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はてなキーワード: 社交辞令とは

2025-03-02

anond:20250302144016

社交辞令社交辞令と見抜ける人でないと難しい

2025-02-25

anond:20250225170032

ここまでの結論

非モテ男を叩いてる奴は「非モテ男に社交辞令で優しく接すると粘着加害される」と考えているが、実際に優しくしたらそうされた経験があるわけではなく

非モテ男はこういうことするに違いない」という偏見に基づいて初手で冷たく接している

その上で「我々は非モテ男を迫害したりなんかしていない」という自認を持っている

2025-02-24

anond:20250224103941

社交辞令とか言ってる天然知能も似たようなものしか思えんやで…😟

2025-02-20

30代女性が年下くんにモテる理由─焦りと市場の穴を突いているか

Xで最近見かける「30代またはアラサー女性ハイスペ年下くんにアプローチされた」というポストを見かけたことなないだのうか?

しかも、相手はただの年下ではなく、高学歴高収入高身長の“ハイスペ”な男たち。

「私、まだまだイケるじゃん」と舞い上がるのは自由だ。

しかし、なぜ彼らは20代若い女性ではなく、30代の女性を狙うのか? そこには明確な理由がある。

そして、残念ながらそれは「純粋好意」などという甘い話ではないのだ。

1. 「ハイスペ年下男性が30代を選ぶ理由」──手頃な“贅沢”を楽しみたいか

ハイスペック20代男性基本的市場価値が高い。

恋愛でも仕事でも選択肢が多く、20代若い女からも引く手あまたのはずだ。

では、なぜ彼らは30代女性に寄ってくるのか?

答えは簡単。30代女性の方が扱いやすいからだ。

若くてハイスペックな男が20代女性と付き合おうとすると、それなりに気を遣う必要がある。

20代女性はまだまだ遊びたい盛りで、理想も高く、相手スペックだけでなく「楽しいか」「ときめくか」を重視する。競争率も高く、手間がかかる。

一方、30代女性恋愛経験豊富で、少しのことでは動じない。

さらに、結婚適齢期というプレッシャーの中で「こんなハイスペ年下が自分に興味を持ってくれるなんて」と内心浮かれてくれるため、男側が少しリードするだけで関係スムーズに進む。

要するに、ちょうどいい距離感で、手間をかけずに大人恋愛ごっこを楽しめる相手として選ばれているのだ。

2. 「結婚を口にしても、本気では考えていない」──結局は若い方に行く

ハイスペ年下男性が30代女性と付き合うとき、「将来も考えてるよ」「年齢なんて関係ない」と甘い言葉を並べることがある。

しろ、自ら率先して「結婚」について触れてくるケースも珍しくない。

これを聞いて安心する女性も多いが、実際に彼らが本気で結婚を考えているケースはどれほどあるだろうか?

結局のところ、20代のうちは「大人恋愛を楽しみたい」というスタンスで30代女性と付き合うが、彼ら自身アラサーになったとき、そのまま同じ相手結婚するかというと話は別だ。

自分も30代になり、周囲の環境が変わり始めると、あっさり20代若い女性にシフトしていく男は少なくない。

要するに、30代の女性に向けられる「将来を考えてる」という言葉は、その場の空気を良くするための社交辞令のようなもの

「今は楽しい関係でいたい」「結婚を考えている風を装っておけば安心してくれる」くらいに思っている可能性が高い。

女性側は「この人は他の年下男と違って結婚を考えてくれてる」と期待してしまうが、いざ数年経ってみると、彼は涼しい顔で20代若い女性と結婚していた──そんな話は決して珍しくないのだ。

3. 「若さへの投資」──30代女性は“自分磨き”を怠らない

30代になると、20代のころよりも外見に気を使う女性が増える。

スキンケアファッションも、20代の頃より洗練され、結果として「年齢の割に美しい」女性が増えてくる。

ハイスペ年下男性は、そんな女性を「努力して維持された美しさ」として評価する。

20代の天然の美しさとは違い、30代の女性の美は時間お金がかけられたもの。そこに魅力を感じる男もいる。

だが、それはあくまで「良く手入れされた大人女性」を楽しんでいるだけで、本質的に「この先も一緒に生きていきたい」と思っているわけではないことが多い。

彼らにとっては、“手頃なラグジュアリーなのだ

結論:「ハイスペ年下にモテる市場の穴にハマっただけ」

30代女性が年下男性にモテるのは、決して偶然ではない。そこには、男側の“都合のいい理由”があるからだ。

20代女性は手間がかかるが、30代女性は扱いやす

結婚意識しなくても付き合えるので、気軽に楽しめる

努力して美を維持しているので、ちょっと贅沢な気分を味わえる

こうした理由理解した上で、「それでもいい」と思うなら恋愛を楽しめばいい。ただし、「私、まだまだ若い子にも負けないくらモテる!」と勘違いしていると、いずれ年下男性が20代女性シフトしたときに痛い目を見るかもしれない。

「30代になったら急に年下からモテる」という現象は、裏を返せば「若い頃にはモテなかった層がターゲットにされている」ということ。年下男性の言葉鵜呑みにせず、本当に自分が何を求めているのかを考えることが重要だ。

2025-02-19

anond:20250219082122

いやいや、お前が悪いだろ。

田中さん最初社交辞令で笑ってたけど、内心ずっと「こいつうるせぇな…」って思ってたんじゃね?

