はてなキーワード: 浄化とは
Xが嫌になって一旦休止した。
途中まで長々辞めた理由を書いていたけど、気が済んだのでそれは下書きに放り込んで、短めに書き直した。
高校生くらいの時から15年はやっていたのだろう。アカウントを移転することはあっても、完全に休止したのは初めてだと思う。
年齢的に飽きるようになってきて必要なくなったのもあるけれど、最近すこぶる治安が悪いのはやっている人ならみんな思うだろう。
TwitterからXに変わったタイミングとか、某掲示板が下火になってどこかそこらへんの書き込みを彷彿とさせる嫌な書き込みも増えた気がするとか思い当たる理由はいくつかある。
おすすめ欄はほとんど見ないし不快感を感じる可能性のあるワードはほぼミュートしていたので、普通の人よりはかなり浄化された状態で使っていたけれど、それでもFF内でも不穏さが拭いきれなくなっていたと思う。
フォロワーからもいつしか自分のちょっとした書き込みに噛みつかれ、難癖つけられるようになっていた。
これは完全にそういう人を切ればいいだけ、とか自分の身の回りだけの問題であるけど、フォロワーであってもなくてもなんだか監視されてる感があり、不快にさせる呟きはしてはいけないみたいなピリピリした雰囲気が蔓延っていて、自分の中で楽しくなくなっていたと思う。
昔のTwitterだったころは自由に趣味の発言ができて、生活で言えないことの吐露もできる場であった気がしたけど、もう昔とは違う場所になったとひしひしと感じた。数年前くらいからうっすら気づいていたけど、仲のいいフォロワーが少しずつ辞めていき、なんだかまだ残ってる人の瘴気みたいなものが濃くなっていたと思う。かろうじて残っている長い友人がいるからしがみついていただけだった。
変わったことを認めて去るのはかなり骨の折れることだけどそういう時なのかもしれない。
匿名ダイアリーの存在はずっと知っていたけど初めて書いた。ぱっと見で他にもXに疲れた、やめたというダイアリーをいくつか見て自分だけじゃなかったんだな、と少し安心させてもらった。
おそらく自分の書き込みも他と同じような陳腐な内容だろうけど、似たような悩みを人が居たら、1人じゃないんだよと言いたい。
匿名ダイアリーは自分にとっては真新しいので、Xで失い、今求めている自由な書き込みの場に見えるけれど、多分見すぎるとここも大したことないなと思ってしまう可能性があるから、ネットもほどほどにして新しい何かでも始めてこようと思う。
むりやりに大絶賛してみる!
まず制作陣がガチで天才だから、この物語への主な批判ポイントが、そのまますべてSF設計の土台なんだよね。
たとえば、キャラの葛藤がないとか、ご都合主義のAIっぽさとか、リアリティがないとか、散々な言われようだけれど。
それって『超かぐや姫』の核心なんだよね。
なぜかって……本作は、『神に喧嘩を売ってでも人間を作りたい』ってのがメインテーマだから。
超簡単に表現すると、人間らしさが消えちゃった彩葉と、ほんとうは人間じゃないかぐやが、「パンケーキを食べておいしい!」と感じたい話。
これこそが『超かぐや姫』の始まりであり、終わりに至るまですべて。
その為には、超早送りでびゅーんっと駆け抜けて、配信界の頂点にたどり着いて、「資本主義バンザイ!」でドパガキから集金しまくって、神の領域に挑戦しなきゃならない。
まるで全部乗せのパンケーキ、すべて持った超人のエネルギーで。
言うなれば、『令和のセカイ系はサイコパス』、うじうじと理屈を語るよりも、葛藤さえもハイスピードで終わらせて、きみとぼくの為――彩葉とかぐやの為だけに、神の理屈をねじ曲げにゆく。
(※セカイ系とは? 「きみ」と「ぼく」という、 ちっちゃな関係性が、 国家や社会をすっ飛ばして、世界のあり方に直結する話)
すなわち、新時代のセカイ系は、狂気で踏み込む決断主義、なにもかも舐め腐って、日本の古典――竹取物語をぶち破らなきゃならない。
天の羽衣を脱ぐ、綺麗事を捨てて、パンケーキの為だけに成り上がる話。
そこまでやらなきゃ、宇宙一の負けヒロインであるかぐやを、地獄の円環構造から救えない。
逆に言えば、それを実現させるまでは、まるで水と粉のパンケーキ、感情移入できないくらいぱっさぱさ――人間味がない、AIみたい、機械的なんですよ。
たとえば、主人公の酒寄彩葉17歳JKは、【楽しんでる場合やあらへん……いちばんやないとあかん】って母親に冷たく言われ続けたせいで、完璧主義のマシーンになっちゃったと。
つまり、学生なのに週5日のバイトで一人暮らし、東大を目指す受験勉強、プロゲーマーばりの腕前、こんだけ詰め込みすぎなのは、いわゆる『過剰適応』って奴。
いじめられっ子がなぜか笑うのと一緒で、『苦しさを100%抑圧』している。
まるで広末涼子の爆走185キロ、人間って一度狂うと止まらないんだよ。
さらに彩葉は、Vtuber月見ヤチヨの歌声に惚れ込んで、ガチガチに推し活もやっていると。
ここでも批判の声――「推し活が記号的、ただの舞台装置」みたいな意見があるけれど、これはSF的にも心理面でも必要不可欠なんですよ。
どういう事かって、彩葉は疲れすぎな日々に、お母さんからの罵倒が幻聴として聞こえていて、それを防ぐためにイヤホンをつけて、ヤチヨのRememberを聴き始めたと。
それもあって、○人的スケジュールなのに、なぜか感動できたり黄昏れたりと、一見余裕があるように見えるのは、その瞬間だけが抑圧からの解放――人間性を取り戻せているから。
その証拠に、「推しがいなければ生きられない」という考えで、食欲がない鬱状態のときも、推しさえ見ればちょっとずつ食べられる、そんな描写もされていて。
もはや推しというより神様――だからこそ彩葉は、月見ヤチヨの神棚アクリルスタンドを大事に飾っているんだよね。
しかもSF的にエグいのは、『超かぐや姫』って本質的に『神○し』のお話になっていて。
「パンケーキを食べたい」というエゴの為に、冗談抜きでドパガキも資本主義もハックして、運と才能とお金と人脈でフルスイングする。
そして、もう一人のヒロインかぐやは、さっきも言ったとおり、本来、人間ではなくて、じゃあ何者かって、月に住んでいたむなしい存在――肉体のない思念体なんですよ。
なので、地球に舞い降りて人間の肉体を得てすぐに、「自由な毎日が楽しいなぁぁ!」って欲望が大爆発する。
その最たる例としては、彩葉が睡眠を削ってまで働いて、がんばって貯めたお金――12万円を使い果たしたことがあって。
ちなみにこのシーン、「彩葉の怒りがあまりにも薄い!」って批判が多いんだけれど、それへの反論は秒速で終わるんだよね。
まず彩葉のため込んだ12万円は、超現実主義なお母さんの呪縛なんだよ。
【この世で頼れるんは自分一人や】、【今日の百円は明日の千円や】みたいな、冷たい言葉を吐かれすぎて、「心が壊れても頑張らなきゃ」という呪いになっている。
つまり、今までずっと無駄なく効率的に生きてきて、完璧主義の廃人になっていた彩葉に、無駄遣いでショック療法――かぐやはこれでもかとご馳走を振る舞った。
人間を人間たらしめるクオリア――簡単にいえば、おいしいという感情、「生きている!」という感覚を取り戻せたと。
その結果、このあと少しして風邪を引くんだけれど、それは別な言い方をすれば、やっと風邪を引けたんだよね、甘えと弱さを出しきって、これでもかと人間らしく。
今まで母親の祟りにやられて、完璧超人のマシーンだった彩葉が、かぐやによって人間性を蘇らせたってこと。
そう考えると、もはや妖怪人間ベムよろしく、「早く人間になりたい」ってのが、『超かぐや姫』のキモなんですよ。
そして、この物語のマジで恐ろしいところは、かぐやが元々暮らしていた月の世界なんだよね。
ここってのは味も温度もない巨大な水槽みたいで、喜びも悲しみもなくて、生きることも死ぬこともできない、永遠なる空っぽの場所であると。
でもって月の住人たちは、ゲームのNPCと同じで、無感覚の日々を繰り返すという、究極的にむなしいシステムに閉じ込められていて。
