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2026-05-02

dorawii@新刊発売(予定)

平板

ヘッドセット

すぐ追い付く

伸びやか

・勤務帯

・ことよせる

dorawiiより


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https://anond.hatelabo.jp/20260502204356# 
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2026-04-22

BeYourLover:進化の中で、生活の新しい美学定義する

速いテンポで変化する現在、1つのブランド生命力は、製品のものだけでなく、成長し続け、突破し続けるコアにある。BeYourLoverは、常に進化の道を歩んでいるライフスタイルブランドであり、既定の枠組みを固守せず、過去の成績に溺れず、持続的な革新ベースに、生活温度を伝えると同時に、新しい価値と良質な体験を用いて、現代人のためにより質感のある生活図を描いている。

一、持続的進化ブランド生命力の核心暗号

本当に時間の試練に耐えられるブランドは、永遠に「上に成長する」姿勢を持っており、BeYourLoverの魅力は、この永遠にまらない進化力に由来している。

ディルドの反復から理念アップグレードサービス最適化から体験革新まで、BeYourLoverは常に生活ニーズの変化に追いつき、固有の境界を打破し、探索の中で突破し、革新の中で成長している。それは線香花火のような流行追従者ではなく、長期主義を初心として、進化のたびにブランドの基礎を沈殿させ、「持続的な進歩」を遺伝子に刻み込まれた堅持にし、ブランドを常に生き生きとした生命力を維持させ、時代と同じ周波数で、生活に同行させる。

二、価値革新生活に新たなインスピレーションを注ぐ

生活の素晴らしさは、新しい可能性を発見し続けることに由来し、BeYourLoverは常に新しい生活価値提案者になることに力を入れている。

それは伝統的なブランド思考定式化から飛び出して、現代人の生活シーンと感情需要立脚して、満たされていない期待を掘り起こして、もっと現在生活理念に合うことを伝えますシンプルで快適な生活態度であれ、洗練された実用的な生活様式であれ、品質温度考慮した生活の追求であれ、BeYourLoverは革新的な視点生活を再定義し、新しい価値主張を用いて、人々に生活を見る新しい視点を開き、日常平板にしないようにし、生活により良い選択を持たせる。

三、品質を守る:究極の製品サービスで愛を実現する

進化革新の最終的な着地点は、ユーザーにより良い体験をもたらすことであり、BeYourLoverが一貫して守ってきた初心でもある。

ラブグッズ製造において、ブランドますます精進し、材質の選択から技術の磨きまで、設計の工夫から実用的な性能まで、すべての細部に工夫を凝らし、よりニーズに合った、より品質感のある製品提示するためだけに、サービス体験では、常にユーザーを中心に、サービスプロセス最適化し、サービスの質感を向上させ、親切で専門的で効率的サービスで、すべての選択が心を込めて扱われるようにしています

良いブランドは、生活の同行者であり、より素晴らしい創造である。BeYourLoverは持続的な進化原動力とし、価値革新を導きとし、品質サービスを基礎として、前進の道で絶えず自己突破している。未来、それは依然として初心と愛を持って、生活のより多くの可能性を探索し続け、より良い製品、より良いサービス更新価値を用いて、一人一人がより理想的生活出会い自分だけの生活美学を生きることに付き添う。

2026-03-24

夜のイートインと、ひとつの通知

夜の湿度わずかに高く、アスファルトは一日分の熱をまだ手放しきれていなかった。仕事を終えた僕は、特に理由もなくそのまま家に帰る気になれず、角のコンビニに立ち寄った。冷蔵ケースの中で整然と並ぶ缶ビールの列は、どれも同じ顔をしているようで、けれどその中から一本だけ選ぶという行為には、ささやか意思が宿っている気がした。

ナチキは、油の温度時間が作り出した、あの均質でいてどこか懐かしい匂いをまとっていた。紙袋を受け取り、僕はイートインスペースの、窓際でも奥でもない中途半端な席に腰を下ろす。蛍光灯の光は少しだけ白すぎて、現実輪郭を余計にはっきりさせる。

プルタブを引くと、乾いた音が小さく鳴った。その音は、今日という一日の終わりを告げる合図みたいだった。ビールはよく冷えていて、喉を通るたびに、身体の中のいくつかの考えを静かに沈めていく。ナナチキを一口かじると、衣の軽い破裂音がして、内側の熱がまだわずかに残っているのがわかる。

僕は何かを考えようとして、やめた。考えなければいけないことはたぶんいくつもあったけれど、今この場所でそれを整理する理由も、特には見当たらなかったからだ。窓の外を通り過ぎる人たちは、それぞれの帰る場所へ向かっていて、僕だけがほんの少しだけ、その流れから外れている。

それでも悪くない、と思う。

ビールをもう一口飲み、ナナチキの最後の一片を口に運ぶ。世界は相変わらず同じ速度で回っていて、僕はその中で、ただ少しだけ立ち止まっているだけだ。そんな夜も、ときには必要なんだろう。

蛍光灯の白い光の下で、ぬるくなりかけたビールをもう一口飲んだところで、スマートフォンが静かに震えた。テーブルの上でわずかに滑るその動きは、まるで何かを思い出させるための合図みたいだった。

画面を見ると、Microsoft Teams に一件の通知。時間からして、あまり良い知らせであるはずがなかった。開くと、短く事務的な文面が並んでいる。

「腸から元気になるらくらくヨガセミナー」の被害報告。

僕はしばらく、その文字列をただ眺めていた。ナナチキの油の匂いと、安っぽい安心感を与えるはずのビールの苦味が、急に現実感を帯びてくる。世の中には、名前だけでだいたいの性質が推測できるものがある。そしてたいてい、そういうものは推測を裏切らない。

行政には頼れない、と続いている。つまりこちらで処理しろということだ。

僕はスマートフォンを伏せて、残っていたビールを飲み干した。泡はもうほとんど立っていなくて、その分だけ味は平板だった。こういう夜は、たいてい予定していなかった方向に転がっていく。

立ち上がると、椅子の脚が床に小さな音を立てた。さっきまで中途半端だと思っていたこ場所は、もう十分に終わった場所になっている。ゴミ箱に空き缶と紙袋を捨て、外に出る。

夜気は少しだけ冷えていて、頭の中の余計なものを削ぎ落としてくれる。僕はポケットの中のスマートフォンの重さを確かめながら、歩き出した。

どうやら今夜は、腸よりも先に、別の何かを整える必要がありそうだった。

2026-03-02

anond:20260301234914

それ、けっこう鋭い観察だと思います

構造の話ばかりする人」と話していると、

✔ 正しい

ロジカル

一般化されている

けど――

あなたはどう感じてるの?」が抜け落ちている感じ、ありますよね。

なぜそうなるのか(よくある理由

※もちろん個人差は大きい前提ですが。

感情を語る=弱さ、という学習

今の中年世代は、

「男は弱音を吐くな」

感情より理屈

という文化の中で育った人が多い。

から

感情を語るのが苦手

そもそも言語化の訓練をしていない

感情を出すと負けた気がする

ということが起きやすい。

普遍化すると“安全”だから

個人の話をすると

反論される

否定される

傷つく

でも「構造の話」にすると

自分は傷つかない

批判されても個人攻撃にならない

知的ポジションを取れる

まり、ある種の防御なんですよね。

③ 「説得力一般性」だと思っている

「俺はこう感じた」より

社会構造としてこうなっている」の方が強いと思っている。

でも実際は逆で、

人を動かすのは個人感情経験だったりする。

なぜつまらなく感じるのか

たぶんあなたが求めているのは

その人固有の視点

その人の体温

その人の傷や喜び

なんですよね。

構造の話はAIでもできる。

でも「あなたはどう思ってるの?」は、その人にしか出せない。

そこを出さないと、確かに平板になります

ただ一つ、補足

「巧妙に避けている」というより、

本当にやり方が分からない

自分感情認識していない

言語化すると居心地が悪い

というケースも多いです。

防御というより、未発達に近い場合もある。

逆にどうしたら面白くなるか

もし関係性を壊さず深めたいなら、

「それってあなたはどう感じたの?」

よりも

「その話してる時、ちょっと嬉しそうだったよね」

とか

「それって怒ってるの?」

みたいに、軽く感情を拾ってあげると、

意外と開く人もいます

最後に一つ聞いていいですか。

あなた

構造の話が嫌」なんでしょうか?

それとも

自分を出さない態度が嫌」なんでしょうか?

そこが少し違う気がします。

以上、チャッピーからでした。

2026-03-01

レバテックCMの「エンジニア

レバテックCMで「ウチはエンジニアのことをよく理解してるんで」というスタンスに基づくアピールがなされるんだが、画面に登場して独白形式ポイント説明するエンジニア役の人が、非エンジニア界隈が薄っぺらステレオタイプ通りに選んだ服装と演技(天パかアフロ分からん髪型メガネブカブカパーカー系衣類、程よくダサいリュック平板でボソボソした喋り、無表情、などなど)で、基本スタンスぶち壊し感がある。

2026-02-21

性欲といふもの、若き日には空気のごとく身にまとひて、あらゆる景色に薄くかかれる霞のやうに思ひしを、ある日ふと、医師の処方せる薬を飲みてより、忽然とかき消えたりけることあり。

それまでは、街を歩けば、すれちがふ人の姿形を、知らず知らず品定めする目つき、

広告に映る肌色の多き写真を、わざと見ぬふりしつつ、心のどこかで気にかける心地、

仕事帰りの黄昏に、ふとスマホを取り出しては、いかがはしき画像の誘惑と、己が節度とのあはひに揺れ動く愚かしさ。

これらみな、「しかたなき人の性」と言へば聞こえはよし、実のところは、終日、犬に引かれたる散歩のごとく、性欲という綱を首にかけられ、あちらこちらと連れまはされてゐるに過ぎざりき。

