はてなキーワード: ワンパターンとは
お前の作り話いつもワンパターン過ぎん?
気づいてる人は少ないが、欧米作品のポリコレ忖度もなろうのワンパターン限界集落化とまったく同じ構造にある
こういうちょっとした事ですぐ躓いて脱落したり怒り出したりする人に忖度して平板な表現しかしなくなることが創作の芸術性を失わせていく
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PM9:00 このまま寝るには惜しい落ち着かなさ。雨ん中ピザ食っただけじゃ物足りない。
冴えない夜をベッドで迎えるより夜の街に繰り出したい。この気分がおそらく人生に対する無意味な焦燥感に変化する前に。
バルト9の上映スケジュールを確認。24:55からのがいいな。いや急げば22:50のもいける。贅沢にハシゴしちゃうか。早速のヴェノムと今更のシビルウォー。
遊び人は手ぶらがかっこいいよな。でも折り畳み傘もモバイルバッテリーも持っときたいよな。あんまりポケットが膨れても不格好だしな。
妥協して鞄を引っ提げ駅へ。ちょっと降ってる。カバン持って来といて良かった……のかも微妙な降り具合。手ぶらで良かったかも。
土曜夜の浮ついた中央線に揺られながらいそいそとチケットを予約。同じく浮かれたTLを上の空で眺めながら、新宿着。雨は降ってないな。
あまり寄り道してる時間もない。一目散にバルト9へ向かい、チケット発券して一服して鑑賞開始。
週末の深夜上映は平日のそれよりもなんとなく健康的な感じがする。平日の世間からあぶれる逃避って感じも好きだけど。
劇場を後にして、取り敢えず東口喫煙所で一服。飲み歩き趣味もないおれはちょっとした時間の潰し方をこれしか知らん。
ネズミがチョロチョロしてやがる。深夜早朝に都市部をうろついてるとたまに見かける。上野公園でも見た。珍しめのポケモンと遭遇した感があってちょっと嬉しい。
世界には覚えきれないほど動物がいるのに、野生で出会えるのはほんの一握りの一握りのワンパターンなのが寂しい。
と、小腹が空いてきた。前々から気になってた大久保公園近くのケバブ屋へ向かう。
ケバブサンド中辛(¥350)を購入し、食う場所を探す。イートインもあるようだが、なんかたむろしてる連中がいて怖い。
ストリートスタイルで食える場所を求めてあたりをぐるぐる回る。新宿をうろつく人間は怖い。ことこの辺りはかの立ちんぼ通りも近くて怖い。少しでも落ち着いた場所で食いたい。
なんか国籍不明のお姉様がオニサンナンサイと聞いてくる。コワイ。
結局店の周りを一周して、西武線沿いの人口少なめな道端に腰を据えてケバブを頬張る。
うまい。食い辛い。こぼした。
シミにならんといてくれよなと思って確認したらしっかり汚れてる。萎える。もうあんまり味はしない。
さっさと平らげて、いろはす買って即席ウェットティッシュで拭う。全然落ちない。早く帰って落としてえ。
しかしまだ始発まで少し時間もある。バスタ前の夜景でも見るかと南口へぐるりと回る。
ビルに挟まれドコモタワーがそびえ立ち、遠くへは開けた正面に線路が伸びる。いいですねぇ。トカイですねぇ。
日中はカップルやらなんやらで落ち着かないけれど、今なら貸し切り。
ご無沙汰だった深夜徘徊用プレイリストを流してみる。15分ほどボケ〜っと景色を眺めていたらそろそろ始発も近い。
帰りの電車は有り余る時間を使ってfilmarksに長々と感想を記録。隣の奴の香水臭さに耐えながら。
電車を降りて、日が昇り切る前に家へ逃げ込む。
1999年からシリーズ3作として現在も続いている漫画・ラーメン発見伝シリーズで考えてみる。
1作目では主人公は将来ラーメン屋をやろうとしている藤本浩平で、そのパートナーは同僚の佐倉祥子である。
男性主人公に女性パートナーという、物語としては王道展開であり、読者も普通に受け入れられた。
ラーメンハゲこと芹沢達也の部下という立ち位置なのだが、ゆとりには異性のパートナーがあてがわれなかったのだ。
佐倉というパートナーが最初からいる藤本と比べると、ゆとりはずいぶん冷遇されていた。
困難にぶつかっても、全部ひとりで解決しなければならないからである。
その解決の方法もほぼワンパターンなので、物語の流れも単調だった(ピッコ~ン!!)
