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2025-08-20

ブスは生きる価値無し、低学歴は生きる価値無し

この世は、劣等感をバネに働かせる仕組み。

奴隷だってドン引きするような密度労働者を詰め込み走る客車の中は、美容整形脱毛、薄毛、塾の広告ばかり。

みんな、綺麗になるために、子供高学歴にするために、体温よりも高い気温のなか命の危険をおして通勤する。

これは、この日本にブスは生きる価値無し、低学歴は生きる価値無し、そういう価値観が浸透してる証左だ。

2025-06-23

anond:20250623202234

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間漫画などを書き、休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて、笑わせてやりました。また、綴り方には、滑稽噺こっけいばなしばかり書き、先生から注意されても、しかし、自分は、やめませんでした。先生は、実はこっそり自分のその滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたからでした。或る日、自分は、れいに依って、自分が母に連れられて上京の途中の汽車で、おしっこ客車通路にある痰壺たんつぼにしてしまった失敗談(しかし、その上京の時に、自分は痰壺と知らずにしたのではありませんでした。子供の無邪気をてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しそうな筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという自信がありましたので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、そっとつけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を歩きながら読みはじめて、クスクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、顔を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、さっそくそれを読ませているのを見とどけ、自分は、たいへん満足でした。

 お茶目

 自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。尊敬される事から、のがれる事に成功しました。通信簿は全学科とも十点でしたが、操行というものだけは、七点だったり、六点だったりして、それもまた家中の大笑いの種でした。

 けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡およそ対蹠たいせき的なものでした。その頃、既に自分は、女中下男から、哀かなしい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷犯罪だと、自分はいまでは思っていますしかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間特質を見たというような気持さえして、そうして、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡まわりに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。

 必ず片手落のあるのが、わかり切っている、所詮しょせん、人間に訴えるのは無駄である自分はやはり、本当の事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化をつづけているより他、無い気持なのでした。

 なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいクリスチャンになったんだい、と嘲笑ちょうしょうする人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。やはり、自分の幼少の頃の事でありましたが、父の属していた或る政党有名人が、この町に演説に来て、自分下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。満員で、そうして、この町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見えて、大いに拍手などしていました。演説がすんで、聴衆は雪の夜道を三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演説会の悪口を言っているのでした。中には、父と特に親しい人の声もまじっていました。父の開会の辞も下手、れい有名人演説も何が何やら、わけがからぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒声に似た口調で言っているのです。そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説会は大成功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っていました。下男たちまで、今夜の演説会はどうだったと母に聞かれ、とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演説会ほど面白くないものはない、と帰る途々みちみち、下男たちが嘆き合っていたのです。

 しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎません。互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかい道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦みょうていを教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間生活対立してしまって、夜々の地獄のこれほどの苦しみを嘗なめずにすんだのでしょう。つまり自分下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、また勿論クリス主義のためでもなく、人間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があったのですから

 そうして、その、誰にも訴えない、自分孤独匂いが、多くの女性に、本能に依って嗅かぎ当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もするのです。

 つまり自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。

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第二の手記

 海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉わかばと共に、青い海を背景にして、その絢爛けんらんたる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤ちりばめて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学制帽の徽章きしょうにも、制服ボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。

 その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。

 生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたかである、と解説してもいいでしょうがしかし、それよりも、肉親と他人故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子イエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷劇場であって、しかも六親眷属けんぞく全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者くせものが、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。

 自分人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動ぜんどうしていましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラス大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。

 もはや、自分の正体を完全に隠蔽いんぺいし得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしか父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣うわぎを着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。

 その日、体操時間に、その生徒(姓はい記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学自分たちは鉄棒練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分背中をつつき、低い声でこう囁ささやきました。

「ワザ。ワザ」

 自分震撼しんかんしました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄業火に包まれ燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。

 それからの日々の、自分不安と恐怖。

 表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息ためいきが出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍そばから離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於おいて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。

 自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑びしょうを湛たたえ、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫ねこなで声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。

 その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋家賃のようでした。

「耳が痛い」

 竹一は、立ったままでそう言いました。

「雨に濡れたら、痛くなったよ」

 自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。膿うみが、いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。

「これは、いけない。痛いだろう」

 と自分大袈裟おおげさにおどろいて見せて、

「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね」

 と女の言葉みたいな言葉を遣って「優しく」謝り、それから、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分の膝ひざを枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。竹一も、さすがに、これが偽善の悪計であることには気附かなかったようで、

「お前は、きっと、女に惚ほれられるよ」

 と自分の膝枕で寝ながら、無智なお世辞を言ったくらいでした。

 しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろしい悪魔予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉一言でもひょいと顔を出すと、みるみる憂鬱伽藍がらんが崩壊し、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あながち憂鬱伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なものだと思います

 竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、幽かすかに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言葉に依って生じるやにさがった雰囲気ふんいきに対して、そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。

 自分には、人間女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞むちとちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒ちゆし難い傷でした。

 女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳じゃけんにし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。

 女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまり道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも自分にお道化要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。

 自分中学時代に世話になったその家の姉娘も、妹娘も、ひまさえあれば、二階の自分の部屋にやって来て、自分はその度毎に飛び上らんばかりにぎょっとして、そうして、ひたすらおびえ、

「御勉強?」

「いいえ」

 と微笑して本を閉じ、

「きょうね、学校でね、コンボウという地理先生がね」

 とするする口から流れ出るものは、心にも無い滑稽噺でした。

「葉ちゃん眼鏡をかけてごらん」

 或る晩、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒に自分の部屋へ遊びに来て、さんざん自分にお道化を演じさせた揚句の果に、そんな事を言い出しました。

「なぜ?」

「いいから、かけてごらん。アネサの眼鏡を借りなさい」

 いつでも、こんな乱暴命令口調で言うのでした。道化師は、素直にアネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。

そっくりロイドに、そっくり

 当時、ハロルド・ロイドかい外国映画喜劇役者が、日本で人気がありました。

 自分は立って片手を挙げ、

諸君

 と言い、

「このたび、日本ファンの皆様がたに、……」

 と一場挨拶を試み、さらに大笑いさせて、それからロイド映画がそのまちの劇場に来るたび毎に見に行って、ひそかに彼の表情などを研究しました。

 また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、

「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」

 などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、

「何か面白い本が無い? 貸してよ」

 と言いました。

 自分漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。

「ごちそうさま」

 アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓みみずの思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から自分経験に依って知っていました。

 また、妹娘のセッちゃんは、その友だちまで自分の部屋に連れて来て、自分れいに依って公平に皆を笑わせ、友だちが帰ると、セッちゃんは、必ずその友だちの悪口を言うのでした。あのひとは不良少女から、気をつけるように、ときまって言うのでした。そんなら、わざわざ連れて来なければ、よいのに、おかげで自分の部屋の来客の、ほとんど全部が女、という事になってしまいました。

 しかし、それは、竹一のお世辞の「惚れられる」事の実現では未だ決して無かったのでした。つまり自分は、日本東北ハロルド・ロイドに過ぎなかったのです。竹一の無智なお世辞が、いまわしい予言として、なまなまと生きて来て、不吉な形貌を呈するようになったのは、更にそれから、数年経った後の事でありました。

 竹一は、また、自分にもう一つ、重大な贈り物をしていました。

お化けの絵だよ」

 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。

 おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例のPermalink | 記事への反応(1) | 20:25

人間失格

 私は、その男写真を三葉、見たことがある。

 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、

可愛い坊ちゃんですね」

 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、

「なんて、いやな子供だ」

 と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺しわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。

 第二葉写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。学生の姿である高等学校時代写真か、大学時代写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生であるしかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗のぞかせ、籐椅子とういすに腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命いのちの渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。

 もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎あごも、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快イライラして、つい眼をそむけたくなる。

 所謂いわゆる「死相」というものだってもっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間からだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。

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第一の手記

 恥の多い生涯を送って来ました。

 自分には、人間生活というものが、見当つかないのです。自分東北田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分停車場ブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのし遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

 また、自分子供の頃、絵本地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。

 自分子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団カヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。

 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校中学校自分学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

 自分だって、それは勿論もちろん、大いにものを食べますが、しかし、空腹感からものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事時間でした。

 自分田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛かみながら、うつむき、家中うごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。

 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋かいじゅうで、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。

 つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分幸福観念と、世のすべての人たちの幸福観念とが、まるで食いちがっているような不安自分はその不安のために夜々、転輾てんてんし、呻吟しんぎんし、発狂しかけた事さえあります自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分はいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。

