はてなキーワード: 診療科とは
研修医終わりに直美に進む動画というを出していたが、保険診療に対する幼稚な批判ばっかりでほんとに医科歯科大出てんのか?と思ってしまった
言い訳にレスバを挑むのも大人げないけど、体力しか取り柄なくて、やりがいのない仕事をしている多浪駅弁大卒医師が現役美人医科歯科卒にマジレスします
①体力がない
こればかりは批判できないが、これは医師としてだいぶ大きなハンディではある。体力がないから美容にいきます!というのも、長時間の手術も多い美容外科の診療を見くびってるとは思うけど。大体医者と比較するようなキラキラした業種のリーマン(商社外コンデベ)も下手な医師より全然働いてるし、そもそもキラキラしたいことと体力がないことは相性が悪いとは思う。
医者が社会的に尊敬を集めている大きな要因に、社会的弱者の救済を行っているからという面がある。社会的弱者は得てして救いたい姿をしていない。
糞尿まみれで救外に運ばれてくるフォーカス不明の発熱を繰り返す汚いジジイだったり、遺伝や生まれた環境にたまたま恵まれなかったせいで、知的な問題があって糖尿病なのに食事制限ができないHbA1c12%のデブだったりするわけだ。医師という職業を選んでおいて、動画のようなことを言うのは、力仕事できないのに引っ越し屋のバイトに応募するようなもので、普通に転職したほうがいいと思う。知り合いもそれで転職したし。それにそういう人間をあまり見たくないなら選ぶ診療科だってある。
基本的に医学なんて正解はいくつもなくて、型がある程度決まってる。健康がかかってるのに、俺流私流はあんまり許容されないし、キャリアの浅いうちは先人の後ろを歩くだけになってしまうのは仕方がないし。
ただ後期研修で専門医を取らないと最低限の成果主義のスタートにも立ってない。〇〇科医として1人前になってから腕と給与とか言うべきだし、開業や研究という選択肢がある以上、医者の仕事が成果主義出ないというのは明らかに間違い。
全部間違えたことは言ってないし、医療の構造上の問題をついてるところもあるけど、職業上生じる大変な点に理由をつけて、医者として最低限必要な地道な勉強や研鑽から逃げているだけで幼稚だなと思った。
医者が偉いとされ社会でブランド力をもってるのは、①長期間の労働②社会的弱者の救済③高度な専門性の3つを大なり小なり兼ね備えてるからで、先生の動画では①-③を驚いたことに全部否定してるんだよね。そうするとそれでSNS発信してもそれはただの胡散臭いインフルエンサーなんだよね。
大学病院で夜中の3時に電話で夜勤からのNsに起こされて、くっちゃべってるNs尻目に血培取らされる気持ちも、クソほど勉強したのに、アル中の生保にお前は医学がわかってないと怒鳴られる気持ちも、延々と続く使いもしない知識を集めるスタンプラリー(基礎医学や法医学とかの大量のテスト→ポリクリ→国試→初期研修→後期研修)に嫌になる気持ちもとてもわかる。100%金目当てではないとも思ってる。
でも直美は医者からも嫌われて潰し効かなくなるし、指導体制についても怪しいとこはあり最低限の知識すら身につかない、っていうのはあるので美容行くならちゃんと形成外科で勉強してからのほうがいいと思います。頑張ってください。
自分は、美容医療には一切手を出してない医者だけど、医者の美容医療叩きは違和感感じる。
普段、医者は、「医学部の入学で、点数取れない奴が医学部語るな。そんなに思いがあるのに、なんで入試で点数取れないの?気持ちがなくても点数とった方が優秀なんだから当たり前じゃん」と言ってる。
だったら、金が稼げる方に、行くってのも、合理的な選択として、保険医療が悪いと言わないのかあ?
医療への思いより、お金って選ぶことに反対するのは整合性取れてなくない?
医者において、最近は、「博士号意味ない」、「海外留学とか金かかるだけ」という意見がある。
おいおい、直美叩いておいて、それはないだろ。
君らが医療できてるのは、研究があるからだろ。より多くの患者に対して医療で貢献できるのは研究だろ。
そもそも、直美を叩いていいのは、その観点だと、研究で相当結果を出してる先生じゃないとおかしいんじゃないか?
自分が美容医療に手を出さないのは、知り合いが美容に行って、反社に絡め取られて不幸な転機を辿ったから。
保険医療が締め付け激しくなるほど、「じゃあ美容行きます」という選択肢をちらつかせるという手段が取れる。
てか、実際、保健医療が嫌だとなって、美容に行く若手が多いので、その点では、代替というか、そろそろ美容とか自由診療がメインになるのかもしれないが、若手にとっては。
つまり、保健医療の医者も、美容に行く人がいることで交渉できるようになる。
若手の保健医療に行く医者も、不合理な後期研修(専攻医)で何年も使い潰されたり、意味不明な義務年限や地方に飛ばされるという不合理に巻き込まれなくなる可能性が上がる。
「あんまり締め付けると、俺ら美容に行くからな」という交渉カードが切れる。
というか実際、いわゆるブランド病院とかも、後期研修で、ハードな診療科には医者が集まらなくなった、定員割れとかも普通にある。
これは、一番苛烈な後期研修の難易度を下げる意味でも、ありがたい話じゃないかな、若手の先生には。
ぶっちゃけ、後期研修までが、選択肢を強制できる最後で、それ以降は自由なんだから。
保健医療としては、確かに美容はカバーできないのは自然だけど。
アメリカでは、最高の医者は、形成外科に行って、形成外科の中で美容医療やったりする。
日本だと、美容医療はレベルが低い医者がなってるという話がまことしやかだが、本当かな?
とんでもないお金の叩きあいの中で、磨かれた才能たちが、レベル低いとは思わない。
美容医療で失敗して、保健医療にこられても、治療をできないという言説もある。
しかし、それ込みで患者は美容医療を受けるんでしょう。それは患者の選択なのでは。
「自分の手術ミスなら、自分でみろ!それができない医者はメスを握るな!」という話もあるが、その美意識は日本の医者特有なのでは。
つまり、海外だと、保健医療の外科医が、外科手術だけしてその後のフォローは他の診療科に丸投げは一般的。
日本の医者の美意識を、美容医療に押し付けるのは違うんじゃないか?