その影響かわからないが、藤本のラーメン発見伝が26巻も続いたのに対し、ゆとりのらーめん才遊記は11巻で終わってしまった。
では3作目の芹沢達也が主人公となったらーめん再遊記はどうだろうか。
こちらも芹沢達也が一人でどんどん物語を進めていくので、異性のパートナーは存在しない。
しかしラーメンユーチューバーのグルタ(男性)が事実上の芹沢達也のパートナーとして機能している。
グルタが登場する前と後では(伝説の復讐の土下座回)、らーめん再遊記という作品は全くの別物なのではないかと思っている。
らーめん再遊記は現在も連載中であり、ゆとりの才遊記11巻を軽く超えることが確定した。
それを一緒に見ているのだけど、もうアニメ自体、受け入れられないなあと。
わさドラがNGなのではない。ドラえもんという、アニメそのものが。
具体例を挙げると、
ストーリー上の困難(主にのび太が困っているとき)って、ほぼ、有名な道具のみで解決できる。どこでもドアとか透明マント、もしもボックスで。もちろん、それやっちゃうと話にならないので、製作陣は苦心しているのはわかっている。問題解決のために来ているドラえもんが、解決してくれないところがコメディであり、見どころなのもわかっている。それでも、長いこと社会人やっているせいか、「そこでそれはないだろ」が多すぎてイライラしてしまう
ドラえもんの9割は彼起点で話が進む。唯一無二の悪者であり、絶対王者。彼には、最大限の権限が与えられており、詐欺、暴力、反則、暴君、なんでも許される。
そして、周りの友だちは、直接的には逆らわない。とくにのび太は安易に受け入れてドラえもんに委ねるし、スネ夫ものび太に押し付けるし。そのズルさって時に必要なんだけど、毎回やってたらただの責任のない人だなあと。
加えて、ジャイアンの「自分をわかっていないようでわかっている」という性格も何だか腹が立って。彼の歌(料理も)は誰もが忌み嫌い、本人は世界一上手いと思っている、なんだけど、周りから拒否られていることは本人わかってるよね?歌や料理をやろうとすると、蜘蛛の子散らしたように周りが逃げていくし、歌聞いているときとか皆顔引き攣っているし。気づかないはずないんだけどなあと。
まあ、書いてて、本当にいちゃもんだし、自分がドラえもんで育ってるのだから、何を言ってんだという話なんだけど。
とはいえ、同じコンセプトのアニメを、長くやりすぎているんじゃないかなー。
端的に言えば、バリエーションが枯渇してる。
「この場面では、これが的確」の候補が既にいっぱいあるなか、新鮮味を保つために道具を量産しなければならず、的確さを損なっているし、
ジャイアンの歌を嫌がる群衆、の表現もワンパターン化しないよう、あらゆる表現にしているけど、少し陰湿で行動が読みにくい「怖さ」を備える人物になっている。さらに、「いじめ」につながる表現を極力排除しているフシはよくわかるし、なるべく手を出さないし、暴君ぶりも抑え気味になっているのだけど、それが却って彼の竹を割ったような性格が損なわれて、結局怖いし、近寄りがたい。
https://jp.quora.com/コールセンターで勤務しているのですが-怒鳴られる
これ読んでコールセンターはやっぱり辛いって改めて思ったけど、怒られてる原因作ってるのは必ずしもコールセンターの担当者じゃないってことが唯一の救いだと思った。
だけど俺は本社と系列店舗向けの業務システムを一人で構築運用してコールセンターも兼務している。
なにか問題があって怒られるとコルセンター兼開発者の俺が原因ということになるので逃げ場がない。真正面から謝り続けている。そのうえで不具合の原因調査と説明、バグ改修、テスト、本番環境へのリリースまで一人で行っている。
よくあるのが、足りない機能があるから早く用意しろと散々叩かれて、俺がやっとのことで開発して運用にこぎつけて不具合がなくても、結局何も言われない。問題があるときだけ俺が怒られる。面白いくらいにワンパターン。
俺の構築したシステムは運用を開始して既に5年以上経過しているが、曲がりなりにも一度もシステムダウンを起こしていない。
前の他社で構築したシステムは年に数回システムダウンがあって業務が止まることが多々あった。
それでも、前のシステムより改善したことについては何一つ良いことを言われたことがない。
前のよりも使いづらい、前のシステムに戻せ、お前の作ったものに金なんか払いたくない、いまだに言われる。
その一方で、本社の営業担当や役員、スーパーバイザーなど、別の立場で系列店舗と接する社員は関係が概ね良好だ。中には、うちの社員に、あのエンジニアどうにかなんないですかねーみたいな愚痴を言う人までいる。
辛いのは最初だけで、だんだんなれるだろうと思ってたらそうでもなく、最近、体が微妙に不調になってきた。
こんな状況で、どうやって良いモチベーションを保った魔まま心身健康に続けることができるのか、気持ちを保ち続けることができるだろうか? よくわかんなくなってきた。どうしよう?
