『京都・旧二条城跡』
京都市上京区烏丸下立売を中心に、東西は烏丸通りから室町通り、南北は出水通りから丸太町通りの間の約390m四方に築かれた旧の二条城跡である。
築城者は織田信長で、将軍足利義昭を奉じ、その居館としたものである。
二重の堀、三重の天守を持ち、内部には金銀を散りばめた豪華な城であったと云われる。
しかし将軍義昭は信長包囲網を画策するなどして信長に反抗したため、追放された。
その後信長は東宮誠仁親王を迎え入れて二条御所としたが、室町幕府の滅亡に伴い廃城となった。
そして解体され、資材は安土城建設に使われたと云われる。
その旧二条城の跡地の中心は現在、平安女学院の大学や高校、中学が建設されていて、女の園となっている。
表紙の標柱は大学本部の北に隣接して建てられている。
また少し南には、将軍足利義輝の館もあった。
遺構として、新二条城の西の端に石垣が移設されている。
これは地下鉄工事の時に発見されたもので、犬走りも見られる。
京の街の地下には、平安京や聚楽第、その他の遺構が沢山眠っている。
発掘調査と云う訳には行かないが、それはそれで工事の折に発見されたりするので、少しずつであるが楽しみと云える。