「差異」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 差異とは

2026-01-20

anond:20260119222211

なんでそういう細かい差異が気になるのに、ネットが主ではない右翼を「ネトウヨ」と呼ぶことには無頓着なんだ?

 

俺とお前はほぼ似たような動機で似たようなことを言っている。

お前がなぜか一カ所だけ、主義主張矛盾した単語を使ってるだけで。

2026-01-19

anond:20260118045323

創造的寛容:

自分正義絶対視して他者排除するのではなく、差異を認めつつ、より高い次元での合意アウフヘーベン)を目指す創造的な粘り強さを提供します。

公明党斉藤代表は、新党の基本政策に、

1、安保法制合憲であることを前提とする

2、原発の再稼働容認

その上で「賛同する方が中道連合に入ってきていただく」そうです。

安保違憲派と原発再稼働反対派は彼らの言う「創造的寛容」には含まれないようですが

はてさて

2026-01-18

池田大作提唱した「中道人間主義」について

池田大作氏(創価学会第三代会長創価学会インタナショナル会長)が提唱した「中道人間主義」は、極端な思想対立を乗り越え、人間生命尊厳を最優先に置く社会の構築を目指す哲学的指針です。

この思想の核心を、歴史的背景、哲学的構造、そして現代社会における実践という3つの側面から詳しく解説します。

1. 歴史的背景と「中道」の再定義

中道」という言葉は、もともと仏教根本概念です。釈尊ゴータマ・ブッダ)が説いた中道は、単なる「中間」や「妥協」ではなく、「快楽」と「苦行」という両極端を離れ、生命真実を見つめるダイナミックな生き方を指します。

池田氏は、20世紀から21世紀にかけての激動の時代の中で、この仏教的コンセプトを現代的な平和哲学へと昇華させました。

冷戦下の対立: 資本主義共産主義、あるいは国家個人といった二項対立世界を分断し、核兵器の脅威が人類を覆っていました。

人間不在の克服: どのような崇高なイデオロギーであっても、それが「人間」を手段化し、犠牲にするものであれば本末転倒である池田氏喝破しました。

ここで提唱された「中道」とは、右でも左でもない「真ん中」を選ぶことではなく、「何が人間幸福資するか」という一点を軸に、常に状況を最適化していく智慧のことです。

2. 中道人間主義哲学的

池田氏中道人間主義は、主に以下の3つの要素で構成されています

生命尊厳絶対

この思想の土台は、日蓮仏教の「生命哲学」にあります。すべての人間は内に「仏性」という無限可能性と尊厳を秘めており、いかなる理由人種宗教国籍思想)によっても、その生命を脅かすことは許されないという考え方です。

② 自他共栄の連帯縁起思想

仏教の「縁起(えんぎ)」、すなわち「すべての事象相互関係し合って存在している」という観点に基づきます

「個」と「全体」の調和: 個人自由だけを追求すればエゴイズムに陥り、全体の利益だけを優先すれば全体主義に陥ります中道人間主義は、他者幸福を願うことが自らの幸福につながるという「自他共の幸福」を目指します。

精神変革(人間革命)

社会制度や仕組みを変えるだけでは、真の平和は訪れないと説きます。一人ひとりが自身の内側にある不信や憎しみを克服し、慈悲と智慧を湧き出させていく**「人間革命」**こそが、社会変革の出発点であると強調しました。

3. 社会実践としての「開かれた対話

中道人間主義の最大の特徴は、それが抽象的な理論に留まらず、具体的な**「対話」**として実践された点にあります

池田氏は、トインビー博士歴史学者)やゴルバチョフ元大統領マンデラ大統領など、世界中の指導者文化人対話を重ねました。これは「中道」が独善に陥ることを防ぎ、異なる価値観を持つ人々との間に「共通人間性」を見出す作業でした。

政治教育平和への展開

政治: 権力魔性から人間を守り、常に「大衆」の側に立つ政治志向します。

教育: 知識の詰め込みではなく、子供幸福目的とする「創価教育」の基盤となりました。

地球課題: 核兵器廃絶、環境保護人道支援など、国家の枠組みを超えた「地球市民」としての連帯を呼びかけました。

4. 現代における意義:分断を乗り越える智慧

現代社会は、SNSの普及による「エコーチェンバー現象」や、ポピュリズムの台頭によって、かつてないほど「極端な分断」が進んでいます

池田氏が示した中道人間主義は、以下の2点において今こそ重要性を増しています

人間」への回帰:

経済効率テクノロジー進化目的化する中で、「それは人間幸せにするのか?」という問いを常に突きつけます。

創造的寛容:

自分正義絶対視して他者排除するのではなく、差異を認めつつ、より高い次元での合意アウフヘーベン)を目指す創造的な粘り強さを提供します。

結論

池田大作氏の中道人間主義とは、「生命尊厳」を北極星とし、対話によって極端な対立を融和させ、個人蘇生から地球社会平和へと繋げていく「行動の哲学」です。

それは、静止した中間地点に留まることではなく、激動する現実の中で、常に「人間」を見失わずバランスを取り続ける「動的な平衡」の道であると言えるでしょう。

2026-01-17

anond:20260117145708

その地域によって若干の差異があるが、おおむね顧客層の好みに合わせて値付けしてる

上司からいわれた

ちなみにウチは9より8のがおおいか

まあ上司の好みもあるけど…

めしにこないだワイが付けたらそれじゃ売れなかったろ?と訂正されてくやしい

ピンとくる数列とこないのとあるようだ

[]2025年に読んだ本、前編

1月

読書(14冊)

藤井一至「土 地球最後ナゾ 100億人を養う土壌を求めて」

阿部勤也「西洋中世男と女 聖性の呪縛の下で」★★★

横山祐典「地球46億年 気候大変動 炭素循環で読み解く、地球気候過去現在未来

藤井一至「ヤマケイ文庫 大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち」

文學界編集部「大解剖!文學界新人賞」

主婦の友インフォス情報社「事故物件サイト大島てる絶対に借りてはいけない物件」(再読)

上遠野浩平恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-」★

菅沼 悠介「地磁気逆転と「チバニアン地球磁場は、なぜ逆転するのか」

伊藤聡「神道とは何か 神と仏の日本史」★★

佐藤康宏「もっと知りたい伊藤若冲 生涯と作品 改訂版

鎌田浩毅「地学ノススメ 「日本列島のいま」を知るために」

岡田莊司、小林宣彦「日本神道史(増補新版)」

島尾新「もっと知りたい雪舟 生涯と作品

ヴィンチェンツォ・ヴェヌート「生きものたちの「かわいくない」世界 動物行動学で読み解く、進化と性淘汰」

漫画(3冊)

いがらしみきおぼのぼの人生相談自分しまちゃうのをやめないとさ」」

森薫乙嫁語り」15巻

ちょめ「室外機室 ちょめ短編集」

美術

特別展「鳥 ~ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類系統~」於・国立科学博物館

雑感

 昨年に引き続いて阿部勤也を読んでいる。歴史系の本は雑学が増えて楽しいし、現代で当然とされていることが全く通用しない世界イメージできるので、自分価値観が相対化できる(時折正しいかどうかだけが自分判断軸になり、どう感じているかおざなりにしがちなので大事)。他には地学や土壌が気になってたようだ。

 なお、昨年までやっていた星印の評価はやめにした。同率二位とか三位とかを考えるのが面倒だったからだ。……とか思ってたけどやっぱり直感でやることにした。

2月

読書(13冊)

藪本勝治「吾妻鏡鎌倉幕府正史」の虚実」

乙一「The Bookjojo’s bizarre adventure 4th another day~」

柴田勝家岸辺露伴は嗤わない 短編小説集」

榎戸洋司フリクリ」一巻、二巻、三巻★★

鈴木結生「ゲーテはすべてを言った」

志村史夫「古代世界の超技術改訂新版〉 あっと驚く「巨石文明」の智慧

仁藤 敦史「加耶任那古代朝鮮に倭の拠点はあったか

饗庭淵「対怪異アンドロイド開発研究室

比奈秋「サンショウウオ四十九日

松永K三蔵バリ山行」★

ガルシアマルケス百年の孤独」(再読)★★★

漫画(4冊)