ただし辞めるという選択肢はナシで
【追記】
辞めるという選択肢はナシでって言っても辞める話する増田ばっか出てきて辛い。
理想を言えば、俺が完全無欠なシステムを提供維持してユーザーと対等な立場でにこやかに日々のやり取りができればいいのだが。そのスキルも根性もなくて辛い。
ユーザーから感謝されることも全く無いわけではない。しかしそれはほとんどの場合、俺のせいで不具合が生じてユーザーから指摘を受けて直した後だったり、こちらの至らなさで操作方法が紛らわしいために質問を受けて回答しただけだったりするので、なんだかマッチポンプみたいで罪悪感を感じる。
また、ユーザー側のシステムに対する期待度、できて当たり前の水準が高すぎるのも辛い。こんなのもできないのか、とかExcelでやればちゃちゃっとできるだろ、みたいな叱責を受けることもあるが、お前がやってみろよって何度も喉まで出かかって耐えた。
プログラミングのことを知らない人間にプログラミングの難しさを説明することができないがために、プログラミングを知らない人間との信頼関係を構築できないでいる。
怒られる原因作った人間と怒られる役割の人間分けたほうがいいというブコメの指摘あったけどそうなったら楽かもしれないけどそれは無理。
実際は、怒られる役割を俺の代わりに少しかぶってる人もいるけど、当人にとってはあまりにも理不尽でやってられないし、怒る側はおこる側で「悪いのはあなたじゃなくてあいつ(つまり俺)だけど」って前提で怒ってるんで結局同じことになってしまう。
ブコメで、「他人(同僚、顧客)に期待しすぎ」ってコメントがあったが、なるほどこういう視点もあるんだね。俺としては、他人に期待してないからバグ修正や機能追加を地道に続けて、口よりモノで不満を黙らせ続けるしかなかったんで。
レッテルイメージの方の「なろう」は弱者男性だけど、実際の「なろう」は弱者女性向けだよね。
毎日、何十作品も「王子様」をボロクソにけなす「強い女性」の物語がランキング入りしてる。
ランキングに入らない新作も含めて、やべぇ数があるだろうなぁ。
もちろん面白いのもあるよ。その前提の上でいうけど、
ともかく「バカな男」をひどい目に合わせて「スッキリ」したい女性の欲が出てる。
俺は良いと思うけどね。
あと90%くらい短編なので、寝る前に読むのに都合が良い。
日間ランキングみると、必ず悪役令嬢の婚約破棄物の新作がランキングに入ってる。
連載ものは男性向けなイメージだなぁ。悪役令嬢物でもTSだったり、下剋上だったり歴史改変だったりは、男女楽しめるし、
色々と情報が錯綜しているプロジェクトKV関連について、内情に関する不確定な情報に関しては正直何とも言えない。
ただ一連の話の中でクリエイターは良い物さえ作ってくれれば構わない、という意見を見ることがある。これに関しては問題の内容にもよると思うのだが、出された物で評価するのであればライターの方が最後に携わった対策委員会編三章に関しても作った物であるし、アニメやテキストの差し替えがあったイベント等への影響等も同様に評価するべきではないか。
ストーリーの根幹部分は本当に良かったとは思う。クジラのように息を止めていた=本音を吐露できないでいたホシノ(アニメ版水族館回のシロコとの会話より)が先輩に弱音を吐いた上でこれからも進んでいく覚悟をしたし、シロコ*テラーやプラナは自分たちが元いた世界では守れなかった人たちを守ることができた。最終編の続編的なストーリーとしては本当によかったと思う。
ただ、気になる箇所がいくつかある。これが単に尺や締切の問題ならまあ仕方ないとは思う(明らかに話数が多く、可能な限り設定にケリをつけようとしたことは分かるので)。ただ退社と新プロジェクト立ち上げの一連の流れを見ていると、その描写に関して何か含みがあるような気がしてしまう。
私募ファンド、ネフティスの執事さん、プレジデントの対立のくだり
この辺りに関しては敵対者がコロコロ変わるし執事は心変わりしたかと思うと反省してフェードアウトするし、プレジデントは大人のやり方というわりに子供の癇癪めいた方法で話を反故にする。
この辺りは直近のイベント等でちゃんと説明すれば協力してくれるアクアパークのオーナー、反省してサオリを気遣ってくれるようになるDJ等が出てきていたのもあって、アビドス関係だけこうなの?となってしまう(エデン条約編三章〜四章のトリニティモブもトラブル担当にされていたので、モブやNPCの性格が悪いのはライターの手癖なのかもしれないが)し、エピローグにも居たこともありコレがアビドスの生徒にとっての今後の隣人かぁ…と思うとなんとも言えない。