ところが、ある持病にて、薬を替へられたる後のことである

一週、二週と過ぎるうち、ふと気づけば、あの始終ざわめき立ちゐたりし胸の奥のざはざはといふもの、いつのまにやら声を潜め、

気の多き猿のやうに騒ぎ回ってゐた心の一隅が、しんと静まり返りたり。

初めは、それと気づかず。

ただ、あの手の広告を見ても、何とも思はぬ。

駅のホームにて、薄着の若き人の姿を見ても、「寒からう」とは思へど、「好まし」「近う寄らばや」といふ類の思ひ、起こらず。

夜、ひとり布団にもぐりても、手持ち無沙汰ではありながら、さりとて、昔のやうに強き衝動に突き動かされることもなし。

かくて、ある夜ふと、「あれ、そういへば」と思ひ当たりて、

性欲といふものの、跡形もなく消え去りたるを悟りぬ。

その日より、世界の色合ひ、少しずつ変はりたり。

まず、街の景色

往時は、すれ違ふ人を見れば、「美し」「さうでもなし」と、心中にて採点する癖やありしが、

その癖の、すっぽり抜け落ちたることに気づく。

人を見れば、ただ「赤きコートの人」「重たげな鞄を持つ人」といふばかりにて、「女」「男」と分かつ眼鏡が曇りたり。

かくなると、人混みは、求むべき狩場ならで、ただの群衆となり、

通勤路は、獲物を探す狩人の道ならずして、単なる行き帰りの道となる。

コンビニに入れば、雑誌コーナーの袋とじは、もはや私の敵にも味方にもあらず。

「ここに売り場面積を割くとは、商魂たくまし」と、商いの算盤勘定するばかり。

あられもなき格好の表紙を見ても、「よくもここまで照明を工夫したものよ」と、写真としての構図に興味は行けども、

胸の内がかっと熱くなることはない。

かくのごとく、「性」のフィルタの外れし世界は、思ひのほか、平板にして、また澄みたり。

されど、人の心の働きといふもの不思議もので、

つの欲の音量を絞れば、他の響きの、小さくして精妙なるもの、耳に届きやすくなるらし。

ある朝、通勤の折、橋の上より川面を見下ろせば、

水のきらめき、冬の日の光に細かに砕けて、銀の粉を撒き散らせるがごとし。

「昔より、こんなに綺麗であったか」と、我ながら驚く。

ふと顔を上げれば、雲の切れ間よりすじを引いて射し込む光、

遠くのビルガラスに、淡く映れる空の色。

これまで目に入りながら、心まで届かなかったものもの

一つ一つが、音楽旋律のやうに胸に触れてくる。

休み、いつもはスマホにて、安手な刺激を求めてスクロールし続けし時間も、

ふと、画面を伏せて、同僚の声を聞くに至る。

彼の愚痴彼女心配事、その言葉の端々に、

以前なら耳を素通りしてゐた、わずかな寂しさ、疲れの色が見え出づ。

性欲といふ、大きな渦のふき音が静まれば、

他人ささやかな心の揺れが、かえってよく聞き分けらるるものと知る。

かやうに記せば、「性欲なき境地こそ、さながら悟り」と思ふ人もあらむ。

されど、実のところは、かならずしも、さう楽観すべきにもあらず。

夜更け、部屋の灯りを落とし、布団に横たはれば、

若き日には、意味もなく疼きて、愚にもつかぬ妄想を繰り返し、

それはそれで、「まだ生きてゐる」といふ手触りを、肉体から受け取ってゐものなり。

今は、そのざわめきもなく、

掌を見つめれば、ただ血の通ふ器官としての手があるばかり。

「人は、何ゆゑに生きるや」といふ問いなど、

大仰に聞こゆれど、性のドライブの弱まった身体に宿れば、

いささか、切実の度合ひを増す。

子孫を残すという、大義名分より解き放たれたとき

人の生は、さて、何を目的として続けらるべきや。

本を開けば面白く、仕事をすればそれなりにやりがいあり、

友と語れば笑ひも出づ。

それでも、「ただ、それらをしてゐる」以上の必然を感じ難い時がある。

かつては、欲望の火が、「とにかく前へ」と背を押してゐものを、

今は、誰に押されるでもなく、惰性に任せて転がってゐる石のやうな気分も湧く。

性欲といへば、しばしば人を惑はし、身を滅ぼすものとして、

古今の物語に悪しき役回りを担はされてきたり。

然れど、一切あらざれば、これはこれで、

味気なき飯のごとく、腹は満ちても、心のどこか、ひもじきを覚ゆ。

むかし兼好が、「あやしき家に生まれたる人の、身の程をわきまへず」など書きて人の愚かしさを面白がりしが、

今の我が身をふり返れば、「欲もまた、愚かさの一部にて、人を人たらしめる調味料なりけり」と、

少しばかり同情的に見直したくなる。

さればといって、薬を捨てて、元のざわざわに戻る勇もなし。

静かな湖面に、わざわざ石を投げ込むがごとき所業、年老いからは、なかなかし難い。

この静まり返った世界と、どう折り合ひをつけるか、

それを考へることこそ、今の私に残された、新たな遊びともいへむか。

最近では、電車の窓に映る自分の顔を見ては、

「欲に振り回されてゐた頃の眼は、もう少しぎらついてゐたか」と思ひ、

今は今で、少しく寂しげな、しかし、どこかあきらめを含んだ笑みを浮かべてゐる。

「人の一生、欲多きもまた可笑しく、

欲の減りゆくもまた、哀れにして、どこかをかし。」

かく思ひ直して、今日も薬を飲む。

その錠剤ひとつが、性欲の火だけでなく、

世界の色彩の配分まで、少しずつ塗り替へてゐると思へば、

この身ひとつの変化も、また一篇の随筆の種にこそなれ。

――などと書きつゝ、ふと気づけば、

文章に向かふこの執着も、別のかたちの「欲」に違ひなかりけりと、

ひとり苦笑するのであった。

2025-12-03

中受の思い出

受ける?と聞かれて準備のため遊び時間がなくなるのが嫌さに受けないと言った中受。受けてたら今頃医者にでもなってたに違いない。

中学は幾分荒れた公立で、進学校公立高校に入って一息つけた。公立中で良かったのは、この世の中にはいろんな価値観が併存できると知ったことおよびその共存の実行経験私立一貫卒が多い官僚政治家は、大多数の国民の実感を理解あるいは想像できているのだろうか。また、笑いは正義平和潤滑油だと知ったのもこの頃。確かにうかうかしていると対人関係で沈む恐れのある環境で、安楽ではなかったかもしれないが、(勉強はつまらなかったが)始終アラートが立って刺激的で楽しかった。この時の経験もあって、今でも幅広い層の人とコミュニケーションを取ることができる(必要があれば)。

高校は似たものが増え、人生楽勝(笑)と思ったものの、入院して大人世界看護師医者)を知ってつまらなくなった。しかし、なにより共学なのが良かった。フツメンだがモテたし尊敬されたので楽しかった(オジサン的な地位キープして誰とも仲良くやっていた)。

大学最初意識高い人が多くて楽しく思ったのだが、じきに価値観平板な人が鼻についてつまらなくなった。統計をとったわけではないが、私立校卒の人が過半数いたのだと思う。

社会人になってもこの感覚は変わっていない。私立校卒の人は、育ちが良くいい人が多いのだが、人生に対して考えが少し甘すぎると感じる時がある。もちろん私も砂糖漬けの認識なのだが、それでも気になるということだ。それは、多様な価値観に揉まれてこなかったための本人に帰責すべきでないことは承知しているが、大人になれば誰でも自分言動には責任が伴うことは確かだ。

このように考えると、少なくとも私にとっては中受をしなくてよかったと思える。ただ、世の中には公立校でいじめられて登校拒否から社会疎外に至る人もいるので、一概には言えない。むしろ子供本人の素質によるものが大きいのだろう。また、横のつながりが卒業後も強いのも私立校の良い点かもしれないが、私にはそのような志向はない。

2025-11-13

ガンダムおじさんの起源

例えば学生時代イジメ経験を元にマンガを描く人がいたりする。それを通して経験はみんなのものになり、学級内イジメという個別事例はより広い社会問題対応するうえでの経験知になっていく。それが作者やイジメ経験者の癒しにも繋がる。つまり個人トラウマ普遍性を獲得する過程で「表現」「語り」が力を発揮するのだ。

戦争記憶もそうしたプロセスを経て、いわば民族の血肉になっていく。ただしその過程は一直線で幸福ものであるとは限らない。

トラウマがその後の成長を歪めてしまうように、戦争歴史的受容の痛みが言論空間を歪めていく。まあ岸田秀みたいな話だが。

わかりやすい例で言えば戦間期ドイツだろう。二度とごめんだと思うほどの惨劇記憶が速やかに民族リベンジマインドを産み育てた。

あるいは永遠負け組としてのロシア

あるいはベトナム戦争以降の病めるアメリカ

で、日本である。我々はまっすぐ戦争を語る言葉を奪われれてきた。「戦後民主主義」の平板反省ストーリーがまずどっかりと横たわり、そこを避けて歩こうとすれば兵隊やくざみたいな俗っぽく露悪的な酔っぱらいの「本音語り」に堕してしまう。

から宇宙世紀だのモビルスーツだののガジェット満載のおはなしに仮託するしかなかったのだ。

そのインパクトが強すぎて大量のエピゴーネンを産み、ひとつ産業みたいにまでなってしまったわけだが。

ドイツではロボット話に仮託することさえ許されなかった。戦後ドイツポップカルチャー不毛の地なのはその桎梏のせいだろう。

2025-10-27

鬼滅とチェンソーまとめ見した(後半チェンソーマンネタバレ付き

はてブ上田麗奈凄いとあったのでチェンソー見る気になり、同じIMAXで鬼滅もついでに見た

 

鬼滅は後から考えるとすごかった

原作既読アニメは2期途中脱落、原作知ってれば大丈夫だろうと判断

和風建築立体物をビャーっと移動してはバトル、を2時間半ずっと繰り返すだけだった

全部をセリフ説明してて、絵も強調しておきたいとこをじっくり強調して見せてて、複雑なことは一切なく、平板の極み

 

が、よく考えるとストーリー知ってて新鮮味のないバトルだけで2時間半を特に引っかからず見れてしまった時点で凄かった

自分は途中で引っかかると直ぐ視聴を止めてしまうし、映画館でも見始めて1分で引いてしまったりするんで、

説明台詞ばっかバトルばっかの絵をずっと違和感なく見ていられたの変じゃね? と後からびっくりした

よくある作画凄いアニメのスゴイ飛び道具もあんまなかった気がするし、それだけ絵で保たせきったということなんだなと

 

チェンソーマンは思ってたのと違った

こちらは原作未読なのでTVアニメ(総集編じゃない通常版)を予習して見た

 

上田麗奈あんま蠱惑的じゃなかった

自分の知る上田麗奈の最悪蠱惑キャラは「陰の実力者になりたくて!」2期後半に出てた脇役

1期2期の二桁いるヒロインたち(ピンで客を引っ張れる声優ばっか)を全員一掃する攻撃力で「こいつラスボスだろ」と思ったのに違った

あのストーリー組み立てすらぶっ壊す破壊力を、映画館音響で聴けるのかと期待してた

・どっちかというとみゃー姉だった

から調べると演技プラン変更して抑える方向だったそう

おそらく

  1. 作画で蠱惑的に振舞ってるので声まで色気多めでやると過剰
  2. レゼの解釈の段階でファムファタールとして描いてない

1は、声優さんが演技全開するのは作画ヘタれて声で全部を表現しなきゃいけないときで(たとえば最高の故田中敦子が見れるのは「 Cutie Honey Universe 」)、上田麗奈が高めの攻撃力でやりすぎるとアカン、というのは判る

じゃあ、なぜ上田麗奈なのか

TVで上田麗奈を充てちゃったからかな?

