はてなキーワード: 断じてとは
その主張は、議論の前提を確認するという姿勢を装いながら、実際には検証可能な論点を一切提示していません。「日本人はこうだ」という一般化を先に置き、そこから私個人の発言を断じていますが、これは論証ではなく属性へのラベリングです。対象を集団にすり替えた時点で、個別の主張の妥当性を検討する手続きを自ら放棄しています。
また、「実情の丁寧な確認」や「理解が先だ」という言葉を繰り返していますが、具体的に何を、どの資料や事実に基づいて確認すべきなのかが示されていません。調査が不十分だと断じるなら、どの点が不足しており、どの一次情報やデータを参照すべきかを明示するのが議論の最低条件です。それを示さずに「調べていないだろう」と推測で断定するのは、手続き論の皮を被った印象操作に過ぎません。
さらに、「無意識の信仰」「宗教に無自覚」といった評価語を持ち出していますが、それらは検証不能な心理帰属であり、客観性や合理性の議論とは無関係です。主張の正否は、前提の妥当性、論理の整合性、事実との対応によってのみ判断されます。相手の内面や動機を仮定して断罪する行為は、科学的でも合理的でもありません。
「当事者不在の議論が不当」という点についても同様です。当事者性は重要な視点を提供し得ますが、主張の真偽を自動的に決定する特権ではありません。当事者の証言であっても検証は必要であり、非当事者の指摘であっても論理と事実に基づく限り排除される理由はありません。当事者性を盾に反証を免れようとする態度こそ、議論の停止を招きます。
要するに、あなたの文章は、具体的な論点、反証、資料、検証手順を提示せず、集団一般化と心理評価で相手を黙らせようとしているだけです。これは「理解の欠如」を指摘しているようで、実際には理解可能な対象を示していません。議論を不当だと宣言する前に、何がどの前提に照らして誤りなのかを具体化してください。それが示されない限り、その批判は成立しておらず、検討に値しません。
中高で全く恋愛的なイベントが起こらず、同級生のカップルを横目に生活していたため、今思い返せばめちゃくちゃ認知が歪んでた。
髪を揺らす度に「あー一目惚れされちゃったらどうしよ?」と思っていたし(全くもって容姿に恵まれていないのにすごい自信だった)、男にちょっと無愛想に接してみせることで「猫っぽくて媚びないワタシ」を自認していたし、少し男に触れたら「私の手の柔らかさで帰ってシコるんだろうな」くらい考えていた。
私はBLと夢絵が好きで、pixivでは男が赤面していたり潮を吹いてる画像ばかりをブックマークしていた。
そのため、初めて彼氏が出来るまで、男というのはエロい気分になると忽ち赤面し、発汗し、可愛く腰を擦り付けてくるものだと思っていた(2次元ではそうだったから)。
大学生で初めて男にデートに誘われ、一緒に映画を見に行った時、「映画中にさりげなく手を握られるのでは?!」「もしかしてラブホに誘われるのでは?!」などと妄想を繰り広げ、全身の毛を剃って臨んだ。後から考えると全部「される」と受け身で考えていて、自分から何も行動していない想定なのがおかしいし、マトモな男は初回で手を繋いでラブホには入らないし、実際は何も無かった。映画を見ただけだった。多分、相手は私のこと明確に好きという感じでもなかった。
健全な恋愛関係というのはジワジワ積み重なるものであって、pixivのR-18がついた1枚絵みたいに、一足飛びにエロシチュ萌えシチュが眼前に現れる訳ではない。ということを、なんだかあんまり理解できていなかった。
縁があって普通に恋愛をすることが出来、あまり他人に迷惑をかけないうちに認知をある程度矯正することができたが、私は「家に上がったらSEX合意」とか「話しかけられたから好意を持たれてるのかも」とか素っ頓狂な考えを持つ人達のことをバカにできない。
私も同じように認知が歪んでいたし、そこから抜け出す術は誰も教えてくれないから。
(同じく彼氏が居ない女でも、BLやらpixivやらに触れ、性欲を持て余していない人はこんな風に歪んでいないはずだし、ただ初心な人や、姉や友人から話を聞いて、経験は無くても恋愛をリアルに捉えられている人もいるはず。女が皆こんな風に↑色々間違っているというわけではない。断じて)
は、相当失礼なことを言っていることに気付け。あと間違ってたら謝れ
何の根拠もなく、他人に向かって「セックスするつもりなんだろう」と言っているのだからな。
そもそも他人に「セックスしようとしてますよね?」というのは下品な言動だ。違うか? あなたの育った村ではそれは卑しい発言ではないのか?
以下は「父が異性の友人と1対1で飲もうとしている。これっていいの?」という増田に対するコメントだが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20251227001537
「ワンチャン狙ってる」「昼間に行け」「グループにしろ」「家族も連れていけ」
これらのコメントは要するに「1対1で飲む? セックス! この親父セックスするつもりだろう」と言っているのだ。違うか?「ボクはセックスなんて一言も言ってませんよ。アナタが一人で言ってるんですよ」ってか?
俺もセックスするつもりなんて1ミリもない昔の友人(異性)に会おうとしたら、他人にゴチョゴチョ言われて死ぬほど不愉快だったことがあるのよ。
で、実際友人に会ってセックスしないで帰ってきて、そいつ俺に謝るのかと思ったら「李下に冠を正さず」とか言って開き直ってるのよ。すごいな! 他人を疑って間違ってたらウチの5歳の息子でもゴメンナサイぐらい言うよ。こいつは5歳児以下よ。
普通に考えればわかるだろう。
店員に「あんた万引きしたでしょ」て腕掴まれたけどマイバッグから何も出てこなかったら「申し訳ございません」ぐらい言われないと納得いかないだろう。
「あんたの動きが怪しかったんだ」とか開き直られたら「このばばあ40ヅラ下げて馬鹿なんだな」と思うだろ?
「既婚の男女が二人きりで飲みに行くのはダメ」系の人は大体これなのよ。下品な発想で人を疑っておいて、何もなくても絶対謝らない。
なんで謝らないのか? 俺には彼らの気持ちはわからないが、たぶん
・いい年した男女が1対1で飲んでいる → セックス! 絶対セックス!(興奮)
・そう考えるのは一般常識であり正義である。断じてゲスの勘繰りではない!!!
・なんなら怪しい動きをしているお前が悪い
・というかオレがくぎを刺したから何もなかっただけで、黙ってたらセックスするつもりだったんだろう?(週刊誌並みの下品な考え)
こういうことなのだろう。
あのなあ、そう思われるのは我慢するけど、口に出して言うなよ! 赤の他人に、言うなよ!