 自分には、禍わざわいのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負せおったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。

 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨せいさんな阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快そうかいなのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。

 そこで考え出したのは、道化でした。

 それは、自分の、人間に対する最後求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

 自分子供の頃から自分家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。

 その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化一種でした。

 また自分は、肉親たちに何か言われて、口応くちごたえした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂へきれきの如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系人間の「真理」とかいものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。

 それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子しよりも鰐わによりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾しっぽでピシッと腹の虻あぶを打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄せんりつを覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分絶望を感じるのでした。

 人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。

 何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空そらだ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。

 自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を歩き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、

「それあ、葉ちゃん、似合わない」

 と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって真夏毛糸のセエターを着て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆レギンスを両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以もってセエターを着ているように見せかけていたのです。

 自分の父は、東京用事の多いひとでしたので、上野桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚しんせきの者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。

 いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖てちょうに書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。

「葉蔵は?」

 と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。

 何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味あじわい、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます

 自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、

「やはり、本か。浅草の仲店にお正月獅子舞いのお獅子子供かぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか

 欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。

「本が、いいでしょう」

 長兄は、まじめな顔をして言いました。

「そうか」

 父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。

 何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子自分に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。

 そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分子供部屋で聞いていました。

「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」

 また一方、自分は、下男下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目でたらめの曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚たいて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗さらさの風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。

 自分は毎月、新刊少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその他ほかにも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談講談落語江戸小咄こばなしなどの類にも、かなり通じていましたから、剽軽ひょうきんな事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。

 しかし、嗚呼ああ、学校

 自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態自分定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。Permalink | 記事への反応(1) | 20:22

2025-05-27

新幹線乗車券特急券というシステム理解できない

たぶん外国人理解できないと思う。

グリーン券みたいに、同じ列車の中に一等客車があって別料金ならわかるけど、新幹線チケットが別れるって意味わかんないよ。

改札も違うし線路も違うし車体も違うし券売機も違うし、なんでオプション扱いなのか。

新幹線以外の旧来の特急と合わせたんだろうけど、別料金体系にすべきだったと思うよ。

一時期、のぞみは別料金とか変なこともやってたし。

2025-02-13

オタク向け街コンに参加してきた

普通街コンだと趣味が合わずに話が盛り上がらないことも多いが、これはオタクが集まる場だ。

共通話題があれば、会話が弾むかもしれない……と思った俺が甘かった。

現実地獄だった。

まず、形式としてはグループトーク型。三人ずつの男女グループで話し、一定時間が経ったらメンバーを入れ替えるという方式

俺が最初に座ったテーブルには、撮り鉄ガンダムオタクの二人がいた。

開始早々、撮り鉄が語り出す。

「いやー、こないだのサンライズ出雲ラストラン、涙出ましたよ。やっぱり国鉄型24客車は味があるし、あのディーゼルエンジン音が最高なんすよね!動画撮ったんですけど、見ます?」

女性陣、すでに顔が引きつっていた。

しかし、それを見ても気にする素振りすら見せず、今度はガンダムオタクが割り込んでくる。

「いやいや、それよりガンダムの話しましょうよ!みなさん、宇宙世紀アナザーならどっち派です?僕はやっぱり宇宙世紀なんですけど、最近アナザー結構いいんですよ。特に鉄血のオルフェンズモビルスーツデザイン、最高だと思いません?バルバトスの獣っぽいフォルムとか、もう最高すぎて!!」

鉄血のオルフェンズバルバトス……俺も名前くらいは知ってるが、そんなに語られても正直ついていけない。ましてや女性陣は、もはや虚無の表情である

「……あ、Vtuberとか見ます?」

女性陣のうち一人が、おそるおそる話題を変えようと試みた。しかし、それが逆効果だった。

「えっ、どこ推しですか?ホロ?にじ?Vshojo?」

撮り鉄が瞬時に食いつく。女性が「えっと、ホロの……」と口ごもると、「いやー、最近ホロライブ新メンバー増えてますけど、やっぱり黎明期の勢いはすごかったですよね!」と、また語り出す。

地獄である

これはもう俺が流れを変えるしかないと思い、話題を切り替えることにした。

「フードロスって、気になりません?」

場の空気が固まる。それでも俺は続けた。

最近食品ロス問題に興味あってさ。コンビニ弁当賞味期限が近いだけで廃棄されるのとか、どうにかならんのかなって思うんだよね。で、この前パンの耳専門店ってのを見つけたんだけど、ここめちゃくちゃうまいんだよ!パンの耳をフレンチトーストにして出すんだけど、バターメープルシロップが絡み合って……」

気づけば俺も熱弁していた。

しかし、女性陣の表情は「それ、今話す?」とでも言いたげだった。

そしてタイムアップ

別のテーブルに移動した。

次のグループでは、ソシャゲ課金勢とラノベ評論家がいた。

ソシャゲ課金勢は、月に10万円以上ガチャに突っ込んでいるらしく、ソシャゲ投資課金こそが正義と断言していた。

ラノベ評論家は、異世界生モノテンプレ展開を批判しつつ、「それでも読むんですけどね」と自虐を交えながら熱く語っていた。

そして、また女性陣が無表情で固まっている。

ここで俺は確信した。

このオタコン、男女の間に横たわる溝が深すぎる。

男性陣は自分趣味を全力で語り、女性陣はどんどん引いていく。

女性陣は、たぶんVtuberちょっと見るくらいで「私、オタクです!」と言えると思っていたのだろう。

しかし、ここにいるのは本物のオタクたちだった。次元が違う。

最終的に、俺は誰とも連絡先を交換せずに帰った。

オタクが集まる場が必ずしも理想郷になるとは限らない。

しろオタクからこそ、趣味に熱中しすぎて会話が一方通行になりやすいのだ。

俺は悟った。次は普通街コンに行こうと思う。

2025-02-11

ポンキッキーズでやってた昔のアニメを思い出したので備忘録

アラサーおっさんだけど子どもの頃に見たSLアニメトーマスではない)を唐突に思いだして元ネタ特定するのに成功したので残しておく

あらすじは↓の通り

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5673435.html

最初、暗い画面からまり、次第にそれがトンネルだということがわかり、そのトンネルから機関車が出てきます

機関車には物資客車などが繋がっていました。

トンネルを抜けたところは高い鉄橋のようになっていて、機関車はそこを進んでいきます

すると、鉄橋の一部が欠けていて進めなくなっていました。

CGアニメなので機関車や他の車両にも意思があるような描写がされていて、機関車目的を果たすためにはここを通らなくてはいけない、

しかし渡ろうとすればスクラップになるかもしれないという想像をしていたと思います

機関車は意を決してそこを渡ろうと試み、見事成功します。

そして機関車はまた鉄橋の上を走り始めて終わりという話でした。

んで結構頑張って調べたらまんまyoutubeであった。今見ても結構楽しいアニメだなと思ってちょっとあの頃に戻ったような気がした。

Locomotion (1989)

