はてなキーワード: アルコとは
40代男性だけど数年前に転職で入った今の職場に嫌気さしてる。給与とかより職場環境
職場は業界top5くらいに入る会社のIT部門。部門だけで500人以上居る。ただ力を入れ始めたのが遅く、ここ5〜6年新卒中途をとにかく入れて膨らんだ感じ。会社自体は数十年くらいの歴史があるが部門の平均年齢は20代って転職資料に書いてあった。40代とか役職でもほぼ居ない
そんな感じで急ごしらえの所にここ最近のAI関連で院卒とかのAI人材入ってきて更に息苦しくなってきた
データサイエンティストは社内wikiにポエム書くし、AI部門はブリリアントジャーク仕草満載。ハイブリッド出社なので月の半分はオフィス行かないと駄目だが若き天才達に億劫してる
おまけに評価が相対評価なので内製に近い自分の部署では目標立てて達成したところで上に書いた天才達に高評価は持ってかれるのでやる気も減る
そんな訳で転職考えている。資格取得とかもっと頑張って成果ってのも思ったけど独身20代と既婚子持ち40代が真面目に戦ったら時間とスタミナで負け確定。分が悪い
ただ題名の通り、上に相談して少し改善とかあるのかな?と思った。オフィスがフリーアドレスなので環境に変化は無いだろうけど部署異動とかで変わるならアリかなと。特に今の部署の同僚には不満はない。漏れ聴こえ嫌でも視界に入り業務用のTeamsに勝手に流れてくるアルコレが不満
最近Youtubeのラジオ配信にハマっていて、おすすめを書くのでみんなのおすすめも教えてほしい
オモコロ編集長こと原宿さんと、イラストレーターの室木おすしさんの2人のラジオ番組
一番長く聴いているラジオ番組で、かなり長いシリーズもの(400本以上投稿されている)
2人のおっさんが小一時間しゃべるだけだが、生活の話とか子供の話とかちゃんと聞くと身に染みる話が面白い
あと、名物企画「いる人」と「あの事件」っていう視聴者から募集した投稿企画もあって、たまに神回があるものいい
ただ最近2人とも売れてきて編集の手を抜き始めたので、そのうちガチの投稿忘れとかやらかしそうでワクワクしている
vtuberとして活動するぽんぽこと、謎のキャラクターピーナッツくんの2人で運営されているラジオ番組
この2人は兄妹(ピーナッツくんが兄)で、実は活動歴自体は長め
Youtube自体は6,7年前からvtuberの黎明期からずっと見ているので、勝手ながら親戚がやっているラジオ番組だと認識している
でもたまにぽんぽこが言ってる内容がマジで共感できなくて、ムカついてスマホをぶん投げたくなるが、それもまた面白さの一角を担っている
シャニマス声優でおなじみ黒木ほの香さんと前川涼子さんがパーソナリティのラジオ番組
チャンネルはスタジオが運営しているので、いわば声優ラジオに近い
昨年の秋ごろから始まったばっかりで、投稿数が少ないが、2人の掛け合いが面白い番組
ただ、2人とも声色が似ていて、ちゃんと文脈を追っていないと「今のどっちだ??」となる
みんなのおすすめも教えてほしい
以下所見です
駒木結衣さんのチャハーン事件とかとても好きだし、辞めちゃったけど大島璃音さんのダンゴムシ事件とかめちゃ笑った思い出ある
ポン子もかなり昔に星座占いの「かに座!」の部分だけ切り抜かれてネットミームになってたの思い出した
やっぱり2人ともプロ中のプロなだけあって、音声がめちゃ聞きやすいし、全然無音の時間がなくて凄い
昔見てました
コーサカさんの喋りって、他の人には真似出来ない特殊技能だよね
力ちゃんの空昼ブランコはちょこちょこ聞いたことあったけど、舞元力一はあんまり聴いたことない
全て聞いています
先日8時間くらいの超長い回が投稿されて、心の準備ができていなくて聞けていません
好きな買いはARuFaさんがワールドイズマインの冒頭だけ歌って、よねを歌わないやつ
ただあまりにキラキラしすぎてて、親戚の子供と遊んだ時みたいにエネルギーを吸い取られる
振り分け間違ってたら教えて
Q:YoutubeでラジオとかMVじゃなく音楽を聴くのってどういうこと?
めっちゃ素人考えだからあほなこと言ってたらごめんだけど、音声だけのデータと違がって黒塗り画面でも動画データになるからその分だけ通信料って多くなったり重くなったりしないの?
A:通信量は普通のYoutubeの動画と変わらないので、当然ながらギガを食います
学生時代は少しでも容量を減らすために最低画質の144pに設定して画面ガビガビのまま音声だけ聴いていました
今は大人になったので、つよつよプランを契約してどこでも快適に映像も音声も聴けてますが、プランが貧弱な方は家で端末にダウンロードするとか、それこそradikoを使うとかなんらかの対策を講じる必要があります
終章が完結して1週間ほどが経った。
ネタバレになるため具体的な内容については一切触れないが、ストーリーとしては一応の完結を迎えたのではないかと思う。
個人的には「終わらせたくて終わらせた」という印象が強かった。
だからといって不満の募る終わり方ではなかったので、これはこれで一つの長寿コンテンツの終わりとして十分に受容できる。
インタビューや放送で明言されている通り、FGOというゲーム自体は11周年に向けて続いていくだろう。
ただ筆者はここでもう満足してしまった。これ以上、FGOというゲームを楽しもうと思えなくなった。
ここで筆者のプロフィールを述べておくと、まず筆者は3周年から始めた微課金のライト勢だ。
課金は通常のガチャで一度、福袋やディステニー召喚で数度。周回課金はしたことがない。合計金額は2万円にも満たないだろう。
イベントも美味しいイベント(レイドや箱イベ)以外は最低限しか周っていない。何度か配布サーヴァントの宝具上げを忘れていたこともあったくらいだ。
FGOは完全にストーリーを読むためにプレイしていると割り切っており、ゲーム部分に対して何らプラスの感情を持って取り組めていなかった。
開発陣には大変申し訳ないが「基本無料でメインシナリオを読むための労働・対価」としか捉えていなかった。
言ってしまえばメインシナリオを人質に取られていた拘束状態に相違なかった。
また2024年における二度の炎上を経て信用とモチベーションが一気になくなってしまったのもあった。
それもあって「早く続きが読みたい」という前向きな感情よりも「早く終わりが見たい」という後ろ向きな感情の方が強くなっていたのも事実だ。
そして終わりを見れた。だからもういいのだ。