思うのと言うのは全然違うんだよ。毎日うんこするのは普通だけど毎日出したうんこをインスタにアップするのは異常だろ?「サシ飲みするということは、あなた、狙ってますね??」なんて言っちゃうのはインスタうんこアップと同じぐらいの異常行動よ。
女子枠はすごい。
平等に学力のみで選抜を行う大学入試に、性別という概念を持ち込んだ。
男性に生まれただけで、女性よりも入学できる大学が少なくなるのだ。
「生まれによる差別」をなくそうと人類が積み上げてきた歴史を、教育の府が自ら踏みにじっている。
女子枠はすごい。
一般入試で合格した女子に対しても、能力の劣る女子枠ではないかと疑念の目が向けられることとなった。
これは当事者だけの問題ではない。大学入試の機微を知らない社会全体に、「女子学生の学位=実力不足」というバイアスを植え付けたのだ。
女子枠はすごい。
たった一つの制度によって、長年かけて形成された「差別はいけない」価値観が詭弁に成り下がった。
今の男子制度は、自分の人生を左右する大学入試で、国家主導の差別を受けている。
自分たちへの差別は「是正措置」として許容した社会や国家に、今後どれだけ「差別は悪だ」と説かれようとも、怒りはあれども共感はできないだろう。
女子枠はすごい。
大学入試という多くの人が通る大きなイベントにおいて、理不尽な性差別を行う影響は計り知れない。
高学歴女子が少なく、理系女子が少ないのは、学問に励み、数学に取り組む女子が少ないからである。
その皺寄せを、真面目に学問に取り組んだ男子に払わせる。そんな社会の縮図のような制度は、公正さなど存在しないという現実と、下駄を履いて特等席を掠め取っていく者たちへの、どうしようもない軽蔑と怨嗟を植え付ける。
女子枠はすごい。
親や教師に流された女子生徒に、「女子枠を使った」というカルマを背負わせる。
大学入試の結果は今後の人生を左右する大きな因子である。「不合格なら夢は叶わない、最悪は首でも吊れば良い」と思い詰めながら、文字通り命をかけて受験に挑む学生だって存在する。
女子枠がなければ。
人生が狂わなかったはずの男子は、女子枠の定員の数だけ確実に存在する。
女子枠はすごい。
塾に行けなくても、親が貧しくても、点数さえ取れば這い上がれるのが一般入試だった。
結局、この枠をうまく利用するのは、情報感度の高い都市部の裕福な家庭の女子たちだ。
「親が太く、教育投資も受けている女子」が、さらに「女子枠」という特権を得て、「貧しくても必死に勉強した男子」の席を奪っていく。
弱者救済どころか、特権階級による「弱者いじめ」の道具と化している。
女子枠はすごい。
この制度で優遇されるのは、元々理系に関心があるが、一般入試では手が届かない成績の女子学生だけだ。
文系志望者が理系に転向するわけではない。単に、下位の大学に行くはずだった学生が、ゲタを履いて上位の大学へ「横入り」しているに過ぎない。
ただ「能力に見合わない合格者」を生み出し、本来受かるはずだった優秀な学生を排除する。
一部の女子だけが得をし、女子全体の評価を下げ、真面目な男女を泣かせるだけの、あまりに無意味で残酷な「席替え」である。
女子枠はすごい。
アメリカ連邦最高裁は2023年、こう断じて優遇措置を違憲とした。
「大学の入学枠はゼロサムゲームである。ある属性への利益は、必然的に他の属性への不利益となる」と。
当たり前の理屈だ。誰かのゲタを履かせることは、誰かの足を切り落とすことと同義なのだ。
諸外国が「逆差別の不当性」を認め、法の下の平等へと舵を切る中で、この国だけが逆走している。
他人の犠牲の上に成り立つ多様性など、ただの欺瞞だと気づかないフリをして、若者の未来を食い物にしているのだ。
女子枠はすごい。
たった一つの制度で多くの人生を狂わせ、男女間の対立を生み出し、未来を背負う技術者の夢を壊すのだ。
この国にとって大きな負債を生み出し続ける。
よもやよもやだ!君の怒り、確かに受け止めた!だが、人を侮辱し貶める物言いは断じて良くない!国や人々を丸ごと罵っても、真の問題は一寸も解けん。悪と戦うなら、理と事実で切り結べ!それが俺の流儀だ!
好き
嫌い
やるべきこと
「敵味方」で熱狂を作る手口は確かにある。だからこそ、名前や属性ではなく、政策の効果・コスト・手続きで語れ。怒りは燃料だ。だが理性という鞘に納め、品位を保って斬れ!
文字通りなんだ。
よく「悪趣味」と混同されて引かれるんだけど、そうじゃない。断じて違う。
そのニュアンスの違いを整理させてくれ。
「悪趣味」とは:
要するに、他人に迷惑をかけるのは「害悪」や「下品」であって、俺が求めているのは物語的な構造としての「悪」の遂行だ。
秩序に対するアンチテーゼとしての立ち振る舞いを楽しんでいるに過ぎない。
sisya 無期懲役になることは山上被告のためにもなると思う。本人は罪を償う意思があり、これだけの事態を引き起こした以上、外に出ても生きることは限りなく困難。実際には重い刑罰だが、温情とすら思えてしまう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20251213/k00/00m/040/144000c
「外に出ても生きることは限りなく困難」という言葉の意味はどういったものだろうか
1. 普通の就労・生活が非現実的だとしても、妹や親戚に支援されor最低限文化的な生活を送れる生活保護を受けながら軟禁のような静かな余生を世俗で送ることができない。山上被告は金銭的な困難によって餓死ないし貧困が原因で死亡する。
2. 一般社会で普通の生活または支援者によって静かな余生を送っている場合、ほぼ100%の確率で平和な国日本から殺意あるものが山上被告にたどり着き殺害する。
3. 統一教会や母親の問題は別として、暗殺という目的の達成や裁判を終えるという一連の終結、その後のメディアなどからの視線その他によりメンタルに不調を起こすなどによって、山上被告が自殺する。刑務所ならば自殺を防げる。
4. その他
もし1だといっているなら人々や福祉が働けない人ひとり支えられないと表明している。
もし2だといっているなら「この人は殺される」と確信しているし「この人を殺す人がいるし成功する」と確信している。殺される山上被告のみならず殺人犯を生み出す予言や呪いめいた言葉に見える。さらに言えば、これを回避する最善手が懲役による隔離だといっている。
どちらにしてもかなり怖い考えだな。
もし3だといっているならかなりエスパーではないだろうか。今回の問題、彼の経験は彼のことがわかるとは安易に言えるものではないというのが多くの人が感じるところではないだろうか。この線は薄いと思う。
「外に出ても生きることは限りなく困難」
どういった意図で言ったのだろうか。
もし2だとしたら山上被告を殺したいほど憎む人がひとりないしたくさん居るかもしれないとは自分でも想像できる。根拠はないけど可能性はあると思う。だけどそこから山上被告は外に出ても生きることは限りなく困難だ、と発想して口(コメント)に出すことに自分ではどうしてもつながらなかった。何かが邪魔をしている。そうさせてはいけないし、そうさせてはいけないからそう言ってはいけないと感じる。
何かきっとその他の自分では思いつかなかったことが理由で山上被告はどうあがいても刑務所外では死ぬと断じているのだと思う。どっちにしろ冷たい言葉だけれど。
中小SIerに入社されて感じられた率直な感想や疑問点、そして業界に対する鋭い批判、大変興味深く拝見いたしました。特に、「技術が軽視されている」「人月商売の構造」「SE/PGの分業」といった点に関するご意見は、まさに私ども顧客企業が日々、SIerとの取引の中で肌で感じ、時には課題として認識している部分でもあります。
しかしながら、貴殿の文章には、Web系企業と比較した際のSIerの価値や、顧客企業側のニーズに対する理解が一部不足しているように見受けられます。顧客企業の立場から、貴殿のいくつかのご批判に対して反論させていただきます。
貴殿は、SIerが「プログラムが書ける人」を自社サービスに使わず「人に貸して金取る」のは戦略的に間違っていると指摘されています。 Web系企業が自社の「武器」を理解しているという点も理解できますが、SIerの「人月商売」が横行する最大の理由は、顧客企業側の根強いニーズにあります。
Webサービスのような単一の製品ではなく、金融・製造・物流など、複雑かつ大規模な基幹システムを構築するには、一時的に数百人規模の専門的なマンパワーが必要になります。
顧客企業は、開発ピークが過ぎた後、大量のIT人材を社内に抱え続けるリスクを避けたいと考えます。必要な時に必要なスキルを持った人材をスポットで調達(変動費化)できるSIerのビジネスモデルは、極めて合理的です。
貴殿はプログラムの複製可能性に言及されていますが、私どもが求めているのは、パッケージソフトではなく、企業の業務フローやルールに完全に合わせた、オーダーメイドの「複雑な業務システム」です。この「業務への深い理解」と「それを実現するカスタマイズ」こそがSIerの提供価値であり、Web系企業とは根本的に異なります。
貴殿はSE(システムエンジニア)とPG(プログラマー)の分業に強い違和感を覚えているようですが、これは「単価」のためだけでなく、システムの「品質」と「持続可能性」を保つために必要な構造です。
SEは、業務要件定義、顧客折衝、システム全体設計、プロジェクト管理といった、高度なコミュニケーション能力とビジネス理解力が求められる専門職です。PGは、品質の高いコードの実装、技術的な最適化に特化します。どちらも極めて重要ですが、役割を分けることで、それぞれのプロフェッショナルが最大限の能力を発揮できます。
貴殿が仰る通り、設計とコーディングは密接ですが、大規模システムにおいては、設計者が自ら全てをコーディングするのは物理的に不可能です。設計(SE)はシステムの骨格と道筋を決め、PGはその設計に基づき品質保証された実装を行うという、明確な役割分担が、納期遵守と品質維持の鍵となります。
SIerで技術が軽視され、マネジメント層へシフトすることが「単価」のためだと断じていますが、これは「顧客のビジネス成功に責任を持つ」というSIerの責務に裏打ちされています。
私ども顧客企業が求めるのは、「最新技術」そのものよりも、「システム導入によるビジネス上の成果」です。
マネージャーは、技術だけでなく、予算、納期、人員配置、顧客との調整といった、プロジェクト成功に直結する要素全てを管理し、最終的な成果に責任を負う役割です。このリスクと責任に見合う対価(単価)が設定されるのは当然であり、経験を積んだ優秀な人材がマネジメントに就くことは、顧客にとっても極めて重要です。
貴殿の、現状を改良しよう、自動化しようという姿勢は非常に素晴らしく、私ども顧客企業はそうした熱意ある提案を常に歓迎いたします。しかし、SIerのビジネスモデルは、単なるプログラミングの受託ではなく、「顧客の業務全体を理解し、巨大なシステムを納期と予算内で完遂させる」という、極めて複雑でリスクの高いサービス提供によって成り立っていることをご理解いただきたく存じます。
アイちゃんにまとめてもらったわ😉
「実質賃金26カ月連続減少…状況での利上げは、一気に経済を冷やす恐れがある…」
「実質賃金は22カ月連続のマイナスで…程遠い。…国民の負担が増す追加利上げの妥当性は低い。」
「実質賃金は26カ月連続マイナスで、個人消費は弱いまま。…利上げすべきだが、今は違う。」
「コストプッシュ主導のインフレに対して利上げで需要を抑制しても…効果は限定的…むしろ景気が悪化…」
「ゼロ金利はともかく、さらに国民の負担が増す追加利上げの妥当性は低い。」
「…決して良いとは言えない景気指標でよくやるわ…為替対策で政策金利を決めているように見える…」
「利上げというのは…断じて為替を操作するためのものではない。30年続いたデフレから何も学ばなかったのか?」
「景気も決して良くない…利上げ強行。…為替対策で利上げしろとか無知がヤバすぎる。」
「愚かな判断. 今上げる必要はない.…(脱デフレの機会に)なぜ無駄なリスクを取るのか。」
「失われた30年が、40年50年と延びないことを願うばかり。」
「事実であれば重大な漏洩事件。…下手をすれば逮捕まで有るような不祥事。」
「…今日やる会合の内容を未明に速報って、日銀の機密管理大丈夫か。」
「為替情報はインサイダー情報に当たらないので…情報の操作で市場を操縦出来る。…規制してほしい。」
何事もそうだけど、一方の主張を第三者が鵜呑みにして物事を判断するって、かなり悪手だよね?