高3のときにかかった統合失調症について自分の身に起こった症状を経過とともにまとめておく。まず秋の三者面談で担任に友達がいない=それだけコミュ力がないことを指摘された。
当時官僚に憧れていたが、そのことを知っていた他人は学力もそうだがそこを改善したところでその社交性の無さをどうにかしなければどうにもならないことを言ってきたのだ。
それに私は心底動揺したようで、母によれば帰りの電車でチック症状が出ていたらしい。そこから、受験勉強も頑張りつつ立派な人格者になろうと奮起したことでだろうか、だんだん行動と思考がおかしくなっていく。
柄にもなく今まで話したことも無いような生徒に話しかけるようになる。記憶力が良くなったような気分になる。化学式が水を吸い込むスポンジのようにすらすら頭に入っていく気分だった。
実際少しは記憶力が上がったのかもしれないが気分の部分が大きかったように思える。気分が高揚し何故か授業中でも教科書に書かれた偉人を模写するようになった。
普段の私は不器用な方で模写などできるようなタチでもなく、したとしてもゆっくり書いても線は歪にるし顔のパーツのバランスも元のようには書けなかったはずなのだが、そのときはなぜかさらさらと筆が運んだ。各パーツの境界等を線ではなく元の絵通り濃淡で表すなんて普段の私にはできないことを普通にしていた。数学の教科書のガウスを描いたときが特に印象に残っている。風邪でもないのに熱が出て学校の中で倒れるということが起こるようになった。何度か親に送り迎えされることがあった。
私は中学のころまでは学校の人間をいじめていたことがあったのだが、急にそのことを思い出し心底恥じ入る気持ちになり号泣した。そして旧友がどうなっているのか訪ねに行った。受験生なのに何をしてるのかと思うだろう?私にもわからない。
塾の特別講座や模試を受けに都心に行ったときはひどいものだった。湯島聖堂に行って人が引くような感服をした。ピンクのハトを見て神がかり的な力を感じてしまった。(ピンクのハト自体は幻覚ではなく写真に残っているしそもそもそこまで珍しいものではないと思われる)
興が乗りゲームセンターに行ってヴィクトルーパーズというゲームを体験する。プレイ時に自分の反射神経に関して今までとは違うものを感じて全能感を感じた。
そして確かリフレクビートみたいな音ゲーを他人がプレイしているところの画面をなぜかタッチした。当然苦言を呈された記憶がある。でもそのときの自分は意に介していなかったと思われる。
夜になっても秋葉原を闊歩してあるときは自分の腕力に自信を感じ筐体を動かせるかどうか試していた。
今思えば実際は持ち上げていたのではなく引っ張る程度でなんの腕力の証明にもなっていないのだがあのときはこう理詰めで考える力を失っていたように思う。
釣り合わないおっさんと若い女性が一緒に歩いている姿を見て、犯罪の匂いを感じ制裁してやろうとか思った(今思えばコンカフェのサービスに過ぎないだろう)。
街中で大学生と思しき数人の男女の組を見つけて話しかけて自分の志望大学について語る。あのときは普通に対応されたけど陰でやばい奴認定されていたのではないか。
道路にポスターが筒状に丸められたものが落ちていて、アキバでの土産として持ち帰るつもりだったのに、振り回したり膝に当てて曲げたりしていた。思考の滅裂が伺える。
結局その夜は終電を逃し、教科書等が入って10kgになっているリュックを背負ってほとんど休まず冬の夜を始発まで歩き続けていた。それは冬に露地で寝たら凍死するという、ここだけはまだ高校生としてまともなイメージによるものだった。
その最中、座って休んでいたときはとめどなく出てくる感じの英語を、どうせ誰もいないからと気持ちよく口に出した。まるで通訳ならそういう境地であるかのように、自然に英語で思考が言葉として頭に浮かんでくるのだ。これも今までにないことだった。今までの学んだことの蓄積が一気に爆発的にアウトプット可能なものへと昇華されたような感じだ。第三者がいないので、これが実は文法が滅茶苦茶だった空喜びだ可能性もある。
そうして家族には捜索願を出す迷惑をかけさせるなか帰宅した。保護入院のXデーは近い。またあるとき横浜へ行くと、キャリアになるような人間は高い志を持っていなければならないという心境で、ゴミ掃除をした。受験生なのに。
掃除しているところを見たお巡りさんから未来の官僚様へというふうな感じでブラックサンダーと栄養ドリンクをもらった記憶がある。ということは自分の希望進路をこの警官に行ったことになるのだが、だとすればこの警官の労いは奇妙な行動をする学生を生暖かい目でからかうことを意図したものだったかもしれない。自宅の近所に1000年前からあるという由緒のある神社と正一位の神格がある寺院に目を付け、この地域は稀に見る神聖な土地なのだという気持ちになる。
またその影響からかこのころから神のお達しを感じるようになったり(幻聴ではなくテレパシーのような感じ)自分に女性キャラクターが乗り移ったような感覚が現れることが起こるようになる。口調も普段から変わってしまう。
当時の社会情勢の悪さを神的なものとに結びつけ、寺社に赴いた記憶がある。おこがましくも何かを助言した記憶がある。別に神職者だって宗教を信じてないことが多いのに本物のやばい奴が来てしまったという感じだろうな。
マムシ=蛇の出没も神的なものと結び付け両側が藪の道を木の枝を下に向けて振り回しながら歩く。当時の本人にはマムシを追い払うことでマムシが持つとする瘴気を払うことを意図したものだろう。
またあるときは公園で木の枝を持ってこれが神風だという感じで大げさに振り回す。あくまで高校までの化学の知識から着想を得た「核戦争にも耐えられる強化外骨格」の設計ラフを書いた小切れなどを河原にばらまいたりもした。
夜寝てもすぐ起き上がって漢文がひらめくことが多くなりまともに寝なくなる。当時の自分としてはそれが漢文のいい訓練になるものだと思っていたことを覚えているが、志望大学は漢文の比重が重いものではないので、ほとんど無駄だったと思われる。
滑稽なのは四声も知らないのに(いや受験生としては問題ないんだが)漢詩等を次々書いて悦に入っていたことである。文法はともかく古代中国語として韻律のめちゃくちゃなものだった可能性が高い。
でもこんなことをしていたのには訓練以上に、漢文に書かれた思想に感じ入っていたところも大きい。
おかしくなった私の目標は立派な仕事に恥じない人格者になることだった。そして湯島聖堂に行ったときに孔子の深遠さに衝撃を受けた。
もちろん孔子自体は以前から知っていたが、偶然「聖地」を見つけ赴いてしまったことで、自分なりに感じた霊験あらたかさに、彼と彼の思想がいっそう素晴らしいものに感じるようになってしまった。
普通の受験生にとっては教材でしかない漢文から仁徳を感じ取るたびに感動し、過去の不徳な自分と対比して大泣きして大真面目に反省するという情緒不安定も起こっていた。
電車で、密着して二人の世界に入っている男女に話しかけたりもした。今考えれば当然のガン無視をされた。しかしやっぱり躁状態になっている私は誰とでも話せる人間になろうという思いが強かったのか意に介さないのである。
テレビでちょうどやっていたイスラム国関連のニュースの映像を見たときとてつもなく怖いものが見えたように感じ体を丸めて怯えたような記憶がある。あの心理状況はどういう原理だったか。
イスラム国はどうにかしなけばならないという義憤を感じてツイッターでアラビア語?で検索してイスラム国関係者と思しきツイートに直接リプライしたり、また当時の漢文にハマっていた自分らしくSNSのアカウント名を「莫歯牙(しがない)○○」をしたりそこで椅子子羊(イスラム)なる言葉を使って打倒を呼び掛けていた記憶がある。
世界中から反響があった感覚があったが、実際はただ日本人以外からなにがしかのリプライが来たと言うだけで、数としては数件に過ぎなかったのではないか。
でも当時は確かにカバオコピペのように「今までにない熱い一体感を感じ」ていた。
テレビのイスラム国に関する報道が自分の行動とリンクしているようにも見えていた。自分が世界に影響力を与えている気分になっていた。
調子が悪そうなことをした親に総合診療科に連れられたこともあり、そこで血液検査をしたらCK値の上昇が認められそこで筋肉が壊れてきていることを指摘された。
