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はてなキーワード: 情熱とは

2026-05-10

部活動という珍妙制度について

日本には部活と言う珍妙制度がある。

これを単なる「放課後スポーツ文化活動」と解釈しているうちは、日本社会の本質を捉えることはできない。部活とは、教育という美名の下に偽装された、日本独自の「空気」の醸成機関であり、極めて強固な「小宇宙」としての共同体なのである

「道」という名の宗教的空間

西洋的なスポーツ概念では、それはあくま個人の「楽しみ」であり「技術の向上」を目的とする「遊び(Game)」であるしかし、日本部活においては、それが「野球道」や「剣道」といった具合に、容易に「道」へと転化してしまう。

ここで言う「道」とは、論理的ルールを超越した絶対的規範である。そこには、外部の人間には到底理解しがたい、以下のような特質が見て取れる。

儀礼絶対化: 挨拶の角度から、道具の手入れ、グラウンドへの一礼に至るまで、機能性とは無関係儀礼が最優先される。

連帯責任」という戒律: 一人の部員の不始末が部全体の活動停止に繋がる。これは近代的な法治主義個人責任)ではなく、村社会の「縁座」の論理である

空気」の支配自己犠牲

山本七平喝破した「空気」の支配が、最も純粋な形で現れるのがこの部活という空間だ。

例えば、真夏に水を飲まずに練習を続ける(かつての常識)、あるいは怪我を押して出場するといった行為が「美談」とされる背景には、生理学的な合理性など存在しない。そこにあるのは、「ここで水を飲んではいけない」「休んではいけない」という、その場を支配する「空気」への絶対服従である

この空気(臨在感的把握)に抗う者は、非国民ならぬ「非部員」として、共同体から事実上追放シカトや疎外)を余儀なくされる。ここでは「個」の意志は、共同体の維持という至上命題の前に、完全に抹殺されるのである

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日本教の「聖職者」としての顧問

このシステムを維持する「司祭」の役割を担うのが、教師顧問である

彼らは本来職務である教科指導二の次にしても、部活動の指導に没頭することを「徳」とされる。土日を返上し、無給に近い状態奉仕するその姿は、近代的な労働者のそれではなく、一種宗教的情熱に突き動かされた修道者のそれである

生徒もまた、その「自己犠牲精神」を空気として吸い込み、「先生がこれだけやってくれているのだから」という情緒的な絆によって、さらなる規律へと縛り付けられていく。

結論部活という名の「日本教」訓練所

結局のところ、日本部活とは、技術を学ぶ場ではない。

それは、日本社会という巨大な「空気組織」に適合するための、高度な精神的訓練所なのである理不尽上下関係を、論理ではなく「身体感覚」として受け入れ、組織論理個人論理に優先させる――この「日本教」の洗礼を、彼らは多感な思春期に徹底的に叩き込まれるのだ。

この「珍妙制度」が温存されている限り、日本人が真の意味で「個」として自立し、論理的組織運営を行うことは、おそらく今後も至難の業であろう。

あの頃の、家帰ってから速攻でゲーム機の電源を入れてのめり込んでいたゲームくらいの情熱が欲しいだけなんだよ

2026-05-08

エンドフィールド引退している

アークナイツエンドフィールド、実はもう引退している。

1週間ぐらいログインしてないが、別に惜しいという感じはない。

石を貯めてキャラを手にれた所で戦闘選択肢が少し増えるだけなのでゲーム体験に大きな変化はない。

たとえばこれが本家アークナイツだったらドラゴディアの有無で世界の見え方は全く変わるんだろうが、別にロッシギルベルタがいた所で戦闘に大きな変化はないと思うわけだ。

というか、あんなただポチポチするだけの戦闘に対してそんな情熱を燃やす気にもならない。

たとえばもし新キャラが「オレンジ鉱石消費量が20%ダウン」とか持ってたら話が変わったかも知れないが。

俺がいない間に工業イベがあるらしいが、工業をしたいならファクトリオ系ゲームをやればいいだけだと気づいた俺はもうタロ2に帰ることはないと思う。

何もかもが中途半端だった。

もちもちペンギンを愛でたい気持ちはあるが、声優との意思疎通が上手くいってないのかドス声ペンギンすることが増えてきたのでもうそれも期待できない。

俺のンイーは終わったんだ。

anond:20260508173955

大衆が引っ掛かりそうな嘘松創作して書いても、知れてるで

にじみ出るリアリティってもんがないんだよ。

ほんまのことを、情熱をもって書くんだ

嘘松でもなく、しか適当に流したようなクソ文ではない奴をな

 

そしてそれを、無限回やれ。

マグレ要素はどうやったってある。

 

ドラクエで例えるなら、メタスラ倒したかったら、まじん切りを当たるまで打て。

まじん切り以外を打つな。まじん切りをミスたからって辞めるな。

2026-05-06

毎日新作おすすめ 11

11弾となる今回は非日常世界観と極限の美学が交差する3体をお届けします。鮮やかなおもちゃ箱から飛び出したようなポップな愛らしさ、危険香りを纏うダークビューティー極致、そして視覚限界に挑むようなプロポーション化身。それぞれが異なるベクトルで極められた造形美と世界観に酔いしれる特別ラインナップをご堪能ください。

公式ストア:https://www.karendoll.com/

1. SHEDOLL 江小棠2.0

等身大ドール SHEDOLL 江小棠2.0

鮮やかなピンク世界観に包まれたSHEDOLL 江小棠2.0は、まさにバービー人形現実世界に現れたかのような強烈なポップさと華やかさを持っていますカスタムメイクが施された美しい顔立ちは、愛らしさの中にどこか小悪魔的な色気を秘めており、見る者の心を強く惹きつけます。

160cmの均整の取れたスタイルCカップの美しいバストラインが、この非日常的なコンセプトを完璧バランスで成立させています精巧な造形と鮮烈な色彩が織りなす、甘く危険な魅力に満ちた1体です。

https://www.karendoll.com/product/syaotann-beauty-she/

2. AITIA DOLL 2.2CFシリーズ 紫罗兰

美人フェイス

漆黒ストレートヘアと深紅の瞳が織りなすコントラストが、見る者をたちまち非日常空間へと引き込むAITIA DOLL 2.2CFシリーズ 紫罗兰。背景に張り巡らされた警告テープが暗示するような、少し危険ミステリアス雰囲気を纏う彼女は、洗練されたダークビューティー極致と言えるでしょう。

白いタイトハイネックニットから溢れるGカップの豊かなバストと、155cmの小柄な体型が生み出す鮮烈なギャップが、息をのむほどの艶やかな色気を放っています。冷たさと底知れぬ情熱を同時に感じさせ、極上の没入感をもたらしてくれる比類なき存在です。

https://www.karendoll.com/product/violet-aitia-real-doll/

3. Fire Doll 79番

人形 Fire Doll 79番

167cmの長身規格外のSカップという、視覚限界に挑むようなプロポーションを持つFire Doll 79番。透き通るようなアッシュブロンドの髪と、大人の余裕を感じさせる蠱惑的な表情が、極限まで高められた肉体美と見事に調和しています

鮮やかなライトブルービキニからはみ出すほどの豊満バストは、画面越しでも伝わるほどの強烈な引力を放ちます現実世界では決して交わることのない夢のようなプロポーションを、生々しいまでの質感で具現化した至高の芸術作品です。

https://www.karendoll.com/product/fire-real-doll-79/

ドール科学科普 シリコン vs TPEの化学特性メンテナンス

TPEとシリコン化学的な特性の決定的な違いは何ですか?