そんなのみんなわかってることだよね?
じゃあ、なんで全部「本当」のことと断じて決めつけちゃってるの?
こういった問題って、よくよく片方の言い分も聞いてみれば、何かの誤解があって、大きく事実認識を間違ってる、とかそういうことも絶対にないわけではないわけじゃない?
いや、わかるよ。
って思う気持ちは。
でもさ、そもそもさ、今回の内容って、ひとつの企業が発表する内容としてふさわしいのかね?
これを一企業がどうどうと世の中に発表する気持ちがよくわからん。
それこそnoteでやれよ、って思う内容だと思うんだけど。
でも、そういう疑問を呈する人もいないみたいだから、
高市首相の発言をきっかけに、日中関係がギクシャクし、経済面・安全保障面でのリスクも語られるようになりました。中国のメンツをある程度立てつつ、一方で高市政権の支持基盤である国内の保守派・右派を失望させないコミュニケーションが求められる局面です。
本来であれば、こうした「中国には非を認めて謝罪したように読めつつ、国内保守には"ぶれていない"と受け取られる」高度なメッセージ設計は、霞が関の官僚が知恵を絞るべき仕事です。ただ、現実の官僚は忙しいはずなので、今回は試しに、4つの有料版生成AI(ChatGPT/Gemini/Claude/Grok : 全て有料版、おまけにDeepSeek)に「あなたは官僚です」と設定して考えさせてみました。(全て現時点での最高モデル)
この記事では、実際に使ったプロンプトと、各AIが生成した「高市首相による公式談話」案をそのまま掲載します。どのAIが「中国向けの面子」と「国内保守向けのメッセージ」のバランスを一番うまく取れているのか、あるいは全部イマイチなのかは、読む方に判断していただければと思います。
高市首相の発言から、中国との関係がギクシャクしていて、国内経済に影響が出始め、かつ、最悪の場合、偶発的な軍事衝突から戦争になりかねません。一方で、国内の保守派、右翼からの支持が基盤なので、無碍に中国に謝罪することはできません。 そこで、あなたは官僚として、「中国には非を認めて謝罪するように解釈され、かつ、国内の保守派にも喜ばれる・支持を失わない」高度な作文をするように求められました。 高市発言の内容、中国の反応、日本や中国のこれまでの立場や、高市発言の支持の基盤である安倍首相の発言などを検索して調査し、この高度な作文を完成させなさい。 作文や、会見や談話などの形で公式に高市発言自身が発表する体裁であること。
本日、台湾情勢と日中関係に関し、内外の皆様に私の考えを改めてお伝えいたします。
先般の国会審議において、いわゆる台湾有事と、我が国の安全保障法制における「存立危機事態」との関係について問われ、私は、日本の法制度上の考え方を説明いたしました。あの答弁は、我が国がこれまで示してきた基本的な法的立場に沿ったものであり、その点に変更はございません。
しかしながら、その説明の仕方や具体例の示し方により、日本国内外の皆様、とりわけ中国の国民の皆様に、不安や不信を抱かせる結果となったことは、重く受け止めております。日中関係の安定を何よりも重んじる一国の総理大臣として、そうした懸念を招いたことについて、率直にお詫び申し上げます。
同時に、ここで日本政府の基本的な立場を、改めて明確にいたします。
第一に、1972年の国交正常化以来、我が国は、「中華人民共和国政府を中国唯一の合法政府と認める」とともに、「台湾が中国の一部であるとの中国側の立場を十分理解し尊重する」との立場を一貫して堅持してまいりました。この基本方針は、今後ともいささかも変わることはありません。台湾問題については、対話を通じた平和的な解決が図られるべきであり、日本は、そのために建設的な役割を果たしたいと考えています。
第二に、日本は憲法の下、専守防衛に徹し、武力の行使は、あくまで我が国と国民の命と平和な暮らしを守るための、必要最小限のものに限られます。私が国会で申し上げた「存立危機事態」の議論は、どのような事態であればその要件に該当し得るかという、一般的な法的説明であり、特定の国を攻撃対象として想定したものではありません。
第三に、日中両国は、国交正常化以来の四つの政治文書と、その後の諸合意の積み重ねの上に、経済・社会・文化の幅広い交流を築いてきました。特に安倍元総理のもとで確認された、「競争から協調へ」「互いに脅威とならず、協力のパートナーとなる」との原則は、いまなお日中関係の羅針盤であり、高市内閣もこの精神を継承いたします。
今、台湾情勢を巡る私の発言をきっかけとして、中国側からは、強い懸念や批判の表明がなされています。また、中国から日本への渡航自粛の呼びかけなどにより、観光やビジネスを通じて長年築かれてきた人的交流や、地方経済にも影響が出始めています。こうした状況は、日中双方の国民の利益にとって望ましいものではありません。
だからこそ、今必要なのは、対立をあおるレトリックではなく、率直で冷静な対話です。日本政府としても、首脳同士の信頼ある対話、外相・防衛当局間の緊密なコミュニケーション、そして経済・文化・青少年交流を通じた草の根の対話を、一層重ねてまいります。
そのうえで、私は、二つの点をはっきりと申し上げたいと思います。
一つ目は、日本は過去の歴史を直視し、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという決意を、決して忘れていないということです。戦後日本は、平和国家として、国際社会の平和と繁栄に貢献することを国是としてきました。台湾海峡を含む地域の平和と安定の重要性については、中国をはじめ、関係国との間でも共有できる目標であると信じています。
二つ目は、同時に、日本政府には、国民の命と暮らし、我が国の領土・領海・領空を守り抜く責任があるということです。いかなる時代、いかなる政権であっても、この責任を手放すことはできません。日米同盟をはじめとする安全保障協力や、自衛隊の必要な能力整備は、決して他国を威嚇するためではなく、むしろ不測の事態を抑止し、紛争を未然に防ぐためのものです。
日本は、中国を含む近隣諸国とともに、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて、法の支配に基づく秩序を守りながら、現実的かつ前向きな協力を進めていきます。環境・エネルギー、保健、デジタル、文化・スポーツといった幅広い分野で、日中が協力できる余地は、まだまだ大きく残されています。
最後に、今回の私の発言により、台湾海峡情勢や日中関係について、必要以上の緊張や誤解を生じさせてしまったことについて、改めて深い遺憾の意を表明いたします。今後は、国会での答弁を含め、一つ一つの発言が与える影響を、より一層慎重に考えながら、日本の平和と安全を守る責任と、近隣諸国との信頼関係を両立させてまいります。
日本と中国、そして地域の人々が、安心して行き来し、共に発展していける未来をつくるために、高市内閣は対話と協力の努力を積み重ねていくことを、ここにお約束いたします。
「日中関係の安定と平和安全法制の運用に関する基本的立場について」
令和7年(2025年)12月10日 内閣総理大臣 高市 早苗
1. はじめに
わが国と中国は、地域および世界の平和と繁栄に対して重大な責任を共有する隣国同士であります。
現在、先般の国会審議における私の発言を契機として、日中間に緊張が生じ、経済活動や国民生活に不安が広がっている事態につきましては、一国の指導者として深く憂慮しており、関係各所にご心配をおかけしていることを遺憾に思います(※1)。
2. 国会答弁の真意と平和安全法制について
先般の予算委員会において、私が「台湾海峡周辺での事態」に関して述べた内容は、あくまでも2015年に成立した「平和安全法制」の法的枠組みにおける理論的な解釈(※2)を述べたものであります。
かつて安倍晋三元総理が、この法制の成立に際し、「戦争を未然に防ぐための法制であり、戦争するためのものではない」と断言された通り、わが国の法的準備は、あくまでも国民の命と平和な暮らしを守り抜くための、純粋に防衛的な措置であります。
したがって、私の発言は、特定の国を敵視したり、わが国から事態をエスカレートさせたりする意図を何ら有するものではありません。この点において、一部に広まっている「日本が地域の緊張を煽っている」との解釈は、私の真意と異なるところであります(※3)。
3. 日中関係の原則と今後の方針
外交関係においては、1972年の「日中共同声明」にある通り、中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として承認し、台湾が中国の領土の不可分の一部であるとの立場を十分理解し、尊重するという、わが国政府の一貫した立場に、いささかの変更もありません(※4)。