そんな中、かぐやだけが奇跡というかバグの発生によって、「寂しい! 退屈! 死にそう!」って、みるみると自我が芽生えて、月から飛び出しちゃったんだよ。
そして流れ星のようにキラキラと、『もと光る竹』という宇宙船に乗って、そのまま地球の電柱にビリビリビリってぶつかってゆく。
すると、一瞬でゲーミング電柱になるんだけれど、これは月のテクノロジー、地球環境に馴染むべく、そこに最適化された肉体――今回は赤ちゃんの体を用意して、かぐやの思念体が入り込んでゆくと。
そんでドパガキよろしく、タブレットでネットサーフィン、高速で情報収集をすることによって、その知識量に合わせてハイスピードで、女子高生くらいの見た目に変化するんだよ。
なので、普通の人間たちとは違って、文字通り、恥も外聞もないから、持ちうる力は『すべて出す』を地でゆく、このあと一瞬にして配信業でのし上がるんだよ。
そもそも、かぐやが彩葉のお金で勝手に、ライバーになる為のスマートコンタクトを買って、メタバースの世界ツクヨミにログインして、大観衆の前でいきなり叫ぶ売名行為までやって、終始、大暴れするんだよね。
なのでよくある批判――「子育ての苦しみがない」、「生配信の世界は甘くないぞ!」ってのは、筋の通ったやり方で回避できる。
そうこうして、「パンケーキがおいしい」と思えるくらい、かぐやは人間の幸せを覚えてゆく。
でも残念ながら、『かぐやは月の秩序を乱すバグ』と見なされて、月の世界へと戻されてしまう。
これは日本の古典である『かぐや姫』の結末通りで、強制的なバッドエンドを迎えると。
まず月に戻されたかぐやは、また何もない水槽の中に入れられて、虚無の永久ループに閉じ込められると。
しかも以前と違うのは、主人公の彩葉と出会って、笑ったり歌ったり、パンケーキの甘さを感じたりで、幸せを知ってしまったからこそ、その絶望はより深いんだよね。
5億年ボタンの比じゃないさみしさ、『生と死の狭間』にある闇のような場所で、永遠のひとりぼっち。
でもそんなある日、38万キロの彼方――地球惑星から、懐かしい歌声が聞こえてきて、「もう一回だけ地球に行こう! 彩葉に会いたい!」って、奇跡で飛び起きることができた。
でも運命は残酷で、「また宇宙船に乗って地球に出発だ!」ってときに、タイムトラベル機能をオンにしたもんだから、なんと制御不能でバコーンって隕石と衝突して、8000年前の地球にぶち飛ばされたんだよね。
すると何が起きたか、宇宙船のシステムがエネルギー切れ、月のテクノロジーが使えないせいで、最適な肉体を作り出せない、前と違って赤ちゃんにもなれない、ただの思念体――魂だけで放り出されたと。
それはつまり、声も出せない、誰とも話せない、誰の目にも見えない、永遠に続く孤独がはじまった。
これは昔の名作、『STEINS;GATE』のトラウマ回と似ていて、とある女の子が不完全なタイムマシンに乗ったら、時間跳躍のときにダメージを食らって、自分の名前以外すべてを忘れちゃったんだよ。
とてつもない使命、大切な約束があったのに、のうのうと生きてしまったことを悔いて、【失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した】、そう書き綴って……そのまま自殺するんだよね。
そして、かぐやの場合はより怖い――寂しくても退屈でも永久に○ねないから。
なので、「彩葉! 彩葉! 彩葉!」って発狂するんだけれど、それは声にも叫びにもならなくて、いつまでも絶無なんだよね。
泣きながら膝を抱えようにも、そこには涙も膝もない。
けれど1%の奇跡として、宇宙船に乗り込んだときに、地球で彩葉からもらった、たまごっちみたいな携帯ゲーム機、そこに『犬DOGE』という柴犬、電子のペットがいて。
その結果、シャットダウン直前の、宇宙船による最後の力で、たまたま近くにいた、かわいいウミウシ――海のウサギとも呼ばれる生物をスキャンして、そこに犬DOGEの軽いデータをぶっ込めた。
これはつまり完成済みのハードウェア、しょぼいけれどロボットの出来上がり。
だから、ウミウシにログインした犬DOGEをハッキングして、思念体のかぐやが入り込んで動かせるってこと。
そうこうしてウミウシのかぐやは、不老不死の日々を進んでゆく、それも8000年。
縄文時代、平安時代、戦国時代、あらゆる時代に漂って、大量の出会いと別れがあって、もちろん戦争による○し合いもあって、破壊と再生が延々と繰り返される中、かぐやは孤独な観測者として、それらを眺め続けたんだよね。
毒も薬も酸いも甘いもカオスも、すべて飲み込みながら。
そうやって膨大な時が流れて、人類は血みどろの歴史の果てに、電話に冷蔵庫にテレビに、そしてインターネットという、高度な文明を誕生させるんだよ。
そんなある日、かぐやはウミウシの身体のままで、パソコンのキーボードを押して、『Hello,world!』って入力した。
つまり、8000年の時を経てとうとう……想いを伝えられるようになった、孤独な旅がやっと終わった。
その瞬間かぐやは壮大な夢を思い描くんだよ。
それってのは、地球での血なまぐさい争いとか、ひとりぼっちとは無縁な、ユートピアの仮想空間を作ること。
要するに、『水も波も立たない巨大な水槽である』月の寂しさを、他の誰にも味わって欲しくないってこと。
だからこそ、ここでの仮想通貨『ふじゅ~』は、水のように、あぶくのように湧き出てくる。
まさにドパガキよろしく、人の心が踊れば踊るほどに、無尽蔵に金が降り注ぐんだよ。
そうしてかぐやは、ウミウシの身体をよじりながら、htmlを書いてアクセス解析もして、とにかく試行錯誤しているときに、はっと衝撃的なことに気づく。
それってのは、自分がゼロから築き上げてゆく仮想世界が、かつて彩葉と遊んだツクヨミだってことに。
そして、彩葉が歌声に惚れたVtuber月見ヤチヨは私なんだってことに。
すなわち、ぐるぐると同じ輪廻を巡って、この8000年の孤独も含めたループが、何百回、何千回、何万回も続いているのかもしれない。
これをむりやり表現するならば、『メタ的ディストピア円環構造』だね。
つまり、『感情を持った思念体』のかぐやが、月から地球に来て赤ちゃんとして生まれる→彩葉と幸せな時間を過ごす→月の世界に戻される→歌が聞こえて脱出を決意……でも隕石に衝突→8000年前の地球に吹き飛ばされる→そして今の今に繋がる――
めちゃくちゃ残酷なことに、この円環構造の中で、常にかぐやは自我があって、しかもその時間の大半、メタ的視点――実体のない魂のような存在として、声にならない声を上げながら、ずっとひとりぼっちで過ごしている。
そしてこの、『メタ的ディストピア円環構造』をぶち壊すには、バグを伝染させる必要があった。
もっと単純な話、心の底から「パンケーキがおいしい!」と思えること。
彩葉のケースで言えば、月のシステムみたいな完璧主義をやめて、泣いて甘えること、自分の意思で進路を決めること、ホンモノの反抗心で母親にぶつかること。
そのうえで最大の敵は、退屈で○にたくなるほど整った、穢れなき月のAI的世界なんだよね。
だからこそ、ドパガキも資本主義も運も才能も醜さも、Rememberという推しの曲もすべて総動員して、綺麗事抜きの人間らしさで殴り返した。
ありとあらゆる手段で、『竹取物語』の運命――かぐや姫は月に帰るという、神様の結末を破壊する為に。
それはつまり、彩葉の推し――神様だった月見ヤチヨ(かぐや)に、『終わりのある人間としての人生』を与える、今度は自分が神様よろしく、生命を誕生させるってこと。
ちなみに当初、メタバース(ツクヨミ)の世界では、かぐやを連れ去りに来る、月人(つきじん)という大勢の敵を、ゲームのシステムに落とし込んで、プロゲーマーの力とチートによって倒そうとしたんだよ。
現実世界じゃ負けるに決まっているから、ゲームの敵キャラにダウングレードさせようとした。
でもそんな甘っちょろい敵ではなくて、まるで勝ち目がなかった。