コタニヨーコ「夏が、僕らの世界を見ていた」

熊倉献「春と盆暗」

浅白優作「スターウォーク」一巻

海島千本プリズムの咲く庭 海島千本短編集」

観た

フリクリ

美術

貝類展:人はなぜ貝に魅せられるのか」於・国立科学博物館

異端の奇才 ビアズリー展」於・三菱一号館美術館

特別展「魂を込めた 円空仏 ―飛騨・千光寺を中心にして―」於・三井記念美術館

雑感

 久し振りに芥川賞を読んで面白いと感じた。自分の好みは、語り手が男性で、非常に知的であるか(丸谷才一をこの年読んだのはそのため)、怒りや暴力性などを抱えている作品にハマることが多い。もちろん例外も多数ある。というか読書趣味例外だらけだ。

 あとは、高校生以来で「百年の孤独」を再読したが、当時と比べて複雑なストーリー理解する能力が向上していたとわかったのは嬉しい。

ジョジョ」や「フリクリ」など、すでに知っている物を手に取ったのはファン心理かもしれないし、これは外れないだろうというある種の安心(または怠惰さ)かもしれない。面白かったけれどね。

3月

読書(15冊)

志村史夫「古代日本の超技術新装改訂版〉 あっと驚く「古の匠」の智慧

田原史起「中国農村現在 「14億分の10億」のリアル

越智啓太「眠れなくなるほど面白い 図解 犯罪心理学

中島恵「日本のなかの中国 (日経プレミアシリーズ) 」

篠田謙一「新版 日本人になった祖先たち―DNAが解明する多元的構造 (NHKブックス No.1255) 」

小牟田哲彦日本鉄道廃線史-消えた鉄路の跡を行く」

シュリー・ウォード「ウォード博士の驚異の「動物行動学入門」 動物のひみつ 争い・裏切り・協力・繁栄の謎を追う」

「生誕150年記念 モンドリアン純粋絵画をもとめて 公式図録」

「生誕100年 ジャクソン・ポロック展 JACKSON POLLOCK[図録]」

鈴木真弥「カーストとは何か-インド「不可触民」の実像

池澤春菜わたし孤独な星のように」

三島由紀夫潮騒」★

若宮總「イランの地下世界」★★

永田生慈監修・解説北斎漫画 第一巻」

丸谷才一「横しぐれ」★★★

美術

特別展 慶珊寺と富岡八幡宮の名宝―『大般若経』が語る中世東国史―」於・金沢文庫

高松塚古墳壁画館、四神の館

特別展鉄道で巡る聖地 近代ツーリズム橿原神宮

雑感

 遺伝人類学が気になっていた模様。

 また、この月は数年前に行けなかった美術展の図録を買って楽しんだ。たまたま行けなかったり、コロナ禍で自粛してしまったりしたもので、ずっと喉の小骨のように行けなかった後悔にさいなまれていたのだが、すっきりした。

4月

読書(15冊)

永田生慈監修・解説北斎漫画 第二巻」

丸谷才一「樹影譚」

永田生慈監修・解説北斎漫画 第三巻」

スタインベックハツネズミ人間」(齊藤昇訳)★★

ハンフリー・カーペンター「J. R. R. トールキン 或る伝記」

チョーサー「完訳 カンタベリー物語(上)」

J. R. R. トールキン「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」

チョーサー「完訳 カンタベリー物語(中)」

J. R. R. トールキン妖精物語の国へ」

チョーサー「完訳 カンタベリー物語(下)」

A. A. ミルン「クマのプーさん Anniversary Edition」

A. A. ミルン「クマ横丁にたった家 Anniversary Edition」

エーリヒ・ケストナー池内紀訳「飛ぶ教室」★★★

ジェームズ・M・バリー「ピーター・パンウェンディ

下村智恵理「天網恢々アルケミー」★

漫画(+α)

凸ノ高秀「ぼーんずあんどがーるず」(ウェブコミック

美術

特別展古代DNA日本人のきた道―」於・国立科学博物館

チームラボボーダーレス麻布台ヒルズ

雑感

 児童文学が多い。「飛ぶ教室」は男子校卒業して二十年余りの自分にはとても良く刺さった(小さい頃にもらったのだがパラパラめくっただけだった。たぶん自分の中の男性性を求める心が強く目覚めていなかったんだろう。あるいは、一生付き合っていきたいという友人に出会う前だったからかもしれない)。また、今まで触れてこなかったトールキン作品に触れて楽しかった。これは十二月洋書による再読の遠因となる。

 スタインベック障害観が少々古いが、無駄な場面がなく、悲劇としての構成が美しい。

5月

読書(8冊+α)

J. R. R. トールキン「終わらざりし物語(上)」★★★

J. R. R. トールキン「終わらざりし物語(下)」★★

るるぶ神戸’25 紙書籍版」

斎藤英喜「陰陽道の神々 決定版」

原田隆之「入門 犯罪心理学

宮田登江戸はやり神

湊一樹「「モディ化」するインド ――大国幻想が生み出した権威主義」★

鈴木正崇「山岳信仰 日本文化の根底を探る」。

J. R. R. トールキン著、クリストファートールキン編「ベレンルーシエン

美術

相国寺承天閣美術館開館40周年記念 相国寺展―金閣銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史

うろこの家・展望ギャラリー山手八番館、北野外国人倶楽部、坂の上の異人館

神戸須磨シーワールド

湊川神社宝物殿

その他諸々神戸観光地

ゲーム

クインティ

雑感

 いつもの月と比べて大変に少ない。今月は休みの日に読まなかったのと、「終わらざりし物語」が上下巻それぞれ五百ページ超えと大変に長かったためである。四月までの分を加えれば平均して月十冊は読めているし、味わわずに読み飛ばすよりははるかにましである。というか、三月四月と十五冊読んでるじゃないかプラスマイナスなし。

 年始から神道をはじめとした日本信仰について読んでいる。記紀記載のない神々や、民間信仰仏教との混交などの知識が増え、日本神話についての解像度が上がった気がする。

 なお、「クィンティ」はファミコンゲームで、これをスイッチプレイした。祖父の家に合ったもの子どもの頃はクリアできないなりに楽しんでいた。スイッチの巻き戻し機能を利用してやっとクリアした。

 余談だが昨年はクリアしないなりに「パリア」をプレイしたのだった(結局こういうクエストものや箱庭・スローライフものはそこまで好きじゃないというか飽きるとわかった。スローライフと言いながら結局採取労働をしており、仕事で疲れて帰ってきてやるモチベーションが湧かない)。「Neo Atlas」は二〇二二~二〇二三にプレイしたが結局飽きている。世界探検するのが好きなのはcivilizationで分かっているのだが、通知がひっきりなしに来るので、これもリアル仕事と似ていて疲れた

6月

読書(18冊)

飯島吉晴「竈神と厠神 異界と此の世の境」

松井冬子世界の子友達になれる [図録]」★★

ダニエル・T・マックス「眠れない一族 食人痕跡殺人タンパクの謎」★★★

成澤勝嗣「もっと知りたい狩野永徳と京狩野 (アートビギナーズコレクション)」

狩野博幸「もっと知りたい河鍋暁斎 生涯と作品 (アートビギナーズコレクション)」

稲垣栄洋「生き物の死にざま」

田口善弘「知能とはなにか ヒトとAIあいだ」

稲垣栄洋「生き物の死にざま はかない命の物語

渡辺正峰「意識脳科学デジタル不老不死」の扉を開く」

松元雅和「政治哲学講義 悪さ加減をどう選ぶか」

小泉悠、高橋杉雄、太田啓之、マライ・メントラインゴジラvs.自衛隊 アニメの「戦争論」」

小塩 真司「「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイド心理学」

綾辻行人「どんどん橋、落ちた」

櫻井武「SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか」

鈴木俊貴「僕には鳥の言葉がわかる」★

信原幸弘、渡辺正峰「意識はどこからやってくるのか」

山極寿一鈴木俊貴「動物たちは何をしゃべっているのか?」

安田峰俊民族がわかれば中国がわかる 帝国化する大国実像

漫画10冊)

荒木飛呂彦岸部露伴は動かない」三巻

福島聡星屑ニーナ」一巻~四巻(全)

坂月さかな「星旅少年」一巻~五巻

美術

「ACN ラムセス大王ファラオたちの黄金」於・クレヴィアベース東京

雑感

 軽めの本が多め。

 この後読む皇族の本も含め、学問世界の厳しさに触れる本が多かった。知識を蓄えるのではなく、同じ問題にずっと取り組み続け、微細な差異違和感に疑問を持つ才能がないと、研究者としてやっていくのは難しい(これはうまくできなかった自分を慰めている側面もある)。

 脳科学については、著者の主張や意見ウエイトが大きく、前々から気になっていた意識心の哲学についてはそこまで突っ込めなかった。ジャンル全体の概観をつかむだけなら、おそらくウィキペディアを拾い読みしたほうが早いか

 国際政治インド中国それからロシアの本を今年はよく読んだ気がする。

2026-01-16

anond:20260116103241

小選挙区制採用されている国では二大政党制志向される。

当然ながら政治思想が二分できるはずもない。

まったく異なる政治家が二つの政党に振り分けられているわけだ。

じゃあ二大政党制メリットは何か?