冬の夜通しの闊歩が祟った結果だと思われる。とはいえ今思うと自衛隊員は数十キロの装備を身に着けることもあるし、強力(ごうりき)はそれこそ100kg近くを背負って運搬するわけだから、ちょっと虚弱過ぎやしないかと思う。
しかし当時の私は筋肉が壊れるほど肉体を酷使している自分に対してこれまた全能感をこじらせ酔っていた記憶があるから滑稽だ。
また当時気になっている子がいたのだが、学校帰りに駅前のブティックに足を運んで何万、何十万かするビロードのような服を品定めしていこともあった。
そういう服を対象にしたのはすっかり自分が上流の人間の気分になっていたから。
そして将来は官僚になってこういうものを好きな子にプレゼントするんだと店員に息巻いていたと思う。
近くの受験が見えなくたって遠い不確定の可能性の低い将来を前提とした行動をとる、まさに統失仕草だったと思う。
卒業間際好意を伝えたときやんわり振られるオチまでついている。
こうしていろいろあって親は養護教諭に電話相談して、精神科への入院を勧められ、私の同意のもと保護入院することになったのだった。
※ブコメから知ったこととして保護入院とは家族の同意のもと行われる強制入院の一つだという事実があるが、私の場合入院したいか、それとも受験するどうかをあくまで私の意思を尊重する形で家族に確認されたため、法的なことはともかく実態としては任意の入院なのだった。
そこで統合失調症という診断が下されたが、診断名は変わる可能性があると言われた。
統合失調症は全段階として6か月未満の統合失調様症状というものがあり、中学のときのエピソードして、自分は悪魔になってしまったという発言や、ナイフの図鑑を買ったりポッカキットで処刑映像を見ていたことを統合失調症の期間として含めるべきかをはっきり判断できないからだということだそうだ。まあ今思えばさすがにこれはただの中二病だろうと思うが。
なお、記憶力や模写等脳の能力に関しての向上を記述したが、これが統失の症状としてあり得ることだったのか、私固有の現象だったのかはわからない。
統合失調症は服薬し続けず「治る」ケースがごく稀な病として有名だが、幸い私は薬も飲んでないが上記のような明らかな妄想も出ることなくただの発達障害(医療機関による診断済み)として暮らせている。
いろいろなことをした、「記憶はある」が、なぜそうしたのか今の自分では全く理解できないことが、過去あったその妄想と現在の現実を区別できる能力が回復している何よりの証拠だと思う。
ほんとう、記憶はあるが秩序のあるものとして理解できず、記憶を記録するにあたってはただあったことを羅列しているだけという気分が拭えないという部分は朝起きる直前の夢に似ているような感じがする。
この長文を書いたのは、統合失調症は脳機能の低下を起こすから患者になったことがある人本人に「書ける」人が少なく、このような本人直筆の体験談は貴重と考えたためで、使命感を持って書いた。
(使命感とかいうとまだ統合失調症が治ってないだろとか言う人が出てくるのかなと思いつつ)
【追記】
実はあれから既に十年以上経っている。
もし統合失調症が治っていない状態で薬をやめていた場合はだいたい長くとも1、2年で、もっとひどい状態で症状がぶり返すのが通例だ。
脳機能も一度目の急性期後より格段に落ちると聞いている。壁に自分の排泄物を塗りたくるようなレベルの廃人になるということだ。
しかし私は御覧の通りこうして記事が書ける程度の理性や知性をいまだ残せている。
それは、薬の副作用にアカシジアというものがあって、その、四肢の気持ち悪い感覚が苦痛だったからだ。
今も、断薬の承諾を得た精神科医本人から三か月おきに診察を受け経過を見てもらっているので、統失が治っていないということについては心配しないでほしい。
その医者の対応に対する違和感を書いてもらって思い出したが、それ以上に著しい倦怠感や思考の鈍麻が起こっていたことについて親が見兼ねたというのが大きかった。
統失の治療薬のイメージとしては躁的な症状をもたらす過剰な神経物質をブロックするというものだが、このころは既に陰性期あるいは寛解状態にあった。
つまり健康体の人間に投薬するのと変わらない状態で、症状を相殺するのを通り越して過度のドーパミン不足を誘発したのかほとんど寝たきりで毎日を過ごすような時期があったのだ。
こんなところにいたら殺される(滝山病院の例もあるので大げさな考えとは思われない)と心配した母親が担当医の忠告、「お母さんあなたも精神病ではないか」という苦言を振り切って入院期間を繰り上げたのだった。最初の急性期を見て薬を処方した入院先で断薬許可をもらったわけではなかったのだ。
ただセカンドオピニオンでかかった他の大学病院の医者も、以前のその病院の処方薬や量の内容を見てこれは多すぎると言っていたようだ。
今かかっているクリニックはこれらの統合失調症や発達障害の診断やそれに伴い我が家庭ではどう対処してきたかという経緯を理解したうえで、基本的にこちらの考えを尊重しときには睡眠の習慣を整えるためにロゼレム?を服用してはどうかと言われては、悪夢を見るから嫌だ、いやこれは他の睡眠薬と違って悪夢は見ないよ、でもちょっと抵抗があるから見送らせて欲しいとかああだこうだ忌憚なく相談できる関係性を築いている。
模写した絵などは残っていない。というのも数年前まで私の部屋は受験期にコレクションした参考書がずらりとならぶ、いかにも子供部屋おじさんの極致にあるような有り様だった。
しかし親に、いい加減高校時代のことに固執してもしょうがないだろうと、絵も描かれたノート類とともにすべて処分することを催促され、応じるしかなかった。化学の新研究とかぐらいは、通読してみたかったなと思っていたのだが。
絵の証拠写真を挙げないのでは一連の記述が創作と思えて仕方がないこと、もっともなことだ。信じる人が信じるだけでもこれ幸いというものだ。
少し退院後のその後の事を書くと、まず予備校に入って再度大学を目指そうとした。
しかし当時の自分は統失の余波か薬の副作用か大変疲れやすく、体験授業後にチューターには母の口から、授業中にも寝てしまうことも有り得ることが伝えられた。
また数か月か、あるいは一年ほど経った頃だったか、入院中も見舞ってくれた担任が定期的に会いに誘ってくるようになった。
と、このあたりのことを書くと俺がどこ高校出の誰かか特定される可能性が1%ぐらいは出てきてしまうと思っているのだが、そうなったらそうなったらでこの記事が創作でないことの証明にもなるわけなので、気にせず書いてしまおうと思う。
そうして職業訓練校を目指すことになった。その訓練校が試験で出す問題と同レベルのSPIとかの練習問題を解いた当時の自分としては、問題自体は大学受験とは雲泥の差の易しさだが、それでも油断はできなかった。
統合失調症と長い間机に向かっていなかった影響で、筆記スピードというあくまで肉体面の要素が著しく落ちていたからだ。
そんな私にアドバイスしてくれたり、数学の先生だったので、私が趣味で取り組んでいた数学に話を合わせ付き合ってくれた。
それに前後して北里か東海大(ここ記憶が曖昧)や、クリニックの児童精神科医にセカンドオピニオンを仰いでいた。
そこでいわゆるウェクスラーを受け、言語性IQが130で動作性が90前後という結果だった。その大学病院が役所に提出する用の親展の封筒を、やっぱり使わないと親が開けて見てしまった中身の書類の記述によると、大変頭の出来がいいというニュアンスの表現でべた褒めする内容だったそうだ。
言語性IQなんていかに成人向けに最適化されたテストといえど受験期等の蓄積で簡単に高成績が出る脆弱性がありそうでならないと私は思っているので、これは私より圧倒的に優秀な大学教授の心の余裕から来るリップサービスのようなものではないかと今は分析している。でも認知機能のテストの一種か何かで、100から次々7を引いた答えをどんどん言ってくださいという問いに自分なりになるべく速く答えたその反応に対しても早い早いと言っていたから、まんざら嘘ではなく、そういうことを総合してなのかな。
ともかくもしこの書類を出していたら障害者手帳の申請は通らなかったからこれでよかったということを親は言っていた。申請に使った診断書等はクリニックが書いたものだったと思う。そのクリニックだが今は児童 Permalink | 記事への反応(1) | 18:05
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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1週間分の総括