アニメや最終編でノノミの描写から、実家問題の掘り下げを期待していたので肩透かしを喰らったのが正直なところだ。シナリオ単体だとそのくらいなのだが、退社の件と合わせて考えるとプレジデントとのやり取りは退社のきっかけとなる社内でのトラブルが元になっているのではないか…?という疑念が湧いてしまう。もちろんそんな明言はされていないし、退社の経緯に関しては知る由もないのだが。
スチルを見た時の第一印象は捨て方が雑すぎないか…?というところで、ホシノがユメと言葉を交わして前に進む=きちんとお別れをする、大切な人を弔うというのがこの章の話であるなら、尚更砂漠に打ち捨てるのではなく、綺麗に埋めるとか溶かして別の武器にするとか、やりようはあったと思う。
果たして乱雑に打ち捨てる必要性があったのか、古巣を離れることに対する表現だとすると切り捨てられた感があるし、お話のコアになるキャラクターの大事なシーンに変な文脈が乗ってくるのは正直かなり嫌な気持ちになる。
地下生活者に関して
今回の章での先生の結論は、本当にざっくりした纏め方をすると大人として自分が今やれることをやる、というものだった。それに敵対する存在が、子供のように癇癪を起こし、無敵の空間から一方的に何の責任も負わずに干渉し、チートめいた現実干渉で本来あり得ない現象を起こすというのは対比がバッチリと決まっていたと思う。
だがその上で、どこまでが地下生活者の仕業で、どこまでがそれぞれのキャラクターの動きなのかがハッキリ説明されておらず、よく分からない。先述の私募ファンドと執事とプレジデントに関して、心変わりが早すぎるのもあり、この辺りは操作されていたんじゃないか?と予想することはできる。朝霧スオウの挙動も、プレジデントを裏切って以降はホシノの強さ(キヴォトス最高の神秘としての、ゲマトリア視点のホシノの解釈)しか見ていない様子で、地下生活者の台詞に呼応して動いているので何かしら干渉されているのは間違いない。ホシノへの精神干渉がどの程度なのかは分からない。テラー化直前かもしれないし、三章の合間に頻繁にホシノの回想が挿入されるのはこの時点で干渉を受けていて夢と現実の認識が曖昧になっていたのかもしれない。
しかし実際どこからどこまでがキャラクター本人の挙動なのかは明言されない。自己顕示欲の塊ゆえに全部説明してくれたベアトリーチェや暗躍しているシーンをキッチリ映している申谷カイなど、方向性の違う黒幕でもどこからどこまでが黒幕の仕業でどこが本人の問題なのかはわかりやすかったのだが、単純に説明不足だ。
先生の爆破というファンコミュニティではさんざんアロナバリアで無効化されてきた手段を意気揚々と繰り出してきたり(よりにもよってそこで一旦シナリオの更新がストップするし)、先生の指揮の人数制限問題に関しても制約解除決戦以前からストーリー戦闘内で操作不可の味方が援護してくれる演出なんかもあったわけで、先生が打倒するにあたってのカタルシスが異様に弱かったように思う。対比構造とかモチーフにこだわるあまり動かし方が稚拙ではないだろうか。
メタ的な攻めをするわりに解釈が雑ですぐ癇癪を起こす大人なのに子供みたいなキャラクター、というとファンコミュニティでたまに見かける過激なユーザーを揶揄しているようにも思える。先生への攻撃に関してもファンコミュニティでたまに発生する死ネタ・負傷ネタの風刺であるがゆえこういう手段になったのかもしれない。二次創作へのお気持ちで作られたキャラ造形、と言ってしまうのはさすがに邪推が過ぎるだろうが、ゲマトリアというメタ的な属性を与えられている立ち位置を考えればプレイヤーが元ネタになるのも自然な話だし、それ自体は別に良いと思う。しかしユーザーの層を考えると、ある種の「チー牛」的な属性のキャラを繰り出すのは不用意すぎるし、最後に関わったシナリオでそのキャラを地下へと追い返して退社というのはちょっと危険なメッセージ性が生まれてこないだろうか。
ただ問題はキャラクター設定よりもむしろシナリオ上での動かし方で、地下生活者が三章においてもたらしたものは説明不足なゴチャついた展開と列車砲やセトなどの扱いに困って途中で流れでサクッと処理した設定ばかりで、ホシノやシロコ*テラーの苦悩と決断など、三章の良かった部分とは関りが薄い。シロコ*テラーとプラナとは元の世界の悲劇に関して因縁があるわけだし、アビドスの問題を一段落させたうえでプレナパテスの関係者メインできちんと対決するお話を用意してあげてもよかったのではないか。
表現したいことがあるならそれでいいと思う。けれど実際何がしたかったか、そもそもどこまでやらかしてるのかが分かりにくいし、ユーザーへの不快感の表明だけが文脈としてハッキリしてしまうのだとしたら、ちょっとさすがにどうなんだという感じだ。
朝霧スオウに関して