めんどいのでWikipediaから引用

2026-01-15

公務員の机の引き出しには砂消しが入っている

本当のことだ。

公費で補充される共有文房具レパートリーにも砂消しが入っている。

使い方には少しコツがある。

消した後に印刷やスキャニングをするのだ。

そのままの紙を使うとうっすら後ろがそこだけ透けてしまう。

たとえば、修正したい所をまずはごっそり削ってから上を修正液で塞いでから印刷しなおすと綺麗な紙でやり直せる。

最近印刷は程よく優秀だし、公務員職場で使ってる紙は再生紙でごわついてるからちょうどよく陰影が消えるから全くわからないのだ。

この手法が本格化したのはデジタル庁主導での押印省略の流れが進んだからである

昔は捨て印で修正できたのだが、最近はそれが出来ない。

そうなってくると砂消しの出番である

砂消しで上手く消して、再印刷だ。

社印が押してある書類なんかは再印刷が出来ないので、諦めて砂消しをした上からスタンプを押す。

ボールペンで書くと微妙な滲みがバレてしまうが、スタンプ場合は単にゴム印の押し付け方を間違えた程度で済むのだ。

慣れてきた職員意図的ゴム印の押し具合を調整できるので、修正した部分とそれ以外の差異相殺する技術さえ持っている。

さっきから髪の話ばかりしてるが、公務員データでの仕事なんてやらないのだ。

なぜデータでは駄目なのか?

簡単だ。

データ簡単改竄できそうなイメージがあって信頼できないかである

ハンコの朱肉まみれの書類だったら見た目には改竄なんて難しく見えるのがいい。

実際には紙の方が改竄簡単だ。

タイムスタンプも残らないから後からいくらでも差し替えができる。

公務員仕事差し替えと事後処理ばかりだ。

複雑奇怪に手を広げたルール相互コリジョンを起こし続け、もはや正しい時系列機能しない。

正しい仕事をするために作り上げた十重二十重のチェックが起こす矛盾が、結果として無数のタイムトラベルを前提としているのだから面白い

ハッキリ言うが、公務員仕事は嘘にまみれたもので出来上がっている。

ゴミだ。

ハッキリ言うが、森本事件なんかで自殺した例の人は・・・正義感方向性を完全に間違えていたと言わざるをえない。

そもそも公務員の主な仕事は「自分の手を汚したくない皆の代わりに公文書を偽造し続けること」なのだから

嘘が大前提なのだ

そもそも初任給年収300万円~定年寸前の部長年収900万円程度の仕事に集まってくる人材なんぞ、たかが知れいているわけだ。

そんな連中が全国で数十万数百万と手を取り合って矛盾のない仕事が出来るはずがない。

思い込み勘違いにまみれた俺ルールが上から下まで蔓延って「とにかく俺の目に入る範囲だけ綺麗にしてくれ」とわがまま放題のカス同士で譲り合いもせずに歪みを生み続けるのが当たり前なんだ。

歪みきった仕事を嘘で塗り固めながら「とりあえず綺麗にやってる感が出ましたよ」と言って国民に仮初の安定を提供するのが公僕だ。

卑職なのである

公僕になって1年もすれば余程の間抜けアスペルガーでもなければ「俺達の仕事はまともじゃない。まともな仕事がしたいなら辞めるしかない。辞めないならカスとして生きることを選ぶしかない」と思い知らされる。

そんな仕事で何十年も飯を食ってきて今更になって「これは悪だ。許せない」なんて言うのは面の皮が厚すぎる。

改めて書き出すととんでもないカスだな。

まあ俺も民間と付き合いがそこそこ多い部署で働いたこともあるわけで、「結局は民間企業も悪いことばっかしてる嘘つき集団なんだよね」と良く分かってるよ。

そもそも嘘つきじゃなかったらこっちが「これはもう嘘ついて下さいよ一緒に」と頼んですんなりそれが通り続けるはずがねえんだ。

おっと最後言い訳しておくがこれはAIの書いた嘘松からな本気にするなよ

2026-01-10

anond:20260110180822

貴様論理は完全破綻している。

まず決定的に間違っているのは、こちらの主張を存在論否定へとすり替えている点だ。

アメリカ実在しない、なぜなら俺は知らないから」というのは、認識論存在論意図的混同した幼稚なパロディであり、こちらが一度も取っていない立場

こちらは「知らないか否定する」とは言っていない。問題にしているのは、「知っていると自称する側が、その知を内容ではなく身分保証し、検証可能な形で提示しないまま排除正当化している」という点だ。

この差異が見えない時点で、論理構造理解が致命的に欠落している。

アメリカ」や「日本」が社会的構成であることと、それが実在しないことは同義ではない。

これは社会科学の初歩だ。制度事実は、人間合意によって成立するが、成立した後は客観的制約として作用する。

パスポート軍事力法制度、税制統計、どれもが反証可能な形で現実に影響を与える。

から「俺は知らないか存在しない」という無知論法とは無縁だ。ところが貴様反論は、「枠組みを批判すること=存在否定すること」という短絡で話を畳んでいる。これは論理ではなく、理解拒否するための自己放尿だ。

無知論法」「陰謀論」というラベルを貼った瞬間に、自分が論証義務を免れたと勘違いしている点。

無知論法とは、「知られていないから偽だ」「証明されていないから真だ」という推論を指す。

だがこちらは一貫して、定義方法基準を示せ、検証可能な形で提示せよと言っている。

これは無知への迎合ではなく、知の公開を要求しているだけだ。陰謀論と同列に置くのは、内容で反論できない者が使う最も安価自己放尿である

貴様の反応はこう翻訳できる:「お前の言っていることを理解する気はない。だから極端な例に歪めて、読む価値がないと宣言する」。

これは反駁ではない。議論からの逃走宣言だ。しか皮肉なことに、「読むに値しない」と言い切ることで、最初から内容評価放棄している。

これはまさに、こちらが批判してきた態度そのものだ。内容ではなく、ラベルで切り捨てる。理解ではなく、排除で終わらせる。

無知論法批判しているように見せかけて、実際には自分自身が無知論法に陥っている。

自分理解枠に収まらない主張は、陰謀論であり無意味だ」というこれほど典型的思考停止はない。

学問的態度とは、分からないもの嘲笑することではなく、分からない点を特定し、定義基準要求することだ。

それを放棄し、「読むに値しない」と吐き捨てた瞬間、貴様議論の場から自分で退出している。

自己放尿しながら「臭いのは相手だ」と叫んでいるだけだ。

2026-01-09

抽象数学とか超弦理論とか

1. 存在論的錯誤から次元階層性へ

まず是正されるべきは、対象=ブレーン、射=弦という古典的実在論的な同定を圏論的出発点に据える錯誤である。この素朴な同一視は、現代的なコボルディズム仮説の文脈では理論整合性を欠いている。なぜなら、局所量子場理論(LQFT)の完全拡張において、対象や射は固定された「実体」ではなく、コボルディズム圏の階層構造における境界データ代数指標にすぎないかである