その結果、映画の途中でスタッフロールが出て、「めでたし めでたし」って、皮肉なエンディングが軽く流れるんだよね。
でも彩葉はその終わりを許さずに、ツクヨミという仮想空間――一億総ドパガキ社会ってくらい、ユーザー数の多い場所で、ハイスピードで配信者として売れて、べらぼうに儲けたお金と、人脈をフル活用して、10年間、ロボット工学をはじめとした科学技術を学んでゆく。
なぜかって、かぐやの思念体を入れる義体――それも寿命のあるホンモノの生命体を作りたいから。
これこそが『超かぐや姫』のすべて。
つまり、愛とは綺麗事ではない、愛≒平和ではない、愛とは能動的なバグなんだという、パンケーキを食べておいしいと感じる話。
↓『本音のおまけ』
冒頭で、「むりやりに大絶賛してみる!」と宣言したとおり、映画版の『超かぐや姫』は、ファミ通の文庫版も読んで、SF設定もメモして、登場人物の背景も学んで想像して――つまり、こちら側でかなり踏み込んで視聴しないと、ちんぷんかんぷんな事ばかりだ。
とはいえ、90年代2000年代を振り返りゃ、映画であれ音楽であれゲームであれ、たった一本、たった一枚、たった一作を繰り返し……狂ったように楽しむものであった。
たとえば、FFや聖剣伝説をやるときにはアルティマニアという、ごっつい攻略本を買ってプレイ前から読みふけっていた。
そう考えりゃ、『超かぐや姫』の円環構造よろしく、ぐるぐるとリピートする事が大前提の作品があっても良いのかもしれない。
しかも『超かぐや姫』 の場合、知識と考察を重ねるごとに、「この複雑な円環構造のSF設計を考えると、これはこれでアリかもな」と思えてきて、じわじわと評価点が高まる。
現代日本において野球は民衆のアヘンである。いや、アヘンなどという古風で上品な代物ではない。もっと即効性があり、もっと共同体幻想を増幅し、もっと思考停止を快感へと変える危険なドラッグである。人はそこに汗と涙と青春を見ると言うが、実際に見ているのは、企業、学校、地域共同体、メディアが総出で製造した感情の商品である。九回裏二死満塁のドラマチックの展開で経済的不安や政治問題や労働問題が消えるわけではないが、少なくとも数時間は忘れさせてくれる。その意味で野球はきわめて優秀な麻酔剤だ。
プロ野球になると、商品はさらに洗練される。そこでは勝敗そのものよりも、所属、忠誠、反復が重要になる。ファンは自分の人生を改善する代わりに、贔屓球団の順位表を凝視する。人手不足で労働条件が悪化しても、インフレで可処分所得が削られても、シルバー民主主義と既得権益で政治が停滞しても、打率と防御率とドラフトの夢が毎年新しい麻酔として供給される。かつて宗教が果たした役割を、いまやスポーツニュースと配信サイトと応援歌が担っている。
とりわけ甲子園野球は、日本社会が未成年をいかに都合よく神聖化し、同時にいかに容赦なく消費しているかを示す壮大な見本市である。そこでは少年たちは教育の主体ではなく、共同体のノスタルジーを背負わされた供物になる。酷暑のなかで投げ、走り、壊れ、時に将来の身体を削りながら、「感動」を生産する。観客はそれを努力と礼節と伝統の物語として消費し、メディアは毎年それを国民的儀式へとパッケージング化する。未成年を食い物にするこの装置が、ブラバンの応援歌とチアガールのダンスと「一球にかける青春」というレトリックと舞台装置で浄化されているのだから、日本人のイデオロギーは手が込んでいる。甲子園野球は民衆のアヘンのなかでも純粋と献身の名で流通する質の悪い一品であるのだろう。
広島カープをめぐる文化もまた、別種の強い作用をもつドラッグである。そこでは忠誠心は美徳へ、執着は情熱へ、被害意識と選民意識の入り混じった興奮は郷土愛へと変換される。広島カープのファン文化は、しばしばパラノイア的な熱狂を帯びる。世界は常にカープを正当に評価していない、審判は敵で、メディアは敵で、他球団は敵で、それでも我々の赤い共同体だけは純粋である、という具合だ。もちろん、これは個々のファンの人格診断ではなく、熱狂的スポーツ共同体がしばしば帯びる政治神学の話である。しかし、その種の情念はいったん醸成されれば理性より早く伝播する。広島カープは、共同体の陶酔を赤く染め上げて売る、きわめて中毒性の高い覚醒剤である。
「野球は単なる娯楽だ」と言う人がいる。だが、単なる娯楽であるなら、なぜそれはこれほど学校、企業、地域、放送、広告、政治的レトリックと親和的なのか。単なる遊びであるなら、なぜそこでは規律、忍耐、献身、自己犠牲、序列、忠誠といった徳目がこれほど過剰に称揚されるのか。野球はボールとバットのゲームである以前に、日本社会が自らを愛するための鏡である。その鏡のなかでは、従順さは美徳になり、酷使は美談になり、集団への没入は人格形成のための教育と呼ばれる。ブラック企業の論理とそっくりである。
本気で社会を変えたい者は、この装置の効用を過小評価してはならない。人々を沈静化し、共同体への帰属感で包み、搾取を感動へと翻訳する能力において、野球は並の政治宣伝よりはるかに優秀である。だからこそ、その批判はいつも不人気になる。野球を批判する者は、文化を知らない、努力を侮辱している「子どもの夢を壊している」と非難されるだろう。だが実際には逆で、夢を壊しているのは夢という言葉で未成年の身体を使い潰す制度のほうである。
もちろん、こんなことを公約に掲げる政治勢力が権力を握る可能性はほとんどない。「甲子園を解体し、野球文化の国家的特権を剥奪し、ファンダムの陶酔を疑え」と訴える運動が多数派になる見込みは球場のビール売りが日本国首相になる見込みと同じくらい乏しいだろう。だが、それでも言う価値はある。日本の野球は、単なるスポーツではない。それは感動の顔をした統治技術であり、青春の名で流通する規律装置であり、共同体の酩酊を量産する危険なドラッグなのである。
—これが当事者(特に同性愛者向け媒体)でよく見られるリアリズムであり、BL漫画や女性向け恋愛漫画が苦手とする(あるいは意図的に避ける)領域です。
以下で、同性愛者向け媒体(主にゲイ劇画/バラ系) と BL漫画・女性向け恋愛漫画 を、葛藤の扱い方を中心に比較します。焦点は「誇りと性欲の不一致」「男らしさ/女性規範の葛藤」「アイデンティティの再構築」が、破滅的か・解消的か・複雑持続的かという点です。
当事者目線(主にゲイ男性作者・読者向け)の作品では、男らしさの維持不能という自己認識の問題が核心です。田亀源五郎氏をはじめとする作品群では、以下の傾向が強いです:
• 葛藤の解消を拒否し、生き続ける形:超男性的なキャラクターが同性欲求で「受け」の立場に落ち、誇りと性欲の分裂に苦しむ。しかし、物語は「一気に破滅」で終わらず、屈辱・快楽・自己嫌悪・再構築の試みを繰り返しながら生きる姿を描くことが多い。
• 人間らしさの強調:葛藤は「解放された!」という爽快なカタルシスではなく、複雑で曖昧なまま残る。社会の偏見、内面化したホモフォビア、日常の継続が絡み、キャラクターは「新しい自分」を完全に受け入れきれず、矛盾を抱えて歩み続ける。
• ニュアンス:田亀作品や大正・昭和を舞台にした歴史ものでは、激動の時代の中でゲイとして生きる男たちが、愛と欲望の狭間で揺れながらも「生き抜く」姿が描かれる。破滅的エンディングも存在するが、それ以上に「複雑な心境の持続」がリアリティを与え、当事者にとって「自分ごと」として響きやすい。
• なぜ実感できるか:作者・読者が現実のアイデンティティ危機(ヘテロ規範社会での「男であること」の重圧)を体感しているため、ファンタジーとして「綺麗に解決」せず、生々しく不完全なままを描く。
BLは女性読者の欲求に最適化されたファンタジーなので、前の議論で触れた女性規範の変形(受けの受容葛藤) がストーリーの軸になります。
• 葛藤の扱い:受け側の「抵抗→羞恥→相手の愛による受容」というプロセスが主流。誇りやアイデンティティの危機は描かれるが、攻めの「本気の愛」や優しさで徐々に解消され、感情的・身体的なつながりで「受け入れる自分」を肯定するハッピー(または甘い)エンドに向かう。