大晦日の特番でワダアルコ氏がおっしゃっていたように、FGOは間違いなく自身の人生の一部であり、生活の中のルーティンに組み込まれていた。
そう断言できるほどに筆者はFGOというゲームを(自分なりに)楽しんでいた。メインシナリオの更新は人生の糧とも言えるほどだった。
だが、それも既に過ぎた話だ。
この先どういった形でメインシナリオと呼べるものが更新されるかは分からない。
ただ間違いなく第2部は一つの終わりを迎えた。トゥルーエンドか否かはさておき、少なくともバッドエンドではなかったと思う。
27日の夜から読み始め、28日の深夜に読み終え、余韻でちっとも寝付けず、そのまま28日の朝を迎えたとき、ED曲を聴きながら目頭が熱くなったのを、数日経った今でも鮮明に覚えている。
ここでもう完全に燃え尽きてしまった。唯一FGOをプレイし続ける理由が果たされてしまったからだ。
そして大晦日の特番を視聴し、改めて終わりを実感したのち、筆者はFGOをスマホからアンインストールした。
とはいえスマホから消しただけで、サブ端末であるiPadに移行したのだから、FGOをやめたとは全く言えない。
ただ、これまでのような「生活の一部」としてのFGOは、筆者の中から失われた。
後悔はしていない。また何か大きな更新があればiPadから開ければいいだけの話だ。
FGOのない生活はまだ少し寂しい。だがそれもいつかは慣れてしまうのだろう。
これまで想定していたような劇的な変化ではないしグランドフィナーレという感じもしない。
だが、新しい日々を歩いていこう、そう思えるような晴れやかな終幕であった。
これからの筆者の人生においても、それは変わることなく胸に残り続けるだろう。
100文字にはとても収まらないが、俺ははてなブログを辞めているので(陰湿なコメントが飛んでくる最悪のサービスだからだ)この場を借りる。
Xでこの話をして俺のアカウントが荒らされて凍結したくないからだ。
最初に言っておくが他の誰かを俺と勘違いして「きっとコイツだ!皆で凍結させよう!」と暴れないで欲しい。
令和にオタクをやってたわけでもないのにこの単語を知っている奴はまずいないだろう。
なぜならオタクでない人間にはそもそもの「ネットミームかるた」という概念が理解不能なのだから。
この単語を理解し脳に残せる時点でオタクとして生きてきた奴に違いない。
そして「クロチャンのタイトルがちゃんとダガーになってるかで他人にマウント取って何が残るんや?」の破壊力が凄い。
これは本当に†のように鋭い。
こんなところに拘るところに意味を見出す適応係数とそれを自嘲することを面白いと思っている態度がまさにオタクのソレだ。
つうか令和の時代にこんなオタクしか知らないようなゲームの名前をポケモンレベルの知名度があるかのように取り出してくる時点でもう駄目だ。
田中ロミオの社会不適合文学に脳を焼かれ、それを愛する集団の中で群青ゴッコをしながら過ごした薄汚い過去が滲み出ている文章だ。
この言葉を叩きつけられて「やめてくれカカシその術は俺に効く」と答えたブクマカがほっっっっっっとんど居ないことに絶望すらある。
オタクっていうのはたとえ火の鳥から入ろうがシスプリから入ろうがFF11から入ろうが横山三国志から入ろうが、最後は田中ロミオや麻枝准のノベルでギャン泣きして「俺を人間にしてくれた。俺は今人間になったぞ!!!!」みたいに言い出すものなんだ。
いいか、オタクという言葉の真の定義は「受け身の態度で享受できるが故に自分を決して傷つけることのない2次元コンテンツの世界に耽溺することでしか自分の惨めな人生から逃避することさえ出来なかった生まれついての負け組共がなけなしのプライドを守るためにサブカルチャーに含蓄があることを心の拠り所にしようとしたはずなのに同じレベルの負け組同士で知識マウントや消費マウントを始めてしまった果てに生み出されるオタク知識と消費時間以外人生に誇れるものが全くなくなってしまった本当に惨めで憐れで救いようがないがその人生の傷の深さに対する共感によって深い繋がりを得たことを成功だったと認知を歪めることで辛うじて精神を維持している形のないカルト」なんだよ。
それから降りたと言っているが、どうせ無理だ。
今更コイツがオタクコンテンツ以外の場所に居場所を作ることなん出来ない。
アルコホーリクス・アノニマスに通う中毒患者共が「実は一昨日飲んじゃいました。でも今日は我慢してるんです。えらくね?」「いや、お前普通に酒臭いよ」「テヘペロ😜」とか言い合ってるような感じで同じ地獄の中をグルグル回る以外もう出来ることが残されてないんだからな。
つうか、コイツが「本当に辞められるんだ」と思ってる時点で、お前らに「オタクを見抜く目」が養われてないのは明白だね。
マジで浅いよ。
そしてその浅さで「俺はオタクの真の意味を理解してるから凄い!」とマウントを取りに行くのはマジで適応係数が終わってるから。
なべパ 1/3
この漫画の2ページ目の「さっきから誰に向けて配慮してるんですか?」ってメタツッコミ、これかなり悪意高くない?
取るに足らない日常の些細な事を細かく取り上げて、それを勝手に加害行為に認定して、そして勝手に自分の中で勝手に反省して
そんな茶番を延々と繰り返しを見せつけられ、それを読んだ”自分は善性の側に立つ人間だと勘違いしている読者”が「ああ~^よく気がつけたね~~~^^アップデートできたね~~~~^^^えらいね~~~~~~^^^^社会が良くなってゆくねぇ~~~~~^^^^^^^」って精神的なオナニーを促す漫画でしょ?
そんな漫画に対して「さっきから誰に向けて配慮してるんですか?」ってツッコミはかなりクリティカルというか、月刊OUTやファンロード的な底意地の悪い視点から描かれたパロディだと思うんだけど、奥田亜紀子がこんな悪意あるパロディやるんだって驚いちゃった
最近発表した、発達障害の息子と落語見に行く父親の漫画も「さっきから誰に向けて配慮してるんですか?」って描写のオンパレードだったじゃん。ほぼ全ページそんなだったじゃん。
あの漫画、特に「男性の生きづらさもこちらはちゃんと配慮してございますわよ」的な作者の目配せ描写にゲロゲロゲェッってなったんだけど。
"そういう"漫画を描いてる奥田亜紀子が"そういう"漫画に対して悪意ツッコミ入れるって、自分の漫画を客観視できていないの?
それともあれか、"そういう"漫画を描いてる自分に対しての自虐のつもりでやってるのかな?
昔の車田正美が、自分の漫画のワンパターンさを徹底的に自虐したセルフパロディ漫画「リングにこけろ」描いたみたいなのと同じような事?
でもね、それでいいと思うんですよ。
はっきり言って「路傍のフジイ」みたいな漫画、大っっ嫌いなんですけど、でもああいう漫画だってあっていいし存在する意義もあると思うんです。
ああいう漫画で"心のオナニー"することで活力を得られる人間もきっと多いと思うんです。
俺はオナニーは心でするものじゃなく肉体でするものだと思ってるから、「路傍のフジイ」なんかで心のオナニーをすることは出来ないけど
だから「路傍のフジイ」及び「フジイ」的"そういう"漫画は心のオナニーをしないと行きていけない人達のために必要だから存在できるんです。
俺が「生徒会にも穴はある!」や「カナン様はあくまでチョロい」や「よわよわ先生」や「ゆめこねくと」を読んで物理的にシコってる間にも
「路傍のフジイ」や「スキップとローファー」や「違国日記」や「わたしたちは無痛恋愛がしたい」を読みながら心をシコってる人達がいる。
いろんなオナニーの形があってもいい、それって素晴らしい事じゃあないですか。
互いが互いのためのいいオナニーができる、そういう"オナにあい"(オナニー愛)の世の中にしていきたいですね。
Good Vibration and Good Masturbation そして Good Luck Your Way
(アルコ&ピースのオールナイトニッポンより引用 https://youtu.be/7pDB0rU1yHc?t=2150)
※嫌いな「路傍のフジイ」をコキ下ろしてやろうかと思ったんだけど書いてる途中でオナニーしたらなんかどうでもよくなっちゃった。
「一時間強と一時間弱についての解釈」について正解と間違えの図を描いたら確かに間違えているヒトはいると気付く、扇風機の強弱で勘違いするのかも - Togetter [トゥギャッター]
「5分弱煮るはどういう意味か?」というアンケートの結果を受けて白ごはん.comでは今後「5分弱」「大さじ1弱」といった表現は使わないことにした - Togetter [トゥギャッター]
「5分弱」が「5分よりわずかに少ない」と理解していたとしても、じゃあ実際には何分なんだよ、と多くの人が思っていることだろう。
4分50秒くらいなのか、4分30秒はどうなのか、あるいは4分10秒などでも「5分弱」と言えるのか。
誤用だ誤用だとは言っても、我々はそもそも「正用」とされる意味すらも把握できていない。
じゃく【弱】
[接尾]数量を表す語に付いて、実際はその数よりも少し少ないことを表す。数の端数を切り上げたときに用いる。
とし、日本国語大辞典は、
じゃく【弱】
〘 接尾語 〙 ある数の端数を切り上げたとき、示す数よりは少し、不足があることをいうために、数字のあとに付けて用いる。⇔強。
としている。
どちらも「端数を切り上げたとき」と書いてある。
つまり「〇〇強」「〇〇弱」を使うときには、前提として端数の切り捨て・切り上げがあるのだ。
小数を丸めたとき、端数を切り捨てたのか、それとも切り上げたのか、それを示すために、切り捨てたときは「強」を付け、切り上げたときは「弱」を付ける。
というのが「〇〇強」「〇〇弱」のもともとの使われ方である。
先に計算があって初めて「〇〇強」「〇〇弱」が成り立つのである。
いきなり「〇〇強」という答えだけを提示されても元となった計算はわからない。
「4分1秒」を「分」に丸めるとき、四捨五入して切り捨てたのであれば「4分強」だが、切り上げたのなら「5分弱」になる。
「1000円弱って何円くらいだと思う?」などと質問されたら「有効数字は何桁ですか?四捨五入ですか?」と聞き返さなければならない。
よって「〇〇強」「〇〇弱」を範囲として捉えるのがそもそも誤りなのである。
もちろん「1時間強」などと言うとき、無意識に「四捨五入して分を切り捨てている」のだろうから、そういう意味では間違いではない。
だが、それを「1時間よりちょっと長い時間を表すのに1時間強と言うんだ」というような理解をしているのは原義に悖る。
バーチャルのじゃロリおじさんが示した図などは誤った解釈の典型と言えるのではないか。
追記。明治時代にどう使われていたかの調査も行ったが、おおむね辞書のとおりだったので当初は省略していた。何かの参考になるかもしれないので公開しておく。
四捨五入したとき、端数を切り捨てたのか、それとも切り上げたのか、それを示すために、切り捨てたときは「強」を付け、切り上げたときは「弱」を付ける、ということである。
もうひとつ明治21年の『数学講義録』、この講師は前述の田中矢徳である。
数の末に強と弱との文字を添へて、末位の数に過不足あることを示します、この強と申は末位の数のさきになほ微小なる数が付き添へりと申意にて、三分二厘一毛五糸…を三分二厘強と申たぐひなり、この弱と申は末位の数に不足ありと申意にて右の奇零を三分二厘二毛弱と申たぐひなり、扨てこの切り上ぐると切り捨つるとは、何程の数が界ジャと申たしかなる定則のあるわけにもあらず、ホンの算者の意まかせなれど、本邦には四捨五入と申古き習慣あれば、私の教科書は大抵これにならひて、四までは切り捨て五にみちたるときは切り上ぐることといたしました
とりあえず、切り上げ切り捨ての端数を示すのに「強」「弱」を使うのが本義であって、四捨五入に限定するような書き方をしていたのは田中矢徳のオリジナル、ということだろうか?
また亜剌伯(アラビア)記数式にてしるしたる数には強を加号+にて示し、弱を減号−にて示します、たとへば五厘強を .05+ かやうにしるし、また五厘弱を .05- かやうにしるす類ひなり
「+」「−」の訳語として「強」「弱」を充てたということなのだろうか、それとも数字に「強」「弱」を付ける書き方はもとからあったのだろうか、この記述ではよくわからない。
ちょっと脱線するが、この田中矢徳さん、慶應義塾や同人社とあわせて「三大義塾」と称された「攻玉塾」というところの出身らしい。
「攻玉塾」は明治六大教育家の一人・近藤真琴が設立したもので、田中矢徳・鈴木長利・竹貫登代多・浅越金次郎などの数学者・教育者を輩出したという。
なるほど、この頃の数学教科書の著者を見ると、彼らの名前が散見される。
ともあれ、田中矢徳ばかりでは偏ってしまうので、攻玉塾生以外の説明も見たい。
四捨セシ数ヲ強ト謂フ
五入セシ数ヲ弱ト謂フ
既ニ夥多ノ小数位ヲ得テ尚除外セザルトキハ(中略)最下位ノ右に(+)号ヲ記シ以テ尚残数アルコトヲ示スヘシ
明治27年『活用練習実業珠算』。商工協会編とあるだけで著者はわからない。
無限小数の除法に於て末位の小数四以下なるときは其四を払ひ唯捨てて何々強と呼ひ末位の小数五以上なるときは其五以下を払ひ上位に一を加へ何々弱と呼ふへし之れを四捨五入の法と云ふ
概ね、田中矢徳の説明に準じて、四捨五入したときの端数を示すのに使われていた、ということでよさそうだ。
明治13年の『岐阜県会議日誌』の学校の補助費のくだりである。
今一万五百園ヲ生徒数(五万三千四百三拾八人)ニ除スレハ一人ニ十銭弱ナリ
又四千五百円ヲ校数(六百六十四校)ニ除スレハ一校六円七十七銭強ニ当ル
10500円を53438人で割るのだから0.196...円、つまり19.6...銭を切り上げて「20銭弱」。
4500円を664校で割るのだから6.777...円、四捨五入ではないが、端数を切り捨てて「6円77銭強」というわけである。
五以下の数をいふ、五以上を強といふに対せり、即ち、十一円五十銭以下を十二円じやくといふが如し。
それは何か違くね?
それとも元々はこの意味だったのを数学用語に転用したということなの?
なんもわからんね。
漫画誌で10選するのは下火になったが、少女漫画について語られてるの少ないな…→じゃあ書いたるわ、一時期定期購読してた別マについてなら書けるかもしれん、で筆を取った。
一人一作品縛りを採用しようと思ったんだけど後述の通り原作枠で分裂してる人がいる。河原和音先生は本当にすごい
先に表明すると20代女視点なので昔の作品に対する知識が乏しい。おすすめの名作少女漫画教えてほしいという動機込みでこれを書いている。
フォロワー(後世への影響度)重視というより単に(世代毎比の)売上知名度重視のピックアップ寄り。少女漫画の性質上映像化されたかどうかも加点ポイントにしてて、純粋な漫画評とは異なるかも。
前提終わり
繊細で美麗な作画とフィギュアスケートという題材の相乗効果で、とにかく画面を楽しめる作品という印象。
人知れず練習を積み重ねてきた少女・亜季実は天才で〜、年上大学生の黒川に見初められて〜、あたりの要素だけ拾うと今でいうなろう的な、少女の夢詰めました!感満載ではあるのだが、スケートを父に強制される形で練習を重ねて生きてきたことで親との関係に悩んだり、その後黒川に依存してスランプになったり、っていう展開の厳しさが物語に説得力を与えている。
自分を見つめて頑張んなさい!っていうメッセージ性も感じられる名作。
忍者の末裔で野生児なカバ丸が、死んだ祖父の縁で学園に入学することになり人間化学反応が生まれるラブコメディ。
往年の少女漫画=必ず女主役って解像度の人いるけど、全然男主人公もあるよ!とこれを差し出したい。
カバ丸の行動理念が飯!焼きそば!女子!なアホな子なので単純で可愛い。こう書くとデンジとかとも繋がるな
ヒロイン・麻衣の可愛らしさはもちろん、蘭ばあちゃん(保護者枠)や沈寝(イケメンライバル枠)たちも最早ヒロインだなと思える愛嬌に溢れた作品。
シンママの下で育つ14歳の少女・和希と暴走族所属の少年・ハルヤマの幼い愛を描いた話。とにかく漫画の雰囲気作りが唯一無二な作品。
ローティーンの不安定さと、80年代の漠然と退廃した空気感が表現されてる……のか?80年代を生きていないのでわからん
紡木たく先生の特徴として、とにかくモノローグが多い。少女漫画はここぞ!という時にポエムがちだが、ホットロードはパラパラと無愛想な短文でのモノローグが多く、独特の雰囲気が出てる。ある種女子のための厨二病漫画とも言える。現代で描くとするならトー横立ちんぼガールとコンカフェ闇バイターのカップルとかになるんかな?嫌かも…てかそれって明日カノかも…
次作の『瞬きもせず』の方が好きって人も多そう。
『愛してナイト(1981-1984)』の時点で大ヒットだったが、更なる大ヒット作。
ポンコツドジ、ただひたすらに前向きな女子高生・琴子が、すげなく失恋した容姿端麗成績優秀男子・入江直樹と一つ屋根の下で暮らすことになるところから始まる王道ラブコメディ。
デコボコ喧嘩カップル、大抵の女子が好きだよね。琴子の玉の輿物語であり、スーパーパーフェクトひねくれボーイ入江くんのメンケア物語でもある。
スタート時点で同居から始まるため、それぞれの進学・キャリア・そして結婚生活についてが描かれている。ここら辺の時代までが「女の幸せは結婚」の境目だろうか。
惜しむらくは連載中に多田かおる先生が38歳の若さで亡くなってしまったこと。漫画家、寝てくれ…… アニメによって完結はしている。
ドラマ化・アニメ化済み。ドラマに台湾版・韓国版・タイ版まであるのがすごい。
女子の割に身長の高いリサと、男子の割に身長の低い大谷のラブコメディ。
メイン二人が明るい性格なので、終始和気藹々としたテンションを楽しめる。関西弁が可愛い。
案外、気の合う二人(友達・名コンビ)からカップルへ…ってタイプの少女漫画って少ないかもしれん
身長という普遍的なコンプレックスを取り扱いつつ、大谷を「小さくてもかっこいい!」と読者に思わせられる、等身大なキュンを入れ込む技術。
言わずと知れた別冊マーガレットの代表作。紙電子累計3600万部と、別マで一番売れた漫画。
周囲から貞子と呼ばれ遠巻きにされていたヒロイン・爽子と誰からも好かれる好青年・風早くんの交流を描く、いわゆる"格差恋愛"もののエポックメイキング。少女漫画でヒロインがこういった形のマイナススタートさせられてる作品はこれが初出なんじゃないだろうか。
とはいえ爽子は、コミュニケーションが不得手な日本人形チックビジュアルがある種のマイナスとして描かれているものの、純情・真面目・勤勉・家庭的と愛され要素抜群の超オーソドックスヒロインでもある。
爽子↔︎風早間だけでなく、友人枠の矢野・千鶴との関係、ライバル枠(のちに親友に昇格)のくるみとの関係等、タイトルの通り相手に自分の気持ちを届けることの大切さ・もどかしさが丁寧丁寧丁寧に描かれている。メイン格が真っ当なので「娘に読ませたい少女漫画」的な思惑での人気が高いように感じた。公民館とか図書館の漫画コーナーとかにも入ってる率高い。
ただあまりの人気ぶりに、カップル成立(10巻)以降は連載をできる限り伸ばす方向性(全30巻)に持っていかれてたよなとも思う。実際君に届け連載終了とともに別マの月発行数はガタ落ちしているので編集部の狙いは正しい。名実ともに大看板。
アニメ化のち実写映画化。三浦春馬の風早くんはきらめきの擬人化。最近になってネトフリで連続ドラマも作られた。
『君に届け』によって起こった純情路線のカウンター/アンチテーゼと言わんばかりの本作。
ゲスくて打算的(でも全く賢くない)・顔芸まみれのヒロイン、はとりの恋物語。
はとりの言動が露悪的だったり、その想い人で幼馴染・利太の態度もフラフラしててそんなにかっこよくなかったりするため、当て馬界の星・弘光くんがどうにも不憫で話としての爽やかさは皆無なのだが、恋愛ってこういう不誠実な面もあるよね?と開き直る姿は一周回って清々しい。
恋愛観を問う目的で感想会したら一番盛り上がる作品なんじゃないだろうか。
今韓国で起こっている坂口健太郎ブームの源流は実写映画版弘光くんの好演によるものらしい。桐谷美玲も結構ハマってた。
周囲を気にしてあえてガサツに振る舞っていたヒロイン双葉が、名字と雰囲気が変わった初恋の男の子・洸と再会したことで再び恋をする話。
咲坂先生の作画は絵柄としての可愛さ力が高く、00後期〜10年代で「とりあえず手に取ってみる少女漫画」枠に入っていたように思う。思春期に抱えがちなモヤモヤ・ひたむきさ・それゆえの視野の狭さ、幼さなどが丁寧に描写されていて、現役中高生が読むと強く感情移入できる作品だと感じる。
その他『ストロボ・エッジ(2007-2010)』、『思い、思われ、ふり、ふられ(2015-2019)』の三つも実写映画化させてるヒットメーカー。Twitterでやたらと大喜利に使われてる "現実的な恋をする 朱里""叶わない恋に囚われる 理央"の画像は『思い、思(略)』の予告スクショ。
(元々その傾向はあったが、)2010年代以降は、ヒット作は実写映画に持ってって若手俳優の売り出し!っていうスキームが完全に出来上がったように思う。
アルコ先生完全オリジナル作だと連ドラ化した『ヤスコとケンジ』等があるけど、俺物語が別マに与えたインパクトは特別に大きいのでこちらを。
巨漢で筋肉隆々、仁義と正義感に溢れた男の中の漢・剛田猛男に大和という彼女ができてからの日常を描く。
少女漫画といえば線の細いシュッとしたイケメン♡という固定概念を華麗に破り捨てる快作。とはいえ線の細いイケメン枠は猛男の親友・砂川がちゃんと担っている。
砂川が最後まで誰とも結ばれずにただただ猛男の親友としてメインにいるのが地味にすごい。途中でフラグは立つが折る。恋愛をしないイケメンが別マにいることに感謝。
テンポよく、読んでいて思わず笑みが溢れる、少女漫画に苦手意識がある人も楽しめる作品だと思う。
1991年に別マでデビューしてから、『先生!(1996-2003)』『高校デビュー(2003-2008)』『青空エール(2008-2015)』『俺物語!!』と人気作を世に出し続ける別マ生え抜きの作家・河原和音先生。別マが今も月刊誌として続いているのは河原先生の存在がものすごく大きいんじゃないだろうか。今回は完結済み最新作の素敵な彼氏をチョイス。
「年末カウントダウンイルミネーションを彼氏と見る」を目標に生きてきた女子高生・ののかが合コンで飄々として掴みどころのない男子・直也と出会ってからの話。
恋に恋する少女ののかがイケメン直也に振り回され続ける…と見せかけて、知らずに振り回しもしているバランスが面白い。
河原先生のすごいところはやはり、中高生の流行り・時流を読む力だと思う。登場人物の価値観だったりファッション、芸能の小ネタとか、その時々に合った"今"を掴んでて古臭さをあまり感じさせないところがすごい。色々とバランス感覚に優れてらっしゃるんだと思う。
現在連載中の最新作『太陽よりも眩しい星』は幼馴染のピュアラブストーリーでこちらも名作。おすすめ
・恋愛カタログ
・消えた初恋
・うちの弟どもがすみません
2024-03-15 SpaceChem全実績解除(DLCの『63コルビ』クリアも含む)
あぁ、やった。
とうとう終わった。
今はとにかく達成感に満ちあふれている。
ちなみにゲームの紹介は書かない。調べればわかることだからだ。
ネタバレをするつもりはないが(文章でパズルのネタバレをするというのも難しいけれど)、攻略する上でのヒントになってしまうかもしれないので、これからゲームを自力で攻略したい人は読まない方がいいだろう。
あくまでも自分のための備忘録として書くつもりだが、すでにSpaceChemをクリアした人あるいはとっくに挫折した人は共感を得られるかもしれない。
これまでのステージは、左側にある分子を右側に運ぶだけの(ムーディー勝山的な)作業が中心だったが、このステージからはそう単純にはいかずに悩まされるようになる。
ステージ名の『ただならぬ頭痛』な伊達ではなかった。ちなみに2つ前のステージ名は『片頭痛への序曲』である。てっきりストーリー上での登場人物のことかと思っていたら、まさかパズルを解くプレイヤーのことも含んでいたとは。
このステージでいろいろと試行錯誤しているうちに、赤レイヤーで下側の入出力(inputβ、outputω)と青レイヤーで上側の入出力(inputα、outputψ)が可能なことに気が付いた。inputもoutputもシンボルを右クリックすれば入力や出力の場所を変えられることに気が付いたのだ。
逆に言えば、これまでのステージはこんなにも基本的なウォルド(赤と青の2つある遠隔操作装置)の操作ができなくてもクリアできたというわけだ。
後のステージに比べたらまだまだ簡単な方だが、このステージをきっかけにSpaceChemの難しさを実感することになる。以降は、パズルを考える時間や苦痛が増えるとともに、攻略した時の達成感が大きくなっていった。
目標生成物が3種類もあり、しかも3種類とも原子が9個も必要であり、見た瞬間に難しいなと思ったステージ。
サイドストーリーであり攻略しなくてもゲーム進行が可能だったが、これまで全ステージを攻略したプライドからスキップをせずに挑むことにする。
実際にやってみたら意外と苦労せずに、目標生成物を気持ちよく出力できた。
チュートリアル的なステージで簡単にクリアできたが、クリア後にReseachNetというオマケコンテンツが解禁されるときの画面が印象的だったので、強く記憶に残っている。
その画面に表示される頓痴気(とんちき)なメッセージが面白いのだ。
あまりにも気に入ったので、こんな再現もしてしまったくらいだ。
ttps://anond.hatelabo.jp/20240211180709
ゲーム全体は問題なく日本語訳されているのに、なぜここだけヘンテコな翻訳になっているのだろうか?
ステージをクリアするのに、挫折しかけたので印象に残っている。
入力も出力もシンプルであり、ぱっと見で簡単にクリアできそうだった。
しかし、これには苦労した。
6番目の星は複雑そうに見えて意外と簡単にクリアできるステージが多かったのと比べて、このステージは真逆だ。簡単に見えて難しい。
パズルを解くためにシンボルを設置していくうちにスパゲティ状にこんがらがってしまい、これ以上ウォルドを操作できなくなってしまった。そして、リセットして最初から組みなおしたが、それでもやはりスパゲティになってしまいうまくいかなかった。
2~3日に渡って数時間は考えて、最初から組み立てることを計3回はやったがそれでもうまくいかなかった。自宅の中で何度も頭を抱えて奇声を上げた。クリアしなければ次に進むことができないので、自分の限界はここまでかと挫折しかけた。
SpaceChemはもう終わりにして他のゲームをしようかなどと思い始めたが、仕事中にこうすればスパゲティはもう少しはシンプルになるんじゃないかなぁと思いつく。
「使用シンボル数」は76で、ステージクリアのランキングではグラフのほぼ右端だった。
シンボルをこれ以上配置するスペースは無かったけど、既存のシンボルを利用してなんとか処理できたという感じだ。
クリアした瞬間に幸福感を感じたのか否かはあまり覚えていないが、ただただ解放感と安堵感に包まれたことは記憶している。
自分の限界はもう近い、おそらく次かその次か、クリアできずに詰んでしまうことだろうと思った。それでも、たとえ詰むとしてもその瞬間までは全力を尽くし攻略情報などは絶対に見ないようにしようと、自分自身に誓いを立てた。
この時の誓いを破ることなく、ゲームクリアどころか全実績解除までできたことは我ながら意外なことだった。
第一の反応装置でこれだけ多彩な入力に対応しなければならないのかと、心が折れそうになった。
反応装置が出力したものをそのまま反応装置の入力とするループ処理に、一体どんな意味があるのかと。
第一の反応装置は優雅さの全くないスパゲティ配置を奇声を上げながら作って、なんとか入力をさばくことができた。
そして第二の反応装置はループ処理の意味が全く分からないので無視したら、なんとかクリアすることができた。
今、YouTubeで『Ω-疑似エチン』のクリア動画を調べていろいろ見てみたら、やっぱりループ処理を無視していて草。
優雅さのまったくないスパゲティ配置で、2~3日ほどかけて奇声を何度も上げながらもギリギリ攻略できたステージだ。
ゴリ押し的な配置でなんとか三種類の目標生成物を作ることができたが、防衛ステージは出力タイミングがやはり重要となっている。三種類の目標生成物を作れるようになった後で、ギリギリのスペースで出力を制御する「分岐」シンボルを組み込むこともできたが、そのタイミングにも苦労した。
ただひたすら出力を繰り返すだけでは、敵に効果的なダメージを与えられずにやられてしまうので、生成物の出力をわざと止める必要があった。サイクル数がXXXXになるまで出力して、敵に攻撃が当たったら出力を止めて、次はサイクル数がXXXXになったらまた出力して…という具合にである。
そして、パイプに生成物が詰まったら反応装置内で原子が衝突してエラーになることが判明した。衝突を防ぐには最後の反応装置の出力を「sync」シンボルで制御する必要があるが、もうシンボルを配置するスペースはなかった。
赤・緑・青のそれぞれの出力順がたまたま効果的だったので、「分岐」で出力を手動で止めてパイプに生成物を詰まらせないようにすることでなんとかクリアできた。
敵の行動パターンがもう少し多彩で、出力順序やタイミングを変える必要があったら、ステージクリアそのものが詰んでいたかもしれない。
先ほどの『[防衛]選択の自由』をクリアしてへとへとになった後だったので、もう勘弁してくれと思った。そして、ステージを見た瞬間に心が折れかけた。目標生成物の種類が多くて何から手を付けていいのかわからなかったからだ。しかし、全力を尽くして詰むまではあきらめる気はなかった。
とりあえず、チラシの裏に目標生成物と必要な原料の数をメモしていくうちに理論的には可能だと確信を持つことができた。入力となる原料と出力すべき目標生成物を全て列挙して、必要な原料の個数(入力回数)を決める。その際に原料の余りは最小限になるようにして、それでも生ずる余りはVGMレーザー反応装置で消すことにする。
そんな風に手書きメモで方針を決めてからは、奇声を上げることもなく着実にメモに基づいて進めることができた。
とはいえ、全ステージの中で最もクリアに時間がかかったステージでもある。4~5日ほどに渡って10時間はかかっただろうか。
目標生成物を全て作れるようになったら、プロメテウスの操縦でさらに苦労するのかと思ったけれども、意外とすんなりクリアできた。
これが2024-03-07のSpaceChemゲームクリアであった。
「チャレンジ」を気にせずステージを進めてきたが、せっかくここまでやってきたからと思い残りもクリアした。
中でもやりがいがあったのは、反応装置の数に縛りのあるチャレンジだ。
『ただならぬ頭痛』の反応装置1個クリアは、ウォルドの動きがスパゲティになってしまい頭痛になるほど苦労した。
『止まらない落下』の反応装置2個クリアは、入力と出力のパイプ配置に悩んだが、まさかという組み合わせを思いついて思い通りにクリアできたのが楽しかった。
「チャレンジ」を全てクリアしたら全実績解除かと思ったら、ReseachNetの20個クリアと63コルビ(DLC)のクリアがまだだった。
これらはゲーム本編および「チャレンジ」に比べたらあまり楽しいものではなかった。
ReseachNetと63コルビでは、原子をテレポートさせる「量子トンネル」に、原子を分裂させる「核分裂レーザー」という本編にはないギミックが登場する。
最初のうちはやってて楽しかったが、「量子トンネル」も「核分裂レーザー」も他のギミックとの相性が悪いことに気がつく。
「核分裂レーザー」は本編に登場する「核融合レーザー」の逆の発想で生まれたものと想像する。「核融合レーザー」が「sync」や「FLIP FLOP」のシンボルと組み合わせることによってウォルド操作をシンプルに記述できるようになる一方で、「核分裂レーザー」はシンプルに操作することが難しくスパゲティになってしまうので楽しくない。
「量子トンネル」も効果的な場面は限られており、63コルビでは「量子トンネル」を使わせるために狭い領域でのウォルド操作を強いられるばかりになってしまい、あまり楽しくない。
他にも、ReseachNetの問題はただただ複雑な操作をさせるばかりになっており、見るだけでやる気をなくすような問題ばかりだったのもあって、20個クリアしてからはもうやっていない。
ゲーム本編及び「チャレンジ」の完成度は非常に高いものだと感じている。チュートリアルはしっかりしており、難易度の上昇幅も急すぎも緩すぎもしないので心地よいし、新ギミックの導入も丁寧だ。
ReseachNetと63コルビというおまけコンテンツはその犠牲となったのだろう。ゲーム本編の完成度を高めるために、ボツになったギミックやステージはおまけ扱いされたのだろう。
最終ステージまでのゲーム本編全てのクリア及び「チャレンジ」の全クリアは非常に達成感の強いものだったが、その後の全実績解除までは消化試合のような気持ちだった。
いま思い返してみても、やはり最終ステージが最も達成感のあるステージだったと思う。
なにはともあれ、全実績解除するまで楽しみつくしたわけだ。
もう当分の間パズルゲームはやりたくないが、まだやっていないパズルゲームはZachtronicsゲームを含めてたくさんある。
数週間もすれば禁断症状が始まり、またパズルゲームがやりたくなるはずだ。
Ridge Alkonis(リッジ・アルコニス)という名前を覚えろ。日本人2人を轢き殺したアメリカの軍人だ。そしてMike Lee(マイク・リー)という名を覚えろ。日本に謝れとのたまったユタ州の共和党上院議員だ。この殺人犯をアメリカに引き渡せと迫ったのがカマラ・ハリス。カマラ・ハリスはアフリカ人とインド人のハーフということで有色人種カードを使っているが人間としてはクズそのものである。そんなカマラの背後にいるのが老害バイデン。さっさと死ね。CNNというメディアを覚えておけ。Jake Tapperというクソアンカーがこの殺人犯釈放ニュースを祝福した。
ご来店の皆様、本日はショッピングモールネオンにお越しいただきまして、誠にありがとうございます。
このあと13時より、センターステージにて、お笑いコンビ『アルコ&ピース』のスペシャルステージが催されます。
アルコ&ピースのお二人は、2006年結成。2012年THE MANZAI第3位。
2013年にはキングオブコントでも決勝戦に進出している実力派コンビ。
その一方で、「俺達の笑いは他の奴らとは違うんだ」という、芸人を始めて3年目くらいの若手が抱える厨二感がいつまでも漂い、
ネタが滑った時も、「今日の客は本を読まないタイプだな」「文学性が無い、アンテナ張ってない奴にはわからないネタだし」などと、開き直ることも少なくありません。
ただ単に王道のネタを成立させるだけの技術が無いだけなのにも関わらず、その稚拙さを薄っぺらい雰囲気で誤魔化す、言うなればシュールに逃げたお笑い詐欺師。
袖に芸人が集まることもない、同業者からも評価の低い、2人のネタをお楽しみください。
バラエティへの出演だけでなく、情報番組やMCも務めるマルチプレイヤーでおられます。
一見、気の利いたコメントを飛ばしているように聞こえるも、よくよく注意を凝らしてみると、
低い声で雰囲気ありげに喋っているだけで、中身は何もないデカいだけのハリボテ男。
「敢えてこっちの路線狙ってます」のようなツラをして、ただ単に面白いことが何も浮かんでいないだけの独活の大木。
「芸能人とはあまりつるまないなぁ」などと周囲に吹聴するも、単に後輩に慕われていないだけの孤独なモンスターでいらっしゃいます。
そうした異名をテレビの需要が少ない事への揶揄であることにも気づかず、その気になってアホ面を晒すただの小物。
静岡で知り合った女性アナウンサーと結婚され、今では優しいパパの一面もお持ちです。
相方の平子さんが愛妻家として仕事が増えたのを横目で見ており、自分が結婚した途端、急に家庭人をアピールし始めるという前代未聞のコンビ間でのキャラ泥棒。
その浅ましさには目も当てられないと、業界内外からも非難の声が多く飛んでおります。
そんなお二人が織り成す「アルコ&ピース 爆笑お笑いステージ」。
皆さまお誘い合わせの上、ぜひお越しくださいませ。
これ↓のことね
曲名と同じ歌詞が出てくるタイミング(その多くはサビの部分)で、曲名を含む曲紹介が出てくるやつは、個人的にはなんか鳥肌立つくらい良い演出だなぁと思ってる。
例えば、true tearsのオープニングみたいなやつ。
今期放送アニメ全部のOPをチェック、、、と言いたいところだが全部チェックするのは難しいのでdアニメストアで配信されている2023年春アニメのOPを全部チェックしてみた。ありなし判定には多少の表記ゆれを含む。OPが存在しないアニメ(5分アニメなど)は除外してある
曲名表示時の歌詞:「ビーチ・浮き輪・サンダル カモメも楽しそうです!Yeah」
作品名:異世界ワンターンキル姉さん ~姉同伴の異世界生活はじめました~
曲名表示時の歌詞:「明日のピースのために レベル上げ重要↑」
作品名:MIX MEISEI STORY ~二度目の夏、空の向こうへ~
曲名表示時の歌詞:「ありふれたこのフレーズも 君とつけたメロディなら」
曲名表示時の歌詞:「舞い散る世界を繋げMotive Rain (Never fading out!!)」
曲名表示時の歌詞:「夜明けの星が 目の前に落ちた」(※日本語訳)
OP曲名:ワナビスタ!(鳳 ここな(石見舞菜香)/静香(長谷川育美)/カトリナ・グリーベル(天城サリー)/新妻八恵(長縄まりあ)/柳場ぱんだ(大空直美)/流石知冴(佐々木李子))
曲名表示時の歌詞:「秘密♡Melody ありのままで期待しちゃいけない」
曲名表示時の歌詞:「たとえ誰かを傷つけたとしても 譲れない光があるんだ」
作品名:異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する ~レベルアップは人生を変えた~
曲名表示時の歌詞:「例えばこの世の全部を変えられる 枯れ木に花を咲かせる程の奇跡を」
曲名表示時の歌詞:「死んだ 死んだ 今日も死んだ 手 足 頭が取れちゃいそうだ」
OP曲名:SWITCH!(あおま(内田彩)、みーみ(小倉唯))
曲名表示時の歌詞:「僕らを 育ててる そのきもちは たからもの」
OP曲名:ドキメキダイアリー(asmi feat. Chinozo)
曲名表示時の歌詞:「ずっと僕は君のもんだ 最愛すぎて時空歪んだ」
曲名表示時の歌詞:「さあ全力メタ盛りフォーゼ 全部を守りたい」
作品名:BIRDIE WING -Golf Girls' Story- Season 2
曲名表示時の歌詞:「Venus Line Venus Line 鮮やかな打球(きぼう)は空を切って」
OP曲名:刹那の誓い (feat. 由崎司)(Neko Hacker)
作品名:贄姫と獣の王
OP曲名:ぐらでーしょん feat. 北澤ゆうほ(KANA-BOON)
曲名表示時の歌詞:「ふたりだんだん近づくたびに 代わりない感情がふんだんに」
曲名表示時の歌詞:「この躰千切れたとしても 諦めちゃいない」
作品名:ゴー!ゴー!びーくるずー
OP曲名:ゴー!ゴー!びーくるずーのうた(ササキトモコ(東京ハイジ))
曲名表示時の歌詞:「ほら、想像は遥か遠くまで おいてかれないように駆け出した今」
作品名:ウマ娘 プリティーダービー ROAD TO THE TOP
OP曲名:Glorious Moment!(ナリタトップロード(中村カンナ)、アドマイヤベガ(咲々木瞳)、テイエムオペラオー(徳井青空))
OP曲名と同じ歌詞:なし(「glorious one moment」という歌詞はあり)
曲名表示時の歌詞:「眩しくて 眩しくて 僕は目を逸らしてしまう」
OP曲名:絆ノ奇跡(MAN WITH A MISSION × milet)
曲名表示時の歌詞:「何を引き換えにしようとも 何度だって汚すよこの手なら」
46本中、OP曲名と同じ歌詞が存在する曲は25本、OP曲名と同じ歌詞を歌っているときに曲名クレジットが表示されるアニメ作品は6本(君は放課後インソムニア、絆のアリル、魔術士オーフェン、勇者が死んだ!、BIRDIE WING、彼女が公爵邸に行った理由)だけでした
案外少ないね!
