はてなキーワード: ジャーゴンとは
自称リベラルとかいう、暴力性が高いくせに意識高そうな自己演出で己の加害性をリベラルジャーゴンで隠そうとして隠せてない、貧乏人と低学歴の直面する現実への理解も共感も想像力もなく嘲笑の対象にすらするも関わらずに多様性とか助け合いとか美辞麗句だけは言ってくるカスみたいな連中。科学的な知識や思考法を持たないので、全ての技術的な問題や社会システム的な問題を倫理とかモラルの領域に絡め取って、倫理的ポリコレ的神の視点から全てを断罪して倫理的優位な立場を確保できると思い込んでるカスのような連中。泥臭い現実の問題にコミットするつもりがない権威主義者。宗教改革以前の教会権威みたいなもの(ポリコレ)を信奉し布教し異教徒や自由な表現や反対意見を弾圧するカスどもがリベラルを自称するとか、失笑するわ。
TM NETWORK史上最も重要なGet Wild 10選
https://anond.hatelabo.jp/20241028143457
でブコメに
といういつものジャーゴンがついていたので、えっ、Get Wildごときで聞き分けが出来ないの?じゃあ、こっちだとどうなんだろ、とおもって書いてみたGetWild増田です。
Pizzicato Fiveは本格的にファンになったのは95年ごろだけど、それ以前も周りの友人にファンがいたり、学校帰りに当時のHMVに通っていた渋谷系世代なので基本的な流れはだいたい抑えられているはず。
こちらも選考基準は独断と偏見だが、TMと違ってPizzicatoは再結成をしていないので、歴史的には解散以降の方が長くなるので、Pizzicato Fiveとしての音源はフォローできるだけしておく。
Get Wildと違って1枚にまとまった作品集はないけど、検索すればそれなりに出てくると思うので、必要に応じて聞き比べを。
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
オリジナルバージョンはもともとフジテレビ系で始まった「ウゴウゴルーガ2号」のオープニングテーマとして作られた。曲名は矢野顕子からの引用。小西康陽曰く「放送が7時からだからこのタイトルを引用した」とのこと。オリジナルバージョンは実は小西ではなく福富幸宏の編曲によるハウスミュージック。とはいえ、この時期のPizzicatoの諸作はマニュピレーターとして小西氏をサポートしていた福富氏なので、他の曲とがらっとバージョンが違うわけでもない。イントロのピアノのグリッサンドのようなアルペジオや「A New Stereophonic Sound Spectacular」というサンプリングなど後々の小西氏のシグネチャーサウンドがちりばめられている。個人的にはこのバージョンのサビに使われるシンセの「テッテッテッテテーテ」という音が好きなのだが、意外と他のバージョンでは使われていない。
シングルのカップリングバージョン。音が当時のニューヨークハウスっぽい。もともとそれなりに長い原曲だがこれはさらに長く8分ほどある。1ループのフレーズを繰り返してボーカルだけ残すこのパターンはいかにも当時の向こうのR&B曲のハウスミックスって感じでかっこいい。フィンガースナップの音とか時代だなあと思う。途中からオルガンのアドリブが入って自我が芽生えたみたいな感じなのもよい。一番DJ向きなバージョンでDJミックスのCDなどにはこれが入ってることがわりとある。
「ウゴウゴルーガのピチカート・ファイヴ」が初出のリミックスバージョン。mfsbというリミックス名がわかる通り、原曲のニューヨークハウスをフィリーソウル風にアレンジ。一番生音っぽいバージョンなのとブラスやストリングスの入り方など非常に華やかなバージョンなのでこれが一番好きな人が多いと思う。「デデッデデッ」というストリングスのアタックが非常に気持ちよく、後々のカバーでも割と参照されている。原曲にもあったピアノのグリッサンド風のアルペジオや「A New Stereophonic~」のサンプリングなども効果的に使われていてこっちが原曲だと思ってる人も多そうなくらいによい。一番人気のあるベスト盤Pizzicato Five JPNにもこのバージョンが収録されている。