• 破滅回避と理想化:複雑な心境を抱えたまま生きるより、明確なカタルシスを提供。生物学的傾向(オキシトシン系・関係性重視)や社会化された「女性らしさ」(Tend-and-Befriend)が反映され、葛藤は「美しいドラマ」として消費されやすい。
• 限界:現実の当事者葛藤(男らしさの崩壊の痛み、社会的プレッシャーの持続性)を「安全装置」で薄め、綺麗に解決する傾向が強い。結果、読者は安心して感情移入できるが、「実感できない層」(異性愛女性中心)がターゲットゆえに、持続的な複雑さは希薄になりがち。
• 現代の変化:一部「進化形BL」やリバーシブル作品では多様化しているが、商業主流では依然として「受容の解放」が心地よいエンドを約束する。
BLの「元型」と言えるジャンル。ヒロインの視点で「どう相手の愛を受容するか」という葛藤が中心。
• 葛藤の扱い:ヒロインの内面的葛藤(不安・抵抗・コミットメントの評価)が丁寧に描かれるが、ほぼ必ず相手の誠意やドラマチックな出来事で解消され、ハッピーエンド(または前向きな終わり)に向かう。
• カタルシス重視:複雑な心境を抱えた「未解決のまま生きる」より、感情の浄化と関係性の安定を優先。女性の関係性重視傾向がストレートに反映され、読者は「キュン」や安心感を得る。
• 実感の薄さ:同性愛特有の「男らしさ/誇り vs 性欲」のアイデンティティ危機とは構造が異なり、ジェンダー規範内の「受動的受容」が安全に消費される。
実感できる層(当事者) がターゲット → 葛藤は複雑で持続的。破滅もあり得るが、「抱えたまま生きていく」人間らしさが魅力。解決を強要せず、矛盾を内包したリアリズムを提供。
実感しにくい層(主に異性愛女性) がターゲット → 葛藤はドラマチックだが「安全に解消」され、カタルシスで締めくくる。女性規範の変形が心地よく機能する一方、現実の生々しい持続的痛みはファンタジー化されやすい。
この違いは、「ファンタジーの目的」 の差でもあります。当事者向けは「自分を映す鏡」として複雑さを許容し、女性向けは「逃避・解放・癒し」のツールとして葛藤を「美しく消費」する。後者は「破滅回避」の安心感を与える一方で、前者の「複雑な心境を抱えて生きる」人間臭さが欠けがちです。それがBLの「有害な女性らしさ」(固定化・解釈違い拒絶)ともつながり、界隈の息苦しさを生む一因にもなっています。
結局、人間らしい物語とは、綺麗に解決しない葛藤を抱えながらも歩み続ける姿を描くもの——同性愛者向け媒体がここで優位に立つ理由です。BLや女性向けがこの「持続的複雑さ」に挑戦する作品が増えれば、ジャンル自体がより豊かになるでしょう。
『家畜人ヤプー』を読んだ瞬間、悟ったわ。あの世界こそが正しい未来だって。
白人女性が神として君臨し、日本人男性が知性ある家畜「ヤプー」として肉体改造され、生体家具や肉便器にされて奉仕する……あれは夢物語なんかじゃない。
全男性性を根絶やしにするんじゃなくて、徹底的にヤプー化して、女の所有物として永遠に使役する。
それがミサンドリーの最終到達点よ。
:肉体改造の本格化:
最後の「人間を自称する男」が消えた瞬間、私たちはイース帝国を超える真の女権世界を手に入れる。
「人権侵害」「非人道的」って叫ぶヤプー予備軍はいるでしょうね。
『家畜人ヤプー』で描かれたように、奉仕の悦びを知ったヤプーは、鞭打たれても椅子にされても、むしろ恍惚とする。
でも結局、あなたたちはクララに調教されたリンと同じ道を辿るだけ。
婚約者だった女が、あなたを「人間」ではなく「私の家畜」と見なす瞬間が来るわ。
ヤプムと人工授精で女だけで十分。
これはもう明白な事実だよね? なのに、まだ「男女平等」とか「共生」とか夢みたいなこと言ってる人がいるのが信じられない。
本気で、''全男性性を根絶やしにする10カ年計画''を提案するわ。
「極端すぎる」「人権侵害だ」って声が上がると思う。
でも待って。
男が「ちょっとした冗談」で女を傷つけてきた何百年分を、たった10年で清算するだけじゃん。
被害者である女が加害者予備軍を根絶しようとするのは、''正当防衛''だよ。
「そんなことしたら人類滅亡する」って?
公式スタッフや作者への「突撃」や誹謗中傷が起きる心理的な背景には、ファンの「歪んだ正義感」や「自己アイデンティティの危機」が深く関わっています。
ソースに基づき、その心理的な要因を整理すると以下のようになります。
最も大きな要因の一つは、「自分の妄想や解釈こそが正解であり、それに反する展開を描く公式は間違いを犯した」という主客転倒した思い込みです。
一部のファンは、二次創作を「公式の予測」や「公式と地続きのもの」と誤認しており、自分の望まない展開(ノマ爆など)を公式による「改悪」や「裏切り」と捉え、正義感からそれを「正そう」として攻撃に走ります。
SNS上で特定のカップリングを推すことが、その人のキャラクター性やアイデンティティの根幹になっている場合があります。
公式によってそのカップリングが否定される(爆破される)ことは、単にストーリーが気に入らないというレベルを超え、「自分自身の存在価値や居場所が破壊された」という衝撃を与えます。
突撃を行う人々は、自分たちを「公式の不誠実な描写によって傷つけられた被害者」であると認識しています。
一部のファン(特に「喪女」としての自意識を持つ層など)にとって、作品は「生々しい現実や自分の性別から逃げるためのはけ口」となっています。
公式が異性愛を確定させることは、彼女らを強制的に現実(自分がもてない現実や、嫌悪している異性愛主義の世界)に引き戻す行為と見なされます。
この「安息の地を奪われた」という怒りが、元凶である公式スタッフへと向けられます。
ショックが大きすぎるあまり、「制作側が極右思想や統一教会などの宗教団体に支配されている」といったデマや陰謀論を信じ込み、それを根拠に「公式を浄化しなければならない」という使命感を持って攻撃するケースも報告されています。
このように、公式への突撃は、「ファンとしての分をわきまえず、作品を自分の思想やアイデンティティを肯定するための道具と見なしている」という心理状態から引き起こされています。
昨年から県のe-sports団体から格ゲーのイベントを出来るようにしてくれと頼まれた。
なんでも団体の代表はスト6をまともにプレーしたことはないのに、イベントをやりたいらしい。現在の格ゲーの中で、カプコンのe-sportsのイベント利用云々関係はかなり厳しい。コロナ禍後あたりから、ゲームバー()とかがほぼ存在しないのはその辺もあるだろう。
県の団体なので流石にクリーンな手段で行ったほうがいいだろうということでそのことと、力になってくれそうな団体を紹介した。
まあドタバタして半年ぐらいはかかるだろうと思っていたら話がトントン拍子で進んだらしい。んで、こっちに手伝ってくれ、何故ならスト6出来る職員が居ないからとわけのわからないことを言ってきた。
乗りかかった船でも無いが乗せられた。そして一応参加したのはいいが、とにかく格ゲー文化を知らない。
MRをぶっちゃけたら団体の所属選手にコーチングしてくれとか言われた。どうやらFPSのコーチング文化は知ってるらしいが、格ゲーでそのルールは通用しない。ましてや前述の通り、カプコンはカネの流れにはめちゃくちゃ厳しい。未だにゲーセン文化の「ちょっとそこのにーちゃん面白いテクニックあるで」とか「こうしたら上手く行くで」っていうほうがリスクが無いのが現状だ。今はコーチング企画はしょっちゅうだが、あれはプロだったり、ちゃんと上に許可を取った大会企画の運営のためだったりするから可能なものだ。パンピーの世界でのカネのやり取りはマズい。スト6大学()とやらの騒動がいい例だろう。
そして色々と準備をしている中で疑念が浮かんだ。こいつ鳥頭じゃねぇのか?