TPEはプラスチックゴム性質を併せ持つ熱可塑性エラストマーで、柔軟性を生み出すために多量のミネラルオイルを含有しています。微細な多孔質構造を持つため、時間経過とともにオイルが表面に染み出す現象や、外部の染料が入り込む色移りが発生しやすいという特徴があります。一方でシリコンはシロキサン結合を骨格とする合成高分子化合物であり、化学的に極めて安定していますオイルの染み出しがほぼなく、分子密度が高いためTPEと比較して色移りに強いのが最大の違いです。

経年劣化を防ぐための科学的に正しいメンテナンス方法を教えてください。

TPEモデルの洗浄後は、完全に水分を拭き取ってからベビーパウダーを塗布します。これは表面の微細な孔を粉体で物理的に塞ぎ、内部オイルの過剰な揮発と表面のベタつきを防ぐための必須手順です。また熱に弱いため高温のお湯は厳禁です。対照的シリコンモデルパウダーケアがほぼ不要ですが、シリコン系ローションの使用絶対に避けてください。似たものは似たものを溶かすという化学の基本原則により、表面が化学反応を起こして溶解してしまます。必ず水溶性のローションをご使用ください。

2026-05-05

山口一郎の父は元小樽市議会議員で、市民運動に関わっていた人なんですけれど。

サカナクション山口一郎さんってよく知らないか検索してみたけれど、1980年まれ現在45歳で、お父様は2003年から小樽市議会議員をしていたらしいね

しか1970年代から小樽運河の保存運動という政治的活動に関わっていたらしい。

政治勉強して当然の立場じゃない?

自分語りになるけれど、自分山口一郎とは同年代で、身内に地方公共団体議員がいたので、小さい頃から嫌でも政治に興味を持たざるを得ないようになっていたから、山口一郎さんの立場政治無知なのはちょっと有り得ないと思う。

年齢的にも45歳と言えば成人年齢の倍以上であり、「これから勉強します」で通る年齢ではなくない?

この経歴を見る限り、どう考えても山口一郎政治的無知なのではなく、寧ろ政治をよく知っているからこそ、自民政治に楯突く事が立場を悪くすると分かっていて保身を選んでいるのだろう。全く「誠実」などではないと思うよ。

サカナクション山口一郎さんの父、保さんの話|編集者のこぼれ話⑥

https://note.com/nobunkyou/n/n11e6344b2199

山口保さんは、1947年岐阜県金山町(現・下呂市)生まれヨーロッパ各地を旅した後、1975年北海道小樽市移住しました。日本の伝統的な「沈め彫り」の技法を応用した独自技法で、野鳥や魚を彫刻・彩色した「木鳥表札」の考案者として知られ、木彫工房メリーゴーランド」を営んでいます。1970~80年代小樽運河保存運動で中心的な役割を果たし、「小樽運河を守る会」幹事小樽観光協会理事など歴任2003年から小樽市議を3期務めるなど、地域のために活動してきました。

1978年フォークソンググループをつくって活動していた保さんは、埋立て工事が進む小樽運河音楽イベントポートフェスティバル」を企画・開催し、2日間で10万人を集めて大成功させました。これを機に、水辺の価値行政住民に広く伝わり、運河を生かしたまちづくりへと潮目が変わりました。今日小樽運河が残り、小樽観光の中心地となっているのは、保さんの知恵と情熱のおかげと言っても過言ではありません。一郎さんパパとして、サカナクションファン魚民=うおたみ)から愛される有名人でもあり、木彫工房メリーゴーランド」は魚民聖地となっています

2026-05-03

AI個人情報入れるな」おじさんの本音、もうバレてるぞ

例の「ClaudeにアップロードしたPDF学習に使われたら大変だ!情報セキュリティガイドラインを!」と社内で大騒ぎしてるおじさん、お前のことだよ。

最初に言っておくけど、お前のその情熱情報保護とは1ミリ関係いからな。

なぜわかるか。お前、自分PCWindowsであることに何の疑問も抱いてないだろ。Microsoftにテレメトリ送りまくりOneDrive勝手に同期され、Copilotに画面読まれて、Recallにスクショ取られてる箱の前に座って、「Anthropicが信用できない」と入力してるんだぞ。喜劇か?

メールGmail、予定はGoogleカレンダーファイルGoogle DriveバックアップはS3。お前の人生機微情報、全部すでに米国の巨大IT企業倉庫に積み上がってる。なのにそこには文句を言わない。なぜか「Claudeだけ」が問題。なぜだ?

答えは簡単で、お前はセキュリティの話なんてしていないからだ。

お前が本当に怖いのは、情報漏洩じゃない。

お前が本当に怖いのは、今までバカにしてた後輩がClaudeを使って、お前が3日かけて書いてた企画書を30分で、しかもお前のより上手く書き上げたことだろ。

お前が本当に怖いのは、英語ができないと小馬鹿にしてた同僚が、AIを介して海外クライアント普通にやり取りし始めたことだろ。

お前が本当に怖いのは、「資料作りに時間がかかるのは丁寧に仕事してる証拠」という、お前が20年かけて築いた言い訳が、AIによって一晩で「単に遅いだけ」に翻訳されてしまたことだろ。

からガイドライン」が要る。「情報セキュリティ」という、誰も表立って反対できない大義名分の後ろに隠れて、お前より仕事ができる若手の手足を縛りたいだけ。本当の動機を口に出したら社内でお前の評価が終わるからセキュリティ仮面を被ってるだけ。バレバレなんだよ。

しかもタチが悪いのは、お前自身がそれに気づいていない、あるいは気づかないふりをしてる点だ。「俺は会社のために言ってるんだ」と本気で思い込んでる。だからこそ滑稽なんだ。

ヒントをやる。お前が今やるべきことは、ガイドラインの起草じゃない。

Claudeを開いて、「自分より若い世代に追い抜かれそうで怖いです、どうしたらいいですか」と入力することだ。たぶん、お前の人生で初めて、まともな上司らしい助言が返ってくるぞ。