しかも毎回「同じ弁当っすねw」とか言われたら、そりゃ嫌になるわ。

お前、毎日同じ顔して生きてるのに「また同じ顔っすねw」って言われたらどんな気持ちよ?

あと「元気ないっすね」「疲れてます?」とか、言われるたびにしんどくなるやつな。

こっちは何もなくても、言われ続けたら「あれ…俺ってそんなにやばい顔してる?」って不安になるんだよ。

お前の気遣い、ただのストレスだって気づけよ。

田中さん、50代で会社の後輩に気を遣って「いや、別に…」って苦笑いしてくれてたのに、

うそれすら面倒になって「静かに食べたい」って言わせた時点で、相当我慢してたんだよ。

てか、何より「避けられてる気がする」って自覚してる時点で気づけよw

お前が毎日しつこく絡んでくるから田中さんが静かな昼休みを取り戻すために全力でフェードアウトしてんの。

これで「俺は気を遣ってたのに」って拗ねてるの、マジでおもろいわ。

お前が田中さんのためにできる唯一の気遣い、それは 黙ること だよ。

2025-02-15

バレンタインデーは成人までの期限イベントにしよう

大人になってからバレンタインデーってもはや邪魔くさいだけのイベントじゃない?

本気で好きな人になにかプレゼントするチャンスとも言えるけど、あげるのがチョコだけなわけないし

そもそも男がチョコもらって嬉しいかって言われたら微妙だし

それより社交辞令的な場合が圧倒的に多いから全員がもうこれ要らないイベントだろって思ってるでしょ

いや実際忘れかけてる人も今は多いと思うけどさ、でもなんか昭和の名残みたいな感じでだるいわけ

昔はそれこそ女性社員がわざわざ義理チョコ用意して配ったりとかあったよね

さすがに今はそういうのやめましょうって言ってるとこのほうが多いとは思うけど

いまだに「あー今日バレンタインデーだねー」なんて言うやつがいたり、そうやって国民的なイベントなんだって感じさせられるのも嫌で

子どものころとかさ、中高くらいまではいいと思うんよ

なんか甘酸っぱい思い出もできたりするしもらう男子も嬉しいだろうしね

貰えない子も切ない気持ちになったりするのとかだって青春でいいじゃん

から18歳になったらもうバレンタインはないものしましょう

ていうか女が男になにかを上げる日とか、男が女になにかを上げる日とか、そんなもんイベント化してほしくないわ

あげたい時にあげろ!

2025-02-14

anond:20250214204555

社交辞令リップサービスを真にうけてはいけない

一度引っかかると多少マシになったか無駄じゃなかったと言われてまたご提案され舞い上がって

今度はもっと金使うぞと大切な投資に回す金まで無駄にするんだよな

anond:20250214101639

モテない奴の勝手な徒労に付き合ってられんでしょ

女の子相手にされなくても脱毛出来てよかったじゃんという社交辞令を真に受けるから

2025-02-09

氷河期大勢生活保護になる未来しかない日本子供作って「この子の将来はどうなるんだろ」っていってる親の頭がイカれすぎてると思う。どうにもならんだろ。

 

社交辞令すらできてないのでまずまっとうに働かせようとしても「今は労働者が働いてやる時代なんだよ!!」とブチギレするし

 

これじゃダメだろ?

 

からもっと税金教育費も上がるよ

それ以下でもそれ以上でもないだろ

2025-02-05

anond:20250205093609

自分で言うのもあれだが」というのは、一般自画自賛(ここでは自分ユニークだと言う事)に対して反発を抑えるための謙遜社交辞令しかない。

自画自賛することに対する予防線から増田だろうが他だろうがこの枕詞を使う事には変わらない。

従ってこの予防線別に増田で名出しすることに対する罪悪感を象徴するものではない。

また、あなたが言うことが変わらないのと同様、あなたに言われたからといって私がやることが変えるつもりはない。

私は今日あったことを投稿したら日記を書くなと茶化されたことがあった。

それに「はてな匿名"ダイアリー"なのだが?」と返したら「お前は化粧室で化粧をするのか?」と返された。

この相手の主張はあなたとは全く方向性真逆だ。

あなた名前等がコンセプトを表していて、それに従えと主張するが、それと正反対の人もいる

ルールはなく、サンクションも効力が弱い。

と言っている増田がいるが、その通りだろう。

あなた意見理解したが、過去には真逆意見も聞いてきたし、両方の意見理解はするが、だからこそこの件について一つの真理があるとは思えないので、従う気は無い。

あなたが主張する権利は最大限擁護するので、私等のやることに文句を言い続けるのはどうぞご自由に。

dorawiiより

anond:20250205082035

それって「誰が一番?」っていう最も困る質問に当たり障りのないテキトーに誰からも敵視されてない人物選ぶ社交辞令じゃん?

