化されているらしい。
通算150本塁打以上を記録した選手は歴代で180人しかいないし、シーズン30本以上打った選手は今年のプロ野球では2人しかいない。
文筆家としても名選手だったと言えるだろう。
強いて言うなら、楽天の監督を辞めた後の時期の本は面白いかもしれない。
大体のルーキーはストレートに魅力があってプロに入ってくるのに田中将大はスライダーにこそ価値があった。
そんな投手は稲尾和久以来だった、みたいな話はめっちゃ面白い。
逆に言えばそれ以外はあまり見どころがない。
ほとんどの本で話が使いまわされていて、見たことがあるからだ。
そんなに人間新しい話が書ける訳がない。
しかも現場から離れていった彼の野球理論は、今読めば正直古かったり間違っていたりすることも多い。
当時でも検証不能であったが故にまかり通っていたが、今から見ればそれはおかしいと言いたくなる話が沢山ある。
それでも本は売れた。それは詳しい内容以上に彼の人間性に惹かれ、言葉を読みたい。
私もその一人だ。内容の是非とは違う所に読む価値を感じていた。
翻って、三宅香帆はどうだ。
連載をこなし出版をこなし、メディア出演も大量も盛りだくさん。
今回の本を読んでとてもそうは思えなかった。
それでも彼女の本は売れる。それは三宅香帆という名前そのものにファンがいるからだ。
とても既視感を覚える。
ノムさんの本に、今はそんなことないなんて言い続けても野暮だろう。
しかしこの2人には大きな違いがある。
それは年齢だ。
現場で戦う人間は自分たちで新しいことを探すし、話しを聞いたとしても大真面目に捉え続けることは少なかったのではないか。
彼女は違う。今まさにど真ん中で社会に変化を与えようとする側だ。
だからこそ、本の内容が稚拙なのが気に入らない。これでいいとは言いたくない。
本から完全に離れた自分の主張を書くなら、寄り添うのはもういいと社会に対して思っている。
それは社会に余裕がある時の振る舞いだ。
今はそんなものは無い。
むしろ人は1人では生きていけない。
だけどいつか人は支えて、人を引っ張り上げる側に行かないといけない。
今の生活はクソだ。
だから今の社会はゴミだなんて話で終わらせようとするのはもっとクソだ。
でもいつまでも弱いままでいることは出来ない。
腹を括って、自分は強くなって自分は勝ちに行くんだと言い切らないといけない。
三宅香帆の本は優しい。
弱いことを肯定する成分が強い内容だ。
そういう部分が共感を呼んでいることも有ると思う。
でもそれはもう遅いと思う。嫌々ながらも諦めて頑張らないといけない。
ノムさんは、プロ野球選手になってから文字通り血の滲む努力を繰り返して成功したという。
それが答えだろう。
ノムさんも三宅香帆も、精神面でもメッセージが強く受け取られている。
金を残すのは三流、仕事を残すのは二流、人を残すのが一流。
考察する若者たちも、読者の感想は最終章への言及がとても多い。
2人とも人を感化しているし、読者は受け取ったメッセージを抱えて行動しようとしている。
本を読んでアウトプットしている主人公たちの姿が楽しそうだったので私もアウトプットします。
まず最初に点数ですが、☆3.5です。
独創的な作品というわけでもなく、読者に影響を与えるでもなく、とりあえず読んでそれなりに面白いぐらいの作品だったので。
私が比較的同系統だと思った作品では『ギャルと本屋』『税金で買った本』がありますが、ギャルは☆3.8で税本は☆4.2です。
ギャルは本に対するキャラクターの熱量が心地よい形で昇華されているのが心地よく、税金で買った本は切り込みの面白さや話のレパートリーそしてキャラ造形の巧みさと手数の多さが非常に豊かなのが評価点でした。
バーナード嬢のよくない部分は展開の単調さがあるように思います。
主要キャラを仲良くさせるか気まずくさせるかで話を転がしたがりますが、読者としては出てきた小説を上手く利用して作品として立体的な奥行きを感じさせて欲しい所です。
特に後半になる連れてタテ方向のストーリー展開である人間模様に頼りすぎているのが良くないですね。