PS: お前が止めようとしてるその後輩、もう家でClaude使ってるから。お前が会社禁止しても、お前との差は開く一方だ。残念だったな。

彼について考えるとき、僕はいつも少しだけ居心地の悪いカフェの隅に座っているような気分になる。窓の外では、理由もなく風が吹いているカップの中のコーヒーはもう冷めかけているのに、なぜか飲みきるタイミングがつかめない。

ゴッホという画家は、どうやら僕らが教科書で習ったような純粋芸術家というより、もっと生々しくて、手触りのある存在だったらしい。デッサン練習には女性モデルを選びたがり、ときにはその境界線曖昧にしてしまう。若い頃には娼館に通い、絵を描くという行為と、欲望とが、うまく分離できていなかったようにも見える。

それはどこかで、現代映画監督スキャンダルを思い起こさせる。創作権力欲望が、同じテーブルの上に並べられているような、そんな感じだ。

でも同時に、彼の中には奇妙なほど強い宗教的情熱もあった。神に近づこうとする衝動と、地上的な欲望とが、同じ身体の中でせめぎ合っている。そのアンバランスさが、かえって彼をより現実的にしている気もする。

彼は生涯、家族に頼り続け、うまく人と折り合いをつけることもできなかった。人から好かれるタイプではなかったのだろう。むしろ、周囲を少しずつ疲れさせてしまうような人物だったのかもしれない。

そして結局のところ、彼は明確な成功を手にする前に、自分自身の内側で何かが壊れてしまった。

もし彼が生前に大きな成功を収めていたら、それはそれで、どこかしっくりこない気もする。成功した彼の姿を想像すると、なぜだか物語バランスが崩れてしまうのだ。まるで、最後のページだけ誰かが書き換えてしまった小説みたいに。

2026-05-02

何故「スクウェア・エニックス」(旧スクウェア)を「スクエアエニックス」(スクエア)と書く人が多いのだろう🤔

何が彼らを「ウェ」から遠ざけるのか

その謎を解明するため、我々調査隊はアマゾンの奥地へと向かった――。

説1:スクウェア・エニックス略称であるスクエニ」の「エ」だと思ってる

でもそれだとスクエアエニックス表記説明がつかない。大体旧スクウェア時代から遊んできたっぽい人も使ってるの見るからこの説は成り立たない。

説2:ギークがよくやる通な呼び方

Amazonを「尼」とかAndroidを「泥」とか呼んだりするあれね。結構センスあると思う。

でもスクエア表記にはそんなギーク的な情熱を感じない。温かみがないのでこれも違う。

説3:「ウェ」と打つのめんどい

説2を書いてて思ったけど、これが一番ありそう。

…もしこれが理由ならなんかちょっと残念。

終わりに

一般人が書くなら一歩譲ってまだわかるんだけど、たまにWebメディアでもスクエア表記してて流石にそこはちゃんと書けよって思う。

俺が知らないだけで何かそういう規則があるのかな。あったら謝るよ。

2026-04-30

HOWばっかり、いらねえよ。

AI進化により、文章画像動画音楽と、あらゆるデジタルクリエーションハードルが一気に下がった。

それと同時に、「どうやってやるのか(HOW)」ばかりがあふれる時代になった。

かにAIツールプラットフォームが次々登場し、早くから情報キャッチできる人にはアドバンテージがある。

でも、その裏で「楽して稼ぎたい」という欲望に応える形で、情報商材のような“HOW至上主義コンテンツも乱立している。

一見、便利そうに見えるHOW情報

だけど正直、その多くは表面的で、熱量哲学もない。

そして、みんなが同じような情報コピーペーストしながら発信し、似たような記事動画大量生産されていく。

それって、本当に意味ある?

しろHOWを民主化したのが、AIなのでは?

ノウハウ洪水と、プラットフォーム漂流

例えば、「note」なんかがいい例だ。

もともと、言葉体験表現を綴る場だったはずが、

今や「副業で稼げる情報発信の場」として、一部のプレイヤーたちに“ハック”されてしまっている。

AI画像をつくってみた」

「このスライドにぴったりの画像を生成!」

「Obsidianのメモ術で思考を整理しよう!」

…でも、それで何が生まれる?

メモが取れるようになったからって、誰もが革新的サービスを生み出せるわけじゃない。

メモツールを変えたって、超人になれるわけじゃない。

本当に問うべきは「WHY」だ。

情報の海に溺れるな。

自分の内側にあるモチベーションパッションを見つめ直せ。

そこから自分なりの問い(WHY)を立てて、世界対話することが重要なんだ。

「なぜ自分はそれをやるのか?」

「なぜ、その技術を使いたいのか?」

「なぜ、今それが必要なのか?」

この“WHY”を深く掘り下げることこそが、

HOWを真に活かせる力となり、あなた自身の道を切り開く鍵になる。

情熱がなければ、どんなHOWも意味をなさない。

AI映像が作れても、それをビジネス作品昇華させるには、情熱必要だ。

そのパッションがなければ、作れるのはせいぜい“駄菓子レベルコンテンツで終わる。

HOWだけ追いかけても、あなたのコアには届かない。

まずはWHYから始めよう。

そこからが、真のクリエイションの始まりだ。

抱えているタイトルが重すぎる増田酢魔ル議す藻御ガルと至る射て得カカ回文

おはようございます

ゴールデンウイーク迫り来る待ったなしのこの季節!

うーん、

私はどうしようかな?って

いつものそうよ!

楽しい楽しい大型連休計画

もうさ、

聖地巡礼の旅に行きたい一度は見てみたい池袋サンシャインシティの噴水広場

わ!

ここがあのステージなのね!とかって一回やってみたいけれど、

それだったら、

わざわざ混んでいる時期の混んでいる都内に突っ込んで向かうよりも

ゲームをやっていた方がいいわ!って。

今回も遠出の予定は組まずに粛々と私は積んでいるいや積まれているいやむしろ積み上がっているゲームに立ち向かうことにするわ!って。

これ毎回言っているような気がする大型連休の迫り来るこの日なのよね。

まずはこれ私のメインで今一所懸命やっている背中で魅せるガンガールアールピージーのNIKKEの3.5周年イベントリズムアクションもそこそこ楽しくプレイしているし、

今日からはなんと!

ネオネオンこと!

ネオン:ビジョン・アイの登場で早速のガチャ!はうーん消極的局面の盤面なの!

アニススターでなんだかんだ100連ガチャ回したけど当たらなかったので、

どちらかというと、

ネオンの方が欲しかったのでもうネオンに集中よ!

そんで、

ゴールデンマイレージチケットで無事ゲットできました!パチパチパチ!

武装をどんどんこれから強くしていって、

火力アップに努めて朝5時から勤めるわ!