この週のチャットは、日常雑談を中心に「健康・社会・趣味」がバランスよく混ざる典型的なコミュニティ会話だった。
健康面では咳やインフルエンザ、家族の入院などリアルな体調の話題が多く、互いにアドバイスや体験を共有する流れが目立った。
一方で、ゲーム・アニメ・麻雀といったサブカル話題や、ビリヤニなど食べ物の話がコミュニティの潤滑剤となっており、軽い雑談とやや重い社会議論が同居する空気が形成されている。
また、経済・税制・宗教問題・企業動向などの話題も散発的に登場し、参加者の関心が生活実感から社会構造まで広く及んでいることが特徴的だった。全体としては、日常の小ネタをベースに、健康・社会・趣味を行き来するゆるい知的雑談の1週間であった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
ピルが手に入れやすくなったように、性欲が減退する薬が気軽に手に入れられるように男性も行政に働きかけるべきだろう。
ノーリスクで性欲発散したいから女を宛てがってくれよぉ〜はそれこそ猿の理論なんだよ馬鹿が。
セルフケア、セルフラブやメンタルの問題なのであれば「性欲が強すぎて苦しい」とメンタルクリニックなりに相談しろ。
まあ産婦人科と違って生殖器官やホルモンに関連する悩みを相談できる診療科がないのは多少のハンディかもしれない。しれないが、それはお前ら男が「性欲があるのは健康な証!セクハラは円滑なコミュニケーション!水着の姉ちゃん見ながらビール!」みたいな社会をその代わりに作り上げてきた=女の尊厳を犠牲にしてきたからだろう。
じっくりと読んでくれたらとても嬉しい。
よく知られた話かもしれない。
最近のつくりだから座席も悪くない。なんとフリーWi-Fi付きだ。
なお、フリーWi-Fi目的で周辺をたむろしていると、普通に警備員に追い払われる。
この社会福祉病院は診察時間前から長蛇の列ができる診療科がある。
精神科だ。
お世話になったほぉ施設のひとも手馴れている。事情を知っているかは知らんが、「精神科は並ぶから早めにいけ」と言われた。
自分は持病のてんかんを抑える「リボトリール」と、神経痛の「リリカ」をもらっていた。
精神科っていまは心療内科、内科だから出せるらしい。よくわからないがもらっていた。
早めに20分くらい前に行ったらめちゃ並んでいた。
次の診察に行ったら、朝は診療開始1時間前に人間が並んでいた。
本当に必要な人間はまだしも、それにのっかる人間はどの世界も変わらない。
まあ、福祉に対する風当たりが強いことは分かるが…。
朝から行列している彼らにはお目当ての薬がある人間も少なくない。
ベンゾジアゼピン系の薬だ。
それもフルニトラゼパムのような強力なベンゾジアゼピン系が好まれる。
医者も手馴れているのかどうかは知らんが、言われたとおりにわりと出す…と思う。
ただ、あの街で生活しているおっちゃんにそういう知識がある人間はあまり多くはないんじゃないか。
覚せい剤精神病、いわゆる覚せい剤依存症のフラッシュバックだ。
これを鎮痛?させる効果がある。
ベンゾジアゼピンの成分が強ければ強いほどいいらしい。
処方箋で出してもらえる最強のベンゾジアゼピン系の薬だそうだ。
相手はもちろんヤク中だ。
警官に訊かれても「胃薬だ。」と答える。
警官も知ったことじゃないし、警官も露店や売り物に何か言うこともない。
そんなことを取り締まってもどうにもならない。おおごとにしてどうする。どうなる。
いたちごっこというよりさ、そういうことになるおおもとは何にも変わらないじゃん。変わるはずがないじゃん。
医者って患者とのコミュニケーションが大事だからやたらと勤務すりゃ良いってもんじゃないぞ
前緊急搬送された時に対応してくれた男性医は対応良くて感謝したけどな
男、女ではなく適性には個人差があると言う話
性差ではなく個人差で見ましょうという世界潮流になってるこの時代で時代遅れなことを言うのをやめましょう
体力体力って言うけど、フルマラソン走れますって女と塾漬けで体力まったくありませんって男で女を20点減点するようじゃあ全く合理的ではない
体力や勤務への適性で判断したいならその旨を告知し、体力テストを設けて公平に審査すべき、あるいは就職枠で地域や診療科を固定すべきなんだよ
看護学生/看護師アカウントをwatchし続けて早10年近く。本当にこの界隈に生理的嫌悪感を覚えている。
女が多いからではない。男女等しく、この界隈に浸りきっている奴は気持ち悪い。
そもそもTwitterで職業アカウントを作る人に気持ち悪い人間が多いからなのかもしれないが。
彼女/彼らは看護学生や新人看護師の頃、自分を「意識低い系」と自称する。もしくは異常に「勤勉さをアピールする」のだ。
意識低い系は読者の想像する通りであろう。自らを勉強していない「限界看護学生/新人看護師」などと名乗り、とにかく勉強をしていないこと、”患者に興味を持てない”ことなどをツイートする。
特にこの”他人(患者)に興味を持てない”ということをツイートするのは看護アカウントの特徴なのではないだろうか。看護師が対人援助職であることはわかりきってるだろうに、なぜ彼女/彼らは看護師を職業として選択したのだろうか。その件について「お金のため」と明言するアカウントもあるが、それはそれで「プロとして割り切れない」という技量や意識の低さが目立つ。
問題、というか看護師として予後が悪いのが「勤勉さをアピールする」タイプだ。
彼女/彼らは看護学生時代はレビューブックを分厚くすることに専念し、せっせと語呂合わせの付箋をアップロードし、さらに理想のキャリアプランや看護師像について熱く語る。
彼女/彼らは根が真面目なので、模試で良い点数をとり、面接も手堅く通過。そして試験結果を意気揚々とアップロードしたのちに志望の診療科に入って目を輝かせる。熱い目標と学びを語る。
だが、そういう人に限って夢潰えるのだ。
彼女/彼らは次第に愚痴と弱音のツイートが増えていく。自己を卑下し、次第にそれは他責へと変化する。
一番わかりやすいのが「先輩看護師」や「社会構造」への攻撃だ。先輩をお局様と称し、自己を防衛する。自身の環境を社会構造のせいにして看護協会を悪の親玉に仕立て上げる。社会人として何年経っても看護学生時代のことを「絶対悪」として語り続ける。
だが自己研鑽で現状をどうにかしようとはしないのだ。いや、自分が変わるのではない。
彼女/彼らは「環境を変える」ための努力に勤勉さを発揮するようになる。そうすれば今自分を苦しめているものは全て解決、心機一転ハッピーな看護師ライフを送れると思い込んでいるからだ。
転職先としては第二新卒、クリニック、施設、訪問看護、美容、派遣、一般企業など多岐にわたるが、共通するのは”病棟”を避ける傾向にあるということだ。
まあそれは無理もない。人間誰しも、嫌な思いをした場に戻ることには抵抗を覚えるだろう。だが、病棟を辞めて他の職場に行った人らがずっとネチネチと病棟の悪口を言っているのを見るのは滑稽だというものだ。また、そういった病棟叩きのツイートがバズりがちなのも、そうやって自己の選んだ道(病棟を辞める)という選択を肯定してもらいたい人間がTwitterに数多く存在しているということの証だろう。
だがそうやって自己を正当化する物語を探してばかりでは、永遠に病棟を去ったことを後悔するばかりだろう。それに”病棟を続けることができなかった自分”は行動なしには永遠に変わらないのだから。
それに、Twitterに入り浸る限り彼女/彼らに転機は訪れない。「傷の舐め合い」が万バズし、数多のフォロワーを得る手段となり得るTwitterでは彼女/彼らは変わることができない。ただただ指を動かし、愚痴を投稿していれば承認欲求が満たされるからだ。永遠にぬるま湯に浸ることができるからだ。それはいつしか煮え湯になっても、彼女/彼らはそこから出ることはできないだろう。
そう、看護アカウントの界隈では愚痴や泣き言が万バズしやすく、フォロワーを得やすいのが最大の欠点だ。
彼女/彼らは看護アカウントを作り、愚痴を吐くだけでフォロワー数を何百も、時には何千も得る。いいねもたくさんつく。自己を肯定するコメントも貰える。そうすると気が大きくなる。「ああ、私たちの行動は間違っていなかった」のだと。