https://www.youtube.com/watch?v=468W7XW4Kpg

2024-09-30

一  うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。発車まぎわに頓狂な声を出して駆け込んで来て、いきなり肌をぬいだと思ったら背中にお灸のあとがいっぱいあったので、三四郎記憶に残っている。じいさんが汗をふいて、肌を入れて、女の隣に腰をかけたまでよく注意して見ていたくらいである。  女とは京都から相乗りである。乗った時から三四郎の目についた。第一色が黒い。三四郎九州から山陽線に移って、だんだん京大阪へ近づいて来るうちに、女の色が次第に白くなるのでいつのまにか故郷を遠のくような哀れを感じていた。それでこの女が車室にはいって来た時は、なんとなく異性の味方を得た心持ちがした。この女の色はじっさい九州色であった。  三輪田のお光さんと同じ色である。国を立つまぎわまでは、お光さんは、うるさい女であった。そばを離れるのが大いにありがたかった。けれども、こうしてみると、お光さんのようなのもけっして悪くはない。  ただ顔だちからいうと、この女のほうがよほど上等である。口に締まりがある。目がはっきりしている。額がお光さんのようにだだっ広くない。なんとなくいい心持ちにできあがっている。それで三四郎は五分に一度ぐらいは目を上げて女の方を見ていた。時々は女と自分の目がゆきあたることもあった。じいさんが女の隣へ腰をかけた時などは、もっとも注意して、できるだけ長いあいだ、女の様子を見ていた。その時女はにこりと笑って、さあおかけと言ってじいさんに席を譲っていた。それからしばらくして、三四郎は眠くなって寝てしまったのである。  その寝ているあいだに女とじいさんは懇意になって話を始めたものみえる。目をあけた三四郎は黙って二人の話を聞いていた。女はこんなことを言う。――  子供玩具はやっぱり広島より京都のほうが安くっていいものがある。京都ちょっと用があって降りたついでに、蛸薬師そば玩具を買って来た。久しぶりで国へ帰って子供に会うのはうれしい。しかし夫の仕送りがとぎれて、しかたなしに親の里へ帰るのだから心配だ。夫は呉にいて長らく海軍職工をしていたが戦争中は旅順の方に行っていた。戦争が済んでからいったん帰って来た。まもなくあっちのほうが金がもうかるといって、また大連へ出かせぎに行った。はじめのうちは音信もあり、月々のものちゃんちゃんと送ってきたからよかったが、この半年ばかり前から手紙金もまるで来なくなってしまった。不実性質ではないから、大丈夫だけれども、いつまでも遊んで食べているわけにはゆかないので、安否のわかるまではしかたがないから、里へ帰って待っているつもりだ。  じいさんは蛸薬師も知らず、玩具にも興味がないとみえて、はじめのうちはただはいはいと返事だけしていたが、旅順以後急に同情を催して、それは大いに気の毒だと言いだした。自分の子戦争兵隊にとられて、とうとうあっちで死んでしまった。いったい戦争はなんのためにするものだかわからない。あとで景気でもよくなればだが、大事な子は殺される、物価は高くなる。こんなばかげたものはない。世のいい時分に出かせぎなどというものはなかった。みんな戦争のおかげだ。なにしろ信心が大切だ。生きて働いているに違いない。もう少し待っていればきっと帰って来る。――じいさんはこんな事を言って、しきりに女を慰めていた。やがて汽車がとまったら、ではお大事にと、女に挨拶をして元気よく出て行った。  じいさんに続いて降りた者が四人ほどあったが、入れ代って、乗ったのはたった一人しかない。もとから込み合った客車でもなかったのが、急に寂しくなった。日の暮れたせいかもしれない。駅夫が屋根をどしどし踏んで、上から灯のついたランプをさしこんでゆく。三四郎は思い出したように前の停車場で買った弁当を食いだした。

2024-07-20

和布刈公園の旧国鉄客車改装したカフェ普通に賑わってた

この前下関とか門司港のあたりに旅行に行って、そういえば少し前にはてブ話題になってたやつがあるなと思って様子見てきたんだけど、普通に賑わってた

ていうか失礼だけどあのあたりって人少なそうと思ってたか結構人多くてびっくりした

これね [B! 鉄道] 旧国鉄客車を改装のカフェに賛否の声 鉄道ファンら「価値失われた」 | 毎日新聞

2024-07-02

息子が6歳になった

誕生日忘れてた。。。

言い訳させてもらうと数日前から妻と息子が実家帰省しており妻は帰省すると音信不通になるのがデフォなのでこちから連絡もしなかった。

花の独身生活謳歌し毎晩飲み歩き、気づいたら誕生日を数日過ぎていた。

スマン、こういう父だ。

実家で盛大に誕生日祝いをしてもらったようだからいいだろ。

慌てて前から欲しがっていたNゲージ、EF551通称カバ電車を買いに行った。

ネットでも良いのだが久しぶりに電気街散策したく、日本橋へ。

それにしてもなんで大阪に住んでいるのに関東しか走ったことがなく40年前に引退してる電気機関車なんぞ欲しがるのか。オタの思考はさっぱりわからん

模型屋適当中古車両を購入。客車もテキトーなそれっぽいものをセットで。

機関車客車を格納できるセットケースも購入

店員に元から添付されていた単体ケースはどうするかと聞かれ、捨てといてくれと返答。

店員「良ければ買い取りしますが」、

うん、こーゆーの好きな人たちはケースも大事に取っておくのは知っているが、6歳のガキにそんなもんわかるまい、邪魔になるだけだ、買い取り用紙に字を書くのすら面倒だからキトー処分しといてくれと返事。

 

息子が公文に行きたいと言い出した。親友が通っており負けず嫌いがくすぐられたのか。

 

数ヶ月前からねだられていたが、公文教育効果に疑問、早期教育、先取り教育懐疑的な俺は誤魔化し先延ばしてた。

勉強するところで楽しいところではない、宿題もある、辛いぞ、どうせキミすぐに飽きるじゃん。目に見えてるんだよ。苦役は先送りすりゃいいのだ、小学校に入れば嫌でもやらされる。数ヶ月先をやってなんの得があるのだ。公立小学校ならタダだ。毎月14000円払う価値は無い。

今はとりあえず公園で闇雲に走っていなさい。と説得していたのだが。

妻の実家から戻ったら手続きすると口を滑らしてしまい。忘れるだろうと思っていたら

実家から帰宅してすぐに「公文は?」と言い出した。バカ

しぶしぶ公文へ入会手続き、僕のいちまんよんせんえん。

どうせ数ヶ月で飽きて辞めるのに、はぁ

 

だいたいポケモンGO一年弱で飽きたじゃん、もうぜんぜんやってないじゃん、

TL41で挫折じゃん。レイドすらやらなくなったじゃん

はにゃんこ大戦争じゃん。

超絶飽き性のパパですらまだちゃんと続けてるぞ

 

ともかく、公文教育効果を調べようとネットで諸々検索していたら、ブラウザ広告公文だらけになった、うぜぇぇぇぇ

んで、Webにある記事公文医者になりましたみたいな話だらけ、成功者バイアスじゃん

公文、非公文で諸条件合わせてよーいどんの20年コホート追跡くらいやれよ

まぁいい、

公文で入会テストみたいなのをやらされた

23個のリンゴの絵の数も数えられない、はぁぁぁぁぁ

まぁ家でそういうのやってないからな、公文よろしく

つか鉛筆つのやっぱ左手なのね、うすうす左利きのようだったが、箸やスプーンは右を使ったり左をつかったりで、自宅で字や絵を描くことが無いのであまり気にしなかったが

左利き確定だね、立派な兵隊になれんぞ、乙種だ乙種、やーい

 

息子の名誉のために書いておくが、23個のリンゴは数えられないが算数が苦手なわけではなく、足し算引き算掛け算はできるのだ。

教えてくれと言われたのざっと教えたらすぐにマスターした。

3桁+2桁の足し算は暗算でほぼ間違えない、繰り上がりはちょっと苦手

2桁‐1桁の引き算もOK

4*6くらいの掛け算もアタマの中で数えてほとんど間違えない

最近は割り算を教えてくれといわれたので教えたらすぐに概念理解できたようで時間はかかるが6割る2みたいな計算なら暗算でできる。

「3は自分以外で割れないので素数、次は5、6は3で割れるので素数じゃない、7は素数、8は4で割れる。9は3で割れる、11は?「素数!」12は?「違う」13は?「素数」」と答える。

まぁアホでは無いだろうと心配はしていない。

 

なおEF551は発狂して喜んでくれた、かわいい

2024-06-04

国鉄客車改装カフェ賛否の声 鉄道ファンら「価値失われた」

共感した 1.5万

トップコメを名乗るならこれくらいないとな

2024-02-17

SLファンかい人達後期高齢者なんだろう?

人は自分子供だった頃のものノスタルジーを覚える。

現在51歳の俺は嘗て子供の頃鉄道が大好きで、放課後は屡々線路の脇に屯して只管に通り過ぎる列車を眺めていた事がある。

その頃通り過ぎる機関車といえば茶色い重鎮のEF15、主力は青いEF62、EF64、赤いEF81等であった。電車なら各駅停車115系、そして急行電車165系特急電車ボンネット型の181系だ。どれも本当に美しかった。

その点、蒸気機関車が走っているのはテレビ映画の中で見るだけだった。

何年か前に、某駅で実際に蒸気機関車D51客車を牽引しながら走るのをリアルで目撃した。

なんというか不気味な黒い怪物であって、その様は巨大なゴキブリのようであった。

そもそも石炭火力は地球温暖化を促進する原因の最たるものではないかSLノスタルジーを覚えるのは子供の頃にSLが走っていた後期高齢者だけだ。

2023-08-29

なぜ亀有に行くのが難しいか解説してやんよ

これ https://b.hatena.ne.jp/entry/s/trafficnews.jp/post/127759

関西人亀有行くのが難しいという嘆きに対して「老害じゃね?」「スマホ乗換案内見ろ」と好き放題な罵倒がされているが、はっきり言って亀有を含む、JR常磐線綾瀬金町に行くのは東京もんでも難しんだよ!

