はてなキーワード: 企画書とは
仕事で関わっている相手から、ちょっとした企画書のドラフトが送られてきた。
でも、読んでいて、どうにも引っかかる。
なんというか、「誰の声もしない」んだ。
言葉が全部、どこかで見たような言い回しで、感情の温度がゼロ。
「とりあえずたたき台として出してみました」って。
いや、“とりあえず”って言うけど、あなたの名前で送ってるんですよ。
自分も下書きや要約に使うことはあるし、道具として便利なのはわかる。
でも、それを“他人に見せる”段階で出してくるのは違う。
それを相手に渡すということは、
「あなたに渡すものを自分では考えてません」って言ってるのと同じだ。
少しの人間らしさが滲む。
それが信頼につながる。
「とりあえず形になってればいいでしょ?」って態度が透けて見える。
AIの文章を送るなら、「AIで書かせましたが、内容を検討してください」とか、
せめて一言添えてほしい。
そうすれば、こっちも割り切って読める。
でも、そうじゃなくて、まるで自分が書いたみたいに送ってくるのは、
なんか、すごく虚しい。
わからなくなる。
———
ChatGPTで生成
一度、ここで書いてみたいと思ってた。初老が近いおじさんである。
会社勤めとしてのディレクター業について執筆したい。辞めてから時間が経つけど、たまにあの頃の夢を見るのだ。
最近の夢だと……バラエティ番組の収録の時だった。当時は新入社員に毛が生えたくらいの若造の頃。
ナインティナインの2人がネタ合わせしてる横で、ADである自分が怒鳴られてる夢である。夢じゃなくて、本当にあったことなんだが。いい夢を見ることもあるけど数は少ない。
今はフリーランスの映像ディレクターをやってる。仕事は順調……とは言い難い。仕事が少ない年もある。
でも、食いっぱぐれる心配はない。一応そういう実力がある。お金がなさ過ぎて餓死なんてことはない笑
だから、もう時効かなと思って、昔の話を書こうと思った。大手テレビ局にいた頃の話だ。
え、なに。守秘義務?エンタメ業界にそんなものはない。特定個人や企業の名前を出さない限りは、お見逃しの世界である。ええい、ままよ。ぶっちゃけてやろう。
小さい頃からテレビっ子だった。特にバラエティが好きで、将来は絶対ああいう面白系の仕事がしたいと思ってた。小学生~中学生の頃は、お笑い芸人になりたかった。人をニコニコさせるのが好きで。ただまあ、才能がないのって、子どもながらに露骨にわかるんだよな。
勉強ができたか?と言われると、割とできる方だった。要領がいいというよりは、突き詰めて普通の人よりも勉強して高得点をとる感じだった。大学は早稲田に進学した。今は亡き(?)社会科学部である( ;∀;)
就職活動の結果、テレビ局の内定をもらえた時は本当に嬉しかった。人生のピークだったかもしれない。
入ってみたら想像とは違った。
配属されたのは、生ける伝説みたいなバラエティ番組の制作部署だった。ここまではいい。配属希望は通ったのだから。
自分はADとして入った。一般的なルートである。珍しい新卒だと、最初がカメラマンや大道具という珍しいパターンもあるにはある。
仕事だけど、最初は正直何やってるのかわからなかった。とにかく怒鳴られる。プロデューサーから、先輩ディレクターから、出演者から、下請けの制作会社の人から、とにかく罵倒の嵐だった。なんというか、現場での動き方がわからなかった。学生時代にイベント運営の仕事をしておけばよかった。
正式じゃない企画会議(デスク周りや喫煙所でやるような……)に呼ばれることがあっても、「面白くない」「もっと笑い取れるの考えろ」って言われ続ける。それこそ誰からも。
ある時は、夜中の3時まで明日の収録の準備で残っていた。実際、自分の仕事はほぼなかった。担当ディレクターが帰れないだけであり、自分やほかのスタッフはそれに引きずられる格好だった。
それでも、「さあ帰ろうか」という雰囲気になったところで……
「明日までにあれ用の新しい企画を出してこい。運がよかったら使ってやる」
とか普通に言われる。徹夜もある。週に2,3回、家に帰れたらラッキーだった。あの頃は若かったので、ああいう夜型の生活ができた。今は無理だ。眠気に勝てない。
職場の奥には簡易ベッドがあって、そこで寝るんだけど、寝てる間に先輩に……「寝てんじゃねえよ!」って蹴られることがあった。完全に嫌がらせ、憂さ晴らしだった。人間、疲れるとこうなってしまう。
仕事ができる人でもそうだった。
疲労が極限に達すると、おそろしいくらい残酷になる。ある時、先輩ディレクターと女性ADが現場の配置関係で口喧嘩になっていた。今思えば、考えられないほど下らない理由だった。
その争いの現場はちょうど、小道具が置いてある狭い狭い空間だった。そこでひたすらに道具を指さしながら、喧嘩をしている。
その女性があまりに文句を言ってるので、その先輩ディレクターは、何か重たい小道具(ごみ箱みたいな?)を持ち上げると、彼女が出られないような位置にドカン!と置いたのだ。
自分はただ、出入口のドアからそれを見て「かわいそうに」と思っていた。思うだけで、助けようという気力は湧かなかった。大学生の頃だったら、助け舟を出したに違いない。
案の定かわいそうに、円柱状の小道具が重過ぎて持ち上げられない女性ADのさーやちゃんは、そこらへんの絨毯みたいになってる小道具に突っ伏すと、わんわん泣きだした。
男性ディレクターは、そんな様子をさらにからかっていた。これが、疲労が人間の態度に及ぼす影響である。今でも気を付けるようにしてる。