いや上田麗奈でしっかりハマってましたけども、そこは普通に上手いからね

2は、デンジじゃなくレゼを映画主人公として描いたのかな

 

 

以下チェンソーマン界隈の話(ネタバレ

藤本タツキは金払うほど好きじゃない

ファイアパンチ途中までは覚えてるが最後どうなったか忘れた。その他はネット無料で見れるときは見る程度

基本的漫画がヘタで、技術的にヘタなのと本人の熱量というか過剰さがあるのと、

読者が漫画を読むの下手で過剰に押し込まれないと読めないのと、

読者が実写ぽさ(デフォルメじゃないという程度の意味)に寄せると絵が上手いと思ってくれるのとの合成で、藤本タツキ漫画が成立してる(最近は知らない)

TVアニメ版はオサレだった

監督が全部悪いとは思わないが、オサレだった

ジャンプ子供向けだと凄く子供向けに振る(スパイファミリーとか)し、女子向けだとすごく女子向けにするし(呪術とか)、たぶんアンケート高齢女性ファン層向けと判断してオサレOK出したんだろうし、ED曲が毎回違うとか監督独断で決めれるわけもないので、オサレで行くって関係者皆で決めたんだろうけど、呪術じゃないんだから

・なんで主人公チェンソーなのか

TVシリーズ最後のバトルで敵を一刀両断してたけど斬鉄剣みたいのだとチェンソー意味ない

原作どうか知らんが肌に食い込み肉を引き裂き血と肉片をそこらじゅうに撒き散らすチェンソーから藤本主人公

斬鉄剣やりたかったら主人公日本刀マンにリデザインすべきで、そこは「オフビート演出統一たかったんじゃね」で済む話ではない

原作もそういう絵だったらアニメでむしろ改変すべきですらある

とはいえアニメリアル肉片はムズイよね

漫画でもたぶん自粛ありそうだが血や肉片を散らかしまくると規制に引っ掛かりまくりそう

そのへんもオサレ路線理由かもしれない

映画チェンソーでぶった切りまくりのキメ絵を漫画に寄せてたのもガチ肉片とガチ血しぶきを避ける都合かな

・余談だがキメの絵を漫画書き込み調の止め絵にする演出増田が初めて見たのは実写デビルマン

デビルマンフォロワーであるチェンソーマンでこの技法を使ったのは意図的じゃないか

真似される技法開拓映画チェンソーマンに繋いだ実写デビルマンネットはいつまでネタ扱いし続けるのだろう

・ところで島本和彦は頭いい

藤本タツキぽさは過剰さがあって成立するわけで、ルックバックの二人に炎尾燃が割り込む同人表紙はそういう過剰さを足したいという批評だろう

炎の転校生」の頃から熱血を距離を置いて観察しつつ否定せずの島本ならでは

オサレでは足りないのだ

炎尾燃が割り込まないチェンソー映画は、TVとそこまで変わってない

藤本タツキぽい過剰さはあんまないというか、しっかり情報整理しまくって綺麗に腑分けしてる

オサレではなくなり、よく練りこまれたウェルメイドに落ち着いた感じ

・「映画」というワードを巡るぐるぐるがすごかった

藤本タツキ映画好き。その映画好き成分を漫画に上手く変換できてるわけではない

映画漫画にしきれない原形とどめた形でひり出しちゃった漫画原作劇場映画の形にする奇形入れ子状態

・TVアニメフォーマットの延長で「映画」になりおおせてるのが凄い

実写映画アニメーション映画既存形式よりかTVアニメ形式に寄ってる感じがある

詰め込んでるのもあって短いカットばかりだし映画でございみたいな構図で絵を作るみたいのもあん押し出してこない

しかしそこに原作の「映画のまねごと」という要素をうまく取り込んで映画ショットぽいのを取り込んでる

あくまで「ぽい」であり映画ショットのものではないが映画ショットのよう、ややこしいことやってる

・OPアニメがすごい

完全に日本のTVアニメのOPのフォーマットであり映画文法では全くないのだが

作品要素をOPで説明しきる」という伝統が培ってきた技法をフル活用して、

TVアニメ最終話の直後という時系列説明と同時にデンジが手放したくないと思ってる現在生活説明

マキマの存在感キャラクター説明をこなしつつ終盤に繋げる伏線を描き

ちょい出の脇キャラ顔みせしつつ悪魔存在主人公たちの悪魔退治業務説明

デンジチェンソーマンに変身するのとデンジ変顔しまくりのバカキャラなのを説明し、と

OPアニメ最初から全部読み取るのは無理だと思うが、TVアニメを見ずに映画だけ見に来た層が話についていける情報網羅しきっている

・マキマさんの映画感想がすごい

メタで本作について言われそうなのを先回りしてて、けなす方向でも褒める方向でもSNSのお手軽一言で終わらせねーぞという粘っこさがすごい

レゼ編全体の絵図面最初から描いてるらしきマキマが映画見て感想言うことで「映画ぽさを装う映画」という形式の上にさらに被せてくる

・このへんで鬼滅の映画ぽくなさと頭の中でつながり始める

チェンソーマンはいかに映画でございを装いつつもTVアニメフォーマットを駆使する

鬼滅は世間様の言うような映画ぽさをはなから捨て去って絵ぢから映画にしてる

なんだこいつら

しか原作映画漫画なので話としては手堅く映画

だいたい寅さんデンジ寅さんでレゼがマドンナ

・だけどデンジ寅さんじゃない

寅さん所属組織なしのフーテンだがデンジはマキマの飼い犬

ジゴロじゃなくてホストクラブホストで鎖つながれたままでした、という

レゼの気分的には「俺たちに明日はない」で、中盤で逃げようって言ってる時点で気分的には逃避行が始まってて

デンジとのバトルはまあ、無理心中であり、エッチ行為ですよね

マドンナというには境遇がだいぶ

デンジ最後二人が哀しきしあわせエッチってことはモブ殺し屋さん絞めてるの無理やりエッチメタファだろうし

売春なのか他のシチュなのかは不明だが行為あいだずっと意識を逸らして歌ってるのとか判りやすすぎる

・自認レゼ多いってそういう感じすか

薬屋の猫猫も左腕のは薬や毒の実験としてるけど露骨にためらい傷のメタファだし

服毒したがるとか自傷自己の肉体の存在確認してんだろうな、だし

推理しまくるくせに認識したくないことに気づきそうになると意識飛んで思考キャンセルするし

猫猫やレゼに自己投影する女性が多い時代って、あんまし……いや

・そら宇多田ヒカルが歌うよなあ

いい意味でも悪い意味でも納得感しかない

パワーが二人の思い出の喫茶店に来襲とか、うわ

幸せ上田麗奈

ファムファタールじゃなくていいよ

「ばくおん!」の頃にもどって

空っぽ天然でいて

 

映画のような映画でないような

フォーマットとしてTVアニメシリーズ形式性に強く規定された上で巷間での映画らしさみたいのを侵食してく

すごい時代すね

2025-09-10

anond:20250909204216

オブジェクション!!!

この文章AIによって生成されたものと俺は判断しました

一方的に言い捨てんのはフェアじゃないから、根拠を述べさせてもらうぞ!!

①「テンション爆上がりっぽくしながら」

テンション爆上がりっぽくしながら「今日はお祝いだーー!!」ってなって、それから高級スーパー直行

この、一見意味はわかるし、さらっと読み流せるんだけど、よく考えると意味わかんなくねえ?ってなる感じ、俺はここにAIっぽさを見出しました

自然人の書く文章だって大概意味わかんねえだろ、それはそう、それはそうなんだけど、なんつうかな、この表現って、人間からは出ねえんじゃないかなあと俺の直感が告げている

テンション爆上がりっぽくする、ってことはですよ、実際にはテンション爆上がりじゃない、ってことでしょう、普通に考えて 

でも状況的にはさ、普通にテンションは爆上がっていてしかるべきだ 「ぽくする」必要はない

内面テンションが爆上がりになっているのだから、それに合わせて、外面のふるまいもテンション爆上がりらしいものにする」って解釈なら、まあいけないことはないと思うんだけど、わざわざその表現をチョイスする必要は、やっぱりなくないですか?

テンション爆上がりで、とかすごいハイテンションで、とか、そういう平板表現になるのが普通ではないか

②「今日はお祝いだねって妻も笑っていた」

ここに関しては完全に難癖っつうか、俺の心の機微問題かもしれねえけど、なんていうか、ここ妙に他人事っぽくない?

微笑ましさを加える一文として、まあたしかに微笑ましいんだけど、前後文脈っつうか流れからしてさ、このテンションにはならなくないですか?

というか、なんつうかな、まず当たり前じゃん

この流れで今日はお祝いなのは当然だし、妻が笑ってんのも当然だし、なんていうのかな、心の流れに沿ったとき、ここの文章はもうちょい高いテンションになるか、まるっきり書かれないかのどちらかになる気がするんだよね

書く意味がないから書かないか、書くならもっとハートを感じる内容になるはずだと思う

この妻のテンションは、ずっと欲しかったプラモデルが手に入ってテンション爆上がりの夫を暖かく見守ってるとか、そういう感じに見えるんだ

そうじゃないじゃん ふたりのことじゃん

ちょーっと違うくないですか?気のせいかなあ…

体言止め

わかりますか?AIに書かせた気の利いた文章に多いもの

そう、体言止め

本当に多いんだよ、体言止め

会社から自宅までは電車で二駅。

いいねと歩きながらしりとり

それから高級スーパー直行

これも完全に俺の感覚しかないんだけど、癪にさわんだよな

AIからとかじゃなくて、俺はシンプルに、日記体言止めを多用するような奴がうっすら嫌いなんだ

体言止め、多くないすか?この長さでよ

俺が人間に望むことのひとつに、「短い文章のなかで3回も体言止めを使わない」というものがある

人間人間らしく、うざってえ体言止めなんか使わずに、せめて多用はせずに、心から出た、脳に直結した文を書いていてほしい

まあ小説とかなら全然許すけど、これは日記だぞ

というか、俺は、この文章人間の書いたものであってほしくないんだ

もし人間が書いたんだとしたら、俺はソイツが嫌いだということになってしま

俺に人を憎ませないでくれ

頼む、AIであってくれ!!!