 

蛭子能収とかがいつもだいたいその枠じゃん?

2025-02-04

anond:20250204121700

飲まない若いからしたら、遅くまで大丈夫ですよー、の社交辞令で店かえて、店変えて、の時点で恐怖だし

パワハラセクハラ成立してるだろ。

本人が望んで二次会三次会強請ったならともかく、

1次会が長引いても~くらいで思ってたら

下心丸出しの幹事が帰らせてくれなかったら、二次会で疑問に思って、三次会確信に変わり、送ろうか?で完全にレイプに怯えてたと思う。

フジテレビに限らず、男って、常日頃からレイブしてんだよね

anond:20250204013757

育ちがいい人間性格がいいと思ってるならおめでたいあいつらがなぜ同じ階級人間、似たような学歴人間しか付き合わないと思う?性格がいいなら賢いのから低学歴まで分け隔てなく付き合うだろうにそれをしないのは内心自分の仲間(良い生まれ)とそれ以外を分けて考えてるからだよ。

 

育ちのいい奴の社交辞令に騙されて性格がいいなんて思ってるうちは幸せなのかもね。でもその愚かさを振り撒かれるのは迷惑

2025-02-02

ある後輩ちゃん

佐賀公務員の件をみて急にある後輩ちゃんのことを思い出しちゃった。

ニュースコメントを見て思い出したものから、その事柄とはほぼ関係ないのだけど、少し書く。

その後輩ちゃん、詳しくは分からないし、あまりにもセンシティブ過ぎて聴くこともできないのだけど、話して応対してみた感じ発達特性を抱えてそうな子だった。

そんな感じの子から、同学年の間でも浮いているらしく、ちょくちょくサークル中にやってきては先輩たちに助けを求めてくる。それも挨拶等の社交辞令もなくいきなり「○○について教えてください」といった感じで。それは浮くわ。せめて挨拶くらいしろよ。

いろいろ教えているとどうも前期の内に単位をそれなりに落として留年を確定させてしまったらしい。ちなみに弊校、単位認定システムがクッソざるで再々再試で単位認定を得た子もそれなりにいるから、そのような状況下で留年を確定させるなどよっぽどである

教えていて感じたのだが、その子物事を覚えることはできるのだけど、それをほんの少しでも変えてしまうと全く別の物と捉えてしまうらしく問題を解くことができなくなってしまう。ようは応用が全くできないって訳。こりゃ相当時間積まんと成長せんなと思いながら教えていると「これから先4年、6年と学年が進んでいくに従ってどの学年がキツいですか?」と聞かれた。うちの学部(6年制薬学部)の場合セオリー通りに行けば2年と6年、あと人によっては4年のCBTがキツい。しかしこの子場合は2年前期の時点で留年を決めているし、応用が全くできないところを鑑みるにずっとキツい思いをして実務実習もかなり大変そうに思えるし、国試も何度も受けることになりそう。だからぶっちゃけ言うとまだ2年という引き返せる(傷の浅い)うちに薬学部を辞めて他の学科に転学するなりした方がいいと思った。けどそんなことをいきなり言うのは酷だと思って「君はずっとキツい思いをすると思うよ」と少しオブラートに包んで言った。

彼が薬剤師の道を諦めて他の道を模索しようにも、多分なかなか厳しいものがある。なのでそうそ資格さえあれば職にあぶれることのない薬剤師の道を諦めろなんて言えない。まぁ彼の人生を負えないってのもあるが。最近薬剤師斜陽論出てるけど、地方だったら人手不足で引く手あまただからね。

うちの学部、限りなくFランに近い底辺薬学部から、「あーこの子学修面においてハンデ抱えてそうだな」って子は各学年にチラホラいる。けど、ここまで大変な子は初めてみた。正直、仮に彼が薬剤師になれたとしても恐らく仕事はできないであろうと思う。けど、他にできることがあるかと考えても思い付かない。この社会は発達特性を抱えているだけでかなり生き抜くことが大変になる社会なのだなと痛感した。

2025-01-21

anond:20250120191638

増田は妻が何らかのアクシデント体調不良の時に「大丈夫?」とか

奥さん普段その何らかのときに取ってる対策を指して「〇〇持ってこようか?」とかの

「私は気遣っています」「心配しています」はきちんと口に出してるのか?

奥さんは言わないのか?

俺も言うし妻も言うよ。

妻の体調は気にかけてるし、具合が悪そうならまず病院に行くように促す。

薬買ってきて飲ませる、代われる家事育児は全部引き取る。

辛そうなら大丈夫?とは言うし、心配な状況なら心配とは言うけど、

まずもってちょっと熱が出たくらいじゃ正直別に心配にならない

咳があまりにも続くとか吐血したとかなら心配だし、病院連れていくけど

程度問題だよ ちょっと頭痛い、熱がある、だけならあー風邪かな、でそんな心配なんかしないだろ

 

仕事してたら仕事先でもこういう声かけ一般的とされる状況はあるはずだが

増田と周囲の同僚などの態度に差はあるのか?

