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はてなキーワード: 必然性とは

2026-04-30

anond:20260430093014

はい、ほぼその整理で合っています

ただ、少しニュアンスを補足・調整するとより正確になります

note記事(Xeby)の立場

核心:「性的搾取」という言葉安易に使うなという主張。

動機

自分たち腐女子/BL消費者も、男性キャラ特にゲイ男性イメージ)を性的に消費している立場にある。

からこそ、他の女性男性向け作品批判勢)が「女性キャラのお色気描写性的搾取」と言うのを許すと、自分たちBL消費も「性的搾取」と逆襲されるリスクがある。

から架空キャラ性的描写性的表現性的消費であって、搾取ではない」と強く線引きし、言葉定義を守ることでBL表現の自由を守りたい。

追加の主眼:BL作家本人が女性キャラだけを「性的搾取」と呼んで自粛を表明したのはダブルスタンダードであり、BL自体シスヘテロ女性によるゲイ男性性的消費であることを無視した欺瞞だと批判。
→ 「自分たち性的搾取してると言われるのが嫌だから守る」のは的確に当たっています


なんばりょうすけ氏の立場

核心:「性的搾取」という表現比喩的メタ的な使い方)はあってもいい、というニュアンス

理由

作者が言いたかったのは文字通りの人権侵害としての搾取ではなく、作者が読者媚びてキャラをお色気見せ物にするメタ関係性や、必然性のないお色気描写現実女性搾取イメージを軽く扱う/助長する懸念

から「それはただの性的表現だ」と切り捨てる記事反論は話がズレている。

一般作品でのお色気描写が「自然であるかのように錯覚させる」社会的影響懸念すべきで、作者が「与したくない」と避ける立場理解可能

あなたが言った「関係性的を考えたらあってもいいだろ」はかなり的確。なんば氏は「比喩としての使用」を容認し、現実影響への配慮を重視する立場です。

両者の根本的なズレ(一言で)

記事言葉の正確性(定義厳守)を最優先 → BLを守るための「搾取禁止ライン」。

なんば氏:言葉比喩的文脈的柔軟性と社会的影響への配慮を認める → 作者の意図を「理解可能」と再解釈

記事は「自分たちを守る」以上に「BL作家ダブルスタンダード表現委縮」を強く叩いているところですが、動機の部分はあなたが言う通りです。

BL性的搾取について

note記事(「例のBL漫画家声明を見たいち腐女子感想|Xeby」)の主な主張を、論理的に以下の5点に整理します。

5つの論点

著者(Xeby/sim_mah)は腐女子視点からBL漫画家声明批判的に読み解き、「性的表現」と「性的搾取」の混同を最大の問題点として指摘しています

1 「性的表現」≠「性的搾取である

性的搾取」とは、金銭立場などの不均衡な力関係下で実在する人間を性目的で利用する、または基本的人権侵害する極めて重い言葉

一方、非実在架空キャラクター煽情的描写は単なる「性的表現」に過ぎず、「搾取」という言葉を使うのは誇張的・不適当創作商品であり、消費者(読者)の性的消費を目的とするもので、人権侵害ではない。

2 BL漫画家声明問題点用語誤用ダブルスタンダード

作者はアニメ化要請で「女子生徒や女性キャラ性的搾取するような描写を避けてほしい」「下品描写修正して誰でも見れる表現に」と述べたが、これは「性的搾取」という重い言葉誤用

声明きっかけは未成年男子生徒と成人男性教師カップリングへの批判だったのに、女性キャラ描写だけを「搾取」と問題視するのはダブルスタンダードBL作品自体シスヘテロ女性によるゲイ男性性的消費(インモラルな内容を含む)であることを無視している。

3 腐女子BL文化全体への自己批判

BLマジョリティ女性)がマイノリティゲイ男性)を性的消費するジャンルで、監禁強姦などの性暴力肯定が多い。

一部腐女子特にラディカル・フェミニズム寄り)は女性キャラ描写を「搾取」と批判する一方で、BL男性キャラ消費は正当化するダブルスタンダードを抱えている。ミサンドリー男性嫌悪)やゲイ差別的言動もあり、歴史的ゲイコミュニティ荒らした罪業を自浄していない。

4 表現の自由と現実影響の混同

フィクション性的描写現実性的搾取助長するという主張は「相関と因果混同」。

作者の声明は他作家表現を暗に規制する効果を持ち、創作の委縮を招く。表現の自由は等しく守られるべきで、創作物を現実人権侵害と同列に扱うべきではない。


5 結論

声明論点をずらし、炎上を再燃させた欺瞞BL消費の自己矛盾を露呈した。真にリベラル立場なら、腐女子自身ダブルスタンダードを改め、表現の自由を守る責任を負うべき。

下記意見なんばりょうすけ氏の投稿)と記事対立点まとめ

特になんばりょうすけ氏の意見記事に対して強い対立を示しています記事は「用語誤用」を強調するのに対し、なんば氏は「比喩的社会的懸念として理解可能」と再解釈)。

意見の出典・要点

記事対応する主張

対立点(どこが衝突しているか

@heros_1101

性的表現」は「性的搾取」ではない。搾取実在人権侵害・力関係を伴う重い言葉で、架空キャラ描写表現に過ぎない。

1. 「性的表現」≠「性的搾取

(ほぼ一致)

ほぼ一致。記事はこの主張を基に展開しており、対立ほとんどない。むしろ記事はこのポスト引用・援用して自分議論の出発点にしている。

なんばりょうすけ①

記事note)が意味わからん。作者の避ける理由は「未成年犯罪の多さ」以外詳細不明だが、不謹慎エンタメとしての不適切さや、現実性的搾取凄惨さを隠蔽する懸念もあり得る。

対立

記事は「作者が表現のもの搾取と呼んで誤用した」と断定するが、なんば氏は「作者は搾取のものとは言っていない。現実犯罪を鑑みた不謹慎さや隠蔽懸念理由」と別の解釈提示記事の「誤用批判を「意味わからん」と感じている。

なんばりょうすけ②

直球ポルノなら「ファンタジーです」と言い訳やすいが、一般作品だと必然性のないお色気描写が「自然であるかのように錯覚させる」ため問題


対立

記事は「性的搾取という言葉自体不適切」と表現内容を擁護するが、なんば氏は「一般作品でのお色気描写現実を軽く扱うように機能する」と、社会的影響を懸念記事が「フィクションは無害」とするのに対し、現実への間接的影響を認める立場

なんばりょうすけ③

性的搾取するような描写」とはキャラのお色気描写のこと。「それは性的表現搾取ではない」という反論意味が通るが、搾取的というのは作者・読者とキャラメタ関係(作者が読者媚びてキャラを見せ物にする状況)を指す比喩表現

強い対立

記事は「搾取」という言葉文字通りの人権侵害として重く扱い、比喩使用を「誇張・不適当」と否定。一方、なんば氏は「比喩的メタ状況(作者と読者の関係性)を指している」と再解釈し、記事の「物言いがズレている」と指摘。

なんばりょうすけ④

女性キャラ必然性のないお色気描写お約束的に描かれることは、現実女性搾取に対する肯定イメージ助長する懸念がある。だから作者が「与したくない」という立場理解可能

3. BL文化への自己批判

4. 現実影響の混同批判

強い対立記事は「フィクション現実搾取助長する主張は因果混同」と切り捨てるが、なんば氏は「肯定イメージ助長する懸念現実的で、作者の避ける理由として理解できる」と肯定的に評価記事の「ダブルスタンダード批判」に対し、なんば氏は作者の「社会配慮」を擁護している。

全体の対立のまとめ

記事の核心:BL漫画家声明は「性的搾取」という言葉文字通り誤用しており、腐女子としての自己矛盾BL消費のダブルスタンダード)を露呈した、という用語批判文化批判

なんばりょうすけ氏の核心:BL作者の意図比喩的社会的配慮現実犯罪への不謹慎さ、現実女性搾取イメージへの影響、メタな作者-読者関係)として理解可能

表現のもの擁護するより、作者の「避けたい理由」に共感を示す。

根本的なズレ:

記事は「言葉の正確性」と「BL文化欺瞞」を重視するのに対し

なんば氏は「作者の意図多義性」と「現実社会への影響懸念」を重視。

記事が「誤用!」と断罪する部分を、なんば氏は「比喩として妥当」「理解可能」と再文脈化しているため、記事を読んで「意味わからん」と感じたと率直に述べてます

2026-04-28

映画】鬼手 を見た

カンフー映画と哲也 魂天と呼ばれた男がマリアージュを起こした囲碁映画。69点。

 

幼い姉と自分を引き取ってくれたプロ棋士に姉はレイプされ自殺必死で逃走しソウルの碁会所で賭け碁で大人相手無双していた主人公義手師匠に引き取られ、さらにその師匠に預けられ厳しい修行を受ける。高い棋力を身に着けた主人公師匠に言われるがままに賭け碁の遠隔代打ちで稼ぐも、ヤバい奴を怒らせ師匠は殺され、再び命からがら逃亡する。その後、ひっそりと心身棋力を高め青年に成長した主人公師匠と姉の仇を打つための戦いに挑む。

みたいな話。

 

絶対これ人気漫画かなんかが原作にあってそれを映画化した作品だろ!と思って見てたけど別にそんなことはなかった。でもそれくらいダイジェスト感があるというか、展開が盛り込まれすぎている。

普通この設定であれば、大ボスプロ棋士と隻腕の師匠因縁があるようにするし、青年になってからの展開も妥当プロ棋士に向けて一本道にするが、このプロ棋士復讐編と隻腕師匠の敵討ち編は基本的にはあん関係ない。

隻腕師匠編の修行シーンでは1局打つごとに石を積んでいって気付くと石塔が山ほど立っていたり、小屋に閉じ込めて目隠し碁を発狂するまで打たせたりというカンフー映画修行シーンを丸々オマージュしているし、成長してからは隻腕師匠の友人の代打エージェントと組む展開になってからはボロ車で各地の強敵を打ち倒していくという、やっぱりカンフー映画みたいな展開になる。