しかし面白いことに看護師としての年数が経過し、看護学生/新人看護師ではなくなると、余程のアカウントでない限り新規にフォロワーはつかなくなる。いいね数も目に見えて減っていく。”愚痴”も称賛を得られるのは若いうちだけなのだ。
そして限界まで煮詰まったアカウントは……もう目も当てられない。
彼女/彼らは”過去の栄光”に縋る。新しくアカウントも作ることができず、そこに留まり続け、同じようなツイートを重ねていく。時たま思い出したかのように過去のバズったツイートを掘り起こすが、焼け石に水に過ぎない。結局看護アカウント界隈の「おじさん/おばさん」として生きていくしかないのだ。しかし、新規に看護アカウントに参入した若い奴らは知っている。
「こいつらはやばい人物だからここまで看護アカウントを続けているのだ」、と。
看護アカウント界隈は定期的に看護アカウントを卒業(アカウントが動かなくなる)する。それぞれの別の日常に向かって新しくツイートを始める。看護という物語に縋らないと生きていけないやつは異常者なのだから。
2021年の5月だった。自分はある大学病院に赴任して1年ほどが経ち、徐々に慣れつつあったところ。
3月には、20年ほど勤めていた大黒柱の講師の先生が抜け、私はその先生の仕事を引き継いだ…
そのほかにも仕事は増え、仕事量は前年度の2倍となった。忙しくて本当に辛かった。
その大学へ移籍したのは他大学で行き詰まりを感じたからだった。前の大学でマンネリに陥っていたある時、大学病院を移籍してうまくいっている(ように見えた)憧れていた T 医師に相談するチャンスがあった。移籍してうまくいく秘訣や探し方を聞こうとしたところ「うち来る?」と誘われ、トントン拍子で移籍できることになった。
移籍して、新たな症例を見たり、国際学会の委員を経験できたり、移籍したことはプラスになったと思う。
その尊敬する T氏に、リモート勉強会のホスト役を頼まれたのが5月下旬のこと。当時は感染症の全盛期。いろんなものがリモートになっていた。
T 氏がその勉強会に参加できないということで、私が代わりに大学病院の会議室から ZOOM 参加、プロジェクターに投影、リモートカメラを設置。他の医師が参加できるような形で参加して欲しい(ホスト役をして欲しい)ということだった。
当時ものすごく忙しかったので断り、Tは「別の人に頼もうか」と言っていた。
1週間後、Tは「会議のホストをやってほしい」と再び頼んできた。前回忙しいって断ったのに再び。なぜもう一度の説明もない。おかしいと思ったが、お世話になっているし、断ってもまた来るのだろうし、一旦は引き受けた。
「会議のホストを頼まれたけれども、忙しくてできない。誰か代わって頂けないでしょうか? 連絡がなければ私の方から断ります」
と。
そしたら
「お前ふざけんな」
みたいなメールが T から来まして、よくわかんないけどメールで謝り、早朝に教授室へ行き謝罪。
言われたのが、
「お前は世話人を乗っ取ろうとしてるのか、断りの連絡は自分が入れる」
「お前は変だ、お前はめちゃくちゃだ」
「N 先生(当科主任教授)も君のことを変だと言ってる。 A 先生(日本〇〇学会会長、つまり当診療科の top of top,他大学教授。タイミングが合えば東大教授だった)も君のことを変だと言っている、S 先生(私の留学先の指導教授)も君のことを変だと言っている。君は本当にめちゃくちゃだ」
みたいな話をされて。
別に「変」って言われるのは嫌ではない。アカデミックな人は変だからね。
だけど今回言ってる内容、小学校レベルのいじめやし、虎の威を借る狐…
例えば、
私が自分の研究のために自費で用意したパソコン、家からでかいスーツケースに入れてゴロゴロ持ってきたところ、
「先生のパソコンのいい使い方を思いついたよ。僕の研究のデータ解析に使えばいい」
(アホか、解析するのは良いけど言い方! 私物やぞ。なお、大学のインターネットに繋ぐのには申請が必要。許可は得ていた)
「あの人は私の研究補助のために来ている。君が邪魔をして研究が滞ると困る」みたいな。
その人に聞いてみると別にそういうわけではなく、大学全体のサポートとしていて来ている、とか。
4月から仕事量が2倍となり、医局長に相談してたけど減らしてもらえない。
実質的に私の後見人であるT氏、おそらく何らかの personality disorder を持っている。境界型か自己愛性かだと思うけど。
普段は優しいんだけれども、何かのきっかけで周りに当たり散らすなど人間性に問題がある。
どうしようもない。
心が折れてしまった。
(入院施設のあるまともな)精神科病院を受診、SSRI内服開始。診断書取得して年度末まで休職。
主任教授Nもアホだから、休職中にも仕事を命じてきた。T からのいじめに目撃者はいないけれども、仕事量が非常に多かったことは記録に残ってるし、休職中に仕事を命じてきた不適切な証拠は残っている。
ちなみに今は退職していて、個人事業主として保険外の医療事業にかかわっている(美容医療や怪しい細胞治療ではない。まともなサービス)。
年収は2/3に減ったけれども、仕事量は1/3(忙しかった時の1/5程度)に減り安定した。
なお、私が辞めた後に科の仕事量は減らされた…
とはいえ、
これを乗り切ったとしても、自分のアカデミックキャリア、保険診療キャリアは終わりかけていた。こういう明らかなパワハラがあっても何もしないのが大学病院。一般病院でもまともな話が通じないことは結構ある。そういうのが本当に嫌だったし、遅かれ早かれ辞めていた。
今でもTやNに恐怖や怒りはあるが、恨んではいない。むしろパワハラを受けたおかげで明確に立ち去る理由ができたとは思っている。
そして、なぜこんなにすっきりパワハラ〜鬱〜退職ができたのか。
その背景には、20年前、とある大学病院での事件。後期研修医S 君の自殺があった…
(最初はSくんの話を書こうかとも思ったんだけど、なんかこっちを書きたくなった)
https://togetter.com/li/2586841
公立病院勤務です。
まじで勘弁してほしいです。
公立病院は、「収支均衡」が基本です。
黒字が出ても、使い道は、設立団体の承認を得る必要があって、勝手に決められません。
で、これまで積み上げてきた毎年のうっすい黒字を、大赤字のため、切り崩し続けてる状況です。
県「しょうがないにゃあ」
という状況です。
ここ数年、真っ赤っかの赤字なのは、物価高騰や人件費高騰に、診療報酬が追いついてないからです。
診療報酬は勝手に決められないので、病院ができる努力には限界があります。
「医者も看護師も暇なんでしょ」と言われますが、まじでとんでもないです。
ほぼ満床で運用し、明日入院予定の患者さんのベッドすら空かないのに、救急車を断ると、アホほど怒られます。
給料を減らす方向での議論もあり、そうなった時、もう現場に繋ぎ止められる医療職はいないと思います。
以下、ブコメ返信です。
● 「時間売上が5000円で年収1500万の医師雇って黒字化は無理ゲーでは」
→公立病院だけで、医師に1500万円払ってる病院はないですね。少なくともうちは、診療科部長クラスでも届かないです。
医師は基本的には「外勤」といって、民間病院に出稼ぎに行き、複数病院で働いてます。
足し合わせると、それくらいにはなると思いますが、公立病院の給料はまじであんまり高くないです…。
人件費の高騰は確かに経営を圧迫してますが、医療職に贅沢させてる訳じゃないです。
● 「満床想定での看護師人員配置、医局に配慮した過剰な医師受け入れなど、正直課題だらけ。なのに人々は赤字でいいんだ連呼。こりゃだめだ。」
→いや、満床想定というか、病床稼働率は100%超える日も多々ありますよ。
で、「明日の入院予定患者のベッドないです!なんとか誰かを退院させてください!」と詰められる日々…。
医局に配慮した過剰な受け入れ、というのも、少なくともうちの病院はないですね。
なら毎年あるけど…。医者の残業も平気でひと月100時間超えるし。
● 「私が昔住んでた場所の公立病院、私の知る限りこの30年間、ずっと赤字なんだよなぁ。子供の頃聞いたら公立なんで儲けたらあかん(なので慢性赤字の地域巡回医療や小児科が切れない)と聞いた。今は知らん」
→「収支均衡」が基本だとは言われます。
儲けてもいいけど、基本的に儲けても病院は使い道を自由に決められる訳ではなく、設立団体にお伺いを立てます。
ちゃんとした検査ができる大病院に紹介状とか書いてもらえば? 原因不明だと書いてくれないんかな?