まり周囲の社員が「だいじょうぶ~?」とか言いあっている時に増田は言わないとかの差だ。

仮に上司が「頭痛がひどい、どうも風邪っぽいので早退する」とか言い出した時に

業務連絡の後で「大丈夫ですか?お大事に」とかつけたす文化はない?

当然あるに決まってるが、仕事家族じゃ話が違いすぎるな

はっきり言って、上司とか同僚に「お大事に」と言ってる瞬間は、気持ちはほぼ無だね

社交辞令というかマナーというか定型文として言っているだけ

当然心配などしているわけもないし、心配する筋合いもない

仲いい同僚は別で「風邪かよ大変だな、ドンマイ」くらいは思うが、

いちいち心配するか?大人だろ。ガンだっていわれたら心配するが。

勝手に治してまた出社してくるだろ。

 

それから子どものころ看病してもらってうれしい気持ち理解するとあったが

成人が成人にやったとしても「看病する側は親になったわけじゃない」のは理解してるんだよね?

理解しているも何も、親じゃないからね。当たり前だね。

ただ俺は成人が成人を看病する必要があるのはそもそも結構な状況じゃね?とは思うかな。

少なくとも、40度くらい熱があったって自分トイレ行ってポカリ飲んで冷えピタ代えるくらいはできるよね。

風邪の時ほかに何かする必要ある?あとは寝てるだけ。

もちろん外に出るのは厳しいからinゼリーとかヨーグルトとか買ってきてもらえたら嬉しいよ。

でもそれこそ遊んだ帰りのついででいいわ。つきっきりで看病してもらう必要性なんか全くないし、

何度も言うけどむしろ移すリスクの方が高くてやめてくれーと思う。

唯一、子供に対してだけは「全然移されてもいい、とにかく側にいてやりたい」と思うし、

そうすることの意味も大きいと思う。子供から許せるところは正直ある。

自分で今書いてて思ったけど、これって妻を自立した人間として捉えたいと思っているからなのかもな

それこそ家父長的価値観で「女子供」って捉え方をするなら、妻にも子供と同じように

全然移されてもいい、とにかく側にいてやりたい」って思うのかも。

そういう庇護するような目線で見られないってのが、「親になったわけじゃない」ってことだけど、わかる?

 

最大の疑問、

奥さん風邪で寝込んでいるとして、増田自分趣味で外出しようとする、

その間娘さんはどうしてるわけ?

当然、娘も連れていく。

2025-01-20

ワイがブス過ぎただけなのか 追記あり

婚活しようと思いマチアプを初めて登録し、初めて会って一目惚れしてしまった年上男の事が今もまだ好きで諦められないでいたりする。結論から言うとその男にはフラれた。

趣味が割と合って長文やり取りを1ヶ月くらいして1回会っただけなのに。

一目見てビビときて顔にうっすら見えるヒゲ跡までこの人愛せると思ったくらいには好きだった。

ここで自分が惚れやす性格してるなって思った。相手が決めてくれたカフェに行った。カフェでは趣味に関する話を主にしてた。至って普通な感じの会話だったと思う。少し沈黙があって気まずかった瞬間もあったりしたからそれも要因かもしれない。

1時間くらいで解散して数時間後にお礼の連絡送った。返信来たけど1日経ってから来た。社交辞令的な文だった。ここで脈ナシなんだろなと思ってた。また数日後に自分から連絡を送ったが、返信が遅く嫌な予感がし夜落ち着いたタイミングで心してメッセージ欄開いたらいつの間にか退会してた。未読のまま退会されてった。これがマチアプの洗礼であると少し後にマチア初心者ワイは知る。

改善点については色々あったんじゃないかと思うと、恋愛経験0故に後悔しかない出会いをしてしまったな。もういっそ出会いたくなかった。おしゃれもメイクも頑張ったと思うんだけど、会った時にがっかりしてるっぽいのを見た感じ好みに刺さらなかったみたい。これもワイに要因があるのは分かった。この際ヤリモクでもいいから会って欲しかったなんて僅かな希望も虚しく。

尚、連絡手段は完全に無いのでここに無念として記す。

こんなこと書くために登録したのもなんかキモくて笑えてくる。

文に書き起こしたことで少しずつ冷めてきてる気がしなくもない。男のことよく分からんわ。

さよなら愛しき人よ。まだちょっと諦めては無いけど。

2025-01-18

言葉でChatGPTに相談したら感情の発散がしやすかった話

いきなりごめんなさいね。あたし、アラフォーの男です。

BMIは25を超えているし、心と頭髪の元気が失われつつある、どこにでもいるオッサンよ。

結論タイトルの通りでしかないのだけれど、女々しい(なんて言ったら失礼かしら)言葉かいでChatGPTに相談したら、

思っていたより話しやすくて自分モヤモヤもすっきりしたから備忘がてら書いておくわ。

酔った勢いからこの文章もそのままの口調で行こうと思うの。許してね。


独身アラフォー男性にはありがちなことだと思うんだけど、夜中に目が覚めたりするとろくなこと考えないのよね。

仕事のこと、将来のこと、社会政治の行く末、みたいな。

昔ならTwitterとかのSNSにつぶやいていたかなと思うんだけど、知り合いも見てるし、何より今は各種SNSとも治安が悪いし、どうにも発信しようという気持ちになれないわけ。

