南海電鉄南海線31:岡田浦駅
大阪市中央区の「なんば駅」と、和歌山市の「和歌山市駅」を、それぞれ起終点として結ぶ、「南海電気鉄道 南海線(本線)」の各駅を、「なんば駅」から順に、途中下車で訪ねてみることにする。
今回は、「なんば駅」から30番目の駅で、大阪府泉南市の「岡田浦駅」である。
「岡田浦駅」で下車する。
駅は地上で、ホームは2面2線の相対式である。
駅舎・出入口は「なんば駅」行きのホームの北端にのみある。
駅舎を出て、駅北の踏切を東方向へ渡り、道路を進む。
進んで行くと、どこからともなく太鼓の音が聞こえて来る。
道端の電柱には、紅白の幕がまかれている。
この街も祭礼であろう。
更に進み、太鼓音の方向が分かったところで、その方向へと左折する。
すると、先に神社の玉垣と杜が見えて来る。
神社は「里外(りげ)神社」である。
鳥居を潜り参道を進む。
注連縄柱が建ち、その向こうは「拝殿」である。
「拝殿」の背後は3殿の「本殿」である。
「本殿」の祭神は、中央に「素盞嗚尊」、そして両側に「大年命」、「蛭子神」とされている。
この神社は、仁徳天皇の時代に、「機織」の守り神として「呉服(くれは)大明神」を産土神として創建されたとされる。
その後、霊火が東に飛び、老松に留まったので、その辺を調べると、一個の霊剣を発見したと云う。
その霊剣を神体として神殿を建て、「素盞嗚尊」を勧請し、岡田の集落の外であったので、「里外神社」と名付けたとされている。
拝殿の左側には、地車庫から2基の「やぐら」が顔を出し、祭礼に向けての整備と太鼓の練習が行われていた。
「やぐら」は左右の2輪車で、近づいてみると、彫刻は見事であった。
鳥居が建ち、4社の境内社が並んでいる。
左から、先ずは「琴平神社」である。
続いて、「稲荷神社」、「住吉神社」、「淡島神社」である。
他にも境内には、「神具庫」があり、「鳥羽上皇」に献上したとされる「鰈」が遊泳していたとされる「鰈淵(かれいふち)」がある。
神社を退出し、神社横を西へと進む。
神社横には「西信達(にししんだち)中学校」がある。
その横では、ここでも「やぐら」の手入れ中であった。(9月25日)
また、道路上には、祭礼に向けての提灯が吊るされていたのであった。
この地は「西信達」と云い、連合会には4基の「やぐら」が装備されているようである。
そしてこの地点で、「岡田浦駅」のミニ探索を終了したのであった。
今回は、「なんば駅」から30番目の駅で、大阪府泉南市の「岡田浦駅」である。
「岡田浦駅」で下車する。
駅は地上で、ホームは2面2線の相対式である。
駅舎・出入口は「なんば駅」行きのホームの北端にのみある。
駅舎を出て、駅北の踏切を東方向へ渡り、道路を進む。
進んで行くと、どこからともなく太鼓の音が聞こえて来る。
道端の電柱には、紅白の幕がまかれている。
この街も祭礼であろう。
更に進み、太鼓音の方向が分かったところで、その方向へと左折する。
すると、先に神社の玉垣と杜が見えて来る。
神社は「里外(りげ)神社」である。
鳥居を潜り参道を進む。
注連縄柱が建ち、その向こうは「拝殿」である。
「拝殿」の背後は3殿の「本殿」である。
「本殿」の祭神は、中央に「素盞嗚尊」、そして両側に「大年命」、「蛭子神」とされている。
この神社は、仁徳天皇の時代に、「機織」の守り神として「呉服(くれは)大明神」を産土神として創建されたとされる。
その後、霊火が東に飛び、老松に留まったので、その辺を調べると、一個の霊剣を発見したと云う。
その霊剣を神体として神殿を建て、「素盞嗚尊」を勧請し、岡田の集落の外であったので、「里外神社」と名付けたとされている。
拝殿の左側には、地車庫から2基の「やぐら」が顔を出し、祭礼に向けての整備と太鼓の練習が行われていた。
「やぐら」は左右の2輪車で、近づいてみると、彫刻は見事であった。
鳥居が建ち、4社の境内社が並んでいる。
左から、先ずは「琴平神社」である。
続いて、「稲荷神社」、「住吉神社」、「淡島神社」である。
他にも境内には、「神具庫」があり、「鳥羽上皇」に献上したとされる「鰈」が遊泳していたとされる「鰈淵(かれいふち)」がある。
神社を退出し、神社横を西へと進む。
神社横には「西信達(にししんだち)中学校」がある。
その横では、ここでも「やぐら」の手入れ中であった。(9月25日)
また、道路上には、祭礼に向けての提灯が吊るされていたのであった。
この地は「西信達」と云い、連合会には4基の「やぐら」が装備されているようである。
そしてこの地点で、「岡田浦駅」のミニ探索を終了したのであった。