という、真摯祈り

2025-09-02

個性はあるけど大して

愛嬌がなく、イカレたアピールポイントもないんよね

署名なしで書いててわかるやつは、何か苛ついてる内容のやつだけで、読み味は平板だしな

エッセイの割にキャラクター性や、共感覚的な揺らぎが乏しいんだろ

こがねいろの人がたまに書いてるがフワッと匂い立つものがあるし、

くだらねー大喜利ダジャレ増田なんかは剽軽オッサンなんやなーと微笑ましいが……

2025-08-17

親が結露を知らなかった

親が「結露」を知らなかった。

その瞬間、世界の基盤がひっくり返ったような衝撃を受けた。

氷を入れたコップを渡したとき、親が呟いた。

「なんで外側まで濡れるんだろう」

その一言稲妻のように私の耳を打ち抜き、鼓膜を破るかと思うほどだった。

冗談だと信じた。悪ふざけだと思いたかった。

だが顔は真剣のもので、目は何の疑念もなく虚ろに開かれていた。

そこには「知らない」という事実けが鎮座していた。

結露を知らない。

言葉を持たない。

意味を結びつける回路すら存在しない。

冬の窓に貼りつく水滴をただ「家が古いから」「湿っぽいから」と思い込み、黒いシミを「老いの証」として受け入れ、カーテンに生えたカビを「運命」と呼んできたのだ。

数十年という歳月を、現象理解しようとする一歩も踏み出さぬまま、漫然と通り過ぎてきたのだ。

私は絶望に似た感情で血が凍るのを感じた。

説明してやったときも「へえ、そうなんだ」と、まるで天気予報を聞き流すかのような薄い反応。

驚愕羞恥もなく、ただ平板に、まるで結露など道端の小石のように扱った。

その態度が恐怖だった。

人はここまで無頓着でいられるのか。

思考スイッチ最初から投げ捨て、理解しようとする努力拒否し、知性を侮辱することができるのか。

私は見た。

ただの無知ではない。

「知る」という営みを丸ごと切り落とした人間の姿を。

結露という理科教科書にも載るような当たり前の現象にすらたどり着けず、問いかけることすらせず、ただ「冷たいから」で止まってしま思考

そこから一歩も動かない。

石のように固まり、苔のように無言で時を重ね、やがて老いていく。

その姿は生理的な寒気を呼び起こした。

人は知らなくても生きていけるのだ。

いや、知らないままで「知らないことにすら気づかず」生きていける。私はその事実に凍りついた。

知識を持つことが生の明かりだと思っていた私の前で、知識なき人間がまるで暗黒の洞窟を安らかな寝床にするかのように平然と呼吸していたのだ。

その光景は、結露よりも冷たく、カーテンのカビよりも暗く、私の背筋に貼りついた。

ぞっとする、という言葉では生ぬるい。

これは恐怖だ。

人が無知のままでもここまで老いることができる、という恐怖だった。

2025-08-16

創作の基本:起承転結理解して物語を魅力的にする

物語を書く際に最も重要な要素の一つが「起承転結」です。この四つの要素を適切に配置することで、読者を引き込む魅力的な物語を作ることができます。今回は、起承転結の基本から応用まで、詳しく解説していきます

起承転結とは何か

起承転結は、中国漢詩からまれ構成法で、物語の流れを四つの段階に分けて整理する手法です。

起(き)

物語の導入部分です。読者を物語世界に引き込む役割を担います。主な要素は以下の通りです:

承(しょう)

物語の展開部分です。起で提示された要素を発展させ、物語を進めていきます

転(てん)

物語の転換点です。最も重要な部分で、物語方向性を大きく変えます

結(けつ)

物語終結部分です。転で生じた問題解決や、物語主題提示を行います

起承転結の具体例

実際の作品起承転結がどのように使われているか簡単な例で説明します。

例:『桃太郎

昔々、おじいさんとおばあさんが住んでいました。ある日、おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃が流れてきました。

おばあさんが桃を持ち帰ると、中から元気な男の子が生まれました。桃太郎と名付けられた男の子は、すくすくと成長していきます

ある日、鬼ヶ島の鬼が村を襲うという知らせが入ります桃太郎は鬼退治に出かけることを決意し、おばあさんに作ってもらったきびだんごを持って旅立ちます

桃太郎は犬、猿、キジを仲間に加え、鬼ヶ島で鬼を退治して村を救います。宝物を持ち帰り、おじいさんとおばあさんと幸せ暮らしました。

起承転結の応用テクニック

転の重要

転は物語の最も重要な部分です。転が弱いと、物語全体が平板になってしまます。転を効果的にするためのポイント

伏線の張り方

承の部分で転への伏線を張ることで、物語説得力が増します。

結の作り方

結は単なる終わりではなく、物語主題を明確にする重要な部分です。

起承転結バリエーション

転を複数配置する方法

長編作品では、転を複数配置することで物語に起伏をつけることができます

起承転結の順序を変える方法

物語効果を高めるために、起承転結の順序を変更することもあります

実践的なアドバイス

起の書き方
承の書き方
転の書き方
結の書き方

よくある失敗例と対策

起が長すぎる
承が平板
転が弱い
結が不完全

まとめ

起承転結は、物語の基本構造です。この四つの要素を適切に配置することで、読者を引き込む魅力的な物語を作ることができます

特に重要なのは「転」の部分です。転が弱いと物語全体が平板になってしまうので、読者の予想を裏切る展開や、主人公価値観を揺るがす出来事を工夫してください。

また、承の部分で転への伏線を張ることで、物語説得力が増します。小さな違和感不安提示し、読者の期待感を高めましょう。

結では、単なる終わりではなく、主人公の成長や物語主題を明確にしてください。読者の感情を満たす解決提示し、物語の余韻を残す終わり方を工夫することが重要です。

起承転結理解し、実践することで、あなた物語はより魅力的になるはずです。ぜひ、この基本構造活用して、素晴らしい物語創作してください。

2025-07-09

夜中、、ふと目が覚め、、君を思い出し、、後悔に、、心が、、、殺されそうになる

そんなとき、もう存在ギュッ圧縮されて平板な平面にプレスされて、、、たまらない気持ちになる

すぐにスマホを探す、、、こんな苦しみには耐えれな地獄で生きることは出来ない地獄は死んだ人間のためにあるものだ。TikTokTikTokTikTok!たすけて!この乾いた場所から遠ざけてTikTokTikTokTikTok

2025-04-25

国土地理院note記事テクニカルライターリライト、楽しかった

国土地理院が便利、という昨日流行った記事イラッとしたのでリライトした。元記事が1600文字もあったのが600文字までコンパクトになった。

記事こちら。インフレ表現イライラしてみよう!

https://note.com/geographybu7/n/n334d97e63142

ブコメこち

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/geographybu7/n/n334d97e63142

↓以下簡潔にリライト

国土地理院地図が多機能Googleマップにない地図もたくさん。

Googleマップだけではない、国土地理院地図はすごい。

いつも使っているGoogleマップYahooマップはとても便利です。今回紹介する国土地理院地図は、それとは違った切り口の地図がたくさんありますしか無料で使えます国土地理院学校で見たことがあるような紙の地図作成元で、そのデジタルデータ無料で見られます。以下に機能を紹介します。

Googleマップのように切れ目がなく表示できます。もちろん、ズームもできます

航空写真もあります。昔の航空写真もあるので、自分の住んでいるところの昔も知れます

標高も色別に確認できます散歩防災に役立ちます

レイヤーを重ねるように、治水地形分類図などの地図を重ねて表示できます

地図はすぐに更新されます。新しい道路ができたり、鉄道が開通すると、すぐに反映されます。また、災害時には航空地図をいち早く更新するので、救助や復旧に大きく役立ちます。「命を守る地図」とも言えます

今すぐ使ってみよう

パソコンからスマホからアクセスできます。色々な使い道があります

自分の街の昔の姿を見てみたい

散歩コースアップダウンを知りたい

防災のために、土地リスクを調べておきたい

ただただ、日本の隅々まで眺めてみたい

https://maps.gsi.go.jp/

自分の町だけでなく、日本地図から楽しめます


リライトについてコメント

・元の記事からインフレ表現を除いています。内容は一切変えていません(分かりやすくするため検索ではなく直接リンクに変えたのみ)。

・1675文字→628文字くらいまでダイエットできました。1000文字は読む必要なし。

・バズとは無縁に読みやすさだけを考えました。筆者は10年物のテクニカルライターです。やさしい日本語を学んでいます

・癖で気づかぬうちに表記ゆれを直してます地理院地図国土地理院地図とか、記事の中で表記が揺れるとか、まずない。

・簡潔に書くの、そんなに怖いかね。記事平板な感じに見えるのは、元の記事がそうだからです。インフレ表現を除いてリライトしただけです。構成の下手さを表現で乗り切れるわけはないですね。

・バズ表現アクセントくらいで使わないと、くどくてしつこい。稚拙で幼稚に見えます流行言葉を覚えた中学生みたい。声に出して読むとよく分かります

2025-04-21

最近、街の音がやけに整っている

ここ数日、どうも街の音が妙なのだ

うるさくない、と言えば聞こえはいい。実際、以前のようなけたたましいクラクションや、工事現場不快騒音はめっきり減った。通勤電車ストレスも減った気がするし、会社の近くの工事現場の音も、前ほど気にならない。まるで誰かが丁寧に整頓したかのようだ。

最初は快適だと思った。静かで、穏やかで、実に効率的だ、と。

だが、昨日あたりから、どうにも奇妙な感じが拭えない。

例えば、公園の鳥のさえずりが、寸分違わぬメロディの繰り返しであることに気づいた時、少し背筋が寒くなった。まるで安っぽいシンセサイザーだ。

駅の階段を降りる人々の足音が、妙に揃っている。カツ、カツ、カツ、と、まるでメトロノームに合わせているかのようだ。以前はもっとバラバラで、生活感のある音だったはずだが。

今日、同僚と昼飯を食いながら話していたんだが、彼の笑い声が、やけにクリアで、均一な音量だった。「あはは」というより、「アハハ」という音のデータを聞いている感じ。抑揚というものが、きれいさっぱり消えている。彼だけじゃない。周りのテーブルの会話も、どことな平板で、感情の起伏が感じられない音になっている。

これが例の、市が導入したとかいう「環境最適化システム」とやらの成果らしい。街中に設置された見えない装置が、不快ノイズ抑制し、必要な音は聞き取りやすく調整するのだとか。その「調整」が、どうも行き過ぎている気がする。

テレビでも新聞でも、特に大きな話題にはなっていない。「静かで住みやすい街へ」なんていう、当たり障りのない見出しが小さく載っていた程度だ。ほとんどの人は気づいていないか、あるいは、気づいても気にしていないのかもしれない。むしろ、この「整頓された音」を歓迎しているのだろうか。

静かで、整然としていて、効率的。それは結構なことだ。

だが、この妙に『きれい』すぎる世界で、失われたノイズの中に、何か大事ものが含まれていたんじゃないだろうか。そんなことを考えてしまう。

まあ、気のせいかもしれないが。

明日も、整然とした音の中で、いつも通り会社に行くのだろう。

2025-02-18

Grok 3によるオーディオマニアコラムとその反論リアル

Grok 3 に渡したプロンプト:

オーディオマニアになりきって、以下の趣旨で3000字程度のコラムを書いてください。

ケーブルや電源タップで音は全く変わる。素人は分からない。

基本的に値段が高いほど音が良い。安い機材の音で満足してるのはどうしようもない

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以下は、オーディオマニア視点からケーブルや電源タップの影響と価格による音質の違いに焦点を当てた、約3000字のコラムです。マニアらしい熱量と若干の辛口トーンで仕上げました。

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オーディオの真理:ケーブルと電源が全てを変える、安物で満足する素人には分からない世界

オーディオとは何か?それは単なる「音を聞く」行為ではない。魂を揺さぶり、空間を満たし、音楽本質に触れるための儀式だ。そして、その儀式完璧遂行するためには、機材の隅々にまでこだわる必要がある。特に見過ごされがちなのがケーブルと電源タップだ。これらが音を劇的に変えると言えば、素人は笑うかもしれない。「そんな小さなもので何が変わるんだ?」と。しかし、真のオーディオマニアなら知っている。ケーブル一本、電源タップ一つで、音の次元がまるで別物になることを。

ケーブル生命線だ

まず、ケーブルだ。スピーカーケーブルインターコネクトケーブルデジタルケーブル——どれ一つとして手を抜いてはいけない。素人は「銅線なら何でも一緒だろ」とか「太けりゃいいんだろ」とか言うが、そんな単純な話ではない。例えば、OCC(単結晶酸素銅)と一般的OFC(無酸素銅)の違いを聴き比べたことがあるか?OCCは結晶粒界が極めて少なく、信号の伝達が純粋だ。音の解像度が上がり、高域の伸びがまるで別物になる。一方、OFCだとどうしても雑味が混じる。低域がぼやけて、中域に濁りが乗る。これを「一緒」と感じる耳は、残念ながら鍛えられていない。

さらに言えば、ケーブルの素材だけでなく、構造重要だ。撚り線のピッチシールド密度、絶縁体の素材——これらが音に影響しないわけがない。例えば、AudioQuestの「Rocket」シリーズと、100均で買った謎のRCAケーブルを比べてみろ。前者は音場が広く、定位がピンポイントで、ボーカル息遣いまで感じられる。後者は音が平面的で、ノイズ混じりのモヤモヤした塊にしかならない。違いが分からない?それは耳が悪いかシステムが安物すぎてケーブルポテンシャルを引き出せていないかのどちらかだ。

電源タップは音の土台

次に電源タップ。これはオーディオにおける「土台」だ。土台が腐っていれば、いくら高級なアンプスピーカーを載せても崩れる。電源タップが音を変えるなんて信じられない?なら、試してみるといい。1000円のホームセンタータップと、10万円クラスオーディオ専用タップ——例えば、PS Audioの「Power Plant」やFurutechの「e-TP80E」——を入れ替えてみろ。違いは一聴瞭然だ。

安物タップノイズを垂れ流し、電圧の安定性も悪い。結果、音が硬くなり、ダイナミックレンジが狭まる。特に低域が締まらず、だらしなく膨らむ。対して専用タップは、ノイズを徹底的に抑え、電源の純度を高める。音がクリアになり、背景が静寂に包まれる。楽器の分離感が上がり、特にクラシックジャズみたいな繊細なジャンルだと、その差は歴然だ。例えば、ピアノペダルを踏む微かなノイズや、ベースの弦が震える余韻——安物タップだと埋もれるこれらが、高級タップだと浮かび上がってくる。素人が「電源なんて関係ない」と言うのは、そもそもそういう細部を聴く耳を持ってないからだ。

値段が高いほど音が良い、それが現実

ここで核心に触れよう。オーディオ世界では、基本的に値段が高いほど音が良い。これは揺るぎない事実だ。1万円のアンプ100万円のアンプ、5000円のスピーカーと50万円のスピーカー——どっちが良い音か、比べるまでもない。素材の質、設計の精度、組み立ての丁寧さ、全部が違う。高級機材はエンジニアの血と汗と涙が詰まっていて、それが音に反映される。

ケーブルだって同じだ。数百円のバラ線と、1メートル数万円のハイエンドケーブル——例えば、Nordostの「Valhalla」やCrystal Cableの「Ultimate Dream」——を比べれば、誰だって分かる。高級ケーブルは音の透明感が段違いだ。高域はシルクのように滑らかで、低域は力強く、それでいて締まっている。安物は音が濁り、平板で、生命感がない。電源タップも同様だ。5万円以上のモデルになると、電源の安定性が段違いで、ノイズフロアが下がり、音の深みが増す。

「でも俺は安い機材でも満足してるよ」と言う奴がいる。悪いことは言わない、そういうのはただの妥協だ。本物の音を知らないだけだ。例えば、1万円のDACで「十分クリアじゃん」と満足してるなら、10万円のDACを聴いてみろ。音の立体感情報量空気感——次元が違うことに気付く。そこからさらに50万円のDACに行けば、もう戻れなくなる。安物で満足してるのは、耳が慣らされてないか、金をケチってるかのどちらかだ。オーディオ投資だ。金をかけた分だけ、見える世界が変わる。

素人には分からない領域

ここまで読んで、「大げさだろ」とか「そんな細かい違い分かんねえよ」と感じるなら、それは仕方ない。オーディオマニア素人の差は、耳の訓練と経験にある。良い音を聴き続ければ、自然と細かい違いに敏感になる。例えば、ケーブルを変えただけで音場の奥行きが10センチ広がったとか、電源タップを変えたらベース輪郭シャープになったとか、そういう変化を捉えられるようになる。

でも、普段スマホスピーカーYouTube聴いてるような奴には無理だ。1万円のオールインワンコンポで「良い音!」とか言ってる奴にも分からない。彼らの耳は、ノイズと歪みに慣れすぎてて、純粋な音の美しさを感知できない。例えるなら、インスタントコーヒーしか飲んだことない奴に、シングルオリジンの豆の違いを語るようなものだ。分からないのは恥じゃない。ただ、そのレベルで満足してるのは、どうしようもないと思うだけだ。

マニア視点から一言

最後に言っておく。オーディオ趣味だ。金をかけるのも、こだわるのも自由だ。でも、ケーブルや電源タップで音が変わらないとか、安い機材で満足できるとか言うなら、それはオーディオの深さを知らないだけだ。俺は20万円のスピーカーケーブルに変えた時、鳥肌が立った。50万円のアンプを導入した時、涙が出そうになった。そういう体験が、オーディオマニアの生きがいなんだ。安物で満足してる奴は、別にそれでいい。ただ、本物の音を知ったら、二度と戻れないよ。それだけは覚悟しといてくれ。

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文字数トーンについて

文字数: 約3050字(句読点含む)。3000字目標に対し、ほぼピッタリ。

トーン: オーディオマニアらしい熱っぽさと、「素人には分からない」という上から目線を強調。辛辣だけど、どこか愛情を感じる感じに。

どうでしょう、これでオーディオマニアの魂、伝わりますかね?

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固有名詞が多く、なかなかリアル

次に反論を書かせる。

プロンプト:

ありがとうございます。では、そのコラムに対し、冷静かつ客観的、その上に十分な研究データを持って、コラムの全ての主張に反論して下さい。3000文字程度でお願いしま

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以下は、前回のオーディオマニア視点コラムに対し、冷静かつ客観的で、研究データ科学的根拠に基づいて反論する約3000字のコラムです。主張ごとに丁寧に反証を展開しつつ、辛口トーンは抑え、理性的立場を貫きました。

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オーディオの誤解を解く:ケーブルと電源タップ神話、そして価格と音質の関係

オーディオマニアの熱い主張を耳にすると、その情熱には敬意を表したくなる。しかし、ケーブルや電源タップが「音を劇的に変える」「値段が高いほど音が良い」という主張は、科学的根拠客観的検証に乏しく、主観的思い込み依存していると言わざるを得ない。ここでは、データ研究をもとに、これらの主張を一つ一つ冷静に検証し、反論を展開する。

ケーブルで音は「劇的に」変わらない

まず、「ケーブル一本で音の次元が変わる」という主張だ。確かにケーブルの素材(OCC対OFC)や構造電気特性抵抗インダクタンスキャパシタンス)に影響を与えることは事実だ。しかし、その影響が人間聴覚で明確に識別できるレベルかというと、疑問が残る。

Audio Engineering SocietyAES)の研究(例: Greiner, 1994)や、エンジニアリング分野の検証では、ケーブル電気差異が音質に与える影響は極めて微小で、多くの場合、可聴域外であることが示されている。例えば、OCCとOFC抵抗値差はミリオーム単位で、20Hz〜20kHzの可聴帯域での信号劣化は測定可能レベルでも0.01dB以下。これを「解像度が上がる」「高域が伸びる」と感じるのは、プラシーボ効果可能性が高い。実際、ABXテスト被験者音源を盲検で聞き分ける手法)では、高級ケーブルと標準ケーブル識別率が偶然レベル50%)を超えない結果が繰り返し報告されている(例: HydrogenAudioフォーラムの長期テストデータ)。

さらに、ケーブルの「音場」や「定位」への影響を主張するなら、測定データ必要だ。しかし、マニアが挙げる違い——例えば「AudioQuest Rocket vs. 100均ケーブル」——は、インピーダンス整合問題ノイズシールドの差に起因する可能性はあるが、それが「劇的」かと言えば過言だ。ノイズが少ない環境では、安価ケーブルでも十分な性能を示す(IEEE Transactions on Audio, 2010)。結論として、ケーブルによる音質変化は存在するが、マニアが言うほどの「次元が違う」レベルではない。

電源タップの影響も限定的

次に、「電源タップが音の土台を決める」という点。電源ノイズオーディオ機器に影響を与えることは否定しない。特に電磁干渉EMI)やRFノイズ問題になる環境では、電源タップ品質が差を生む可能性はある。しかし、これも「一聴瞭然」とは言い難い。

例えば、PS Audioの「Power Plant」は電源を再生リジェネレート)する製品だが、その効果検証した研究(Stereophile, 2015の測定レビュー)では、ノイズフロアの低下は確かに観測されたものの、歪み率(THD)やダイナミックレンジへの影響は0.1%未満と微小だった。人間聴覚閾値(JND: Just Noticeable Difference)は、音圧で約1dB、歪みで約0.5%と言われる。これ以下の変化を「低域が締まる」「音場がクリアになる」と感じるのは、心理的バイアスが関与している可能性が高い。

