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大阪モノレール6・南茨木駅

 大阪府門真市の「門真市駅」と大阪府豊中市の「大阪空港駅」を起終点とする「大阪モノレール本線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「門真市駅」から5番目の駅である大阪府茨木市の「南茨木駅」である。

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 「南茨木駅」で下車する。
 ホームの南方向に、早い時期に建設された高層マンション群である「南茨木ハイタウン」が見える。 
 そして、階下の改札内には、「モノレール文庫」もある。
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 駅を出ると、歩道橋から乗換駅である「阪急電鉄京都線 南茨木駅」が見える。
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 駅周辺には高速道路もあり、複雑な形をした陸橋を降りると、阪急駅前ロータリーにモニュメントが建っている。
 茨木市出身の美術家「ヤノベケンジ」氏の「サン・チャイルド」と云う作品で、東日本大震災の再生復興モニュメントとのことである。
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 南東方向へと歩き、「南茨木ハイタウン」のマンション群の間を通る。
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 マンション群を過ぎた所は公園である。
 「美沢公園」という。
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 「美沢公園」の東南の隅に城跡の碑がある。
 「沢良宜(さわらぎ)城跡」である。
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 「沢良宜城」は、勝尾寺衆徒の中でも絶大な権力を誇った「藤井三位」が居城としていたとされる。
 室町将軍が「足利義満」から子の「義持」に代り、「藤井三位」は旗本馬廻り衆として3000騎を従え、堺に進出してきた「大内義弘」を攻めたと云われる。

 また、「沢良宜城」は「茨木川」の下流に挟まれた3000坪の土地に築かれていたと云われる。
 その跡地は、この「美沢公園」、そして碑の西北側の城の主要部分は「南茨木ハイタウンとなっている。
  
 尚、「沢良宜城」は「応仁の乱」の頃、廃城になったと云われるが、その原因は明らかにされていない。

 城跡の東側には城の鎮守社でもあった「式内社 佐和良羲(さわらぎ)神社」が鎮座していて、この神社は現存している。
 一ノ鳥居を潜ると、幅広く長い参道が続く。
 3000騎を抱えた城内の馬場であったと云われている。
 そして境内である。
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 そして、二ノ鳥居を潜ると、拝殿・本殿である。
 本殿の主祭神には、「加具土(かぐつち)大神」が祀られている。
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 尚、1970年の大阪万博を機に、阪急南茨木駅が設置されたが、その時、弥生時代の銅鐸鋳型を始め住居跡や土器などが多数発見されている。
 そして鋳造工房跡などは、約2千年前にこの地にあった「さわらぎ遺跡」とされている。
 その名付けは、「金属器」を表す「さわら」と、「村」を表す「ぎ」が組み合わされたものとのことである。

 そしてこの地点で、「南茨木駅」のミニ探索を終了したのであった。

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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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