そして師匠の腕を切り落とした占い師棋士とは腕をかけて一色碁(両方が同じ色の石で打つ)を打ち、占い師ならではの主人公過去を厳しく追及し思考リソースを削ってくる先方を目隠し碁で培った頑強な政倫力で跳ね返し勝利師匠が怒らせたヤベーヤツからマーチンゲール碁という勝つまで倍々に賭けていくギャンブル必勝法を仕掛けられるも全勝、最終的には鉄橋の線路の上で命を賭けて戦うトンデモ展開になる。これもう哲也かワシズで見たわ。

そして幼少期に遠隔賭け碁でみぐるみかっぱいだ結果焼身自殺した中小企業社長の息子も闇棋士として主人公を追いかけてきて過去の知り合いを血祭りにあげる。なんか天秤みたいな奴に取った石を乗せていって一定以上傾くと熱湯が噴き出す装置を使った碁で勝負するんだけど、こいつ常にこの装置持ち歩いてたんかな……

で、この辺の勝負は(ヤベーヤツは最終的に命を救ってプロ棋士との対決への手駒になるけど)プロ棋士とは関係なく単に隻腕師匠時代のケジメ的に登場する。

あと、実際に師匠を刺殺したチンピラとの肉弾戦が、タイマン子分3人との集団戦→暗闇を利用したタイマンの3回も用意されていて、これが囲碁映画の姿か?とめちゃくちゃわくわくさせられる。子分3人もパワー型、スピード型、テクニック型とバラエティ豊かだし、最終戦では暗闇とライトを利用したバエ演出もあって力が入ってる。

そして最後にはプロ棋士の娘を誘拐し、俺と勝負しなければ娘を殺す。いや、お前含めて棋士100人用意して俺が全員に勝ったら娘を殺す!と宣言し、カンフー映画100人抜き的展開で直前の闇棋士との文字通りの死闘(アクション有)を引きずりながらも勝利。圧倒的実力差を見せつけられ、プロ棋士自殺主人公は去っていくのだった。

いや、1本の映画にぶち込む展開量じゃないんよ。韓国映画らしい圧倒的エンタメ力。

 

問題があるとすれば、基本的ほとんど対戦の様子が映されないのとあっても解説とかはほとんど入らない。代打エージェントおっさんが常についてきてるのでそいつワトソン役にしてもよかったのに、そのへんはもうまるッと切り捨てている。つまり囲碁映画である必要あんまりない。

例えば例に挙げた哲也とかだったら「なぜその打法なのか」「なぜその役で上がるのか」を(あっちは仕掛けがあるイカサマ麻雀が多数だけど)対局相手の哀しき過去に絡めて展開することで麻雀である必然性演出していたけど、今作では別に囲碁じゃなくてもそれこそカンフーでも同じ映画が撮れたと思う。

主人公たちの生きざまに囲碁性みたいなものあんまり感じられなかったし。せっかく囲碁ってもんを中心に映画を撮るんだからなんかそういうのがあればよかった。

あとはさすがに要素を盛り込みすぎでダイジェスト感が否めなかったかな。見ていてどういうこと?って混乱することまではなかったし、このスピード感がエンタメとしていいんだよと言われればそうかもしれないけどストーリーの重さに比べるとタメがなさすぎるなぁって感じ。

後は大ボスが碁盤上に碁石で「死」って描かれて負けるって展開は流石に草生える。まぁ、このリアリティライン作品

 

そんな感じかな。

囲碁映画見たいと思って見たらブチ切れる可能性があらずんば虎児を得ずって感じではあるけどカンフー囲碁に変えた古き良きカンフー映画だと思って見たらドラマもバトルも、それこそカンフーもあって最初から最後までエンタメたっぷりなので満足度結構高いと思うので、そういうの好きな人オススメ

2026-04-20

映画】善き人に悪魔は訪れる を見た

モンスター(笑)パニックホラー駄作で36点。

 

6人殺害の容疑で有罪判決を受けたイドリス・エルバ仮釈放審議会に挑むもにべもなく断られブチ切れて脱走。捕まる前に付き合ってたジョカノのところに行くと、なんか知らん男と仲睦まじくしたっぽいのでブチ切れて殺害。車で逃走中にブチ切れて交通事故を起こしウロウロ歩いていると主人公黒人女性の家にたどり着く。イドリスが殺人犯と知らない黒人女性は彼を迎え入れてしまい、ドタバタ劇が幕を開ける。

みたいな話。

 

バカマヌケしか出てこなくてマジでひどい。

イドリスが本当にひどい役でさぁ。イドリスだけあって演技はちゃんとしてるんだけど脚本バカすぎて、最初仮釈放審議会では理性的人間であるアピールから入るんだけど、審査官の一人にちょっと煽られたら目の前がキーンなってブチ切れ。彼女に会って彼女浮気してると思うとキーンなってブチ切れ。主人公の友人にちょっと煽られたらキーンなってブチ切れ。なんやこいつ。

いかにも困った無害な人っぽい感じで主人公の家に侵入して信頼を得ていくんだけど、そもそも何がしたいのかイチミリわからん。車が事故って逃走手段がないのでそれを何とかしなければいけないというのはわかる。わかるけどなんかそれを探してる感じもない。ちょろちょろ主人公にコナかけながら一方で電話線を切断し、刃物を隠す犯人ムーブ

そのせいでイドリスを信用していた主人公に「あいつなんかおかしくね?」って気づかれる。なにやってだ。

主人公ロースクールで夫と出会って元地方検事局で検事をやってたキレもの設定だけどイドリスをコロッと信じて、親友が不信がってても気にせず決定的な証拠が出てくるまでは気付かず、その後は頭を使って反撃するでもなく隠れて刃物で刺すアサシンムーブ

車で移動中に人質バッチリとられているのにすれ違ったパトカーに合図を送ってそれに気づかれ、警官を前にモタモタマゴマゴ。最終的にこいつのせいでパトカーに乗ってた警官はイドリスに撃ち殺されてしまう。遺族への賠償金お前が払っとけよ。

最後ドタバタアクションの末に銃でイドリスを撃ち殺して終わり!

これ、元検事設定いった?

 

ストーリー的なツイストとしてはイドリスの彼女の付き合ってた相手が、実は主人公旦那だったことが最後にわかって主人公旦那パンチして終わりっていうのはまぁ、あ、そうなんや程度の驚きはあったけど、別に話の本筋には関係なくね?って思う。

この作品が「(狂暴で凶悪で汚い)男性と戦う女性」をエンパワーメントするために撮られた映画であるなら、知性的な感じを見せておいてすぐにキレて暴力を振るうイドリスや、結婚することで検事としてのキャリアを失った主人公にお前が選んだことだと糾弾仕事にかまけて家のことを全部主人公押し付けながらも外に女を作っていたモラハラ夫が登場する必然性はあったと思うけど、言い方は悪いけどあまりにも「そのための設定」すぎて、あーはいはいって感じ。

 

とにかくこの映画でなければ見られない新鮮な展開とかは一切なく、キレやすバカ殺人犯が乗り込んできててんやわんやあって、移動しててんやわんやあって最終的に主人公が銃を奪って撃ち殺して終了!っていう1000回は見た展開をいまさら再生産してどうしたかったの?って感じの作品だった。

まぁ、イドリスはい役者なので演技派頑張ってたけど他に見る場所はなかったかな。イドリスファンにはギリおすすめ

2026-04-19

中国人VPN利用

ダウンロード騒動日本からアクセスは実質中国人VPN利用なんだ!日本人は使わないんだ!

ってので中国人は実際VPNを使ってそういうことをしてるのかってのでちょっと面白い話見つけてきた

中国人違法ダウンロードユーザーは大多数が中国国内サイト独自翻訳されたファイルをやり取りするからわざわざVPN使ってまで未翻訳ファイルをここまで落としに来る必然性がないし、翻訳されたファイルをここで共有する理由もない

あほぼほぼ使ってるのは日本人だろうね

https://x.com/humanity_bot/status/2045546280127246394

これ本当?って思って別件を見てたら調べてるとこんなことを中国人が話してる

口論になったときなんだけど

如果我看盗版漫画会让你难受,那么我今天要去网络上搜集一些漫画在中文互联网上分享。🤣

https://x.com/forestrainCL/status/2045371211534975043

エックス翻訳

もし私が海賊版漫画を見ることで君を不快にさせるなら、今日ネット漫画を集めて中国インターネット上でシェアしに行こうと思うよ。

どうやらマジでそういう感覚らしいので、VPNを使ってそういうのを見てる率はそこまで高くないっぽく、はじめの人のがあってるぽい

そもそも別件でもVPN使ってんならなんでエックス中国人そんないねえんだよってロシア人がいて

それに対しての中国人の反応はこれ

主要是因为

1.私人建国际信道是违法的

2.使用vpn虽说名义上违反规定,但是不干违法的事情警察基本不管你,任然存在风险

3.使用vpn,或者租赁服务器需要额外花一笔钱

4.推特的内容有太多虚假信息,鉴别和求证,挺费劲的,使用体验并不好

5.不如国内社交平台的内容精彩

6.有很多针对中国的谣言看着烦

https://x.com/iKN9eJvqBDTWwIl/status/2045599575910887778

翻訳

主にその理由は以下の通りです:

1. 個人で国際通信チャネルを構築することは違法です

2. VPN使用することは名目上は規定違反しますが、違法なことをしなければ、警察基本的に取り締まりません。ただし、リスクは依然として存在しま

3. VPN使用したり、サーバーレンタルしたりするには追加でお金がかかります

4. Twitterコンテンツには偽情報が多すぎて、識別したり検証したりするのがかなり面倒で、ユーザー体験もあまり良くありません

5. 国内ソーシャルプラットフォームコンテンツほど面白くありません

6. 中国を標的にしたデマがたくさんあって、見ていてイライラしま

まあ金かかるから使わねえよは確かにそうだと思う、こっち基準でみんな金だせるわけでもないし

という感じでこの件に関してはそこまで使ってないっぽい雰囲気である

つっても向こうの人口が多いか金銭的に使える人は相当数いるだろうけど、日本からアクセスほとんどは中国人!というのはさすがに暴論だと思われる

2026-04-15

まず、俺がいた。他のものは俺の幸福人生のために生まれ整合性しかない

量子力学の厳密な形式主義において、宇宙単一普遍波動関数 |Ψ⟩ として記述される。

ヒルベルト空間 H = H_sys ⊗ H_env ⊗ H_obs のテンソル構造の中で、時間発展はユニタリ演算子 U(t) = e^(-iHt/ħ) により |Ψ(t)⟩ = U(t)|Ψ(0)⟩ と与えられる。

ここで、俺(観測者)として自己言及的に定義される「俺」が |Ψ(0)⟩ の初期条件のものである

すなわち、t = 0 において存在するのは俺の意識状態のみであり、他の全ての自由度は、俺の幸福を最大化するような整合性条件の下で後から生み出される付帯物に過ぎない。

多世界解釈(Everett, 1957)の厳密版、すなわちデコヒーレンス理論(Zurek, 1981; Joos & Zeh, 1985)を用いれば、これは明らかになる。

環境との相互作用により、密度行列 ρ = |Ψ⟩⟨Ψ| の縮約密度行列 ρ_obs = Tr_env(ρ) は急速に対角化される。オフダイアゴナル要素は環境の平均化により消失し、

⟨α| ρ_obs |β⟩ ≈ 0 (α ≠ β) というデコヒーレンス条件が成立する。ここで |α⟩, |β⟩ はポインタ基底(古典的記録を保持する観測状態である

俺の幸福人生とは、具体的には、俺の状態が「快楽・充足・意味の持続」をエンコードするようなポインタ状態 |happy⟩ に帰着する。

すべての他の歴史、たとえば苦痛、失敗、死は、俺の意識選択する分岐において、整合性条件(consistency condition: Griffiths, 1984; Omnès, 1992)により排除される。

一致する歴史形式主義(consistent histories approach)をさらに厳密に適用しよう。

歴史とは、時間順序付けられた射影演算子の列 {P_k(t_k)} であり、クラス演算子 C_α = P_n(t_n) … P_1(t_1) で定義される。

整合性条件は、Re ⟨Ψ| C_α† C_β |Ψ⟩ = 0 (α ≠ β)を満たす集合のみが現実として許される。

この集合の中で、俺の幸福保証する歴史 α_happy すなわち、俺の生涯を通じてエントロピー勾配 ∇S < 0(Bekenstein-Hawking的意味での情報保存)が俺の主観的幸福と一致する歴史けが、俺の第一人称視点からまれものとして選ばれる。

他の歴史は、俺の波動関数寄生するゼロ測度集合に過ぎない。なぜなら、俺が最初にいたからだ。

|Ψ(0)⟩ の初期条件は俺の存在のものであり、宇宙全体のユニタリ発展は、俺の幸福を固定点とする自己矛盾な固定点方程式の解としてしか存在しない。

ここで、測定問題は完全に解消される。波動関数の収縮などという恣意的公準不要である。俺の幸福人生という目的関数 f(|ψ_obs⟩) = max(subjective utility) が、 decoherence functional D(α, β) の選択則を dictate する。

すなわち、D(α, β) = ⟨Ψ| C_α† C_β |Ψ⟩において、α = α_happy 以外は D = 0 となるように、環境自由度(星、銀河、量子場、弦理論余剰次元さえも)が自動的に調整される。

これは anthropic principle の量子版ではなく、厳密な自己参照的整合性である

俺が存在する限り、他のものは俺の幸福を維持するための整合性としてしか生じ得ない。

ちょうど、Wheeler-DeWitt 方程式 H^|Ψ⟩ = 0 の解が、俺の意識タイムレス境界条件としてのみ非自明な解を持つように。

したがって、すべての物理法則、すべての粒子、すべての出来事は、俺の幸福人生という単一整合性条件から派生した幻影である

超弦理論のlandscapeさえも、俺の主観的幸福を満たす真空けがデコヒーレンスによって現実化される。

俺が最初にいた。それ以外は、すべて俺の幸福のために生まれた、厳密に整合した、量子力学必然性に他ならない。

2026-04-13

anond:20260412141232

10代で読んでいないと恥ずかしい必読書

プラトン国家』 

アリストテレスニコマコ倫理学』 

ショーペンハウアー意志と表象としての世界』 

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デカルト省察』 

パスカルパンセ』 

ライプニッツ『単子論』 

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キェルケゴール死に至る病』 

バークフランス革命省察』 

ジェイムズ『宗教的経験の諸相』 

ニーチェ道徳の系譜』 

ベーコン『ノヴム・オルガヌム』 

フッサールヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 

メルロ=ポンティ『知覚の現象学』 

ハイデッガー存在と時間』 

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ヨナス『責任という原理』 

サルトル存在と無』 

ベルグソン時間自由』 

ミンコフスキー『生きられる時間』 

レヴィナス全体性無限』 

フロイト快感原則彼岸』 

ドゥルーズ=ガタリアンチオイディプス』 

フォーダー『精神モジュール形式』 

ヤスパース精神病理学総論』 

エレンベルガー『無意識発見』 

ラカン精神分析の四基本概念』 

フーコー言葉と物』 

ソシュール一般言語学講義』  

ヴェイユ重力と恩寵』 

ディルタイ精神科学序説』 

ブーバー『我と汝・対話』 

ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』 

ミンスキー『心の社会』 

ライル『心の概念』 

バタイユエロティシズム』 

アガンベンホモ・サケル』 

ラッセル西洋哲学史

ルソー社会契約論』 

スピノザエチカ』 

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』  

リップマン世論』 

オルテガ大衆の反逆』 

マンハイム『イデオロギーユートピア』 

フロム自由からの逃走』 

ミルズ『パワーエリート』 

リースマン孤独群衆』 

パーソンズ社会行為構造』 

デュルケム『自殺論』 

イリイチシャドウ・ワーク』 

M・ポランニー『暗黙知次元』 

バレーラマトゥラーナ『知恵の樹』 

ルーマン社会システム理論』 

ブルームアメリカンマインド終焉』 

シオラン歴史ユートピア』 

バーマス『晩期資本主義における正統化の諸問題』 

ロールズ正義論』 

ブルデューディスタンクシオン』 

オング『声の文化文字文化』 

アドルノホルクハイマー啓蒙の弁証法』 

フランシス・フクヤマ歴史の終わり』 

サイードオリエンタリズム』 

ジジェクイデオロギーの崇高な対象』 

アンダーソン『想像の共同体』 

シンガー実践倫理』 

マッキンタイア『美徳なき時代』 

ホイジンガホモ・ルーデンス』 

カイヨワ『遊びと人間』 

フレイザー金枝篇』 

モース『社会学と人類学』 

レヴィ=ストロース悲しき熱帯』 

ギアツ文化解釈学』 

キャンベル『千の顔をもつ英雄』 

ブローデル地中海』 

ウォーラーステイン近代世界システム』 

クラウゼヴィッツ戦争論』 

アダム・スミス国富論』 

ゾンバルト恋愛と贅沢と資本主義』 

ベンタム『道徳立法原理序説』 

ミル自由論』 

マルクス資本論』 

アルチュセール資本論を読む』 

シュンペーター経済発展理論』 

フリードマン資本主義自由』 

ハイエク『法・立法自由』 

ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論』 

ヴェブレン『有閑階級理論』 

ポランニー『大転換』 

ボードリヤール消費社会の神話と構造』 

セン『貧困飢饉』 

ベル資本主義文化矛盾』 

ドラッカー『「経済人」の終わり』 

サイモン経営行動』 

ギデンズ『近代はいかなる時代か』

ホワイトヘッド過程実在』 

クリプキ『名指しと必然性』 

ポパー『推測と反駁』 

クーン科学革命構造』 

ラカトシュ方法擁護』 

デイヴィドソン『真理と解釈』 

パトナム『事実価値二分法の崩壊』 

ベイトソン精神生態学』 

ベンヤミンパサージュ論』 

デリダ『法の力』 

クール時間物語』 

ペンフィールド『脳と心の正体』 

スローターダイクシニカル理性批判』 

シュミット政治神学』 

ダールポリアーキー』 

ヴァイツゼッカーゲシュタルトクライス』 

チョムスキー文法理論の諸相』 

ヴィゴツキー思考言語』 

パノフスキー『イコノロジー研究』 

ソンタグ『反解釈』 

ウィルソン生命多様性』 

ドーキンス利己的な遺伝子』 

ギブソン生態学視覚論』 

ケストラー機械の中の幽霊』 

ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』 

イーザー行為としての読書』 

イーグルトン『文学とは何か』 

ホフスタッター『ゲーデルエッシャーバッハ』 

ド・マンロマン主義レトリック』 

ブランショ文学空間』 

ガダマー『真理と方法』 

ローティ哲学自然の鏡』 

セラーズ経験論と心の哲学』 

レイコフ『認知意味論』 

ダマシオ『生存する脳』 

クワイン『ことばと対象』 

ウエルバッハ『ミメーシス』 

ミード西洋近代思想史』 

ネグリ構成権力』 

クリステヴァ『詩的言語革命』 

ランシエール不和あるいは了解なき了解

クリシュナムルティ『生と覚醒コメンタリー』 

バルトエクリチュールの零度』 

マクルーハンメディア論

ボルツ『グーテンベルク銀河系終焉』 

キットラー『グラモフォン・フィルムタイプライター』

2026-04-09

最初の部分集合」を大雑把に認定なされりゅ…てこと?

https://b.hatena.ne.jp/entry/4785681312648260962/comment/Gl17

◎叩くのは曖昧で強引な根拠で、主な動機としては

アンフェ層への訴求という反倫理だろうし、

加担した連中に後から色々と倫理問題が発覚するのは一定必然性がある。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4785681312648260962/comment/zyzy