実はこの前後で、Pizzicato Fiveは長年共にした高浪が離脱し、小西と野宮の二人になる。それを反映したアルバムOverdozeは結構シリアスなトーンであり、そこに収録された東京は夜の七時もその不安感を反映した10分超えのニューバージョンとなった。福富がアレンジをしてるのは同じだが、なんかサウンドの取り方が日本の90年代ハウスっぽくなってる。いや日本の曲なんだが。そしてここまで書いてこなかったが東京は夜の七時は華やかな曲調のわりに歌詞はかなり冷たい都会の不安感を表したような曲なのだが、それがさらにクローズアップされたような歌詞に変更されている。正直、この曲名とメロディにこんな不安定な歌詞ありかよと思わせる。今だったら大森靖子が書きそうな歌詞。
2001年の解散時にでたベスト盤 Pizzicato Five R.I.Pに収録されたニューミックス。リミックスは小西が当時使ってたDJよしお名義でリミックスしている。変則的なブレイクビーツや不安感のあるシンセパッドを使ってたり、当時を思い返すと、小西さん完全に解散したくてたまらなかったんだろうなと思わされるリミックス。途中途中で時報の声が入ったり不穏すぎる。なんか全体的にせわしない。
ここからは解散後のカバーなど。小西氏がreadymade internationalの運営に本格化していく中で、新たなミューズとなったのが野本かりあ、というか外部目線的には、小西は本当は野宮を首にして第4代目ボーカリストとして野本を起用したかったんだけど、Pizzicatoのパブリックイメージが野宮になっていたのでレーベルなどから拒否されたんじゃないかと思えてならない。これも世相に合わせて歌詞を変えている。アレンジは前のバージョンからかなりアップテンポの4つうちになってる。このバージョンのマニュピレーターは吉田哲人。野本はもともとテクノ好きだったらしく、その意思を汲んだのかけっこうハードテクノっぽいリズム。小西はこのバージョンがお気に入りらしく、自分がDJするときはこれをかけることが多い。ちなみに故KAGAMIのリミックスもある。この辺の東京テクノ人脈とreadymade周辺はもっと接近した方がよかったと後から思う。
ソロ活動が割と自身の渋谷系パブリックイメージの再生産状態になっていたようにはたから見えていた野宮が「東京は夜の七時の盆踊りバージョンを出す」というニュースを聞いたときの、往年のファンの複雑な心境を想像してほしい。というかその企画、小西はよく許可したなと思った人が大多数だろう。俺も思った。もともと、ケイタマルヤマの「おしゃれ盆踊り」という新宿伊勢丹の屋上でやる盆踊り企画のために作られて、そこで披露されたらしい。いちおう振り付けもある。狂気か。Get Wildですら盆踊りはないぞ。まあそういったこともあるので、僕は全く聞く気が起きなかったのだが、今回の記事のためにはじめてちゃんと聞いてみるとこれはこれでよいのではという複雑な心境になってしまった。というかアレンジが良く出来すぎている。なんだこれ、モダン盆踊りの傑作かもしれない。しつこく入る「いよーっ」という掛け声が今の時代だとすゑひろがりずを想像させすぎて勘弁してほしいが。
2016年のリオパラリンピックの閉会式で披露され、ぼんやりTVを見ていた渋谷系好き中高年の度肝を抜いたカバーバージョン。椎名林檎が歌詞を大きく書き換え、編曲も行い歌は浮雲こと長岡亮介。歌詞の変更は小西と何度もやり取りしたと言われてる(含みを持たせる言い方)。東京のプレゼンテーション的な曲調になっていてかなり感動をさそう内容のプレゼンテーションだった。五輪関係は権利が色々がんじがらめらしく正式な音源リリースはない(※追記: そうだよね?配信されたという話もあるが見つからなかったので)。東京は夜の七時という曲をJ-POP史上にリプレゼンテーションした作品という点で、この曲のファン的には感謝したい。
小西が2018年に久々に野宮とコラボした少林兄弟バージョンを入れようかと思ったが、個人的な好みでこちらを。韓国人のシティポッププロデューサーNight Tempoを起用したバージョン。Pizzicato Fiveのオリジナルバージョンをしっかりと参照したバージョンで正直複雑な心境になるくらいによい。ほとんどのカバーやリミックスがmfsbを参照していると思われるのに対し、原曲を参照しているというのが興味深い。Night Tempoは言動やシティポップをめぐるあれこれもあって、あまりよく思わない人が一定数いる、かつ、おそらく旧来のPizzicato ファンにはそういう人が多そうだが、この90年代ハウスな音は原曲への深い理解があると脱帽せざるを得ない。全東京は夜の七時の中ではトップ3に入るくらい好き。