専門医だと個人クリニックをやっていたとしても特定の日には大病院で勤務されているケースがあって、よくわからない場合は、大病院への紹介状を書いてくれたりするんよね。
手間かかるから初手で大病院に行きたいけど、紹介状がないと今は1万円ぐらい追加でかかるからねえ。
ただし裏技があって、特定の科に掛かりつけていると、他の診療科にも紹介状なしで初診料だけでいけるというものがある。
もし皮膚科で医者に定期通院しているなら(6か月以内に再診してもらっているなら)、大病院の方に変えるというのもあり。通院圏内ならば。
あとはAIに症状をプロンプトで丸投げてして、これはどの病気の可能性があって、何科に行けばいいのかを聞いてみるとかかなあ。
ただ、今のAIに医療診断を任せるのはさすがにリスクがあるからなあ。
どっちかというと心療内科?
睡眠外来と心療内科は、どちらも睡眠に関する問題を扱うことがありますが、それぞれ専門とする分野が異なります。睡眠外来は、睡眠障害全般を専門的に扱う診療科で、睡眠時無呼吸症候群や不眠症など、睡眠に関する様々な問題を診断・治療します。一方、心療内科は、ストレスや精神的な要因による不眠など、心の問題が睡眠に影響を与えている場合に、心理的な側面から治療を行います。
睡眠時無呼吸症候群、不眠症、過眠症、概日リズム睡眠障害など、様々な睡眠障害に対応します。
睡眠に関する検査(終夜睡眠ポリグラフ検査など)や、睡眠衛生指導、薬物療法などを行います。
心療内科:
うつ病、不安障害、適応障害など、心の問題が睡眠に影響を与えている場合、心理的な側面から治療を行います。
睡眠薬の処方も行いますが、カウンセリングや認知行動療法など、心理的なアプローチも重視します。
睡眠障害の原因が、ストレスや精神的な要因によるものと思われる場合は、心療内科または精神科を受診するのが良いでしょう。
睡眠障害が原因不明の場合や、睡眠時無呼吸症候群などが疑われる場合は、睡眠外来を受診するのが良いでしょう。
どちらの科を受診すべきか迷う場合は、まず内科や睡眠外来を受診し、必要に応じて心療内科や精神科を紹介してもらうのが良いでしょう
安野様
note記事によるフォローアップ、ありがとうございます。
その上で以下の点、質問させてください。
どのような医師に(人数、専門診療科など)、どの程度の時間、どのような方法で監修を受けたら(例えば、対面で1名とミーティングして1時間)、先日の結論になったのでしょうか。
いわゆる専門家の監修には、名義貸しのような事例もないとは言えないので、具体的な体制をなるべく明らかにコミュニケートしていただけますでしょうか?
喘息に関する提言は、Chat GPTなどのAIサービスを活用して、アウトプットされたものでしょうか。あるいはAIは全く使ってないのでしょうか。
よろしければ、使用したAIがあればそのバージョンと、プロンプトの過程を含めて明らかにしてください。
第三 回答へ要した時間の長さについて
失礼ですが、このご回答はものの数時間もあればできるものと思います。
以上3点、6月26日の14時までにXまたはnote上でご回答お願いできたら幸いです。
取らなきゃよかったかなって毎日後悔してる。忙しかった。気づいたら5年以上経ってた。
手術室の看護師になりたくて、余裕のある家ではなかったので大学ではなく専門学校に通ってあまり遊べずに実習続きの3年間を過ごして。
なりたくてなったのだから自業自得と言われるでしょうが、高校生なんてそんなもんでしょ。
だって看護師は食いっぱぐれないからって大人はみんな言うじゃないですか。
ああ、じゃあちゃんと一人で暮らしていけるくらい稼げるんだと思っていました。
私は夜勤のない手術室勤務なので、夜勤分が丸々ないというのも理由の一つではあります。でもそこじゃなくて、資格あって5年以上の経験があって尚、手取り25万円くらいって目の前真っ暗すぎて、明細見るたびに死にたくなる。
でも夜勤ありきの給料ってなに。キャリア形成もクソもあるか^^
国家資格ってなんなんですかね。専門的知識や技能があることを認めているんですよね。職業的な地位を保証されるはずなのに、生活に必要な仕事すればするほど割に合わなくなるのなんなんですかね。
対人間の命みたいな仕事ほどお金にならなくて悲しい。もっとお金取れるようにしてよ。
看護師向いてないと思っても、大学出ていないとスタート地点にも立てないことも多いし、ちなみに30過ぎたら尚更求人減ります。激減。もう崖っぷち。別の資格とか取らなきゃ動けない。アセアセ😅💦
え、私これあと何年続けなきゃいけないの?人手不足だから日中外来や病棟も駆り出されて、土曜日も出勤して、ほんでこれ?何のために生きてる?ピラティスなんか行く気力ないし、日曜日は半日寝て家片付けて終わり。
また同じ1週間。そりゃみんな辞めるよ。美容クリニックに流れるに決まってるじゃん。
労働の義務も納税の義務もキツすぎる。これしか貰えないのになんでこんなに税金払わなきゃいけないの?病院にいるのに病院も行けてない。最近は普通に歯痛い。
ねえそれ本当に必要?っていう検査希望する人、薬飲まないのに病院通う人、認知機能落ちてるって結果出てるのに免許更新したいってごねる人、家族が車持ってないから救急車呼びましたとか様々な人が来ます。非常にバラエティに富んでる。
しらんがな。薬飲みたくないって言うならもう薬も飲まないで来なきゃいいじゃん、家にいなよ。ロキソニンテープそんなに毎回もらってどこに貼るねん。こっちはマッサージも行けてないんじゃ。ほんでそんなんで救急車呼ぶな、GOタク呼べ。
どんどん性格も口も悪くなって、段々性格悪いやつの顔になって、死ぬ時は鬼になっちゃうんだー
結局人間の心の余裕って金銭的な余裕からくるものがかなりあると思う。少なくとも私はそうです。
コロナ禍の病院バイトとかしんどかったけどお金貰えたから精神的には元気でいられた。普通が戻ってきて私は大鬱。
こういうこと言うと「私は月これくらいで何とかなってるけどなあ」とか「贅沢しすぎ」とか「田舎行けば?」「日本出れば?」とか仰る方が現れると思いますが、うるせー今私は誰かの貧乏自慢を聞きたいわけではないし有難いお説教タイムでもないので不要です。去れ。
争うのはそこではありません。国民の手取り底上げをしてほしいし、何なら健康だから時々は天引きされた保険料キャッシュバックしてほしい。働いて納税してる人も健やかでいられる世界であってほしいんだよ。
点数に対するお金が決まってるっちゅうのに、その中で病院を維持して地域に貢献しろって厚生労働省のお役人さんはん、ほんまご立派なお考えどすわぁ。これ以上診療報酬下げるやなんて、うちらにはとても思いつきまへんわ。
普通の病院がにここから更に賃上げしろなんて、働いていたら分かるんですけど無理なんですよね。もうほんとに私より限界人生🎶自転車操業🎶って感じなんですよ。ボロボロ。床のタイル剥がれてるし天井穴空いてるもん。
機械も買い替えられないし、電カルもまだだし、病院の床とかトイレとか内装の修繕とか二の次、医療DXとか来世。泥舟から水を掻き出してる感じ。
だからボーナスも減るし、福利厚生はカワセミの涙くらいしかなくて当然なんですよね。
もちろん診療科にもよると思います。お金になる処置や手術もあれば、やるばやるほど赤字ということだってある。体力がある段階で健診センター作った病院もある。賢い。