よくわからないといえば朝霧スオウだ。エピローグでの出番を見る限り確実に何か彼女は彼女で設定がある筈なのだが、ホシノの台詞の通り本当に何だったのかよくわからないまま終わってしまった。最初は対立関係にあると言われてたノゾミとヒカリを対策委員会との交渉時には遠ざけようとしていたり、ノノミの誘拐時には思うところがありそうだったり、なんやかんやノゾミとヒカリが助けているあたりホシノへの執着だけのキャラではないのは確かだろう。
ただ結局地下生活者がどこからどこまで操っていたのかわからないので、対策委員会編三章の動向だけでは本当によく分からないとしか言いようがない。雷帝関連が今後掘り下げられることもあり、シェマタ建造ぐらいの時期の話に関わってくるのかもしれないが……。
ただまあ思い返せばエデン条約編三章でも先の話を知らないとアツコを傷つけられて激怒するサオリのシーンなどはどの口で言っているんだ、と捉えられても仕方のない描写だったりするし、先のシナリオで裏事情を明かすキャラに関して事前には特にフォローが無い描き方をしているだけなのかもしれない。
セトに関して
ホシノのテラー化のついでに副産物のような形で出てきて、ホシノが復帰した後は何故か地下生活者の切り札のような扱いになって、なんか凄いらしいけどそのまま倒されたのでよくわからなかった。
セトに関しては戦闘フィールドや名前の元ネタから明らかにアビドスに関係するボスとしてデザインされているし、新規コンテンツとして無から生まれたボスではなく三章実装にあたってデザインされたボスだろう。
それが新規コンテンツのボスとしてはあまり歓迎された仕様ではなく、シナリオ的にもホシノの復活ついでに処理されているのは単に要素が渋滞したせいなのか、それともわざとなのだろうか。どちらにしろ無茶振り的な実装で調整不足なボスだと思う。
ホシノとヒナの対決に関して
スチルもアニメーションも潤沢な頂上決戦……の割には直前でホシノがシロコに一度競り負けているし、決着としても列車破壊による無効試合なので、演出は凄いのに脚本上の盛り上がりからは妙にズラされている。
ホシノの話に終始すると暗くなってしまうので派手なバトルでバランスを取ろうとしたのかもしれないが、心情的にそれどころではないタイミングで熱いバトルをされても集中できないというのが正直なところだし、その本人を巻き込んでるとなると尚更だ。
ヒナに関してはホシノのテラー化直前の台詞回しに関して、事実に即した言葉を淡々と提示して諭そうとしている。これは単にシナリオ上の都合の台詞ではなく、水着衣装のボイス等から推定するとヒナというキャラクターが確かな事実を礎にして動いており、不確定なものが苦手であるがゆえ、こういう台詞回しになっているわけだ。
事実と真実に関する話はクライマックスでも再度言及されるわけだが、今回の章を経てホシノが辿り着いたのが真実であり、ヒナが重要視しているのは事実である。おそらくはこの対比関係を前提にした上でホシノとヒナをぶつけたかったのだろうが、戦闘時のホシノは絶賛迷走中で、ヒナはゲヘナ編のシナリオがまだ来ていないので、関係が煮詰まってないけどスケジュール的に不可能なのでとりあえずノルマでバトらせたようなバトルだ。正直なところ現状の描写だけではアニメで謎に往年のライバルキャラみたいな扱いをされていたシロコとアルと大差無い関係性だと思う。
頑張っていることを認めてくれると嬉しい、人助けが生きがい、確固たるものが心の拠り所……という、今は先生が適切な距離感で接しているので安定しているものの、ヒナの精神性はもともとコミュニケーションに不安を覚えやすい子のそれだ。そういう部分でヒナの人柄を見て仲良くしてるキラキラ部の二人やまあ……偏愛を向けてるアコちゃんあたりの、頑張りとかが関係ない人間関係が大事になってくる気がするのだが、その辺りは来たるゲヘナ編に期待したい。
後輩の成長に関して
ホシノを止めるために雨雲号を持ち出したり生徒会長に立候補したりと、アヤネの凄さを感じさせるシーンが幾つかあったわりに、普通にそのまま撃退されたりプレジデントには発言を無効にされたり結局会長職は返上したりとなんというか不憫な描写が多かったように思う。
セリカに関してはあまりにも派手でスケールの大きいシナリオと相性が悪かったように思う。アニオリの水族館回でのノノミへのフォローなど、日常パートだといい立ち回りができるだけにもう少しなんとかしてあげてほしい。
今回の章で後輩メンバーたちがしっかり成長してしまうと、ホシノの未練が無くなってしまうので後輩の力で助ける・問題を解決するというストーリーにしにくかったのだろうという推測はできる。だが見せ場を作った上でそれに水を差す形で否定する、という見せ方をする必要はあったのだろうか?