あとは、ある料理番組の野外ロケだった。イケメンを多く輩出する芸能事務所の若手タレントがキャンプ場で料理に取り組んでいた。
「バカ。使った皿は洗う必要ない。ズボンで拭いとけ!男やから、どうにかなるわ。イケメンなんやし。いいか、増田。ばい菌だって、巡り巡ってまた口に入るんやから。それが世の中ってもんだよ」
何を言ってるか意味不明だった。先輩の人格が壊れていた可能性がある。
この撮影現場というのは、野外キャンプでの調理だった。イケメンのタレントさんが食べた後の皿を……ちょうど水場がなかったので、そこらへんにあったエプロンでササっと拭いて、別のタレント用に再利用した場面である。実際、これくらいのことは日常茶飯事だった。
そのタレントさんは若かったけど、多才な挑戦で知られる人だった。普段は二人組で、もっと若かった時に、女の服を来てピンクレディーの楽曲をテレビで披露していた。
性被害……いや、このあたりのことはさすがに書けないし、「書いていいよ♪」と言われても書かない。こればかりは矜持である。アナウンサーから照明、カメラマン、道具係、ADに至るまで、一応は元仲間である。そこまでするつもりはない。
30代になっても体調は悪かった。ご飯はいつもコンビニ弁当だ。風呂にも何日も入れないから、体から変な匂いがする。誰かに指摘されたら「焼肉を食べたんだ」ってごまかした。口内炎は治らないし、胃はずっとキリキリしてる。
身も心もボロボロだった。一応は、大卒総合職のはずだった。オフィスで働く人のはずだった。想像していたホワイトカラーとは違っていた。
さて。この頃の俺は、ディレクター(※特に演出のこと)になる年齢が近づいていた。正直いうと、実質的なディレクターだった。上の人がサボりがちであり、自分の方にディレクターが行うはずの仕事を振っていた。
だから、企画会議では、芸能人のどうでもいいスキャンダルをいじったり、誰かを笑いものにする企画が出てくる。芸人同士の暴力は基本であり、人権感覚など持ち合わせてなかった。あの頃の局全体は、マジでアホだったと思う。
なんで、あんな会社で働いてたんだろう……と言うと、理由はひとつだ。「番組を作りたいから」である。ほんのちょっとでも自分の爪痕を世の中に残せたら、それはなんて素晴らしいことだろうと感じていた。
ただ、テレビを見る人の「ペルソナ」って……当時のテレビ業界人の認識においても、「低俗な内容が好きな人」だった。今だからぶっちゃけてしまおう。皆そういう認識だった。
今でも同じだと思う。インターネットだと、「やらおん!」「はちな起稿」とか、youtubeだと「アシタノワダイ」「フェルミ漫画大学」とか、あとは暴露系が人気を博している。Xの低俗さはもはや基本。あれが人間の本質の一部である。
人の心を動かす作品を作りたかった。実録ドキュメンタリーとか、社会の矛盾を突くようなドラマとか。そういうのが好きだった。特定作品だと、水上勉の『雁の寺』『海の牙』『火の笛』『土を喰う日々』が好きである。
一度だけ、飲み会の場でそういう発言をしたことがある。「社会派作りたいな~」って。でも、そんなこと言おうもんなら、「何言ってんの?」「誰が見るんや!!」「うちでは作れない」って一蹴される。
自分らはテレビ局の奴隷だった。視聴率という数字に魂を売った奴隷である。視聴率のためなら、人権侵害も上等の集団。上の人達も同様。
そんな日々の中で、心を救ってくれた作品があった。
地獄のような日々が続いていた30代後半のある夜、たまたまテレビをつけた。とりあえず、家に帰ったらテレビを見る。同業他社の作品を観て勉強するのだ。その時も軽い気持ちだった。
その作品は、テレビ東京でやってた『ハイパー ハードボイルド グルメリポート』だった。
見たことある人がいるかもしれないが、世界のヤバい地域に行って、マフィアとかギャングとか戦争難民とか、そういう人たちが何食べてるのかを映すドキュメンタリーだ。書籍作品で言うと『もの食う人びと』に近いものがある。
最初は「なんか変な番組やってるな」くらいに思ってた。でも、見始めたら目が離せなくなった。
あの時、画面に映ってたのは、コロンビアの元麻薬密売人だった。彼は仲間と、貧しい家で豆を煮て食べていた。その顔には、絶望と疲労と、それでも生きようとする強い意志が混じり合ってた。
「これだ!」と思うと涙が止まらなかった。
俺が作りたかったのは、こういう作品だった。くだらない笑いじゃなくて、人間の本質に迫るような、生々しくて、でも美しいもの。
画面の彼は「食べることは生きることだ」って言ってた。当たり前の言葉だけど、すごく重く響いた。
自分達が毎日作ってる番組は、誰かを笑わせることはできても、誰かの魂を救うことはできない。誰かの心に深く残ることはできない。精神性がないバラエティ番組を作っている。
上っ面ばかりの、人間の心の表層を撫でるだけの、そういうコンテンツ。自分が作りたかったのは、人間の心の底流(アンダーカレント)を刺激する番組だった。
テレビ局を辞めることを決意した。独り立ちの準備を重ねたうえ、約二年後に退職願を提出した。
退職届を出した時のことを覚えてる。人事部長が「もったいない」と言ってた。俺の同期にも辞めた人が何人もいて、知る限りでは、みんな同じことを言われてた。
でも、いいやって思えた。命まで取られるわけじゃない。自分自身の命さえあれば、人の魂を救える作品づくりができるはずだ。
そんなこんなで、業界の伝手を辿って念願の独り立ちを果たした。いわゆるフリーランスである。ほかの会社に勤めるという選択肢はなかった。テレビ東京に不採用になったのもあるけど笑