春アニメ以外だと、最近では『NieR:Automata Ver1.1a』OPのAimer「escalate」の「赦せなくて escalateして escalateして」のときに曲名表示されるのすき
○ご飯
朝:ケチャップライス。目玉焼き。昼:オムライス。間食:喫茶店の固いプリン。焼き芋。ポテチ。夜:なし。
○調子
・はじめに
カートゥーン調のアニメと美少女ゲームが融合した、ハイテンポなSFのお話のADV。
アニメのパートと、1000枚以上のイベントスチルで構成されていて、立ち絵でお話が展開するシーンの方が少ないんじゃないか? と思っちゃうぐらい豪華な作品。
地の文が徹底して減らされていて、ノベルゲームというよりは、漫画やアニメのような味わいもある。
ストーリーの方も、トレジャーハンターの記憶を失った孤児のマルコとその相棒の銀河竜アルコの二人を主役に銀河を股にかけるスケールのでかい話だ。
シリアスなパートだけじゃなく、コメディなシーンも沢山あって、所謂「いっぱい笑っていっぱい泣ける」系のストーリーだ。(これ別にバカにしてるわけじゃないんだけど、侮蔑の意味で使う人もいるから避けた方がよかったかな)
地球人ながら幼い頃に奴隷として誘拐されてしまい、その後はワニ型異星人のドスゴロの元でトレジャーハンターという名の盗人として銀河を叉にかけるマルコ。
辛い境遇ながら、アルコという家族がいるからどうにかやっていけてる関係性が良い。
互いに依存し合っていて、事あるごとに二人は仲の良さを確認し合う。
二人の関係に名前を付けてしまうことの無粋さは本編でも言及されているので、これを百合とか家族愛とかは言っちゃいけないやつだ。
そんな二人のテーマソングのような歌詞になっているオープニングソングの飢餓と宝玉はこのゲームの象徴だろう。
映像と音のハマり方もバッチリで、最高のオープニングだし、そこ以外での使い所も流石にわかってるところで気持ちいい。
文量的にはかなり二人の物語で他の子はサブキャラなんだけど、開発元が美少女ゲームのところなので。その文脈が強く、ヒロインたちも可愛い。
かなりシリアスなゲームのはずで、真面目なヒロインもいるものの、バカ勢が出てくると一気に話がコメディに寄っていく。
中でも、テラは作中屈指のバカで、短絡的で、自分勝手。中盤のストーリーを引っ掻き回しに回しまくってくれる。
・男性の脇役ながらドスゴロがかっけえ
美少女ゲームの文脈とはいったものの、男性キャラも大勢出てくる。
中でも特に格好いいのが、主人公マルコの育ての親であるギャングのワニ型異星人のドスゴロ。
序盤はかなりの悪人なのだけど、話が進むにつれて格好良さが増していく。
特にオーラスもオーラス、最後のシーケンスで登場する彼は、もしかしたらこのゲームのタイトルが「マルコと銀河鰐」だったかもしれないとすら思ってしまい名シーンだ。
・贅沢さの裏返しに
主人公コンビに愛せるサブキャラが男女複数人とキャラクタの魅力を語ってきたけど、正直なところ僕はあまり面白くなかった。
最初に書いた通りすごく贅沢な作品なのだけど、それだけにその贅沢さに振り回されていたような印象が強かった。
地の文がほとんどない構成だからこそ、SFな世界観に、豊富なサブキャラ、複雑な人間関係、これらを上手く捌き切ったとは感じられず尻ギレトンボな箇所が多かった。
特にサブキャラの中でも恩田姉妹に関しては主人公と密接な関係値を示唆するシーンが多いものも、言ってるだけというか実感が伝わってこなかった。
また、バカなコメディシーンが多いのも、好みではあるが、そこよりももっと本筋にまつわる文章を読みたい気持ちの方があった。
豊富なアニメにイベントスチルで、文章に頼らずに従来のADVを越えようとする気概はすごく感じる。
僕としては、もっと文章に比重をかけて欲しかった。いやバランスの話ねこのゲームの文章のクオリティが低いわけではない。
ADVというよりは、全く違う新しいジャンルのゲームとして見るとスゴイのかもだけど。
従来のADVファン層じゃないところに向けている面もあると思うので、老害っぽい意見になっちゃうかなあ。
・さいごに
新時代のADVだ! と言われれば確かにすごく新しくて、今までにない経験ができた。
例え話をしてしまうと、2時間のオリジナルアニメ映画のような読感かもしれない。
そもそも「アノン」って「アノニマス」(匿名の)の略なんだよ。
目的のために匿名で(ニックネーム呼びとかで)集まって活動するグループのこと。
アルコール依存症者の自助グループ「アルコホーリクス・アノニマス」(略称AA)が始まりで、その後薬物依存症、ギャンブル依存症など様々な自助グループが派生している。
匿名で活動する理由は、参加者のプライバシーを守るため(依存症者ってバレるのは不名誉なことだから)とか、AAの活動によってアル中が酒をやめて社会復帰できているさまを称賛されるときなどに、それを個人の功績にしないため。詳しくはAAのサイト参照(https://aajapan.org/anonymity/)。
要するに「アノン」という言葉自体にはもともと「匿名の」以上の意味はまったくないんだ。
『北斗の拳』が大ヒットした当時、学校の見学旅行でプラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座・北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。
『北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特に、プラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的な正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。
この北斗七星の柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士の視力を検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧の星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニアや古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者の意見を知りたいものである。
死兆星の元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗的名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称を個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女の天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家・野尻抱影(SF作家・野尻抱介のペンネームの元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。
この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それから遠からず一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである。海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。
つまり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。
これ以外に、北斗七星が人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国は東晋の時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。
原典の漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である。
「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士の言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。
方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。
二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。
家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。
『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗から生まれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗に祈りを捧げねばならないのである』と」
現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。
天空の天体、太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間の運命その他の動向が、星など天空の現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。
しかし、私が『捜神記』の物語を面白いと思うのは、最終的に北斗七星と南斗六星のように夜空で目立つ星座が重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別に対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である。
古代ギリシアには、現代の民主主義政治の源流があったけれども、無名の市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話の登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語のユニークさを分かってもらえることと思う。
北斗七星・おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものだから、古今東西の人類の記録に残されている。金星・火星・木星などの惑星もそうである。太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置に存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名も位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである。科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである。現代の文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから。現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。
こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆も確認しようが無く、比較的簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象が現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。
ただし、庶民が自分個人の運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分の意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである。王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである。自分の人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的な思索の出発点となる。
この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか。将棋やチェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯の起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間の運命を変えようと働き掛けるような、呪術的儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。
もっとも、これはあくまでも個人の勝手な空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。
それに、南斗と北斗の囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問的専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである。
農夫が酒と干し肉を提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。