ユメに関して
ホシノの物語の登場人物としては特に文句は無いのだが、プレイヤーの視点としては先生として世界を観測するゲームで、生徒には無限の可能性があると示したのと同じ口でどうすることもできないと言うのは果たしてどうなのか。
全てを許してくれる聖母のような立ち位置に先生として庇護すべき生徒を配置した上で、先生には責任がないと許してもらう(しかも先生と会話したユメは本編の状況を何も知らず、先生とホシノと三人でアビドスにいるパラレルの存在だ)のは些かグロテスクな構図に思える。ヒナの件も後出しで列車砲の件で招集した、という描写で「先生は地下生活者と違って自分の生徒同士を将棋の駒みたくぶつけるようなことはしませんよ」と説明してるわけだが、そこを説明するより地下生活者の干渉範囲のネタばらしとかもっと描写するところがあったんじゃないかと思う。
どうも三章は生徒に対する先生よりも「シャーレの先生」という立ち位置で世界の命運を左右する存在としての在り方に寄った描写が多く感じた。描きたいお話と相性が悪かったんだろうか。でもまあ確かに最終編でアリスが命を賭けるシーンとかもプレイヤーとしては分かった上で生徒を送り出してるわけだし、セカイ系と先生概念が相性悪いという話なのかもしれない。
ユメの死因に関してはそんなに明確に言及する必要があるか? と思うのだが、動いてないのに暑いよのミームへのカウンターとして描写したという説がどうもあるらしい。眉唾な話ではあるが仮にそういう意図だとすると三章完結後の現在、露悪要素のない二次創作に対して面白がってユメの死因をネタにしたコメントを書き込んで不謹慎な大喜利をする風潮がミームの代わりに蔓延っているのだが、果たしてこれが望んだ光景だったのだろうか。結局ネタバレや不謹慎な内容を避ける流れでホシノサクサクが代替としてバズったりしていたし、ミームは変わらず蔓延り、残ったのは悪ノリでキャラを愚弄して面白がる空気感だけ。
しかしギャグパートとシリアスパートで同じ台詞がぜんぜん違う文脈になる、というのはブルーアーカイブのお家芸なので何かしらの目的でわざとやってるのはそうなのかなぁとは思う。
ミームの件も合わせて考えると自分のシナリオ以外で動かされるのが嫌だったから完全に死人として扱ってるんじゃないかと思わないでもない。そういう都合でキャラクターの結末が歪められたとしたら、三章の根幹部分のお話の受け取り方も変わってくる。
対策委員会編に関しては正直初期のストーリーということもあるし、ホシノをメインに据えた話をするにあたってストーリーラインが似通ってしまうのは仕方ないのかもしれない。そこはおそらく三章の問題ではなく一章二章の方が未来でやる話と被ってしまった、というのが正しいのだろう。
ただ、先生の負傷による一時的退場でその間に加速する情勢、精神的に不安定な強い生徒が暴れてるけどそれとは別に対処しなきゃいけない問題がある、という構図はエデン条約編三章と四章そのままの構造だ。対策委員会編だけならまあホシノの問題は二章では何も解決していないから…と言えるのだが、これに関しては単に話のレパートリーが少ないだけではないだろうか。
本筋以外の部分はスケールが大きいが列車砲+スオウやカイザーの軍勢は裏で片付けられているのもあり、ワンパターンを外そうとして派手な設定を入れ、結局扱い切れずに諦めた感もある。頻繁に挿入されてるスチルもこの後負けて即落ちするんだよな…とかカッコつけてるけど後輩の静止振り切って突っ走ってるだけなんだよな…と、シナリオを合わせて見ると微妙な感想になるものが多く、手間と内容が釣り合っていない。
細部が気になるのは退社とプロジェクトの件だけが原因ではない。直近のイベントストーリーでは出来ている部分が出来ていないからだ。
ーve Alive!ではアイリの意図を勘違いしながらもがむしゃらに手を伸ばすメンバーの姿が見られたが、このイベントでのアイリがいなければスイーツ部が存続する意味がない、という言葉こそ対策委員会編三章でユメの意思を継ぎアビドスの為に自分を犠牲にしようとしていたホシノに対して、目的の否定より何より先に掛ける言葉であったのではないか。