順序は前後するがなんとなくこれが最後がおさまりが良さそうなので。「井上順のプレイボーイ講座12章」に収録されたジャズインストゥルメンタルバージョン。もともと「円楽のプレイボーイ講座12章 / 前田憲男とプレイボーイズ」というアルバムがあり、それの現代版として作られたアルバムで井上順のナレーションが乗ってる。(いちおうナレーション無し版もある)軽音楽的なジャズインストでクリーンなトーンのギターの音が良い。そして気づいた人も少ないかもしれないが東京オリンピックの閉会式で使われている。つまり浮雲版と対になってる作品である。
ということで、また書いてみました。
ほんとはあと数曲(特にカバー曲でヴァニビとかを)入れたかったのですが、泣く泣く断念。
個人的には東京は夜の七時はPizzicato Fiveの曲では好きな曲としては6位くらいなので、そこまで思い入れはないです。
https://anond.hatelabo.jp/20210822212233
改めて違和感覚えるほど、またより適する表現が求められるほど、家父長制という言葉がこんにち現役で使われてるかは疑問だが。
そういえば「それっぽいもの」はたくさんあって、普段はなんとなくそれらを一緒くたにしがち。
ざっと数え上げてみたらそんな感じかと思うが正確性は保証の限りではない。
うっかり家父長制って言いながら家制度の話してたこととか、自分もあるかもしれない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ところでいまWikipediaを見て明治憲法下の家制度の記述が面白かった。
家制度とは封建社会と近代国家を橋渡しするための暫定措置だったというのだ。
前近代における「家」は、あたかも莫大な権利義務を有する法人のようなものであった。家長個人は権利義務の主体ではなく、家の代表者として強大な権利を行使するかわりに、家産・家業・祭祀を維持する重い責務を負う存在にすぎなかった。ところが明治維新によって職業選択の自由が確保されると、このような生活モデルは崩壊する。諸外国の例を見ても、家族制度が徐々に崩壊して個人主義へ至ることが歴史の必然と思われたが、かといって未だ慣習として根付いている以上、法律をもって強引に無くすことも憚られた。そこで、近い将来の改正を前提とし、所有権と平仄を整え、戸主権の主体を家ではなく戸主個人としたうえで家産を否定し、戸主の権限を従前よりも大幅に縮小する過渡的な暫定規定を置くこととしたのである
【特権階級】
AI利用や無断学習に対して絵だけを特別扱いで保護させようという動きを指して、
「絵師には特権などないのに、特権があるかのように振る舞うのは問題だ」という主張である。
それが、反AI絵師インフルエンサーの誤読から、絵師は特権階級にあるという批判だと勘違いされた。
【才能の民主化】
元ネタは、「AIと著作権に関する考え方について(素案)」へのパブリックコメント。受付番号185001345000000112。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoseido/r05_07/
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoseido/r05_07/pdf/94021801_02.pdf
「民主化」自体は造語でもIT系ジャーゴンでもなく、国や一般企業も使う、
「一部の人間に限られていたものが、より多くの人間に利用できるようになる」ことを指す語句である。
「性別」 「手の障害」 「音楽のセンス」 であり、音楽のセンス以外は
従来は乗り越えられなかった障害や性別について、AIテクノロジーで対応出来るようになったという話でしかない。
尚、上記意見に対して「チヤホヤされたいだけ」という指摘が度々行われるが、そのような要素は文中にはない。
【絵柄の私物化】
元ネタは、反反AIツイッタラーのやよい(アカウント凍結済み)が、
AIっぽいとされた絵柄の方の嘆きを紹介したXに対して煽ったもの。
この煽り自体は馬鹿が阿呆な妄言をほざいたというものでしかない。
だが、この煽りに対する反応で「絵柄は私物だ」というものが万単位で噴出した。
大前提として、著作権において、絵柄は私物ではないし、保護することは出来ない。
「絵柄も私物として専有可能である」という、むしろ無知な人間の認識を詳らかにしただけの出来事である。
==============================
結論:
「ゲージュツなんだから意味がわからなくて当たり前」というならな
それこそ淫夢動画だってその場の思い付きとしょうもない身内ノリばっかりで、外部の人間には意味不明だろ
