はてなキーワード: 漢民族とは
こんにちは、日本在住の台湾人として、この投稿にお答えしたいと思います。
まず、「台湾って本当に国なの?」という問いですが、台湾(中華民国)は1949年以降、独自の政府、憲法、軍事を持ち、民主的な選挙で選ばれた指導者によって統治されています。国際法上「国家」とは、領土、国民、統治機構、そして他国との関係を維持する能力を備えているかどうかが基準とされますが、台湾はこれらを満たしています。私にとって、そして多くの台湾人にとって、台湾は紛れもなく「国」です。
次に、「民族的には本土の中国人と全く同じで独自の歴史的な文化の違いとかもない」とありますが、これは少し誤解があります。確かに漢民族が大多数ですが、台湾には独自の歴史があります。例えば、17世紀にはオランダやスペインの植民地となり、その後、清朝、日本統治時代を経てきました。特に日本による50年間の統治(1895-1945)は、インフラ、教育、文化に大きな影響を与え、現代台湾のアイデンティティの一部となっています。さらに、原住民族(約2%)の文化も台湾の多様性を形作っています。本土の中国とは異なる道を歩んできたことで、価値観や生活スタイルにも違いが生まれています。例えば、台湾は自由と民主主義を重んじる社会ですが、中国は一党独裁体制です。
「アメリカの都合で生き残ってきた反中国勢力」という見方については、確かに冷戦期の地政学的な状況が台湾の存続に影響を与えたのは事実です。でも、それだけじゃない。台湾の人々が自分たちの生活や自由を守るために努力してきた結果でもあるんです。現在の台湾は経済的にも自立しており、世界有数の半導体産業を持つ国として、グローバル経済に貢献しています。
「アメリカが台湾を見捨てようとしている中で日本が台湾の主権を尊重する必要があるのか」という点ですが、日本と台湾は地理的にも近く、経済的・文化的な結びつきが強いですよね。台湾海峡の安定は日本の安全保障や貿易にも直結します。中国が台湾を武力で併合すれば、東アジア全体のバランスが崩れ、日本にも影響が及ぶ可能性が高いです。台湾を「差し出す」ことが中国を大人しくさせる保証はどこにもありません。逆に、歴史を見れば、譲歩がさらなる要求を生んだ例は多いです。
最後に、「歴史的に台湾が中国に属してきたのは事実」という主張ですが、これは一面的な見方です。清朝が台湾を統治したのは1683年から1895年までで、それ以前は原住民族の土地でしたし、その後も日本統治や中華民国としての独自の歴史があります。中国共産党は一度も台湾を統治したことがないんですよ。
私は台湾人として、日本に住む中で、日台の友好関係や相互理解が深まることを願っています。歴史や現状を踏まえつつ、フラットな視点で考えてみてもらえたら嬉しいです。長文失礼しました!
「中国(中華人民共和国ではない)」という条件を踏まえた上で、歴史上の台湾のタイムラインを示します。ここでは、中国大陸の政権(中華民国・清・明など)との関わりを軸に整理します。
• 漢民族の影響は限定的で、中国の正史にもほとんど言及がない。
• 13世紀: 元朝(1271–1368)時代、福建や広東の商人が台湾沿岸に渡航。
• 15世紀: 明朝(1368–1644)期、台湾は「東番」と呼ばれ、密貿易の拠点に。
• 16世紀後半: 中国南部の密貿易業者や漁民が定住を開始。
• 1624年: オランダが台湾南部(台南のゼーランディア城)を拠点に支配。
• 1626年: スペインが北部(基隆・淡水)を占拠するが、1642年にオランダに駆逐される。
• 1661年: 鄭成功(国姓爺)がオランダを駆逐し、明の亡命政権「東寧王国」を樹立。
• 1683年: 鄭氏政権が清に降伏、台湾は清の版図に入る。
• 1684年: 清朝が台湾府を設置し、中国本土の一部として統治開始。
• 18世紀~19世紀: 漢民族の移住が急増、台湾の漢化が進む。
• 1885年: 台湾が清の「福建省」から独立し、「台湾省」となる。
5. 日本統治時代(1895–1945)
