はてなキーワード: 開祖とは
マガジン20選を決める際、一人一作しばりを外した。ちばてつやと梶原一騎(高森朝雄)はどうしても二作選ばなければならなかった。週刊少年マガジンはちばてつやに育てられ梶原一騎に鍛えられた。特にちばてつやがいなければ今日のマガジンはない。
『ちかいの魔球』1961-1963『ハチのす大将』1963『紫電改のタカ』1963-1965『ハリスの旋風』1965-1967『あしたのジョー』1968-1973『おれは鉄兵』1973-1980『あした天気になあれ』1981-1991『少年よラケットを抱け』1992-1994
と三十年以上に渡りマガジンを牽引してきた生き神様のような存在だ。新人発掘のちばてつや賞選考委員として世に送り出した漫画家たちも数多い。Wikipediaを見るとあの人もこの人もちばてつや賞出身だったのかと驚く。漫画家初の文化勲章受章者になったのも当然すぎるほど当然の偉人。
梶原一騎は他誌でも書いているがマガジンでのヒット作が多い。『空手バカ一代』も『愛と誠』もマガジン連載作。
部活漫画の開祖。ガキ大将が剣道やボクシングやサッカー等様々なスポーツに挑戦する。後世への影響力は『あしたのジョー』以上ではないだろうか。アニメ化の際はガキ大将が大山のぶ代、メガネくんが小原乃梨子という配役だった。後のドラえもんコンビの原点という意味でも重要だ。
『墓場の鬼太郎』から改題。マガジン発ではないがマガジン連載で有名になり今もアニメがリメイクされる国民的キャラクターになった。
後世への影響力は間違いなくマガジンNo.1。苦悩する主人公、激しい特訓、写実的な絵でスポ根というジャンルを確立した。漫画界に地殻変動を起こした。その分パロディの対象にされることも多い。夏目房之介『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』と斎藤貴男『夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎』を読むと理解が深まる。
奇跡の名作。二つの異なる才能がぶつかり合い、週刊連載による偶然が積み重なり、梶原一騎的世界ともちばてつや的世界とも違う唯一無二の作品が完成した。日本漫画史はここで一つの頂点に達する。
日本最高の漫画を選ぶなら『あしたのジョー』と『デビルマン』は有力候補になるだろう。この二作が同時に載っていた当時のマガジンの恐ろしさ。永井豪は週刊少年漫画誌5誌全てに連載を持っていた。
アウトドア漫画の魁。前代未聞の高度な画力で釣りを啓蒙した。梶原一騎や時代の影響で暗くなっていたマガジンから明るさを取り戻す好機にもなった。当時10年間連載というのは非常に稀なことだった。
少年誌のラブコメの基礎を築いたというだけでも偉大だが、その後深刻なメロドラマへと変貌する。今の瀬尾公治や流石景はこの流れの中にある。柳沢きみおは過小評価されている。永井豪同様5誌全てに連載を持っていた。
熱血の時代から熱血を笑う時代へのパラダイムシフトを象徴する一作。小林まことと島本和彦は熱血する自分を高らかに笑いながらまた熱血し続ける。三四郎は『ハリスの旋風』のようにスポーツを転々とする。『青春少年マガジン 1978〜1983』を読むと壮絶な舞台裏が垣間見える。
かつてマガジン最長連載を誇っていた。超巨大学園の抗争から異種格闘技になったかと思えば突然ロックバンドをやり出して最終章ではどシリアスな展開に突入し「新」では柔道漫画に様変わり…と融通無碍な作風。マガジンのカラーそのものだ。「L」連載中マガジンSPECIALに移籍し2004年に中断。
峠の走り屋だった高校生が世界的レーサーへと成長するまでの物語。楠みちはる『あいつとララバイ』と共に80年代のバイクブームを盛り上げた。『バリバリ伝説』をバイブルと呼ぶバイク乗りは多い。後の『頭文字D』の布石にもなった。
森川ジョージはちばてつやの正統的後継者だ。『ハリスの旋風』を読んで漫画家を志し、ちば先生が描いているからという理由でマガジンに持ち込みデビュー。ちばてつや的世界を平成風にアップデートした『はじめの一歩』は途轍もなく面白い漫画だった。そんな時代があった。
世間への悪影響ではトップクラス。今でこそ「な、なんだってー!」をネタにしていられるが当時1999年人類滅亡に本気で怯えた子供は多い。70年代の五島勉の記憶が薄らいだ頃に再びノストラダムス大予言の恐怖を植え付けた。山本弘『トンデモノストラダムス本の世界』『トンデモ大予言の後始末』は解毒剤として有効。後者でのMMR批判は傑作。
ヤンキー漫画の集大成。同時期の『湘南純愛組!』『カメレオン』等と共にマガジンの治安の悪さに貢献した。これ以上不良を熱く描くのはもう不可能かもしれない。