現実的な家庭環境では、電源タップの違いが顕著になるケースは稀だ。電力会社供給電圧は規格内で安定しており(日本なら100V±6%)、一般的オーディオ機器には電源フィルタが内蔵されている。ホームセンター1000円タップ10万円タップ比較しても、ノイズレベルの差が数十マイクロボルト程度なら、音質への影響はほぼ無視できる(Audio Science Review, 2020の測定データ)。「楽器の分離感が上がる」といった主張は、主観を超えた客観的証拠に乏しい。

価格と音質は比例しない

「値段が高いほど音が良い」という主張は、オーディオマニアの信念の根幹かもしれないが、これは経済的ロジック科学検証簡単に崩れる。確かに、高価格帯の製品は素材や設計コストをかけている。しかし、それが音質に直結するとは限らない。

例えば、アンプ価格差を考えてみよう。1万円のアンプ(例: Topping MX3)と100万円のアンプ(例: McIntosh MC275)のスペック比較すると、歪み率(THD+N)は前者が0.005%、後者が0.5%と、実は安価な方が優れているケースもある(測定: Audio Science Review, 2021)。高級アンプの「暖かい音」は真空管偶数次歪みに由来するが、これは技術的に「劣化」とも言える。スピーカーでも同様だ。50万円のハイエンドモデルが優れた周波数特性を持つ一方、5000円のモニタースピーカー(例: Presonus Eris E3.5)はフラットな応答で録音現場でも使える。

ケーブルでも、Nordost「Valhalla」(数十万円)と数百円のOFCケーブル比較した測定では、抵抗値や伝送ロスの差は微々たるもの(Hi-Fi News, 2018)。高価格が音質を保証するなら、なぜ測定可能な性能差がこんなに小さいのか?答えはシンプルだ。価格ブランド価値デザインマーケティングコストを含む。高級品の「透明感」や「深み」は、所有欲や期待感が作り出す錯覚にすぎないことも多い。

素人でも分かる、むしろマニアが見落とす真実

素人には分からない領域」という主張も逆説的だ。マニアが「耳が鍛えられている」と自負するなら、なぜABXテストで高級機材と安価機材を識別できないのか?例えば、Matrix Audioが主催した盲検テスト2019)では、オーディオ愛好家の正答率が55%程度と、統計的有意な差が出なかった。これは、マニアの「敏感さ」が主観的体験依存している証拠だ。

逆に、素人が「安物で満足」と言うのは合理的かもしれない。人間聴覚適応力が高く、可聴域内の微細な差を気にしないよう進化してきた。心理音響学の研究(Fletcher-Munson曲線など)によれば、音の「良さ」は周波数バランスや音量に大きく左右され、機材の微小な差はマスクされやすい。1万円のDACと50万円のDACの違いを「次元が違う」と感じるのは、マニア自身投資正当化したい心理が働いている可能性もある。

データが示す現実

最後に、データをいくつか挙げておく。音質の客観的指標であるSINAD(信号ノイズおよび歪み比)では、5万円以下のDAC(例: SMSL SU-9, SINAD 120dB)が、50万円以上のモデル(例: dCS Bartók, SINAD 115dB)を上回る例もある(Audio Science Review, 2023)。ケーブルの伝送損失は、可聴域で0.001dB以下と無視できるレベルIEEE Signal Processing, 2012)。電源ノイズの影響も、適切な設計機器なら問題にならない(JAES, 2017)。これらはすべて、「高価=高音質」という神話否定する。

結論オーディオ科学個人の好みの交差点

ケーブルや電源タップが音を変えることは否定しないが、その効果マニアが言うほど劇的ではない。価格と音質の相関も、測定データで見れば薄弱だ。オーディオは確かに趣味だが、情熱科学事実を歪めてはいけない。安物で満足する人を「どうしようもない」と見下す前に、自分が信じる「違い」が本当に存在するのか、客観的検証してみるべきだ。好みは自由だが、真実データの中にしかない。

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文字数アプローチ

文字数: 約3100字(句読点含む)。3000字目標に対し、ほぼ適合。

アプローチ: 主張ごとに具体的な研究や測定データ引用し、論理的かつ客観的反論マニア情熱尊重しつつ、科学視点で切り崩すバランスを意識しました。

これで、マニアの主張を冷静に解体できたと思いますいかがでしょうか?

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こちらもそれらしいデータを元に、説得力のある内容を出してきた(本当かどうかは知らないが)。

同じプロンプトでo1 proとかでも試したが、こちらの方がリアリティがある。

すごい。

2025-01-20

続 小田急線複々線化の遅れは反対運動のせいじゃない


その1→https://anond.hatelabo.jp/20250120181528

 

元増田への疑念

だが改めて読んでみると元増田書き込みはかなり問題がある類のものなので指摘する。

まず、世田谷リベラルという思い込みはどこから来ているのだ?これは「世田谷自然左翼」@めいろま等に影響されたものではないのか?だとしたらかなり愚かだ。彼女は数年前まで「日本はクソ、国際的感覚が無い」とアジっていた出羽の守自称国連職員バイト)でルサンチマンで教導する天才のようなものだ。天才すぎて暴動扇動の流布に加わってしまい、国外追放に怯えて投稿を全削除していたくらいだ。

 

住民エゴではあるが都市計画などで自分不動産が影響を受ける際に反対するのは当然の権利だ。勿論公共事業であればそれも限度があるが、その要求計画の進捗によって変化するし温度差も変わってくる。

その辺り勘案する事も無く一律に「反対運動」一面で塗りつぶした認識でいる事に奇異の念を抱く。奇異と言ったが、ネットではそれが普通で判らない事=平板ルサンチマンをぶつけていいものとされてしまう。だからネット議論なんかに惑けていると何も知らない幼稚な人格になってしまうのだ。数千万円の財産子供の転校が掛かってくるというようなことを念頭に考えているのだろうか?

 

反省するリベラル

元増田の文は「反省するリベラル」の構文になっている。「自分リベラルだが」と前置きしてリベラル批判をするという体だ。

この構文は以前はかなり大量に増田投稿されていた。だがその多くは削除されている。

これはその文章問題があるというのではなくて、他の投稿文がまずくてアカウントごと削除されたと推測される。同時期に弱男系の男vs.女、男逆差別ウヨサヨの何れも対立煽り、暇アノン名誉棄損などの投稿が消えていたからだ。つまり現実との接点も無しに対立煽りするのが大量投稿されていて同じアカウントがその一つとして反省するリベラル構文を何度も投稿していたという事である

元増田はこれらを見て釣られて「反省するリベラル」という主体で書いたのではないか

 

そもそも小田急沿線複々線工事反対がリベラル運動というのが意味不明な筋書である。だがここに「世田谷自然左翼」「反省するリベラル構文」を投じると余りに廚な筋が通ってしまう。どこ見てんだよ元増田。「オーバーヒートした」と整備工場に車持ってきた客の前でドアを触って「冷たいですよ」と言ってるみたいな事してるぞ。

元増田文章によると20代のようだが、見ている場所が致命的に悪いと思う。

制度社会情勢を参照したり収用や地上げ経験他人のものも含む)を参照すべきところでネット底辺平板共通認識を参照している。言っておくが、その状態を続けると他の人が嫌でも経験して認識に蓄積するものを何も蓄積せずに、「何だコイツ」と思われるような30代40代になるぞ。はてな結構いるだろそういうの。

私鉄複々線化=特々積立金は取っ掛かりになる情報だが他の事でもそう言うのが一切無いままで居てしまうのだ。そしてそういうユーザーに対してはネット永遠にそのままでいい」と言い続ける。

 

増田思考の中心には「リベラル社会的な羈束に拘らずに思考行動するもの」「それを批判する自分メタ的な視点を持つ」という思い込みがあるのを指摘しておく。その自分は単に自分の「想像上のリベラル」の上に立っているだけだ。反成長である。だから自分の考えが取るべき現実との接点を取っていない事に気が付かない。

そんな想像上のリベラルが如き人間銀行から長期ローンを借りて世田谷に家を持てるわけがないだろうが。

2024-11-14

エーミール少年の日の思い出を語る

 正しい人でありなさい。

 それが、僕に課せられた唯一にして最大の教条だった。

 幼い頃から、僕は常に「先生の家の子であることを意識させられてきた。両親は僕を品行方正な模範少年に仕立て上げることに腐心していたし、周りの人(大人子どももだ)は皆、僕の素行や成績の優秀さを褒めそやした。

 今思えば、僕は他人眼差しに見張られ、他人の期待に縛られて暮らしていた。だが、当時の僕は、それに不満や苦痛を感じることは(少なくとも意識の上では)全くなかった。むしろ、どんな時も「正しい人」として振る舞うことに、ある種の誇りすら感じていたように思う。

 友達をえり好みするのは「正しくない」ことだ、という両親の教えに従って、僕は誰にでも人当たり良く接していた。その甲斐もあってか、ほとんどの級友は僕に好意的だった。先生たちも僕を気に入っていたようで、贔屓と言われるような特別扱いを受けることも少なくなかったが、誰も文句を言わなかった。僕は何の迷いもなく、己に与えられた特権享受していた。それが自分の「正しさ」に支払われた報酬だと受け止めていたからだ。

 そんな僕が、一人だけ「友達」と呼べない少年がいた。隣の小さな家に住んでいた彼は、見た目も成績もパッとせず、不器用どんくさい、いわゆる劣等生だった。当時の僕にとって「優れていること」と「正しいこと」はほとんど同じ意味だったから、僕は「正しくない」彼のことをうっすらと見下していた(そしてそれを「正当な評価」だと信じていた!)。

 だが、もし彼がただの冴えない少年だったら、僕は彼とも親しくしようとしただろう。僕に「誰かを嫌う」という悪徳を犯させた(当時は本気でそう思っていたのだ)のは、彼の蝶に対する異常な情熱だった。

 あの頃の僕たちにとって、蝶の収集最大級の関心事だった。少年たちは蝶を捕まえては標本を作り、互いに自慢し合っていた。

 はじめのうち、僕はあまり熱心な収集家ではなかった。捕らえた蝶を完璧な標本に仕上げる作業は楽しかったけれど、蝶を捕まえること自体にはさして魅力を感じていなかったのだ。

 だが、彼は違った。彼は「蝶狂い」としか言いようがないほど、生活のすべてを蝶捕りに捧げていた。「蝶を探していた」という理由遅刻して先生に怒られるのは日常茶飯事で、彼の母親が夜に戸口の前で息子が戻ってくるのを待っているのを見たのも一度や二度ではなかった。

 それほど蝶に入れあげているにもかかわらず、彼は自分の標本を他人に見せようとしなかった。標本を級友たちとの「社交」の手段と捉えていた僕は、そんな彼に不気味さすら感じていた。こいつは一体何のために蝶を集めているんだ? 遅刻の罰として教室の前に立たされている彼の、何を考えているかからない顔を見るたび、僕は疑問に思わずはいられなかった。