• 1895年: 日清戦争後、下関条約で清が台湾を日本に割譲。
• 1895~1945年: 日本統治下でインフラ整備・産業化が進む。
• 1945年: 日本の敗戦により、台湾が中華民国に返還される。
• 1949年: 国共内戦の結果、中華民国政府が台湾へ移転。台湾が「中国(中華民国)」の拠点となる。
• 1950年代以降: 中華民国は台湾を実効支配し、独自の発展を遂げる。
• 1971年: 国連での「中国の代表権」を中華人民共和国が獲得、中華民国は脱退。
このタイムラインは、「中国(中華人民共和国ではない)」という前提のもと、中華民国・清・明などの政権との関係を整理したものです。台湾の歴史は多層的で、先住民の歴史や日本統治の影響も含めて考えると、さらに深い議論が可能です。
明は当時末期状態で農民反乱が組織化されて易姓革命の危機にあった。
呉三桂は中国の国境近くでその頃勃興していた満州民族の押さえとして重要な要塞を守っていた。
ところが北京が反乱農民の組織によって占領されて皇帝は殺されてしまった。
反乱軍は新しい王朝を立て、呉三桂も服属するように求められた。
そこでの呉三桂の対応がふるっていて、なんと呉三桂は国境を開いて敵だった満州族の軍隊を招き入れともに北京に攻め上り新しい王朝を打ち破ってしまった。
呉三桂は清成立の勲功第一ともいえることから非常に優遇され太守として奉じられ半ばその領土は独立国家のごときであった。
しかし、清の三代目の皇帝はそのことをよしとせず、呉三桂が持っていた既得権益を次代には継承させないと決めてしまった。
異民族から中国を取り戻し、漢民族による王朝を復帰させよう!と呼びかけたもののうまくいかず自らはその乱の最中命を落とすことになる。
中国で女性の姉妹が少ない理由は、一人っ子政策で、女の子が産まれると赤ん坊の内に殺すか捨てるかしてたからなんだよね。
映画『一人っ子の国(One Child Nation)』を観ると、そのエグい実態が良く分かる。
乳児を数万人殺処分した産婆さんが国から勲章もらってるんだから。
一人っ子政策時代でも罰金払えば二人目を産むこと自体はできたから姉がいる家庭は珍しくなくても、罰金払ってまでわざわざ妹は作らないから妹は中国でレアキャラ
一人っ子政策でなくても、中国人...というか漢民族は男子しか一族を継承できないので、産まれる子が男の子にこだわる。だから台湾その他世界中の華僑社会でも、兄弟が多い場合は男ばかり、もしくは末っ子は男で上は姉ばかりというパターンが多いと思います。あるいは男の子を諦めて女ばかりとか...
あながちまちがいではない
日本人祖先の「3系統説」、従来の定説に修正迫る ゲノム解析で進化人類学は「人類、日本人の本質」を探究
https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20240724_e01/
沖縄県・宮古島の古代日本人や韓国三国時代(4~5世紀)ごろの古代韓国人に近かったという
日本人の祖先誕生はやはり弥生時代? ゲノム分析、渡来人ルーツ解明
https://www.asahi.com/sp/articles/ASSBQ32N7SBQPLBJ004M.html
弥生人は遺伝的な特徴は古墳人に最も近く、次いで現代日本人、古代韓国人、現代韓国人の順に近縁だった。
すでに弥生時代に、東アジア系と北東アジア系のゲノム成分をあわせ持つ渡来人が縄文人と混血し、現代日本人の祖先となったという従来説の「二重構造モデル」を支持する。
漢民族の遺伝子が半島で混ざったのか列島内で混ざったのか様々な意見はあるが、我々が半島からやってきたことは完全なる定説だ。
日本人祖先の「3系統説」、従来の定説に修正迫る ゲノム解析で進化人類学は「人類、日本人の本質」を探究
https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20240724_e01/
北系も縄文人との遺伝的親和性が高く、沖縄県・宮古島の古代日本人や韓国三国時代(4~5世紀)ごろの古代韓国人に近かったという