「どうしてこの動画がそんなに草生えるのか」なんて、文脈と過去の積み重ねをちゃんと踏まえた、ネット全体からすりゃごく一部の物好き以外にはわかんねーんだよ
(だいたい「草」の由来からしてそういうコンテキスト込みなわけで)
そんなものはふたばみたいに身内ノリやジャーゴンが幅を利かせるタコツボムラ社会であれば、所詮どこにでも見られる光景でしかない
タコツボエコチェンなんていくらでもあるのに、現代アートだけがむやみに孤高面したって笑わせるだけだわ
だから結局、トリエンナーレや不自由展みたいな文化ムラが文化ムラたり得ている要素って、作品や社会派・党派性まみれのメッセージそれ自体じゃないんだよね
単にこいつらの利害関係共犯関係で成り立った、いたって資本主義的な営為でしかなくて(ここは元増田もある程度自覚的ではあるが)
石丸伸二という都知事に立候補した政治家がゲンダイに叩かれている記事のブクマで「政策を論じていない記事なので意味がない」というような主張を複数人がしている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.media/articles/-/131178
ところがだ。石丸自身は都政に関して具体的な政策を語ったことあったっけ?無いのだ。「人口過密を何とかしたい」という漠然とした思いくらいだ。
しかも石丸はインタビューでは「その具体策はまだない」と言っているのである。
https://youtu.be/vaTcxZFc0e4?si=WAPX4ZdwpUuUjcdd
おい、これは「この記事は政策を論じてない」と言ってた連中も石丸の「政策」なんて聞いてなかったって事だろ。
「閉じた社会的クラスタの中で符牒化された答えを言えば反論した事になる」そういう事だろ。
そしてゲンダイの元記事はまさにその事を指摘して、その支持のされ方がヤバい、延いては石丸という人物がヤバいと指摘する記事なのだろう?
するとまさにゲンダイが指摘する事をブコメ欄で演じてみせたワケだな。お見事である。
では石丸に政策が無いのがいけないのだろうか?そうではない。政策以外で支持される選挙もある。
例えばオバマは健康保険の導入など具体策もあったが、支持の中心は「ブッシュでない事、保守系シンクタンクのパペット人形ではない事という漠然としたイメージだった。
トランプの場合は国際から国内への回帰とエリートが勝手に国を運転するなという反感であったし、バイデンの場合はもう地獄の盆踊りを終わりにして日常に帰れというものだった。
都政では青島幸男は都市博止めますの一本で、石原慎太郎は財政立て直しの一本だったが、青島が素人視されていた為、政治家経験が長いプロというイメージが強かった。
小池百合子は金の問題でヘマしない、議会を乗っ取る千代田区の自民議員傘下ではないというイメージだ。
小池の方はむしろ提言した政策の方が強烈に酷く、山手線2階建て他、皆が政策を重視していたら落ちるどころか築地の魚市場に捨ててある魚の内臓投げつけられるような代物だった。因みに増田はあの公約群を許してねーぜ。
だから現状で石丸に政策が無いのがそんなに悪いって訳じゃないね。
問題はそんな政策をまだ考えてないし発表もしてない政治家への批判の反論で、己も見ても聞いてもいない「政策」を見たのか!?と難じて、それに同意しまくるというネット共同性のコミュニケーション方なんだよ。
学校では社会に出ていない状態で社会的な事柄を教わる為、それが具体的にどういうものかという感触が無いままに暗記して習得しそれをテストで書く事を求められる。それが出来るのが優等生だ。
その考えのままに具体的に活用すべき事態に至っても同じ行動をしてしまう。これはいわば愚昧な優等生というべき状態だな。
だから己も見てもいない「政策」を見たのか!?とかいうコメントに大勢が賛同してしまうのだ。
で、はてなはこういう傾向がかなり強い。
例えば政治家の舌禍問題で全文が掲載されている記事に「切り取りだ」という糾弾がなされそれが多く賛同される。
例えば表現規制問題で「お気持ち」というジャーゴンが定着すると、警察や裁量権が大きいその他行政の前例に抵触している事でも「お気持ち」と言えば通ると思ってしまう。
「自分はそういうバカどもの和には入ってないぞ」という人もいるだろう。そういう人には申し訳ないが、実際こういうダメなコミュニケーションが多く観察されるのがはてなであって、ここに来れば頭を使わず、経験を問われずに背伸びが出来るって動機がそういう連中を惹きつけているのだ。「まんだらけ中野店の行為はすでに警察所掌の風営法の規制に入っている」と指摘する人も居たのに完全無視されただろう?