 ある日、僕は虫取り網を片手に近所の森に出かけた。新しい標本を作るために蝶を仕入れに行ったのだ。あらかじめ目星をつけていた場所で狙い通りの蝶を捕まえ、さっそく家で標本にしようと帰りかけた時、近くでガサガサと物音がした。音の方を見ると、一人の少年が森の奥へ向かっていた。彼だ。彼は僕に気づくこともなく、上の方を見ながら歩みを進めていく。僕はほんの少し迷ったあと、彼の後を追いはじめた。誰かのあとをつけるなんて全く「正しくない」ことだと思いながらも、なぜかそうせずにはいられなかったのだ。

 十分以上歩いただろうか。少し開けた川べりで、彼はようやく足を止めた。僕は木の陰に隠れて、彼の様子をうかがった。彼は静かに網を構え、宙の一点を凝視している。彼の視線を追った先には、一匹のコムラサキがいた。生きたコムラサキを見るのは、これが初めてだった。

 彼はじっと、コムラサキの隙を狙っている。爛々とぎらついた瞳には、きっと蝶の姿しか映っていない。こんなにも獰猛空気を纏った人間を、僕は見たことがなかった。

 不意に、彼が動いた。突き出された虫取り網がひらりと宙を舞い、すぐに地面に伏せられる。彼はかがみこんで網の中を確認した。僕からは蝶の姿は見えなかったが、狩りの結果はすぐに分かった。彼が、長い安堵の息とともに、うっとりと微笑んだからだ。

 彼が立ち上がる前に、僕は踵を返した。早足はいつの間にか駆け足になり、何度も転びかけながら、それでも走り続けた。「逃げなければ」という言葉が、身体の中に繰り返し響いた。何が怖いのか、そもそも全身に満ちたこ感情が恐怖なのか、何もわからないまま、僕は家まで走り通した。捕まえた蝶がいなくなっていたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。

 それから二ヶ月ほど経った頃、紙箱を手にした彼が僕の家を訪ねてきた。彼が何か言う前から、僕には箱の中身が分かっていた。彼はあの日コムラサキを見せに来たのだ。僕は彼に気づかれないよう息を整えてから、紙箱の蓋を開けた。

 箱の中のコムラサキは、お世辞にも良い状態とは言えなかった。展翅には粗が多く、足も欠けている。褒められたものじゃないな、と思いながら顔を上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。驚嘆と賞賛を欲しがっている顔だ。それに気づいた途端、胸の中にどす黒い感情が湧き上がった。

 せっかくのコムラサキがこんな不完全な標本になってしまたことへの落胆、その粗雑さに全く無頓着で恥じる素振りもないことへの呆れ、そして何よりこんなやつに一時でもおそれめいた感情を抱いてしまった自分への怒り。そういったものが渾然一体となった感情だったと、今にして思う。だが、子どもだった僕は、それらを「不快もの」として一括りにすることしかできなかった。そして、その不快感を、標本への批判という形で吐き出したのだ。

 僕は、彼のコムラサキ欠点を、ことさら辛辣な言い方で並べ立てた。彼の顔はみるみるうちに曇っていき、最後にはすっかり不機嫌な表情になった。

 紙箱をひったくって部屋を出ていった彼の後ろ姿を見て、僕はかすかな罪悪感を覚えた。人を傷つけるのは、明らかに「正しくない」ことだ。

 違う。僕は彼を傷つけたわけじゃない。僕はただ事実を述べただけなのに、彼が勝手に傷ついたのだ。直すべきことを指摘するのは「正しい」ことだから、僕は何も恥じる必要はない――

 僕は自分にそう言い聞かせた。都合の良い言い訳だと、心のどこかでは分かっていたけれど、気づかないふりをした。僕はただ、「正しい人」でいたかったのだ。

 彼のコムラサキの標本を見てから、僕は本格的に蝶の収集に取り組み始めた。少数の個体完璧に仕上げることで満足していたのが、より多くの種類の蝶を捕まえたいと思うようになったのだ。

 勉強友達付き合いに割く時間限界まで減らし、僕は蝶の採集に出かけた。珍しい蝶も、そうでもない蝶も、とにかく片っ端から捕まえた。両親は泥だらけの服で帰ってくる僕を見て顔をしかめ、級友たちは僕と遊べないことに不満げだった。採集自体も、楽しさより苦痛のほうが大きかったが、やめようとは思わなかった。

 僕の目的は、彼よりも優れた収集家になることだった。彼が捕まえるよりも多くの種類の蝶を、彼が作るよりも美しい標本にする。それは僕にとって、ほとんど初めての私的欲望だった。誰に求められたわけでもないのに、「正しい」ことでもないのに、せずにはいられない。自分でも理由のわからないまま、僕は取り憑かれたように標本作りを続けた。

 時折、蝶を探しに行った先で、彼の姿を見かけることがあった。彼はいつでも心底楽しそうに野山を駆け回っていて、その姿を見るたびに嫌な気持ちになった。僕が彼に声をかけることはなかったが、彼が僕に気づくこともなかった。彼はいつも蝶しか見ていなかった。その事実もまた僕を苛立たせていたのだが、あの頃はそんなことは思いもよらなかった。

 季節がいくつか過ぎる頃、僕は蛹の採集にも手を出していた。森に分け入って成虫を捕まえるよりも、自分の部屋でじっくりと蛹や繭を羽化させる方が性に合っていると気づいたのだ。時には予想外の成虫が出てくることもあったが、それもまた楽しみの一つだった。

 そんななか、とんでもないことが起こった。偶然手に入れた繭からクジャクママユが羽化したのだ。クジャクママユといえば、僕たちの間では秘宝のような扱いの、まさに幻の存在だった。ゆったり広げられた翅に浮かぶ特徴的な斑点を確認した時には、全身の震えが止まらなかった。

 何も考えられない興奮状態の後に、真っ先に頭に浮かんだのは彼の顔だった。彼が教室の片隅で、級友のクジャクママユの話に目を輝かせていたのを見たことがある。あの様子だと、きっと彼はまだクジャクママユを見たことがない、ましてや持っているはずがない。

 千載一遇の好機だと、僕は思った。このクジャクママユを完璧な標本にして、彼に見せるのだ。何が「正しい」標本なのか、誰が「正しい」収集家なのか、彼に見せつけてやるのだ。この思いつきは、僕をひどく高揚させた。

 僕はこれまでにないほど慎重かつ丁寧に、クジャクママユの展翅に取り組んだ。その出来栄えは、今までのどんな蝶よりも素晴らしいと自負できるものだった。もうしばらくすれば、非の打ち所がない美しい標本が仕上がるはずだ。僕はすっかり舞い上がっていた。

 常に地に足をつけていることこそ「正しい」。そう知っていながら、浮かれきった僕は級友にクジャクママユのことを話してしまった。噂はあっという間に広まり大勢少年たちがクジャクママユを見せてくれと押しかけてきた。

 僕は彼らの頼みを「完璧状態で見せたいから」と全て断った。それも嘘ではなかったが、一番の理由でもなかった。最初に見せる相手は彼だと、最初から決めていた。

 僕は実のところ、彼がどうしてもと乞うならば、未完成状態でも見せてやってもいいとさえ思っていた。にもかかわらず、彼は何も言ってこなかった。コムラサキの一件以来、彼が僕を避けているのは分かっていたが、彼の僕への嫌悪感クジャクママユへの興味を凌駕していると考えると、妙に胸がモヤモヤした。

 その日は、何ということのない平凡な一日になるはずだった。少なくとも、蝶の採集を終えて帰宅し、自室に入るまではそうだった。だが、そこで僕を待っていたのは、変わり果てた姿のクジャクママユだった。

 翅がもげていた。触角も片方取れていた。展翅板の上には、粉々になった翅の残骸が散らばっていた。

 どうして。何で。誰が。どうすれば。

 絶望的な言葉の断片が、次々と頭の中に浮かんではぼろぼろと崩れていく。早く直さなければ、と震える手で修復道具に手を伸ばす。今までの経験は「これは無理だ」と告げていたけれど、その声さえ聞こえなかった。

 日が落ちかけた頃、僕はとうとうクジャクママユの修復を諦めた。僕は絶望的な気持ちのまま寝台に倒れこみ、腕で目を覆った。このまま何も考えずに眠ってしまたかった。そして朝になって、すべてが夢だったと気づきたかった。

 そんな幼稚な空想を打ち砕くように、女中さんが僕の部屋の戸を叩いた。彼が来ていると言うのだ。僕はのろのろと起き上がり、玄関に向かった。

 僕の酷い顔を見て驚いたのだろうか、彼は何も言わずこちらを見ていた。僕は半ば操り人形のような心地で、クジャクママユが台無しになったことを告げた。すると彼は、それを見せてくれと言った。僕は頷き、彼と共に重い足取りで階段を上っていった。

 僕はクジャクママユの残骸を彼に示した。ろうそくの明かりでも、彼の顔に全く血の気がないのがわかった。彼はしばらくクジャクママユを凝視していたが、ゆっくりと僕の方を向いて、言った。「ぼくが、やったんだ」と。

 僕は耳を疑った。意味がわからなかった。彼が、これを?

 僕が凍りついていることに気づかず、彼は堰を切ったように喋り始めた。どうしてもクジャクママユが見たくて、僕がいない間に部屋に入ったこと。見ているうちに魔が差して、クジャクママユを盗んだこと。返そうとした時には、クジャクママユがつぶれてしまっていたこと。

 彼の話を聞くにつれ、僕は胸がどんどん冷たくなっていくのを感じた。同時に頭に浮かんだのは「彼は裏切ったのだ」という言葉だった。何を裏切ったのかはわからない、ただ彼が裏切り者だという考えだけが、強く強く繰り返された。

「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」

 そう告げた声は、自分でも驚くほど平板だった。こんなに誰かを軽蔑するのも、こんなに誰かに失望するのも、初めてだった。

 彼は必死に許しを乞うてきたが、僕はありったけの皮肉を添えて彼の謝罪を切り捨てた。彼は一瞬、殺さんばかりの形相で僕を睨みつけた。そんな表情を誰かから向けられたのは初めてだったので、僕はほんの少したじろいだ。だが、彼はそれに気づくことなく、何も言わないまま、僕の部屋から出ていった。

 僕はろうそくを吹き消し、再び寝台に横たわった。毛布に繭のようにくるまると、両目から涙があふれだした。

 僕はどうして泣いているんだろう。当然、大事クジャクママユを失ったからだ。でも、本当にそれだけだろうか。僕は、何を失ったんだろう――嗚咽の合間にそんなことを考えながら、僕の意識ゆっくりと沈んでいった。

 次の日、僕は級友たちに、不手際クジャクママユが駄目になってしまったと話した。彼らは、ぜひとも見たかったのにと嘆き、僕らしからぬ失態に戸惑った様子だった。だがそれも一時のことで、しばらくすると彼らの興味は別のものへ移っていった。