増田東京西側ばかりで活動していて、ある日仕事亀有の隣の綾瀬に行くことになった。だが路線図を見て行き方が判らなくなってしまった。

何故なら乗換駅のJR北千住駅には綾瀬金町に行く各駅停車ホームが無いのである

 

迷惑乗り入れ

実は常磐線列車線と緩行電車線の複々線になっており、各駅停車が走る緩行線綾瀬地下鉄千代田線に直結している。

北千住綾瀬の間は地下鉄千代田線なのである

当然北千住ホーム場所問題となる。普通はこういう時は北千住駅手前で地下鉄が地上に出て常磐線に並んだホームで乗り換えできるようにするじゃない?

ところが北千住ではそうならないで地下にホームがあり、その地下の北千住駅を管理しているのは地下鉄なのだ。途中駅なのだから当然だ。

からJR常磐線各駅停車北千住駅は無い」というとても奇妙な事になっている。

乗換駅がJR地下鉄接続駅じゃなくてその次の快速以上が止まらない綾瀬が両社線の接続駅なんて無茶すぎる。

渋谷とか新宿以西でばかり活動していた増田はこんな無茶な構造になっている事は知らなかった。

からマジで綾瀬駅に行く方法が判らなかった。

 

この構造千代田線乗り入れ開始で出来たのだが、綾瀬亀有金町の人らは激怒したらしい。

それまで例えば亀有から上野は一本で行けた。だが乗り入れ後は北千住で乗り換えで、更に地下の地下鉄ホームから高架の常磐線ホーム階段で上がる必要があり、やたらと時間と体力を食う。更に当時は地下鉄路線がまだ少なくて都電が現役だった頃だ。地下鉄都心に直通出来るメリットも少なかった。

 

複雑怪奇列車種別

常磐線には

特別快速

普通

快速

各駅停車

という列車種別がある。普通各停普通快速特快の順で速くなると思うわな。

ところが普通快速より速いというのが常磐線ワールトである

しか各停地下鉄に直通するから行先が違うという複雑怪奇である

快速っていうのは各停の駅を飛ばすから快速らしいのだが、走る線路が違ってこっちは地下鉄に入らない。

しか普通より遅い。

昔は「普通」は機関車の曳く客車ボックス席車で、「快速」は通勤電車だったので何となく判り易かったみたいだがJRが全部通勤電車にしてしまったので訳が判らなくなった。これも関西人じゃなくても混乱するポイントだ。

因みに普通列車由来なのでトイレがあるが快速トイレがない。ならば便通の方が適当ではないのか?

 

昭和初期に遡る

記事では、列車種別ごとに別路線のように描くのは、昭和中期の国鉄5方面作戦がどうこうと鉄オタ好みの説を書いているが、そうじゃなくて戦前昭和初期の電車網築造に遡るのだ。

まず、京浜東北線東海道線東京東北線上野で分断されるのに対してこれらを直通して、更に東北線の方は尾久に車庫を作って列車線の方は車庫の向こうを回る形にした。すると途中の駅が違ってくる。そしたら別路線として案内した方がいい。

山手線。これは大正の終わりから環状運転を始めた。田端東京品川東海道線東北線だが跨って走る上に渋谷の方に曲がっていくからこれも別路線扱いで案内した方がいい。

中央線総武線複々線にしたのだがこれのキモ秋葉原駅で、中央線お茶の水から分岐して秋葉原立体交差総武線の始発だった両国に繋ぐ路線建設

地上2階くらいを走る京浜東北線の上を跨ぐために街の上に高架を作るというのは当時は先進的であった。しか秋葉原駅東側(今のTX入口ロータリーアキバヨドバシ)には貨物荷捌き場と舟運用の堀があり、それを跨いで地上6階くらいの総武線ホームに直通するためのエスカレータもあった。

当時エスカレータ銀座の高級デパートくらいしか設置されていなかったのに駅に設置されるというのは相当に革新的に写ったと思われる。

また、御茶ノ水駅前後代々木駅新宿駅には乗越線を築造した。

お茶の水前後で一本づつ乗越しして、これによりお茶ノ水で東京方面両国方面乗客が同じホームの反対側で乗り換えが出来るようになった。

新宿山手線総武線中央線各停)が同ホームで乗り換えが出来るようにした。

今もあるあの便利な乗り換えが出来たのは戦前なのだ工事量が2倍に増えるが当時の当局利便性を優先した。「立体交差ダイナミックさ」に取りつかれていた感じがしなくもない。

 

こういう感じで、

1.別路線縦貫する、更に他の方向へ行く路線を作ったため

2.同ホームの表裏で別方面へ行く乗り換えを作ったため

大正末~昭和初期に複々線の同じ線路を走る電車を別路線として案内するのが一般化した。そして駅名表にもその電車が止まる駅だけ表示するようになったので、実はかなり古い方式なのだな。 

 

因みにだが、その別路線扱いの電車をそれぞれ違う色に塗るというのは昭和30年代後半に始まった。

更に路線が増えてきた営団地下鉄がその方式拡張して、電車だけじゃなくて駅もテーマカラー統一して、乗換案内を色で示すようになると、これは大変判り易い上にサインシステムとしても優れていると絶賛され、各国の地下鉄も同じ方式をやり始めた。

今はどこの国の地下鉄路線ごとのテーマカラー統一されていてありふれたサインシステムだが、そのオリジナル東京交通営団で、更にそのオリジン国鉄で、その国鉄昭和初期の別路線扱いの案内法をもっと判り易くする為に路線カラーを始めた訳なのだな。

 

から亀有に行くのが判り難い」というクレームは叩き潰すんじゃなくて、先祖が始めた判り易い路線システムサインシステムの流れに反する退化だなと考えないとダメなんじゃないかと思うところだ。

2023-06-25

山で遭遇した不思議なこと

・林の間に列車が見えた

公民館広場で遊んでいたとき標高300メートルの裏山の尾根付近の林の間に列車が行くのが見えた。

林業用のレールとかではなく、大き目な客車舗装道路を行く揺れてない自動車が連なったみたいなもの登山道はない。

実家に帰るといつもその辺りを見てしまう。


・木が話してるのを見た

当時、NHK教育着ぐるみが出てくる子ども向けの夕方番組で木が話すキャラゼルダの伝説のデクの樹様みたいな)がいて、こういうのがいたら怖いな、と思っていた。

姉と姉の友達神社で遊んでて、自分一人だけ歩くのが遅れて階段から降りてると脇に生えてる木があって、これが話したら怖い怖いと思ってたら、2本の木が急に悪口を話しはじめた。

内容は覚えてなくてただ悪口の口調だとわかって、穴みたいな目と口があった。

先に行った姉に「なんて言ったの?(←木の声を私の声だと思って?)」と言われたか幻聴ではない感じがしてあれは何だったのか、と今も思う。


父親夕方、山で明かりを見た

今ウチで所有してる檜と杉ばっかりな山が10所以上あるのだけど、昭和初期以前は口約束境界線を引いたり自分たちが勝手に作った紙切れで売り買いして、境界線あいまいで複雑になってる、そういう全国によくある山。

それで地籍調査を全国でやるってなって、10数年前もウチの山を地籍調査しますってなったわけ。地籍調査は隣接する境界線相手確認して自分杭打ちとかする必要ある。

相手方はどこも高齢で後で確認するから勝手杭打ちしといてくれと言うから親父は週末に一人で杭打ちに行くんだけど、ある日青ざめて帰ってきた。

夕方遅く、懐中電灯みたいな明かりが見えたから誰かいると思って近づいても離れていくし、離れても追ってくるし、手で持った懐中電灯の揺らぎもないし、足音もなく声かけても返事もない、道路に出るまで一定距離で追ってきたから逃げてきたって。