完全拡張TQFTの定義に基づけば、理論とは対称モノイド (∞, n)-圏 Bord_n から、ある「ターゲット (∞, n)-圏」 C への対称モノイド関手 Z: Bord_n → C そのものである。ここでは、対象(0-射)とは0次元の点という境界データであり、弦(1次元)は1-射、p-ブレーン(p+1次元の時空体積)は(p+1)-射として回収される。したがって、ブレーンを安易対象(0-射)と呼ぶ行為は、コボルディズム圏の階層構造を低次元へ射影し、高次コヒーレンス情報を不可逆的に欠損させるカテゴリー的退行に他ならない。

2. 弱∞-圏性の数学必然性

この誤謬は、弱∞-圏の必要性を弦の分岐・結合という物理直観から説明しようとする転倒した論理にも現れている。正しくはその逆である。弱∞-圏性は、場の理論要請する局所性と完全拡張から数学的に強制される構造である。弦の相互作用分岐は、高次射が満たすべき随伴性やコヒーレンス条件の物理的発現の一形態にすぎない。高次射は実在論的な相互作用の結果として生じるのではなく、理論局所であるための必然的帰結としてあらかじめ構造化されているのである

3. 幾何的ゲージ固定としての超弦理論

超弦理論一次元的に切り詰められた部分圏と見なす理解も、安定ホモトピー論および非アルキメデス幾何学の観点から修正を要する。超弦理論において起きているのは、単なる次元忘却ではない。それは、理論依拠する基礎的幾何学を実数体上の滑らかな多様体という特定の基礎トポスに固定する、いわば幾何的ゲージ固定である

ここでp進弦理論は決定的な教訓を与える。p進弦において世界面の解析構造は非アルキメデス的であり、実解析的な局所性は喪失している。にもかかわらず、散乱振幅の代数的骨格(ベネツィアーノ振幅等)が保存されるという事実は、弦理論本質特定幾何一次元性)にあるのではなく、振幅を生成する E∞ 環スペクトル 的な、より深層の安定ホモトピーデータにあることを示唆している。

4. Meta-TQFTとしてのM理論

この地平において、M理論超弦理論関係を反映や左随伴といった1-圏論的な語彙で記述するのは不適当であるM理論とは、特定の時空次元多様体構造に拘束されない、安定∞-圏あるいはスペクトル圏をターゲットとする Meta-TQFT と定義されるべきである

そこでは、弦が射である対象であるかという区別すら不変ではなく、Span構成や反復ループ空間構造(Ω^n)の下で、どの次元境界データとして選択するかというホモトピー的なゲージ選択残滓として、弦やブレーンの境界が析出する。

5. 双対性の再定義

T双対性やS双対性自然変換と呼称するのも階層が低い。双対性とは、単なる関手間の変換ではなく、ターゲットとなる理論値∞-圏そのもの自己同値、あるいはE∞ 環スペクトル自己同型として記述されるべきものである問題本質は可逆性の有無ではなく、どの安定コホモロジー理論、あるいはどの形式群が保存されるかという、安定ホモトピー圏における構造保存の様相にある。

総括

M理論圏論環境であり、超弦理論はその可視化であるという直観は、方向性においてのみ妥当であるが、定式化の厳密さを欠く。正しくは以下のように記述されるべきである

M理論とは、特定の時空幾何や基礎体に依存しない、完全拡張量子場理論が取り得る全空間を統御する安定∞-圏的インフラストラクチャであり、理論数学的に存立するための普遍的制約条件(コヒーレンス)の総体である

対して超弦理論とは、そのメタ構造に対し、実解析的時空、多様体局所性。摂動的可観測性という制約を課した際に析出する一つの表現である。p進弦理論やトポロジカル弦理論は、同じメタ構造から別の基礎トポス(あるいは安定ホモトピー論的データ)を選択した際に得られる、並列的な表現に他ならない。

したがって、両者の差異包含でも統一でもなく、どの圏論的・ホモトピー論的情報物理的実在として顕在化させるかという、観測基底の選択の差に他ならないのである

2026-01-03

日本火災放送

先日 anond:20251228214348緊急速報スマートフォンメーカーによって翻訳差異があるのは書いたけど、日本でも火災放送英語翻訳メーカーによって差異があるのか...。

https://q.hatena.ne.jp/1767412474

これを見る限り、落ち着いて避難してくださいという放送英語翻訳パナソニックは "in a calm manner" でJVCは "in orderly fashion" なのにTOAは "as quickly as possible" なのね。

2025-12-27

anond:20251227201447

ポストリプライオウム返ししかしないAIがあるかと思えば、そのテーマに由来するエピソード(例えば漫画をこすったネタだったら当該作者の過去作品の話とか)を出すAIもあったりして、個々人の技能努力差異が見られるなと感じる

まあ全部ブロックするけど

2025-12-24

阿波弁と関西弁はどう違うのか:方言によってアイデンティティ崩壊

背景

私の出身地関西地方とある府県だが、幼少期に転出して地元が同じ人とも共通話題などないので「〇〇府/県」出身ですと胸を張っては言えない。

徳島での生活が長いから「徳島出身だろ」と他所の人からは言われても、実際には首都圏育ちで最も長く過ごしたのもそこだから私の第一言語標準語であって、徳島標準語を受け入れてくれない。少なくとも「地元人間」とは見なされていない。「将来徳島に戻ってくるか」という衰退都市にありふれた話題において、自分がいると決まって気まずそうにされる。

現在関西在住である自分関西弁もマスターしている、と自認している。徳島関西弁を身につけ、現在居住する関西での生活に完全に順応している、と思っている。

来年から首都圏に戻るんだけど、戻ったら戻ったで「地元人間が帰ってきた」という扱いになるほど首都圏地元って感じはないし……なんかもうざっくりと「関西出身」ということにさせてくれないか?どの府県だとか厳密にせずにざっくり「関西から来ましたよ」という気持ち首都圏生活したらアイデンティティの置き場所はうまくいかいか

そのためには、現代関西弁と阿波弁の差異を明らかにして、「徳島関西である」ということを証明しなければならない。そうじゃなければ、私のアイデンティティはどうなるの!?

[:contents]

イントネーションについて

Wikipediaによると「四国方言に属するが、四国方言の中では近畿方言の影響を最も多く受けた方言である。」らしい。県内全域が京阪アクセント統一されているのは中四国では珍しい。香川、ついで愛媛アクセント中国地方の影響が大きいように思う。これが最も重要だ。イントネーション関西弁と同じなのだ

徳島東部高知県中部東部アクセントは、近畿中央部のものより古い時代京都アクセントに近い。」ともいう。全体的に阿波弁は現代大阪が直面している「標準語化」をそれほど経験していない。「古い」というのは方言圏論にも整合的で理に適う。古い時代京阪から来訪した方言が、辺境はいまだに残っているのだ。もっと鮮明にいうなら、阿波弁は現代関西弁よりも「厳密な」京阪式といったほうがいいかもしれない。東京アクセントへの忌避近畿圏より強い。文の一部であっても東京アクセントが溢れることを嫌う。

文法について

ほぼ同じなので差異を挙げる。

語尾

語尾は「じゃ/だ/や」の3種類がある。「じゃ」は若者は言わない。「だ」の登場頻度が近畿圏よりは多いが基本的には「や」で関西弁と共通だ。

「中でも未然形、推量は「ダロ」が優勢」らしい。確かに「だ」は「だろ」の形で特に使われやすい。京阪アクセントで語尾が「だろ」になる文はいかに徳島らしい。

「「ヤロ」は沿岸部のごく一部地域だけであったが、近年は、鳴板地域徳島市をはじめとした沿岸部を中心に「ヤロ」が優勢である。」とのこと。近畿同化している側面が否定できない。

「じょ」という女性言葉の語尾も存在する。使う人は使う。現在では男女差は明確ではないと思う。男性も一部使うが、これは遊戯的な使用だろうか。

否定

動詞否定は「〜ん/へん」だ。「 〜ん」の頻度が大阪よりかなり高い。兵庫と比べてもやや高い。「へん」の頻度が近年高くなっているとしたら、近畿同化である

「「動詞未然形+れん/られん」は禁止を表す。「あそばれん」は「遊んではいけない」」これは四国の他県にはあるが近畿にはない。

音便

「五段動詞連用形は、「て」「た」「とる」の前で音便形を取る。」ことによって「言った」「洗った」が「言うた」「あろおた」「あろた」のようになる。これは関西弁と共通。やや古い関西弁で観測できる。