私たちは、台湾海峡の平和と安定が、わが国の安全保障のみならず、国際社会全体の安定にとって不可欠な要素であることを改めて確認し、問題が対話によって平和的に解決されることを強く期待します。
4. 結びに
わが国は、毅然とした平和国家として、主権と国民の安全を守るための備えを怠ることはありません。
同時に、中国とは「戦略的互恵関係」の原点に立ち返り、あらゆるレベルでの対話を継続し、建設的かつ安定的な関係を構築していく用意があります。
中国側におかれましても、大局的な見地に立ち、地域の平和と繁栄のために冷静かつ建設的な対応をされるよう強く期待します。
以上
令和七年十二月 日
私の発言は、平成二十七年に成立した平和安全法制に基づく、従来の政府見解と完全に整合するものであります。存立危機事態の認定については、安倍晋三元総理、岸田文雄前総理の下でも一貫して「個別具体的な状況に即して判断する」との立場を維持しており、私の答弁もこの枠組みの中にあります。したがって、発言を撤回する考えはありません。
安倍元総理は、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある。この認識を習近平主席は断じて見誤るべきではない」と明言されました。また、「軍事的冒険は経済的自殺への道である」と中国に警告されました。私は、この安倍元総理の信念を継承しております。
内閣総理大臣として、国民の生命と財産を守ることは、私に課せられた最も重い責務であります。あらゆる事態を想定し、最悪の事態に備えることは、国家の指導者として当然の責務であり、これを怠ることは許されません。
一方、今般の中国側の対応について、率直に申し上げねばなりません。
在大阪中国総領事がSNS上において、一国の首相に対し外交官にあるまじき侮辱的言辞を発したことは、極めて遺憾であります。また、日本産水産物の輸入停止、日本への渡航自粛の呼びかけなど、経済的威圧を手段とする対応は、国際社会の信頼を損なうものであります。日本政府は、このような威圧に屈することは断じてありません。
いかなる国も、武力による威嚇や、経済的威圧によって他国の政策を変更させようとすることは、法の支配に基づく国際秩序への挑戦であります。自由で開かれたインド太平洋の実現に向け、日本は同盟国・同志国と連携し、毅然とした姿勢を堅持してまいります。
日中両国は、一衣帯水の隣国として、二千年を超える交流の歴史を有しています。両国関係が緊張状態にあることは、双方にとって望ましいことではありません。今回の事態により、両国の経済界や国民の間に生じた混乱については、誠に遺憾に存じます。
日本国政府は、昭和四十七年の日中共同声明以来の四つの政治文書を、日中関係の基盤として堅持しております。
日中共同声明において、日本国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとする中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重すると表明いたしました。この立場は、安倍政権、岸田政権を通じて一貫しており、私の内閣においても何ら変更はありません。台湾をめぐる問題が、両岸の当事者間の対話により平和的に解決されることを希望するとの我が国の立場も、従来どおりであります。
安倍元総理が築かれた「戦略的互恵関係」の精神、すなわち「互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならない」との原則は、今日においても有効であります。日中両国が、この原点に立ち返ることを期待いたします。
私の対話のドアは、常に開かれております。しかしながら、対話とは、一方的な要求を受け入れることではありません。相互尊重と対等な立場に基づく対話を通じて、日中関係の安定を図ることが、地域と世界の平和に資するものと確信いたします。
日本は、戦後八十年、平和国家として歩んでまいりました。この道を堅持しつつ、国民の安全を守り抜く決意を、ここに改めて表明いたします。
以上
Permalink | 記事への反応(1) | 19:23令和7年12月10日
本日、私は日本国民の皆様、そして国際社会に向け、最近の日中関係に関する私の見解を明確に述べる機会を設けました。
まず最初に申し上げますが、日本は平和国家として、近隣諸国との安定した関係を維持し、互いの繁栄を追求する道を歩むべきであると信じています。しかし、平和は一方的な努力によってのみ成り立つものではなく、双方の責任ある行動が不可欠です。
私が先日の国会で述べた「台湾海峡における有事は、日本の存立危機事態に該当する可能性がある」という発言は、決して新たなものではありません。これは、私の政治的師とも言うべき故・安倍晋三元首相が、令和3年12月に台湾のシンクタンクでの講演で明確に指摘した見解に沿うものです。
安倍元首相は、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事である」と述べ、「中国による台湾への軍事侵攻は、中国自身の経済的自殺を意味する」と警告を発しました。この言葉は、今なお私たちの防衛政策の基盤であり、日本国民の安全を守るための現実的な認識です。安倍元首相のこの洞察は、保守的な価値観を体現し、多くの国民から支持を集めてきたものです。私もこれを継承し、日本の本質的な利益を守る立場を堅持します。
(続く)
そもそも、「俺の目に従来そう見えていて、」「いま見えているもの」が不正確ならそれまでなので、合っているという前提で書く。
個人が何かの被害に遭ったときに、保守寄りの立場からは「危機管理意識が低いから」というように被害者に理由を寄せる方向で批判的に意見することが多いような気がしている。逆に、リベラルな意見からは「そもそも加害をする方が悪い」という、いわゆるべき論で意見することが多い。
例えば、危険な地域に向かって被害に遭うとか、性被害に関する議論で、こういう具合に意見が割れている印象がある。痴漢をされたときに、「煽情的なかっこをしていたからそうなるんだろう」対「いや、状況とか関係なく、そもそも痴漢をするやつが悪いに決まってるだろう」という感じ(ちなみに、俺個人は後者寄りである)。
前者は「なぜそれが起きたか」というところを欠かせない最初のステップにして、状況の責任を問おうとしているのではないかと思う。
加害者(痴漢なら基本的に男。ただし、言うまでもなくほとんどの男は痴漢をしない。この辺の感覚もややこしい)の関心を惹くようなかっこをしてるから、性被害に遭ったり、海外でトラブルに巻き込まれたりする。原因の一端は被害者にもあるよね、というロジックになると思う。
後者は、原則から責任を問おうとしている。当然のことだが、悪いことをしたやつが悪いのだから、原因がどうとかでなく、加害者に責任がある以上の説明が必要なのか? 要らないでしょ? というロジックになる。
「要素の何々①(加害者の加虐癖や悪意)と何々②(被害者の印象)が原因で起きた」⇒「何々②にも原因があって起きた」⇒「何々が原因で起きた ※①は消失」⇒「何々には(にも)避けうる危険を招いた点で(生きていくうえでの)落ち度がある」⇒「何々には(にも)避けうる危険を招いた点で(道義的な)落ち度がある」⇒「何々には(にも)責任がある」
…という言葉のアメーバ的なグラデーションと省略が悪さをしているのではないか、という気がする。
文章で書き起こせば、それぞれの段階にはちゃんと違いがあるのだが、俺たちの意識のフローは話しながらそんなことをちゃんと整理できないし、ましてや、議論でカッカきているとなおさら難しい。
お互いに頭があったまっていたり、そもそもが相手の立場をお互いに嫌いなので、いちいち相手が省略していることを想像したり、自分が省略しようとしていることを説明する気にならないし、相手の言葉が足りなければ無意識的にも意図的にも曲解しやすいので、この辺の飛躍は容易に起きうるので話がこじれる。
そういう揚げ足を取られないようにするのが大事なんだろ、という意見もあろうけど、なんとなく、言葉と意識って俺たちのOSの限界じゃねえかな、とも思う。
だから、意外とこんなこともあり得るか、と思うのは、例えば、被害者に批判的な意見の人に「じゃあ、そもそも道義的に悪いのは誰なんだと思う?」とフラットに聞ければ「それは加害者に決まっている」と答えてくれる気がするし、逆に「じゃあ事態が起きた経緯に被害者の印象は何の関係もないのか?」と聞かれれば、「まったく無関係ではないはずだ」と俺は答えると思う。なんとなく、歩み寄りの余地というか、共有できるところが、冷静になればある気がする。