ちなみにハイカーが入るような山ではないし、近所に登山道もない。

それ以来、地籍調査杭打ちには母か子である自分相手所有者を連れて行くようになった。

2021-11-24

anond:20211123225132

リアルタイムでうちの2才児が電車大好きっ子なんだ。車には目もくれずひたすら電車ASD的な何かかなって思ってたんだけど、幼児なりのなんかちょっと違う愛し方をしてる気がする。まず多分大きさと迫力。それから踏切がなるとやってきて、駅ですれ違いして、小さく去っていき、またいずれ来る、みたいな段取りがあるところ。新幹線とか特急は好きじゃないって本人が言ってて、在来線スロー理解できるスピード感がいいらしい。あと仕事してるところ。これはトーマスが「役に立つ機関車」を標榜してることに由来してると思う。客車貨車保線車なんかがそれぞれ違う仕事を受け持って、一つの世界(線路内)を行き来しているところ。あとたぶんビジュアルフォーマットが車より近しくて分かりやすいんだと思う。長方形の箱に線が引いてあって下はタイヤ、みたいな。さら電車は種類多く乗れる。在来線モノレールロープウェイ新幹線地下鉄図鑑でみたアレを制覇してる感じになれる。車はなかなかそうはいかないから。こんな感じかなあ、幼児が好きそうな理由小学生くらいになるとまた理由が変わるのかな。

2021-11-10

anond:20211110093504

痰壷

詳しそうなのでもしわかれば教えてクレメンス

昔、学校病院、駅、劇場などあらゆる公共の場には痰壷と言うものが設置されていたらしい。

字を見るだけでも気持ち悪いのだけど、街中で痰を吐いて捨てるためのものという。

自分子供の頃の1990年代には駅にそんなものがあったようや微かな記憶があるけどそれが何なのか認識していなかったし使ったことはない。

なんでそんなもの存在たかと言うと、ここのページに書いてあったのだけど、

http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-1601.html

昔の人は土埃とかがあったのであたり構わず唾を吐く人がいて、肺結核を予防するためにそれではいかんということで、ここに吐きなさいという入れ物を作ったよう。

一応、衛生状態改善する目的があったんだね。

それで洗面所通路鉄道客車の床には痰壷が埋め込んであったらしいんだけど、人前で堂々とぺっとやるのとかちょっと想像がつかない。

狙って吐いても外して周囲に被害を及ぼしてそうだし、みんながやってたら結構な頻度でそれを掃除する仕事もあったはずでかなりキツいものがある。

明治時代法律で設置が義務付けられて驚くことに2005年までは法律規定があったそう。

ということなんだけど、自分経験がないし話にも聞いたことがないので、みんなそれを使ってたのかとか、どんな感じだったのか知っていたら教えて欲しいです。

2021-07-02

こんな夢を見た。

フランスで行われるという鉄道イベントを見に長距離列車に乗ると、ずいぶんと古めかしい仕立ての列車で、客車機関車で引く客車列車しかった。

一緒に乗り込んだはずの友人とは席を探しているうちにはぐれてしまったようで、どうも隣の車両にいるらしい。

私の席の前後には若い兵士たちが銃を担いで乗っていて、彼らは陽気に「どこから来た」「どんな仕事をしている」と話しかけてくる。私もたどたどしく「日本から来た」「これこれこういう仕事をしている」と答えた。簡単英語なら通じるらしいが、それよりも彼らが私の席の方に銃を立てかけてくるのが気になって仕方がなかった。

そうこうしているうちに、田舎の駅についた。回りには何もないが駅はそこそこ大きく、どうやらここで乗り換えるようだ。

プラットホーム下りぼんやり列車を待っていると、やはりこの駅止まり列車が入ってきた。この列車にもイベントに向かう人が大勢乗っていたとみえて、下りてきた乗客たちでプラットホームはたちまち混雑した。

その客のなかに古い友人が2人いるのを見つけ、しばらくしてやってきた列車には彼らと一緒に乗り込んだ。同じ列車に乗っていた友人の姿はいつの間にか見えなくなってしまった。

乗り換えた列車イベント向けのもののようで、蒸気機関車が引っ張っているのか、ともかく特別列車のようだった。

列車の中でぼんやりしていると、フランス田舎を走っていたはずが、いつの間にか日本田舎を走っている。

外には菜の花が咲いてうららかな日が差していたし、なにより列車が長い客車を繋いだ特別列車から国鉄時代に作られた古くて短い編成のディーゼル車に変わっている。イベント目当ての客で混んでいた車内も友人を含めて何人かがちらほら座っているだけだった。いつのまにか、はぐれていたはずの友人も近くの席に座っている。

「あれ、フランスを走っていたはずなんだが」と思って思い出すと、蒸気機関車が爆発して事故に巻き込まれたような気もしてきた。

じんわりと、どうも死んだらしいとわかってくると、フランスあの世から日本あの世国鉄型のディーゼル車移送されているような心持ちになってきた。

もう少しフランス列車に乗りたかったなあと思っていると、思わずふらんすへ行きたしと思へども……」と口ずさんでいた。

2021-05-17

桃鉄で数十兆円盗まれるたびに考えるんだが

列車物理的に積載できる現金ってどのくらいやろな

つか客車じゃなくてコンテナ車で中は現金ぎっしりなのかな

あの列車

2021-02-21

ミャンマーの思い出

最近メディアミャンマー情勢を聞くことが増えている。軍部クーデター情報統制が敷かれ自由が奪われ、国民弾圧されているというのだ。ニュースを聞いていると、少し昔にミャンマー旅行したことをふと思い出したので、備忘録的に増田に書き残しておく。

2014年、私はミャンマーを旅してた。この前年、ゴールデンウィークに旅していたウズベキスタンの乗り合いタクシーで偶然出会ったベテランバックパッカーから、『早めに訪れるべき国』と紹介されたのがきかっけで興味を持ったのだった。曰く、「数年前からテインセイン政権民主化をすすめていて、外国からヒト・モノ・カネが流入しだしている。そう遠くない時期にマクドナルドコカ・コーラ等の海外資本で町が埋め尽くされ、純朴な国民性が拝金主義に染まりメジャー東南アジア観光地のようにつまらない場所になってしまう。”素”のミャンマーが見れるのは今の時期しかない」とのことだった。その翌年だっただろうか、ANAヤンゴン新規就航した。クレジットカードポイントで『丘マイル』がたまってきていたので、今しかないと思ってミャンマーに飛んだのだった。

ところで、私が旅を決めた2014年当時、ミャンマー情報書籍上にもネット上にも乏しかった。(今でもかもしれないが。)非常にベタだが、自分なりにミャンマー知識を得るために、『ビルマの竪琴』を読み、高田馬場ミャンマー人街を訪れ、増上寺ミャンマーフェスに参加し旅の前に気分を盛り上げた。それら事前に集めた情報をもとに旅程を決めた。最大都市ヤンゴン古都マンダレーとパガンを3泊4日ですべて回る。そのためにルートづくりは難航したが、夜行バスや、エーヤワディ川の水上ボート等を組み合わせて何とかめどがついた。

初めに訪れたのはパガン。初日ヤンゴンから夜行バスで向かって、到着したその日の朝に到着。その足で宿に荷物を降ろし、仏教遺跡にむかう。パガンの仏教遺跡は当時、全く観光地化されていなかった(今はわからないが)。滅びた過去王朝の栄華を残す草原に埋もれた遺跡で、地元仏教徒が花やろうそくを備えて信仰のよりどころにしている。そんな感じのところだった。遺跡は非常に広大なため、効率よく回るために宿で中国製電動バイクを借りたのだが、これが曲者だった。バッテリーの残量メーターが適当で、まだ半分ほど充電が残っていると思っていたら、バッテリーふいにまり、南国の強い日差しのもと10km近い距離をただの重りと化した電動バイクを押して帰る羽目になったのだ。

ミャンマー古都マンダレーへは翌日の早朝に向かった。ミャンマー流れる大河エーヤワディー川観光ボートに乗って移動するのだ。朝日が昇る前に、宿の主人にお願いしてエーヤワディー川ほとりの船着き場に送ってもらい船に乗り込む。乗客ほとんどが欧米観光客で、日本人は私一人。東南アジアでよく見る中国系韓国系旅行者は一人もいなかった。船に乗り込んですぐに、日の出を見ることができた。大河から見る朝日は非常に美しく、カメラシャッターを切りまくった。だが航行時間10時間以上と非常に長く、暇を持て余す。近くの旅行者に話しかけるとドイツ人だった。大学時代に習った片言のドイツ語で、「Ich lerne Deutsch bitte.」と話すと猛スピードドイツ語会話が始まり、まったく聞き取れなかったので英語に切り替えてもらってコミュニケーションをとったりしていた。

