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2021-04-08

anond:20210408195051

喘ぎ声(文章から絶頂度が算出可能か真面目に考えてみた。

「あっ あっ」 や 「いくっ」のような定型的な語句や、「!!」「っ」の数、 母音と子音の比率(喘ぎ声は「あ」「お」などが多いので母音が圧倒的に多い)から、どれくらい興奮しているかは算出できるはず。

ただしこの方法だと喘ぎ声ではない文章(「下人の行方は、誰も知らない。」 )などの絶頂度は0に近い数字になるはず。

名文と言われる文章文章情報量が多く、反面、喘ぎ声は絶頂に近づくほど「んああああああああ! おおおおお」 のように情報量が少なくなっていくため、名文と喘ぎ声両方が高くなる数値の算出方法というのは難しい

・「私はその人を常に先生と呼んでいた。」

・「親譲りの無鉄砲小供の時から損ばかりしている。」

・「下人の行方は、誰も知らない。」 

これらの文章がどれだけ「盛り上がっているか」を計測するには、文単体ではなく「前後の文」とのつながりが必要になってくる。

喘ぎ声を数値化するというアイディア面白いが、名文と喘ぎ声を同じ尺度で計測すると同じように高くなる、というのは難しそうだ。

あえぎ声を書くバイト

大学時代、ひたすらあえぎ声を書くバイトをしていたことがある。

先輩から紹介してもらった、エロゲメーカーバイトだ。

その会社エロゲストーリーに力を入れていて、所属するライター自分文章プライドを持っている人ばかりだった。

彼らからすると、Hシーンのあえぎ声を書くなどというのは苦痛しかなく、学生バイトにでも任せておけということになったらしい。

仕事がどういう感じだったかというと、

1. まず、「チャックを開けた」とか「腰を動かすスピードが速くなっていく」といったHシーンの「ト書き」部分だけを渡される。

2. ここに私が「んっ……」とか「あんあんっ」といったあえぎ声をてきとうな塩梅で足していく。

3. シナリオライターのチェックを受けて終了。

という流れだった。

簡単に思えるかもしれないが、これが意外に難しい。

まず、Hシーンにはある程度の長さがあるので、その範囲内で的確に盛り上げていく必要がある。

使う音に緩急をもたせ、飽きさせず、かつ少しずつボルテージを高めていかなければならない。

さらに、テキストの長さを調整することも重要だ。

短すぎると気持ちいい感じが伝わらないのだが、かといって長すぎるとボイスが冗長になる。

このように、エロ俯瞰的に捉えるバランス感覚と、計画的なペース配分が求められているのだ。

思うままにキーボードを叩いていればいいなどという仕事では決してなかった。

最初仕事は「妹もの」だったが、2回目のHシーンという設定で、「あ」の音の配分に苦労した。

はじめから「あああああ」など言ってると手慣れた淫乱みたいだし、かといって「あん」ではエロさが足りない。

苦労の末に完成させたものの、ライターには「もっと速く上げられない?」と言われる始末。

どうしたものか……と、前任者が残したパソコンキーボード「A」だけ妙にテカテカしている)の前で悩んでいると、あるファイル存在に気づいた。

「あえぎエディタ.xls」と題されたエクセルファイルは、前任者が残したあえぎ声専用のマクロであった。

縦に並んだセルセリフを一つずつ入力していくと、各セリフに含まれ母音・子音等の音声的要素が自動で数値化される。

さらに、その数値を足し引き計算することで、「絶頂度」と呼ばれる値が算出される仕組みになっていた。

この「絶頂度」がミソで、この値がシーンの最初から最後に向かって少しずつ上昇していくように文章を組み上げていくと、理想的なあえぎ声が出来上がるのである

かくのごとき驚くべき神エクセルを、前任者は独力で作り上げたようだった。

そして、秘密ツールとして上司には隠しつつ、後任である私にこうしてこっそり教えてくれようとしたのだろう。

このツールのおかげで、私の仕事はずいぶん楽になり、安定したクオリティであえぎ声を出し続けられるようになった。

そうして仕事をしているあるとき、私はあることに気づいた。

あえぎ声を入力するセルには、理論上どんな文章も入れることができる。

まり、あえぎ声以外のテキストでも、その「絶頂度」を算出できるのだ。

そこで私は、試みに文学史上の名作の「絶頂度」を出してみた。

たとえば、「私はその人を常に先生と呼んでいた。」は12、「親譲りの無鉄砲小供の時から損ばかりしている。」は30という具合だ。

予想もしていなかったことだが、こうして調べていくと、傑作の多くは私の仕事と同じ原則で書かれていることがわかった。

まり最後に向かうほど「絶頂度」が高まっていくのである

とくに顕著なのは芥川で、「下人の行方は、誰も知らない。」など絶頂度367だ。

薬漬けになった人妻が白目を剥いて失神するシーンでもせいぜい330程度なので、どれほど驚異的な数字かお分かりいただけるだろう。

絶頂度」はあらゆる文章通用する普遍的法則だったのである

この事実に気づいた私は、それからあらゆる文章をあえぎ声だと思って書くようにしてきた。

そして、人生のあらゆる場面で成功をおさめてきた。

就活エントリーシートでも、重要なのは絶頂度」の配分である

たとえば学歴欄でも、「絶頂度」の高い名前大学中退し、最終学歴とすることで、ずいぶん見え方が変わってくるようだ。

大学名によっても異なるが、概して「卒業」よりも「中退」のほうが絶頂度は高くなる。)

さて、お気づきの方もいるかもしれないが、この文章もここまで少しずつ絶頂度を高めるように書いてきた。

↑この一文の絶頂度は290だ。

かなり高まってきているので、この辺りで文章を終わりにしたい。

んほぉぉぉぉ! あああぁぁん!!