そして石丸自身もこういう愚昧優等生が屯するネット言論にウけるような行動をしている。
啖呵が切れるように話を勝手に持って行ったり、「マスコミを論破して出禁にする」場面を作ったりがそうだ。
そして通して見たら聞くに堪えない論破芸の論破だけを切取った動画が喝采を浴びている。それが元記事の内容だ。
これに対しても「キリトリだ」という論難が多く書かれている。
ネットの一部ではマスコミはアプリオリに悪であり、その記事に対して「~は切り取りだ」というのが習わしになっている。
そこで「キリトリ動画の元の録画を通して見たら論破に持って行くのが見え見えで話が通っておらず酷すぎて呆れる」という記事のコメントに「キリトリだ」が現れ喝采を得ているのだ。
経歴は立派でもこんな賛同のされ方している政治家がまともなワケないだろ。
なのでゲンダイの記事はそれに付いたコメントが内容の妥当性を証明するという、未来に向けて書かれた記事となっていたのであった。
それにしてもはてなが電撃無き集虫灯みたいになってるのどうにかなりませんかね?
まとめサイト経由でなんJ?から怪文書が伝わってきたが、個人的に納得できない部分があってのでつっこみを入れて行こうとおもう。なお、なろう専用ルールではなく俺が好みのフィクション全般としてのルールを意識した。
なろう作者が読者に読んでもらえるように気を付けてる事がこれ
・序盤はテンポよく進めろ
・主人公は惚れる側ではなく惚れられる側
・方向性を決めて読者にその魅力をアピールしろ(読者を惑わすのはNG)
・現実の固有名詞を使うのは極力避け、実際の事件や事故をネタにしてはならない
・独自の固有名詞や用語を連発するな(ファルシのルシがコクーンでパージ等)
・パロネタをやるな
・導入は出来る限り短くしてさっさとキャラを動かせ
評価〇△
いや最初期はなくていい、開始5分?10分?15分?以内に主人公は「仮の」目的と、「大まかな」設定をみつけろ。ミステリー・サスペンス・スリラーならアクション作品より曖昧でいいが、でも方向性は提示しろ。そしてストーリーが進むと共により鮮明になる形になるのがいい。逆にこの作品はどうしたいんだ?どこに向かってんだ?みたいなのはちょっと嫌
□序盤はテンポよく進めろ
評価△
物語の序盤の流れは重要だ。するする進むストーリーも快感だが、2,3話かけて徐々に話を盛り上げてくるメイドインアビスみたいな話作りもありだ。
でも主人公に設定を語らせるな。昔の下手くそなチュートリアルみたいに設定を長々語らせたり、
評価 ◎
スーターウォーズー程度の設定文章詰め込みは我慢してやるけど、全部をまとめて流し込もうとするな。分割しろ。提示方法を考えろ。
最近のゲームのチュートリアルで考えろ。30分間手をマウス/パッドから手を放した状態で設定垂れ流しを'受講'したいか?JRPG始めて、最初の戦闘まで30分かかりたいか?