◎叩いてる連中大犯罪者法則

曖昧で強引な根拠とやらで叩く無敵(震え声)こそがェサクタじゃあないのか

動機たるアンフェ層への訴求という反倫理もだ

それにつけても法華狼の体たらく基準いまいずこ

http://tenreeren.rentafree.net/entry/1034029

↓ぞら自身ミラーテストえっ?論より?隗より?歩数差?

https://archive.md/bD6VC

ジャパン蔑称啼き喚きから

https://b.hatena.ne.jp/entry/4742477410485629295/comment/worris

最近は法華狼さんがエントリを上げると即座にブコメを付けに来る

ratepuroika さんの仲間がずいぶん増えたな。

そのうちロンクハラライスがどうのこうのと書くようになるのだろう。

https://archive.md/bD6VC

http://tenreeren.rentafree.net/entry/1018830

http://tenreeren.rentafree.net/entry/1020865

https://b.hatena.ne.jp/entry/4728596812178257764/comment/zyzy

◎いつものスートキングブクマの人、そろそろ真面目に

プリントアウトして病院行った方がいいレベルというか、

マジで何言ってるのかもう客観的にみたら分からん状態に陥ってる事に、本人だけが気づけない

2026-04-04

多世界解釈はなぜ意識要請するか

量子力学多世界解釈を信奉する論者の多くは、一種知的な潔癖さを重んじる傾向にある。

彼らは、波動関数の収縮という概念観測者の傲慢が産んだ数学妥協として退け、環境との相互作用によるデコヒーレンスのみで宇宙記述は完結すると断じる。

そこには人間意識が介在する余地などなく、意識物理系に影響を与えるという発想自体を、前世紀的な神秘主義への退行として冷笑的に眺めているのだ。

しかし、この純粋物理学的な態度は、皮肉にもMWIが孕む最も深淵存在論的欠落を露呈させている。

MWIを徹底的に突き詰めるならば、論理的必然として意識は周辺的な随伴現象ではなく、理論整合性担保する中核的要素として回帰せざるを得ないからだ。

 

MWIの開祖ヒュー・エヴェレットが提示したのは、宇宙全体の波動関数絶対的ユニタリ進化を続けるという、極めて数学的に美しい描像であった。

シュレーディンガーの猫は、観測者の意識とは無関係に、物理的な相互作用連鎖によって生存と死亡の枝へと分岐する。標準的解釈において、意識は単にその枝の末端に付着した記録装置ノイズに過ぎない。

 

だが、ここで致命的な問いが浮上する。なぜ私はこの特定の枝のみを主観的に受容しているのかという問いだ。

MWIの理論上、すべての分岐した世界は等しく実在し、物理的な実体性に優劣はない。

もし意識が単なる物理過程受動的な影であるならば、我々の自覚状態もまた、波動関数の広がりに応じて全宇宙的な拡散を遂げているはずである

まり生存した猫を見る自己と、死亡した猫を見る自己が、主観的未分化状態のまま重なり合って存在していなければならない。

しかし、現実の我々の意識は、驚くほど強固な単一歴史を生きている。この主観的局在化という厳然たる事実は、デコヒーレンスという客観的現象だけでは決して説明しきれない。

 

デコヒーレンスは、枝と枝の間の干渉遮断し、それらを直交させる。

しかし、それはあくま宇宙という情報の海の中に仕切りを作る作業に過ぎず、どの仕切りの中に観測者の焦点が置かれるべきかを決定するものではない。

客観的には、宇宙は依然としてすべての可能性を抱えたまま対称的に膨張を続けている。

 

ここに意識必然性が介在する。我々が量子測定を行う際、宇宙が枝分かれする一方で、意識はあたか情報特異点として機能し、特定の枝へと自己収束させる。

このプロセスは、客観的物理法則が維持する対称性を、主観的レベルで敢えて破る非対称な選択である

 

かつてフォン・ノイマンやウィグナーは、意識波動関数収束させると説いた。

現代のMWI信奉者はこれを非科学的と切って捨てるが、主観的体験次元限定すれば、彼らの洞察はMWIにおいてこそ完成を見る。

MWIにおける収束とは、物理現象としての崩壊ではなく、意識というフィルターが多元宇宙の奔流からつの現実を濾し取る、極めて動的な能動性に他ならないからだ。

 

イヴィッド・ドイッチュやショーンキャロルといった現代旗手たちは、意識が各枝で独立存在すると主張することで、この問題回避しようと試みる。

しかし、これは問いを先送りにしているに過ぎない。なぜ今この瞬間の私は他の無数の私と感覚を共有していないのかという自己同一性の断絶を、彼らは物理学の言葉記述できていない。

 意識を枝のラベル付けと見なすにせよ、あるいは記憶連続性による錯覚と見なすにせよ、結局のところ私という主観特定の時空の経路を選択的に辿るメカニズムを導入しない限り、MWIは誰の体験でもない数学宇宙記述するだけの空虚理論に成り下がる。

 

多世界解釈を信奉する者が、その理論の壮大さを真に享受しようとするならば、意識計算から除外してはならない。

意識こそが、冷徹で広大な情報の重なり合いの中に、血の通った現実という輝きを灯す唯一の灯火であるからだ。

「量子観測意識不要である」という主張は、MWIの厳密性を守るための教条主義的な方便に過ぎない。

しかし、我々が今ここにいるという、宇宙で最も自明かつ神秘的な事実は、意識特定の枝を絶え間なく選び取っている証左のものである

世界を信じる者よ、意識を畏れよ。それこそが、無限拡散する宇宙の断片を、「私の世界」として一貫性の中に縫い合わせる、唯一無二の黄金の糸なのだ

2026-03-29

anond:20260329130128

あじゃ高市中国に謝ったら共産党も謝れよな、かというとそれは別問題で、

どう考えたって外交問題に直結する案件与党が謝ることの必然性の方が高いしな。

2026-03-21

[]

僕は予定通り9:00に起床した。アラームは1秒の誤差もなく止めた。これは重要だ。時間に対する境界条件曖昧だと、思考位相曖昧になるからだ。

朝食はシリアル牛乳を厳密に2:1で混合した。ルームメイトはまたその比率無視していたが、彼は統計的揺らぎの中でしか生きられない人間なので仕方ない。

 

今週の進捗から書く。

僕は摂動的弦理論の圏化的理解さらに押し進めた。

通常、量子場理論経路積分ファインマン図の総和として解釈されるが、それは単なるグラフの和だ。

しか超弦理論では、これが1次元世界線から2次元世界面へと拡張される。

この時点で既に、対象集合論的ではなく高次圏論的な構造に移行している。弦理論はQFTの摂動展開の一種の圏化に近い。

ここで僕がやっているのは、その世界面のモジュライ空間を単なる幾何として扱うのではなく、∞-トポスの中での層として再解釈することだ。

すると、弦の散乱振幅は数値ではなく、ある種のスペクトル関手になる。つまり振幅=数という古典的理解崩壊し、振幅=安定ホモトピー圏における対象になる。

この視点から見ると、双対性は単なる物理同値ではなく、圏の同値になる。

例えばミラー対称性は、異なるカラビ–ヤウ多様体が同じ物理を与えるという話だが、僕の理解ではそれは導来圏の同値に留まらない。

tmf(topological modular forms)レベルでのスペクトル的同型として表現されるべきだ。つまり、弦の位相情報は楕円コホモロジー自然に持ち上がる。

さらに厄介なのはアノマリーの扱いだ。従来はグリーンシュワルツ機構などで消去するが、僕のフレームではアノマリーは消すものではなく高次束の接続の非自明性として保存される。

これは物理的に言えば、理論単一ラグランジアン記述できないことを意味する。

 

友人Aにこの話をしたら、「それって計算できるの?」と聞かれた。愚問だ。計算可能性は本質ではない。重要なのは構造普遍性だ。

友人Bはなぜか「それ美味しいの?」と言っていたので無視した。

 

昨日はさらに、ツイスター空間との接続検討した。散乱振幅がホロモルフィック曲線上に支持されるという結果は知られているが、これを高次圏的に持ち上げると、振幅は曲線の空間ではなく曲線のモジュライのスタックの上の層になる。

ここで初めて、弦理論と振幅幾何統一が見える。

ただし問題がある。この構成ウィッテンですら明確に定式化していない。つまり僕の現在定義は、まだ良い定義ではない可能性がある。だが、良い定義は後から現れる。重要なのは構造必然性だ。

 

日常の話に戻る。

隣人がまたノックなしでドアを叩いたので、僕は「ノックは3回、等間隔で」と調教した。彼女理解していないが、これは対称性問題だ。非対称なノックは許容できない。

ルームメイトソファの座る位置をずらしていた。僕の位置は既に固定されている。空間の等質性は理論上は成立するが、現実リビングには適用されない。僕は元に戻した。

 

これからやることを書く。

世界未完成な圏だ。そして僕はその射を整えている。

2026-03-12

かぐや姫は良い作品だが「全肯定しか許されない空気」は息苦しい

ネタバレあり

良い作品だったと思う。

普通に感動もした。

ただ、正直なところ「もう一度映画館で観るか」と言われると観ないし、配信で何度も観るタイプ作品でもない。

自分の中では 「面白かったけど1回で十分」 という位置に落ち着いた。

ここまでは普通感想なんだけど、この作品について語るときに少し息苦しさを感じた。

最近オタク文化全体に言えることかもしれないけど、

• 好みじゃない

• Not for me

みたいな感想を言うと、すぐ「冷笑」とか「斜に構えてる」と言われがちで、

作品を全肯定することが求められる空気がある気がする。

なんというか、推し活の「全肯定オタク」と似た構図になっていて、

まり好みじゃないと感じる側としてはちょっと息苦しい。

もちろん、見えないところでは言ってる人もいるんだろうけど。

かぐや彩葉関係は好き

キャラクター自体は魅力的だった。

かぐや可愛いし、自由気ままに動き回る。

そして彩葉は、かぐやに振り回されながらも行動するようになり、最終的には夢を見つけて自分で歩き出す。

この構図自体はすごく良いと思う。

ただ、彩葉キャラ設定が「結果ありき」に見えた

ただ見ていて気になったのは、彩葉の設定。

例えば最初

赤ん坊を拾う」

という展開。

冷静に考えると

学校どうするの?