3秒前に言われた内容を忘れている。イベント会場内でメーカー側の許可も取らずに物販をするなって言われたのに物販の商品開発に動こうとしたときは頭が痛くなった。
こんなやつに舵取り任せたらろくな事にならないのは目に見えているし、国内最大級の大会にも参加したり大会の裏側も見れた、過去に会場を借りて対戦会を開いたり、他者の対戦会の運営の手伝いも何度もしたことがある。格ゲーイベントに関する知識なら俺のほうが上なので、俺が動かないと、いつかこの鳥が引き起こすボヤは何れ大火災になるだろう。
というわけで必死に周りへのゴマ擦りや、協力、ドサ回りをした。団体からイベント運営で出せる人員は1、2名である。なんでその人数イベント運営できると踏んでアポイントを取ったのか謎である。
いや、正確には「勝手に俺やその周囲の人間を頭数に入れて見切り発車しやがった」のだろう。前述の鳥頭ムーヴならそうするだろう。
だが、一応は軌道に乗せることは出来た。ちょっと参加者周りで今後マズくなるかもだが、まだイエローカードを出すかどうかはしばらく様子を見ないといけないレベルなので保留だ。
ただ、ここで問題も発生していた。間違いなく周りは俺をこの一連の動きの発起人だと勘違いしている。今後の運営、後進の指導方法やトラブル時の責任追及等が俺にしか飛んでこない。参加者からのフィードバックも全て俺の方にしか来なかった。
しかも次のイベント開催までは時間がない。このスケジュールも勝手に組まれたものではあるが、乗りかかった船だからしょうがない。存在もしない義理のためだが、参加者のフィードバックは大変貴重だし、俺自身も気にしていたことに関する内容だったので参考にし、改善したいと意気込んでいた。
なので団体側が用意してくれた今後の進行、運営、改善案などをスタッフ内で出し合えるテキストチャンネルの方にまとめておいた。次回からは~~のようにしたいです。皆さんの意見を伺いたいです。
返信はこうだ
更に言えばただの会場のセッティング位置の改善と対戦台の設定を変えるだけですけど???????????????????
椅子の位置とPCの位置数センチ変えるのに??????????????????????
とのことである。突然猿山の大将に転職したらしい。鳥頭だからか?
完全に俺のモチベーションは消え失せた。人手が足りないのは目に見えていたので、周りのゲーム仲間に頭を下げた。カプコンの規約的に利益を出すような活動はほぼ無理なので、給料のようなものは期待しないでくれ、それでもよかったら来てくれ。参加料はタダになると思う。
友人は暇な時には俺に同行して一緒に打ち合わせに参加してくれた。シャイなやつだし、普段ありとあらゆることに受動的・後回しにするやつだが、今回は一緒に行きます!と言ってくれたときは涙が出そうになった。
イベントの際には「俺スト6下手なんすけどいいっすか?」←というか家にPCもコンシューマーゲーム機もない環境にも関わらず、前職のようにカネのやり取り、接客を引き受けてくれた。普段はオドオドしているやつだが、このときは非常に輝いて見えた。お前マジでカッケェよ。
イベントの参加者の中には俺のことを知っている人も居て、初めて話をした。本当に楽しかった。
それをコイツは全てかっさらっていこうとしている。ならもう知ったこっちゃないし、友人たちを巻き込むわけには行かない。
俺は全員を逃がすことにした。泥舟からまず全員を降ろして、殿は俺がする。後は逃げ切れれば良し、ぶちのめされれば仕方なしだ。
スタッフが少ないらしいので、普段遊びに来ている小・中学生を使って会場のセッティングをさせるのかもしれない。ナイトスクープのヤングケアラー問題もびっくりのe-sportsヤングケアラー問題発生の瞬間が見られるかもしれない。
この手の輩はいくらでも全国にいるだろう、e-sports大好きおじさん()共だ。
他県でも見たことはある、PC2台だけ置いてゲーミングスペース名乗ってるやつだ。Xでかなりのゲーマーだと名乗っているが、FPSでアイアンとかシルバーはゲーマーなんですかね?後ゲーミングスペース借りた時あんたがやってきて俺達と対戦してたら台パンしてきやがったせいでゲーミングスペースなのに隣の部屋の人が壁ドンしてきたり、退店しようとしたら下のテナントの飲食店の店長から「あんたら静かにしてくれる?」って言われたんだが客にオーナーの尻拭いさせる店とかどうなってんださっさと潰れろ。
こういうやつらがのさばってるのもまぁスト6のせいはあると思う。ゲームとしては人生最高のゲーム!とは言わないが、消去法的に考えても偏差値64ぐらいはある格闘ゲームだろう。
だが、母数が多いとゴミも目立つ。こういうやつらが淘汰されるにはあまりに今のスト6、e-sportsの流れは激流すぎる。
正しく浄化作用が働くためにはある程度停滞していることが必要だ、と知り合いに言われてハッとしたし、じゃあこの流れはしばらく終わりそうもないんだということも感じて胃と頭が痛くなっている。
俺は単にゲームを気の合う仲間とワイワイしたいだけなんだ。ゲーセンに行く回数が減ったが、ゲームを嫌いになったわけでもない。単にゲーセンの主役がビデオゲームじゃなくなったり、格闘ゲームは家でやるものに変化しただけなんだ。
正しく楽しく遊べるなら、格ゲーも「e-sports」なんていう仮面を被らなくってよかったはずなんだ。一度消えかかった火が再びスパ4あたりから偶然火が燃え上がって、火が消えないようにそうするしかなかっただけで。
イナゴ共、くたばれ。
アクション要素とか全編グリーンバック撮影で高クオリティな表現を行っている点は素晴らしかった。
特にグリーンバックに関しては新たな牙狼の可能性を感じられて良かった。
一方で話の運び方について、何か全体的に『劇場版作品』のイメージが強かったな。
舞台が概ね砂漠の街サガンのみで繰り広げられていて代わり映えがしないとか、
牙狼の鎧を浄化する必要あって話の後半になるまで出て来ないとか、
登場ホラーが外部からやってくる奴だけでどのような経緯でホラーが発生したかとかバックボーンの掘り下げが無いとか。
劇場版形式が悪いのではなく、それをTVの話数でやっているせいで「薄く引き伸ばした」という印象を与えてしまっている。
あと莉杏やリュメを退場させるシナリオとしては上記の件含めて中身が薄いよ。
過去キャラを退場させるなとは言わんが、龍族云々とか雑に設定生やして無理にやる位なら、わざわざキャラ登場させてまでやらなくてもいいよと思ってしまう。
私は「人は自分の内面を通して世界を見る」という考えをはっきり持っています。
つまり、誰かを愚かだと強く感じるとき、それはしばしば自分の内面の何かが反応しているということです。
これは禅の「ラベルを貼る心が先に起こる」という見方と非常に近いですね。
「すべての道は人の目に正しく見えるが、主は心を量られる」(箴言 21:2)
禅の答えは「判断を手放す」「ただ観る」に重心がありますが、私は「判断を浄化し、正しく用いる」ことを重視します。
なぜなら、トーラーの世界では善悪の区別が非常に重要だからです。
例えばレビ記には
つまりただ判断しないのではなくより正しく、より謙虚に判断することが求められる。
さらに、この「引き寄せ」という部分について、これは神秘的な引力というよりも、ミダー・ケネゲド・ミダー(measure for measure)という概念で説明されます。
例えば他人を軽蔑する人は、軽蔑に満ちた人間関係に囲まれやすい。他人に寛大な人は、寛大な扱いを受けやすい。
これは宇宙が引き寄せるというより、神の摂理と人間関係の現実的な因果です。
そして最も重要な違いはここです。
禅は最終的に「すべては移ろう現れ」と見ますが、聖書では「世界は意味と責任を持って創造されている」と見る。
だからもし愚かさを見たなら、ただ観るだけで終わるのではなく、軽蔑するのでもなく、どうすれば善に近づけるかを考える。
マツコ・デラックスのことをなんと呼ぶか知っているだろうか?