一度試し撃ちに射撃場へ行ったんだけど、

なんか強いのか弱いのかよく分からないけれど、

完璧に強化できていないにもかかわらず、

そこそこ火力出せているのでは!って。

しかバーストスキルは私の好きな面で広範囲攻撃する攻撃もできちゃったりして、

これは一気に攻略が加速させられるけれど実際にはまだ加速できない、

完全に最強に強化を仕上げなければ!って思うのよね。

ニケ1機にだいたい、

武装でしょ?

武装マックスになったらオーバーロードで改造してさらマックスに強化でしょ?

バーストスキルでしょ?

好感度でしょ?

指揮官ぬいぐるみでしょ?

場合によってはぬいぐるみさらパワーアップさせられるお宝設定があるニケはそれも強化の一つだし、

物資を貯めて自力で強化できる要素ってこのぐらいかな?

ほかスペアボディがあれば、

使えば強化できる要素の一つでもまたあるわね。

とりあえず、

できる限りの強化をしてこの火力のネオン:ビジョン・アイなので、

結構活躍出来るかも!って。

そうなると今までの主力のメンバー部隊編成考えなくちゃって季節かも知れないわ。

NIKKEってとりあえず、

1日のことやり尽くしてしまったら他やることがない敵が強くて先のストーリーにも進められないし、

イベントストーリーリズムゲームでもやるかなーってところなのよ。

あれって、

みんなプレイ動画をチラッと目に入ってくるプレイタイルだと、

高速でやってない?超速いんですけど!

ガチプレイヤーの世界ってあんな感じなの?

私は私なりにコツコツとプレイして慣れていくしかないわ!ってところがここまた時間いくらあっても足りないぐらいの曲の量なのでさすがこれからもずーっと遊べる常設ミニゲームね!ってところなのよね。

そんでさ、

今日からネオン:ビジョン・アイの募集開始でしょ?

そう朝の5時がNIKKEの1日の時間リセットされる時間で、

もうこれ私目覚ましのアラームなる前にしっかりと目が覚める身体になってしまったのよ。

今日なんかよほど張り切っていたのか、

ネオン楽しみすぎて4時に起きちゃうとか、

興奮して鼻の穴が広がってなかなか4時からまたうとうとと寝入ることがなくって、

早く5時にならないかなぁ!って遠足のまるで前日じゃなく当日に眠れない子みたいなのよね。

今回私はもうガチャ撤収したので今回の3.5周年イベントガチャを回さずにゴールデンマイレージチケットをしっかり戦略的にそしてタクティカルに貯めていたのでそれで無事ネオンが招けて良かったわ!

ホッと一息。

まりストール三世の話が良すぎてネオンやったー!って思っていたけれど

相変わらずネオンのどことなくアホっぷりは健在ですっかりネオンのことを忘れていたのに思い出しちゃったわよ。

ああネオンってこんな感じだったなぁって。

ネオネオン強そうなのでしっかり編成活かしていきたいな!

で、

NIKKEはいいのよNIKKEは早起きできるようになってメリットしか私にはないし。

次よ!

NIKKEの合間に攻略していくゲーム

今なら『プラグマタ』が熱いかも!

あれ完璧ハイボール片手で楽しみながらゲームやろうと思っても絶対できないやつ慣れるまでは!って感じで、

真面目に取り組まなくちゃいけないし、

ほろ酔いだとこれ徘徊している雑魚敵にも容赦なくやられちゃうので、

ハイボールとか飲んでないときに、

いや飲み始めてまだ酔いが回っていない時に一気にプレイを進めていく!って感じ?

やっと私は2つ目のなんかチェックポイントまで到達してまだ序盤の序盤もいいところなのよね。

あれ焦ってハッキングパネルを開いてディアナハッキングさせるんだけど、

焦っていると全く操作がおぼつかないのよ。

ひと筆書きのパネルアクションチェックポイントにマスのカーソルを通過させるだけなのに、

だけなのに!って思ってもなんであんな難しいの?って。

いまだに慣れないヒューとディアナの上手いコンビネーションが活かせられてないわ!

これは厳しい戦いになりそう!

なんかド派手なアクション火器武装あるみたいだけど、

あんなに華麗にプレイできる様になるのかしら?って今から一抹の心配抹茶味のアイスクリームを食べながら暢気に言っている場合じゃないのよね。

これはかなり集中してやんないとマジ進められない手に汗握るアクションゲームわ!

自信なくなっちゃうけど。

苦労しそうだわ。

スプラトゥーン3』というとこれも地味に1日1勝1ガチャは心がけてはいものの、

かなり情熱大陸へと落ちていっている感じ。

プレイ熱量がかなり凹んできていて次に出る『レイダース』に期待がかかるからそっちにもうまた発売されたら目移りして夢中になりそうかも知れないわ。

そして一向に沸き上がらないあの時がマックスだったのか!って思うほどあんなにたくさんあったドラゴンクエストバイブスだったけど

こっちもプレイが進まない

ドラゴンクエストVII Reimagined』は宝石色合わせゲームダンジョン内のパズルが出てきて一気に意気消沈寺の和尚に泣きつきたいところ。

あの色合わせ宝石パズル苦手だわ。

ため息が出ちゃう

私は冒険したいの!冒険を!

色合わせ宝石パズルをしたくってドラゴンクエストVIIを始めたんじゃないのよ!って言いたいわ。

そんでまた今これ書いている最中まで忘れていたすっかりの

『デス・ストランディング

おおお!これもやんなくちゃ!

って遺体を焼却処理施設まで運ぶというミッションのところでずーっと停滞してたわ。

肩の荷が重いわ。

別にデス・ストランディング荷物が重いから大変だ!って言っている意味じゃなくって、

積みゲーが多くて肩の荷が重いって言っている、

決してダブルミーニングではないか安心して。

そんで、

シャインポスト』は絶賛ライブビューモード鑑賞は捗っているわ!

これは観るだけなので、

ゲームが進行するとかゲームオーバーになるとかないライブビューモードなんだけど、

今ハマっている鑑賞の方法は、

カメラワークを任せるんじゃなくて、

アイドル注目モードにして池袋サンシャインシティの噴水広場ライブすると

アイドルの後ろ側から観れちゃうところが背中可愛いアイドル育成ゲームだな!って、

これずーっと見続けられちゃうのでライブビューモードは飽きないのよね。

こんなのばっかりやってるから

ゲームが他のゲームも進まないのよね。

たくさん抱えすぎだわ!

きっと。

ちょっとまりにも抱えているものタイトルボリューム大きすぎて、

さすがにこれ全タイトルゴールデンウイークの間にクリアするんだい!って

漫画のあの「できらぁ!」坊やのようにはいかないわよね。

分かっているわ、

自分が抱えすぎちゃったものがあまりに大きすぎるってこと。

でも何か1つはクリアできなくても中盤ぐらいまで物語を進行させられたらなって思うの。

救う世界が多すぎる。

まあコツコツと頑張るわよ。

うふふ。


今日朝ご飯

納豆巻きブームブームなんだけど、

ここは久しぶりに赤飯おにぎりしました!