オリジナル小説のくだりも主人公二人へのエモに全振りですが、そこに「キャラの新しい1面を感じる楽しみ」が出ていませんね。
最初に否定から入ってしまいましたが、総じて言えば面白い作品だったのは事実です(私にとっては☆3.1から上が面白い作品のゾーンです)。
最も秀でていたのは題材となる作品選びだと感じました。
全体として話題性と知名度がある作品がピックアップされており、作者のマイナー作品知ってる自慢を始めていないのは間違いない高評価点でしょう。
他作品を引き合いに出す作品の多くが起こしがちな失敗である「作者の個人的な思い入れで全然知られてない作品を高く掲げすぎる」というのがあるわけですが、バーナード嬢においては目立ってそれが引き起こされては居なかったように感じました。
また、ありがちな失敗として「作者が個人的に嫌いな作品を過剰にこき下ろす」というのもありますが、こちらも回避されていたでしょう。
着実に加点を積み上げながら減点を減らした構成は商業作品として非常に良質です。
インターネットの個人サイトやSNSにおける人形劇漫画であれば作者の個人的な体験の過剰増幅が持て囃されますが、商業作品においてはそういったノイズは減らすのが吉でしょう。少なくとも私は商業作品の中で作者の個人的な感想や妄想を爆発させられても困ってしまいます。
さて、ここはネットの片隅なわけですから、私ももっと個人的かつ主観的な語りをすべきですかね。
先程減点を防いでいたと言いましたが、「ありがちな大失敗をしてなかった」という話であって細かい減点は結構あったんですよね。
作品の展開に奥行きは欲しいんですけど方向性は見失ってほしくないんですよ。
たとえるなら、縦横においては4象限のうち1つか2つの範囲にとどめつつ奥行きを上手く使ってその中で色々やってほしいというか。
私はこの作品に対しては「キャラは陰キャだけど気分的にマイナス方向には振れない作品」を期待していたんですよね。
でも時折作者の別作品だと鬱ご飯に該当するようなただひたすらにネガティブな展開だったり悲劇的な場面がでてきたりするんですが、これがNot for meでした。
たとえるなら「甘いパスタを食べることもあるけど、ランチセットのおまかせは絶対にしょっぱいパスタじゃなきゃ嫌だなー」みたいな感じですかね?
求めてないんですよねバーナード嬢のストーリーとしてマイナス方向に気分が振れた展開って。
この作者の筆から産まれた鬱成分は鬱ご飯とかで取ってきゃ良いと思ってるわけで。
たとえるなら「ミスドに中華まんが売っててもいいけど、何気なく買ったドーナツが見た目に反してしょっぱくてスターアニスばっちりだとそれは違うよね」みたいな感じですかね?
んで、結局そういう話が出てきちゃうのって作者の引き出しの不足のせいなんじゃないかって思うんですよね。
そもそもこのキャラ造形でシリアスな話とか無理なわけですよやっぱ。その辺はこういう人物像で行くぞと決めた時に覚悟を終わらせておいて欲しかったなと。
んでまあまた最後に褒めるんですけど、ほのぼのとくだらん読書エアプトークやらせる分にはこの4人ってベストなんすよね。
キャラが多すぎないおかげで「その回の物語や本の比率」が下がりすぎないっていうか。
キャラが10人も20人もいると「このキャラはこのシチュエーションでどう動くでしょう大喜利」みたいになってキャラ中心になりすぎる。
バーナード嬢は「この本(や状況)をエアプと偏屈マニアに語らせたらどうなる?」っていうテーマでずっと回っていて本やシチュが中心からはずれないようになってるわけですよ。
この作りを100話以上動かさずにやってるのは誠実だなと。
まあだからこそ、各々のカップルが進展することばかりが話の中心に来てると「シチュエーションコメディとしてのプライドはないんか💢」と不愉快な気持ち側行くてくるわけですよね。
うん、結局私がこの作品を評価しているのは「シチュエーションコメディとしての軸がしっかりしている」という所であり、少し評価を下げているのは「せっかく作った軸を自分でブラしていることがある」って所なんですよね。