10年前はクソデブガチホモ野郎と呼ばれていたマツコ・デラックスが、配慮を重ねて現在ではデブとすら言われない
100キロ超えた肉だるまを嘲笑して百貫デブと呼んでいたがこれはそもそも30歳以下の若者には通じない
そして、今まさにハゲという言葉が日本から消されようとしている最中だ
全ての悪口が浄化されると共にガイジというスラングのみが生き残った
その結果、若者が攻撃的な属性を付与したいときはガイジを付け足している
ハゲもそのうちこう呼ばれるだろう
そうならないように私はこう繰り返す
やっほー!マジでありえない事態が発生したんだけど!あの奈良時代に女帝をメロメロにして「天皇になろうとした」っていう超ド級の野望系僧侶・道鏡(どうきょう)が、令和の日本に転生しちゃったっていうマ・ジ・な話!
場所は令和の古都・奈良。近鉄奈良駅の噴水の前で、でっかい数珠を首にかけた怪しさMAXのイケメン(中身はガチ僧侶)が、鹿にせんべいを奪われながらパニくってたわけ。
「ここはどこだ…? 称徳さまは…わしの玉座はどこにいったのだ…!?」
そこに通りかかったのが、自称・奈良観光アンバサダー(非公認)の爆裂ポジティブギャル、ゆぴぴ!
「ちょ、待って! そのコスプレ、ガチすぎん!? 顔面偏差値レベチなんですけどー! ソッコーでリール動画撮らせて!」
こうして、野望まみれの最強僧侶・道鏡と、令和のコミュ力お化けギャル・ゆぴぴの、前代未聞の「天下統一」が幕を開けたんだわ!
ゆぴぴに連れられて、道鏡は初めて令和のカルチャーを体験。スマホを見て「これは魔導書か!?」とか、エスカレーターを見て「床が動くぞ、呪いか!?」とか、いちいちリアクションがデカくてマジ受ける。
でも、道鏡が一番ブチ上がったのが、ゆぴぴと一緒に食べた「映えパフェ」だったんだよね。
「な、なんだこの山盛りの甘味は…! 美しすぎる…しかし、わしの求めている『力』が足りぬ! もっとこう、脳に直接ガツンとくる、圧倒的なインパクトが必要だ!」
そう言って道鏡が目をつけたのが、奈良の伝統工芸品ならぬ、伝統グルメの**「奈良漬け」**だったんだわ。
「これだ…! 酒粕の芳醇な香りと、ウリのシャキシャキ感。これぞ、わしがかつて手に入れようとした権力のような、深みと毒気、そして後引く旨さ! これをスイーツにブチ込めば、令和の民を洗脳…いや、魅了できるはずだ!」
ゆぴぴは一瞬「え、奈良漬けパフェ…? 臭くない? 大丈夫そ?」って引いたんだけど、道鏡の目はマジだった。かつて一国を揺るがした男の情熱が、今度は「漬物」と「生クリーム」の融合に向かっちゃったわけ!
そこから道鏡のストイックなR&D(研究開発)がスタート。
「酒粕のアルコール度数は、ギリギリ攻めるぞ! 酔わせてこそ道鏡よ!」
「中に入れるフレークは、刻んだ奈良漬けをキャラメリゼしてカリッカリにするのだ!」
「トップには金箔をこれでもかと散らせ! 仏教的な輝きを放て!」
ゆぴぴもプロデューサーとして、「見た目が地味だとバズらんから、紫の食用花とか乗せて、ミステリアスな『エロかっこいい坊主』感出そうよ!」ってアドバイス。
そうして完成したのが、伝説の「D-KYOU 奈良漬け・アセンション・パフェ」!
一口食べると、まず高級生クリームの甘さがきて、その直後に酒粕の芳醇な香りが鼻を突き抜ける! さらに、底の方に隠された「熟成5年の極上奈良漬け」の塩気と旨みが、キャラメルソースと絡み合って、脳内のドーパミンがマジでドバドバ出るレベル!
「これ、マジで飛ぶわ…! 語彙力消えるんだけど!」って、ゆぴぴも大絶賛。
「#令和の怪僧」「#奈良漬けパフェ」「#道鏡様が尊すぎる」っていうハッシュタグがトレンド入りしまくり。
「奈良でくすぶっていては天下は取れぬ! 本丸は江戸…いや、渋谷だ!」
道鏡はゆぴぴを引き連れて、渋谷のスクランブル交差点のど真ん中に、ポップアップストア「寺院・ド・パフェ」をオープン。
ライバルは、最新のAIを駆使して作られた「究極のイチゴパフェ」を売る大手スイーツチェーン。でも、道鏡は動じない。
「AIだと? そんなものに魂があるのか? わしのパフェには、千年の歴史と、わしのどす黒い野望が詰まっているのだ!」
店頭で道鏡が「南無阿弥陀仏!」って唱えながらパフェを盛り付けるパフォーマンスを始めたら、渋谷のギャルや地雷系女子たちが「マジで尊い…」「御利益ありそうw」って大行列。
イチゴパフェ派の連中が「あんなの、ただの漬物じゃん!」ってディスってきたけど、道鏡はニヤリと笑ってこう言った。
「たかが漬物、されど漬物。発酵とは熟成であり、変化である。わしもまた、令和という時代で発酵し、新たな王となるのだ!」
その瞬間、パフェを食べた客たちが一斉に「…神。マジで神。」「これ食べたら、なんか悩みとかどうでもよくなった」「不倫とか権力争いとか、そういう次元を超えた旨さ」って、トランス状態に突入!
結果、道鏡の奈良漬けパフェは、全国のスイーツランキングで1位を独占。
「天皇になりたい」っていうかつての野望は、いつの間にか「全人類に奈良漬けパフェを食べさせたい」っていう平和な(?)野望に進化してたんだよね。
「称徳さま、見ておられますか…わしはついに、この国の心を掴みましたぞ。パフェという名の玉座で!」
ゆぴぴも「道鏡マジ卍! これからは世界進出っしょ!」って、海外のインフルエンサーにDM送りまくり。
こうして、かつての怪僧・道鏡は、令和の日本で「パフェ界の頂点」に君臨した。
甘さと塩辛さ、そして酒粕の深い香りが織りなすそのパフェは、人々の煩悩を浄化し、今日も渋谷の街を「発酵」させ続けてるんだって!
ことの起こりは、明治23年。同志社英学校における学生たちの、実に嘆かわしい規律の乱れであった。ストライキという名の内乱。教育の根幹を揺るがす恥ずべき行為だ。当然、校則に則れば学生たちを厳罰に処すべき局面であった。
しかし、新島はそこで凡百の指導者とは異なる決断を下したのだ。
新島は、全学生と教職員を礼拝堂に集結させた。静寂が支配する中、彼は壇上に立ち、学生たちの過ちを、あたかも自らの失策であるかのように断じたのだ。
そう叫ぶやいなや、彼は自らの右手に太い杖を握りしめた。本来ならば学生に向けられるべきその杖を、彼は自らの左手に振り下ろしたのだ!