2019-02-28

anond:20190228071740

ちょうど今読んでいる夏目漱石の「創作家の態度」に、そこら辺のご都合主義的に歪められた世界観に気付いてしまった読者の心理が書かれているところがあったので参考までに。

青空文庫でも読めるます

https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/1102_14956.html

>>これは小説ではありません。事実だとして、あるものに書いてありましたが、私は単に自分に都合のいい例として御話を致します。

以太利イタリーのさるヴァイオリニスト旅行をして、しばらく、ポートサイドに逗留とうりゅうしておりました時、妙齢埃及エジプト美人に見染みそめられまして親しき仲となったそうでございます。ところがこの男は本国に許嫁いいなずけの娘があるので、いよいよ結婚の期が逼せまった頃、ポートサイドを出帆して帰国の途に上りました。ところがその夜になると、船足で波が割れて長く尾を曳ひいている上に忽然こつぜんとかの美人があらわれました。身体からだも服装も透すき通っておりますが、顔だけはたしかにその女だと分るくらいに鮮あざやかであります。ただ常よりは非常に蒼白あおしろいのであります。この女が波の上から船の方へ手を伸して、舷ふなばたを見上げながら美くしい声で唄うたをうたいました。それが奇麗きれいに波の上へ響くので、船の中の人はことごとく物凄ものすごい心持になりましたが、やがて夜が明けると共にかの美人はふっと消えました。やれやれ安心しているとその晩またあらわれました。そうして手を伸して、首を上げて、波の上を滑すべって、船のあとをつけて、いかにも淋しい声で、夜もすがら唄をうたいますそれから夜が明けると、またふっと消えます。そうして夜になるとまた出ます。そのうち船がとうとうネープルスへ着きましたので、かの音楽家はそこで上陸致して、自分郷里へ帰ると、手紙が来ております。差出し人はと見ると、ポートサイドにいる友人で、かねて自分と彼の女との間を知っているものでありました。すぐに開封して見ると、あの女は君が船へ乗って出帆するや否や、海の中へざぶざぶ這入はいって行って、とうとう行き方知れずになったとありました。

(中略)

ここに、こんな切な恋がある。これをどう云いあらわしたらば、云い終おおせるかとの試問に応じて出来上った答案と見なければなりません。世の中へ出て行って、どんな恋があるか探索して来いと云う命令に基もとづいた、報告書と見ては見当が違います。したがって客観的価値の少ないものができたのであります。真と認められないものになりました。だからこの話を聞くと、マグダの結末ほどには、はあなるほど、こうもあろうとか、こうあるかも知れないねと云う気にはなりません。しかしながらその代りに、ごもっともだ、こうもありたいね、こうあれかしだと云う気にはたしかになれます。あれかしと云う語は裏面に事実じゃないと云う意味を含んでおりますから、つまりは嘘だと云う事に下落してしまます。この下落が烈はげしくなるととうてい読めなくなります馬鹿馬鹿しくなります

例たとえば今の話しでも、もし船のあとを跟つけるものが、幽霊でなくって、本当の女が、波の上をあるいて来て、ちょいと、あなたとか何とか云って手招ぎでもしたらそれこそ奇蹟きせきになります幽霊ならば、有るとも無いとも証明ができないだけで済みますが、生きた人間が波の上を歩いては明かに自然法則を破っておりますいくら、かくあれかしと思ったって、冗談じょうだんじゃない、おのろけも好い加減にした方がよかろうと申したくなります。人を馬鹿にするにもほどがあらあね、まるで小供だと思っていやがると本を抛なげ出すかも知れません。

西遊記、アレビヤンナイト、もしくはシェーヴィング・オブ・シャグパットのようなもの面白味は別問題として論じなければなりません)して見ると私が前段に申した意味が自おのずから御明暸になりましたろう。すなわちいか主観的な叙述でも、ある程度まで真を含んでおらんと読みにくいものである、そう截然せつぜんと片っ方づけられるものじゃないと云う事であります。この幽霊のごときは極端の極端の例であるから積極的に真を含んでおらんとも云えましょうが、むやみに真を打ち壊しているものでないと云う事だけは、さきの説明で明らかでありましょう。しかも読んで馬鹿馬鹿しくならんのは全くそのお蔭である以上は、真の分子いかに叙述の上に大切であるかが分るでありましょう。 <<