say-bing!ではコノカ副局長の立ち回りがブルーアーカイブの根幹となるコミュニケーションであったように思う。カンナにとって大事なものを本人の意図は関係なく尊重し、しかしアクアパークから帰ってきたカンナが楽しそうだった理由はよく分かっていない、というのは他人はどこまでいっても他人である、だけどそれでも、という古則への回答そのものだ。
seaside outsideでは、人殺しの教育しか受けてこなかったような生徒に居場所はあるのかという問いに対してアリウススクワッドのメンバーがそれぞれのやり方で他人と関わる様が見られ、彼女たちにも居場所はあるのだということが示唆されていた。栗浜アケミとそれを慕うスケバンが出てきたのが象徴的で、道を外れた生徒でも受け入れてくれる人がいるというお話を立体的に表現していたように思う。
月下夢騒に関しては続きがある以上結論は出せないし、実質的な卒業済みの生徒=大人であるカイの処遇に関しては大きな不安が残る。しかし、黒幕であるカイが何を仕組んでいるかは明白であり、カグヤの暴走もキサキの門主就任初仕事が手順を無視してのカイの追放だという部分を加味すると山海経の生徒がキサキを Permalink | 記事への反応(1) | 19:52
借金返せなくなり親に返済してもらった前科持ちで稼いだ金全部ギャンブルに使うから仕事に行く金がなくなる程度のコミュ障陰キャの底辺ギャンブル中毒のド田舎子供部屋おじさん【ここ割と重要なポイントです皆さん覚えておいてください】なんだけど、ギャンブル中毒ってマジで治す方法がないんだなってなってる。
大体そういう事いうと精神科行け病院いけってワンパな話されるんだけど、そもそもギャンブル中毒治療やってる病院ってマジ少ない。県のギャンブル中毒対策みたいなホームページ(お国が配布するテンプレがあってコピペで作ってんのかってくらい内容は同じなんだよな)に乗ってるので二つくらいしかない。
そんなわけないだろ、と思って調べてもない。そもそも俺が住んでる県も地方に属する方なので精神科すら少ないし俺はその中でも田舎の方に住んでるのでメンタルクリニックなるものもない。その数少ない精神科でもギャンブル中毒とかやってるのはない。
でギャンブル中毒やってますよと掲げてる病院に両親の支払いで強制連行されたら一時間2時間待たされる。正直周りにいてほしくないタイプの基地外から普通層に見える基地外までそろってるなか1時間以上待たされる。俺も頭いかれた基地外の一人なんや。みんな気を狂わせながら普通な顔して暮らしてるんだろうか、とか思いながらすげぇ待たされる。
で待たされた結果として
という事を言われて終わった。
正確に言えば抗酒薬の話とか最近治療したゲーム中毒の高校生の話とかされた。まじ興味ないしギャンブル中毒だって患者にアルコール中毒は薬があるがギャンブル中毒には薬がなくて、とかいう話するのが金をとるほどの治療とは思えないんだけど、治療やってますとか掲げてるところが一時間待たせてなにもできないとか言って金とって追い返したらそりゃただの詐欺だし。
適当なこと言ってごまかすしかないわな。と納得した。俺の支払いじゃないから納得できたことであって、両親はたぶん納得してない。なので二度目三度目の強制連行は今のところないし、いまじゃギャンブル中毒がどうこうすら言ってない。下手したら治ったと勘違いしてるまである。
なんか通院治療と入院治療と自助グループがとかいう話もされたけど、通院治療と入院治療はなんかやってないといわれたらしい。
意味がよくわからんがそもそも金払ってるのは両親であり俺は強制連行されただけなので俺に選択肢もやる気もない。
なので病院からの連絡は両親に行くし病院も客は俺じゃなくて両親と思っているので俺は存在しなくても関係ないくらいの扱い。
精神科というのは本人のために行くんじゃなくて社会のアリバイ作りなんだな。「私たちは努力しました。ですから」を証明するためのサービスでもあるんだな、そういう場合は本人の意見や意志はむしろ邪魔だから話すら振らない方がいいよな、と思ったりもした。