「軸を安定させたままで多様な展開をやればもっとよかった」と勝手なことを言うには全128話は長いんだろうなと思いはしますがそれは俯瞰的な意見。主観的には「もっとドーンと構えてられるように引き出し増やしてくれや」が感想ですわ。
歌野晶午著の長編推理恋愛小説(2003年刊行、文藝春秋)。第57回日本推理作家協会賞、第4回本格ミステリ大賞を受賞するなど、数々のミステリ賞を総なめにした名作。表向きは中年の元探偵と女性の恋愛物語に見えるが、叙述トリック(読者の誤認を誘う描写手法)を駆使したどんでん返しが最大の見どころ。物語は過去と現在を交錯させ、保険金詐欺や不正受給の犯罪を軸に展開。タイトル自体がトリックのヒントで、「葉桜の季節」(桜の散った時期=人生の晩秋、つまり老境)を示唆し、登場人物の年齢を若く誤認させる仕掛けが秀逸です。
#### 主要登場人物
- **久高隆一郎**: 愛子の祖父。さくら(節子)が蓬莱倶楽部の指示で殺害に関与した被害者。
- **世羅元輝・田辺賢太・小暮明里**: 将虎の過去の探偵仕事(ヤクザの覚醒剤密売事件)に関わる人物。世羅の殺害事件がフラッシュバックで描かれる。
- **蓬莱倶楽部**: 悪徳霊感商法集団。高額な「霊水」(ただの水)を売りつけ、借金漬けにした被害者を保険金詐欺に利用。
物語は非線形に進行し、将虎の視点を中心に過去(50年前のヤクザ事件、2年前のパソコン教室、1年前の安藤自殺)と現在が交錯。読者は将虎やさくらを30-40代の若者と誤認するよう誘導される(例: 性描写、トレーニングシーン、デジタル機器の扱い方)。
将虎はフィットネスクラブで汗を流す日常を送る。後輩の清から、愛子の相談を持ちかけられる。愛子は祖父・隆一郎の轢き逃げ事故が、蓬莱倶楽部の保険金詐欺によるものだと疑い、将虎に調査を依頼。将虎は元探偵の見栄を張り、引き受ける。
帰り道、地下鉄駅で自殺を図るさくらを助け、連絡先を交換。二人はデートを重ね、急速に惹かれ合う。将虎はさくらに過去の探偵エピソード(ヤクザの覚醒剤密売事件で世羅を殺した小暮の自殺)を語り、さくらは将虎の優しさに心を開く。さくらは実は蓬莱倶楽部の被害者で、借金返済のため倶楽部の指示に従っていた。
2. **中盤: 調査の深化とフラッシュバック(過去と現在交錯)**
- **蓬莱倶楽部調査**: 将虎と清は埼玉の本庄にある倶楽部の無料体験会に潜入(妹の綾乃とその孫・美波が囮)。事務所から電話番号を入手し、詐欺の実態を暴く。倶楽部は高額商品を売りつけ、借金被害者を「偽装結婚」や「保険金殺人」に利用。隆一郎の事故は、さくら(節子)が倶楽部の指示で轢き逃げしたものだった。
- **安藤の過去(1-2年前)**: 将虎はパソコン教室で安藤と知り合い、娘・千絵の写真を撮る依頼を受ける。安藤は自殺し、将虎は遺体を山に埋め、安藤の年金・保険金を不正受給。毎月、千絵に匿名送金している。将虎自身も過去に離婚し、娘を失ったトラウマを抱える。
- **さくらの正体(フラッシュバック)**: さくらは本名・古屋節子。買い物癖で借金を作り、蓬莱倶楽部に嵌められる。倶楽部の指示で隆一郎を殺害(保険金目的)。次なるターゲットとして、将虎の持つ「安藤の保険証」を狙うが、将虎を安藤本人と誤認(将虎は安藤の身分証を使っていたため)。さくらは将虎に近づき、偽装結婚を画策。
さくらは将虎の保険証を盗み、偽装結婚を強行。自分の生命保険の受取人を「さくら」に設定し、将虎の自殺を誘う(保険金詐取)。しかし、将虎はさくらの本性を察知。将虎の生命保険の受取人が実は「さくら」になっている事実が発覚(将虎がさくらを本気で愛したため)。
蓬莱倶楽部のボスが逮捕され、さくらの過去の犯罪(複数回の不正受給、隆一郎殺害)が明るみに出る。将虎は安藤の身分を明かし、さくらに「本当の自分」を告白。さくらは将虎を愛するあまり、詐欺計画を断念。
これらのトリックが連動し、再読を促す構造。賛否両論あるが、「綺麗に騙された」と絶賛される理由です。
#### 結末
さくらは逮捕を免れ(将虎の証言で情状酌量)、将虎と本物の恋に落ちる。将虎は安藤の身分を清算し、千絵に真相を告白(彼女は将虎の送金を感謝)。愛子と清は結ばれ、蓬莱倶楽部は壊滅。