国が一番やりがい搾取じゃん。ここでやめたら、病院が地域が困るから続けてるみたいなもんで、しんどい。
私アホだからわからないんですけど単価上げて生活保護も高齢者もみんな一律3割じゃ何でだめなんですかね。っていうか4割とか5割でも安いくらいだよ。
人間減ってるんだから皺寄せくるのは想像できたじゃん。っていうかきてんのよ。
野菜も米も家賃もホテル代も電気代も値上がりしてるのにそんなに医療の単価下げてどうするの。最低限の健康維持も国民の義務にしてくれないかにゃ。
安心安全な医療がいつでも受けられる国民皆保険は日本が誇るべき素晴らしい制度ですが、それを支える労働者が最低限度かそれ以下の生活しかできなくて、給料安くて不安だから連休にバイトして旅行も行けなくなって、それで私たちは老後に元気も体力も金もなくて見たいものも見れなかったししたいこともできなかったなーって思いながら死んでいくんだー
それさ、本気で言ってるならちょっと危ないよ。
独法って、国が「もう病院の赤字は抱えきれないから」って手放した結果できた仕組みなんだよ。
中途半端に民営化して、「自分でなんとかして。でもゼロはきついだろうから最低限の支援は出すよ」っていう、“切り離された医療機関”。
税金が入ってるのは事実。でもそれで全て賄えてるわけじゃない。
現実は、自分たちで稼がないと病院は回らない。助成金はあくまで“延命措置”。
で、そんな場所で何が起きてるかというと、稼げない診療科はどんどん削られるし、人も削られる。
でも患者は減らないし、看護師は足りないし、医者も高齢化でギリギリ。
でも現場は止められないから、どうにか帳尻合わせて医療“っぽいもの”を回してる。
それを「税金で支えられてるから当たり前」とか言うの、ちょっと無責任すぎない?
なるほど、「助成金なしで経営できる病院なんてあるの?」って疑問、
たぶんそこがもう出発点からズレてるんだと思う。
こっちは、その前提に“どこまで依存してるか”と、“それをどう使ってるか”の差が生き残りの分かれ目になるって話をしてるの。
健全な病院ってのは、助成金を「補填」じゃなくて「仕組みの中の一部」として計算してる。
でもゾンビ病院は、助成金を**「これがないと完全に死ぬ」ってところまで当て込んでる。**
つまり、
で、そこには必ず「経営方針」がある。
どの診療科を持つかどの患者層を中心にするかどの地域・施設と連携して紹介を回すかどの設備に金をかけて、何は捨てるかどこまで“無理してでも続けるか”を判断する基準があるか
それを「採算を考えるやつはバカ」って空気で全部吹っ飛ばしてきた結果が、今のゾンビ病院の山なんだよ。
昔からじゃないんですけど、ここ数年くらい、自分では何も声に出してないはずなのに、周りから「今、言ったよね?」とか「そういうのやめたほうがいいと思うよ」みたいに言われることがあって、地味にしんどいです。
喋ってる感覚は本当にないし、口も開けてないし、喉にも力入れてないです。舌もたぶんずっと上の歯の裏あたりについてるままで、動いてないと思います。
でも、そういうの関係なく、こっちとしては普通に何もしてないつもりなのに、相手が明らかに「言われた」という前提で怒ってくることがあって、本当に意味がわかりません。
そのまま通り過ぎると思ってたら、急に振り返って「今の、本気でどうかと思う」ってきっぱり言われたんです。
びっくりしすぎて、「え? 何も言ってないですけど」って言い返したんですけど、「いや、言ってたよ。ちゃんと聞こえたし」って、はっきり断定されました。
ほかにも、教室で席が近い子に「今なんか言った?」って聞かれたこともあります。
そのときもほんとに口も開けてないし、「言ってないよ」って答えたんですけど、「そう? なんか聞こえた気がして…」って、納得いってない感じの反応でした。
そういうのが何回かあって、さすがに不安になって、スマホの録音機能で試してみたことがあります。
めっちゃ静かな部屋で、自分でも意識して何も発してない状態で録ったやつです。
でも、聞き返してみても入ってたのはかすかに息っぽい音があるだけで、言葉っぽい音は一切録れてませんでした。
それでも、リアルな場面では人に「言われた」ってはっきり言われるんです。
しかも、冗談とか勘違いとかじゃなくて、最初から完全に“確信してる側の口調”で言われるのがキツい。
あまりに気になって、前に一度病院に相談に行ったことがあります。
いろんな診療科があるところだったんですけど、最初に話を聞いた人に案内されたのが精神科のほうでした。
で、そこの先生に状況を説明したら、「そういう考え方を少しずつゆるめていきましょうか」みたいな感じの返事で、いわゆる精神科の薬が出ました。
でも私としては、「こういう出来事が実際に起きてる」って話をしたかっただけで、別に誰かに狙われてるとか、幻聴があるとか、そういう話をしたつもりじゃなかったんです。
声に出してるつもりはないし、録音にも何も残ってないのに、周りの人からは“確実に何かを言われた”という前提で怒られる。
こっちとしてはそれが繰り返されるたびに、自分の感覚が合ってるのか、相手の聞こえ方が正しいのか、分からなくなってきます。
誰にも話せなくて、ちょっと苦しくなってきたので、ここに書きました。
助言をくださった方々、ありがとうございます。ひとりで考えていたときより、少し視界が広くなったような気がしています。
ただ、やはり私の中では、いじめや嫌がらせといった方向とは少し違うように感じています。
美容院で髪を切ってもらっていたとき、少し離れたところで、以前担当してくれていたスタッフの方が別の美容師さんと話していて、「ずっと喋ってる」「すごく小さい声」みたいなことを言っているのが聞こえました。その後、そのスタッフの方が私のすぐ後ろに来て、何も言わずにしばらく立っていて、私が振り返ると、すっと何もなかったように離れていきました。
また、飲み会で初対面の人と少し話したあと、しばらく沈黙があって、その人が、急に少し困ったような顔で「えっ、失礼な……」と声に出しました。その直後に、「どうやって喋ってるんですか?」と言われました。その人の中では、私は何かを言っていたことになっていたのだと思います。
スマホで録音しても何も入っていなかったので、少なくとも声としては出ていないはずです。
でも、そうして目の前で反応されると、自分が何か言ったのかも…という気持ちにもなってきます。
録音していたのはひとりで静かにしていたときなので、人といるときは気づかないうちに何か違う状態になっているのかもしれないとも考えています。
本当に声を出してしまっているのか、あるいは、自分の脳のほうが何かを間違って処理していて、実際には何も言われていないのに“言われた”と思い込んでしまっているのか、そんなふうに考えることもあります。もしそうだとしたら、幻視と幻聴が同時に起きているということになるんでしょうか。でも、それって本当にあり得るのかな…というところで、いまだによくわかりません。
子供の頃は虐待を受け、学歴なんて身につける余裕はなかったが、色々あってどうしても医者として働きたくなった。
これまで無駄遣いもせずに暮らしてきたし、機関の奨学金もこれまで使ったことないから一応借りれるはずだし、節約すればやっていけるという判断で医学部受験することに決めた。