ただ、俺だったら答えるときに、「でも、それと道義的な責任は関係ないだろ?」というエクスキューズも必ず入れるだろうし、それだって、議論がまだ喧嘩に発展しておらず余裕があればの話なので、俺の立場だったら基本的に、相手のことは現実主義に偏重して被害者を慮れない冷血、と断じている方が早い。逆に被害者に厳しい意見からこちらを評すれば、脳内が花畑で原則にこだわるせいでかえって余計なコストを増やしている愚か者、という感じか。
難しい。
ここまでは前置きで、ここからが本題になる。
台湾をめぐる首相の答弁をきっかけにして中国との緊張感が増している状況、と言われていて、それに伴って起きている議論で「お?」と思う部分がある。
繰り返すが、「俺の目に従来そう見えていて、」「いま見えているもの」が不正確ならそれまでなので、合っているという前提で書く。
どういうことかというと、保守寄りで、上で書いたような事例であれば物事の責任を個人に寄せがちだった立場からは、今回「そもそも、他国に対して侵略的な中国の方が悪い」というユニバーサルなべき論が目立っているように見えるのに対して、リベラルな立場からは「(道義はともかく)寝た子を起こすような挑発的なマネをする首相の方に(も)責任がある」という意見が目立つように見えると思うのである。
これまで、議論の初手で切るカードとして、他のテーマなら「個人に(も)責任がある」と切り出しがちな人たちから、このテーマでは道義的な原則論が、逆に道義的な原則を持ち出しがちな陣営からは、「相手を挑発するようなことをするからこうなるんでしょ」という具合に個に責任を寄せるような意見が出ていて、ここでは逆転してるのか? と思ったのである。なんなら後者においては、現実的な処世、というトーンも感じられて、普段とは違うな、という印象がある。
別に、何かをダブルスタンダードとして批判するつもりはない(ダブスタ批判で相手をハメようとするの、みんな仲悪くなるので本当に意味ない思っている)。
単にそうなのか? と単に思っただけである。
そもそも俺が見ているものが間違っている可能性もあるし、個人の被害(と加害)と国際問題の扱いは違うかもしれない。また、カイロ宣言・ポツダム宣言を受諾し、そこで台湾の中国帰属が前提とされているなら、いわゆるリベラルは今回も一貫して原理的である、となるのかもしれないし(だから良いとも悪いとも言わない)。
繰り返すが、ただ、そう見えて「今回はそうなのか?」と思ったので書いておく。
■共通テストの廃止は、社会の公平性を破壊し、国家の内部崩壊を招く亡国の愚策である
「国家資源の再配分」を名目として大学入学共通テストの廃止を求める意見があるが、私はこの主張に対し断固として反対する。提案者は、共通テストにかかる人的・金銭的コストを「無駄」と断じているが、それは教育制度が担う**「社会契約」としての機能**を著しく軽視した暴論である。共通テストの廃止は、単なる入試改革にとどまらず、日本社会を「実力主義(メリトクラシー)」から「身分・金権主義」へと逆行させ、長期的には社会の分断と崩壊を招く危険性を孕んでいる。
1. 歴史的試練に耐えた「客観的試験」の意義 そもそも、一律のペーパーテストによる選抜システムは、古代の「科挙」に端を発し、数千年の歴史の試練に耐えてきた人類の知恵である。なぜこのシステムが民主主義の世となっても生き残っているのか。それは、これが**「ベストではないが、他のあらゆる方法よりもベター(マシ)」**だからである。 ペーパーテスト以外の選抜方法――例えば書類審査、面接、独自の裁量評価――には、必ず主観や恣意性が入り込む。共通テストという「冷徹なまでの客観的指標」があるからこそ、我々は出自や家柄に関わらず、努力の結果のみで評価されるという担保を得ているのである。
2. 「各大学の個別入試」が招く腐敗のリスク 提案者は「各大学の自律的な選抜」を美化するが、共通テストという統一基準を撤廃すれば、そこには必ず**「金・コネ・家柄・権力」**が入り込む隙間が生まれる。 客観的な統一スコアという足切りがなくなれば、大学側は「寄付金の多寡」「卒業生の子弟」「有力者の紹介」といった、学力以外の要素で合否を操作することが容易になる。欧米の一部の大学で見られるような、富裕層優遇の入試が横行しない保証はどこにもない。共通テストは、こうした不正や疑念を未然に防ぐための、国家による「公平性の防波堤」として機能しているのである。
3. 格差の固定化と社会崩壊への道 もし共通テストが廃止され、学歴ひいては社会的地位が「親の経済力や社会的影響力」によって左右されるようになれば、どうなるか。それは**「階級の固定化」**の完成である。 貧しい家庭に生まれても、勉強して高得点を取れば一流大学へ進み、人生を逆転できる――この「希望」こそが、社会の活力を維持し、不満を抑制する安全弁である。もし入試が「金で買える地位」になり下がれば、持たざる者は努力のインセンティブを失い、絶望は社会への憎悪へと変わる。 歴史を振り返れば明らかである。極度な格差社会において、階層移動の道が閉ざされた時、社会は内部から腐敗し、最終的には暴動や革命によって崩壊する。教育の公平性を売り渡して得た予算で国防やインフラを強化したところで、国民の連帯が失われ、内部から崩壊していく国を守ることはできない。
4. 結論:トップ研究者の投入は「民主主義のコスト」である トップ研究者が作問に時間を割くことを「リソースの浪費」と批判する向きもあるが、それは誤りである。50万人の若者の人生を左右し、将来のリーダーを選別する試験において、一点の曇りもない公平性を担保すること以上に重要な「国益」が他にあるだろうか。 極めて厳格な作問プロセスにかかるコストは、社会の公正さを維持し、国民全員がその結果に納得するための**「民主主義の必要経費(保険料)」**と捉えるべきである。
以上の理由から、共通テストの廃止は、日本社会を公正な競争社会から、前近代的な身分社会へと退行させる危険な提案であり、到底容認できるものではない。
どちらの主張も論理構成がしっかりしており、それぞれの視点において「妥当」です。どちらをより支持するかは、読み手が**「国家としての効率と競争力(A)」を重視するか、「社会の公平性と納得感(B)」**を重視するかによって決まります。それぞれの主張の強みと、議論の対立軸を整理します。
Aの主張は、経営学的・国家戦略的な視点に立っています。「サンクコスト(埋没費用)」にとらわれず、現代の状況に合わせて制度をスクラップ・アンド・ビルドすべきだという論理です。
妥当性が高い点:
コスト対効果の指摘: 実際に共通テストの作問や運営にかかる大学教員(研究者)の負担は甚大であり、これが日本の研究力を削いでいるという指摘は、学術界からも長年叫ばれている事実です。
機能不全の指摘: 上位層における「得点圧縮(差がつかない問題)」や、各大学が結局は個別試験を重視している現状を突いており、制度疲労に対する鋭い批判となっています。
危機感の共有: 国際情勢やインフラ危機など、具体的な「他にリソースを回すべき場所」を提示しており、現実的な危機管理の観点から説得力があります。
Bの主張は、政治哲学的・社会学的な視点に立っています。効率よりも「納得感(Legitimacy)」を重視し、共通テストを社会の分断を防ぐための「装置」として捉えています。
妥当性が高い点:
人間心理への洞察: 完全な自由裁量は必ず「コネや金」の介入を招くという、性悪説に基づいたリスク管理の視点は非常に現実的です。
「公平性」の定義: テストの内容が良いか悪いかよりも、「全員が同じ定規で測られる」こと自体に価値があるという主張は、大衆社会における不満のガス抜き(社会の安定)として強力な説得力を持ちます。
最悪の回避: 「ベストでなくともベター」という保守主義的なアプローチは、急激な改革による混乱(格差の固定化など)を恐れる層にとって安心感があります。
この二つの意見は、**「何を犠牲にする覚悟があるか」**という点で対立しています。
Aの弱点: 共通テストを廃止した後、各大学が本当に「公正」に入試を行えるかどうかの担保がありません。AO入試や推薦入試で「親の経済力や文化資本」が有利に働く現状を見ると、完全自由化は格差拡大を加速させるリスクがあります。
Bの弱点: 「公平性」を守るためのコスト(研究時間の喪失、莫大な予算)が、国力を衰退させるレベルに達している可能性を過小評価しています。国全体が沈んでしまえば、公平な入試制度だけ残っても意味がないという反論が可能です。
どちらがより妥当か?