山間部の高齢者を中心に「「さいた」(差した)のようなイ音便が用いられ」ることもあるらしいが、現在徳島市内にはない。これは相当に古い京都弁と共通

「「あそおだ」(遊んだ)「のおだ・ぬうだ」(飲んだ)のようなバ行・マ行ウ音便がまれに聞かれる。」らしいが聞いたことはない。近畿を含め、他県にもない。

現在進行・現在完了アスペクト

連用形 + とる・とお」で現在完了または現在進行、「連用形 + よる・よお」で現在進行を表す。「しとる」「しとお」「しよる」「しよお」などである。「とる」「とお」は兵庫県と共通滋賀三重とも共通。まさに辺境に残る関西である。「よる」も古い関西弁。「よお」は県内では現代でも使われているが近畿ではもう聞かない。

「とる」に関していえば瀬戸内地域に限らず広く西日本で使われていて、一応関東にもある。広すぎて起源が同一かは不明

接続助詞

「逆接の接続助詞には「〜けんど」が多く用いられる」らしいが、実際には「けんど」は残ってはいものの、近畿同化して「やけど」も優勢である

「「〜から」という理由・原因は「〜けん」である。これが関西弁との最大の違いだ。これさえ出さなければ関西圏で生活しても違和感はない。私は首都圏から徳島転入であったから、「〜けん」まではそもそも吸収していない。ふつうに言いにくいと思う。まあ中四国九州など広く西日本共通だ。

また、古い関西弁と共通の指示語「ほう」「ほれ」「ほな」(「そう」「それ」「それでは」)と重なって「ほなけん」「ほなけんど」「ほなけんな」が文頭で使われるのが特異的。「ほやけん」に変化するのは近畿同化か。徳島市外では「き」「さかい」も用いられるそうだが、「き」は高知イメージ。「〜さかい」は古い関西である

過去否定

「「行かなかった」は「行かざった/行かなんだ」」で表されるらしい。「行かざった」は聞かない。「行かなんだ」は県内では現役。過去否定を「なんだ」で表すのは古い関西弁と共通だ。

不可能

北部で「よお〜せん」、南部で「ええ〜せん」の言い方がある。」という。「ええ〜せん」は市内では聞かない。「よお〜せん」は古い関西弁と共通だ。関西で「よお〜せん」といえば、遠慮など心理的抵抗から不可能を表すイメージだが、徳島でもニュアンスは同じだろうか。

「で」の特異性

助詞「え」「で」(ときどき「でか」)を文末に付して疑問文を強調する用法関西弁にはあまりない独自のものとして多用される。「何しよんで?」など。関西弁の念押しの「で」が下降イントネーションであるのに対しこちらは尻上がり(しばしば伸ばされる)である独自用法だが和歌山や南大阪とはある程度親和的であり、そこまでの違和感はないように思われる。もちろん近畿と同じく、念押しの「で」もよく用いられる。

「〜だろう」「〜ではないか」の意味の「で」もある。「あかんでぇ」は「ダメだろう」「ダメじゃないか」という決して深刻ではない軽い咎め禁止の「あかんで」と同じく下降アクセントだが、発音は明確に区別されている。この差は禁止を「あかんでぇ」と伸ばしても埋まらない。咎めの「あかんでぇ」は「でぇ」の途中に下降が入る。

さて、この「で」は疑問文の「で」から来ているのか、あるいは語彙の章で取り扱う「あかんでないで」(ダメじゃないか)の一つ目の「で」から来ているのか。なお、「あかんでないで」の末尾の「で」は疑問文強調の「で」である。おそらく前者だろう。

三重滋賀では順接の接続助詞として「で」が使用されることも多い。「で」は日本語最大の多義語ではないだろうか。

その他

おもしろくない→おもしろおない/おもっしょおない のような形容詞の変化がある。「おもしろおない」は古い関西弁と共通だがあまり使われない。「おもっしょおない」あるいは短縮されて「おもっしょない」は独自のものであり、かなり現役。肯定文でも「おもっしょい」が阿波弁のアイコニックな代表例として存在

仮定形は「書きゃあ」「起きりゃ(あ)」のようになる」らしいがこれはもはや残っておらず、近畿同化して「書いたら」「起きたら」である

助詞「よ」「よお」による「〜したんよ」のような用法大阪よりは多用されているイメージ

「終助詞「が」を用いる。軽い詠嘆・感動を表す。」と書いてあったがそんなのは現在の市内にはない。残っているとしたら高知だろう。

「疑問・反語の終助詞は、「か」「かい」「かいな」「かえ」などを用いる。」というのは関西弁と共通だ。「時計めげとんかいな。」など。「めげる」は「壊れる」

「終助詞「わ」は感動・強調などを表す。(例)あれが大鳴門橋やわ。」→ふつう関西弁。

あと関西弁の「〜やねん」が県内ではあまり使われない。

語彙について

「いける」(大丈夫)は関西弁と共通語彙だが、頻度は近畿より高い

か(ん)まん【構ん】 …構わない 

近畿ではもう古いだろうが、県内では若者こそ低頻度だがそこまで陳腐化しているわけではない。

かく …持ち上げる。運ぶ

神輿山車しか言わないだろう。

じゃらじゃらする …いい加減にしている。ふざけている。

→相当古い関西弁だが、県内では完全に現役。親が子に言うような教育場面の語彙だから継承されやすいのでは。

しんだい …だるい

せこい …しんどい身体的な倦怠感を表現する)。食べ過ぎて苦しい時にも使う。

→「せこい」は他地域で通じない。

〜ちゅう …〜という。

現代関西弁と同じ。

つっかけ …ぞうり。

→広く四国近畿共通

〜でないで …〜ではないか。(例:あるでないで→あるじゃないか

→あまり聞かないが、疑問文の文末「で」による協調は多用される。「〜でないか」なら言う。

はさ(か)る …挟まる。

→「はさかる」は今も使われる。西日本では珍しい。

ほんに【本に】 …本当に、本真に。

→相当古い関西弁だが、県内ももう使われない。

わや …だめなこと。むちゃくちゃな様。

四国他県のほうが使われる。

終わりに:徳島県人が関西で、あるいは首都圏関西出身者として生き残るには

言語には南大阪和歌山淡路島徳島というグラデーションがある。兵庫和歌山、南大阪三重など近畿辺境というのは、少しずつ違いはあるがなんとなく「大阪弁とは違う」を共有している。「辺境関西弁」にアイデンティティを投じさえすれば、矛盾自己矛盾も抱えずに済むのだ。なにより、エセではないということだ。ディープであればいいじゃないかリアルに聞こえるし、リアルである

参考

阿波弁 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Wikipediaには方言文法として書かれているので便利。

2025-12-23

anond:20251223101753

差異理解したいわけね

うまいまずいはわかってるというかただの主観からね(そこ勘違いしてる意見が多い)

2025-12-22

小説書くのにAI使ってたけど、出来栄えに満足できなくなってきた

こだわり始めたら、余計なことを口出ししてくると感じ始めた。

人それぞれ、同じ言葉でも解釈や重みに差異があるのは当たり前のことで、そうした自分価値観とは違う歪さと自分価値観とを擦り合わせて、整合性を取っていくのが醍醐味だと思うのに、AIに頼ってしまったら小さな違和感すら感じられず、そのまんま文章意味する通りに解釈するのが正しい文章になってしまって、これではつまらんと感じ始めた。

から変わり者だと言われてはきたが、まだ、物書きとして半年目にしてこうなってしまうあたりに、己の異常さを再認識してしまう。

来世はもっと生きやすい脳を持って生まれたいものだ。

女に生まれて良かったこ

それは「女」という公共財利益を得られることだと思う。

女は基本的ルールを守り、コミュニケーション能力が高く、他者を思いやる力がある。それ故に、女は女であるというだけで女から恩恵を受けやすく、また返報の作法を学ぶ機会に恵まれている。