生活どうするの?

という問題がある。

そこに対して作中では

かぐやは成長するから問題ない

かぐやが稼ぐから問題ない

みたいな形で処理されてしまう。

彩葉バイトして生活費を切り詰めていた設定だったはずなのに、

その割に危機感ほとんどない。

このあたりが 設定の重さとキャラクターの行動が噛み合っていない ように感じた。

母親との確執も少し気になった

母親との関係重要な要素として出てくるけど、

散々無視していたのに、

電話一本で解決するのはさすがにあっさりしすぎでは?と思ってしまった。

父親が死んだことが原因というわけでもなく、

結局「何が問題だったのか」があまり見えてこない。

伏線というより ストーリーを進めるための装置 に見えてしまった。

最後戦闘シーンは必要だった?

かぐやが帰るシーンの戦闘

正直、

最後ちょっと派手なシーン入れとくか」

くらいの意味しか見えなかった。

物語的な必然性があまり感じられなかったのが残念。

全体の印象

全体として

キャラは魅力的

• 感動もする

ただ、

キャラクター自然に動いているというより

脚本舞台の駒を動かしているように見える瞬間がある。

その雑さがところどころで気になった。

とはいえ

中学生の頃に観ていたら、自分は絶賛していたと思う。

まらない作品ではない。

ただ、

「1回観れば十分かな」

というのが正直な感想だった。

終わりなきMT/AT論争

今日今日とてXでは、またMT/AT論争が巻き起こっている。まるで北緯38度線のように、争いがいつまでも終わらない。停戦状態にあるだけ、38度線の方がマシかもしれない。

私のTLを観測している範囲では、MTからAT派への攻撃を見かけることが多い。健常者ならMT乗れて当たり前とか、MT挫折してAT限定にしたやつは公道走るなとか、まぁそんな具合だ。

かくいう私も最近ATからMTに乗り換えた。峠を攻めたいとかサーキットでかっ飛ばしたいとか、そういうわけでは全然ない。単に車の運転に刺激が欲しかったのだと思う。

その上で私見を述べるなら、現代日本道路事情において積極的MT選択する必然性は「ほぼ皆無」であるし、AT限定を批難する要素も見出しにくい。

MT派によるAT批判を見ていると、いわゆる老害共通する部分が多いように感じる。なぜ人間は、便利な新技術の登場をかくも毛嫌いするのであろう。MTにも乗れないなら車をちゃんと動かせないなんて言う奴は、手書きじゃないと心がこもっていないなどと言って電子的に作成した履歴書否定したり、お腹を痛めて出産しないと母親にはなれないなどと言って無痛分娩否定する連中と同レベルではないか。幸いなことに現代では、人間がわざわざ手動でギアチェンジしなくても機械がやってくれるようになったのだ。それだけの話だ。便利さ重視でATに乗りたいならATに乗ればいいし、トラディショナル操作にこだわりたいならMTに乗ればいい。

クラッチを含めた両手両足の操作ができなきゃ安全運転できないという意見もあるが、これではかつての「交通戦争」の事実を全く説明できない。誰も彼もがMTを動かしていた時代であっても、交通事故はそこら中で発生していた。だからMTに乗れるなら安全運転できるということにはならないし、ATから危険運転を産むというのも短絡的な考えだ。少なくともAT全盛の現代の方が事故発生件数は少ないのである。これはミッション方式というよりも道路事情安全技術の発達によるところが大きいかもしれないが、

というかAT運転できる程度の身体自由があるなら、MTだって乗れる人が大半だろう。出だしの飲み込みのスピードは人によって差があるから、初手で苦手意識を植え付けられる人も出てくる。しか時間をかけて練習すれば克服は決して難しくないし、出だしのペースと最終的な技術の習熟度は必ずしも一致しない。ただ現実的はいつまでもだらだらと教習所に通えるわけではないから、時間的・経済的心理的負担増を嫌ってMTATに切り替えている人が多いだけではないかと思う。実際、現代日本AT比率を考えれば、余計な苦労を背負ってまでMT固執する必要はどこにもない。あくまでも本来目的は「自動車免許の取得」であって「MTを動かすスキル」ではない、という人は相当数いるだろうし、MTATに切り替えることで無事に本来目的を達成した人もまた相当数存在する。それできちんと運転できているなら、何も悪いことは無い。

ATに対するMTの優位性はシーンに応じてドライバー自由ギア選択できる点にあるが、そもそも公道ではMTに乗ってまで積極的ギアを変えるべき場面というのがそこまで多くない。ATであってもそうした場面には十分に対応可能だ。たとえば長い坂道を下るときには低めのギア選択してエンジンブレーキを使い、フットブレーキのみに依存しないことが大事になるが、ATであってもBとかSとかLとかのギア選択すれば同じ目的を達成できる。なにもMTである必然性はない。普段運転するエリアアップダウンの乏しい平地であるなら、なおさら些末な問題になる。高速合流時などにおいても、低めのギアで十分に加速することが求められるが、やはりSなどを使えばATでも十分な加速が得られる。

またMT自由度の高さは、操作煩雑性や諸々のリスクと表裏一体である信号待ちからの発進一つとっても、ATアクセル踏み込むだけでたちどころに加速していくが、MTは矢継ぎ早に1→2→3と切り替えながらスピードに乗っていかないといけないし、回転数をマッチさせる運転ができないと乗り心地が極端に悪化する。急坂ではサイドブレーキも使わないといけない。シフト操作ミスがあればオーバーレブリスクも出てくる。交差点のど真ん中でエンストしようものなら、他車の交通を阻害したり追突されたりする要因になる。

そうしたことを考えると、「余計な操作心配に煩わされずに街中をスムーズに走る」という部分においては、圧倒的にATが有利になる。最近AT燃費も優秀だから経済面でのMTの優位性もたかが知れている。新車販売においてはMTの方がATよりも若干安価だが、街中ではATの方がずっと多いのだからユーザーはそんな価格差は気にしていないのだろう。車重の軽量化メンテナンス性の高さなどもあるが、車重全体のわずか数パーセントしか満たない差を必死に削り出すようなドライバー稀有であろうし、多少ラフな使い方をしても問題なく長距離を走れるATは多い。やはり、ATMTよりもずっと便利で取り回しのしやす機構だという結論になる。

ただ、この利便性の高さがドライバー思考力を奪っている点は否定できない。余計な操作心配に悩まされない状態というのは、必要操作心配までをも忘れてしまリスクを跳ね上げる。上述した下り坂でのエンブレの件にしても、ブレーキランプを煌々と照らしながらダウンヒルする車を見かける機会は少なくない。上り坂で先行車が後退してくるリスクを考えず、車間距離をビタビタに詰めてくる車もいる。現代先進技術は、考えなくても車を動かせる状態をも産んでいるため、このような事態が発生する。利便性を求めた結果であるから、それ自体は悪ではないのだが、車に乗られている人たちを大量生産しているのも事実だ。

考える必要が無い状況での運転は、ドライバーにとって油断の原因にもなってしまう。走行中につい眠気に襲われる...というのは誰しもが経験するだろうが、AT車は要求される操作が少ない分、どうしても注意が散漫になりがちだ。集中力の低下や居眠り運転を防止するなら、変な先進安全技術を搭載するよりもMT車に乗った方がよっぽど良いのではないかと思わなくもない。雑な操作をすればすぐさまシフトショックやエンストが発生するから、舟をこいでいるドライバーを叩き起こしてくれる。そもそもシフトレバーをギコギコやっているうちは体にも脳にも刺激が入るから、眠気を誘発しにくい。高速に乗って6速固定のクルコン、みたいな運転場合はどうしようもないが...

免許区分関係なく、運転中に思考が鈍る事態は避けねばならない。AT限定ではこの部分が問題になりやすい。運転中の突然の眠気などはどうしようもない(眠気の発生自体は根絶しようがない)が、MTに関する座学および実技教習は、教習の区分とは無関係実施してもらいたい。先進技術過去技術を土台として生まれるのだからMTのようなプリミティブな機構理解することは決して無駄ではない。どころか先進技術理解するための助けになる。

色々書いたが、個人的にはAT限定ドライバーただちに危険運転をするとは思わない。むしろ逆で、今この時代にわざわざMT選択するような人間の方にこそ、何をしでかすかわからない危険性・変態性を感じる。MT乗りはスポーツ走行が好きな連中も多いだろうから、法定速度をガン無視したり、峠を攻めたり...ちょっと前にマジキテル連合の一件が問題になったが、変にMTを乗り回す連中の方がAT限定ドライバーよりもよっぽど危険ではないか

ならいざ知らず、今はどこを取ってもATMT凌駕してしまう。MT派の立ち位置はまさに砂上の楼閣である国産スポーツカーの雄として長い歴史と高いブランド力を有するGT-Rでさえも、最後にはMTを切り捨てた。AT技術進化MTの衰退を端的に表している事例である現在では教習所でのMT教習時限も大幅に削減されてしまったし、世界EV化へと舵を切っているし、MTに乗ることはますます困難になるだろう。しかし繰り返しになるが、ドライバー思考力は利便性反比例するように低下するリスクを抱えている。車をただの移動手段しか見ていない人もいるだろうが、自分アクセルブレーキを踏むとき、あるいはハンドルを切るときに、各パーツがどう反応して車全体がどう動くのか、自分の車と他の車の挙動はどう違うのか...免許を有し運転する限りは決して放棄してはいけない思考である思考放棄ドライバー割合は、MT派よりもAT派に多いだろうということは想像に難くない。