10時間を超える船旅を経てマンダレーに到着した。マンダレー市街地は船着場から離れていたのでタクシーを借りて中心地に向かう。旅程に余裕がなかったので、そのままタクシーで主要施設を回ってもらい、観光をこなす。そのまま勢いで長距離バス乗り場へ向かいマンダレーからヤンゴンに向かう高速バスに乗り込む。ヤンゴンにはその日の夜10時ごろに到着。夜間の異動で治安不安だったが、特に問題もなく宿に到着。最終日に備えて睡眠をとる。

ミャンマー滞在最終日。最大都市ヤンゴンで街歩きをし、国民食のモヒンガーを食べたり、過去イギリス統治時代建築物を見たりして過ごす。町中の家には見たことのないような巨大なパラボラアンテナがつけられており、台風対策で軽量化する必要があったからだろうか、日本で見かけるものとは違い皿の部分がメッシュになっているのが印象的だった。街歩きついでにミャンマー国鉄で市内を移動したりもした。東京でいうところの山手線に相当する環状線ヤンゴンにもあり、Circular Lineと呼ばれているものだ。料金は非常に安く、日本円で10円くらいだっただろうか?車内に外国人は一人もいなかった。パガン~マンダレーで見たような欧米系の旅行客はタクシーチャーターして市内観光をしているのだろうか?しばらく客車に乗っていると、私が日本人とわかったのか日本滞在経験があるというミャンマー人に話しかけられたのだ。観光地で話しかけてくる現地の人は、たいていお金目当てなので警戒してたのだが、悪い人ではなさそうだったので聞くだけ話を聞いてみたら、バブル期名古屋期間工をしていたらしかった。

駆け足でいろいろな経験をしながらミャンマー観光を終えた私は日本に戻った。実際に現地を見てきたことで知的好奇心を満たされた私は、しばらくミャンマー情勢から興味を失っていた。が、最近またニュースで日々ミャンマー情報を見聞きするようになり、ふいに旅行した時のことを思い出したのだった。当時であった人たちは今も元気にしているだろうか?数年後にコロナ収束しても、軍部主導の政治体制外国人が自由ミャンマー旅行できる時代が再びやってくるのだろうか?今はただ、遠く離れた国を思い出しつつミャンマー国民の無事を祈るばかりである

2018-11-27

anond:20181126194659

時間があって元気なら、エアアジアXプレミアムフラットベッドで、寝転がってクアラルンプールへ遊びに行く。KTM客車寝台特急にも乗ってくるぞ〜

2018-06-19

日曜日トーマス

もと南海電車からホームに降り立つと、千頭駅にはたくさんの親子連れがいた。

妻と、4歳の娘と、1歳の息子と、チケットがとれてから、楽しみにしていたトーマスに会える日だ。

子供だけではなく、大人が見ても、このトーマステレビから飛び出した等身大ヒーローだ。大きさだけのハリボテではない。ホンモノなのだ

トーマス種車はC11-227。かつてはテレビドラマや映画で大活躍裸の大将(雁之助の再放送)をよく追いかけていたのを覚えている。

正面にはトーマスの顔をつけ、ライトブルーに化粧をして、動輪までしっかりカラーリング

ベテラン子供の前で大活躍する姿をみて、Eテレ幼児番組みいつけた!ワンワンと中のチョーさんを思い出してしまった。

千頭駅では機回りをした後で転車台で方向転換。ちゃんと顔を新金谷方面に向けるためだ。周りには子供大人も集まっている。

転車台にのって、係員が人力で回すと、トーマス汽笛を鳴らしてアピールする。

ぐるぐるっと向きをかえ、止まるかと思ったら、あれあれ、まさかファイブフォーティ。魅せますトーマス。一回転半まわって転換完了

駅構内イベント会場に整備され、パーシー、ヒロに、方向転換を終えたトーマスが並ぶと、地方私鉄の構内とは思えない華やかさになった。

トーマス汽笛に合わせて、他の列車汽笛を鳴らす。効果音ではない。本物だ。

新金谷駅の売店で買ったお弁当をベンチで広げ、子供たちの声を聞きながらお昼ご飯を食べる。ホームに入る風は山岳ローカル駅の風だ。

ただ、駅全体に子供の声があふれている。混んではいるが、人道的な混み方だ。ちょっと並べば、トーマスの前で写真も撮れる。

ヒロの中の見学ができる。ミニSLやトロッコにも乗れる。

トーマスは発車直前まで写真撮影に応じている。煙突からは煙が出ている。発車が近くなると、黒い煙が増えてきた。

ゆっくりと動き出す姿を線路の高さで見送ることができる。

小型タンク機関車はいえ、1,600mmの動輪径は子供身長の倍。ホンモノのトーマスは、車輪の大きさも圧倒的だ。

みんなが並んでいるその前を再びゆっくり走り出し、再び客車に連結。

金谷行きのトーマス号が仕立てられると、いよいよ乗車だ。

鉄道界の老老介護最後尾の補機、電気機関車E10-2に感謝の黙礼をする。

そして、7輌の客車なかほどのスハフに乗り込む。

青いモケットのボックスシートに、トーマスのシートカバー。そして、所々にJNRマーク

娘は、窓が開く、扇風機があると大喜び。昔はみんなこれだったと喉まで出かかったが、トーマス号とは関係の無いこと。

トーマス号は近所の電車とは違うほどいいのだ。

千頭駅から新金谷駅まで1時間強。途中の鉄橋や通過駅ではみんなに手を振ってもらえる。

特急となっているが途中の駅に止まらないだけで、各駅停車電車と所要時間はほぼ一緒、のんびり走るのだ。

から、手を振ってくれる人の顔がよく見える。子供はもちろん、大人年寄りも、みんな笑顔だ。

レンズを構えたおじさんもお兄さんも、客車が通過するころにはシャッターチャンスはすぎたとみえニコニコしながら手を振る。

本命はこの後のC56-44かもしれないけど。

大井川にかかる鉄橋は見晴らしも良く、遠くから手を振る人もみえる。

吊り橋の上から手を振ってくれる人もいる。

河原キャンプから手を振ってくれる人もいる

茶畑のおばさんも手を休めて両手を振っている。

農道のおじさんも、軽トラから手を振る。

並行して走る国道473の車の中からも、バイクのお兄さんも。

新金谷駅に着くと、車両基地機関庫に入っていくトーマスみえた。

子供と近くまで歩いてみると、もと近鉄電車や他の蒸気機関車とならんで、トーマスみえた。

自然ではない。ホンモノのトーマスから、ホンモノの列車達と一緒に休むのだ。

自然子供と手を振って、家路についた。

2018-02-18

どっちも一緒に滅べばいいなと思っている

痴漢がこの問題のすべての発端で、悪の中の悪だってのは当然だし、だからといって冤罪人生破壊されることもやっぱり悪なので許されるべきではない。

こんなことをわざわざ書いて、自分痴漢冤罪も許さない男であることを宣言しておかないと、書いていないことを勝手想像で付け加えてからんでくる奴がいるので困る。

こんなところを読んでいる君らは小中高と国語勉強してきたり、または学生さんなら今も勉強しているのだろう?

「作者の気持ちを答えなさい」とか「登場人物の心情を答えなさい」などというアホな問題も解いてきたはずなので、ちゃんとそのスキルを活かしてくれ。

痴漢したり、わざわざ女性専用車両に乗り込んだりして問題を起こすバカも、男とみれば痴漢かその予備軍と思ったり、女性専用車両コスト痴漢をしない普通男性だって負担していることについて当然と思っている(かのようなふるまいをする)バカもそろって滅べばいい。

この一文で「自分バカにされている!」と怒ってからんでくるあんた。そう、まさにあんたみたいな人のことを、私はバカだと思っている。

滅び去ってほしい。はっきり言って迷惑千万きわまりない。この日記の中頃に、あんた向けの呪いを書いておいた。

さて、電車公共交通機関であって、その運賃は国による許認可制の対象だ。だから本来料金の負担は公平であることが求められている。何をもって公平とするかだが、

第一条 この法律は、鉄道事業等の運営を適正かつ合理的ものとすることにより、輸送安全を確保し、鉄道等の利用者利益保護するとともに、鉄道事業等の健全な発達を図り、もつ公共の福祉を増進することを目的とする。」

鉄道事業法にはあるのだから、「鉄道事業運営を適正かつ合理的にする→輸送安全確保&利用者利益保護」+「鉄道事業健全な発達」=「公共の福祉の増進」とあるのだから負担公平の基準もそこにあろう。