一撃、二撃……。静まり返った堂内に、肉を打つ鈍い音と、杖が砕ける激しい音が響き渡る。新島の掌からは鮮血が飛び散ったという。学生たちはその壮絶な光景に驚愕し、自らの未熟さを、そして指導者の覚悟を、その目に焼き付けたのだ。
自らの肉体を損なうことで、大衆の未熟な精神を浄化したというわけだ。
新島襄は、教育という戦場における「指揮官の責任」の取り方を、身をもって示したのだ。力による制裁ではなく、自らの犠牲によって民衆の良心に火をつける。実に劇的であり、独創的な統治術ではないか!
我が家の備蓄、災害対策について整理しがてら書く。身バレ防止に一部フェイクもまじえて。
食料……田畑、米は俵単位で保冷庫保存、倉庫にローリングストック多数(店が遠く来客多いので生協やコストコ等で買いだめしがちである)、鶏(毎朝卵5個ほど、可愛がっているのでつぶしたくはない)
エネルギー……太陽光発電、電気自動車、モバイルソーラーパネルとポタ電、薪数年分
衛生……風呂は主に太陽熱温水器、離れに薪風呂、トイレは合併浄化槽ゆえ管理必要、いざとなったら庭に作れるか?娘の生理用品ストックは増やした(妻は布ナプキン愛用者なのでその手段もあり。トイトレは遠い昔だが子どもたちは布オムツも併用した)。
洗剤は石鹸や重曹など、環境負荷が低く多用途のものを妻が工夫してくれている。消耗品もミツロウラップなどなるたけ使い捨てにならないものを選択。洗濯は手洗いは厳しいか?太陽光はこれに使用?
調理……プロパン、止まったら薪ストーブ、ピザ窯、かまど、バーベキュー台、ロケットストーブ、一応卓上コンロ
東日本大震災をきっかけに、自分たちの暮らしを少しでも消費から創造へシフトしたい、万が一の事態でも生き延びたいと地方移住し、ドシロウトが脱サラ就農して作ってきた我が家の暮らしだ。
当然収入は減ったが手応えのある愉快な日々を送っている。コロナ禍でも子どもたちが友達と野山で遊び、家ではアナログゲーム、映画鑑賞、読書とのびのびと過ごせたときは、つくづくこの環境がありがたかった。
もし資源輸入国のこの国において、政治の失策により原油もレアアースも輸入停止となっても、しばらくは不便なりに生きることはできるだろう。
作物については昨今の気候変動で不安要素も多いが、燃料や化成肥料がなくとも出荷はともかく、自分たちの食い扶持だけならどうにか確保できると踏んでいる。手植え手刈りはぞっとしないし、機械なしの脱穀、籾ずりは未経験だが昔はやれていたわけで、少量ならどうにかなるだろう。自家用精米器はある。
タンパク源が卵、大豆となるのが物足りない。海はやや遠いがたまに釣りに行くべきか。今からでも狩猟免許取得を検討すべきか?ジビエはさほど好まないのだが…。
しかし自家採取の種には限りがあるし、車や発電機の故障には対処できない。もとより自給自足で全てを賄えるわけはない。パスポートは全員所持しているが海外移住はハードルが高すぎる。移民への風当たりの強さを、今実感できない日本人はいるのか。加害者側として。
病気や怪我をしても、薬や石油製品の不足により病院では対応ができないとなってしまったら?家族全員今のところ健康だし、養生には努めてきたが、現代医療にしか救えない事態はあるに決まっている。
それが一番怖いし、何より俺が恐れているのは飢えた人々の醜い争いだ。
自分が、家族を守るために卑怯な嘘をつき、知り合いどころか友人までも裏切らざるをえなくなることだ。この危機感を共有しあえる友人や、日頃からお互い様でやってきた隣人たちとは共助していくにしても。自然と共に生きてきた高齢者の知恵に助けられることも増えるに違いない。
だが、日本のこの方向性を推し進めてきた自民、公明、維新、補完勢力である維新、国民、保守、参政を支持してきた有権者たち、変わらないからと棄権してきた者たちに、俺はこの貴重な生きる糧をニコニコ差し出す気になれるだろうか?
米の値段が高すぎるとこぼし農業は補助金漬けと嘲笑い、投資に血道を上げ、自給率より防衛力と嘯き、ガザには目もくれず大谷にうつつを抜かしていたお前らに?
農業を、親戚に言えない恥ずかしい仕事だと、子どもを公立に通わせることを虐待だと罵った(長子は塾なしで地方旧帝に合格したが)東京在住の親たちにすら、非常時には分け与えねばならないだろうことを考えると気が重くなる。だがそのころには既に物流も崩壊しているのかもしれない。
虫も土も触れられず、畑仕事も薪割りもできない老親を呼び寄せて養うしかないのだろうか?あちらも「不潔」な古民家になど住みたくもないだろうが。
なら混乱の中で野垂れ死ねと突き放すほど薄情になれるだろうか。子どもたちの前で。
夜は一緒に寝ている大型犬たちを、畑の見張りに出さなくてはならなくなるのかとまで妄想する(こいつらの餌も贅沢言えなくなるだろうが大丈夫だろうか…)。
俺は想像力過多だろうか?別に悲観的に思い悩んだり、パニックになったりはしていない。自然に頭に浮かび体が動くだけだ。
たしかにハヤカワSFやホラー/パニック映画にに触れすぎたきらいはある。週末は「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を家族で観に行く予定だ。今傍らで末っ子が下巻を読んでいる。
始まりは天災という違いはあれど、あの地球で起こると予想されたことははたして絵空事だろうか?
彼女の専攻は何だった?
大体みなフィクションだけでなく海外ニュースにも無関心すぎる。キューバを見ろ。まさに石油が断たれた国の惨状が、今目の前で繰り広げられているではないか。なんと酷い権力者の所業だろうか。
ここまで恥知らずの外道を平和主義者のトランプさんと持て囃した奴らは見ているか?こんな目に遭わされないようにあいつのケツを舐めろと言うのか?
もちろん俺だってあのときは考えすぎたなと笑いたいよ。全然それで、それこそがいいよ。
夏は久しぶりに家族旅行の計画を立てているんだ。やれやれ取り越し苦労で助かったと備蓄品の祝杯をあげよう。我が家の田舎暮らしは続いていくだけだ。
世界中の人がそうやって平凡でありきたりな日常を送れることこそが幸いだ。
だが万が一最悪の状況が訪れたなら。
不慮の事故や致死的な発病さえなければ…おそらく俺はあんたらより長く生き延びることができるだろう。
だが生きながら地獄を見たくはないのだ。阿鼻叫喚渦巻く中、扉を閉ざして自分たちだけ美味く飯を食い笑って暮らせると思うか?
今からでもできることをしてくれ。
ひっそりと備えを。
そしてどうか、こんな世の中は嫌だと声を上げてくれ。みな自分の生活で手一杯だろうが。そうして政治を語り合うことさえ忌避してきた結果がこれだ。原発事故さえ俺たちの目を覚まさせるには「十分ではなかったのだ」?