ギャンブル中毒治療をやる病院が少ないわけだよ。やることがないんだから基地外でも金にならなねぇ基地外だ。なら抗酒薬でもだしときゃ金になるアル中をやるわ
知らない人は、薬中アル中が共同生活して生活を改善し中毒からの脱出を目指そう、とかいう生活保護前提の有料保育園か刑務所だと思え
俺ですらダルクは薬中アル中の自助グループだろ、と知ってるのになぜ病院がダルクを紹介したのか俺もよく知らないが、まぁ親は俺のギャンブル中毒の治療より俺をどうにかして追い出したいだろうし、その意図をくみ取った病院の「治療」なんだろう。もしかすると紹介ですらないのかもしれん。とにかく一度、ということで行った。
なおギャンブル中毒は俺以外に一人だけいるそうだ。なので基本的にアル中薬中の話が主軸だし、みんなで通う自助グループも薬中アル中の集まりでありでギャンブル中毒の自助グループではない。
制御がきかない中毒者を単独行動させるわけがないし、マイノリティが割を食うのはどこも同じ
まともな社会生活を送ってたのにあるきっかけで薬物にはまり落ちぶれた、それがダルクと出会い治療を開始し
ギャンブル中毒の俺が薬物中毒者が薬物中毒になる過程を聞かされて、同意や納得や共感できるわけがないじゃん。
薬中の奇行とかメンタルいった薬中ばばぁの悲壮とかドン引きしかない
友達から勧められて違法な薬物やるのと一人でスマホで際限なく合法なギャンブルやって金をなくして人生摘むのは全然違うだろう。
と思ったg、そんなこと言ったら厄介なギャンブル中毒をどこに押し付けるべきかという話になってくから、だれも考えないことにしてるんだろうと思う。
陰キャコミュ障の俺が共同生活とかストレスで死ぬ、しかも共通点が「中毒者」しかなく、興味もない運動だ趣味のなんとか薬物中毒の話とかを毎日やるのは発狂して死ぬ。そんなのが目に見えていたので執拗に進める親を死ぬ気で固辞した
これはダルクに限らず、「依存症対策の取り組み。本人たちの証言」的な物全般に言えるが、
「もともとマトモだった人間が中毒になって人生崩壊。なので治療をすることで社会生活を取り戻しかつての人生を取り戻す」
的なテンプレに従ったような話がならぶ。
たぶんこういった話を採取整理公開する治療をしたり推奨する側の目標とする成功例というか、理想のモデルがこれなんだろう。
なので
「最初からマトモではない人間が中毒になってもっとカスになった。せめて多少マシなカスに戻りたい」
という俺は大変共感しにくいというか、門前払い食らってる感がある。
まぁ治療してもカスでしかないなら、マンパワーは多少マシになる奴につぎ込みたいわな。
(その点中毒者の家族の体験談は俺のように強制的に連行され全然治療がすすまない、やる気がない、なんでも借金をする、金を盗む、犯罪する、というマジモンのカスがたくさん出てくる。家族の場合「縁切りサイコー、みんなも共倒れになる前にさっさと縁を切ろう!カスは見捨てたほうが本人のためになる!!」みたいな話が理想モデルなので、中毒者のカスっぷりが際立てば際立つほど良いんだろう)
精神科に行ってもやることがない。集団生活とか絶対無理、人と話すのすら無理という俺みたいなコミュ障はダルクとか自助グループに行く気にもなれないし、そもそも地方だから自助グループ自体片道一時間2時間かけていく場所にしかない。底辺だからそんなことしてたら金が尽きるしそんな金があればギャンブルに使っちゃう。そもそも友達もいなければ親と死ぬほど仲が悪い子供部屋おじさんなんか無理にでも治療させようという話にならないから、本人に相当強固な意志とやる気がないと無理。そんなのがあればこうなってない
とまぁ、底辺のギャンブル中毒の治療方法ってマジでないんだなとなりながら、日々稼いだ金を全部ギャンブルにつぎ込んで壊れた携帯を買い換える金もガソリン代もない状態に今なってる、
金がなさ過ぎて昔増田で書いたネタを焼き直した日記を書いて暇をつぶした。ギャンブルがやりたい。再投稿は甘え。闇金にでも申し込むか。でも日雇い労働者の俺に金かしてくれる闇金なんかあるのかね