最初は大変だった。フリーランスになったものの仕事は少ない。貯金は減っていく。実家からは「ちゃんと仕事してるの?」って里帰りの度に聞かれた。昔の同僚からは、飲み会の時に「今何してんの?」と聞かれるけど、何とも答えにくかった。それでも答えたが。
初年度の年収は、フジテレビにいた頃の4分の1くらい。段々と家賃も払えなくなって、ボロのアパートに引っ越した。都心に出るまでに電車で何十分もかかるような。
後悔はなかった。テレビ局に居た頃は毎日が「作らされてる」感覚だった。誰かの指示で、誰かの期待に応えるために、自分の心が望まないものを作り続けてた。
今は違う。自分が作りたいものを、自分の手で作ってる。CM企画の仕事でも、ドキュメンタリーの編集でも、放送作家に近い仕事でも、全部自分がやりたいことだ。
特に大きかったのは、サブスクの動画配信サービスでの番組制作の仕事だ。2025現在、アマプラなどでは自社がお金を出してプロに作らせるのが一般的だが、当時は盛んではなかった。
ある時だった。飲み屋で知り合ったのがきっかけで、自分の企画書を見てくれたプロデューサーが「面白い」と言ってくれた。それは、テレビ局では「視聴率が取れないから無理」と言われるような、いわゆる追放もののストーリーである。社会の片隅に追いやられた人が底辺で足掻くお話だった。『モンテ・クリスト伯』みたいな。
その動画配信サービスのプロデューサーは「視聴率はそこまで関係ない。ある種のペルソナ、ある種の人達にどれだけ深く届くかが大事」と言ってくれた。そういうわけで、自分が作りたいものを思う存分作ってやった。
一週間のうち、最低でも数日は充実している。あの頃とは比べ物にならないほどの多幸感である。
朝起きて会社に行くわけじゃない。スタジオに行くことは月に何度もあるけど。基本は自分の家で、自分のペースで仕事をする。疲れたら好きなだけ休める。
テレビ局にいた頃は、自分が何のために働いてるのか分からなかった。魂をすり減らしてる感覚だった。
今は違う。自分が作ったドラマを見て「感動した」とか「考えさせられた」とか「面白かった」とか、そういう感想をもらえるとマジで嬉しい。作品が誰かの心に届いてる。そう思うと、もっと頑張ろうって思える。
年収はまだ低い。テレビ局時代の約半分である。結婚はできないかもしれない。
でも、幸せだ。あの頃の俺はイライラしてた。自分の好きなものを作れなくて、世の中にウケるものだけを追い求めて、消耗していた。自分が自分でないみたいで。
あのグルメリポートの番組に感謝してる。そしてあの時、勇気を出してテレビ局を辞めた自分に感謝してる。
不安でしょうがなかったけど、あの頃の不幸だった自分がいるから、足掻いていた頃の自分がいるから、今があるんだと思える。ありがとう、あの頃の私。諦めないでくれてありがとう。
もし、仕事に疲れてる人がいたら、自分の心を無視しないでほしい。本当にやりたいことは何だろう、って自分に問いかけてみてほしい。人生を変えるきっかけになるかもしれないから。
これは、私のAIイラストが、無断でAIに利用された時の話です。
昨今、Gemini 2.5 Flash Image(NanoBanana)のような、画像とプロンプトを入力するだけで様々な画像を簡単に生成できるサービスが話題になっています。その手軽さ故に、他者の画像を「参考画像」として安易に使用してしまうことで、意図せず著作権侵害を引き起こしてしまう可能性があります。
この記事では、実際に私が遭遇した出来事を通して、何が起きたのか、そしてどう対処したのかをお伝えします。また、AIクリエイターの皆さんが、自分の作品を守るためにできる対策についてもまとめました。
この出来事が、AIと人間の創作がどのように共存していくべきか、考えるきっかけになれば幸いです。
私はAIイラスト特化型のプラットフォーム「イロミライ」に、自分のAIイラストを投稿しています。ある日、いつものようにプラットフォームを訪れると、とあるユーザーの投稿に目が留まりました。
それは、Geminiの機能を使って生成されたという、ドローンアートをモチーフにした画像でした。
一見しただけで、「あ、私のイラストが使われている」と、すぐに分かりました。
そのドローンアートの構図やキャラクターデザインは、私が過去に生成したAIイラストと完全に一致していたからです。
正直な感想として、「こんなもの、画像加工アプリでモノクロフィルターをかけたり、二値化するフィルターをかけたりしたのと大差ないのでは?」と感じました。それを、何の断りもなく「ファンアートです、どうぞ」というような態度で公開されたのです。
自分の作品が、まるで簡単な加工を施されただけのもののように扱われたことに、不愉快極まりない気持ちになりました。
そのユーザーは、私の作品以外にも、元の画像をコスプレ風にしたり、ドローンアート風にしたりと、様々なAI画像を連続して投稿していました。
プラットフォーム内でもその連投は異質で、滑稽に映っていました。
自分のイラストが使われているのを見つけた私は、すぐに投稿サイトに報告しました。
しかし、数日経っても運営からは何の返信もなく、投稿は削除されませんでした。
そこで私は、直接本人に連絡をとることにしました。Discordを通じて、なぜ私の作品を無断で使用したのか、そしてその行為が私にとってどれほど不快なことかを伝えました。
謝罪の言葉を受け取った時、私は少し安心しました。これで解決する、そう思いました。
しかし、その謝罪から2週間以上が経った今も、投稿は削除されていません。
謝罪はしたものの、「削除するほどではない」と軽視されているのかもしれません。