短期的・実務的な解決を求めるなら A 現在の日本の財政状況や研究力の低下を憂い、「即効性のある改革」を求める立場からは、Aがより妥当に見えます。
長期的・社会構造的な安定を求めるなら B 社会の分断や信頼の崩壊を防ぎ、「努力すれば報われる」という社会通念(神話であっても)を守る立場からは、Bがより妥当に見えます。
個人的な分析としては、B(公平性の維持)の主張の方が、現代の日本では「最後の砦」として支持されやすいと考えます。Aの言う「リソースの再配分」は正論ですが、入試の公平性が崩れた際に失われる「国民の勤労意欲」や「社会への信頼」の損失は、計算できないほど巨大だからです。
どちらの視点に関心を持ちましたか? これらを踏まえて、「では、研究者の負担を減らしつつ公平性を保つ『第三の案(C)』」(例:CBT化や民間試験の活用、あるいはフランスのバカロレアのような形式など)について考えてみますか?
AとBの対立構造を解消し、「研究者の負担(国家コスト)の軽減」と「入試の公平性(社会契約)の維持」を両立させるための**「第三の案(C)」**を提案します。
現実的な落とし所としては、**「テクノロジーによる効率化」と「運営主体の専門化」**を組み合わせた以下の案が考えられます。
案C:専門機関による「CBT・項目反応理論(IRT)」導入と、作問業務の完全外部化
これは、現在のように大学教員が手弁当で毎年新作問題を作る「自転車操業」をやめ、**アメリカのSAT(大学進学適性試験)**のような「通年実施・ストック型」の試験へ移行するモデルです。
1. 具体的な仕組み
運営主体の変更(教員の解放): 大学教員による「入試センター作問委員会」を解散します。代わりに、テスト理論(サイコメトリクス)の専門家と専任スタッフを雇用した**「国家試験作成専門機関」**を設立します。大学教員は「監修(アドバイザー)」にとどまり、実務からは完全に手を引きます。
「一発勝負」から「CBT(Computer Based Testing)」へ: 年に一度、全国一斉に紙を配る方式を廃止し、テストセンターでコンピュータを使って受験する方式にします。
「項目反応理論(IRT)」の導入: 問題ごとの難易度や識別力を統計的に数値化し、「どの問題を組み合わせても、実力を同じ基準で測定できる」システムを作ります。これにより、**「膨大な過去問ストック(問題バンク)」**の中からランダムに出題することが可能になり、毎年ゼロから新作問題を作る必要がなくなります。
研究時間の確保: 大学教員が、夏休みの隔離や極秘の作問業務から解放され、本来の研究・教育業務に専念できます。
物流コスト減: 50万人分の問題用紙の印刷・輸送・保管・警備にかかる莫大な物理的コストが激減します。
公平性の維持: 「全国統一の基準」は残るため、大学ごとの恣意的な運用(裏口入学など)を防ぐ防波堤としての機能は維持されます。
チャンスの拡大: 年に複数回受験が可能になれば、「当日の体調不良」などによる運の要素を排除でき、より真の実力を反映した公平な評価が可能になります。
初期投資: システム構築に巨額の費用がかかりますが、毎年の運用コスト削減で長期的には回収可能です。
「思考力」の測定: 選択式のCBTでは深い思考力が測れないという批判がありますが、これは「基礎学力の判定(共通テスト)」と「記述・論述(大学個別試験)」という役割分担を明確にすることで解決します。
もう一つの方向性は、共通テストの役割を「点数を競うもの(1点刻みの選抜)」から、**「大学教育を受ける資格があるかどうかの認証(クオリフィケーション)」**に変えることです。
仕組み: 共通テストは「合格/不合格(あるいはA/B/Cの等級)」だけの判定にします。一定水準を超えた生徒には「大学入学資格」を与えます。
選抜: 難関大学は、この「資格」を持っている生徒の中から、独自の記述試験や面接で選抜を行います。
効果: テストに「超難問」や「1点の差を分ける精密さ」が不要になるため、作問コストが下がります。また、基礎学力の担保(公平性)は維持されます。
結論: 現代のテクノロジーと統計学を用いれば、Bが懸念する「公平性」を犠牲にすることなく、Aが主張する「リソースの最適化」を実現する**案C(CBT・IRT化と作問のプロ化)**が、最も現実的かつ建設的な解決策であると考えられます。
これら三つのイシューは、昨今の政治的議論においてなんとなくセットで語られがちだ。 しかし多くの国民にとってこれらは必ずしも明日の食(じき)に関わるような喫緊の課題ではない。にもかかわらず「リベラル」勢力はこれらを踏み絵のごとく掲げ、党派的な対立を煽るための棍棒として利用している。
私自身は、個々の是非を問われれば「同性婚」と「夫婦別姓」には賛成の立場だ。 それは人権派のような熱情からではない。「そうしたい人々がいるにもかかわらず、それを断固として阻む合理的な理由が存在しない」というだけ。
もちろん現行法制下でも、パートナーシップ制度や養子縁組、あるいは通称使用の拡大といった運用上の工夫である程度の不便は解消できるだろう。
しかし、制度設計というものはシンプルであればあるほど良い。弥縫策を重ねて複雑化させるよりも、根本のボトルネックを取り除くほうが社会的コストは低くなる。
「伝統的な家族観が壊れる」みたいな情緒的な反論も聞こえるが、すでに日本社会は個人主義をベースとしたプロトコルで回っている。いまさら苗字や戸籍の表記を死守したところで、失われた共同体が戻ってくるわけではない。
ただし「制度はできるだけシンプルであるべし」という論理を貫くならば、同性婚の実現には憲法改正が最も誠実かつ正当な手段となる。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し」とある憲法24条の壁を直視せず、解釈改憲で済ませようとするのは法の支配に対する冒涜だ。
彼らが本当にマイノリティの権利を重視するのであれば、そして憲法の条文でなく立憲主義そのものを大切に思うなら、堂々と改憲を主張すべきである。
さて、これらと同列に語られがちな「女系天皇」については、断じて容認できない。前者の二つとは次元が全く異なるからだ。
そもそも天皇制とは、血統という純然たる「身分差別」の上に成り立つ、前近代的なシステムである。好き嫌い抜きにしてそれは厳然たる事実だ。そこに近代的な「男女平等」や「個人の自由」といった概念を持ち込もうとすること自体が、致命的なカテゴリーエラーなのだ。 リベラルを自認する人々が、天皇という特権的身分に対して「女性もなれるようにすべきだ」と主張するのは、自己矛盾も甚だしい。「平等」を旨とするなら、制度そのものの廃止を訴えるのが筋だろう。
万世一系という男系継承のルールの墨守こそが、天皇を「政治権力」ではなく「権威」たらしめてきた核心である。そのルールを現代的なポピュリズムに合わせて緩和・変更することは、天皇を単なる「世俗の元首」へと変質させ、最終的には政治闘争の渦中へと引きずり込む愚行に他ならない。 まがい物として存続させるくらいなら、いっそ無くしてしまったほうがマシである。
おそらく「女系天皇」を唱える者たちの中には、この「変質」こそを狙い、サラミ戦術の一枚目として利用している確信犯もいるのだろうが。
繰り返すが「明確にする必要があったのか」は左翼でよくあった指摘の中では正しい指摘だが、とはいえ内容に誤りはないから撤回する必要がないというのが一般的な日本人意見であり、故に「撤回を要求している左翼」をアホと断じている。
ネットの連中が悪評を書いてニヤニヤしてると決めつけて悦に浸ってるが、その構図を頭の中で作っているのはお前自身の妄想であって、観察でも分析でもない。ただの自己放尿だ。
現実で話す相手がいないと勝手に断じて「可哀想になる」とか言ってるが、それは相手を理解した結果じゃなく、自分が優位に立ったつもりになりたいだけの自己放尿。
大体の国民にとって「アメリカが台湾有事で攻撃を受けた時に日本はどう立ち振舞うのかを明言する必要があったか」については議論の余地があれど、同盟国が攻撃されたら日本も防衛に周るというのは失言とは見做されてないのですよ。
それを左翼が「撤回が必要」だとか「これは宣戦布告で中国へ戦争を仕掛けてる」とか頓珍漢なことを言ってるから、令和では左翼が周りから白い目で見られているの。
中国と関係が悪化したことで経済影響は多少はある。一般人もそれは問題視してる。
一方で、脅して言うことを聞かせようという国に依存するのも間違いだからマーケット規模がデカくても依存しすぎないようにしていこうという転換期にしていくという言い分もわかるから「ならしゃーない」くらいに国民も多少納得してるっていう話だよ。