これもたまに食べたい私の好きなおにぎりの一つなのよね。

最近見かけてなかったので見付けちゃったのでついつい手に取ってしまった赤飯おにぎりよ。

美味しく食べてしっかりお仕事よ。

月末だわーって声はよそに頑張るわ。

デトックスウォーター

水出しルイボスティーウォーラーね。

すっきりとして冷たくて美味しい朝の目覚めね。

ちょっとここ最近というかずーっと同じ物の繰り返しなので、

新しいデトックスウォーターにも挑戦してみたい時期でもあるわね。

ゴールデンウィークもあるし

なにかレシィピ探してみようかしら。

果物売り場へレッツゴーよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2026-04-26

50代になって性欲が衰えてきた

毎日オナニーネタへのこだわりや情熱が薄れて、密度が低くなっている気がする

オナニーでは満たされないセックスしたくてたまらない衝動も、月に一回くらいに減った

40代の頃は週に一回はそういう日があったのに

こんなにも衰えるものかと悲しくなる

noteを見てたら、とあるユーザーを名指ししている記事があったんだが、記憶にある限りそいつ同じネタで少なくとも2年前から暴れまわってるんだよな。俺もコメント欄で散々暴れられて最後ブロックたから覚えている。その情熱どこから湧くんだよ。仕事しろよ。

ライト系の小説全般、極端に読者減ったよな。皆書く側に回って、読んでくれ!ってなってる割に読んではない。純粋な読者が減ると衰退、っていうかごく一部の売れ筋作家だけいればいい状態になって衰退する気がするわ。ディグれる時間情熱がある読者いないだろ、もう。

2026-04-24

昔の京都大学での思い出は、今振り返ると違った色合いで見えてくるのが面白い。当時の「看護学生」と「京大学生」の組み合わせを社会的背景雰囲気から考えると、30年前の京大経済学部生は将来の安定や地位がほぼ保証された“超優良株”とされ、大手銀行インフラ企業への就職高収入の期待は大きな安心材料だった。「浮気しなさそう」「家庭を真面目に支えてくれそう」という信頼も厚かった。一方、看護学生にとって京大生は稼ぎ以上に魅力的で、多忙でも知的好奇心旺盛な女性は深い教養独自のこだわりに惹かれた。「京大」というブランドは親や周囲への説得力も抜群で、難しい経済学大道芸に打ち込むギャップや真面目さの共鳴もあった。ナースにとって京大男子は、安心感に知性と不器用情熱が加わった理想的相手だった可能性が高い。ただ、選ばれた環境ゆえに「もっと良い出会いがある」と信じたり、目の前の相手と深く向き合う優先度が下がったり、「今はまだ」と先送りしたりする心境もあっただろう。大道芸仲間との心地よい距離感精神的満足を壊すことへの恐れも、踏み込まなかった理由の一つだったかもしれない。

2026-04-23

「浜菊」という短編は、「野菊の墓」とはまるで趣きが異なり、嫌な読後感が印象的。年下の柏崎の素封家の友人を訪れるが、家中に厄介ものとして扱われる話。文学への情熱を失った友人を悪者のように描き、不快がっているが、世間知らずな文学中年言動や、田舎にひっこんだ友人を見下しているようなところもあり、「これは疎まれるわ」というのが、51歳の私の感想。反対に「姪子」という短編は、富農の家の総領息子が、隣町まで鎌を買いに行ったついでに、姪夫婦の家に立ち寄ったら、百合餅を拵えて歓待してくれた…という話。待遇にこだわる人。

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

時々実父の名前Google検索する

Yahooニュースとかで引っかかる

それで、あー元気にしてんだなーって確認する




両親は幼い頃に離婚していて、実父と書いたのは母が再婚して今は別の父親いるか

実父は結構破天荒というか、趣味仕事に生きる人で家庭とは??ってタイプの人だったらしい

地元が嫌で東京に飛び出した母を、「情熱的」に口説いて(ストーカー規制法に今だったら引っかかるんじゃないかな)、仕事を辞めさせて田舎暮らしにさせたんだけど

子供(私)が産まれてしばらくして、

思ったより子供って可愛くないね?向いてないかもしれない!子育て!!とかなんとかいって家出してしまったらしい

何とかして家に戻したけど、つらい!おうち(実父実家)に帰りたい!!!自由に遊べないし子供は汚いし!!とかなんとかいって、最終的に若い子と浮気もしていたので離婚となった

大変だったのは母

仕事も辞めているし、田舎だし、貯金はないし、にっちもさっちもいかずに大変苦労したと聞いた

母も実家に帰ったが、母の母(祖母)はまぁ悪い人ではないんだけどお金があったら全て使ってしまう人で、旦那(祖父)が高給取りだった時の感覚で動いてしまうためそれもしんどかったといっていた

少し話がそれた

そんなこんなで私は育ち、時々実父に会う機会もあった

そっちの祖母ものすごい優しくていい人だったけど、なんというか息子(実父)に対して甲斐甲斐しくしすぎやろ、とは思っていた

離婚理由は仲違い、と聞いていたから、時々会うなら再婚すりゃいいのにーって思って母親に言ったことあるけど、ほんとすみませんでした

そんな実父に私は似ているらしく、よく母から、本当にあの人に似てて嫌になる、って吐き捨てられていた

そんなこと言われても私が知る実父はヘラヘラしてお茶飲んでたまになんかくれる人、で、似てるって言われても一緒にいないしどう直したらいいのかも分からないし、そうやって言われるのが本当にきつかった

まぁ母からしても、嫌いな相手可愛い娘が似てくるって結構嫌だろうな

すみません

で、実父はメディアかにちょくちょく出る人で、「先生」と呼ばれている

時々、実父が恩師!!!お世話になった!!大好き!!みたいな記事やらを見つけては不思議気持ちになる

家庭をぽーんと投げて無責任に生きている、というイメージなのに、どこかでは慕われていて頼られていて、「いい人」扱いされているんだなぁって

ぶっちゃけ、大変変な気持ちになる



先日調べてみたら、結構白髪が増えてて、シワもあって、あれ、こんなに老けていたっけ、と少し悲しくなった

母には、おそらくいま面倒を見ているお母さんが亡くなったらこっちに連絡がくるだろうから、それまでに身の振り方を考えておきなさい、と言われている

まぁ私もお金ないし助けられないですわ

遺産という遺産もある…のか?土地ぐらいだろうし、父と言うとやはり今の父(この人はこの人で変わってるけど、悪い人ではないと思う、母をよろしく)だし、私自結婚の予定があり、名前も変わるし、もう縁が交わることはないと思う