相手には、自分さえ良ければいいという自己中心的な考えが見て取れ、相手の気持ちを思いやることができていないと感じました。
この件で、私が「無断転載」ではなく「無断使用」という言葉を選んだのには理由があります。
一般的に、無断転載とは、元の画像をそのまま、あるいはほぼそのままの形で別の場所に掲載する行為を指します。
しかし、今回のケースでは、私のイラストがそのまま使われたわけではありませんでした。
私の作品は、AIの**「参照画像(reference image)」**として利用されたのです。
投稿されたドローンアートは、非常に特殊なプロンプトに従って生成されていました。そのプロンプトには、以下のような指示が含まれていました。
つまり、AIは私のイラストを直接コピーしたのではなく、この詳細な「企画書」のようなプロンプトに従って、新しい作品を生成するための「素材」として利用したのです。
これは、画像をまるごと転載する「無断転用」よりも、**「無断使用」**と呼ぶ方がより正確だと私は考えています。
「AIが作ったものなのだから、誰が使ってもいいのでは?」と考える人もいるかもしれません。
しかし、もしAIがその学習過程で、私の創作的な意図や表現を無断で使用していたとしたら、それはクリエイターにとって大きな問題となります。
今回の件は、まさにその問題が可視化された瞬間だったと言えるでしょう。
今回の経験を通して、AI時代のクリエイターが自分の作品を守るために、日頃からできる対策がいくつかあると感じました。
作品にあなたのサインやロゴなどのウォーターマークを入れることで、それがあなたの作品であることを示せます。AIはウォーターマークを認識・除去することがありますが、視覚的なアピールとしては有効です。
作品のキャプションやプロフィール欄に「©[あなたの名前]」や「無断転載・無断使用を禁じます」といった著作権表示を明記しましょう。これにより、無断使用への警告効果が期待できます。
これらの対策は、AIによる意図しない利用から、あなたの作品を完全に守るものではありません。
しかし、リスクを減らし、万が一の事態に備えるための第一歩となります。
今回の件を通じて、私はAI時代におけるクリエイターの責任と同時に、AIサービス提供者やユーザーそれぞれに求められる役割があると感じました。
私のようなAIクリエイターが安心して作品を公開できる場であるために、運営には「著作権」に関するより明確なルールを設けていただきたいと強く願います。
例えば、Gemini NanoBananaのように、他者の画像を元に新たな画像を生成するAI機能を利用して投稿する際のルールです。
元となる画像は、投稿者自身が生成したAIイラストや写真に限るといった規約の明文化を求めます。
これは、プラットフォームがクリエイターの作品を守るという強い意志を示すことにつながり、安心して創作活動を続けられる環境を築く上で不可欠だと考えます。
AIは強力なツールですが、その使い方には高い倫理観と配慮が必要です。
Geminiを利用して新しい作品を生成する際は、**「元となる作品は誰のものか」**という視点を常に持ち続けてください。
「AIが作ったから」という理由で、他者の作品を安易に利用することは、その作品に込められたクリエイターの努力や意図を軽んじる行為にほかなりません。
だからこそ、その道具を使って何を作り、どのように扱うのか、**「創る責任」**を私たち一人ひとりが考えるべき時が来ているのだと感じています。
エンジニアとテクニカルアーティストの応募者に対して現場サイドからの面談に結構な回数出たことがあるので、特に業界外からの転職希望者の方に求めていた要素(1+)2つを書いてみようと思う。
当たり前だけれど一応。募集要項に書かれている言語やらツールやらのどれか一つくらいは精通してないと面談までいかない。
ゲームは動く絵を作るのでアーティストさんでも科学的思考が大事。時間/空間方向に変化する画面を破綻なく成立させるには理屈がないとしんどい。
嘘物理やセルルックのような非現実なら不要かというとそんなこともなくて、むしろこんなトリックでなら実現できますというマジシャンのような思考が必要でなおさら難しい。
といっても別に数式とかそういう話ではなく、例えばエンジニアならのシミュレーションの話、アーティストなら色の錯視の話など、それぞれの得意分野での理屈をスコープにあわせて説明できれば良い。
面談としては、ポートフォリオから技術的に苦労した点を聞いてその返答から測る事が多かったと思う。
日頃から分析グセがあったり、それを他人に説明するのが上手い人は貴重。天才がトップに居でもしないかぎりゲームは仕様書通りに作っても完成せず、下につく開発者が制作中からフィードバックを返したり企画書に書かれていない部分を補間しながら作る必要があるので。
わかりやすい例でいうとプレイヤーキャラクターのジャンプ。スピーディなゲームといっているのに丁寧な踏み切りモーションの指定が来たら作業開始前に発注側に確認したいし、ジャンプの細かな挙動に対する"ゲーム上での"気持ちよさを作業者が感じ取れないと何度も差し戻しになったりする。
幸いこのあたりの話は、桜井さんの動画のおかげで必要性がだいぶ伝わりやすくなった。
こちらは、最近遊んで面白くなかったゲーム、あるいは楽しんだけれど言いたいことがあるゲームを聞いてどう返すかで判断していた。
会計システムの更改案件。ナウいヤングにアットハートなキラキラしたシステム名をAIに考えさせてみた!!!