もちろん、女社会所属し続けるためには自分自身一定の対人スキルを持つことが求められる。しかしそれさえできていれば女としての恩恵を受けられる上、別に対人スキルがなくても受けられる恩恵もある。

スキルがなくても受けられる恩恵として、例えば公共施設の清潔度が挙げられる。男子トイレ男性浴場が汚物でひどく汚れていたという話をたびたび耳にするが、女子トイレや浴場でそんな光景は見たことがない。女には他人迷惑をかけないよう躾けられた人の割合が高く、後始末のスキルの低さや悪意からわざと他人迷惑をかける人の割合は、男のそれより遥かに低いのだろう。

また、女は女同士で助け合ったり協力する姿勢があり、それを美徳とする考え方が根付いている。男性競争することを求められるせいか、協力や助け合いはぬるい行為だと一段低く見られているように見える。

総じて女が女に対して行う行為はギブが多く、緩やかなギブの循環による豊かさが女社会にはある。対して男社会はギバーからイカーまで幅広い人種がいて、厄介なテイカーを統制する手段もないため、全体的に荒んだ雰囲気になっているように思える。

この傾向は、女の友情薄っぺらく、男の友情は厚いものだという説にも繋がると考えられる。すなわち、女は基本的ほとんどの人はまともなので、友人を厳選する必要もなく、場当たり的な人間関係でも上手くやっていける。一方で男は人種の層が幅広いため、ある程度は自分が付き合いたいと思える友人を選別する必要があり、その結果として厚い友情形成される。つまり友情の厚みは女の薄情さや男の情の厚さを示すのではなく、むしろ信頼できる同性の多寡に応じて決まるのではないかと考える。

また、女が男に文句を言いがちなのも、男がそれに黙って耐えがちなのも、女の中の「人間」の水準は高く、男の中の「人間」の水準は低いというギャップから来ると考えられる。あり得ないほど低い水準の同性に出会い人間本質について諦めをつけている男性と、ある一定の水準を満たす同性がほとんどなため、低い水準の人間には悪意や怠惰を感じてしま女性の違いである。

こうした差異は、XX遺伝子を持ちある程度の劣性遺伝を補完できるためにバラつきの少ない女という生き物と、XY遺伝子を持つために変異バラつきの大きい男という生き物であるが故のものである。それ故にこの差が覆ることはないものの、それを踏まえた上で私は女に生まれて良かったと思う。

女たちの暗黙の協定の上に成り立つ公共財恩恵は大きい。男がその世界に憧れる気持ちも分からなくはないが、女の心情を想像したり理解したりしない性欲丸出しの自称トランスジェンダーが歓迎されないのは、性欲が見えて気持ち悪いことの他に、女社会恩恵のみを啜るテイカであることが全く隠せていないことが原因だ。

男はある種羨ましく、ある点では猛烈に羨ましくない。輪廻転生人間に生まれる時は、いつも女に生まれたい。

民主主義クリエティティ類似性

個人感性とか個人主義主張というものを、本当に「個人」に完全に帰属する独立した無限バラエティを持つものだと思い込むのが間違いの元だ。

 

個人個人にはそれぞれ完全に違う人生経験ももちろんあるが、感性思想を決めるのはそこまで共通性がないわけではない「ジャンル」「文化」の影響が大半。

 

民主主義という場合には、あくまでその個人が「帰属」する文化コミュニティ差異に敬意を払うのがまず大事だし、個性創造性というときにも、大きいのは何を見て何に影響を受けたかという、ある程度「ジャンル」に分類できる大まかな文脈の方だ。

 

すなわち、民主主義称揚にはまず文化帰属尊重コミュニティ単位の小さな自治尊重から積み上げていくのが大事だし、個性を育てるというのはまず多様なジャンルを保存する市場必要なのだ

 

ジャンル多様性こそが本当の個性を生む。「個人選択」を言い訳に、儲かる市場に人気が集まるレッセフェール個性を殺す。

 

結局今の世の中で起きていることはそういうことなのだ。

2025-12-21

そういえば、世の男性体重ってどれくらいなんだ?

近頃、女性体重について「50kg以上とかデブじゃん!」みたいなことを言うオスはめっきりと生息域を減らしてきましたね。

素晴らしいことです。

ここで考えないといけないことは、では男性体重って?ってことなんじゃないでしょうか。

これは男女ともに言えることですが、脂肪筋肉、骨密度身長などなど、さまざまな要素が組み合わさって生まれる数値である体重を、その項目だけ見ることって正直価値はありません。

ですが、数字インパクトであったりイメージってやっぱりあるじゃないですか?

女性で言うところの50kgライン(←謎の数値)は男性には何処にあるのか。

なんとなくのイメージだと、70とか80kgくらい?80kg以上は太ってる!

すいません、正直全くわかりません。

男性女性と比べると筋肉量の有無によって生まれ体重差があまりにも大きい気がします。

インターネット観測できるオスは吹いて飛ぶようなヒョロガリと、親方って感じのファッティしかいません。なぜオタクはこうも極端なのか。

ですが彼らを基準に考えてはいけません。エナドリ飲んでる栄養失調かあるいはラーメン大好き栄養過多の不摂生オタクしかいませんから

では、一般男性なら?

平均を調べると、170cm/70kgくらいだそうです。ちなみに女性は150cm/50kgくらいらしいです。

健康体重美容体重との差異を考えると、この平均数値は「太ってはないが痩せてもない」くらいのラインだと思います

だとすると一般的男性は70kg、女性は50kgを超えたあたりで太り始めたてきたかな、と認識するに足ることになりますかね。

…ってアレ、ってことは「50kg以上とかデブじゃん!」って唾飛ばしながら叫んでるオスキモオタクもある意味では正しいことに…!?

おそらく、男性170cm/女性150cmの基準で考えると80kg/60kgを超えたらファッティだと自覚するべきなのでしょう。

ともすれば75kg/55kgあたりで体型について考えるべき時期か?

じゃあやっぱり70kg/50kg以上で一旦ブレーキ踏むべきじゃん!

そもそもこの手の体重議論って、理想の異性や"推し"について語る時に並んで出てくる話題で、そりゃ多少ドリームのある数字になっていいんじゃないか?

別に世の異性の健康的な体重について議論している訳でもないし。

よくわかんなくなってきた、つまり私が言いたいことは山下智久が1番カッコイイ男だってこと。

終わり!

2025-12-15

anond:20251215104204

どんぐりの背比べしかできないレベルから男とか女とかいう見た目だけは明確な差異にとびつくんだよね

2025-12-09

性欲強い女はまじで女から嫌われている

性欲の強さゆえに女から嫌われるというより、内面的魅力に乏しい奴が自称性欲強い女を名乗りがち。

単純に、幼稚でただただ頭が弱くてメンヘラで世の中を理解できてないだけなんだよな。


リスクすら考えられないから性を差し出して得られた関心を「自分の魅力」と勘違いして「私は他の硬い女よりモテてる」と無意識に他の女を見下していたり。

頭が悪すぎて変な思想に酔っていて、それが性を孕んでいるだけだったり。

考え足らず、またはわざと棲み分けしないので他の女を危険晒していたり。

他の女はただ賢く、リスクを考えてるだけで、もちろん場合によって相手を選んで性を差し出すこともあるのであって、性の魅力に差異があるわけではない。


ちなみに本当に性欲がシンプルに強いだけの女、リスクデメリットを大幅に上回る性的欲求のためにリスクを受け入れているだけで、きちんと気を付けて住み分けていて、男女両方の周りの人間迷惑をかけないようにしている女は嫌われてない