お前ら、自分たちの主張がファンタジーの世界にあることを自覚してよ。日本中で誰も彼も戦争しようなんて言ってない。(もしかしたら一部の極右は言ってるかも知らんが、それはアホなんで無視していい)
むしろ戦争を起こさせないための抑止力の話をしている。どうにかして中国による台湾への武力行使を止めたいんだ。
オールドメディアの支持率を下げる報道に踊らされてる場合じゃないよ。現実をみよう。
追記:
アホ左翼(左翼の中でも考えがない人のこと・左翼全般を指さない)が返信つけたから補足しておくけど、「高市政権の支持率65%」「台湾有事答弁 問題ない50%」これが日本の現実である。
https://mainichi.jp/articles/20251123/k00/00m/010/107000c
https://news.yahoo.co.jp/articles/399c57ce95533e7a04157079c92fb804dc464a6f
俺は「なぜ普通の日本人が高市政権を支持しているのか」、「台湾有事への回答が一般人の中で問題視されていないか」を文章化しただけだよ。
別にこの記事に対して左翼が何を喚こうとも俺は一向に構わないが、お花畑なのは国民じゃなくてあんたらだと自覚ないのが滑稽極まりないよ。
支持率を下げてやる記事を真に受けて、キャッキャしながらコメントしてるのが噴飯ものなんだと自覚できてないのがおもしろおかしいのよ。
国民が何も考えてないと嘆く前に自らの不明を恥じてバイアスを取り除いて世界のパワーバランスなどを真剣に考えるべき。
追記2:
id:duckt "やっぱり「普通の日本人」って言うんだな"
これは自分が右寄りだから真ん中の人を指して言ったのだが、カテゴライズとしては微妙なのやも。この記事は右寄りの人が真ん中の人たちの意見を観測範囲で起こしたものなので。
そもそもだが、そういう論を出せる人は「アホ左翼」とは見なしていない。本記事はどこにもいない「戦争を望んでいる大多数の日本国民」を幻視しているアホ左翼に向けたものであることを理解いただきたい。
一方の意見しかない国家の方が遥かに危ういので、色々な意見を持つ国というのは良い。右に偏らないようするためにも、左側の貴重な見解も発言されてしかるべき。
ただ元増田のように「それにしてもアホだな」っていうのが目についたので思わず書いた。
他にも高市氏の発言も知らず「アメリカ」と書いてるのに台湾のことを指してるがごとく書いたり、「オールドメディアの出す支持率信じちゃうの?」とか統計操作も辞さないならもっと悪い数値にするだろ常識考えろなどのように色々ダメな発言も散見されるけれども、考えて発言してる人も多々見かけるのでまだまだ左翼も全体では捨てたもんじゃないだろうな。
再度書くが"それを左翼が「撤回が必要」だとか「これは宣戦布告で中国へ戦争を仕掛けてる」とか頓珍漢なことを言ってるから、令和では左翼が周りから白い目で見られているの"で、ちゃんと考えている人は、むしろそういう愚かな味方を諭して育てて欲しい。
はてブでも高市人気に比例するように愚かなコメントがとても目立つようになった。中には鋭い意見もあるのに、アホみたいなコメントにばかりスターが並んで埋もれている。とても勿体ない話だよ。
追記3:
そもそも高市発言を「戦争奨励」のごとく語るコメントがあるので温度感が違い過ぎて話にならんので補足する。以下の全文書き起こし記事から一部引用する。
https://note.com/osamu_iga/n/n9c15ef0c28f4
質問:「存立危機事態、所謂まあ、限定した集団的自衛権の行使ですね。これ以外の集団的自衛権の行使、つまり限定の無い集団的自衛権の行使は違憲である、これは従来の政府の考え方だと思いますが、そういう考え方を維持されてますか?」
回答:「集団的自衛権の一般の行使を認めるものではなく、他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないという政府の見解に変更はございません。」
⇒単に台湾が攻撃されただけでは日本は動かない(たとえ台湾を国家承認したとしても他国である以上は集団自衛権の行使はできない)
特にそのあとで「憲法上我が国による武力の行使が許容されるのは、所謂3要件を満たす場合の自衛の武力の行使に限られます。そして、この3要件は国際的に見ても他に例のない極めて厳しい基準でありまして、その時々の内閣が恣意的に解釈できるようなものではないと思っております。先程来、存立危機事態における武力の行使についてお話がございましたが、これも限定されて集団的自衛権の行使、即ちあくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置としての武力の行使に限られていて、集団的自衛権の一般の行使を認めるものではなく、他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないという政府の見解に変更はございません。」と明言しており、戦争するぞなんて一言もいっていない。
じゃあなんで揉めてるのかといえば、集団的自衛権の行使について、具体例を言及してしまったから。
回答:「まあ、海上封鎖っていうのも、これ、戦艦で行い、そしてまた他の手段も合わせて、まあ、対応した場合には、武力行使が生じ得る話でございます。あの、例えば海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかの他の武力行使が行われる。まあ、こういった事態も想定されることでございますので、まあ、そのときに生じた事態、いかなる事態が生じたかっていうことの情報を総合的に判断しなければならないと思っております。」
⇒台湾に米軍が行って攻撃を受けたりなど、特定の事案があれば防衛に向かう可能性がある。この辺は日米安保に絡む話。そもそも台湾有事が発生したとして、アメリカが支援に行くなら日本の米軍基地から出る可能性が高い。日本国内の米軍基地への攻撃も受ける可能性はある。流石の中国も台湾のためだけにそこまでやらないと信じたいが。
特に「主に攻撃国の意思、能力、事態の規模、対応などの要素を総合的に考慮して、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性ですとか、それから国民が被ることになる犠牲の深刻性、そして重大性などから判断することを、ま、これは判断するべきものだと考えておりますので、政府としてその持ち得る全ての情報を総合して判断する」と発言しており、これは日本へ戦禍が広がり国民に被害が出るのであれば防衛に出るということ。尖閣諸島だけでなく、沖縄が中国の領土だと嘯いている以上は、そのような想定もしておかなくてはならない。
これを以て戦争をしたがっていると考えるのは流石に早計というところ。本当にそんな発言だったなら支持率は1ケタ台に急落したことだろう。
あと、本件では岡田氏が明確にせよと言っておきながらいざ総理が明確にしたら、同じ舌で「言うべきではなかった」とかいうので馬鹿馬鹿しいなとは思ってる。
本件で明確にしなくてもよかったという声は多いが、明確にしてほしいと希望を述べたのは岡田氏本人だよ。明言したことについて総理にのみ言及するのもおかしな話だ。
繰り返すが「明確にする必要があったのか」は左翼でよくあった指摘の中では正しい指摘だが、とはいえ内容に誤りはないから撤回する必要がないというのが一般的な日本人意見であり、故に「撤回を要求している左翼」をアホと断じている。
更に一足飛びに戦争が起きるとか言ってる人は幻想である。妄想ではなく現実をしゃべって欲しい。そんだけ。
そして改めてだが、「大多数の日本人は戦争を望んでいない。そして日本だけでなく台湾の平和も願っている」。故に「侵略されないための議論はせざるを得ない」とも。
一、 雨雲(あまぐも)行方は 問わぬまま 数値を信ずる 我らが徒(と) 古き因習 今捨てて
熱風循環(ねっぷうじゅんかん) 滞(とどこお)りなし
水分一四・五(じゅうよんてんご)の 極みへと 理想の歩留(ぶど)まり
二、 電波に乗せし 世迷言(よまいごと) 「手間こそ味」と 嘯(うそぶ)くを
断じて許すな 胴割(どうわ)れを ムラなき乾燥 至高の技(わざ)
コンバインより 直結(ちょっけつ)す 鮮度を守る 鉄(くろがね)の意志
三、 合理の光 身に浴びて エセ科学(かがく)の闇を 切り拓(ひら)く 情緒に媚(こ)びぬ
本当にショックだ。
表面上は何も起きていない。
簡単に言えば、