鉄道事業法にはさらにこのような条文もある。

「第十六条 鉄道運送事業者は、旅客運賃及び国土交通省令で定める旅客の料金(以下「旅客運賃等」という。)の上限を定め、国土交通大臣の認可を受けなければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。

(中略)

4 鉄道運送事業者は、特別車両料金その他の客車特別設備の利用についての料金その他の国土交通省令で定める旅客の料金を定めるときは、あらかじめ、その旨を国土交通大臣に届け出なければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。

5 国土交通大臣は、第三項の旅客運賃等又は前項の旅客の料金が次の各号のいずれかに該当すると認めるときは、当該鉄道運送事業者に対し、期限を定めてその旅客運賃等又は旅客の料金を変更すべきことを命ずることができる。いう

一 特定旅客に対し不当な差別的取扱いをするものであるとき

(以下略)」

特別車両や通常の客車特別設備を設けて、その利用に料金を別途追加したいときは、国土交通大臣に届出しなさいという話だ。

実際には届出のあとで審査を経てOKがでないとならんが、上記のとおり「特別車両」を設けて、その利用に料金を別途追加したければできるってことだ。

それをしていないので、女性専用車両特別料金をとっていない。

特急と違い、「女性専用車両」と表示されただけの普通席だからこそ、女性専用車両男性が乗り込んだ際にも「協力のお願い」しかできないのだ。

鉄道会社ですらそういう対応しかできないのだから特別料金を払っていない女性専用車両女性乗客男性乗客に対して権利をふりかざす資格はない。同じ料金しか支払っていない時点で、どっちも対等な乗客だ。文句があるなら特急料金のように金を払ってから言え。特別負担もないのに特権を与えられたかのようにふるまうバカは財布の中身を全部ドブにぶちまけてしま呪いにかかってしまえばいい。

女性専用車両にのりこんで騒ぎをおこすバカも同様である。いい歳して「協力のお願いであって、義務ではない」などと理屈だけこねくり回して、譲り合いの精神ももたずに権利だけ主張するガキか。現実鉄道の遅延を招いて他の乗客時間を奪うバカは、いつも重要タイミング遅刻する呪いにかかってしまえばいい。

さて、このようなことを書くと「女性痴漢被害にあっていて、それを回避するためにわざわざお金を払わなければならないのはおかしい」という趣旨の返事がかえってくるのであろう。

しかし、それは被害者加害者の間での話であって、他の乗客にまでコスト負担をもとめるのは不当な差別的取扱いというやつではないか

性別簡単にはかえられない。当人努力ではかえられないものをもって、当人責任のおよばないなにがしか負担を一律に背負わされるのだ。

痴漢をしたいとも思わない私からすれば、「痴漢などというバカやらかしたことと、それに対して男は十把一絡げに排除した車両を設けろと騒いだバカのせいで、何故同じコストを払って不快なぎゅうぎゅう詰め車両にのらねばならんのか」という話だ。

女性専用車両がスッカスカで、一般車両が詰め詰めだとより強く感じる。

から女性だけの乗客には乗り降りの点で多少不利益だったとしても、女性専用車両に乗ってほしい。今なら余計な料金を求められずに乗れるのだから、仮に女性で一杯になって詰め詰めになってもしかたない、痴漢にあわないだけマシと思って女性専用車両に乗ってくれ。

男性だけの乗客には、痴漢冤罪がこわいなら、女性だけの乗客女性専用車両誘導してくれ。自分女性を連れているなら、痴漢被害にあわぬよう、冤罪事件をおこさぬようにまもってろ。

被害者には申し訳ないが、ただすれちがっただけで何もしていない普通の人にまで、自分の辛い経験のあがないをもとめるな。加害者に対してだけ要求してろ。

加害者には申し訳ないという気持は一切ない。余計な問題をひきおこしやがって。被害者が望む弁償をおえたら二度とするな。二回以上やらかしたやつは痴漢をしたくなる欲がなくなるまでお家にこもってろ。

追記:

anond:20180218162221 「要旨を40文字以内で述べよ」

→「お前みたいなからみ方するやつも読まなくていい。読まない自由はある(32文字)」

anond:20180218162259 「長いから読んでないけど痴漢が「痴漢したくてたまらない」って吠えてるのは理解した」

→「作者の気持ちを答えなさい」の答えがそれなら0点だな。登場人物痴漢は確かにいるが、痴漢感情表現も書いてないから、やっぱり0点だ。でも解けない問題だったとしても何か答えらしきものを書いて部分点を狙えって先生に教わったかもしれんな。だから5点やるよ。

略語が定着しすぎて元の言葉がわからないもの

プリクラバス食パン軍手

まだある?


追記(諸説あり)

あ行

赤チン・・・赤いヨードチンキ

あの花・・・あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。

インフラ・・・インフラストラクチャー

エアコン・・・エア・コンディショナー

会釈・・・和会通釈、語源

演歌・・・演説

オートマ車・・・オートマチックトランスミッション

俺ガイル・・・やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。

オワコン・・・終わったコンテンツ

か行

カラオケ・・・空のオーケストラ

切手・・・切符手形

教科書・・・教科用図書

空母・・・航空母艦

軍手・・・軍用手袋

慶応・・・慶應義塾大学

経済・・・経世済民(けいせいさいみん)諸説あり

ゲネプロ・・・ゲネラープローベ

合コン・・・合同コンパ

コスプレ・・・コスチューム・プレイ

こち亀・・・こちら葛飾区亀有公園前派出所

コピペ・・・コピー&ペースト

さ行

サッカー・・・Association Football 由来

サボる・・・サボタージュ

シャーペン・・・シャープペンシル

写メ・・・写メール

食パン・・・主食パン

スーファミ・・・スーパーファミコン

スーパー・・・スーパーマーケット

ソ連・・・ソビエト社会主義共和国連邦

た行

ダントツ・・・断然トップ

チューハイ・・・焼酎ハイボール

ディスる・・・disrespect

テレビ・・・テレビジョン

電車・・・自走式の「電動機付き客車(電動客車)」、および事業用車を含む「電動機付き貨車(電動貨車など)」

電卓・・・電子卓上計算機

・・・ドレッドノート

東急・・・東京急行

東芝・・・東京芝浦電気 由来

特急・・・特別急行

特攻・・・特別攻撃

な行

ニート・・・Not in Education, Employment or Training

ニコン・・・日本光學工業NIPPON KOGAKU K.K.)由来

は行

はがない・・・僕は友達が少ない

箱根駅伝・・・東京箱根間往復大学駅伝競走

バス・・・オムニバス

パソコン・・・パーソナルコンピューター

阪急・・・京阪神急行電鉄

ピアノ・・・ピアノフォルテ

ビル・・・ビルディング

ブクマ・・・ブックマーク

プリクラ・・・プリント倶楽部

プリパラ・・・プロミスリズムパラダイスライブ 諸説あり

ブログ・・・ウェブログ

ペット(ボトル)・・・polyethylene terephthalate

ボールペン・・・ボールポイントペン

ま行

増田・・・anonymous dairy

マニュアル車・・・マニュアルトランスミッション

ミーハー・・・みいちゃんはあちゃん。Me、Her

や行

やおい・・・やまなし おちなし いみなし

ら行

ラジオ・・・ラジオテレグラフィー(radiotelegraphy)

リストラ・・・リストラクチャリング

リモコン・・・リモートコントロールリモートコントローラー

りょ・・・了解

ルポ・・・ルポルタージュ

レーザー・・・(LASER = Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation = 輻射の誘導放出による光増幅)

わ行

ワイシャツ・・・ホワイトシャツ

ワンセグ・・・ワンセグメント

アルファベット

AIDSエイズ・・・後天性免疫不全症候群(acquired immune deficiency syndrome)

AM・・・ante meridiem

BBC・・・British Broadcasting Corporation

CD・・・コンパクトディスク

CM・・・コマーシャルメッセージ

COPCOM・・・日本カプセルコンピュータ株式会社 語源

・・・Celsius

DHC・・・大学翻訳センター

DNA・・・デオキシリボ核酸

DVD・・・Digital Versatile Disc

JASRAC・・・Japanese Society for Rights of Authors, Composers and Publishers

JR・・・Japan Railway

LED・・・Light Emitting Diode(発光ダイオード

Mac・・・Macintosh

MBA・・・Master of Business Administration

Mp3・・・MPEG-1 Audio Layer-3

NAMCO・・・中村製作所(NAKAMURA Amusement machine Manufacturing Co.,Ltd)語源

NEC・・・Nippon Electric Company,Limited

NHK・・・Nihon Housou Kyoukai

NTT・・・Nippon Telegraph and Telephone Corporation

OK・・・oll korrect(all correct)