1億部を超えるマガジン最大のヒット作。推理漫画というマイナージャンルを一気に隆盛へと押し上げた。雨後の筍のように模倣作が乱立しその中から『名探偵コナン』というもう一つの巨星が生まれた。影響力では『巨人の星』に次ぐNo.2だろう。福井健太『本格ミステリ漫画ゼミ』は推理漫画の歴史を概観した労作。これを読むと『金田一少年の事件簿』以前以後で全く景色が違うのがわかる。
『湘南純愛組!』の主人公の一人だったヤンキーが教師になって大暴れ。マガジンがジャンプを破り日本一の発行部数に君臨する立役者にもなった。TVドラマも大ヒット。反町隆史・松嶋菜々子のビッグカップル誕生のきっかけになったという意味でも影響力は大きい。
萌えをマガジンに定着させた。雑誌のカラーを変えたという点でかなり重要。これ以後の『スクールランブル』等の恋愛漫画にもつながる。一方でヤンキー漫画は減っていった。
正確なスポーツ描写の時代を象徴する一作。同時期の『あひるの空』はスポーツ弱小校を描くことによって、『ベイビーステップ』は現実的なトレーニング理論を取り入れることによってリアリティを追求した。梶原一騎の根性主義は完全に過去のものになった。
70年代しかあり得なかったはずの週刊少年漫画誌全誌連載が10年代に甦った。『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』『FAIRY TAIL』『魔法先生ネギま!』等のファンタジー漫画隆盛の象徴としても挙げておきたい。
障害にいじめという深刻な問題を描き大反響を呼び様々な議論を巻き起こした。マガジンは塀内夏子以来女性漫画家が多い。(最初は里中満智子だが流れを作ったのは塀内夏子)『シュート!』の大島司、『Harlem Beat』の西山優里子、『ゴッドハンド輝』の山本航暉、『トッキュー!!』の久保ミツロウ、『ベイビーステップ』の勝木光、『ヤンキー君とメガネちゃん』の吉河美希、『ドメスティックな彼女』の流石景等。
今、不良は現実でも漫画でも下火になっている。その状況で不良漫画を描くにはどうしたらいいか。タイムリープで不良が盛んな時代に行けばいい!という発想の転換で大ヒットになった。時代の移り変わりを象徴する一作。
『天才バカボン』も『男おいどん』も『野球狂の詩』も『三つ目がとおる』も『ミスター味っ子』も『シュート!』も『BOYS BE…』も『サイコメトラーEIJI』も『エア・ギア』も『FAIRY TAIL』も『五等分の花嫁』も『ブルーロック』も選外になってしまったが、マガジンの歴史の流れを重視して選んだ。
追記・返信
今回の20選は「後世への影響力」「時代の象徴」という観点から選びました。
>”柳沢きみおは過小評価されている。” 同意なのですが、すっきり終わるのがないからでしょうか。
今の流行と合わないというのもありますが、本人が自分のブランド化に失敗してる感じもします。
>ミスター味っ子はグルメ漫画の演出にだいぶ影響を与えたのではないだろうか。むしろアニメ版が大きいのか?
そうですね、『ミスター味っ子』の影響力はアニメの今川演出によるところが多く、原作は割と普通なので。
>巨人の星とあしたのジョーの連載時期が重なっていることを再認識して呆気にとられる
本当に恐ろしい。よほどマガジンの風が合ったのか。
>90〜ゼロ年代の読者には「週刊少年キバヤシ」みたいな印象があるが、こうして列挙されるとそこまででもない、のかな。いや
>バリ伝が入ってるのは嬉しい。イニDのキャラクターに感じられなかった生気のようなものがまだあった。
『バリバリ伝説』は絶対入れようと思ってました。『頭文字D』よりこっちですね。
>七つの大罪ってそんなか?とか所々疑問はある。
うーん確かに。『FAIRY TAIL』の方がよかったかもしれません。
>「コータローまかりとおる!」途中で訳が分からなくなって、読むのを止めた。それまでは楽しみに読んでたよ。私は20選に選ばない
まあ名作というわけではないけど、あのなんでもありな感じが実にマガジンらしいと思います。
> 味っ子IN大罪OUTだな、スーパードクターKは面白いけどブラックジャックと北斗の拳の悪魔合体だし
うーんやっぱり『七つの大罪』は外そうかな。Kを入れなかったのはまさにその理由です。
>つのだじろう「うしろの百太郎」は外せないのではないか。当時恐怖オカルトマンガ大ブームの立役者の一つだったよ。
> 私は良き読者でないのでどれを落とせとは言えないのだけど『天才バカボン』を外すのは納得できん。友人は「当時のマガジンはガロなんかよりよっぽど前衛的だった」と言っていた。ていうか全般に赤塚評価低すぎん?