一般的には医学部再受験って言葉でイメージされるような年齢だが、大学に行ったことはないから「医学部受験」だ。
私立の医学部に行けるような金は当然ないから、国立一本勝負だ。
予備校に使う金も当然ないので2年くらい自力で勉強して、共通テストもボーダーを超え、最近二次試験を受けてきたところだ。確実に受かってるとは言えないが、合格確率はそれなりにあると思う。
直接世話になったわけではないが、参考書の出来が良いから勉強中にあまり困らなかったという意味で予備校講師に感謝している。
落ちてたらどうしようとか、受かってたら所持品の何を捨てて何を持って行こうなんて思いながら一服してたら、とんでもないニュースが飛び込んできて目を疑った。
そんなことになったら今までの全ての計算が狂う。
6年間ストレートで卒業してもお金が足りなくなるかもしれない。
3倍という案がそのまま通らなくても、6年で必要な額が200万とか増えるだけでも十分深刻な問題だ。今でも6年間の清貧を覚悟して臨んでるんだ。
そもそも子どものいる家庭だって、貧乏だけどたまたま子どもがすごく頭が良くて応援している、国立ならなんとか行かせられる、そんな家庭いくらでもあるんじゃないのか。
子どもの二次試験バッチリだったよ!ってLINEを家族全員で大喜びしてたのに、このニュースのせいでどうしようどうしようって困っている家庭が今、日本にたくさんあるんじゃないのか。
はてなでこんな事言うと上位受験生は金持ちばっかとか言われそうだが、地方医学部なんて特別な「課金」をされなくても狙える範囲の、地道に知識を積み重ねれば答えられる問題なんだ。
地域枠奨学金の入学後採用などを勧められるかもしれないが、診療科も勤務先も自由に選べないのは俺にとってかなり辛いことだ。
9年その地域に縛られるのはまだしも、そこに制限があると自分が目指している医師像から遠ざかってしまう。
別に金のために医者になりたいわけじゃない。俺なりの理想があって、俺なりの利他精神があって、社会にどういう風に貢献したいというのがある。
直美や自由診療なんて絶対にやらない。いくら待遇や「コスパ」とやらがよくても俺の理想はそこにはない。
上からお前は今足りないこの診療科から選べ、この僻地に何ヶ月行って次はこの病院で何年やれ、そんなことを何もかも指図されながらやりたいんじゃない。
俺が今までの人生で得た観点から、俺ならではの問題意識で医療に取り組みたいからわざわざ10年修行しなきゃいけない方向にキャリアを変更しようとしてるんだよ。
いや、100%正直に言えば、学歴コンプ解消みたいなのも10~20%くらいはあるかもしれないよ。そりゃね。
学歴なくて不便に思うこといっぱいあったしね。
でも偏差値が上だから偉いみたいなしょうもないマウント取りに使いたくて医学部に入りたいわけではない。
むしろたかが学力だけで人間に上も下もないだろと主張するために欲しいだけだ。
とにかく頼むから無闇に授業料いじらないでくれないか。高額療養費の変更にも疑問があるが、本当にそこからいじらないといけないのか?
・少し前に「看護師と結婚して10年目」というタイトルの匿名ダイアリー(すぐに削除されたので内容は読めなかった…残念)があり、タイトルに親近感を覚えたので、触発されて書いてみようと思った。
・これを書いてるのはとある地方の都市部の端っこに住むアラフォーのおっさん公務員(閑職)
・今の生活に満足
・みんな幸せに暮らせるといいな
昨日(もう一昨日か)、地元で成人式があった。地方だと成人の日(月曜日)ではなく日曜日に成人式を行うところもあるのだ。東京とかから帰省し、旧交を温めてまた戻っていく若者達への配慮だろう。
自分の住んでいる地域は、都市部だが辺境ということもあってか、まだ小学校単位で成人式を行えるような人口規模を保てていて、こぢんまりとしているが、その分アットホームな感じの成人式だ。
少し前に運命のいたずらで地元の自治会のメンバーになってしまい、今年の成人式にも参列することになったが、やっぱり40代から見る二十歳の若者というのは本当にまぶしい。エネルギーに満ち溢れている。
小学校を卒業して8年しか経っていないはずなのに、こんなに大きくなるもんなんだな…自分の子どもも、あと10年もすればこうなるのだろうか。今から晴着姿が楽しみだ。
妻とはマッチングアプリで出会ったが、当時はまだマッチングアプリで出会って結婚、というのがそれほど普及していなかった。職場でも「どこで知り合ったの?」と聞かれるとマッチングアプリで…とは言いづらかったので、合コンで知り合ったということにしていた。
看護師といっても診療科や勤務先(病院・クリニック・訪看etc.)によって勤務形態も大きく異なる。当たり前だけれども。詳細は伏せるが、妻は深夜勤はないが夜勤が週に1~2回のナースだ。
妻が夜勤の日以外は、家族全員で夕食を食べているのだが、それが一日で一番楽しい時間だ。家族みんなで、その日の出来事を、あーだこーだいいながら晩御飯を食べるのだ。
「今日、学校の給食がおいしくておかわりした」だとか「いつもはぶっきらぼうなあの患者が今日はなんか機嫌がよさそうだった」だとか、本当にとりとめもない話ばかりだ。
私は数年前に仕事で精神的に追い込まれて心身に異常をきたした。
だが早期にそれを察知した妻が、すぐに受診できる心療内科を探し、予約してくれたおかげで、比較的短期間で復職することができた。
そのことがなかったとしても、妻のことが大好きで心から愛していることには変わりないと思うが、その経験があったからこそ、家族の何気ない時間のかけがえのなさに気付くことができたとしみじみ思う。
ちなみに婚活、マッチングアプリについて言うなら、私はアプリに登録してかなり早期に今の妻と出会ったので、いわゆる婚活の大変さをほぼ経験しなかったのであまり参考にならないかもしれないが、
あえて言うとすれば「この人とは、肩ひじ張らず自然体の自分でいられるなあ」と3回目くらいのデートで確信したので、あとはそのまま機会を捉えて告白→婚約→結婚という感じだった。
今現在、婚活をしている人たちはいろいろな要素で悩む部分はあると思うが、そういう直感も大事かなと思う。
仕事では、完全に出世ルートを外れてしまって幾星霜だが、「この組織に貢献したい」という思いは変わらず持ち続けているので、この先どんなところに飛ばされたとしても、それなりにやりがいを見つけてやっていけるんじゃないかな、と思っている。
給料も世間一般で見ればよい水準だし、もう十分なのかなと思う。
かつては大好きで独身の頃に休日は一日中やっていたゲームも、もういいか…という気分になってきた。というか土曜日は子どもの習い事への送り迎えがあるし、日曜日は何かしら地域の活動が入っていたりで、趣味に打ち込める時間は正直ない。でも別にそれでいい。加齢とともに感受性は落ちてくるものなのだ。コンテンツをまっさらな気持ちで楽しめないとでも言おうか。
そんな私が今思うのは、自分の子ども世代が大人になったときに、幸せを感じられる世の中であってほしい、ということだ。
少子化に歯止めがかからず、日本全体がシュリンクしていくのは確定している。
残念だが、子どもを産み・育てていくことが、コストとしてばかり捉えられてしまっている。まあ経済合理性から判断すれば至極当然だが、とても残念だ。
それでも。