評価△
そりゃ読者は主人公の活躍を求めている。ただし活躍の定義=常に大成功や努力無き大勝利、つまり楽勝ではなく積極的に動く事。活動性、積極性。失敗してもいい。間違えをしてもいい。途中まで地に服していい。
活動的な失敗の方が動きがない事よりいい。と思ったけど状況にもよるか。昔の漫画の馬鹿主人公の漫画のあまりに何も考えていない猪突猛進ぶりもそれはそれできついか。
「危機的状況だぞ。どうするんだ?」
「どうにかする」
「考えはあるのか?」
「その場その場で考える」
「・・・・」
みたいなね
□主人公は惚れる側ではなく惚れられる側
評価✘
いや惚れる側がいい。惚れるが最初は感情が届かなく一方的、時間をかけて徐々に勝ち取るのがいい。
そもそも量産型なろうアニメは恋愛要素ない奴の方が多い事から、やっぱりこの一二箇条は根拠ないでっち上げじゃないのか。
評価◎
能動的な主人公の方が見ていて楽しい。でも受動的な主人公を相方がサポートするとか、もしくは受動的な主人公が激動の人生を流されているが、途中から自分で歩み出すのもいいか。
□現実の固有名詞を使うのは極力避け、実際の事件や事故をネタにしてはならない
評価✘
いや別にいいよ。ただ、歴史上の英傑オールスターズが一同に会してアリーナでトーナメントは無制限の厨二病すぎて個人的に無理。例えば終末のワルキューレやFateや文豪ストレイドッグス。
厨二病濃度を加減し、調整し、洗練させて欲しい。スプリガン、屍者の帝国、啄木鳥探偵處とかならあり
というか、現実の事件うんぬんするなは完全に噓だな。だって織田のっぶーやジャンヌダルク、サスケ、ヒットラー、ホームズ・森アティ等、パロでぃ孔明、銀河英雄曹操伝などの歴史上の人物をベースにファンタジー要素や創作でふくらませて話作りまくってるし。
え、もしかして「別世界に現世の言葉を持ち込むなってリアリティライン/フィクションとしての統合性の話?」それは説明の仕方がずれすぎてない?
□独自の固有名詞や用語を連発するな(ファルシのルシがコクーンでパージ等)
評価✘
程ほどにオリジナリティある用語は入れて欲しい。あと、なろうやラノベのキャラの名前はつまらん。厨二病のナス先生や虚淵みたいな方が面白い名前を考える。ただし上で述べたように、徐々に覚えるようにしてほしい。1話で別世界ジャーゴンを20個とか垂れ流しされたくない
□パロネタをやるな
評価✘△
使い方次第。センス次第。ぽんのみちのパロは寒かったが、ごちゅうもんは鰻ですかは許容範囲だった。つまらんけど。あと作品性とリアリティラインは意識して個々に調整して欲しい。
□導入は出来る限り短くしてさっさとキャラを動かせ
評価✘
なろうの超ダイジェスト構成は下品で大嫌い。ただ早くすればいいというものじゃない。5分で死んでチートスキル貰って、復活するとか味気なくて酷すぎる。キャラのバックグラウンドは大切にするべきだし、その設定は後々まで何度でも展開や設定に積極的に絡ませていかすべき。
メイドインアビスや無職転生、すかすか、ガルパン、僕だけがいない街、カバネリ、ナウシカとかは良い塩梅だった気がする。
□読者は複雑な設定や重厚なストーリーより魅力的なキャラクターを求めている
評価✘✘
キャラを魅力的にすれば簡単に作品の見栄えがよくなるけど、それは他の事をおざなりにしている言い訳のように感じる。
もっと複雑な設定や重厚なストーリーに力を入れて欲しい。ただし、それをマシンガンみたいに口の中に叩きこむのではなく、【程よく】、【程よく】切り分け咀嚼し、食べれるサイズや柔らかさにする必要があるし、12話でできる事できない事、魅せる事魅せれない事は意識して欲しい。
b:id:dmekaricomposite という、自分が割と良識的だと思っていたアカウントの人に身に覚えのない嫌疑をかけられ、傷ついた人を更に傷つけるろくでもない人間だと詰られてしまったので、ここで反論しときますよ。
この人が色々言うてきたのは、石黒正数氏が過去のtwitterでの「いいね」傾向からデマも交えて暇アノンなクリエイターと認定され、そのレッテルが拡散されたことについて、事実無根だと反論している[ https://www.youtube.com/watch?v=UN-w82vPiv4:title]という動画のある部分についての、自分のコメント。当該箇所は、石黒氏の動画のここ。
発端のこの晒しは問題ないと思うんですけど、こちらの方、僕の作品は読んだことがないのに「いいね」が答え合わせだとおっしゃっている。それって答は自分の頭の中にしかないじゃないですか。なのでこれに関して、せっかく自分のチャンネルなんで、答え合わせの材料を出させていただきます。
ここを呼んで自分が感じたのは、おそらく石黒氏は、「答え合わせ」というのは「自分の作品と、自分のtweetでの「いいね」傾向の照応関係」のことだ(あるいは、そうであるべきだ)と思っていて、だから自分の作品を読んでいない人が「答え合わせ」をするのは「答は自分の頭の中にしかないじゃないですか」と言っているのであろう、と。でも石黒氏が取り上げている元tweet(石黒氏動画で隠されている部分は伏せ字とします)では