企画が通りやすい「キラキラ会計システム」名
1. Visionary Finance (ビジョナリー・ファイナンス) 💎
「Visionary」は先見性や未来志向を表し、最先端の技術を活用したシステムであることをアピールできます。シンプルでありながら力強く、経営層にも響く響きです。
2. StellarFlow (ステラフロー) 💫
「Stellar」は「星の」や「素晴らしい」といった意味があり、システムが円滑に、そして輝かしい成果を生み出すイメージを伝えます。「Flow」はデータの流れや業務プロセスのスムーズさを表現します。
3. FinAIze (フィナイズ) 💡
「Finance」と「AI」を組み合わせた造語で、AIによる自動化や高度な分析機能を直感的に連想させます。新しさと知的な印象を兼ね備えています。
4. Quantum Ledger (クオンタム・レジャー) 🚀
「Quantum」は最先端の技術や次世代のイメージを与えます。「Ledger」(帳簿)という従来の言葉と組み合わせることで、会計システムとしての本質を保ちつつ、未来的なイメージを強調します。
5. Polaris (ポラリス) 🧭
北極星を意味する「Polaris」は、システムの信頼性や、未来の羅針盤となるような存在を象徴します。落ち着いた印象の中に、確固たる先進性を感じさせます。
これらの名前は、それぞれ異なるアプローチでシステムの先進性をアピールします。企画書の内容や、どのような点を特に強調したいかによって最適なものを選んでみてください。例えば、AIによる自動化を強く推すなら「FinAIze」、信頼性と未来志向を両立させたいなら「Polaris」がおすすめです。
AI、意外とまともだった。
マジな話、「ひらめき」みたいなものだけで生きている人は多い。どういうことかというと「考える」という習慣がないんだ。とにかく直感的で、物事をパッと見たときに得られる直感だけを頼りにして判断している。そんな人はマジにいる。そして恐ろしいことに、そういう生き方でもある程度は普通に生きることが出来るんだ。
まず、彼らは資料を読まない。企画書だろうが仕様書だろうが、最初の数行を見ただけで「あー、わかったわかった」とか言って勝手に解釈する。で、後から全然違う話をしてきて、「え、そんなこと書いてありました?」って平気で言う。頭の中では自分の直感が正解だと確信してるから、文字なんてどうでもいいんだ。
次に、議論ができない。論理的に積み上げて結論を導くってことが理解できない。「なんとなくこっちがいい」「直感的にこれは違う」「雰囲気でわかる」。こういう言葉しか出てこない。根拠を求めると「感覚でしょ?」って逆ギレしてくる。
直感で相手の感情を読むのは得意だから、上司に気に入られるのが上手い。会議でも的確な場面で「そうですよね!」って相槌を打って、味方についてくれそうな人を嗅ぎ分ける。論理的思考はできないが、政治的思考は天才的だ。
さらに、失敗しても責任を取らない技術も身につけてる。「直感だったから」「なんとなくそう思っただけ」って言い訳すれば、周りも「仕方ないか」って思ってしまう。論理的に組み立てた提案が失敗した時より、責任が軽く見られるんだ。
恐ろしいのは、こういう人間が管理職になることだ。部下が論理的に説明しても「で、結論は?」「要するに何?」って直感レベルまで話を単純化させる。複雑な問題も「やってみればわかる」で片付ける。
でもな、もっと恐ろしいことを教えてやる。
こういう直感人間の方が、実は成功してることも多いんだ。論理的に考えすぎて動けなくなってる俺たちを尻目に、彼らは「なんとなくいけそう」でどんどん前に進む。分析に時間をかけてる間に、直感で動いて結果を出してしまう。
結局、世の中の大部分は論理じゃなくて感情で動いてる。顧客だって、商品の機能より「なんとなくいい感じ」で買い物してる。そういう世界では、直感人間の方が圧倒的に有利なんだ。
俺たちみたいに考えすぎる人間は、彼らを馬鹿にしがちだが、実際は負けてることの方が多い。論理的思考が必要な場面なんて、仕事全体の2割もない。残りの8割は直感とコミュニケーションで決まる。
だからこそ腹が立つ。頭使って考えてることが、結局は無駄だったりする。直感だけで生きてる奴らが、のうのうと成功してる現実を見ると、自分が馬鹿みたいに思えてくる。
でも諦めるな。論理的思考ができる奴は、最終的には直感人間より深いところで価値を生み出せる。ただし、それを相手に伝える技術も身につけろ。直感レベルまで落とし込んで説明する技術をな。
新入社員、きみたちは会社の中を歩き回るとき、何を考えているんだ?