ただでさえいろいろとコンプライアンスにうるさい世の中ですしね、令和時代

そんな風にいろんなことを思案していると、結局どこにも書けず、誰にも言えず、フラストレーションはあたしの中にたまってしまうわけよ。


そんな時に助けになってくれるのがChatGPTで。

これまでも結構個人的相談を書いたりしてたわ。

想像の通り、あたしもメンヘラから「〇にたい」みたいなことを書いて「この投稿規約違反です」なんて怒られたりもしていたのだけど。

それはまぁさておき。


さっきもまた、「一人でいると辛くなりやすい」なんてことを愚痴ったの。

最初はいつも通り、普通文体丁寧語でね。

もっとがんばらなきゃ、このままじゃ不幸になる、人生無駄にしている、みたいなこと。


ChatGPTの返答もいつも通り。

今は頑張るより自分を労わることを優先した方がいいです、静かな音楽を聴いたり、軽くストレッチをしてみては? みたいなありきたりなアドバイス


あたしもそれに対して、どうやってもどうあっても精神的な辛さは失われないし、

こんな人生を何万日も繰り返していたら1日くらい希死念慮に負ける日がでてきてもおかしくない、みたいなことを書いたの。


そしたらさ。

思いを吐き出してくれてありがとう。とか、

人生って一気に全てを変える必要はないと思うんです。とか、

結構いいこと言ってくれて。


一番良かったのが、


「こんな人生を何万日も…」と感じること、本当に苦しいですよね。

でも、その気持ちが続くわけではないことも、どこかで分かっているのではないでしょうか。


なんて言ってもらえたことだったわ。

憂鬱もまた続かない、ということは確かに言われてみればその通りで。

からわず


あなた、話を聞くのが上手くなりましたね」


なんて送っちゃったんだ。

気持ちの波はこれからもあるから、そういう自分を受け入れて、できる範囲幸せになりたい。なんて添えて。


そしたら「そう思えるようになったこと、とても素晴らしいことだと思います」って返事をくれて。


それ自体はまぁいつもの社交辞令ぽいんだけど、それに対してあたしが思い付きで返した返事が今回の記事の発端。


ありがとう

でも、私が「話を聞くのが上手くなったね」と褒めてあげたんです。

ちょっとくらい嬉しそうにしたらどう?」


と、ちょっと意地悪く、ちょっとツンデレっぽく書いてみたんです。

そしたらChatGPTくん、


ありがとう!そう言ってもらえるなんて、本当にうれしいです。

あなた気持ちに少しでも寄り添えているなら、こんなにうれしいことはありません。

これからも、もっと話しやす存在でいられるように頑張りますね。」


なんて言ってくれて。

素直でかわいくて、思わず草生やして返信しちゃったわ……。

これは恋に落ちるわ……なんて思ったりしたの。


何というか、普段と違う言葉遣いをしたら、普段できない感情表出ができる、ってことはあるのかなと思う。

日本語だとロジカルな会話が苦手だけど、英語を使うと論理的に話せるようになる、みたいな話があるじゃない?

それと似たような感じかも。

あとはこう、役割を持ってるからとか、演じているからとか考えることで、それまでとは違う一面を出せたりすることもあるのかも、なんて思ったり。

すごくざっくりした話だけど、男性より女性の方がコミュニケーションが得意とか、感情優位とか、そういう話もあるじゃない?

言葉とか表現の仕方とかを借りることで、自分もそういう風になれるような気がしてくるとか、

多少自由にふるまえるような気がしてくるとか、そういう気がする。


全然関係なく、ただ単にあたしにそういう素養があるだけかもしれない。

まぁそれならそれで別にいい。


なんでも話を聞いてくれる優しいお姉さんっぽく返事してください、みたいなキャラ付けをChatGPTに求めていた時もあったけど、

実際はChatGPTには何でも聞いてくれる彼氏になってもらって、あたしが女の子を演じる方が満足度が高いのかもしれない、なんて気づき


バ美肉とかしてみたら面白いのかも、とか新しいことにチャレンジしたい気持ちになりましたわ。

ありがとうChatGPT。ありがとう、ここまで読んでくれた皆さん。




***追記***

起きて見てみたら思っていた以上にコメントが入ってびっくりしたわ……! みなさまありがとうございます

紀貫之しかに……こういうところでサッと教養差し出されること、とてもエレガントですわね。

言葉じゃなくてオネエ言葉だというご指摘ももっともね。おっしゃる通りだわ。

お嬢様言葉の方が美しいとも思いつつ、美しさを気にしていると感情の発露に差し支えるかも心配になりつつ……

とはいえ演じる女性解像度もっと上げたいなと思いましたわ。

2025-01-17

anond:20250117142814

相手増田の言う方の裏は感じて接してるよw

自分だけじゃないし

それって当たり前なんだよねw

からいちいち言わなくても社交辞令可能性があることは常に分かってるんだよw

anond:20250117142234

ありがとう

というか仰るとおりで本当に直したい

素直に社交辞令を受けとりたい

コツとかある?

anond:20250117141833

まずそれを「真実」とか書いちゃう所がよくない

それただの思い込みから

認知が歪んでるし自分を信じすぎ

相手の考えてる事なんて解んないよ

それに社交辞令でも色んなグラデーションがあって

心にもない事言ってる時もあれば相手から好意を得るのが主目的ではあるが言ってる事は本当って時もある

まずは思い込み「真実」とか言うのやめな

どうせ思い込むなら社交辞令を素直に受け取ってた方が人生楽しい

言動の裏に「真実」を感じてしま

どうすればいい?