そんな冷笑を許すな。今。目を開けろ。これまでも虫ケラのように殺され世界に残酷に見捨てられる人々の苦しみは尽きなかった。目を逸らして踊っていた俺たちの横にもう現実が立っている。
ついに俺たちの番が来た。
いや弱い者から倒れていくのだ。
政府に、君らが担ぎ上げたサナに、アメリカの人殺しにけして加担するな、日本を窮地に陥れるなと抗議してくれ。
飛行機代は正直惜しいが(実家に泊まるのも憂鬱だがここに書いたような話を冷静にせねばなるまい)、3月25日の平和憲法を守るための緊急アクションにはどうにか行けたらと考えている。
近くに住み、時間の余裕がある人はどうか一員となってほしい。手ぶらでいい、意に沿わないならコールもしなくていい。突っ立ってるだけでいいのだ。ただ数となってくれ。
あなたがそこにいることは、このクソまみれの世界がどうか、ほんの少しでも、優しい美しい場所になってほしいという確かな祈りだ。
そう願う人たちと共に立つことはきっと少なからずあなたの心を安らかにするし、ごくわずかでも現実を動かすと信じて実際に動いたこと、生憎その願いがストレートに叶わなくとも、結局無惨に敗れ続けようが…その行動は0に近いかもしれないが、けして0ではない。
我が家の備蓄、災害対策について整理しがてら書く。身バレ防止に一部フェイクもまじえて。
食料……田畑、米は俵単位で保冷庫保存、倉庫にローリングストック多数(店が遠く来客多いので生協やコストコ等で買いだめしがちである)、鶏(毎朝卵5個ほど、可愛がっているのでつぶしたくはない)
エネルギー……太陽光発電、電気自動車、モバイルソーラーパネルとポタ電、薪数年分
衛生……風呂は主に太陽熱温水器、離れに薪風呂、トイレは合併浄化槽ゆえ管理必要、いざとなったら庭に作れるか?娘の生理用品ストックは増やした(妻は布ナプキン愛用者なのでその手段もあり。トイトレは遠い昔だが子どもたちは布オムツも併用した)。
洗剤は石鹸や重曹など、環境負荷が低く多用途のものを妻が工夫してくれている。消耗品もミツロウラップなどなるたけ使い捨てにならないものを選択。洗濯は手洗いは厳しいか?太陽光はこれに使用?
調理……プロパン、止まったら薪ストーブ、ピザ窯、かまど、バーベキュー台、ロケットストーブ、一応卓上コンロ
東日本大震災をきっかけに、自分たちの暮らしを少しでも消費から創造へシフトしたい、万が一の事態でも生き延びたいと地方移住し、ドシロウトが脱サラ就農して作ってきた我が家の暮らしだ。
当然収入は減ったが手応えのある愉快な日々を送っている。コロナ禍でも子どもたちが友達と野山で遊び、家ではアナログゲーム、映画鑑賞、読書とのびのびと過ごせたときは、つくづくこの環境がありがたかった。
もし資源輸入国のこの国において、政治の失策により原油もレアアースも輸入停止となっても、しばらくは不便なりに生きることはできるだろう。
作物については昨今の気候変動で不安要素も多いが、燃料や化成肥料がなくとも出荷はともかく、自分たちの食い扶持だけならどうにか確保できると踏んでいる。手植え手刈りはぞっとしないし、機械なしの脱穀、籾ずりは未経験だが昔はやれていたわけで、少量ならどうにかなるだろう。自家用精米器はある。
タンパク源が卵、大豆となるのが物足りない。海はやや遠いがたまに釣りに行くべきか。今からでも狩猟免許取得を検討すべきか?ジビエはさほど好まないのだが…。
しかし自家採取の種には限りがあるし、車や発電機の故障には対処できない。もとより自給自足で全てを賄えるわけはない。パスポートは全員所持しているが海外移住はハードルが高すぎる。移民への風当たりの強さを、今実感できない日本人はいるのか。加害者側として。
病気や怪我をしても、薬や石油製品の不足により病院では対応ができないとなってしまったら?家族全員今のところ健康だし、養生には努めてきたが、現代医療にしか救えない事態はあるに決まっている。
それが一番怖いし、何より俺が恐れているのは飢えた人々の醜い争いだ。
自分が、家族を守るために卑怯な嘘をつき、知り合いどころか友人までも裏切らざるをえなくなることだ。この危機感を共有しあえる友人や、日頃からお互い様でやってきた隣人たちとは共助していくにしても。自然と共に生きてきた高齢者の知恵に助けられることも増えるに違いない。
だが、日本のこの方向性を推し進めてきた自民、公明、維新、補完勢力である維新、国民、保守、参政を支持してきた有権者たち、変わらないからと棄権してきた者たちに、俺はこの貴重な生きる糧をニコニコ差し出す気になれるだろうか?
米の値段が高すぎるとこぼし農業は補助金漬けと嘲笑い、投資に血道を上げ、自給率より防衛力と嘯き、ガザには目もくれず大谷にうつつを抜かしていたお前らに?
農業を、親戚に言えない恥ずかしい仕事だと、子どもを公立に通わせることを虐待だと罵った(長子は塾なしで地方旧帝に合格したが)東京在住の親たちにすら、非常時には分け与えねばならないだろうことを考えると気が重くなる。だがそのころには既に物流も崩壊しているのかもしれない。
虫も土も触れられず、畑仕事も薪割りもできない老親を呼び寄せて養うしかないのだろうか?あちらも「不潔」な古民家になど住みたくもないだろうが。
なら混乱の中で野垂れ死ねと突き放すほど薄情になれるだろうか。子どもたちの前で。
夜は一緒に寝ている大型犬たちを、畑の見張りに出さなくてはならなくなるのかとまで妄想する(こいつらの餌も贅沢言えなくなるだろうが大丈夫だろうか…)。
俺は想像力過多だろうか?別に悲観的に思い悩んだり、パニックになったりはしていない。自然に頭に浮かび体が動くだけだ。
たしかにハヤカワSFやホラー/パニック映画にに触れすぎたきらいはある。週末は「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を家族で観に行く予定だ。今傍らで末っ子が下巻を読んでいる。
始まりは天災という違いはあれど、あの地球で起こると予想されたことははたして絵空事だろうか?
彼女の専攻は何だった?
大体みなフィクションだけでなく海外ニュースにも無関心すぎる。キューバを見ろ。まさに石油が断たれた国の惨状が、今目の前で繰り広げられているではないか。なんと酷い権力者の所業だろうか。
ここまで恥知らずの外道を平和主義者のトランプさんと持て囃した奴らは見ているか?こんな目に遭わされないようにあいつのケツを舐めろと言うのか?
もちろん俺だってあのときは考えすぎたなと笑いたいよ。全然それで、それこそがいいよ。
夏は久しぶりに家族旅行の計画を立てているんだ。やれやれ取り越し苦労で助かったと備蓄品の祝杯をあげよう。我が家の田舎暮らしは続いていくだけだ。
世界中の人がそうやって平凡でありきたりな日常を送れることこそが幸いだ。
だが万が一最悪の状況が訪れたなら。
不慮の事故や致死的な発病さえなければ…おそらく俺はあんたらより長く生き延びることができるだろう。
だが生きながら地獄を見たくはないのだ。阿鼻叫喚渦巻く中、扉を閉ざして自分たちだけ美味く飯を食い笑って暮らせると思うか?
今からでもできることをしてくれ。
ひっそりと備えを。
そしてどうか、こんな世の中は嫌だと声を上げてくれ。みな自分の生活で手一杯だろうが。そうして政治を語り合うことさえ忌避してきた結果がこれだ。原発事故さえ俺たちの目を覚まさせるには「十分ではなかったのだ」?
そんな冷笑を許すな。今。目を開けろ。これまでも虫ケラのように殺され世界に残酷に見捨てられる人々の苦しみは尽きなかった。目を逸らして踊っていた俺たちの横にもう現実が立っている。
ついに俺たちの番が来た。
いや弱い者から倒れていくのだ。
政府に、君らが担ぎ上げたサナに、アメリカの人殺しにけして加担するな、日本を窮地に陥れるなと抗議してくれ。
飛行機代は正直惜しいが(実家に泊まるのも憂鬱だがここに書いたような話を冷静にせねばなるまい)、3月25日の国会前アクションにはどうにか行けたらと考えている。
近くに住み、時間の余裕がある人はどうか一員となってほしい。手ぶらでいい、意に沿わないならコールもしなくていい。突っ立ってるだけでいいのだ。ただ数となってくれ。
あなたがそこにいることは、このクソまみれの世界がどうか、ほんの少しでも、優しい美しい場所になってほしいという確かな祈りだ。
そう願う人たちと共に立つことはきっと少なからずあなたの心を安らかにするし、ごくわずかでも現実を動かすと信じて実際に動いたこと、生憎その願いがストレートに叶わなくとも、結局無惨に敗れ続けようが…その行動は0に近いかもしれないが、けして0ではない。