石黒正数氏のいいね欄、■■■■デマ以外にも色々とお考えの透けて見えるツイートがワラワラと。▲▲▲▲や●●●●も複数あり、答え合わせ感がすごい。作品を読む前に知ることができて良かった。
とあって、おそらくこの人は、自分が先に知った「①■■■■についての「いいね」群と、後から知った②▲▲▲▲や●●●●についての「いいね」群の照応関係」のことを「答え合わせ」と言っているのであろう、と。
こういう「答え合わせ」の用法ってSNSのジャーゴンぽいところがあり、もしかしたら石黒氏がそういうジャーゴンに馴染みがないから「答え合わせ」という言葉をめぐって認識のズレが起きてるんじゃないか、という話ね。実際、石黒氏の動画は「僕の作品を読んでないなら、答は自分の頭の中にしかないじゃないですか」というコメントに続いて「答え合わせの材料を出させていただきます」として、自分の作品・創作活動での諸々の取り組みを紹介する、という流れになっており、これは自分の読み解きとも符合してる。
というわけで、自分は以下のように書いた。
冒頭の「答え合わせ」云々は、石黒氏のある種のツイート群への「いいね」がたまたまや備忘的意味ではなく確固とした思想に基づくものであることを別のツイート群への「いいね」で確信した、という意味ではないのかな
そしたら、こういう風にブコメされたわけ。
id:tattyuやid:muchonovやid:white_roseが傷ついた人を更に傷つけるろくでもない人間だということがわかるね。id:muchonovが一番賢い分一番タチが悪い。言質とられないように立ち回ってる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4751484966157504896/comment/dmekaricomposite
な ん で だ よ !
「一番賢い」→こんな文脈で賢いとか言われても、全然うれしくない!
「一番タチが悪い」→その自覚はあるが、今回は別にそこは出してない!
「言質とられないように立ち回ってる」→これこそ全く身に覚えがない!
そもそも、自分のブコメって「傷ついた人を更に傷つける」内容ですか? ナンデ??? こっちとしては、もう訳わからんわけで、ひさびさにブコメツリーおっ立てましたわ。自分のコメントの意味を実直に説明しましたわ。
「僕の作品は読んだことがないのに『いいね』が答え合わせだとおっしゃっているの、それって答は自分の頭の中にしかないじゃないですか」の「答え合わせ」はこういう文脈では?って書いたけど、これ、更に傷つける?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4751508816115317632/comment/muchonov
そしたら、返しがこれ。
暗に「嘘つけお前暇アノンだろ」と言ってるように見えましたが。違うんですか?違うなら「石黒さんへの誹謗中傷に抗議します」とはっきり言って下さい。被害者に寄り添わず加害者に寄り添ってるように見えました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4751538666143322912/comment/dmekaricomposite
お、おま…。「暗に」「言ってるように見えました」「見えましたが」「違うんですか?」って、全部あんたの主観での決め付けじゃんか! 最初のブコメ、どこをどう読んだら「嘘つけお前暇アノンだろ」って意味になりますのん? 「被害者に寄り添わず加害者に寄り添ってるように見えました」って、書き手と読み手で「答え合わせ」という言葉の意味のズレが起きてるっぽいことを指摘しただけで「加害者に寄り添ってる」ことにされちゃうの!?
挙げ句の果てには「違うんですか? 違うなら『石黒さんへの誹謗中傷に抗議します』とはっきり言って下さい」ときた。なんだこれ、手の込んだバッドジョークなのかな…!? だってこれ、まさに石黒氏を非難してた人達から石黒氏が言われてたことじゃん。「違うんですか?違うなら『■■■への誹謗中傷に抗議します』とはっきり言って下さい」って。
石黒氏は今回「一度嫌疑をかけられたら、本人がいくら否定しても納得してもらえない」「挙げ句には『違うなら○○と言えるはずだ、○○と言え』という形で非難者側の正義への恭順を宣言させられる」っつーSNS魔女裁判のメカニズムの被害に遭ってて、だからこの動画で改めてそういうことに抗議してるわけでしょ。その動画自体のブコメで、自分では石黒氏を擁護してるつもりの人が、石黒氏を苦しめたSNS魔女裁判を反復・再演してる。「暗に○○のように見えました」「違うなら○○とはっきり言ってください」。なんなん?