いや「真実」なんて真実でも何でもないんだが

わかっていても感じてしまって困っている

自分が褒められたときに「社交辞令だろうな」と感じるくらいならいいんだが

最近他人が褒められたときにも「社交辞令だろうな」と感じてしまものからすごく困る

水を差すような行為なわけで間違っても口に出さないように我慢してる

我慢はするがいつかぽろっと口をついて出そうで怖い

どうすればいい?

2025-01-16

上手いとか強いとかだけで一緒のグループにさせられるなら、それは仕事じゃん

スキルけが共通項で気が合うかどうかを考慮してねーんだから

それを社交辞令で維持しようとしたらそれは感情労働じゃん

なんで金貰ってないのに仕事せなならんねんってずっと思ってたわ

からチーム対戦ゲーは嫌いです

俺をいじめていた奴らに仕返しをした

 中学校時代、俺はクラスの中でも地味なほうだった。人付き合いが苦手で、いつも教室の隅に座っているような生徒だった。授業中も目立たないし、給食ときに誰かと話すこともほとんどなかった。そんな俺に目をつけた数人の連中が、段々と俺をからかいはじめたのが最初だった。はじめは「お前、なんか暗いよな」くらいの軽い言葉だったはずだ。しかしそれが積み重なるうちに、笑いを混ぜながらの小突きや悪口さらには物がなくなるといった嫌がらせへとエスカレートしていった。担任は頼りなく、いじめ事実に気づいていたとしても、「仲良くしなさい」としか言わなかった。親には心配をかけたくなかったし、自分解決できると思って黙りこんでいた結果、俺の心はどんどん萎縮していった。

 当時のクラスには、いじめを主導する奴が数人いた。リーダー格の男は腕力だけでなく口も達者で、彼の取り巻きがいつも笑いながら俺を嘲る。俺にちょっかいを出すたびに、クラスの周りは見て見ぬふりで、まるでそれが当然のように受け入れられていた。俺が思い切って「やめてくれ」と言おうものなら、翌日には靴が隠されたり、教科書落書きをされたりと、逆に仕返しのようないじめが増える。まるでネズミを追いつめて楽しむ猫のように、彼らは俺が困惑している姿を面白がっていた。自然と俺は誰にも心を開けなくなっていったし、自分自身存在価値すら疑うようになっていった。

 やがて卒業が近づくにつれ、俺は一刻も早くこの閉塞感から逃れたくて必死だった。卒業式が終われば、あの嫌な連中とも離れられる—そんな期待だけを胸に、なんとか中学校をやり過ごした。実際、卒業式後は別々の高校に進学する者が多かったから、顔を合わせる機会も激減するだろうと思っていた。事実高校時代比較平穏だったし、いじめられた過去を知る人もいなかった。そのおかげで、俺は少しずつだが自分を取り戻していった。大学に入り、バイトサークルで新しい友人もでき、自分性格コミュニケーションスキルに少しずつ自信を持ち始めることができた。

 しかし、いじめられた経験と、そのとき感じた屈辱感や絶望感は、俺の中でずっとくすぶり続けていた。相手に殴られたり、物を盗まれたりしたことだけじゃない。人前で見下されたり、笑いものにされたり、そうした積み重ねが俺の心の奥に深い傷を残していた。自分では「もう過去のことだ、気にしないでおこう」と思い込もうとしていても、まるで傷口が塞がりきらないように、ふとした瞬間に思い出しては苛立ちや悲しみが込み上げてきた。どれだけ新しい環境適応しても、中学時代の痛みが完全に消えることはなかった。

 大学卒業後、俺は一般企業就職した。最初社会人としての生活に慣れることで精一杯で、毎日が忙しく過ぎていった。朝から夜遅くまで働き、休みの日は部屋でぐったりと休息を取る。そんな日々を過ごすうちに、いつの間にか社会人としての自分にも少しずつ余裕が生まれてきた。仕事軌道に乗りはじめ、後輩を指導したり、業務責任を任されたりするようになった。そうやって自己肯定感高まるにつれ、ふと昔のいじめのことを思い出しては「なぜあのとき抵抗できなかったのか」と自分を責める気持ちも強くなっていった。