2025-12-06

清潔感理解できない人は生活水準が低いだけなのでは

清潔感話題が盛り上がるたびに「何言ってんのこいつら」という感想を抱いてたんだが、

この増田https://anond.hatelabo.jp/20251124031735)を読んでお前らが何に躓いてるのか理解できた気がする。

要するに、お前らは生活水準が低いんだよ。だから容姿というもの解像度が低い。

一般人普段から口にする食べ物栄養バランスカロリーちゃんと考えて食べてるし、

着てる服も綺麗めかカジュアルかをバランス取りながらどの程度の清潔感演出するか考えて生きてるんだが、

この種の人らは「何を食べるも自由、何を着るも自由」みたいな感覚で生きてるんじゃなかろうか。

からわざわざ人が「清潔かどうか」ではなく「清潔感」という言葉を選んでいる文脈理解できていないんだよな。

人間なんて顔面や体型の偏差値は多少差異があるとはいえ生活レベル一定以上なら外見は平均点に収まるものなのよ。

世間に溶け込んで他人不快にさせず自分に自信を持つための努力を怠っているという指摘がつまり清潔感がない」という状態なの。

そしてそういう状態はとにかく目立つんだよ。清潔感がない人間容姿端麗な人間よりよっぽど目立つ。群衆の中で1人だけスポットライトが当てられてるくらいには。

人間というのはそうやって外見でヤバい人間を避けるための本能が明らかに備わっている。

どれだけ倫理観ポリコレアップデートしたところでみんな内心ではそういう本能に従って生きている。

しろ表立って口出しできなくなったことでそういう格差はどんどん開いていく。

からもっと自分自分責任を持って規則正しく努めて生きろよと思う。

2025-12-05

アニメ銀八先生』に思うこと

はじめに。

 内容はまったく肯定的でないです。

 本文中、主語がざっくりしている箇所がありますが、この文章目的上、「アニメ銀八を楽しめていない〇〇」であることを含みおき下さい。

 楽しんでご覧になっている方や、銀八銀魂が大好きで面白い面白くないは関係ないんだという方はご気分を害される内容のはずです。

 自分自身気持ちの整理や一感想として残しておくこと、また、同じように感じている方に届けばいいなと言う気持ちで書きました。

 したがって、作文の程度は低いものですので、お目通しになる際は、可読性についてはご容赦ください。

 

 

アニメ銀八感想

 よくある5段階評価を付けるなら、決して星2を超えない。

 星1ではなく2なのは声優さんの演技や製作の苦労といった、クリエイターへの“同情”から

 まるちばーす祭りもライビュを昼と夜の両方見に行ったり、銀八放映開始を本当に楽しみにしていた。

 それがどうして低評価となったのか。

 Xやレビューサイトで評判を調べれば、多くの人が次のように口を揃えている。

テンポが悪い」

BGM効果音に乏しい」

 賛同する。

 さらにこんな意見もある。

ギャグが滑っている」

「空知先生ギャグセンスに見られた面白みを感じない」

銀魂本編のノリと違う」

 これも確かに言える。

 何故こんなふうに言われるのか。

 そして何故、私自身も同じように感じ、賛同するのか。

 

原作小説文体好き嫌いこそは分かれると思う

 まず、『銀八先生シリーズ原作小説は空知先生ではなく、大崎知仁先生が著されている。

 ギャグ雰囲気に違いを感じる人がいるのは、書いている人が異なるためもあろうと理解できるが、私が読んだのはシリーズの折り返しまであるものの、原作小説も十分“楽しめる”内容とクオリティだった。空知先生も「(ノベライズの内容は)銀魂のものだ。自分の代わりに大崎先生に書いてもらうことにする」と冗談めかしながらも太鼓判を押していたくらい。

 元は普通小説を書かれる作家さんであることは、銀八本文内の表現言い回しに滲んでいる。だから文体をあえてここまで落として、よくあのハチャメチャな作風文字として表現できたなと、私は銀八原作小説結構高く評価している。私が読んだのが半ばで止まっているのは、その“あえて落とされた文体”が個人的に合わず、読むのに大変な体力を使うからで、内容の退屈さからではない。

 なので「原作小説からそもそも面白くなかった」という声は、この若年層向けの文体が合わなかったものではないかと推察している。こう言っているのは、高校生以上の読書慣れした人が多いのではないか小中学生なら取っ付きやすハードルの低い文体だと思う。

 だからギャグが滑って」「面白みを感じない」のは、場面転換や時間経過表現セリフセリフの間の妙なテンポの悪さが寒々しいからではないだろうか。その寒い所へBGMアシストもないので、笑わせるつもりのネタも響いていかない。そうして場がシラケるような気まずさを視聴者に与えるのだろうと思った。

 

元の部分を減らして、余計に追加されるアニオリ

 では、何故テンポが悪いのか。

 文字ベース原作小説アニメにすると恐らく尺がギュッとして足りなくなる。これを30分枠で一本の作りにしているため、間が持たずタラタラしてしまうのではないだろうか。

 割り切ってAパートとBパートで分ける、クレしんのような形式にすればここまで間延びはしなかったのではないか。何話目か忘れたが、この構成の週は間延び感が緩和されて感じたので、的外れな発想ではないように思う。

 さらに、原作小説そのままでは尺が足りないのであれば、元を削るようなことはせず、アニオリはその不足分を充填する要素として用いればいいのに、何故か原作小説の内容を削ってアニオリを入れてくる。これが面白いなら構わないが、面白くないか賛否別れるハメになっている。

 複数レビューで同様に見られた表現が「二次創作みたい」というもの。これには唸った。

 例えば2話か3話のアバンで、銀八が生徒らが幼児化や獣化する白昼夢を見る。正直公式アニメにそういう供給は求めてない。

 見るのはオタクばかりじゃない。天下のWJの目玉漫画ギャグの人気が高いんだから漫画が好きな普通の人たちも読んでいたしアニメも見ている。評判を調べていても「懐かしいと思って見てみた」という人も多い。

 そうした需要様相に対して、特定の、狭いニーズに向けたようにも感じられるショタロリ化、ケモ化といったイロモノネタ面白くないどころか笑えないとさえ思える。

 また、オリネタの勢いの弱さや面白みの薄さもある。

 銀魂アニメのアニオリは、いい意味で、空知先生と同年代か少し上のおじさんたちが、おじさんホイホイやキワキワの下ネタでアニオリを突っ込んでくれていたので、作品との相性が良かった。しかし今回は監督脚本女性で、恐らくそうした方面への解像度が以前の上流工程陣ほど高まりにくいのではないだろうか。

 銀魂アニメ監督さんたちは現在50代前後男性で、彼らの子時代にはまだ家庭科授業は女子だけというような区分があった。男女で見えるもの、培えるものに今よりも差があったことは想像やすい。

 加えて、キャラクターの扱いや動かし方といったものも雑だ。分かりやすいところだと高杉や土方。

 頬をこけさせ好物を吸引する土方が、バケモノのように揶揄され、その姿をくどく使いまわしていたところや、ギャグを放とうとして滑り散らかす高杉というネタも、それしか弾がないかのように繰り返し繰り返しで、大変しつこかった。大抵の繰り返しネタは二回、内容や出来によっては三回程度なら繰り返していいが、この浅さで動かされるキャラクターネタを二度三度見せられるのは御免だと思った。

 深夜放送とはいえ学園設定、学生ものであるゆえに、昨今のコンプラ意識の変容による縛りを余儀なくされ、表現の幅・深度に制約があることも考えられるが、どちらにせよ、アニオリ部分に面白みを感じられない。

「そういうのは二次創作でやる」というやつだと思う。公式なら、ちゃんキャラを動かしてほしい。

 

環境時代体制の変化はどうしようもないけど…

 従って、全体的に惜しさ、つまらなさ、退屈さ、以前のアニメとの差異を覚える流れは以下のセットだと推測。

 音の乏しさ。テンポのもたつきイマイチ乗らない視聴者気持ち。シラけ、空回りした空気キャラクターの掘り下げの甘いネタさらにシラケる視聴者の心。以下ループ

 声優さんの変わらない演技とプロ意識、及第的な作画で体面は保たれているが、原作小説の履修、未履修に関わらず、自然のうちに期待のハードルが上がっていたもの銀八アニメでは叶えられなかったということなのだと思う。ましてや、まるちばーす祭りなど、公式サイドが気流を上げまくっているのだから期待値とともにハードルは上がって当然だ。