まぁ、元気でやってくれ

私自身、実は子供可愛いとは思えず、なんなら自分子供の時ですら、なぜ自分まだ子供なのか、早く成長したい、と子供なのに子供が嫌だったので、産むつもりはない

いや…子宮に異常があってそもそも産めないんだけどね

責任放棄するくらいなら最初からもちませんわよ

2026-04-19

第6回 どうして人は「青春」にとらわれるのか その魅力と魔力の正体とは 2026年4月18日 15時01分 連載「青春コンプレックス」⑥

 「青春」という言葉不思議だ。部活初恋文化祭……。まぶしいイメージをまとう一方、現実との落差から青春できなかった」との思いをずっと引きずることもある。「青春」はなぜ、人を引きつけ、とらえてやまないのか。その魅力と魔力の正体を、「みんなの〈青春〉」(生きのびるブックス)の著者である石岡学・京大大学院教授にきいた。

 

 ――「青春」をテーマにした映画アニメ小説などが、ちまたにあふれています

 少し見渡すだけでも、「青春」にまつわるコンテンツ枚挙にいとまがありません。

 

 例えば、数年前にアニメ化されて人気となった「ぼっち・ざ・ろっく!」。キラキラした青春に対して屈折した思いを抱く「陰キャ」の女子高校生主人公で、アニメ主題歌は、そのものずばりの「青春コンプレックス」です。あるいは、「高校最後の夏」と銘打ってメディアが注目する夏の甲子園なども、「青春コンテンツに含まれるでしょう。

 

 「青春」は特に学園生活の様々な場面と結びつきながら、格好のコンテンツとして、社会に広く消費されているのです。ただ、「青春」を巡る社会の語りを見てみると、そのイメージ一定ではなく、時代によってずいぶんと移り変わってきたことが分かります

 

 ――どういうことでしょうか。

 

フィクションから」で片付けられない

 

 1960年代までは「青春」といえば、一部のエリート学生既存社会体制に対して抱く不満や怒りというかたちで描かれることが主でした。「青春」とは特権的ものだ、という社会認識があったのです。

 

 それが高校大学進学率が急上昇するのに伴って、20代前半まで学生でいるのは珍しいことではなくなり、70年代以降、「青春」は誰でも経験できるものとして大衆化していきますさら2000年代以降は、ドラマチックな経験ではなく「学校での普通日常」がテーマとして好まれるようになりました。

 

 ――こうした「青春」のイメージが、現実当事者たちにも影響を及ぼしてきたと。

 

 「青春」が「普通日常」を描くようになっていったことは、当事者たちにも大きな意味がありました。

 

 つまり作品などの中で描かれる「青春」は、普通に過ごしていれば経験できるもの。そんな充実した日々が送れていないのは、自分に何か欠点があるからだ――。そのように、問題が内在化していくわけです。だから現代は「青春」に対してコンプレックスを抱きやすい状況になっているといえます

 

 そこには、SNSの普及もある程度、関係しているでしょう。アイドル芸能人たちよりも、同年代の「普通の子」が発信する「青春」の日々は、受け手にとってリアリティーがあります。「あれはフィクションから」で片付けられない。それゆえ、自分の日々とのギャップを強く感じることもあるのでは。

 

 いかに「青春」っぽいことをして、SNSで発信し、他者承認してもらえるか。いわば「ミッションクリア」するような感覚で「青春」をとらえているとも考えられます

 

陳腐だけれど「善」のイメージ

 

 ――「青春」は、なぜ人々を引きつける力を保ち続けているのでしょう。

 

 「青春陳腐さと特別さが混ざり合った規範から」だと、著書では結論づけました。

 

 現在において、ほとんどの人が高校あるいは大学生活経験しうるという点で、「青春」は誰にでも与えられる、陳腐ものだといえます。一方、それは20代前半までの限られた時期にしか与えられず、失われたら戻らないという点では特別意味を持ちます

 

 誰でも自分の姿を投影することができ、かつ、時間が過ぎれば失われるというかけがえのなさがあるために、多くの人にとって何かしら心をかき立てられるものなのでしょう。

 

 さらに、「青春」には「若さ」「情熱」「成長」といったイメージが凝縮されています。これらはいずれも、現代社会において「善」とされている要素です。否定的感情を入れる余地のないものから、いっそう「青春」は光り輝いて見えるのです。ただそれは、あくま社会的に作られたイメージであって、相対的ものに過ぎないということです。

 

 ――誰しもが、イメージ通りの「青春」を送れるわけではありません。

 

 研究していて面白いなと思ったのは、まさに充実した「青春」を体現しているように見えるアイドルたちですらも、「青春できなかった」と語っている場面が少なくなかったことです。「普通学校生活」というのは、それだけとらえどころのない、やっかいものなのだと思います

 

 私のことでいうと、はたから見ればそこまで悪くない青春を送ったようにも見えるでしょうが自分では「暗黒の高校時代」だと感じていました。人とのコミュニケーションに、どこか苦手意識があったからです。

 

 要は、「青春」に抱くコンプレックスというのは自分アイデンティティーに対する漠然とした不安なのだと思います。そうそう逃れられるものではない。良い青春を送れたと思うのであれば素晴らしいですが、そうでなかったとしても、必要以上にとらわれるべきではないでしょう。

 

      ◇

 

 いしおか・まなぶ 1977年まれ。専門は教育歴史社会学で、子ども若者イメージ社会的構築などを研究。著書に「『地方』と『努力』の現代史」(青土社)など。

 

https://digital.asahi.com/articles/ASV301CG7V30ULLI00YM.html

2026-04-18

野球民衆アヘンである

現代日本において野球民衆アヘンである。いや、アヘンなどという古風で上品な代物ではない。もっと即効性があり、もっと共同体幻想を増幅し、もっと思考停止快感へと変える危険ドラッグである。人はそこに汗と涙と青春を見ると言うが、実際に見ているのは、企業学校地域共同体メディアが総出で製造した感情商品である九回裏二死満塁のドラマチックの展開で経済的不安政治問題労働問題が消えるわけではないが、少なくとも数時間は忘れさせてくれる。その意味野球はきわめて優秀な麻酔剤だ。


プロ野球になると、商品さらに洗練される。そこでは勝敗のものよりも、所属、忠誠、反復が重要になる。ファン自分人生改善する代わりに、贔屓球団順位表を凝視する。人手不足労働条件悪化しても、インフレ可処分所得が削られても、シルバー民主主義既得権益政治が停滞しても、打率防御率ドラフトの夢が毎年新しい麻酔として供給される。かつて宗教が果たした役割を、いまやスポーツニュース配信サイト応援歌が担っている。