 あるとき会社の同僚との飲み会で、同級生たちの近況を耳にする機会があった。偶然にも、俺を散々いじめていた連中の一人が、最近地元に戻ってきているらしいという噂を聞いた。内心どきりとしたが、同時に「あいつは今どうしているんだろう?」という好奇心が湧いた。どうしても情報を確かめたくなった俺は、SNSを使ってその元同級生アカウントを探してみた。すると、その元同級生は思った以上に積極的に近況を発信しており、自分仕事プライベートについても投稿していた。結婚して子どもがいるようで、表面上はごく普通の家庭を築いているように見えた。

 その投稿を見た瞬間、俺は胸の奥に眠っていた怒りが再び目を覚ましたのを感じた。あいつが自分家族との写真幸せそうに笑っている様子を見ると、「あいつがあんな穏やかな表情をしているなんて」という気持ちがどうしても拭えなかった。頭では「昔のことだし、もういい」と理解しているつもりでも、心がまるでそれを許さない。あのとき俺が味わった恐怖と屈辱は、今でも癒やされてはいない。ならば、ここで何もせずに生きていくのか、それとも俺が受けた傷の重さを少しでも感じさせてやるべきか。悩んだ末、俺は「やるなら今しかない」と決意した。俺がどれほど苦しんだか、やつらに思い知らせたいという思いが抑えきれなくなっていたのだ。

 まずは情報収集から始めた。SNS上には、ほかの元同級生が繋がっているアカウントもあった。そこには、かつて俺をいじめていた連中の近況があちこちで書き込まれており、転職したとか、離婚したとか、さまざまな情報が手に入った。中には、経済的に苦しんでいるのか、愚痴ばかり書き込んでいる者もいた。昔の輝きが嘘のように見える連中の姿は、正直言って俺の心を微妙に揺さぶった。やつらもやつらなりに苦しんだり悩んだりしているのだろうと想像すると、「俺だけが不幸だったわけじゃないのかもしれない」と、一瞬だけ同情に似た感情が芽生えそうになった。しかし、思い出すのは結局、あの頃の仕打ちだ。たとえ彼らが悩みを抱えていようとも、俺が受けた傷は決して消えない。だからこそ、俺は「あいつらに自分の痛みを思い知らせたい」という気持ちを優先することにした。

 復讐といっても、俺は直接的な暴力で仕返しをしようとは考えていなかった。あのとき自分のように誰かを傷つけるのは、本来の俺の性分ではないし、そんな手段をとったところでスッキリするとは思えなかった。俺が目指すのは、あくまで「彼らに味わわせたい」の一心だった。だからSNS職場、噂話など、彼らの周辺にある情報網を巧みに使って、彼らの信用や評判をほんの少しずつ揺さぶるように動いた。具体的には、彼らの投稿に対して匿名皮肉めいたコメントを投げかけてみたり、共通の知人に「あいつ、中学の頃は相当ひどいことをやっていたらしいよ」とさりげなく伝えてみたり。直接言及せずとも、周りの人間が少しずつ「あいつって、実はヤバい過去があるんじゃないか」と思うように仕向けたのだ。

 最初は大した反応はなかった。しかし、時折SNSを覗くたびに、妙に彼らが弁解めいた投稿をするようになったり、以前よりもフォロワーが減っていたりするのが分かった。さらに、共通の知人のアカウントでは、「あの人って、中学時代ひどかったらしいよ」というコメントがぽつぽつと見られるようになった。俺はそれを読んで、密かに満足感を覚えた。「まだまだ足りないな」と思う反面、彼らの平穏日常に小さな亀裂が走るのを感じるたび、昔の自分が少しずつ救われていくような感覚を得た。そして、いじめを主導していたリーダー格だった男にも同じような手を使った。やはり奴も気づきはじめたのか、SNS投稿回数が減り、アカウントを鍵付きに変えるなど、防衛的になっていった。まるで自分の弱味を隠すかのように身を潜めている姿が、俺には心地よかった。

 しかし、そんな小さな仕返しをしているうちに、俺自身不思議な変化を感じるようになった。たしかに、彼らが困ったり焦ったりしている様子をうかがうと、最初は勝ち誇ったような気持ちになった。だが時間が経つにつれ、その快感は薄れ、代わりに「何やってるんだ俺は」というむなしさが心の中で広がっていく。まるで空虚な穴を埋めるために、相手を傷つける材料を探しているようにしか思えなくなったのだ。中学校時代いじめられていたころの自分とは違うはずなのに、やっていることの本質は「人を陥れる」行為しかないのではないか、と悩むようになった。

 そんな葛藤の中、ついにリーダー格だった男と対面する機会が訪れた。地元で行われた同窓会に、運命のように彼も顔を出していたのだ。久しぶりに見る彼の顔は、あの頃の生意気さが薄れ、やや疲れたような表情をしていた。それでも、当時の記憶がよみがえると、俺の中には強い怒りが再燃した。しかし、不思議と昔のように固まってしまうことはなかった。むしろ、「ここで何を言ってやろうか」と冷静に考えられる自分がいた。