彼の話の主題は別のところにあるのですが、つまりは「ある程度のつじつまがあっていないと、人は没入することができない」ということではないでしょうか。

西遊記アラビアンナイトについては別問題としているわけですが、完全な創作世界お話であっても、その世界の中でのつじつまがある程度あっていなければ読むのが馬鹿馬鹿しくなる。

まあその「ある程度」が人によって異なるのが厄介なポイントなので、こうして議論になるわけですが…

2017-01-23

お金奴隷解放宣言』そこまで悪いか

まず、私は西野氏のファンじゃないので特に肩入れはしていません。

しろ、氏の作品はまさに商業主義ラッセン彷彿とさせるので好んで鑑賞はしないと思います

ただ、氏の発言の一部(の切り取り)が沢山の方々の逆鱗に触れたようなので、こういう考えかただったんじゃないかな?という別の視点提案をする記事です。


まず、問題URLhttp://lineblog.me/nishino/archives/9256089.html)をどうぞ。

そこまで長くないのでサッと読めるはずです。

どうですか?この気取った文章。なんだかムカつきますね〜。

>「お金が無い人には見せませーん」ってナンダ

>糞ダセー。

ここが特にみんなの堪忍袋の緒専用カッターとなっているようですね。

最初からいきましょう。

西野氏が2000円で絵本えんとつ町のプペル』を販売してしばらく経った頃、小学生に高くて買えんわと意見を貰ったらしいところから本題ですね。

確かに、2000円は小学生にとってはお高めの値段設定。

そのお金遊戯王カード10パック以上買えますからね。

そこで氏はこう思うわけです。

>《自分は『えんとつ町のプペル』を子供にも届けたいのに、たった「お金」という理由で、受けとりたくても受けとれない子がいる。》

せやな

>双方が求めているのに、『お金』なんかに「ちょっと待った!」をかけられているのです。

お金を持っている人は見ることができて、

お金を持っていない人は見ることができない。

うーん?「ちょっと待った!」はこっちがかけたいもんですがもう少し。

>「なんで、人間幸せになる為に発明した『お金』に、支配され、格差が生まれてんの?」

と思いました。

>そして、『お金』にペースを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。

>「お金が無い人には見せませーん」ってナンダ

>糞ダセー。

あ、ダメだこの人。自分が伝えたいことを伝える能力が完全に欠如してる。

西野氏は言わずもがな芸人炎上代名詞です。

その理由の大きなところがこの引用した文章からハッキリと見えますね。

>……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事ニュースになると切り取られる部分ね)。

この一文もなんだかハッキリせず、微妙な印象。

噛み砕かず要約するとこう。

お金なんかより大切なことがある!」

うーん。チープ。

お金労働の対価の一つで、生活必要不可欠、そして評価基準です。

お金なんか」と簡単蔑ろにしていい訳はありません。

しかし、これは西野目線なのです。そう思えば彼の考えるところが伝わりやすくなります

クリエイター生産者生活がかかってるから無料にできないよ〜」

これは至極当たり前で、西野氏も(言いかたが悪すぎてそう読めるだけで直接)ダサいとは言ってませんね。

そこが、

>……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事ニュースになると切り取られる部分ね)。

ここから読み取れるはずです。

西野氏は、お金持ってます本業芸人です。しかも売れてます。そして、絵本からすれば外様です。絵本がなくても生活できます

そんな氏が、「小供にも届けたい」絵本を出して、お金がなくて子供が買えない!と訴えを目の当たりにしたわけです。

からすると、生活もかかってないのに「お金が無い人には、見せませーん」はこの上なくダサく見えるんでしょう。自分が。

まり、これは西野氏が西野氏に対する発言ではないか叱咤激励なのでは?

私にはそう読めました。

ここからお金奴隷解放宣言」まで妙に長いので要約。

お金じゃなくて、恩で回る人生があっても良いのでは?本ならそれができる可能性がある。この本を無料化してお金は貰えなくなるけどみんなに読んでほしいからやるで!お金奴隷解放宣言や!」

うーん、西野さん。それつまり投げ銭や。

「恩で回る」というのは、消費側が生産側に対して自分の払いたい価値を払うということだよね?

>それに、「西野君、こないだはありがとね」と夜ご飯ぐらいご馳走してもらえるんじゃねぇかな、と思っています

夜ご飯をご馳走するのだってお金や労力はかかるはず。

結局、氏が言いたいことは『お金だけ』の社会否定であって、『対価』の否定ではないんですね。

まりこれは投げ銭制です。

西野さんアンタけっこうかっこいいよ。労力かかってるもの相手に委ねるっていうのはお金持ってても中々できないことだと思います。超口下手で誤解させまくってるけど。

あとできれば2000円という選択肢だけじゃなくて、サイト自分で値段を決めて支払えたら便利だしもっといいと思いました。

>…てなワケで俺は無料にするけど、その代わり他のクリエイターに「西野はタダにしたんだからおまえもしろ」なんて絶対言っちゃダメよ。

絶対言っちゃダメよ。

2016-04-28

坊っちゃんオブザデッド

親譲りの無鉄砲小供の時からゾンビ退治ばかりしている。

 
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