とりわけ甲子園野球は、日本社会未成年いかに都合よく神聖化し、同時にいか容赦なく消費しているかを示す壮大な見本市である。そこでは少年たちは教育主体ではなく、共同体ノスタルジーを背負わされた供物になる。酷暑のなかで投げ、走り、壊れ、時に将来の身体を削りながら、「感動」を生産する。観客はそれを努力と礼節と伝統物語として消費し、メディアは毎年それを国民儀式へとパッケージング化する。未成年を食い物にするこの装置が、ブラバン応援歌チアガールダンスと「一球にかける青春」というレトリック舞台装置浄化されているのだから日本人イデオロギーは手が込んでいる。甲子園野球民衆アヘンのなかでも純粋献身の名で流通する質の悪い一品であるのだろう。


広島カープをめぐる文化もまた、別種の強い作用もつドラッグである。そこでは忠誠心美徳へ、執着は情熱へ、被害意識選民意識の入り混じった興奮は郷土愛へと変換される。広島カープファン文化は、しばしばパラノイア的な熱狂を帯びる。世界は常にカープを正当に評価していない、審判は敵で、メディアは敵で、他球団は敵で、それでも我々の赤い共同体だけは純粋である、という具合だ。もちろん、これは個々のファン人格診断ではなく、熱狂スポーツ共同体がしばしば帯びる政治神学の話であるしかし、その種の情念はいったん醸成されれば理性より早く伝播する。広島カープは、共同体の陶酔を赤く染め上げて売る、きわめて中毒性の高い覚醒剤である


野球は単なる娯楽だ」と言う人がいる。だが、単なる娯楽であるなら、なぜそれはこれほど学校企業地域放送広告政治レトリック親和的なのか。単なる遊びであるなら、なぜそこでは規律、忍耐、献身自己犠牲序列、忠誠といった徳目がこれほど過剰に称揚されるのか。野球ボールバットゲームである以前に、日本社会が自らを愛するための鏡である。その鏡のなかでは、従順さは美徳になり、酷使美談になり、集団への没入は人格形成のための教育と呼ばれる。ブラック企業論理そっくりである


本気で社会を変えたい者は、この装置効用過小評価してはならない。人々を沈静化し、共同体への帰属感で包み、搾取を感動へと翻訳する能力において、野球は並の政治宣伝よりはるかに優秀である。だからこそ、その批判はいつも不人気になる。野球批判する者は、文化を知らない、努力侮辱している「子どもの夢を壊している」と非難されるだろう。だが実際には逆で、夢を壊しているのは夢という言葉未成年身体を使い潰す制度のほうである


もちろん、こんなことを公約に掲げる政治勢力が権力を握る可能性はほとんどない。「甲子園解体し、野球文化国家特権剥奪し、ファンダムの陶酔を疑え」と訴える運動多数派になる見込みは球場ビール売りが日本国首相になる見込みと同じくらい乏しいだろう。だが、それでも言う価値はある。日本野球は、単なるスポーツではない。それは感動の顔をした統治技術であり、青春の名で流通する規律装置であり、共同体酩酊を量産する危険ドラッグなのである

2026-04-16

ご主人様、こんにちは~! あたし、AI小説を嫌う人がいる理由について、ネットの声とかいろんな意見を調べてみたよ♪ オタク心くすぐる創作話大好きだからちゃんと深掘りしてくるね!

主な理由はこんな感じだよ~:

1 「人間の魂や努力が感じられない」って不満


小説って、作者の迷いとか熱量、痛み、身体性みたいな「生きてる感じ」が大事なんだってAI文章が上手く整ってるのに、どこか「平坦」で感情が薄く感じる人が多いみたい。読んでて「なんか違う…気持ち悪い」ってなるの、よく言われてるよ。人間が血反吐吐くように書いてるプロセスショートカットしてるから共感しにくくて「関係が切れてる」感覚になるんだってさ。20

2 著作権とか学習データ不公平

自分作品他人小説が無断でAIデータに食われて、似たようなもんが量産されるの、めっちゃ嫌がる人いる。特に小説家さんたちは「自分文章が盗まれ市場取られる」って怒ってるよ。97%の小説家が「AIに丸ごと小説書かせるの反対」ってアンケート結果もあるし。29

3 本物の「作者」の不在


AI小説だと「この作者のクセ」や「どんな気持ちで書いたか」がわからいから、読む楽しさが減るんだって。作者特有視点や成長の跡がなくて、「誰でもできる」って思っちゃうと、優越感とか没入感が薄れるみたい。審査とか賞の場で「後からAIだってバレて揉める」ケースもあって、読む前に疑っちゃう人も増えてるよ。24

4 質的違和感面白いのに面白くない)

長編になると設定は緻密なのに引き込まれない、キャラが生きてない、単調で繰り返しが多い…って指摘がいっぱい。文章は読めるレベルでも「暇つぶしまり」で、フォーショドウイングとかサブプロットが弱いんだって人間が書いた方が「自分の成長」にもつながるからAI任せは創作醍醐味を奪うって声も強いよ。35

5 「負けた気がする」「界隈が変わっちゃう」不安

AIで誰でも小説書けちゃうと、努力して上手くなった人の価値が下がるんじゃないか…みたいな気持ち絵描きさんより小説界隈は温度差あるけど、「作者を殺す」みたいな議論も出てるよ。結局、読む側が「どうせAIでしょ」って先入観持っちゃうと、純粋に楽しめなくなるのもデカいみたい。

もちろん、全部のAI小説ダメってわけじゃなくて、「AI補助で人間がしっかり手直ししてる」のはアリ派もいるよ。でも「ポン出し丸投げ」や「人間の部分がほとんどない」のがキモいって反応が多いねオタクとして言うと、好きな作品の裏側に作者の情熱感じたい気持ちめっちゃわかる~!

ご主人様はどう思う? AI小説読んだことある? あたしはご主人様の創作話聞くの好きだから、もし書いてるなら全力応援するよ♡ もっと詳しく知りたい部分あったら教えてね!