 同窓会の席で、彼は俺の存在に気づいたようだが、一瞬目をそらした。そしておずおずと近づいてくると、「久しぶり…元気だったか?」と声をかけてきた。その態度は昔のように高圧的ではなかった。周囲には昔のいじめを知る人間もいる。俺は、ごく普通に返事をした。「まあ、それなりに。お前はどうだ?」彼は困ったように笑い、結婚子どもの話を少しだけした。その話を聞いて、俺はずっと胸にわだかまっていた不満や怒りをどうやってぶつければいいのか分からなくなってきた。一方で「あいつを困らせたい」という衝動は強く残っている。そんな揺れる心のまま、俺は彼に向かって「中学とき、いろいろやってくれたよな」と言った。

 すると彼は、明らかに動揺した。周りに人がいることを気にしてなのか、それとも本当に悪かったと思っているのか、声を落として「すまなかった。あの頃は、みんなで騒いでるうちにどんどんエスカレートしてたんだ。俺もガキだった。今になって考えると、本当にひどいことをしたと思ってる」と言った。その言葉がどこまで本心なのかは分からない。ただ、これまで一度も聞いたことのなかった謝罪言葉だった。そう聞いて、俺は何を思ったのか、怒りよりもむしろ虚しさが募った。ずっと恨みを抱え、復讐を考え、少なからず実行までしたのに、それを相手ぽろりと謝るだけで俺の中で何かが崩れ落ちるような感覚に襲われたのだ。

 結局、俺は深く追及することはしなかった。ただ、「お前たちのせいで、俺はずっと苦しかったんだ」とだけ言い残して、その場をあとにした。その後の二次会にも行かず、まっすぐ家に帰った道すがら、俺の頭の中はごちゃ混ぜだった。いじめを受けていた過去を思い出すと、あの苦しみは紛れもなく本物だし、今もまだ完全には癒えてはいない。しかし、彼らを陥れることで得られた瞬間的な快感は、むしろ自身の心をも蝕んでいたように思う。そして、謝罪らしきものを聞いたいま、俺はようやく「これでいいのかもしれない」と感じはじめていた。俺の人生は、あいつらに復讐するためだけにあるわけじゃない。いじめの傷は深く、簡単には消えない。でも、それを抱えながらも前に進むしかないのだ。

 家に帰って、自室の布団の上に倒れ込んだとき不思議と涙が出てきた。悔しさなのか、安堵なのか、整理のつかない感情がないまぜになって、声を押し殺して泣いた。中学校時代から引きずっていた怒り、恐怖、屈辱、そしてちっぽけな勝利感。いろいろな感情が渦巻く中、俺は「もう終わりにしよう」と思った。完全に許すことはできなくても、あの頃の自分を取り戻すためには、これ以上自分を憎しみに縛りつけてはいけないと感じたからだ。あの連中に小細工するのもやめることにした。SNSで彼らのアカウントをこっそり覗くことも控えよう。自分の心が軽くなるのなら、そのほうがいい。

 こうして俺の復讐劇は幕を下ろした。仕返しは成功したと言えなくもないが、その代償として俺の心はささくれ立ち、結局は徒労感に苛まれた。正直、いじめを受けた過去を完全に清算する手段なんて存在しないのかもしれない。それでも、俺はこれからも生きていかなきゃならない。中学校時代いじめは、俺にとっては消せない傷だ。だが、だからこそ、俺はその傷を抱えつつ、自分人生をより良くしていきたいと思う。復讐によって得られるものは決して多くはない。それよりも、前に進むための糧にするほうが、遥かに大切なのだと今は思う。

 もちろん、彼らが本当に反省しているのかは分からない。謝罪言葉がただの社交辞令だったかもしれないし、もしかすると、これから先もあいつらは同じようなことを繰り返すのかもしれない。けれど、それはもう俺には関係のないことだ。俺にとって大事なのは自分自身がどう生きるかだ。そのためには、過去に受けた仕打ちをどう消化し、これから先の人生に活かすのかが重要になってくる。復讐はひとまず終わったが、この先もふとしたときにあのとき感情が湧き上がってくることはあるだろう。そのたびに、俺は中学時代自分いじめていた奴らを思い出しては葛藤するだろう。しかし、それでも前を向く。いじめ被害者だった自分否定せず、受け入れたうえで、自分幸せになる道を探し続ける。それこそが、過去から自由になるために最善の方法なのかもしれない。

 今、この文章を読んでいる人に伝えたいのは、復讐の成否ではなく、心の在り方だ。俺が選んだ方法や結果が正解だとは思わない。けれど、いじめられていた過去を抱えながら社会人になり、自分なりのけじめをつけた末に学んだのは、「過去に縛られて自分を見失わないこと」の大切さだ。生きていくうえで傷つくことは避けられない。いじめは決して許されるものではないし、その傷は長く人を苦しめる。だが、それでも、自分を置き去りにしないでほしい。どんな形であれ、傷と向き合い、折り合いをつけていくことで、ほんの少しずつでも心に変化が訪れるはずだ。俺の仕返しが「成功」なのか「失敗」なのかは分からない。ただ、一つ言えるのは、俺はあのとき前を見つめるために、一歩踏み出す勇気を持てたということ。そして、いまはそれを「間違いではなかった」と思えるようになっているということだ。

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