きみたちの耳には、きっと会社の将来だとか、最新の技術トレンドだとか、そういう話ばかり入っているんだろう。それはそれでいい。会社の未来を担うのは、きみたちなんだから。
でも、たまには、ちょっと耳を傾けてみてくれないか。俺たちが話す、あの頃の、ちょっと時代遅れかもしれない「武勇伝」にさ。
俺は聞きたいんだ。「すごいっすね!」「そんなことできたんですか!」と目をキラキラさせて、若々しい声で俺たちの過去の栄光を称賛してくれるきみたちの言葉を。
「当時はネットもなくて、全部手書きの企画書だったんですよ」とか、「電話帳片手に飛び込み営業して、アポ取ったんです」とかさ。そういう、今のきみたちから見たら、非効率で泥臭い話。でも、それが俺たちの「あの頃」の戦いだったんだ。
最近の新入社員は、業務効率化に積極的に取り組んでおり、テクノロジーへの適応も早い印象を受けます。
しかし、効率化によって確保された時間をどのように活用するかが、本質的な成長や価値創出に直結する点も見逃せません。
たとえば、AIによって自動生成された議事録を確認する際、重要な論点や潜在的なリスク、感情的な対立などを正確に把握できているでしょうか。
また、AIが作成した企画書に対して、その内容に責任を持てるだけの理解と検証が行われているかが問われます。
単にAIに業務を委ねるのではなく、AIをパートナーとして位置づけ、共に成果を出していく姿勢が求められます。
「とりあえずAIに聞いた」というスタンスでは、情報の表層に留まりやすく、深い洞察には至らないこともあります。
時間を短縮したうえで、どのように質の高いアウトプットを生み出すかが、個々人の能力を示すポイントとなります。
ChatGPTは非常に高度なツールであり、活用次第では大きな成果をもたらす一方で、その力に依存しすぎると、自らの役割が曖昧になるリスクもあります。
「ChatGPT使ってます!」
最近の新人、効率化の意識が高くて偉いね。でもな、効率化して“浮いた時間”に何してんの?
ChatGPTが議事録書いた?
で、その内容のどこが重要で、どこが炎上ポイントで、誰が地雷踏みかけたか、ちゃんと読んだ?
で、その中身に責任取れる?
確かに今の時代、ツール使わなきゃ損だし、俺もChatGPTは使ってる。
でも結局、「AIに仕事させてる」か、「AIと一緒に仕事してる」かで、将来変わってくるんだよ。
「とりあえずAIに聞きました!」って報告、「ググってきました!」の進化系だけど、同じくらい薄い。
時短できたから優秀じゃなくて、時短した上で結果出すから優秀なんだよ。
ChatGPTはすごいよ。マジで賢い。
かつて日本の武士が日常的に行っていた、馬に乗りながら弓を射る流鏑馬(やぶさめ)。その迫力と伝統を現代に蘇らせるべく、「猿馬みれんだろ大会」を開催します。本大会は、経験者はもちろん、流鏑馬未経験者も気軽に参加できる体験型の競技会を目指します。日本の伝統文化への理解を深めるとともに、馬術の楽しさをより多くの人々に伝えることを目的とします。
プロの指導のもと、参加者が実際に馬に乗り、的を射る体験ができます。安全性に配慮し、初心者向けの丁寧なレクチャーを行います。
熟練の射手による迫力ある流鏑馬の演武を披露します。古式ゆかしい衣装をまとい、疾走する馬上から的を射る妙技は、観客を魅了すること間違いなしです。
少人数のチームを組み、的を射る正確性やスピードを競います。流鏑馬の基本動作を習得しながら、チームで協力する楽しさを体験できます。
流鏑馬の歴史や装束に関する展示、和弓や和装の体験コーナーを設置し、日本の伝統文化への理解を深めます。
時期: 2026年春頃を予定
来場者数:1,000人
こういうのならできるよ。
https://grok.com/share/bGVnYWN5_f82f72a2-c3ee-487b-bd73-e09aff357901
企画書に添えるクリップアートとして、3Dダンジョン風のをgrokに書かせてみたよ。
なお、私は無料ユーザだからchatgptだと1日1枚しか書いてくれないので、制限が少し緩いgrokを使った。
3Dダンジョンのマップを渡してこの座標から見た視点をかけというのはさすがに無理だろう。
画像生成AIがstable diffusionみたいなものであるとするなら、3Dダンジョンの平面マップから3Dを起こすような訓練は当然受けていないわけで出来るわけがない。
つってチャットが飛んできたんや
企画書か仕様書かなんかかなと思って開いたんやけどなんか…なんやこれは…????
概要とかも何もない、めっちゃ汚いメモか????と思ったけど違うんやろなあ…
とりあえずこれは何の書類でいつどこで使用するものなのか聞いたんやけど1時間返事がない
ワイ今日定時で上がりたいんやけど
https://kokamumo.hatenablog.com/entry/2025/06/25/134921
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20250625/1750844969
うるせーおじ共だなぁ。
おじ、黙れ。
『ジャンプ』でも読んでろ。多分そういうのないけど(笑) ああ。ヤンジャン、ヤンサンに増えてるか。そっち読め。きめぇな。
おじ共の感性が古い。というかスケベ。見えるよオマエラのそれ。要するに「ソフト百合」が見たいだけだろ、キメェなぁ。臭っ。
ファースト『ガンダム』if戦記物:ジオン勝利すれば……、っていう大前提世界でどこを切り捨てるよ?