PM・・・post meridiem

PR・・・パブリック・リレーションズ (Public Relations)

PTA・・・Parent-Teacher Association

Suica・・・Super Urban Intelligent Card」&「スイスイ行けるICカード」 由来

SMAP・・・Sports Music Assemble People 由来

TBS・・・Tokyo Broadcasting System Television, Inc

TDK・・・東京電気化学工業Tokyo Denki Kagaku)

UK・・・United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland

USB・・・ユニバーサル・シリアル・バスUniversal Serial Bus

VIP・・・Very Important Person

VR・・・Virtual Reality

XO・・・エクストラオール

Yahoo!・・・Yet Another Hierarchical Officious Oracle

YKK・・・吉田工業株式会社(Yoshida Kogyo Kabushikigaisha)語源

YMO・・・Yellow Magic Orchestra

実は長いもの

バンコク・・・クルンテープ・マハーナコーン・アモーン・ラタナコーシン・マヒンタラユタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラッタナ・ラーチャターニー・ブリーロム・ウドム・ラーチャニウェート・マハーサターン・アモーンビーマン・アワターンサティト・サッカタットティヤ・ウィサヌカムプラシット

ピカソ・・・パブロ・ディエゴホセフランシスコ・デ・パウラファン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・デ・ラ・サンティシマトリニダードルイス・イ・ピカソ




後で追記する

語源のものが混ざってるので後で整理。

2018-01-14

電車の乗り方ってすぐわかった?

わかりにくいと思わないか

最初めっちゃ困ったんだけど。

まず、先払いなのか後払いなのかわからない。

先払いなのがわかっても、その次の関門が切符の買い方。

行きたい駅を探そうにも、タッチパネルあいうえお順でもアルファベット順でもなく、料金順というのがもうなにを考えているのか。

切符を改札に通して、少し先から出てくる切符

これもちゃんと説明が欲しい。

俺は速攻でゴミ箱に捨てた。

だってそうだろう。

映画館だって松屋だって、半券なんか捨てるだろう。

にわからないのが、グリーン車

切符グリーン車は乗れないって書いてなかったわけで。

最初からゲートとかわけてくんないとわかんないよ。

それに、名前が悪い。

プレミアムとかゴールドならわかるが、なんだよグリーンって。

俺なら、普通切符は「2等客車」、グリーン車は別の切符にして「1等客車」って切符印刷するよ。

外国人とか絶対わからんと思うぞ。

それと、快速とか準急とか、勝手造語作るならちゃんとわかるような注釈が欲しい。

rapidって英語表記から、速いんだろうなとは思ったものの、停車駅が少ないとか、それ説明いるだろ。

わかりにくい極め付けはSuica普通切符を買う先払い方式なのに、Suicaだと後払い方式

後払い方式なのに、先払いでチャージ最初はさっぱり理解出来なかった。

オートチャージだと、引き落としはクレジットカードから後払いなのにチャージとして先払いで運賃は後払い。

ポイントがお得らしいけど、SuicaポイントVIEWポイントが別と聞いてまた理解するのが大変だった。

2016-12-04

死の収容所へ 3

http://anond.hatelabo.jp/20161204230447

 様々な要因の影響を受けながら、ユダヤ人たちは強制連行を受けとめていた。彼らはもう何年ものゲットーに閉じ込められ、飢えと渇き、恐怖と苦痛さらされ続けていた。そうした人びとは既に絶望し諦め切っており、連行命令に従いがちだった。強制連行の中でナチドイツによってもたらされた恐怖はもはや抑えがたいほどに膨れ上がり、彼らは打ちのめされ、感覚を失い、脱出や抵抗への意志を打ち砕かれてしまっていたのだ。その上連行されてゆくユダヤ人たちの圧倒的多数は、自分たち労働のために移送されてゆくと、実際本気で信じていた。彼らは東方への再定住に希望を繋いでさえいた。そこには仕事もあるのだからまさか自分たちが後にするゲットーよりもひどい事はないだろうと。彼らに期待できることはもう、それしかなかったのだ。どこか知らない東の地の他には…。

 いずれにせよ、ただユダヤ人だというだけで何の罪もない老若男女が連行され殺されるなど、誰にも予測のできようはずもなかった。 予測しようにも特定民族の完全絶滅など、未だかつて誰ひとり、経験したためしがなかった。

 連行にはナチドイツ以外の国々の警察隊も加わった。ポーランド青色警察」、オランダ緑色警察」、フランスルーマニアハンガリー警察ウクライナリトアニアラトヴィアエストニア警察その他、それはユダヤ人強制連行が行われたすべての国々に及んでいる。

 多くの非ユダヤ系住民強制連行を目撃している。玄関から歩道から、彼らは連行をただ見ていた。悲しみと同情を表わす顔もあれば、大喜びの顔もあった。だが大多数の人びとは、見知った仲の隣人が追放されてゆくこの痛ましい光景に、無関心なようだった。まるで彼らは、何も感じていないかのようだった…。

 駅に到着したユダヤ人たちは窓を塞がれた貨物列車に詰め込まれた。しばしば100名から150名、ときにはそれ以上が、その半数ほどしか収容できない1両の貨車に無理やり押し込まれた。貨車には外から錠が下ろされ、列車収容所入口に着くまでドイツ兵もしくは警官随伴した。列車は何事もなければ数時間で済む収容所までの道のりを、幾日もかかって走ることが度々あった。東方ソヴィエト戦線に向かう軍用列車が通るたびに退避線に入っては通過を待ち、再出発の許可下りるまで何時間も停車していたかである

 すし詰めの貨車の中の有様は、言語を絶していた。貨物車なので便所などひとつもなく、詰め込まれた人びとはバケツか、さもなくば床に用を足していた。換気装置も水もなく、車内の温度は夏になると水ぶくれができるほどに上がり、冬には逆に氷点下に下がった。これらの要因は収容所到着を待たずに大勢の人びとが車内で死亡する原因となった。特にポーランド領のゲットーからの便では、収容所到着時に数百名がすでに死亡していたという例もある。

 ヨーロッパ西部バルカン半島諸国での強制連行は、東欧でのやり方とは若干異なっていた。連行が決まった人びとはまず自国内の移送収容所抑留され、数週間あるいは数ヵ月後にポーランド行きの列車に乗せられた。彼らの場合ポーランド系ユダヤ人場合よりは待遇が良かったので、移送中の死亡率も低い。西ヨーロッパユダヤ人貨物列車ではなく客車移送されて行ったケースもある。もちろんそれは、労働のために移送されて行くという彼らの幻想を引き伸ばすための手段に過ぎなかったが。

 列車絶滅収容所に到着するとユダヤ人たちは貨車から降りるよう命じられた。ベウゼッツ、ソビボル、トレブリンカの各収容所に着いた人びとは、ここは移送収容所であり、ここから労働収容所へ送られることになる旨を伝えられ、そしてこう言われた−「シャワーを浴びるから衣服を脱ぐように」

脱いだ衣類は消毒に廻された。女性衛星上の理由と称して髪を切ることを告げられた。男性女性子どもたちから引き離された。荒々しい殴打と威嚇の中を、丸裸にされ運命から見放され呆然となった人びとは「シャワー」へと追い立てられて行った。それは確かに「シャワー」ではあった。ただしそれは「ガス」のシャワーだった。

 アウシュヴィッツでは、人びとがホームに降り立つと通常は「選別」が行われた。約20パーセント−若く体格の良い人びと−が強制労働のために集められ、「ガス室」送りを一時延期された。しかしそれと同時に、年齢も体調もおかまいなしに、到着するなり全員が何の選別もされずに「ガス室」に追い込まれ場合もある。一方では、稀にではあったが、到着した全員がしばらくの間ガス殺されずにいたこともあった。

 ナチの念の入った偽装と隠ぺいのシステムの中で、「ガス室の中で絶命する」という犠牲者たちの運命は常にあいまいにされ、彼らは最期の瞬間までそれを知り得なかった。

ナチス・ドイツが構築した排除装置は恐るべき効果を挙げた。数百万に上るユダヤ人が等しく殉難の試練を受けた。それは彼らがいまだ家庭にある時より始まり絶滅収容所ガス室をもって終わった。

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