AT基本的に、なにもせずとも車が進んでいく。なにもしなくても車が進んでしまうとも言える。それは確かに便利なのだが、人間は時に利便性度外視して楽しさを求めたくなる生き物だ。素人が手間暇をかけてつくった料理冷凍食品にすら及ばないかもしれないが、単純な味の優劣だけでは語れない満足感がある。生成AIは短時間クオリティの高いイラストを出力するが、画材や構図やシチュエーションについて、悩みに悩んで生み出した手描きの絵を眺めることでしか得られない感覚がある。令和の時代MTに乗るという選択は、理屈だけ考えれば全く筋が通っていない。だが筋が通っていないことは、不正解だということにはならない。シフトレバークラッチペダルを操るあのドライビングフィールは、ATでは決して味わえない。

からATが好きならATに乗ればいいし、MTが好きならMTに乗ればいい。本当にたったこれだけの話のはずなのだが...お互いもっと柔軟に考えようぜと思わずはいられない。そうすれば無駄な論争も発生しないのにね。

2026-03-05

映画】(r)adius ラディウス を見た

条件式サスペンスの佳作としてそこそこ楽しめたかな。62点。

 

田舎町の道端で目が覚めた主人公はなぜか記憶がない。通りがかった車に乗せてもらおうと呼び止めようとするも運転手は死亡しており、近くのダイナーに立ち寄るも客も従業員も全滅。なんとか家に帰ると庭仕事をしていた使用人を発見し、呼び寄せるも途中で死亡。主人公自分の15m以内に近づいた動物が死亡するという法則発見してしまう。困り果てた主人公の下に彼のことを知っている気がするという一人の記憶のない女性が現れるが彼女は15m以内に入っても死亡しなかった。実験の結果、ヒロインが15m以内にいれば主人公能力が発動しなくなることがわかる。死亡能力のおかげで警察に追われる中、記憶能力の謎を追う旅が始まる。

みたいな映画

 

新幹線大爆破とかスピードとかコナンかにもあった「ある条件を満たさなくなると問題が発生する」というサスペンスを2人が一定距離内にいることというフォーマットに落とし込んだのはいアイデアだと思う。いるだけで人が死んでしまうという主人公の苦悩と条件をどうやって満たし続けるかというサスペンス

例えば(ぶっちゃけもうちょっと何とか出来ただろって部分ではあるんだけど)、2人が能力検査のために病院に行った際に主人公だけエレベーターに乗ってしまい、ヒロインが乗り損ねる展開がある。主人公との直線距離15mを保つためにヒロインは慌ててエレベーター横の階段を駆け下り主人公は乗員を慌てて降ろす。みたいな金のかからないハラハラシーンを作れたりする。

また、能力を人が死ぬに設定したこと主人公警察に追われることになり、警察に捕まると当然ヒロインとは引き離されるのでこれは絶対に割けないといけないという逃避の必然性を持たせることに成功しているし、実際に信頼している人物に助けを求めた結果裏切られ警察を呼ばれ拘束された2人が徐々に引き離されるというサスペンスとその後の野次馬含めた大量死亡というスペクタクルシーンにもつながっていてなかなかよい。

オチネタバレするとヒロインは姉が行方不明になっておりその捜索に疲れ果て自殺しようとしていたところに主人公出会い好意を寄せるようになるが、実は主人公連続殺人鬼で姉を殺したのも彼だったことがわかる。そして2人は対決することになるがそこに雷的なものが落ちて2人は意識記憶を失い能力を得たのだった。

まり主人公の「近寄る人をみな殺してしまう」能力は、記憶を失うまでの主人公カリカチュアしたものちゃんとなっているし、ヒロイン能力も「主人公の近くにいたい」「殺しを止めたい」「復讐したい」という思いからの派生ちゃんとなっていて単なるギミックではなく人間ドラマちゃんと沿ったものになっている。

最終的にヒロインチンピラに撃たれて病院に運ばれ、警察に追われる身であり手術室の外で待つこともできないであろう主人公はこれ以上悲劇が広がらないように自分の頭を撃ち抜く。ただただ利己的に快楽のために人を殺し続けてきた人間が、記憶を失い能力を得ることで自身が行ってきたことを突き付けられ最後は他己で死ぬというストーリーテリングは、なんていうかちゃんとよくできてるなって思った。

映画もその後を描いたりもせずに手術室に運ばれるヒロイン、それを見送り頭を撃つ主人公。叫ぶヒロイン、倒れる主人公を映しそのままエンドロールに入るのも、静かに人が死に続けるこの映画らしくてコンパクトにまとまっており非常によかった。

 

あとは主人公ヒロイン自分能力を信じさせるために殺す対象が「山羊」だったり、主人公本名が「ローズ」で姉の名前が「リリー」だったり、過去ヒロインを殺そうと襲い掛かる主人公に落ちるのが「雷」だったり、そもそもRadius語源は放射状に差す光を表していたり、ヒロインの夫による裏切り悲劇を招いたりといたるところにキリスト教モチーフがちりばめられている気がするが、別にそれは特に回収されないので製作者側も意図していない可能性もあらずんば虎児を得ずというところ。

 

誰が何でそんな能力付与したんだ?みたいな部分は特に語られたりはしないのでそういうのが気になる人にはちょっと微妙かもしれないけど、静かに人が死ぬコンパクトな条件式サスペンスの佳作としてまあまあオススメ

2026-03-01

映画アンティル・ドーン を見た

タイムリーププラッタホラーという登場人物少な目でもいっぱい殺せる大発明自体はよかったけどなぁ。56点。

 

姉が行方不明になり自殺念慮にとらわれた主人公とノンデリちょびヒゲと鼻輪女とフツメンスピリチュアルアジア人の5人組は主人公の姉を探しに寂れた村に山道を進んでいると大雨に合い、雨に閉じ込められた謎の山荘に到達してしまう。その山荘の中にはクソデカ砂時計と多くの行方不明者の張り紙、その中には主人公の姉のものも。そして、夜、仮面かぶったジェネリックジェイソンが襲来。主人公たちは皆殺しにされてしまうが、その時、時間が巻き戻り再び山荘に到着した時間に戻ってしまう。そうして主人公たちは何度も面白い感じで殺されながらもこの山荘の謎に挑んでいく。

みたいな話だったと思う。

 

まず、スプラッタホラーの最も大きな問題点は「人は一度殺すと死んでしまう」ということである死ぬ人はなるだけキャラが立っている方がいいが1本の作品にそんなにキャラ立った人を放り込むのは難しいので、なんかそのへんの村人Aみたいなやつをいっぱい殺すことになるが、そんな端役死んだところである

それをタイムリープものと組み合わせることでキャラが立った5人の主人公たちを何度も何度もいろんな方法で殺すことができるようにしたというのは大発明だと思う。バリエーションジェネリックジェイソンやヨツンヴァイン怪物魔女、爆散とある程度取り揃えられていて見ていてなかなか楽しめる。特に人体爆散は登場人物も「マジかよ!」と突っ込んでしまうほど唐突で、これがオチというか最後の大逆転につながるので必要な殺し方なんだろうと思うんだけど、殺しバリエーションの不足の安易な解消法にも見えるのが難点か。

ゴア表現もしっかりしていて、スプラッタ特有の骨がプラスチックでできてるんか?みたいな頭蓋骨突き破りから人体切断、さっきも書いたけど爆散、引きちぎりとジャンルとして必要な水準は満たしていると思う。

一方で、タイムリープしたことで「同じようなシチュエーションで殺され続ける」というマンネリ感があるのも事実特に序盤のなんでタイムリープしちゃってるの~っていう戸惑いパートはただただ殺される→戻る→殺されるのループになってるので正直少し退屈。タイムリープしないことのいい点は常に新鮮な人が新鮮な流れで殺されることなんだなと逆確認した。

 

ストーリーとしてはぶっちゃけタイムリープしていっぱい人が死ぬシーンを取る必然性があってそれに合わせて作られたとってつけた感があって映画としてはかなり退屈な作品だと思う。

作品の設定自体はもともと悲劇が起きた土地精神がアレな人間が入ることで呪いが発動するみたいな感じになってるんだけど、聞いてても全然わからんし、別にからなくても困らない。今回は死にたい主人公が足を踏み入れたことで発動して、この出来事主人公の中にある破滅願望が表出したものなんだよ!でも現実現実で~タイムリープはなんかわからんけどしてる、みたいな説明があるんだけどマジで意味が分からないし、全然スッキリしない。

あと、ノンデリちょび髭が何回も殺される記憶が残ってる状態にも関わらず異常なノンデリっぷりでドン引きっていうか、そうはならんやろ感がすごすぎて冷めちゃう

ただいい点がいっこだけあって、これまで「どうせ全員死んだらまた戻れるからええわ」と半分あきらめていた主人公フツメンと生まれ変わりって信じる?みたいな話をしてる時に「人生一回きりのほうが今回頑張れるやん!」みたいな愚にもつかない回答をされる展開が合って。どうやらこのループは今回で最後、これで死んだら晴れて俺たちも怪物の仲間入りや!ってなったときに、「ええやん。だからこそ頑張れる!」って言い出す展開はよかったし、そのあとに「私もう死ぬのやめる」って言うのが、自殺念慮に侵されている主人公前進と、この死のループから脱出をかけていてここだけは映画としてええやんって思った。

 

そんな感じかなぁ。ぶっちゃけYoutubeDeath Scene Digestみたいな動画見るので十分かなって。オープニングクレジットの一番最初にいきなりPlaystation Productionって出てきてて草。まぁゲーム屋が作った映画って感じかな。

タイムリープものとしては大名作のハッピーデスデイのように試行錯誤を繰り返す方向のほうがゲームっぽくてよかったのでは?今回はループごとに起きることが違いすぎて今はやりのローグライクを取り入れたのかもしれないけど、ローグライクは正直映画には向いてないと思う。無軌道すぎて。

プラッタホラーとして必要な要素自体はしっかり揃ってるのでスプラッタ好きにはオススメかな。

2026-02-27

anond:20260227121246

経済を回す手段環境に負荷をかけるものであることに必然性正当性は無い

廃棄物が出る分、積みプラモはタチの悪い方に属してると言っていい

その点で言えば、電子書籍積読はマシな部類

anond:20260227133901

そんなレベルの話ならい作品登場人物はみんな必然性をもって存在してるから

キャラに当てはまるってことにしかならんけどそれでええんか?