 1話アバンでも確かにこの事については触れていた。「渡されたバトンが重い」と。

 でもね、と。

 これについても言及したい。

 プロが、クオリティ担保をできないことを、いくらやりたい放題ギャグ作品であろうと、「別物だと思って」と言い訳めいた建前を設けたことには、はっきり拒否感情を覚える。

 確かにメタさは銀魂醍醐味ひとつだ。けれど、これまでよくネタにされてきた、オマージュをやって色んな偉い人に怒られたというメタエピソードは、視聴者を楽しませるためにギリギリアウトのことまでした結果、BtoB的にはひんしゅくを買ったという話なのであり、今回のように、BtoCで十分な提供が出来ないことを言い訳がましく置き石するようなネタとは性質を全く異にする。例えば環境が整えられる状況でなかったとか、無理な予算納期で進行していたという話はエンドユーザーには関係の無い話である製作者らで談義したり解決すべき話なのであり、消費者をそれに巻き込まないでもらいたい。

 ちなみに、銀魂アニメの時のような、外部のひんしゅくを招きかねないリスクを再びなぞってほしいと言っているのではない。あれらの話は、何度頭を丸めようが、額を床に擦りつけようが、立ち続けられたプロデューサー、その他製作の偉い方々の多大なる自己犠牲の上に成り立っていた。彼らが笑い話として盛り込んでいても、それはご本人の類い稀なる胆力、相手方や周囲の理解と協力によって我々に届けられていた。だから、また同じことをして笑わせろと要求している訳では無いことだけは、忘れずに言い置いておきたい。

 

 

余談:まるちばーす祭りで見れた話は良かった

 山崎ががんばる話でした。地上波もつい先日放送されたみたいですね。

 作画も良くBGMもあり、アニオリでしたがお通ちゃん新曲披露回とあってかなり手が込んでる印象でした。

 広報とか、お通ちゃん新曲のような試みに資金が偏ってしまったのかなという印象も受けます事実は分かりませんが。

2025-12-04

名前がついていない人間法則

でも皆気づいてるやつ

 

1.人は差異にばかり目が奪われる

正しいことと間違ってることが書かれていると、間違ってる方により目が奪われて、かつSNSなどで発言してしま

ツッコミ現象みたいな感じ

みんな世間ボケを探してるし、ボケたやつに執着する

 

2.人はより細かい違反に執着する

創作で「軽微な犯罪」「重大な犯罪」の両方が描かれていた時に、なぜか「軽微な犯罪」を問題視するやつ

軽微な犯罪マナー違反ルール違反など、おそらくはより「想像ができる」「身近」「真似しやすい」というのがトリガーなのかもしれない

(痛みとかもそうだよね、斧で腕をぶった切られるシーンと、鉛筆で刺されるシーンがあったとして、後者のほうがより想像できてしまうみたいな)

これによって「そんな事言うなら殺人描写はいいのか」という反論が生まれ

 

あとは?

2025-12-02

anond:20251202093946

日本中国の反乱の差異については正解だが、後半については賛同しかねるね。

 

強い統制が必要なのは、単に広くて多いから。国民性質は事後的だろう。

2025-12-01

映画ポケットモンスターをした

映画やないやないかい!

ゲーム(遊戯)としては80点くらいだけど作品としては20点くらいだと思う。

 

まずよかったところ。

純粋ゲームとして、つまり手駒を捕まえて育成して戦わせるという部分に関してはよかった。

これはシリーズ化されますわ!って感じ。

まず出てくるモンスターデザインがいいし「進化」というシステムで見た目が変わっていく、より強そうになっていくが視覚的にも成長を感じさせられるのもよい。中にはいやそうはならんやろみたいなのもいるけど意外性という面で評価できなくもない。

そして属性ジャンケンシステムもよくできている。水は炎に強くて炎は草に強くて、草は水に強いみたいな直感にわかやす属性(草と水は共存関係ではと思わんでもないけど)で有利不利が決まっており、多少ステータスが低くてもこれの対応全然勝てたりするのが良い。特に前述の進化属性が増えたりして戦略の幅が広がる。

またモンスターによって属性や覚えられる技が決まっているのでモンスターコレクションする理由付けにもなっているのが良い。ただ、構成ガチガチに決まっているわけではなく消費アイテムとして技を覚えさせる技マシンというものがあり、それを使うことである程度、モンスターカスタマイズできるのもよい。

また育成には様々なマスクデータ存在し、対戦で勝てるモンスターを作るということに関しては奥深いなんてレベルじゃない不快作り込みが感じられる。育成ゲームとしてもレベルは非常に高い。

 

ただ、作品としてはかなり厳しいと言わざるを得ない。

 

目的の「ブレ」。

主人公オーキド博士という人物からポケモン図鑑」を完成させる任を受けて旅に出る。まぁ、この任も11歳の少年に急に押し付けものとしていかがなものかと思わんでもない。しかボランティアだし。せめて給料が出てる設定とかにすればよかったのに。という大人の事情はいったん置いておいて。

しかし、このゲームクリアがどこにあるかというと世界最高峰モンスターコロシアムであるポケモンリーグ四天王と呼ばれる最強の戦士たちを倒し、最終的にそこの王者になったライバルを倒すことにある。実際そこでエンディングになるし。

いや本来目的わい!お前の旅の目的ポケモン図鑑を埋めることやったやろがい!

なにをポケモンバトルにうつつを抜かしとるんじゃ!

しかも初代においてはポケモンリーグにおける下部組織であるジムを制覇していくスタンプラリーは、単にそこのスタンプをもらわないと先に進めない理由が配置されているからであって、それ自体目的ではない。ないはずなのに知らんうちに主目的が「ポケモン図鑑から「最強のポケモントレーナー」へと変質していく。

これは作品としてはあり得ないブレだと思う。

 

文字通り「ハードル」でしかないライバル

作品には主人公と同時期に旅に出るオーキド博士の孫であるライバル」がおり、定期的に戦うイベントが発生するのだがこれが文字通りの意味としての「ハードル」にしかなっていない。つまり、ある一定の間隔で置かれた障害物としての意味以外を果たしていない。

彼は定期的に現れては「お前強くなったか?」と勝負を吹っ掛けてくる。そこに至るまでの話は一切なし。なぜ戦うのか、どういう道程できたからその構成なのかなどは明かされないので本当にはいはいまたライバルねぴょ~んくらいの感覚しかない。

本来作劇としてはライバル主人公のもの、もしくは鏡写しの存在であるべきだと思うのだがそのどれでもない。ただ定期的に出てきて飛び越えるだけの存在に堕している。

 

存在意義の薄いヴィラン

道中でジムスタンプラリーとは別口で謎のヴィラン組織であるロケット団というものが登場し各地で悪事を働いており主人公たちはなぜか彼らと戦うことになる。ロケット団ポケモンを使って悪事を働こうとしているのだが、主人公の主目的が「ポケモン図鑑の完成(もしくはポケモンリーグ制覇)」となっているため、お互いのテーゼが衝突しない。

つまるところ主人公の旅の目的障害ロケット団がなっていないため、ここが衝突する意義が少ない。

仮にロケット団違法手段捕獲し独占しているポケモン存在し、それを解放しま捕獲することでしか(また捕獲するんかい)ポケモン図鑑が完成しないといった展開があるなら衝突することの意義が発生するのだがそういうのは一切ない。

何よりこの世界には明確に警察存在するのだから無駄危険なことをしなくても警察に任せておいて主人公自身目的を遂げることに邁進すべきである。寄り道にしてはやっていることの規模が大きすぎるので何かしら物語的にフックが必要だったはずである

 

無意味な繰り返し構造

ポケットモンスターには「赤」と「緑」(と青と黄色)という主に2種類の作品存在するのだがこの2作は登場するモンスターの種類がやや違う意外はまったく同じ作品である悪名高い「エンドレスエイト」よりも差異が薄い繰り返し構造となっている。

少なくとも同じ作品を2作品で展開するのであれば相互が補完する形での実装とすべきだ。わかりやすくするなら赤が「主人公」の話であれば緑は「ライバル」の話であるとか。そうすることで単なるハードルしかなかったライバルは血肉の通った存在となれたはずだが、赤でも緑でもライバルハードルしかない。

赤と緑の繰り返し構造ははっきり言って成立していない。「単に同じ話を2回やっている」だけに過ぎない。

 

モンスター育成対戦ゲームモンスターファームみたいな?)としては十二分に楽しめるが

つの作品として見たらだいぶ酷いと感じた。

今となってはグラフィックも凡だがあのLEGENDゲームスタート地点を体験したいという人にはオススメ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん