『播磨国・龍野城』
兵庫県の西部、姫路市よりさらに西の揖保川流域に龍野という街がある。
この龍野の街の北の鶏籠山(けいろうさん)218mの山頂付近に国人赤松氏が築いた鶏籠山城があった。
そして南の山麓には居館が造られていた。
これらを称して、龍野古城と云う。
この城は秀吉の中国攻めにて落城させられ、蜂須賀小六正勝が城主となった。
その後城主は目まぐるしく代わり、京極高和がの四国丸亀への転府に伴い、城は破却となった。
その後、脇坂安政が龍野城主となり山麓部の居館のみの龍野城が新たに築城された。
遺構としては石垣が残っていて、現在、城域には幾つかの建造物が再建されている。
表紙の写真は模擬再建された隅櫓である。
そして、埋門や塀、それに本丸御殿も再建され、塀下の幼稚園もそれなりの外観で造られている。
龍野には有名なものが三つある。
一つ目は、童謡「赤とんぼ」の三木露風の産まれたところで、城近くの公園入口に歌碑が建っている。
二つ目は、播州そうめん「揖保の糸」。にゅう麺を近くのS茶屋で頂いた。
三つ目は、淡口(うすくち)醤油の発祥の地。大手メーカーの蔵が城下に建っている。
また城下にはこのような風景もある。
かつては食品問屋だった建物である。
竜野城は、脇坂家城主が10代続いた後、明治維新となり廃城とされた。