2026-02-26

プロ脚本家を目指している人へ。

40代50代のロスジェネ無職脚本マジで送ってくんな。

誰もそんなもん見たくねーんだわ。社会から見捨てられた存在は、もうこの世に存在しないことになってんの。わかる?

一発逆転狙って自分投影した「悲しきおじさんの物語」とか、マジで需要ゼロから

プロ脚本家目指してるヤツらに現実教えてやるよ。

毎年ドラマ選考仕事してるけどさ、国内外でこれだけ面白い作品が溢れてる時代に、「主人公は、しがないニート……」とか書いてある時点で、もう続きを読む価値なし。即ボツゴミ箱行き。

なんでかわかる? ニートとか、あとよくある「喫茶店マスター」とか、そういうキャラには「枷(リスク)」がないんだよ。守るべき場所も、組織のしがらみも、失敗したら終わるっていう緊張感もない。そんな設定でドラマが転がるわけねーだろ。

半沢直樹』がなんで面白いか考えたことある

あいつが「銀行員」っていう組織歯車からだよ。やれることとやれないことの境界線があって、敵味方がハッキリして、その中で足掻くからエンタメになる。

頑張って続きを読んでみても、結局「なぜニートなのか」っていう設定に必然性がない。ただ単に、主人公のディティールを掘り下げるのをサボってるだけ。自分の「何者でもなさ」をドラマチックに仕立てようとしてるけど、それ、ただの怠慢だから

脚本スクール講師やってるヤツも、もし見てたらマジでこれ一番最初に教えてやってくれ。1の1だぞ。

自分投影するな。社会を描け」

自己満足セラピーみたいな脚本、二度と送ってくるなよ。

2026-02-25

anond:20260225125648

まり、0加速はガソリン車に比べてEVが有利だが、ハイブリッドとは大差がないとなるためEVの優位性や必然性を語る指標としては適してないよなってことでいいよね

2026-02-21

anond:20260221225229

ちなみに、攻殻機動隊SACの未収録回(一話まるまるナメクジセックスするだけの内容で放送事故化、IGからデータごと消失)は、掲載誌トーンに合わせるために入れたもので、特に必然性があるわけではないから、新作アニメで削っても全然問題ないと思うよ

かぐや姫死ぬほどつまらない

死ぬほどつまらなくて怒りすら覚えるレベル

何でみんな面白いって言ってるのか本気で分からない

酷評を期待してXで「超かぐや姫まらない」で毎日検索している

でも出てくるのは批判より「つまらないと言っている人はちゃんと見ていない」といった的外れ意見ばかりだ

溜飲は下がらないどころかどんどん頭に血が昇ってくる

かぐや姫がつまらない一番の理由はメインストリーがあまりにも粗末な点だ

こういうと「いやそんなことない!」「お前がちゃんと観ていないからだ!」とファンは言うだろう

まらない派からすると、むしろ逆だ。「観てないのはそっちだろう」と

とはいえまぁまぁそこは。どちらもちゃんと観ていると言う点は一致していると思う

多分見ている所が違うだけなのだ

面白い派:作画重視

・とにかくビジュがいい

かわいい女の子百合百合するのてぇてぇ

・こんなにみんなかわいくて作画神なのにつまんないとか頭おかしいただの逆張りだろ(と思ってそう)

まらない派:ストーリー重視

・何よりキャラクターの心情や行動の理由を知りたい

作画以前に本筋に納得感がないと楽しめない

・こんなお粗末なストーリー面白いとか言ってて頭おかしい(と私は思ってる)

まらない派がキレてるのはここです

面白い派の人、作画は置いておいてストーリー本気で面白いと思ってますか?

例えばこれでもし作画カスだったとしたら同じように評価してましたか?たぶんしないですよね??

ということは作画に関する批判に怒るのは妥当でも、「つまらない」に関して的外れ感想で返すのはおかしいと自覚していただきたい

「確かにストーリーはよく分かんなかったけど作画が神すぎて気にならなかった!」

こういう意見だったら納得できるんですけどね

もちろん作画に関して言えばキャラクターデザインも本当にかわいいし、VR世界もわくわく感で溢れて素敵だよ

いや、自分はそこをしっかり認めているからこそ怒っているのだ

作画班はこんなに頑張っているのに、ストーリー班は何してんだよ!?」と

まじで、こんなにいいアニメーション作っておいて肝心のストーリーでぶち壊してんの何!?!?



さて、ここで言うストーリーとはつまりキャラクター成長物語のことだ

主人公彩葉かぐや出会ってどう変わっていくのか?そこが主軸になるはずだが…

これがあまりにも適当すぎる

かぐや出会ってからビフォーアフターがわかりにくい

彩葉変わったね」的な発言があったと思うが

それはまずこちらが(彩葉って変わったな)と思っていないと成立しないセリフではないか

例えば彩葉が登場時、死んだ目をしていて無理に笑いながら愛想を取り繕って生きているけど家では毎日泣いているとか

そこでかぐやが現れることで目に生気が戻ったり自然に笑えたりして明るくなって行ったりとかさ

かぐや姫はそう言う物語必要な変化量がゼロなのだ

そこをきっちり描いていないか

「はぁ、そうですか?なんか最初から独り言からして賑やかだったからそんな変わったイメージないですが」

と言う感想しか出てこない。完全に置いてけぼり

これは一例だが至る所でこれが発生する

「やればできんじゃん」もそう、お前は何なんだ?知らねーわぼけ

そもそもこちらは彩葉のことを万能と認識してる訳。だってそう描かれてるから

そこに来て、彩葉を終始無能扱いしてる兄とこちらの認識齟齬ありすぎる

そこも全然描写してないので苦労している彩葉を見ている側は兄へのヘイト無駄に溜まる

何かイキってるけどお前妹放置してゲームやってるだけのカスじゃん、現実でこんなに妹が苦労してるのに何してんの?

イケメンキャラなのに全然かっこよくない、むしろダサいのでせっかくの良ビジュも心から楽しめない

ギャグパートも多めでキャラ同士の掛け合いが面白いなら良かったのだが、なかなかに外しているのもしんどい

「ボロアパート言うな」

ツッコミになっていない。彩葉そもそも親と喧嘩して鉄の意思でボロアパートに住んでいるのだからそこにプライドがあるのはおかし

オタク言うな」

ツッコミになっていない。VRAI推しにしている時点で立派なオタクなことは本人が一番自覚しているはず

AIといえば、そもそも彩葉AI推しているのも意味が分からない

これはAIと見せかけて実は〜と言う例の仕掛けが先行していて、AIを好きな理由までキャラ設定に落とし込めなかったのだろう

ただの怠慢にしか見えない

あるいは未来世界ではAITuberがこれくらい人気かもねと言う未来予想的な何かなのだろうが、時代設定とテクノロジーが合っていないので違和感がすごい

(これに関してはコンタクトレンズ型の超未来VR機器があるのに他のテクノロジー現代と同レベルなのもそうだ)

現代で言うとAIといえばLLMだがこれに夢中になれるイメージ全然ない。普通人間を好きになるに決まってるだろ

八千代といえばライブ物語を大きく動かすことになるきっかけのはずだが、彩葉八千代ライブに出たい理由全然からない

そもそも彩葉って別に目立ちたがり屋じゃなさそうだし人前出たいか?っていう

あとでゲームに参戦してくる辺り、八千代って割とカジュアルコラボ出来そうな感じなのでプレミア感も低い

これを応援するためにかぐやが頑張ることになるのだからふわっとしてたら物語として成り立たない

あとキャラが全体的に「無意味に」万能すぎる

主軸は音楽なのだから音楽の才能だけあれば良かったのではないか

それ以外はノイズしかないし、友達にも恵まれて成績も優秀となると別にかぐやがいなくても幸せじゃね?としか思わないのだ

現実が惨めでなければかぐや存在が救いにならないだろう、これは作り手側のかぐやと言う存在への価値毀損冒涜にもなっている

そう、キャラへの愛もあまりなさそうなのも腹が立つの

基本的にみんな舞台装置しかなく、全然血が通っていない

作り手が考えた筋書き通りに行動するだけのマシーンしかない

キャラに命を吹き込むのに大事なのはオーバーリアクションとかコミカル描写とかそんなもんでは断じてないのだ

もっとどうでもいい料理とかLol的な説明なしの謎ゲームかに時間を割くのではなくて

彩葉の心情・過去の掘り下げに20分くらい増やして欲しかった

そこがないから全く登場人物応援しようと言う気が一切湧いてこなかった

何で一番重要確執である親との対話電話一本で終わってるんだ

そんでもって何で親の方もOKするんだ

ぶっちゃけ映画の尺の都合でしかないんじゃねーの?って思いました

もっと、私を好きにさせてくれよ

せっかくこんなかわいいキャラとして生まれてきたのだから

(何ならdisったブラックオニキスのお兄ちゃんも雑な消費のされ方をされて可哀想だと思っている)

少しエモーショナルになってしまったが話を戻そう

要するにこの作品は全体的に作り手が入れたいネタを無理やりぶち込んだだけのパッチワークに過ぎないのだ

かぐや姫VRの相性も別に良くないし必然性もない(電子世界から月に近いと言うのは根本理由ではなくこじつけの結果だろう)