『天才バカボン』も本当は入れなきゃいけないんですが……。かなり悩みました。赤塚作品はサンデー10選にもりぼん10選にも入ってるので全般的に評価が低い訳ではないと思います。
>「ミスター味っ子」は良くも悪くも王道の少年グルメ漫画なので、個人的にマガジンならではって意味では「将太の寿司」の方が重要かな。
同感です。入れるなら味っ子より将太。しかしただでさえ90年代が多いのでこれ以上入れるのは難しかった。
>ミスター味っ子は料理漫画としてエポックメイキングだったし、オフサイドは女性作家の描くスポ根漫画としてエポックメイキングだったと思う。
塀内夏子はマガジン漫画家20選なら入ると思います。かなり重要な作家。ただ作品で見ると20選は難しいかと。
>概ね同意ではあるんだが、さすがに真島ヒロが居ないのはおかしい。 迷うが、七つの大罪→FAIRY TAILはしないといけないかと。
そうですね。真島ヒロはここ四半世紀のマガジンには欠かせない……。『七つの大罪』と『FAIRY TAIL』を入れ替えるか。
Twitterでの反応も
https://x.com/FUNDOSHIMASK/status/1851540864256065548?t=4HG7KChe6go4rpZiQoj5uA&s=19
>しかしジャンプ版でもサンデー版でもそうだったけど、通史で語るとどうしても21世紀が弱くなっちゃいがち。というか流石に21世紀マガジン作家として、ばっちょ>真島ヒロは無くない?
通史という性格上今が弱くなるのは仕方ないかと。しかし確かに鈴木央を入れて真島ヒロを入れないのはおかしいか。
https://x.com/renge_kick/status/1851544678833025184?t=5xA6twKuvH1r8CV6s02t7g&s=19
>RAVEはマガジン史においてかなり重要だと思う(ヒット規模はFAIRY TAILのほうがデカいけどマガジンに能力バトルが増えたのはRAVEからだと思ってるので)
https://x.com/renge_kick/status/1851601194126614683?t=n_MMf633SxuDnTGjJXmTUQ&s=19
>厳密にはRAVEよりも先にゲトバやKYOが始まってるんだけど、人気に火がついた早さやその後のネギまやツバサなんかのファンタジーバトルもののノリを見るとやっぱ重要なのはRAVEだよなーって
https://x.com/npeofnpe/status/1851570584460910706?t=ZqperbBdCK13dY0B_N36cg&s=19
>ごとよめって確か巻割100万いってましたよね?ラブコメ史上最強といえるので入ってない方が変かな
聲の形は単発でパッとあたったけどマガジン史においてなんか重要かと言われると別に…
というわけで改訂版を出します。00年代漫画が一作だけなのも気になっていた。
驚異的な執筆量で21世紀のマガジンを牽引する真島ヒロ。本作は海外人気も非常に高い。『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』『魔法先生ネギま!』『七つの大罪』等のファンタジー漫画隆盛の象徴としても挙げておきたい。
週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選 https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
えーいきなりごめん。私はりぼんに詳しくない!