自分は「○○と書いてはいけない」とか「○○を削除しろ」って言われた時は、それに相応の理由(事実誤認である、差別的である、誹謗中傷を含む、その他に社会的に好ましくない影響がある、など)があれば反省してホイホイ応じるタイプの人間ですけどね、「○○とはっきり言ってください」みたいなことを言われるのは勘弁してほしいんです。他人に嫌疑をかけて、その相手に思想の踏み絵を踏ませるみたいにして、その嫌疑を晴らすための手段として何かの宣言を強要するのは、やっぱりいかんですよ。内心の自由・表現の自由的にも一番アウトなやつでしょ。
b:id:dmekaricomposite さん、私は普段のあなたのブコメには共感することも多々あるんですが、今回ご自分がそういうことをやってるって自覚、ありますか? ちょっとよく考えてみてほしいです。
ここ最近のXでの反AIの盛り上がり、全部無知と誤読と藁人形からくる暴論なんだよね。
そりゃ文化庁からも知識基盤のレベル合わせが出来ていないって言われるわ。
ただ絵の力で人気物になっただけの馬鹿が滅茶苦茶言ってるだけ。まともな反論してくれよ……
【特権階級】
元々はAI利用や無断学習に対して絵だけを特別扱いで保護させようという動きを指して、
「絵師には特権などないのに、特権があるかのように振る舞うのは問題だ」という主張だった。
それがインフルエンサーの誤読や別増田の投稿から「絵師は特権階級にある」という批判にすり替えられた。
【才能の民主化】
「民主化」自体は造語でもIT系ジャーゴンでもなく、国や一般企業も使う、
「一部の人間に限られていたものが、より多くの人間に利用できるようになる」ことを指す語句である。
その上で、従来は乗り越えられなかった障害や性別について、AIテクノロジーで対応出来るようになったという話でしかない。
【絵柄の私物化】
VTuberカルチャーの盛り上がりに本格的に火が点いたのは2017年末~2018年初頭くらいだと思うんだけど、
その時に最大の情報交換コミュニティとして機能していたのが5chのなんJに頻繁に立っていたバーチャルYouTuberスレなんだよね
まだユーザーローカルのバーチャルYouTuberランキングができる前はどういう人がいるのか・デビューするのかという情報はほとんどここに集まってた
その後VTuberの話題が他所でもできるようになってわざわざあそこでやる必要はなくなり勢いは落ち
プロ野球のシーズンが開幕して元からいる野球ファン達から疎まれたこともあって残った住民達はなんUやYouTube板へと散り散りになっていった
この期間にVTuberカルチャーはなんJ文化圏の影響を大きく受けていて、今でも使われているジャーゴンにその名残が見える
ただ、5chは過去ログが見られなくなってしまったのでこの辺りの話は当時を知る人間達の伝聞でしか知ることができないし、そもそもこういうものがあったということさえあやふやになってしまった
女児に「かわいい格好をしたい」「かわいいと思われたい」「褒めてもらいたい」という欲求は確かにあるとは思う
少なくとも男児よりは確実にある
しかしそれが環境によるものなのか、性差によるものなのか、そこはわかっていないんじゃないか
「疑われてきた」じゃなくてさあ、ガッツリ疑って実験したわけじゃん
そしたら環境の刷り込み疑惑は嘘で、やっぱり男女の脳に差はあるし「女の子っぽい好み」も生得的にあると発見されて、
そうなってからもかなり長いわけじゃん
なのにまたそこに戻るわけ?
永遠に同じとこ回るわけ?
繋がれた犬かよお前等は
生得的な欲望を年齢によって制限したり解禁したりするのか?それは何歳からだ?
性交じゃねえんだぞ?
ガキは何歳からオシャレ欲解禁なのか言ってみろよ
もうさあ本当に俺はお前みたいなバカが嫌いだよ
お前等って罵られると反フェミとかアンチフェミとか言うじゃん?
別に男女平等とか女がよりよく生きられる模索とかには何も反対してねえよ
でもお・ま・え・ら・が!そういう明らかに頭悪いウワゴトばっかり言うのがウンザリする
毎度毎度何一つきちっと考えずにボケボケボケーっとした脳から思い付きばっか口走るのやめてくれよ
なーにがWhataboutismだ