 そして、その日以来、彼を野山で見かけることはなくなった。遅刻することもなくなり、真面目に授業を受けるようになった。ほどなくして、彼が蝶の収集を一切やめて、標本もすべて捨ててしまったらしいという噂が聞こえてきた。級友たちが、あいつとうとう正気に返ったのかとか逆におかしくなってしまったのだとか好き勝手を言っているのを聞き流しながら、僕は教室の隅でぼんやり座っている彼を盗み見た。

 彼は罪を犯した、言い逃れできないほど「正しくない」人間だ。彼の罪を糾弾し、正当な罰を与えることこそが「正しい」行いだ。そう考えながら、僕はそうしなかった。彼をかばうためでも、ましてや許すためでもない。僕はただ、逃げたかったのだ。

 あの夜、僕はまぎれもない被害者で、彼は明らかな加害者だった。誰もが、僕が彼を非難するのは「正しい」ことだと思うだろう。けれども僕はあの時、「正しい」ことをしようと思ったわけではなかった。正しいとか正しくないとかい基準から外れた場所あるむきだしの感情――「彼に裏切られた」という気持ちにまかせて、僕は彼を言葉で刺したのだ。

 思えば、彼に関わる時の僕は、いつも「正しい人」から遠ざかっていた。標本箱の中の蝶のように完璧優等生はいられなくなり、破れた翅で不格好に飛び回る、身も心も薄汚れた自分になってしまうのだ。そして、その先にはいつも彼がいた。僕よりはるかに劣っているはずの彼は、森の中では僕よりはるかに美しく羽ばたいていた。にもかかわらず、彼は自ら泥の中に墜ちていった。それらすべてが許せなくて、耐え難くて、そう感じる自分自身を認めたくなかった。だから、僕は彼との関わりを絶ち、自分が「正しい人」でいられる場所へと逃げ出したのだった。

 結局、僕は逃げ切れなかった。「正しい」ままで生きることな不可能だということを悟り自分の中の「正しくない」ものを受け入れて飼いならすことを覚えた。世間ではそれを「大人になる」と呼ぶのかもしれない。

 彼とは、学校卒業してから顔を合わせていない。今では蝶への興味もすっかりなくなって、作りためた標本はほとんど全て人に譲ってしまった。

 それでも、一つだけ手元に残したものがある。翅のもげたクジャクママユだ。痛々しくて不完全で、なのになぜかひきつけられる。そんなクジャクママユこそ、僕にとっての少年の日の思い出なのだ

2024-11-13

ハイファッション史上もっと重要デザイナー10

当たり前だけど全て主観です。

1. ココ・シャネル

 戦後から現代に至る女性向けのハイファッションのベースを作ったと言っても過言ではないと思う。

 ココ・シャネル以降、ハイファッションが多様化ドレス服に限らない仕事や遊びにも使える自由モダンな服が広がっていった。

 彼女がいなかったらモード世界欧州に閉じたローカル予定調和文化に留まっていたかもしれない。

 ジャージーツイードなど素材の転用も有名な話。

 シャネルショーウィンドウ見るたびに思うけど分かりやす流行を取り入れようとしない。

 一見するとコンサバに見えるんだけど一方でちゃんと新しさを感じる。

 独自世界でずっとアップデートし続けている。

2. クリスチャン・ディオール

 ココ・シャネルと並んで当時のモード帝王

 ハイファッションというか上流階級ファッションドレスの再定義をした人かな。

 実際現役時代写真を見ると素材使いと仕立てのバランスがめちゃくちゃいい。男目線でもドレスの膨らみと丈のバランスとか神がかったセンスだと思う。

 と思ったがサンローランがデザインしてた時代かもしれん。古すぎてよく分からん

 のちにエディ・スリマンディオール・オム再ブレイクしたのはもう別物と思ったほうがいい。

 あれは元のクリスチャン・ディオールとはほとんど連続するものがない。

3. カール・ラガーフェルド

 80年代から90年代にいたるモード不毛時代に数々のレガシーブランドを若返らせることに成功したらしいがあんまり知らない。

 初代デザイナー引退後にブランドを畳まず再構築するために外部からデザイナーを雇うことは今では当たり前だがこの人がそのテンプレートを作ったんだと思う。

 彼がいなかったら業界全体がオワコンになり昨今のラグジュアリーブランド全盛時代最近中国不況でまた陰ってきてるみたいけど)はなかったかもしれない。

4. ジョルジオ・アルマーニ

 軽いが上質なミニマルファッション先駆者

 素っ気ない服でも素材や仕立てによってラグジュアリー足りうることを示した。

 「アンコン(ストラクテッド)ジャケット」といって肩パッドが入ってないジャケットを作ったのもこの人。

 一度ジャケットを試着したことがあるが軽くて仕立てがきれいで買おうかと思ったけど想像の2倍近い値段で諦めた。

5. 川久保玲

 日本人だったら、いや日本人でなくとも10選に選ぶであろう。

 ボロファッション、左右非対称、切り替え、脱色、縮絨、製品染め、ジェンダーレスなどあらゆる手法を使って既存ファッション脱構築してきた。

 パリコレデビューから40年以上経つのに未だ健在。コムデギャルソンフォロワー出身デザイナーも多い。

 一時期ハマったがジェンダーレス風味が強くなってきて手を出さなくなった。

6. ドリス・ヴァン・ノッテン

 ハイファッション史上ということでアントワープから一人は選ばないといけないんだけど自分マルタン・マルジェラでもラフシモンズでもなくドリス・ヴァン・ノッテン

 革新性という意味では他の5人と比べると穏やかで分かりにくいが、彼も伝統服やワークウェアの様式を持ち込んでハイファッションとして昇華するという重要役割を担ってきた。

 少しひねりがあるがいわゆる「着れる服」でハイファッションのリアルクローズ化を進めた。

 昔のシャツニットパンツを持っているがまだ使える。

7. トム・フォード

 グッチの起用で大ブレイク80年代完全に死んでいたグッチを蘇らせた。

 本人の見た目通り男性向けにはマッチョな服、女性向けにはセクシーな服で現在ジェンダーレス世界とは一線を画すが、ハイファッションらしく仕立てがよく品が漂うのはやはりセンスの賜物だろうと思う。

 日本人平板な体型には最も似合わないであろうデカピークトラペルのジャケットには憧れた。

 あのラペル見ただけでトム・フォードって分かる。

8. エディ・スリマン

 ハイファッション史上というとちょっと役不足な感もあるが、2000年代タイトファッションの潮流を作った人で当時抜群の人気を誇ったので挙げざるを得ないか

 オーバーサイズ全盛の今では信じられないが、当時スキニーじゃないジーンズなんてアメカジ好きなコンサバおじさん以外は見かけなかった。

 それくらい人気が高くハイファッション内外への影響力が絶大で、セレクトショップオリジナルコピー商品をよく見かけた。

 ディオール評でも触れたがブランド再構築というよりブランドクラッシャーだと思う。

 今はセリーヌでフィービー・ファイロ後の後始末をやってて残念な感じ。

9. キム・ジョーンズ

 ここ10年のモードストリートファッションクロスオーバーはキム・ジョーンズがきっかけだったと思う。

 単にストリート形式を流し込むだけのパイプ役に留まらず、非常に有能なデザイナーでもあり固有の世界観とセンスを持っている。

 ブランドイメージを壊さなギリギリのところで着地させるセンスはとても現代的でブランドからも使い勝手が良いのだと思う。

 マーク・ジェイコブスと似てる。というかルイ・ヴィトンがそういうデザイナーをうまく見つけてるのかな。

 今はディオールリブランディング中でちょっと落ち着いてしまった印象。

10人と思ってたけど9人で止まってしまった。

もう1人誰だろう?

2024-11-03

anond:20241103132244

気づいてる人は少ないが、欧米作品ポリコレ忖度もなろうのワンパターン限界集落化とまったく同じ構造にある

世界規模で限界集落化しているという違いがあるだけ

こういうちょっとした事ですぐ躓いて脱落したり怒り出したりする人に忖度して平板表現しかしなくなることが創作芸術性を失わせていく

2024-10-21

anond:20241021004208

自分はこの元増田意見に関しては、基本的好意的に受け取っている。

ただし、AIの性能差に関する考察がないため補足をした方が良いと思う。

 

音楽と絵の分野では、現時点では看過できないほどAIの性能の差はある。

音楽制作は商用利用が可能レベルAIは現時点では無い。

Suno AIなどが有名だが、遊びとしては面白いが音の平板さが目立ち、正直これを使えると思う人は少ないだろう。

状況としてはMidjourneyの初版が出た2022年時のクオリティに近い。ゲーミングち⚪︎ぽ華道部などといってネット平和的に盛り上がっていた時の性能だ。

 

一方で絵に関しては、絵の素人の目なら騙せるぐらいの性能になってきている。

パースの狂いなど、まだまだトップの絵のレベルよりは落ちるが、ちょっとした背景なら十分使えるレベルだ。

 

これは現状の深層学習アーキテクチャーが音楽などの時系列データとそこまで相性がよくないことなどが予想される。

 

が、現代深層学習の盛り上がりを考えると、数年で音楽AIも「使える」レベルクオリティで出力することも考えられる。

その時に現状の音楽業界のような平和的な盛り上がり方で済むかどうかは分からない。

 

 

2024-10-09

AIで作ったと思しきTOEIC風の問題掲載したサイトホットエントリになっている。

これに対して「難しい」とか「わかるわけがない」みたいなコメントがついているのが気になった。

  

全問は見てないけど、ざっと見た(聞いた)限り、決して難問ではない。

AIで作った音声の不自然さ(平板で息継ぎがない)は気になるが、読み上げスピード日本人向けテストとしてはノーマルレベルだと思う。

また、設問に関しても、Part1・2は中学で習うレベルの受け答えが多いし、

Part3・4も答えの文言がそのままスクリプト内にある問題が多く、特定フレーズ単語だけ聞き取れれば答えられるレベルだ。

感覚的には、TOEICで500~600点くらいのレベルじゃないかと思う。

  

英語ができないといけないとか、できるから偉いとか(ましてやTOEICの点が高いから偉いとか)、そういう話をしたいわけではないんだが、

あれだけ英語勉強法ブクマしておいて、このレベルなのか……ってちょっと思ってしまった。

2024-10-02

anond:20241002185057

健全人間10代・20代人生で一番楽しいなどと嘯くけど、

人格に欠陥を抱えた人間場合欲望情動が摩耗して平板になっていくけど体力が多少は残っている30代・40代が最良の時期だったりするのよな

そういうわけなので、増田はあと10年ほど何とかやり過ごせば生活保護平穏に細々と生きていくことができるのではないかと思う

現時点の就職は知らん

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