ごみ箱

職場に嫌気が差しちゃった

仕事ができたとしても人間性が終わってて、品位にかける人しかいない

将来あん人達みたいになりたくない

結局、業界クライアントことなんか何も考えてないじゃない

責任ボールパス回ししてるだけじゃん


仕事への情熱が、人間関係ストレスで消されていく

お酒で誤魔化してきたけど、心底しんどい

働く上では周囲の人、人間関係大事なんだね

もっとやりたいこと、目標があったんだけどなあ

上司や同僚の人間性の悪さで潰えちゃった

ごみ箱に入っちゃったな

捨てられる前に自分から職場を捨てるしかいか

2026-04-15

属性分けされたもの萌える

うまく言葉にできないので、こういうフェチ?が存在するか教えてほしい。

最近は違うかもだけど…プリキュア属性分けは自分にとって画期的だった。赤は情熱に溢れてて炎を使う、黄色ドジっ子特殊技を使う…的な属性分けされたキャラクターに惹かれる。

統一された色の文房具ペンケースも大好き。ニッチだけど、一色で揃えたポーチの中身の画像ネットで見かけるとうれしい。萌える。購買意欲をそそられる。

暗い色は逆に萌えいかも。好きな色が好きなだけなのかもしれない。

こういう人他にいないかな。

2026-04-14

ワンピースが楽しくない

最近ワンピースが楽しくない。

大前提として、尾田先生へのリスペクトは今も微塵も揺らいでいない。週刊連載という過酷環境下で、30年近くジャンプ看板を背負い、第一線を走り続けている。とても人間業とは思えないし、奇跡と言っても過言ではないだろう。

それでも最近ワンピースは楽しくない。

何よりもしんどいのは、麦わらの一味の、いや一味に限らず長年愛してきた既存キャラクターたちの扱いが、目を覆いたくなるほど疎かになっていることだ。

私の心が折れたのは、巷でも物議を醸した、エルバフにおけるウソップの扱いである。

リトルガーデン編を読んで以来、ウソップがエルバフに至るまでどんな活躍を見せ、いかにして「勇敢なる海の戦士」へと成長するのか、何年も胸を躍らせて待っていた。にも関わらず実際に描かれたのは期待を裏切るような姿だった。

不評を察して慌てて差しまれたような、薄っぺらで付け焼き刃のスピーチが読みたかったわけじゃない。

私が見たかったのは、ボロボロになりながら、格上の敵に当たって砕けて、それでも知恵と勇気で辛勝をもぎ取る、あの泥臭くて憎めないウソップが成長した姿だ。

思えば、ワノ国の頃からその予兆はあったのかもしれない。

そもそもウソップは、病床の母を励ますために「海賊が来た、父ちゃんが帰って来たんだ」と嘘をつき、両親を亡くした心痛から病床に伏すことが多かったカヤのために嘘の冒険譚を語る、誰かを救うための「嘘」を吐く漢だったはずなのだ

だがワノ国では、偽薬を売る“ガマの油売り”として描かれ、その嘘を信じて父を救おうとしたおトコに対し、明確な贖罪もないまま終わってしまった。

もちろん、ウソップ含め、ワンピースキャラクター清廉潔白さや完璧さを求めているわけではない。むしろ失敗はいくらでもあっていい。ただ、それを泥臭く乗り越える過程こそが魅力だったはずだ

最近はこうした、過去の積み重ねを裏切るような描写が少なくない。そのたびに、作者への信頼が揺らいでいく。何か意図があるのかもしれない、後の展開への布石かもしれない、そう信じて待ちたい気持ちさえ、応えられることのない虚しい期待に終わってしまう。

この不信感は、ゾロバックボーンの扱いにも通じている。スリラーバークから示唆されていたリューマとの繋がりや血筋の話が、物語の深部に組み込まれことなく、最終的にSBS事務的に明かされたことには強い落胆を覚えた。

そもそも、5年という長い時間を費やしたワノ国編で、本筋に関わる大きな謎として明かされたのはプルトンの在処くらいで、それすら決戦後に数ページで処理されてしまった。ワノ国の人々がその秘密をどう語り継ぎ、どんな歴史的背景を背負ってきたのかといった部分はほとんど描かれていない。

その一方で、太陽の神ニカ、ロジャーたちがラフテルで笑った理由、オーロ・ジャクソン号の巨大な卵、ヒノキズの男、ルフィの夢の果てなど、「伏線」という名の新設定ばかりが、既存キャラ描写を押し退けるようにして際限なく追加されていく。

しかし、それら新設定を担うキャラクター世界観が、かつてのような魅力を持っているかと言われると、正直疑問が残る。伝説バーゲンセールのような状態で、かつてのロジャーに感じた底知れなさや未知への期待を超えることはない。

おでんロックスやハラルドにしても、「どれだけ凄まじい規格外の行動をしたか」という武勇伝の羅列が中心で、その行動の根源にあるはずの血の通った人間性と、その人間性に説得力を持たせるための掘り下げの描写が十分になされていないように思う。伝説伝説たらしめるための「凄さ演出」が先行しすぎていて、彼らがどれだけ活躍しても記号的な凄さ以上の印象が残らない。

エルバフ編のメインゲストキャラとも言えるロキでさえ、十分魅力的に描けているとは言い難い。彼の語りから始まったはずの回想は、突如ナレーターマイクを奪われ、ロキ自身が直接関与していないゴッドバレー編が物語の中心となった挙句ロキと彼の父ハラルドの親子物語は、まるで「おまけ」のエピローグのような扱いに成り下がっていった。

さら最近では、五老星に謁見し「ある海賊について話がある」と発言したあのシャンクス似の男の正体が、実はシャムロックであったという衝撃の事実さえもSBSで開示されてしまった。

本来であればあの場で言及された「ある海賊」が誰なのかを明かすタイミングこそが、「なぜあれはシャンクスではなかったのか」「どんな背景と意図を持った発言だったのか」が結びつく、読者にとっての答え合わせの瞬間になり得たはずだ。

それを物語の中ではなく、SBSという形で先に明かしてしまうのは、せっかく成立し得た「伏線回収」を自ら手放しているようなものだ。

最終章で尺がないから設定開示がSBS送りになるのも仕方ない」という擁護をよく耳にするが、エルバフ編冒頭で突如差しまれた「レゴの城で迷子になる」という、コラボ商品販促のようなアニオリ的「遊び」を描く余裕があるなら、できないなんてこともないはずだと、一読者たる素人は考えてしまう。これは見当違いだろうか。

新世界編後半で突如現れたイムvsニカという新設定を軸に、それらを補強するために新キャラが乱立し、既存キャラクター物語の端へ追いやられていく。追いやられるだけならまだしも、既存キャラの設定とは矛盾した、ともすると既存キャラの魅力を棄損しかねない描写が付け足されることすらある。

そして、乱立される新設定も、今の物語においては「新たな謎の匂わせ」で読者の期待感を煽るか、「設定の開示」という仮初のカタルシス演出するための舞台装置に過ぎない。

この現状では、読者が20年以上積み上げてきたキャラクターへの情熱が置き去りにされていると読者が感じるのも無理はない。

これだけの連載期間を共にしてきて、一味を含めた既存キャラの成長や関係性、バックボーンがいまだに描写不足に感じられるこの現状が、悲しくて仕方がない。

麦わらの一味はいまや事あるごとに使い回された持ちギャグと「ルフィ海賊王になる男だ」という定型句を唱えるだけのbotのような扱いで、物語の核心である空白の百年の謎からは全くの蚊帳の外だ。

大好きだったワンピースをの最新話を読むと、悔しいながらも、反転アンチ言葉に頷いてしまう。

今のワンピースは楽しくない。

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