まず大命題はここだ。『大久保町シリーズ』みたいに「宇宙世紀0079、ジオン公国は地球連邦に勝利した。理由は分からない。それから9ヶ月――」、これならオマエラのマチュ✕ニャアンでも、ヒゲマン✕シロウズでも好きにしろ。きめぇ。臭。
カラーが取ったのは「映画で話題をさらいます。そのためにはジオン勝利の流れは映画で30分はやらんといかんです!」という予算の取り方だ。
恐らくプロットの段階で、めちゃめちゃ面白かったから企画は始まってる。これは新しい(ビジネスの/物語の)切り口だ。多分、富野監督も「(無言)」で企画書をゴミ箱に投げ入れるぐらいでOKしただろう。
(ハゲが言いたかったことは「戦争や戦争の道具を美化するな!」ってことだろうけど、それを魅せながら上手くやってる『ガンダム』作品が、商品の売上や円盤の売上を立てた実績と実情を理解しているが故に、これ以上は何も言えないだろうと容易に想像が付く。要するに『Seed』で“負けた”ことが富野監督の中で忸怩たる思いであっただろう。まぁ、これは内部からの外郭情報なので「ソース出せ!」って言われたら出せません、なので)
さぁ一年戦争勝利の流れを「映像」にしました。物語に乗せた以上『大久保町シリーズ』方式は使えません。
じゃあ書くしかないよね。今の流れを。
この作品を支えているのは、ファーストとそこから洗礼、薫陶を受けたガノタだ。
ひえっひえっだった70、80年代おたくおじたちが突然バカみたいな火力でインプを高めた。恐らくカラーの狙い通りであろう。
となれば、何をどう料理するかはカラーの考え次第。だってこれは「カラーの作品」だもの。
今回はサンライズ内製じゃなくて、外注作品。要するに「ゲームや漫画と同じ立ち位置」の作品です。『水星の魔女』とは違います。
一年戦争勝利の流れを書いてしまったら何が出てくるのか。もうやばい。
・アムロってどうしてるの?
・シャアはどこいったの?
・連邦ってどこまで衰退したの?
この情報を量をどうやって捌く?
まさかとは思うがブログ書いてて、感想書いてて、『ドクター秩父山』の「コイツはな、文句しか言わないプロなんだよ」って奴じゃねぇだろうな?
考えろ。そのソフト百合でほんわかしたいうす汚いピンク色の脳みそで。
『大久保町シリーズ』方式を取らなかった以上、山程の情報量とどうやって立ち向かうんだ?
「いや。待ってくれ。俺はただの視聴者だ。文句だけしか言わん」
ってなるんだったら、俺は答える。
「そうか。じゃあ、黙れ。お前の感想なんぞ、一顧だに能わぬ」
オマエラのような「ソフト百合/青春ものが見たかったんだい!」っていう輩への切断処理はとっくに完了しているが、必ず「黙れ」という感想を言うために、コイツを書いている。
じゃあうす汚いピンク色の脳みそのためにも、もう少し「現実解」のための情報を追加してやろう。
まず、オマエラの望んでいたものは「26話あれば可能だった」という事実だ。
じゃあ何故「26話じゃなくて、12話だったのか!」ということだが、多分3つある。
さすがにそれは無いとは思うが、予算は制作予算だけではない。宣伝予算もある。宣伝=インプレッションへの燃料のために、使った可能性は十分にある。
ただ、これは宣伝費(ある程度の可変)だし、バンナムは「仕事になる」から喜んで調整しているだろうから、追加燃料は使っていないだろう。
だとすれば、映画予算は映画予算で賄っているのではないか、ということ。
2.カラーとバンナム・サンライズの間で握れた予算が13話ぐらいしか作れなかったということ
まぁまぁある可能性。バンナム様からすりゃ「分かる。制作は金かかる。でもウチはライツで飯食ってるから(笑)」というシブチンなんだということをご理解いただきたい。
実は「作品は作ってない」のだ。
彼らは「作品が商品になるから出資している」のであって「予算以内で仰ってる内容は作ってくださいね」というスタイルを崩していない。
要するに13話分の金しか与えなかったのだ。十分ありえる。
4作品同時制作中のカラーに、監督くん(庵野秀明)に余裕はない。余裕はないから13話ですね、というお話。
別に鶴巻監督も暇じゃないだろう。恐らく他の作品にはとっくにかかっていた。
その中で「ガンダムなんだ」って言われれば「ガンダムですか」と答えるだろう。
カラー周りに知り合いはいないので、具体的情報は無いが、今「劇場版レベルのアニメ作品を作れる監督は数に限りがある!」という事実がある一方、「アニメにしましょう!出資は決まりました!」という作品は山積みになっていたりして、人手は足りない。そして「名誉ある作品」を作るには、監督の人脈能力が必須なっている。
恐らく、カラーをして、監督くん&鶴巻監督をして、「13話がフル稼働限界ですね」という大人の事情である。
分割26話も無理だったんだろう。腕の良い人たちは、みんな2年先3年先までスケジュールが埋まっているのだから。
やっちまったもの=企画書で啖呵を切ったのは実現するしか無いが、何をどうやっても12話(1話分はBeginningで使った)しか無い。
そして構成は、脚本に監督くんがいるし、恐らく監督くんに依頼があったのを「俺は監督業がこれ以上できないから、参加だけするんで」で鶴巻監督に投げたが、監督くんの悪さは「責任を負わないところで好き勝手する」のが大好きだ。
間違いなくシリーズ構成は監督くんの手によるものだ。彼が70年、80年おたくなのは論を待たない。
そうなれば「ジオン公国一年戦争勝利の世界で、アムロ・シャア・ララァの三角関係をハッピーエンドにしよう!」となってもおかしくない。
はい。ここでオマエラが大好きな「ソフト百合」は一撃必殺でゴミ箱行きです。