最終シーンは、葉桜の季節。将虎とさくらは老いた体で寄り添い、「君を想うということ」を実感。感動的なハッピーエンドだが、犯罪の代償を背負った切ない余韻が残る。恋愛とミステリの融合が、読者の心を掴んで離さない。
でも、高校生になる頃には「最近のアニメおもんないなぁ…」が始まり、自然と見なくなった。
それからしばらく、アニメからは完全に離れ、YouTubeで動画見たり、漫画の世界にいった。読んでる漫画がアニメ化しても興味がなく、逆にアニメ化した漫画を買って読んでた。
だが、今度は「漫画おもんねぇな…」が始まった(主な原因は更新の遅さだが)。でも、オタク心というか、創作を読みたいエネルギーが止まらず、今度はソシャゲに手を出した。
ややRPG味のあるゲーム性と、いつでもストーリーを読めるのが快適で、とにかく次々にインストールして、シナリオを楽しんだ。でも、それだけだと足りなくなった(ストーリーの更新遅すぎる)。
そこで、俺は昔好きだったアニメたちを思い出した。「小説は楽しめない」という思い込みでハードルが高く、ラノベに手を出してことはなかったことを思い出しつつ、書店で一番好きだったアニメの原作を購入。
長いオタク活動で培われた想像力のおかげなのか、文字だけのはずなのに情景が思い浮かぶ。アニメと同じように楽しめた。それから、面白いと思ったアニメや、アニメのその先が気になっていた作品のラノベを買いまくった。
次は何に手を出そうかと悩み中。
気になってるのはゲーム。
ポケモンとモンハン、マリオ、マイクラはシリーズずっと触れてきたが、最近出たメタルギアとか、有名どころでFF、バイオとかも全く触れたことない。
インディーゲームは、配信者の影響でチェックして触れることはある。
お前らは電子書籍を使って「本を読んでいる」と胸を張っているが、その実態は電子スクリーンに映された文字をなぞっているだけだ。
まず、ページをめくる感触を思い出せ。
それを捨ててタップひとつで次のページに飛ぶなんて、本当に本を楽しんでいると言えるのか。
電子インクの表示が紙に似せていると思っているなら、笑わせるな。
表示はしょせん反射型ディスプレイの真似事にすぎない。
お前らは自分好みに調整できることをありがたがっているが、そんな自由度は本来不要だ。
著者が想定した行間と文字サイズには、文章のリズムを保つための微妙な計算がある。
お前らが勝手に設定をいじって、リズムを崩して何が得られるというのか。
本を味わうというのは著者とデザイナーが紡いだ「読みやすさの設計」そのものを体感することではないのか。
重要な一節にペンを走らせる行為をお前らは電源を入れた指先でなぞる。
物理的に線を引き、そこに残る跡にこそ「学びの証」が宿るのだ。
データとして蓄積されたハイライトログに、一体どれほどの重みがあるというのか。
過去に戻って、その跡を辿ることはできない。
指紋のように消えないマーカーでしか、あの瞬間の気持ちは蘇らないのだ。
SNSの更新、ニュースの速報、メールの着信。お前らはいつでも割り込みを許可して読みかけのページを離れてしまう。
紙の本ならば通知も音もなく、静寂の中で思考は深まる。
だがKindleはその静寂を蹂躙し、お前らの集中力を根こそぎ奪う。
読書とは思考の連鎖を止めないことであり、その連鎖を断ち切るのは言語の冒涜に等しい。
それでもお前らは言うだろう。「何百冊も持ち歩ける」「暗闇でも読める」「辞書引きが楽だ」と。
だが、そのために失ったものは何かを考えろ。重くてかさばる紙の本を背負い、読了の達成感とともに本棚に並べることで芽生える誇り。
読み返したい一節を探すときに手が覚えている――その感覚を失えば、読書はただの情報消費で終わってしまう。
お前らは本当に読者なのか。
それを自問しろ。もし本を愛し、本を支え、本の重みを理解したいなら、今すぐKindleを消し、本棚に足を運べ。
そして一冊の紙の本を手に取り、その匂いと手触りを感じながら最初の一頁をめくる。
それでもなおお前らが「便利さ」を選ぶなら、せめて静かな部屋に閉じこもり、通知を切り、本を読むという行為に集中しろ。
だが、やはりそれでも足りない。