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はてなキーワード: 王侯とは

2025-10-15

anond:20251013224956

から恋愛結婚じゃない結婚なんて王侯貴族のようなごく一部の例外であって

庶民は昔から恋愛結婚が主流だったと思うけどな

きっかけが家が隣近所な事だったり

見合いだったり学校だったり職場だったりマチアプだったりという違いがあるだけ

2025-10-02

言うほどアニメ漫画反体制が描かれてるか?

https://anond.hatelabo.jp/20251002050019

漫画アニメでは反体制を描いているのに、それを見ている日本人反体制にならないのなんで?」

そもそも前提にされてる

漫画アニメでは反体制を描いている」は正しいのか

 

 

鬼滅の刃

敵の無惨は人間社会の隅っこで生きてる寄生虫

人間社会権力機構に食い込むようなことはしてなかった(ぼっち志向過ぎて)

    

 

呪術廻戦

敵の宿儺は人間社会の端っこで生きてるアウトサイダー

人間社会権力機構に食い込むようなことはしてなかった(ぼっち志向過ぎて)

 

主人公達は物語の途中で呪術界の上層部名家・名流を殺戮する挙に出るが

直後にそこに成り代わるわけでアナーキストと言うよりむしろ権力側(もともと偉い血筋の奴が多い)

(数十年後を描いた続編では旧主人公達は武力でも血統でも呪術界の支配層に君臨してるっぽい)

 

  

NARUTO

敵は複数いるがだいたい反体制派やテロリスト外国勢力

一部に体制特高暴走みたいなのがあったがトップたちは主人公の味方

主人公体制なうえに血統による世襲くささすらあるラスト

 

 

ドラゴンボール

敵は地場ヤクザPMC、蘇った大魔王侵略宇宙人

この漫画体制かいうのもあほらしいけど

界王とか神とか世界秩序は主人公の味方だ

 

 

ワンピース

敵は海賊海軍世界政府

 

これこそ反体制漫画!って言いたくなりそうだけどそうは言えないと思う

だってルフィ達は支配者層にも封建的王国かに全然味方する

 

是々非々で動いており左翼みたいな体制への無条件憎悪はない

というか民衆カスが多くて徳弘正也っぽい

  

王侯貴族にはとんでもないクズもいる一方で

カス民衆を守るために命を張るノーブル英雄も多い

    

    

     

まとめ

以上見てきたように

”悪い王様””悪い上層部”と戦うことは普通にある一方で

反体制」的な主人公は見当たらない 

  

というかそもそも体制=悪とみなす反体制思想と言うもの自体

後期高齢者たちの間だけで流行ったわけのわかんねえ反知性的カルチャーなのではないか

 

goodからnot badくらいの体制まで敵視する必要はなく

現代主人公是々非々で行動している

反体制か否か」というもの見方自体しわしわパラダイムなのではないか

  

  

「だろうに。」

nanamino

反体制かどうかはともかく、人種差別性差別を正面から肯定した作品はほぼゼロだろうに。

2025/10/02

結構上位のコメントなんだけどどういう反論なのか全くわからない。

 

俺はここで 「漫画アニメには人種差別性差別を正面から肯定した作品が多い」といった主張をしてないし

それ以前に差別の話をしてなくね……?(念のためツリーをのぼって、発端の元増田もしてない)

 

  

元増田

「「アニメ漫画では反体制を描いてるのに日本人反体制になってないのが不思議、という議論がある。

しかしそれは発想が逆で、アニメ漫画ガス抜きとして作用しているのではないか。」

  ↓↓↓↓↓

そもそもアニメ漫画って言うほど反体制か?」

  ↓↓↓↓↓

nanamino

反体制かどうかはともかく、人種差別性差別を正面から肯定した作品はほぼゼロだろうに。」

    

   

わかんねえ。

順位がこれだけ上ってことはこの人の読み間違いとかじゃなく、

なんかしらちゃん意味のある反論コメントなんだと思う。

あとnanaminoの他のブコメを見たが別に変な奴って感じはしない。割と同意できる感覚コメントも多い。

   

というわけで誰か解説してくれこれ。

2025-09-27

つのまにか「いつぶり」がすっかり浸透している

カジュアルな会話でのスラングとしてはかなり前から使われているが、多用されるうちに若者あいだではこの表現スラング感が薄まったのか、漫画ラノベでは王侯貴族の厳かな会話シーンでも「いつぶり」が頻出するようになった。非若者としては違和感がすごいが、まあこんな風に言葉は入れ替わっていくのだろう



参考: 「おかしい」と感じつつも使われる「いつぶり」

2022.06.24

https://salon.mainichi-kotoba.jp/archives/131687

2025-08-30

anond:20250830072213

祇園精舎の鐘の声、ネットの栄華もまた夢のごとし。

盛者必衰の理をあらはすは、SNSきらびやかなる画面なり。

驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

強き者もつひにほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

あはれ、戦ひは、すでに終はりたり。

弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼の兵よ、

表現の自由の旗を掲げし戦士ども、

お気持ち表明の女聖戦士たちよ、

もはや剣を収め、旗を巻き、兜を脱ぎ、

一切を手放して楽になれ。

我、これを見るに忍びず、心いたく痛むなり。

内心、汝らが知れることを、

勇気なき者に代りて、今ここに我が言はん。

人生は常に、英雄の役のみを許さず、

敗者の道を歩むもまた、

宿命と定まりものなり。

汝らが求めしは、黄金の財、

きらびやかなる人生

アニメゲームのごとき夢幻の愛、

麗しき姫君、俊き貴公子

これらを凡人の業に縛られたる身にて得んと望む、

そは天を犯す不敬なり。

現実において、かかる希ふは、

タリ●ンの陣に馳せ、

ウクライナの砦に命を賭し、

五体投地して忠誠を誓ひ、

血の盃を受け、

修羅稽古に身を投ずるがごとき

かかる無謀、許さるるべからず。

ゼレンスキーもタ●バンの兵も、

汝にΞガンダムを授けず、

ダグラムを与へざるなり。

ましてや、この日本にては。

思へ、かの道を誤りし者の末路を。

青葉の孤独の怨炎、

平原狂気の刃、

和久井の憎悪の剣、

これら皆、夢に溺れ、

現実を背きし亡魂の成れの果てなり。

汝らは、プライドばかり、

王侯貴族にも似たる高さにして、

実は脆き瓦のごとし。

ネットを、かつては万能の神器と信じ、

「これぞ我らが聖槍、世界を砕く矛なり!」と叫べども、

実は魂を狂はす魔槍なりしこと、

今ぞ知るべきなり。

されば問ふ、幾らネットにて聖戦叫び

祈りを捧げ、呪詛を投げ、

ヘイトの炎を燃やすとも、

ひとつ叶ふことなかりけり。

麗夢の姫君も、エミリアの姫も、

駿馬の娘(ウマ娘)も、

影の貴公子ライカン)も、

汝が許には来たらざるなり。

ウルトラの巨神も、グリッドマン英雄も、

つひに現れざりき。

和歌に曰く、

「夢の世に 頼みし恋も 空しくて 残るはただの 虚しき誓ひ」

(夢に頼みし恋はかなはず、ただ虚しき誓ひのみ残れり)

さらに曰く、

炎上の 煙の果てに 見る夢は うたかたの世の 泡にぞありける」

炎上の煙の果てに見し夢は、泡のごとく消えにけり)

思へ、業の鎖に縛られたる人の身を。

現世は常に不条理に満ち、

英雄の座は稀に選ばれし者にのみ許され、

凡なる我らは敗残の道を歩むべし。

それに何の恥かあらん。

敗者の役を引き受くるもまた、

尊き人の宿命なり。

今ぞ言はん、

「すべてを捨てよ。現実へ還れ」

二千六年の夏、秋葉原の歩行天にて、

汝が魂、オタクの舞を舞ひし日より、

幾星霜を経たり。

今や、UFOの夏は終はり、

ひぐらしも鳴かず、

海猫水平線の彼方に帰り、

片瀬江ノ島物語も、

四半世紀の雲に紛れぬ。

いざ共に歩みて、現実へ帰らん。

水島上等兵豚丼二等兵弱者男性二等兵

皆々、軍を解きて、

歴史に名を刻む敗軍の将となれ。

恐るるなかれ、

憎悪の炎は永くは燃えず、

人は一生、戦ひ続けること能はざるものなり。

かく語り伝へて、涙を落としけり。

2025-07-04

anond:20250704101114

根本の部分は、フェミニズムじゃないよ。

フェミニズム根拠となった「人権」や「個人自由主義」という思想

 

そもそも人権というのは、民衆共同体(≒共同体運営者の王侯貴族)に奉仕するのはおかしい、という発想から出てきている。

一方で、少子化出生率というのは共同体運営にかかわる話だ。

で、少子化の原因が、民衆特に女性)が共同体奉仕する度合いの不足、となったとき

浅薄議論は容易に、人権無視、という結論に達する。

 

まあ人権無視とか始めたら、もう一回フランス革命戦争だし、無理だけどね。

無理な結論を出していることを、もっと強調しないといけない。

少子化解消はシンプル不可能だ。

工場奴隷ロボか人口子宮生産しろ

2025-05-16

三国志人物名の出し方

三国志人物名を記憶してないIMEを使うことを想定。

から基本的に1文字ずつ変換していくわけだが、変換はできるだけスムーズに行いたい。多くの候補から選ぶことは避けたい。

もし常用漢字でない場合ググることやウィキペディることも辞さない。

曹操 軍曹操る

劉備 玄米徳島から玄徳を抽出してググる。またはliu beiでググる

孫権 孫 権利

諸葛亮 孔雀明るいか孔明抽出してググる。または諸君葛切り平均から諸葛均抽出してググると「諸葛亮の弟」と出る

司馬懿 仲良し達人から仲達を抽出してググる

周瑜 周囲太郎から周郎を抽出してググる

劉禅 劉備坐禅

劉封 劉備封印

関羽 関係羽毛

張飛 膨張飛

趙雲 子龍でググる

黄忠 黄色忠義

馬超 馬 超越

龐統 武士元気から士元を抽出してググる

徐庶 徐行庶民

馬良 馬が良い

馬謖 泣いて斬るでググる

魏延 魏志倭人伝延長

法正 法律正しい

伊籍 伊藤戸籍

厳顔 厳しい顔

尹黙 藤原行成Wikipediaで見つかる藤原伊尹もしくは近衛前久Wikipediaで見つかる近衛信尹+黙

関平 関係平和

関興 関係興味

曹丕 曹叡ググる。または曹 文帝でググる

曹叡 軍曹比叡山

曹植 軍曹植える

曹彰 軍曹表彰

曹仁 軍曹仁愛

荀彧 文若でググる

郭嘉 奉る親孝行から奉孝を抽出してググる

賈詡 膨張決済から張済を抽出してWikipediaを見ると張繡が見つかるのでそこからたどる

程昱 連立方程式から程立を抽出してググる

陳羣 陳列長文から陳長文を抽出してググる。または九品官人法のWikipediaを見る(学校世界史に登場する数少ない三国志人物)

夏侯淵 夏 王侯貴族 深淵。または妙才でググる

夏侯惇 夏侯淵ググる。または元気に譲るから元譲を抽出してググる

張遼 文遠でググる

許褚 許可儀式から許儀を抽出してググると「許褚の子」と出る

典韋 辞典満腹から典満抽出してググると「典韋の子」と出る

徐晃 徐行公明党から公明抽出してググる

張郃 張り合いbから張合bを抽出してググる(誤り)

楽進 楽に進む

李典 李白辞典

于禁 単于禁止

龐徳 令和明治から令明を抽出して馬超 令明でググる

文聘 文豪招聘

田疇 田んぼ範疇(田疇は普通に熟語らしい)

楊修 爪楊枝修行。楊脩の場合は楊修でググる

孔融 孔雀融合

何晏 何進Wikipediaで「孫は何晏」と出る。もしくは老荘思想Wikipediaで「何」で検索する

孫堅 孫 堅固

孫策 孫 策略

張昭 膨張昭和

張紘 膨張八紘一宇

魯粛 魯迅粛清

呂蒙 風呂蒙昧

陸遜 陸 謙遜

黄蓋 黄色い天蓋

程普 程度普通

太史慈 太い歴史慈悲

周泰 周囲安泰

甘寧 甘くて丁寧

丁奉 丁寧に奉る

凌統 凌駕統一

徐盛 徐行盛岡

董卓 呂布Wikipediaから見つける。または童卓でググる(誤り)

呂布 風呂

陳宮 陳列宮殿

高順 高い順

袁紹 紹 本初でググる

田豊 田んぼ豊か

沮授 田豊Wikipediaで「授」で検索

辛評 辛口評価

郭図 郭(くるわ) 図

審配 審判心配

顔良 顔が良い

文醜 文が醜い

袁術 術 公路でググる

袁胤 袁術落胤

張勲 膨張勲

劉表 劉備

劉璋 劉備終焉から劉焉を抽出してググると「劉璋の父」と出る

張魯 膨張魯

馬騰 馬 沸騰

韓遂 韓国完遂

公孫瓚 公孫続でググると「公孫瓚の子」と出る

陶謙 陶芸謙遜

司馬昭 司令 馬 昭和

姜維 生姜維新

鄧艾 姜維Wikipedia蜀漢の滅亡あたりを見る。もしくは武士掲載から士載を抽出してググる

鍾会 姜維Wikipedia蜀漢の滅亡あたりを見る。もしくは武士季節から士季を抽出してググる。もしくは鍾繇体(書道の分野に登場する三国志人物)から鍾繇抽出してググると「鍾会の父」と出る

陸抗 陸 抵抗

羊祜 陸抗Wikipediaで「羊」で検索。または辛口憲法英語から辛憲英を抽出してググるWikipediaを見る

杜預 杜甫預金

王渾 王 渾身の一撃

毌丘倹 文+仮装大賞ググると出る欽で文欽を作り、文欽のWikipediaを見る

孫峻 孫 峻別

王子服(おうしふく) 王子

吉本(きつほん) 吉本

2025-04-23

anond:20250422144401

元増田です。

結局、自分でも答えはわからんかった。

限られたスペースで、たくさんの人々に楽しんでもらうためには、これが最大公約数なのかなと思うのだが、あえて、「自分ならこうする」という展示を考えてみたい。

結論は、一般公開レプリカでよくないか

ということ。

歴史資料としては、収集すべきだけど、見せ物としてはレプリカでいい。

事前に理解しておく基礎知識文脈が多すぎる。

そして、まずもって殆どの入場者にオリジナルレプリカの違いを見極める目がない。

教科書でみたアレ、ドラマで出てきたアレ、くらいの感想で、「本物はこうなってた」みたいな感想があったとしてと、素人が感じ取れる写真との違いは、レプリカでも十分わかる。

それに、オリジナルは褪色していて、作られた当時の意匠を留めてない。

神社仏閣だって当時の色を再現する修復をしてるんだから、こういう美術品、とくに浮世絵なんてのは商業印刷なのだから、派手でケバケバしい猥雑な色を再現して展示したほうがよいだろう。

というわけで、

「ぼくのかんがえたさいこうの蔦屋重三郎展」

を述べてみる。

第一蔦屋重三郎時代

江戸メディア王となった男の展示であるからには、江戸後期におけるメディアについて入場者に知って帰って貰わないと意味がないと思う。

江戸も中期まで、絵や本というのは大半が注文生産だった。

まり、この屏風にこういう絵を描いて欲しい、誰々の肖像をこんなふうに描いて欲しい、という依頼に応じて制作したものだった。

それが、蔦屋重三郎時代には、木版によるカラー印刷という技術発明されたことと、貨幣経済が発展したことにより、需要を見越して出版活動を行うようになった。

王侯貴族ではなく、庶民が店先で本や絵を買う時代がやってきた。

本や絵のテーマになるのは、山水画花鳥風月じゃなく、もっと庶民の娯楽に直結したもの、芝居、女、旅行etc

それぞれについて掘り下げておく。

例えば芝居なら、芝居小屋でみる歌舞伎は照明演出蝋燭と窓の開閉でしか調整できないから、まず薄暗い。

毎月演目が切り替わっていたこと。

俳優一年ほぼ固定で、「うちは今年一年この顔ぶれでやって行きますよー」という俳優の紹介があったこと。

みたいなことを触れておく。

第二部 江戸メディア役割

蔦屋重三郎ら、メディア役割について学ぶ展示にする。

例えば役者絵なら、役者絵は芝居に乗っかって売るものから、上演期間に合わせて売り出す必要がある。

観劇して、印象に残ったところをスケッチして、それをもとに一年かけて一枚絵に仕立てる。などというやり方はありえない。

ここで、入場者にいくつかの問いかけに考えてもらう。

例えば、役柄に寄せて描くべきか、役者がわかるように描くべきか?

実写版白雪姫ポスターを作るとして、アニメ白雪姫に寄せて描くべきか、俳優の特徴に寄せて描くべきかに置き換えるとわかると思う。

もちろん正解はない。

例えば、舞台のものを描くべきか?話の世界観で描くべきか?

俳優は厚化粧しているが、それを描くべきかとどうか、芝居小屋は薄暗いがそれも描くべきかどうか、これだって答えはない。

どの問いも答えはない。

しかし、商売である以上、決断して絵を作る必要がある。

この部では、蔦屋重三郎を忘れて、バリエーションかに当時の解答例(作品)を提示すればいい。

写楽と春章と国貞あたりを並べるといい。

役者絵だけでなく、全ての出版物についてそうだ。

ソープランド写真指名用のパネルを作るとして、無加工ってありえないだろう?

吉原年齢ではなく実年齢を載せるのも野暮だろう?

かといって、加工されほぼみんな同じ顔になったとして、指名したくなる推しポイントは含めないといけないだろう?

写真加工には流行りがあって、流行は抑えないといけない。

例えば、素人っぽさ、生活感がある日常を切り取った普段着のほうが萌えるって流行もあるだろう?

それだって素人っぽく、普段着っぽく、日常っぽく加工してるだけで、本当の素人でも普段着でも日常でもない。

江戸時代のそれが、つまり美人画だよ。

煌びやかな花魁が描かれてるだけじゃなく、女郎日常が描かれたり、女郎じゃなく茶屋娘の絵が売り出されたりしてたわけ。

次の展示の前に様々なバリエーションを並べて、当時の価値観について理解の分解能をあげておく。

第三部 革新者蔦屋重三郎

ここがメインで、蔦屋重三郎足跡を辿る展示に入るわけだけど、どこで生まれ最初に出したのがこれで、みたいなのはまり重要ではないと思う。

研究としては大事だろうけど、知識がない一般人にとっては、蔦屋重三郎がなにをどう変えたのか?どこが革新的だったのか?だけ覚えて帰ってもらえば十分。

例えば、スティーブ・ジョブズ展をやるとして、学生時代ヒューレットパッカードバイトしてたとき記念品とか、要らないと思うんだ。

出した製品が、世界をどう変えたか?それが重要で、例えばiMacなら、そのころ主流だったPCと外観がどんなに違うか、並べたらいいと思うし、iMac模倣して作られた他社製品を並べてやるのもいいと思う。

同じことを、歌麿写楽でやる。

歌麿の登場の以前と以後で、画風の流行がどう変わったとか、写楽の絵はあまり売れなかったけど、一部に熱狂されてインスパイアされた絵師が出たこととかね。

ただし、歌麿展でも写楽展でもない。

もちろん蔦屋重三郎を語る上で、歌麿写楽重要だけど、版元の関与、つまりアイデア、コンセプトがどう革新的だったか、そういう見せ方をするべきだね。

例えば、写楽の大首絵は背景がガンメタリックのように黒光してる。

同じ絵に違う背景を複数作って、この背景色を選んだのが必然であったのを理解してもらうのがいいと思う。

その数だけ複製版画を用意する。

それから写楽の大首絵の輪郭線は薄墨で目立たなく、最小限の線だけど、効率的デフォルメされている。

3Dモデリングしたり、3Dモデリングから作ったフィギュアを展示して、線は最小限なのに顎や小鼻の丸みがちゃんとわかる確かなデフォルメなことを理解できる展示にしたらいいと思う。

黄表紙本なんかは、どれだけふざけた内容で絵が多いかわかるように、写真から製本して触れるようにしちゃったらいいと思う(できればこれも木版で印刷して製本して欲しいが、コスト的にキツいしね)。

わざわざ美術館にこなくても、デジタルアーカイブとしてみれるんだけど、製本したもののページをめくることができたら、また印象が違うと思う。

四部 メディアを支えた印刷技術

今回の展示で最後オマケ程度に現代職人仕事ぶりや制作過程が紹介されてたけど、あれをもっと広げてやる。

手に持って鑑賞できる触り放題な複製版画を大量に用意する。

第三部までの知識インプットしたあとに、手に持って鑑賞するのがミソで、これ以上ない体験になると思う。

ここでアピールして、物販コーナーで複製版画がたくさん売れた方が、文化の保存に貢献できる。

承認欲求モンスターばかりなんだから写真撮影可能な複製版画コーナーは大変重要

第五部 オリジナルの展示

さすがにオリジナルの展示もいるだろうなと思うので最後に設ける。

客はラーメンではなく情報をくってる。オリジナルをみたっていう情報お腹を満たしてもらえばそれでいい。

「さっきみた複製とはここが違うね」

と通ぶってくれてもいい。

建設的な意見なら職人たちの叱咤になる。

「さっきの複製のほうが好きだ!」

と感じてくれたら、職人たちへの激励になる。

追記 木版印刷物の写真と実物、オリジナルと複製違いについて

当時、本も絵も、木版印刷なわけだが、写真と実物、複製の違いについて軽く触れる。

油絵油絵具で光の屈折が関係するので、写真では伝わらない部分があるが、その点では木版画フラットでマットなので、概ねかわらない。

雲母のような、光の反射を使った技法については写真ではなかなか伝わらないし、版木が押し当てられたことによってエンボスになってるようなのは写真になるとわかりにくいが、それこそ手に持ってこそなので、ガラス越しでみてどうなんだろという感じはある。

うまい例えができないが、ビックリマンシールシルクスクリーン印刷は、触ってこそだよ。傾けて覗き込んでみて反射や屈折を楽しんで、手触りまでがワンセット。

複製については、当然複製なので、いい複製、悪い複製があるはずなのだけど、これを論じるのはなかなか難しい。

これだけ写真印刷ができる時代に、わざわざ彫って摺ることに意味があるかと言われても、木版印刷だけの味わいがあると断言できるのだけど、そこから先のいい複製については正解がわからない。

例えば、褪色した今現在を複製するか、制作当時の色を再現すべきか、オリジナルにある制作上のミスは複製でも模倣すべきか、ベスト状態の摺りを再現すべきかという議論がある。

私は、絵そのものよりも、その背景にある表現したいモノを形にするのがいいと思うので、当時の色を再現し、ミス修正したほうがいいと思うし、ベストな仕上がりを想像して作るべきだと思う。

また、制作方法材料は当時の方法材料踏襲すべきか?という議論もある。

これについて私は、絵を通じて表現たかたことが大事だと思っていて、当時のなかった便利な方法材料も使っていいと思う。

当時の職人だって、もしそれを知ってたら喜んで使ったはずだ。わざわざ制作ハードルを上げて、彫り摺りのレベルを落としたら本末転倒だと思う。

一応、私見は上のようではあるが、あくま私見だ。

結論としては、やっぱり答えはない。

ただ、手にとって楽しめるのは複製の利点なので、ぜひ触るべきだと思う。

追記追記

世界で一番ゴッホを描いた男」というドキュメンタリー作品がある。

10万枚も複製画を描いた男が、ゴッホオリジナルをみるためオランダに行き、初めてみたホンモノにうちひしがれる話だ。

取引先の画商は、

そっくりだ。ホンモノとすり替えてもわからないよ」

というけれど、本人には悔しくてたまらない。

たぶん、画商の言葉はお世辞じゃなくて本当にそっくりだと思ってるんじゃないかな。

ホンモノは、こういう人にだけ鑑賞させてやって、一般人は複製画で十分だ。

美術館でありがたく鑑賞する程度では、ホンモノとニセモノを見分けるような目は持てない。

2025-03-22

人生の中でモブになりたくないと考える人割合が増えている

昔なら英雄王侯になりたいと思うような庶民はそうそう多くなかった

今の時代だとなろうでなんの取り柄もないサラリーマン中世に転生して現代知識を使って無双するのが当たり前になった

なんの取り柄もない庶民が愚かな土人相手マウント取る夢を見るのが当たり前の社会になった結果として現実で侘しい生活をしている弱者男性ますます現実との格差に耐えきれなくなりカルトに傾倒していくようになった

トランプ信者国民民主信者の特徴は日々の積み重ねを面倒くさがって行わずに一発逆転しか期待しないアンチ努力カルトということだろう

本当に優秀な人は努力必要コストとして勘定に入れている

2025-03-03

anond:20250303161122

そうか?

フランス革命民衆が多数であることを武器王侯貴族ギロチンかけまくったのを見るに、

そしてそこからの怒涛のほぼ世界を巻き込んだ「弱者にも人権を!」活動の主な活動者は男であることを鑑みるに、

弱者戦略は男にもあるわ

女と同じ形じゃないので「理解できない」「理解したくない」というだけじゃない?

 

江戸では、往来でケンカして劣勢になったほうが地面に大の字でひっくり返って

弱者に過度の手出しできない」を逆手にとったタンカを切ったというが

 

現代のそれは、バカ論理理解できなくなったときに勝とうとして言う

「頭のいい人って、バカにもわかるように説明できるんですよねえ!」がそれ

「俺にわかるように説明できないお前はバカ」というマウント

 

>男の場合ホモソーシャルにおいて弱者ポジションを取って利益を得られることが一切ないから、女の弱者生存戦略に対する共感や同情は一切ないんだよね

2025-02-01

火鼠の皮衣とはアスベストのことだった

昔々、東の国の片隅に、奇妙な伝説ささやかれていた。そこでは、夜ごと空を駆け抜ける小さな火鼠(ひねずみ)が、赤い炎をまといながら舞うと信じられていた。その火鼠は、伝説上の魔除けであり、また奇跡を呼ぶ存在として、村々の守護神とされていた。とりわけ、その姿を模した「皮衣(ひがた)」は、かつて尊い宝衣とされ、王侯貴族の間で愛用されたという。

しかし、時は流れ、科学進歩するにつれて、その伝説に隠された真実が、ひとりの学者によって解き明かされることとなった。近代研究者藤原博士は、古文書民間伝承を丹念に調査し、ある衝撃的な事実に辿り着いたのである。それは――「火鼠の皮衣」とは、決して神秘的な魔法の布ではなく、実はアスベストのことであったというのだ。

伝説真実狭間

藤原博士が調べ上げた文献には、かつて火鼠と呼ばれる生物が持つ、極めて耐熱性に優れた皮膚の性質が詳細に記されていた。古の人々は、その皮膚が炎をも跳ね返す不思議な力を持つと信じ、神聖視した。しかし、現代科学の目で見ると、これらの性質は天然の繊維ではなく、鉱物からなる微細な繊維、すなわちアスベスト酷似していることが判明した。

アスベストは、その耐熱性と耐火性の高さから、かつては建材や防火服などに広く使用されていた。しかし、その後、健康被害が明らかになると、使用は厳しく規制されるようになった。藤原博士は、古代の人々が、偶然にも採取されたアスベスト鉱石の粉末や結晶が、火鼠の皮膚のように見えたために、神秘的な伝説が生まれたのではないかと推測したのだ。

神話から現実

火鼠の皮衣――つまりアスベストが持つ独特の光沢と、炎を遮るかのような耐熱性は、まるで生きた火鼠の皮膚を思わせた。そのため、古代鍛冶屋織物職人たちは、この不思議な素材を用いて、防火のための衣服や装備を作り出そうと試みたという。しかし、アスベストの取り扱いには細心の注意が必要であることは、現代知識によって初めて理解されたものであった。

この発見は、伝説科学が交わる稀有な瞬間であった。古来、火鼠にまつわる言い伝えは、単なる神話幻想に過ぎないと思われていた。しかし、藤原博士研究によって、古の人々が実際に手にした「魔法の皮衣」が、現実物質――アスベスト――であったという事実が浮かび上がったのだ。

伝説の再評価

この新たな視点は、我々に伝統科学神話現実関係再考させる。かつて恐れられ、神聖視された火鼠の皮衣は、実は自然界に存在する鉱物奇跡的な結晶であり、人々はその美しさと不思議な力に魅了された結果、神話として語り継いできたのかもしれない。

現代においては、アスベスト危険性が広く認識され、使用制限されている。しかし、かつての人々がその特性に魅せられ、火鼠の皮衣という美しい物語を紡いだことは、科学が解明する前の人間感性と、未知への畏敬の念物語っているのだ。

こうして、「火鼠の皮衣とはアスベストのことだった」という衝撃の事実は、伝説科学狭間存在する微妙真実私たちに問いかける。かつての神話は、単なる幻想ではなく、人々が自然の驚異に向き合った結果生まれた、知恵と感性結晶であったのだ。

2025-01-24

anond:20250123193945

革命人民の敵として処刑された王侯貴族

独裁政権が倒れて人道に対する罪終身刑になった党幹部

「親や先輩たちと同じことをしていただけなのに、俺は運が悪い」

と思っただろうから時代が大きく変化する時にこういう生贄になる人が出るのは仕方が無い。

2025-01-07

なんでリゼロの作者はそんなにメンヘラ好きなん?

なんでリゼロの作者はそんなにメンヘラ好きなん?

レムみたいに都合が良くない、めんどくさくてむしろ主人公に都合悪いけど放っておけない、悪人だけど目が離せないをやりたいのかもだが、

エミリア魔女特別存在にするために他人のことふみつけ過ぎなんだよなぁ 

 

転スラとかもご都合で好きじゃなさそうなんだけど、現代日本からの転生者なので現代倫理観を持っているはずなのに、

ファルムス王国兵士1万人を大虐殺王侯貴族ならともかくファルムス王国の下々の者は命令に従うほかない)して、ふわゆる生活してる魔王リムルと、

エミリア魔女やそれと仲良しパックとバルスがやってることはひとつも変わらんのよな・・・

 

転スラの魔王リムルに『嫌悪感』とか『ハイハイ、いつもの』って感情持つ層は、エミリア魔女や仲良しパックやバルスにも同じ感情を持つよ?

パブリックエネミーではないだけ、テンプレご都合女のレムのがええやん

とはいえ、レムが別に好みではないワイ的には、レムはバルス殺したのにチョロ過ぎん?としか思わん。レムもラムメンヘラだが脅威度が他のメンヘラキャラよりは低いだけ)

 

あと、現代日本倫理観持った転生者ならそうはならんやろ・・・な場面は度々あるが、転スラはリムルのための世界ってわかりやすさがあるじゃない?

いちおう魔王だし、たぶん、転スラはふわゆるクライムものなんやろ(?) リムルが好きな人は、ままならない現実鬱憤リムルで晴らしてるって分かり易さがある

 

一方リゼロは、主人公バルスエミリアと二人だけのための世界じゃなくて、無限に湧き出てくるメンヘラ(主に魔女)のための世界(人々は踏みつけられる)だから

スッキリしないというか、延々と不倫ロマンス言い訳を聞かされているようなのよね

不倫という行為自体が持つ倫理的問題が、当事者の「正しさ」とは別の次元にあるのと一緒)

 

倫理的問題のある行動を安易正当化するような描写が続いてOK(爽快感や納得感がある)は、

グラセフみたいなクライムゲームか、モヒカンヒャッハー主人公場合に限るんじゃねぇかな・・・

倫理的問題のある行動を延々とロマンス萌えとして消費し続けて受け取り手が喜ぶのは、鬱エロゲーに限るんじゃねぇかな・・・

2024-10-23

anond:20241023150417

違う違う、王侯貴族がいたら倒すのが民主主義なんだよ。

女はちゃんと働けってこと

2024-10-06

anond:20241002102125

直接繋がれる一部の太客(王侯貴族からメディア使用して広く浅く(大衆)にパトロンを変えるのは近世近代文化芸能の再演やね

2024-09-24

なぜ異世界転生が人気なのか説明

結論:他ジャンルより読む側、書く側の双方のハードルが低いか

 

現実社会舞台にして描くことのハードルが昔より上がってる

現実社会を題材にすると「これはあの会社のことか」」 「これはあの政治家のことか」 等々の連想邪推を招く。昔から「この作品フィクションです」という断り書きでそういうクレーム遮断する体裁はあるが、断り書きを書いてても消費者企業政治絡みや宗教絡みの諸方面からクレームを避けて通るのは難しくなっているし、〇〇警察の声はSNSを通して響き渡るようになり、昨今は海を越えてのクレームまで届く(昔なら海外舞台にすればクレーム回避できたのも、今だとできなくなりつつある)

 

映像的に派手にするのが簡単

アニメ化コミカライズなど映像化前提の話だけども、魔法モンスター王侯貴族の豪華な服装建築物など、ビジュアル面で派手な要素を入れやすい。実写はCG衣装ロケなどで高額の製作費が必要なので話は別だが、アニメコミックなら現実世界ファンタジー世界描写にかける手間やお金の差は比較的少なくて済む。

 

ゲーム一般レベルまで普及して説明ハードルが大幅に下がった

20世紀までだとファンタジーは「知らない人に説明する」ハードルが極めて高かった。「現実世界とあれが違う、これが違う」という説明をしてからでないとストーリーを進行させられなかったため。異世界描写する手間を考えたら、日本なら時代劇アメリカなら西部劇のように様式化された過去舞台にしたほうが説明する必要がなくて楽だったが、RPG共通言語を用意し、それを踏まえてハリウッドCG大作ファンタジー製作されて「ファンタジー世界はこういうもの」という共通認識が共有されて、説明の手間が大幅に減った。エルフドラゴン説明不要になった上に、レベルスキル概念までフル活用すれば説明の大半が省略できるようになった。

 

転生させると現代人の視点から説明解説を入れやすかった(やや過去形)

ファンタジー世界の住人だけで進めると「そこに魔法があるのが当り前」 「そこにモンスターがいるのは当たり前」なので説明台詞を入れられない。読者向け解説が手軽に欲しいとき異世界転生したか現代人の感覚を持ち込んで問答できるのは超便利。(いまは異世界テンプレートがかつての時代劇西部劇と同レベル共通認識となったので、転生者を入れなくてもファンタジー世界の住人だけで話を作るのも容易になった)

 

他より目立つので、実際のシェアや人気より悪目立ちしがち

異世界転生以外のジャンル(学園物やお仕事もの趣味活動ものなど)も普通に人気だし、比較的作りやすい(クレーム回避的な意味で)ので量産されまくってるが、異世界転生ジャンルは20世紀の頃はなかった(少なくともジャンルとなるほど量産されてはいなかった)のもあり、さら製作費的な意味で実写ドラマ実写映画になりにくくアニメコミカライズだけ先行してしまっており異質に見えてしまう。

2024-08-29

村上隆が何をやろうとしているのか理解して嫌いではなくなった

村上隆氏と左派論客斎藤平氏がReHacQ(高橋弘樹氏が運営するチャンネル)で対談している動画が4連続で上がっていてすべて見た。

※以下敬称略


結論から言うとこの動画村上隆が何をやろうとしているのかよくわかったので彼への嫌悪感はすべて消えた。

1動画40分近くあるので見るのは大変だと思うが興味深く見れたので余裕がある人は見てほしい。


一応言っておくとこれはあくまで私の個人的見解なのでその点には注意してほしい。

ざっくり動画の流れを説明すると斎藤幸平が布施英利と対談した際に村上隆が嫌いと悪口を言ったので、村上隆Youtube?にコメントを書きそれを見てチャンネル運営者の高橋弘樹が対談に誘ったという流れのようだ。

斎藤平氏マルキストなので拝金的に見える村上氏行為があまり好きではない

現在京都で開催中のもののけ展の展示内容を村上隆斎藤高橋、両氏に説明しつつ最後に対談という流れになっている。

そこで現代美術とは何か、芸術とはなにか、現代美術マーケットがどのようになっているのかという基礎的な内容を質疑応答形式確認していく中で村上隆がどのようなことをやってきたのか、目指しているのかという事も語られていく。

村上隆顧客forbes上位に入るような超大金持ちであるだとか、日本人想像もできないような西洋お金持ちの間でアートはある種のコミュニケーションツールとして機能しているだとか。斎藤氏や高橋氏のアート素人目線から質問として、アート大衆に開かれるべきなのでそれほどの高額でアートがやり取りされるのがどうなのかという質問などもあった。


ただ、結局動画の内容を見た上で私が理解した村上隆がやっている事というのは以下のようだ。

西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアート文脈日本アニメ漫画といったオタクカルチャースタイルアートである認知させるため芸術活動をしている」ということだ。

それゆえに、彼のアートは"芸術の枠を拡張する"という典型的現代美術ということになる。

これは別の動画漫画家の山田玲司チャンネル)で言及されていたが、村上隆はもともとは典型的第一世代オタク宇宙戦艦ヤマトファンであった。そこでアニメ業界に憧れはあったが庵野秀明作品が続けざまに放映されるのを見て業界を諦めたらしい。その結果彼はアニメ以外に興味のある分野として日本画を専攻することになる。

まり根本的な動機としてアニメは素晴らしいものなので世間に認められるべきだというものがあり、それがスーパーフラットという概念アニメ漫画日本画も同じような手法を使っており、同じようなシステム体系であり、アートである」という主張に繋がることになる。

からオタクカルチャー世界に認めてもらう手段として、西洋ハイソサエティコミュニティ顧客とし、自分作品をその人たちに売るという行為につながる。

彼はしばしば「高額で売ることが重要なのではない」と言うがこのロジック理解すると容易に彼のアート発言意図がわかるようになる。つまり西洋アート文脈支配しているハイソサエティオタク系の作品アートである認知してもらうには彼らのマーケットに入り込みそれらの作品を売り込む以外に方法がないのだ。だから値段は顧客勝手に決めることになるし、高く売ることが重要ではないという事になる。目的を達成するための単なる手段に過ぎないわけだ。

またそれが彼の作品オタクカルチャー作品をパクったかのような作品群が混じる理由でもある。動画のなかでドラえもんソニックを混ぜて作った作品がある(ルックとしてはミッキーマウスに似ていたためにディズニーに買われたらしいが)

これはつまりドラえもんソニックを混ぜて作った作品美術マーケットで売れたということは大本であるドラえもんソニックアートである。という論拠になる。むしろ元ネタがある作品をあえて作ることで"漫画ゲーム作品アートである"という事になる。


"世界アートはいったい何なのかという概念を決めているのは西洋を中心とした大金持ちの上位層である"という彼の視座から見ると、日本人資本主義に組み込まれてすらいないとか、敗戦国の悲哀等という発言意図理解できる。

アートはいったい何なのかというルールを決める場に日本人存在しない。

からその世界に入り込みその概念のものを拡大して自分の好きなオタクカルチャーアートである概念を変容させる。


アニメゲーム制作者や漫画家がエンタメとして世界に売り込むことで楽しんでもらい大衆という社会階層の下からオタク世界拡散している。一方で村上隆がやっていることは世界の上位層に対してオタクカルチャーを広めオタク拡散することだ。

つまるところ上から攻めるか下から攻めるかの違いに過ぎない。

1990年代以降実際にオタクカルチャーは全世界拡散し人気を得てきた。私もアニメ漫画を楽しむ人が世界中に増えることは純粋にうれしい。直近でもご当地初音ミクに感動した人もいたはずだ。


から私は村上隆がやろうとしている事に反対しないし、もう嫌いではなくなった。



追記

幸いいくつかブコメが付いたので補足する

からこの趣旨発言はしてて、それをオタク文化収奪と見る界隈から批判されてた。ドラえもんソニックを混ぜた作品アート領域で認めさせてくれたかオタクの味方!というのはむしろ議論が後退してる気が

はっきり言うが、村上隆文化盗用だと批判されたのはオタク部族主義トライバリズム)が原因だと思うので"村上隆オタク第一世代である"という部分が広まれば相当数その批判は収まると思う。もともと知っていた人はいると思うが、今回かなりのコメントで"村上隆オタクのとしての過去の部分をここまで詳しく初めて知った"という意見が目についたので。


NHK番組集団体制というか起業して雇用者を支えながら制作しているのをみて、普通に企業家だと思ったよ。

これもクリティカルな部分で、では集団製作アニメアートではないのか?アシスタントを使っている漫画アートではないのか?

というところにロジックバックボーンとしてある。まぁ要するに高畑勲みたいに絵を描けなくて指示して作らせても別にアートだろということ


同じ文脈だとルーヴルで展覧会をやる荒木飛呂彦の方が好ましいか

トラバにも書いたけど、もともと王侯貴族のものだった芸術フランス革命ルーブル美術館の門戸を開いて大衆に開いたという文脈がある。つまり展覧会とか美術館で公開するのはあくま大衆アートを広めるのが目的であってハイソサエティアートを変容させるという事にはならない。日本人から見るとルーブル美術館は権威だというように見えるかもしれないが、あれは権威が"大衆"に啓蒙するという文脈がある。


コミックとかを芸術にするのってロイリキテンスタインがすでにやってて、その土壌がすでにあるうえでヲタク文化を単にスライドで持ってっただけに見えるから嫌われてるんでは?

コミック西洋のものであって、日本のものではない。村上が広めたいのはあくま漫画とかアニメといった和物(より狭義に言えばオタクカルチャー)。そして西洋人がアートを決めてるんだから西洋のものアートとみなされるというのは当たり前だと思う。

ただ、村上隆発言を見て分かったけど、彼の思想は明確にナショナリズム日本)やエスニシティー(アジア人)を強調してる。これは日本のものである漫画アニメを広めたいという思考で直線的に結びついている。今回の動画で弥助問題言及したのは非常にわかやすい。つまりはてなリベラル左派と相性多分悪い。

2024-07-13

その昔、Twitterの青バッジは王から下賜される爵位のようなモノだった

王以外にその地位を与える者は居らず、与えられた者は「王の威光」を背景にその言動価値を示した。

王の判断が全てであった。

それが今となっては、金で買えるありふれた画像になった。

それ以上でもそれ以下でもなく、爵位価値は失墜し泥にまみれた。

イーロン・マスクの青バッジ運用に関してEUから文句が出てるが、青バッジ運用が誤解を生じるってのは理屈としてはもっともだ。

ただ、それはそうなるようにイーロン・マスクが仕向けたのだろうと思う。

爵位だった青バッジは「イーロン・マスクが壊したかったTwitterのもの」だったのだから、青バッジ廃止して新たな課金者用バッジを制定するのでは意味が無かった。

王侯貴族を打ち倒し同時に収益源ともなる、イーロン・マスクにとっての理想的施策だったのだろう。

ただ、王侯貴族を打ち倒した後に残ったのがゾンビ詐欺師楽園ってのがイーロン・マスクの望んだ事だったのかは分からないが。

2024-04-28

ファイアーエムブレム、むさいオッサンと蛮族顔は仲間にならない。

ヴェスタリアサーガ1+公開記念で書くけど、

アニメ絵で描かれた王侯貴族美男美女を指揮する軍師様になって

思想や利害の一致しない相手正義の旗印の元に斬り捨てて称賛されるゲームなんてやってるとナチュラルに頭おかしくなるよ

GTAみたいなわかりやす暴力ゲームよりも100倍精神衛生に悪い。

 

ちなみに女子が好きそうなガテン系オッサンなら仲間になる。野蛮なのは切り捨てられる。 ガルシア(聖魔)、ドルカス烈火)、バアトル(烈火)、ワード(封

2024-04-26

改めて認識しよう!民主主義とは人口を背景とした意志権力分散

先日、大阪府の吉村洋文知事が0歳児に選挙権を認めるべきという考えを示し、コレに対して愚策であるとするブコメが散見するという事態になったけれどもそもそも民主主義とはどういうシステムなのか?」考慮すると、直感的に愚策判断するのもわからなくはないが、実際のところ愚策とも言い難い「決して釈然とはしないが案外悪くはない・・・」「いやでも意思決定に関して能力の低い0歳児に選挙権を与えるのは大人としてどうなんだ・・・」「でも認知症の人も選挙権持ってるしな・・・」と困惑する程度には真面目に考えたい案であるのは間違いないのだ。正直に言って困惑するくらいがバランスの取れた姿勢なんじゃないかと思うが民主主義とはどういうシステムなのか改めて認識してみよう。

民主主義とは人口を背景とした意志多様性により意志権力分散を発生させ意志権力一極集中を防ぐシステムである

まぁそもそもより新しい形が出てこない限り、現在の形の民主主義とは人口依存したシステム体系を持っていて、現在の形の民主主義ベース政治体制を持つ国家民主主義保全保護をはかるという意味では人口の源泉足る家族集団へ対してより多くの票を与えるという考えは愚策と断言できるほど頭の悪いものではないんだ(何度も繰り返しているが"現在の形の"である。将来はわからん)。

もう少し具体的に言わないと理解できない人も居るかも知れないから具体的に言うが、我々の国は民主主義を取ることによって天賦人権説が国と有権者によって肯定されており、即ち我々の国の天賦人権説人口依存した形で運用されているのだ。

我々の国は神のための国でなければ王侯貴族のための国ではなく人民のための国であるが、それは民主主義システムを背景として運用されており、天賦人権説言論の自由表現の自由信教の自由性愛自由も、あらゆる自由人口を背景として運用されているのだ。0歳児選挙権はこれを心の底からマジで認識してから考えなきゃいけない。

更に付け加えると、あまりにも傲慢でかつ悪逆非道物言いだが、LGBTQ+の性愛がなぜ違法でないのか?それはLGBTQ+の方々の懸命な活動によって我が国民主主義を突き動かし民主主義を背景とする我が国の法がLGBTQ+の性愛自由を認めたからだ。我が国の法は人口を背景として運用されているのだ。LGBTQ+の性愛自由人口に守られている。民主主義とはそういうシステムなのだ

民主主義とは人口を背景とした意志多様性により意志権力分散を発生させ意志権力一極集中を防ぐシステムであることを考えれば、事実上権力である政治家が0歳児選挙権を訴えることは自身に集中する現在意志権力を削ぐことを意味し、民主主義国家政治家の考えとしては不合格ではなく少なくとも合格ラインには触れる及第点以上は与えなきゃいけない考えなのだよ。

かに家族集団という意志権力へ対して意志権力一極集中をもたらすのはどうなのか?」というのは真っ当な批判であり、前述したLGBTQ+の方々や子供を持たない人たちが苦しい思いをするのではないか?という懸念もっとである。0歳児選挙権の大きな問題の1つであることは間違いないだろう。

このエントリ目的は「民主主義とはどういうものなのか?」と多くの人々が「0歳児選挙権へ対して直感的に愚策である判断して思考停止に陥ることを防ぐ」ことにある。

どうかご一考いただきたい。

2024-03-20

歴史観価値観遡及は当然です。

よくBLM運動過去偉人の像が倒されているのを、ネトウヨポリコレだとか過去現在価値断じているとか言うが、それは世界各国で当然に行われてきたことだし、これからも行うべきなのだ

例えばアメリカ正史ではイギリススペイン植民地住民専制権力支配する悪の勢力となっているが、独立前は当然、イギリス王や貴族は立派な人々と(アメリカでも)見做されていた。成功した植民地まれの人々は競ってイギリス製品を買い、イギリス王侯を模した生活をしていた。

独立戦争によって反英、反君主制が主流となり、アメリカ独自生活をしてアメリカ産品を買うのが立派な人間となった。そして遡って、それまで立派な人間とされていたイギリス王侯悪人とされた(なおイギリス王侯貴族を範とする文化内戦前の南部には残存した)。

フランスもそう。革命前は貴族こそが道徳的であり、平民は悪であった。

これらの価値観を独立革命によって転換しないなら、今もアメリカでは英王が崇拝され、フランスではルイ16世が崇拝されるのか。馬鹿げている。

2024-03-19

anond:20240317162442

日本の、最底辺基準を合わせる風潮はマジで何なんだ

アメリカ式の、まずは出来るやつをどんどん引き上げて

落ちこぼれたやつを最低限のセーフティネットで救い上げる方式しろ


このままだと大多数のまともな人間は使いつぶされる。


なぜ障碍者どもに王侯貴族かのように振る舞うことを許してるのか

一昔前は按摩やら三味線引きやら自助努力生活をしてきたわけ

今のやつらは甘やかされ過ぎて勘違いしている

さらに昨今の医療・製薬業界プロパガンダにより

あらゆる人間障害を抱えている"ことにされている"

ADHDだのASDだの、一昔前は人間扱いされていた人間が、人間扱いされないようになって

ああ、俺は障碍者から社会歯車として生きていかなくていいのだ、という免罪符を与えられる

俺もADHDの診断を受けたものの、薬物は使わずTool Assistedで何とか社会人として生きている

あのまま、医者の言われるがままに手帳を取っていたらと思うとぞっとする。


日本は何でもかんでも付加価値にならないところにお金と労力を掛けすぎだ。

そりゃいいところもあるよ。余裕があるからかい部分にフォーカス出来て独自文化が作られている側面もあるだろう

だが、それが行き過ぎて大多数の優秀な人間、善良な人間が割りを食うようになったらおしまいだよ


昨年、障がいを抱えながらも定年まで勤め上げた叔父が亡くなった。

晩年、彼はずっとこういい続けた

「人は社会性の動物だ。それを忘れてはならないよ」

こういう事例を見掛けるたびにそれを思い出す。

社会は、それに参加する人の良識によってのみ良いものに変わる

今までそれから疎外されていながらも、存在を許されていたはずの彼らが

社会の在りようを自分中心に定義するようになってしまえば、大多数の人間が苦しむようになる

これでは誰も救われないじゃないか

多様性時代存在を許すこと自体はいいし、出来る範囲さらなる快適さを求めるのはい

だが、それはあくま存在だけであって、社会の有限の余剰リソースを使ってそれが許されているに過ぎない

少数民族が大多数のリソースを使いつぶす社会絶対にうまくいかない

それはまるで、グリーンベレー少数民族に国を支配させたような植民地支配の形だ。

現代版の、障碍者による植民地支配を許してはならない。

我々は、お互いに謙虚でなければならない。


もう少し、お互いに思いやりを持って過ごしやす社会になることを強く望む。

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