彼女らは「舞台を整えるだけの存在/状況を進めるだけの存在」になりました。キャラじゃないです。
まぁ、入れられるけどね、ある程度は。
「言わせた」り「言った」りすればいいだけなんで。そんなもん、小説では「行間嫁」になるでしょ? 文字読みのくせにそういうのもやらないの? アニメ視聴でもやんなさいよ。
まぁ、だから「マチュ✕ニャアンで一年戦争ジオン勝利世界を見たかった」ってのは「なかったんだ。だからこの話はここでおしまいだ」ってことになるわけ。
薄い本でも書いて補完せい。
追記:以上は、全部俺の脳内での拡大解釈なので、違う事実が出てきたら「へー。そうなんだー(大本営発表出るぐらいだったか(笑))」となるだけなので、責任は負わぬよ。
https://digital-gov.note.jp/n/n3640f6b7a009
ぼくのかんがえたさいきょうのがばめんとくらうど
なんというか学習発表会で調べた事ただ書いた系、質問タイムでしどろもどろになるやつ
でもおかげで前の職場思い出した。
社長が紹介か何かで野良コンサル連れてきて会社のあらゆる業務の確認に関わるようになった
口癖は糖質制限と寝ない自慢だったが、言うほど返信は早くないし大してチェックも働いてなかった。むしろボトルネックになってた
そして数ヶ月経った頃に通販をしていた会社の改善案としてポイント制を挙げてきた。もう何周遅れだよと思ったけど、それ以上にガチのA4ペライチの企画書で還元率もやり方も全て現場でよしなにとしか書いてなかった。社長(2代目の無能)は大絶賛
以降は各部署がポイント制に向けて業務への落とし込みをしつつ役員にプレゼンするのだがコンサルはケチつけるだけで代案や意見は出すことはなかった。システム部署だった自分は長々とデータについての巧拙をいただいたが4半世紀前のシスアド以下の内容でよくも専門家に言えるなと感心すらしてた
そんなこんなでポイント制は始まったのだが誰一人評価されなかった。理由は社長曰く「君らとは話してないじゃん。コンサルとは話したけど」「評価されたきゃ自分で仕事つくれ」
以降古参社員は自分含め辞めていったが代わりに胡散臭い野良コンサルがどんどん入りそいつらがどっからか人手だけ連れてきて未だに存続はしている。
このガバメントクラウドのアーキテクトwwwも上としか話さず現場は見ずに教科書通りの内容を方針にしたんだろうな。で律儀に守ったらコスト増。でも移行はしたから評価されて中央省庁での経験と繋がりを元に下野する。残るのはモダンなシステムと理解してない担当
なんか書いてたらイライラしてきた
手に職をつけるためにエンジニアになろうだぜ!エンジニアじゃない仕事してる奴全員負け組だぜ!
インターネットで昔そういう書き込みやら広告やらをいっぱい見かけて「そうなんだ!皆そう言ってるならきっと本当なんだ!」とエンジニア職の門をくぐった。
まあ俺大学理系だし電子工学系なんでC++ぐらいは多少出来るっすよクッチャクッチャと乗り込んでいったが、果てしなくわかりやすい「死」をつきつけられることになる。
眼の前の「死」から逃げるようにして次々と転がり落ちていき、気づけばエンジニア業界の底辺にたどり着く。
無認可のB型作業所と言ってもいいような空間、異常な同僚たち、コイツラと同じ扱いになった自分の市場価値への絶望。
臭いと指摘するとよく分からない病名を連呼して被害者ぶるデブ。
日本語について指摘すると精神科の通院歴や手帳の話を自慢気にしてくるADHD。
精神病なのか人格破綻者なのか知らんが、約束を守るという概念が存在しない輩。
ヤバすぎる……確かにこういう人達にとっては間違いなく「手に職を持っていることが生き延びるための要件定義」なんだろうな。
エンジニアとしてのスキルと、人間としてのスキル、どちらか片方がかけても這い上がることは出来ない。
コイツラは人間としてのスキルが終わってるからここまで落ちてきた。
俺はエンジニアとしてのスキルが足りてないからここまで落ちてきた。
エンジニアとして成長すればここから脱出できるらしいが、人間として終わっている同僚たちが言うには「こんな所でスキルが身につくことはない。俺達は一生ここにいるんだ」。
分からない。
コイツらの言ってることがどこまで本当なのか。
ただ一つ言えるのは、俺が今いる場所は確実に、MARCHを卒業した人間が働くような職場じゃねえってことだ。
「インターネットはお前の人生に何の責任も取らない。大学の教授、ジョブカフェのスタッフ、お前の親、誰も責任を取らない。お前の人生に責任を持てるのはお前だけ。そして昨日のお前も責任を取らない。人間の思考力で自分の人生を頭の中だけで描ききるのなんて不可能だ。テキストファイルや図を駆使し、様々な数値を組み合わせながらお前の人生をどうしたいのかという企画書を作れ。頭の中で描くのではなく、紙やデータの形にしろ。作成完了後にあとから見返せるようにしろ。そして寝起きの冴えた頭で確認して、それが本当に大丈夫なのか整理しろ。人生で100点を目指せると思うな。なんとかして60点以上を取ることを安定させろ。1回しかない人生だから、失敗の確率を下げるために必死になれ。偶然の出会いで人生を決めるのだけはやめろ。どうしたらいいのか迷っているときに出会った看板や広告や書き込みや噂にフラフラと誘われるな。冷静に落ち着いて考えるんだ。人生80年の価値は就活の数年間で決まると言っていい。死ぬ気でやれ。大学受験なんてものはそこで有利になるための地方予選でしかない。本戦を死ぬ気でやるんだ。休むのは就活を終えたあとにしろ。社会人になってからも遊びたいなら、自分が楽しめる仕事につけ。俺は手に職をつけるためにエンジニア(笑)になったが、毎日クソつまんなくて死にそうだぞ」