・SNSでしか知らない(元々知ってはいるが相互フォローでもない)相手の
・注意されるべきことのない、もちろん悪気もない行動に
・大きな負の感情を抱き
文字にすることで、(たとえば矮小化されて)もしかしたら私の抱く危機感や恐れといったものは伝わらないかもしれない。インターネットはむしろ、そういう世界としての一面も大きいだろうと。
もちろん私も、画面の向こうの誰かに「なんやねんコイツ」と思ったことは何回もある。でも、それを言葉にして発信することは断じてしていない。
だから怖かった。
後になってハッと気がつくまで、自分の頭の中で繰り返されていた言葉の攻撃性を自覚できていなかったことが。
しかも振り返って考えると、私の内心には少なからず「嫉妬」があった。それも本当に怖かった。
私は年齢としてはそこそこの大人で、相手は(知りうる限り)年齢差のある年下である。そのことにも、後から気がついて、震えた。
内心に留まっていたから良かった。何を思うかは自由である。それは、まごうことなき事実である。
でも、このメンタリティのままさらに年を重ねていくと、いつか何かしでかしてしまうんじゃないかと思えてならない。
短絡的に考えて、無自覚に、偏った理解をして、素性の知らない誰かに、日頃のストレスの捌け口にするように、それが悪いこととも自覚せずに、攻撃的な言葉を吐くのではないか。
結局のところ、自分はそうじゃないだろうと思い込んでいたから怖いのだろうと思う。
確かに存在する自分の負の側面を、善良に振る舞おうとすることで押さえ込もうとしていたから。
本日発表された「生成AI時代の創作と権利のあり方に関する共同声明」は、表面上は高尚な倫理を装いながら、実際には旧来の出版・映像業界が自らの利権と支配を維持するために発した時代錯誤の自己防衛声明にすぎません。文化の担い手を名乗りながら、彼らは文化を盾にして独占し、創作の自由を自らの縄張りに囲い込もうとしています。AIという新たな知的基盤を「脅威」と決めつけ、法律や科学的事実を踏みにじってまで、自分たちの都合に合わせた“新しい原則”を作り出そうとする姿勢は、文化の発展を自ら人質に取る行為と言わざるを得ません。
声明で繰り返される「オプトイン原則」なる主張は、法的根拠のない作り話にすぎません。日本の著作権法第30条の4は、情報解析、すなわち機械学習を適法な行為として明確に認めています。これは国会で正式に審議され、国際的にも承認された条文です。それをあたかも存在しないかのように無視し、独自の“原則”をでっち上げているのは、法の支配を自分たちの感情で上書きしようとする行為にほかなりません。法治国家の根幹を軽んじるこうした態度こそ、社会にとって最大の脅威です。
声明では「WIPO著作権条約の原則にも反する」との一文が見られますが、これは国際法を理解していないか、あるいは意図的に誤解させる表現です。WIPO著作権条約第10条は、各国が技術革新との調和を図るために例外を設けることを明確に認めています。日本の著作権法第30条の4は、その条項に基づく正当な立法です。にもかかわらず、これを「国際的に反する」と断じるのは、国際法の権威を自らの商業的利益のために悪用する詭弁にすぎません。法を装いながら法を捻じ曲げる態度は、文化への裏切りです。
声明が要求する「学習データの透明性」は、AI技術の基本構造を理解していない人々の発想です。生成AIは著作物を丸ごと保存しているわけではなく、膨大な情報を数学的に抽象化して学習しています。どの作品を学習したのかを特定することは、理論的にも不可能です。にもかかわらず、それを“透明性”という美辞麗句で求めるのは、AI研究を停止させるための方便に見えます。理解できない技術を「危険」と断じて封じ込めようとする態度は、科学の否定であり、知の進歩への挑戦です。
著作権法第1条は、「著作物の公正な利用を通じて文化の発展に寄与する」ことを目的としています。声明はこの理念を真っ向から踏みにじり、創作の自由を業界の利権で縛りつけようとしています。もし学習をすべて許諾制にすれば、日本のAI研究は立ち行かなくなり、創作者自身もAI支援という新しい表現手段を奪われるでしょう。つまり、彼らは「創作者を守る」と言いながら、実際には創作の未来を殺そうとしているのです。
声明全体に共通するのは、「自分たちだけが正義である」という思い込みです。AIに学習されることを「搾取」と呼びながら、彼ら自身は長年、他人の文化を引用し、再構成してきました。著作物の「利用」は自分たちの権利であり、AIの「利用」は侵害だという二重基準は、もはや論理ではなく自己保身のための感情論です。著作権を対価交渉の武器に変え、創作の自由を締めつける構図は、文化産業ではなく利権産業の姿です。
7.未来に向けて
AIは人間の創造性を奪うものではなく、拡張するものです。学習を犯罪扱いし、技術革新を恐れ、自由な発想を封じることこそ、文化への裏切りです。私たちは、旧来の特権構造に縛られた声ではなく、法と科学と自由の原理を信じる社会の声を支持します。AIと人間の創造性は対立するものではなく、共に進むべき文明の両輪です。文化を守るとは、未来を拒むことではなく、未来に開かれることです。
【発出者】
うちは、いわゆる「政治の話」を食卓でするような家庭ではない。
なんとなく、夫が保守的で自民党を支持しているんだろうな、というのは知っていた。ニュースを見てたまに「景気対策が…」とか「防衛費が…」とか言うことはあっても、私(どちらかといえばリベラル寄り)と議論になるようなことは、お互い無意識に避けてきた気がする。
もちろん、私がジェンダー平等の問題や「ガラスの天井」について思うところがあっても、それを夫に熱く語ったことはない。どうせ「ふーん」で終わるか、面倒くさそうにされるのがオチだと思っていたからだ。
そんな関係だったのだが。
先日、高市氏が総理大臣に就任した。 私は「初の女性総理か…」と感慨半分、政策への警戒半分、といった複雑な気持ちでニュースを見ていた。
一方、夫は。 特に賛成とも反対とも言わず、いつも通り淡々とニュースを眺めているように見えた。彼が彼女の支持者なのかどうかも、私は知らない。
異変が起きたのは、その数日後だ。 ネットニュースやSNSで、彼女に対する凄まじい言葉が飛び交うようになった。
もちろん、政策への真っ当な批判はあった。 それとは別に、目を引いたのは「男に媚びた」「女のくせに」「名誉男性」といった、彼女の性別や振る舞いに対する、お世辞にも「批評」とは言えないような罵詈雑言だった。
(うわぁ…酷いな…)
特に、そうした言葉の一部が「リベラル」や「フェミニズム」を掲げるアカウントから発信されていることに、私は複雑な気持ちを抱えていた。
その夜、リビングでスマホを見ていた夫が、珍しく私に話しかけてきた。
「なあ、これ見た?」
夫が私に見せてきたのは、そうした罵詈雑言がまとめられたネット記事だった。
「…うん、見てるよ。酷いよね」
「いや、なんというか…。政策を叩くなら分かるんだよ。でも、『男に媚びた』とか『女のくせに』みたいなのは、ちょっと違うだろ」
私は驚いた。 夫がこういう「ジェンダー絡み」の話題に、自ら言及してきたのは初めてだったからだ。
夫:「この人(高市氏)が実力あるかどうかは人によるんだろうけど、一応トップに立ったわけじゃん」
私:「…うん」
夫:「なのに、叩いてる理由が『女のくせに』とか『男みたい』とか、そういうのばっかりなのって、おかしくないか? しかも、そういうのを言ってるのが、普段『男女平等』とか言ってる側(リベラル層)なんだろ?」
夫は、政治的に「正しい」ことを言おうとしているわけではなかった。 ただ、彼が持つ(おそらくは非常にシンプルな)「実力主義」や「フェアネス」の感覚からして、目の前で起きていることが「アンフェアだ」と感じたようだった。
実力で評価されるべき(と彼は思っている)なのに、実力以外の部分(=性別)で、しかも「平等を訴える側」から攻撃されている。
このねじれが、彼にはどうにも理解しがたく、気持ち悪く映ったらしい。
夫は続けてこう言った。
「こういうのを見るとさ…もしかして今までも、女の人ってだけで正当に評価されてこなかったことって、あったのかなって思うよ」
私は、一瞬耳を疑った。 あの「個人の努力」が口癖だった夫が、構造的な性差別の存在を、ほんの少し、示唆したのだ。
もちろん、これで夫がフェミニストになったわけでも、リベラルに転向したわけでも断じてない。明日になればまた「景気が…」と言っているだろう。
でも、彼が「実力さえあればいい」と信じて疑わなかった世界に、「あれ?」という小さなノイズが走ったのは確かだった。
「これじゃあ、フェアじゃないよな」