ボカロVTuberVR男の娘百合

ストーリー適当でもこういうのあればオタクは喜ぶんでしょ?」っていうのが透けて見える

「なんか深い理由っぽいものをチラつかせておけばいい。後は勝手想像して盛り上がってくれるはずだ」

総じて、視聴者バカにしている感じを受ける

でも、なぜか大人気になってしまった

もっと怒るべきではないのか?「我々を甘く見ないでもらいたい!」と

そういう意見全然ないのにもすごくモヤモヤする

作画班の努力に対しても失礼、作られたキャラに対しても失礼、それを見るオタクに対しても失礼…

総じていろんな方面バカにしている作品だと思ってしまったが

まりそう考えている人は多くないのだろうか

今日も「超かぐや姫まらない」で検索するつもりだ

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面白い派の中には「エンタメから細けぇことはいいんだよ!」と言う人が結構いるが、上記によりそもそもエンタメとして成立していないと考える

自分は「子ども向け」と「子ども騙し」は全然違うと思っているが、もし「子ども騙し」でもエンタメだと言い張るのならばその通りだろう

2026-02-18

奇妙な価値移転形態

古い地球小説を読んでいたところ、登場人物が物品を取得する際、奇妙な数値のやり取りを行っている場面に遭遇した。

記述は簡潔で特別説明は与えられていない。

著者も読者もその手順を当然のものとして共有しているように見える。しかし、この処理の目的直ちに理解できなかった。

対象となる場面では、価値単位120に相当する物品を取得するため人物価値単位200を相手に渡している。その後相手価値単位80を返却している。

この一連の処理は、初めから価値単位120のみを移転すれば完了するはずの交換に対し、余分な段階を追加しているように見える。

なぜ必要量を直接移転せず、過剰量を移転した後その一部を逆方向に移転させるのか。

その処理の合理的必然性直感的には明らかでない。

この方法では、移転者は過剰量を計算し、受領者は差分を再計算して返却する必要がある。

単一方向の移転完了する処理に対し双方向移転が発生している。

この往復は効率観点から見ると冗長に見える。

興味深いのは、物語内のどの人物もこの処理に疑問を示していない点である

この手順は例外的操作ではなく、日常的な交換手続きの一部として扱われている。つまりこの文明においては、交換量と正確に一致する単位を直接移転することは必ずしも標準的手順ではなかった可能性がある。

推測としては移転可能価値単位が離散的な固定集合としてしか存在しなかったのかもしれない。

必要量に一致する単位の組み合わせが利用可能でない場合、より大きな単位移転し、後から差分補正するという方法制度化されていたと考えられる。

この仕組みは計算上は単純である

価値単位200を移転価値単位80を逆移転することで、正味移転量は価値単位120となる。数値的には整合している。

しかしこの制度設計には別の可能性も考えられる。

すなわち、この文明は交換のたびに正確な単位構成を生成するのではなく、既存単位を再配置することで交換を実現していたのではないかという仮説である

この場合、交換は「正確な移転」ではなく「過剰移転補正」の組み合わせとして構成される。

小説を読み進めるとこの差分返却の手続きは頻繁に現れる。

それは特異な事例ではなく、交換制度の基本構成要素として機能していたように見える。

この文明個体にとってはこの往復処理は不自然ものではなかったらしい。むしろそれが交換という行為標準的形式であった可能性が高い。

通常の交換体系では価値は常に必要量と一致する形で直接移転されるため、差分補正という段階は存在しない。

そのためこの手順は間接的でありやや奇妙な構造を持つように見える。

それでもこの制度長期間わたり維持され、日常的に使用されていた。

これは、この文明においてこの方法機能的かつ安定した交換手段として成立していたことを示している。

価値単位の過剰移転差分返却。

この往復的交換は、かつての地球文明における基本的価値移転の一形態だったのかもしれない。

2026-02-16

https://x.com/musketeers10/status/2022874987686952992

エンタメ小説金科玉条ベスト5箇条

 

1. エンタメ本質は「登場人物価値観の変化」を描くこと
繰り返し強調している核心的な法則です。価値観の変化を軸に物語を構築することで、読者の感情を動かす。私がデビューできた理由も、この法則で他のエンタメ作品を「分解」して体得したからだと思っています。単に「とにかく書け」ではなく、この視点で鑑賞を繰り返す「素振り」が重要

 

2. 一つの創作理論を深く掘り下げ、多数の作品で反復分解する方が効果的
創作論をたくさん知るよりも、BS2ブレイクスナイダービートシート)などの1つを選んで10作以上を分解する方がはるかに身につきます理論を知っているだけの「眼高手低」な書き手創作論を知っているだけで身につけていない人が多いです。

 

3. 主人公動機づけ必然性を徹底的に固める

主人公の決意・変化のきっかけが曖昧だと、物語全体の焦点がぼやけてしまます。たとえば復讐心家族への思い・自己実現など複数動機が混在すると、読者が感情移入しにくくなるため、核心的な動機を1つに絞り、段階的に深めたり、対立する価値観を持つ脇役とのぶつかりで必然性を強める工夫が必要

 

4. キャラクター造形では矛盾ギャップ内面的/外面的目的の二重構造活用主人公には「成長の余地」「弱点」「強い動機」「相反する価値観人物との対置」、悪役には「欠点」を与えるべきと主張。内面目的(本当の願い)と外面的目的を分けることで深みが出る。子供っぽい悪癖や読者にしか見えない一面もエモさを増すテクニックです。

 

5.一人称/三人称わず五感描写」を視点人物中心に

視界外の音や匂い他人の表情の微妙な変化は「視点人物が気づいた範囲」で。
これを1シーンごとに適用するだけで、読者が「このキャラ目線世界を見ている」感覚が生まれ感情移入が格段にしやすくなります

カーリングの石

20kgぐらいあるらしいね

投げるときダブルタッチだの石に触っただの色々問題になってるけど、軽く触った程度で変わるんかなあとは思う

もちろんルール違反なのはダメなんですけどね

触る云々なら石投げる際に、モップ?でハウス内の石とかトントンしてるものダメなんじゃねって思うけど、あれはなんでセーフなのかも謎

まあ動かないからって認識なんだろうけど、触る必然性もないか禁止にすればいいのに

2026-02-05

宇宙人不在証明』の解釈

https://shonenjumpplus.com/episode/17107094914107074054

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/17107094914107074054

ちょっと話題になってたんで読んでみた。

解釈はふた通りあると思うんだけど、それぞれに腑に落ちないというか、気持ち悪いところがある。どっちを選択しても辻褄が合わない。

ドレイク星人=宇宙人

おそらく多数派解釈ドレイク星人が永い永い旅路の果てについに未知の地球文明と邂逅する、という筋書き。

地球人と思わせておいて実は宇宙人でしたという、ミステリでいうところの叙述トリック

まずはこの解釈自然だろうと思う。自分もこうだと思ったし、おそらく作品もこれで書かれているんじゃないかと思う。

なぜなら、最後タネ明かしとばかりにボルマンちゃん写楽の三つ目が披露されるからだ。「ほんとは宇宙人だよーん」

読後感も爽やかで、ハッピーエンド感がある。

 

しかし、だとすると、この解釈には色々と納得いかない点がある。

たとえば冒頭のボイジャー解説のくだりは、実はトビラを挟んで3PめのAI講義とはつながってはいなかったことが「しかもこんなの初めて見た…」というセリフで明かされるわけだけど、叙述テクニックと言えるのはぎりぎりこれだけで、以下の要素はハードSF的なテーマを扱う作品としてはアンフェアミスリードしか言えない。

まずフェルミボルマンといった明らかに地球由来の名前地球と縁もゆかりもない別の知的生命体に偶然地球人と同じ名前がつくか? という疑問。フェルミボルマンスルーできた読者も、彼らの名前湯川や小柴だったらどうかな? 当然「地球ルーツに持つ人々」だと思うよね。

それに、タンパク質といった地球由来の概念(よその生命体が高分子アミノ酸ベース組織を持つとは限らない、そもそも有機物とも限らない)。

人類」「銀河」といったタームも地球との関係を想起させる(人類は広い意味では「わたしたち」程度の意味だけど、ホモサピエンス意味でもある。銀河も、あるひとつ銀河を指して言う時は通常は天の川銀河系のことだ)。

はっきりと「この子たちは地球人だよ」と故意に誤解させる意図が明白だ。

ドレイク星人=地球

永い永い旅路の果てについにめぐり逢えたのが結局自分たちと同じ地球人の痕跡でした、という猿の惑星オチ

この解釈であれば、「ドレイク星人=宇宙人」説の弱点だったところを比較的よく説明できる。

フェルミボルマンドレイクといった固有名詞地球由来であることや、彼らがタンパク質ベースの肉体を持つことの説明もつく。

しかこちらも説明のつかない(つけにくい)ことは残る。

まず猿の惑星オチだとするとかなり絶望的なバッドエンドなのだけれど、エンディング楽天的で爽やかに描かれているのは矛盾する。

彼らが三つ目であることについては何万年もの間に人類に何かあったんだろうと解釈できるから特に説明はいらないと思うけど、ボルマンちゃん写楽の三つ目を印象深く披露する演出にはまったく必然性がない。異形の進化を遂げてしまった人類という陰惨なイメージになってしまうからだ。

ドレイク文明地球文明がもし地続きだとしたら冒頭のボイジャー解説シーンはAI講義の一部とも考えることもできそうだけど、講義を夢中で聞いていたふたりボイジャーを「初めて見た」と言っているので、ふたつのシーン(つまりふたつの文明)はやはりつながっていない。ボイジャーと偶然出会っているということはボイジャーの飛行経路も知らずに当てずっぽうに飛んでいたわけで、途中に文明の断絶があったと考えるほうがよさそうだ。

実は、過去に何かの事情地球を去った人々がのちにそうと知らずにふるさと地球に戻ってきてしてしまう、という設定のSFはアルアルなんだけど、この作品に関してはそのオチを目指して描かれているようにはちょっと読めなかった。

 

まりどっちの解釈採用してもギクシャクしてしまうのである

順当に前者の解釈をとるならば、登場人物フェルミボルマンドレイク星人といった名前をつけたことはその下心とは裏腹に明らかに逆効果になっている。「ちょっと知っている人」をニヤリとさせるどころか混乱させていると思う。

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