でも少女漫画誌別、最も重要な漫画があまりにもあんまりだったのでこれよりはマシな選択肢を作ろうと思って書く。10点よりは30点を。選挙と同じだ。もっと詳しい人が上書きしてほしいし別マや少コミの10選も誰か書いてくれ。
・マキの口笛(牧美也子)1960-1963
バレエマンガの開祖。詳しくはバレエ漫画60年の遍歴60年代編https://note.com/bearsxxx/n/na7ff9f1aa61eを読んで。
現在の少女マンガのスタイルは水野英子・わたなべまさこ・牧美也子・高橋真琴が作った。四人とも健在。
・ひみつのアッコちゃん(赤塚不二夫)1962-1965、1968-1969
いたずらぼうずがとびだしたエッヘヘそれはだあれ…私は幼い頃'88年版のアニメを見ていた世代だ。「コンパクトが使えない」の回はハラハラした。今に続く魔法少女のスタンダードを確立。アニメは魔法使いサリーの方が早いけどマンガはアッコちゃんの方が早い。
不滅の金字塔。ソ連亡命って時代だなあ…。これもバレエ漫画60年の遍歴70年代編を読んで。(人任せ…)山岸先生はこれで開眼したんだけど、それ以前の作品もどうかどうか単行本化して下さい!読みたいのに読めないよ。
・たそがれ時に見つけたの(陸奥A子)1975
でた!りぼんおとめちっく御三家!私はあんまり好きじゃないんだけど…でも入れるしかないよね。フランス窓便り(田渕由美子)花ぶらんこゆれて…(太刀掛秀子)までは手が回らなかった。
・砂の城(一条ゆかり)1977-1979、1980-1981
えーっ有閑倶楽部じゃないの?と言われそうだけど「りぼんの一条ゆかり」としてはコメディよりロマンを取るべきじゃないかと思うのだ。悲恋にうっとりした後で作者コメントにムッとするまでがセット。
・ときめきトゥナイト(池野恋)1982-1987、1988-1990、1991-1994
大ヒット作。私はアニメ知識しかないけど全然フィフティーフィフティーじゃないよね。古田喜昭は天才だと思う。クリィミーマミもシュガーのウェディング・ベルもこの人。
・ちびまる子ちゃん(さくらももこ)1986-1996、2002-2016
私は「まる子ノストラダムスの予言を気にする」の回がすごく好きで、お姉ちゃんの「ハズれることだってあるのよ そしたらあんたただのバカな大人として残りの人生すごすのよ」「1999年はどうなるかわからないけど明日のテストができなきゃ怒られるのは100%確実でしょ」はとりあえずの座右の銘にしている。
最後まで悩んだ一枠。これか星の瞳のシルエットかママレード・ボーイかで悩んだ。結局後の作者の活躍ぶりを考慮して選んだ。それにママレード・ボーイを10選に選ぶのは倫理観が邪魔をした。
やっぱりありなっちの絵は綺麗!それに尽きる。素行に問題のある人だけどあの絵を見ると許してしまう。女版玉置浩二。
2015年からの続編含め、今のりぼんを二十年近く支えているホラーマンガ。集英社みらい文庫でのノベライズも40巻に及ぶ。りぼんの認識が90年代で止まっている人は絶叫学級とハニーレモンソーダを読むこと!
もし20選ならこれも
パリおっとじゃないよ、ともえ・さとおだよ。わんぱくな子供たちのノリがいい!再評価されるべきだと思う。
・銀曜日のおとぎばなし(萩岩睦美)1983-1984
やっぱり10選に入れるべきだったかな〜。250万乙女のバイブル。柊あおいの代表作は耳をすませばではなく星の瞳のシルエットだ。
あーみん!あーみん!EじゃんGジャン最高じゃん。買うは一時の恥 買ったら一生の恥 ってこれはお父さんは心配症か。
1話で主人公の両親が離婚し父はボーイフレンドの母と再婚し母はボーイフレンドの父と再婚し6人で一つ屋根の下で暮らす話。これに限らず吉住渉のマンガって倫理観がぶっこわれてるよね!
思いっきりドンピシャ世代。アメリカ気分でテキサス!こっちは倫理の教科書といってもいいくらいちゃんとした話。
・HIGH SCORE(津山ちなみ)1995-
まだやってんのかーい!なかよしのわんころべえ、ちゃおのこっちむいて!みい子、りぼんのHIGH SCORE。りぼんだけシュールだな。
今のりぼんの看板。1300万部突破、2021年実写映画化、2025年アニメ化決定!りぼんっ子のあなたはもちろん読んでるよね?
姫ちゃんのリボンとグッドモーニング・コールと愛してるぜベイベ★★が選外になったのは心残り。あ、あとりぼんの横山光輝なら魔法使いサリーよりおてんば天使だよ!
姫ちゃんのリボンは入れたかった!水沢めぐみはりぼんの良心。でもネットでりぼんの話になるとどうしても80年代90年代に偏ってしまうから古典や現役の人気作にも目を向けてほしくて年代をばらけました。
誤字訂正。
著書を残さなかったが、弟子や信者がその思想を書き留めて後世に伝えた思想家の例として、以下のような人物が挙げられます。
ソクラテスは著作を残さず、対話を通じて思想を伝えました。彼の教えは弟子のプラトンによって書き留められ、プラトンの対話篇を通じて後世に伝えられています。
ギリシアの数学者であり哲学者であるピタゴラスも自身で著書を残さず、彼の教えは弟子たちによって伝えられました。彼の思想はピタゴラス教団によって広められました。
仏教の開祖である釈迦は自身で著書を残さず、彼の教えは弟子たちによってまとめられ、仏典(経典)として伝えられました。
孔子自身は書物を残していませんが、彼の言行録である『論語』は弟子たちによってまとめられました。
老子は道家の思想家で、彼の教えは弟子たちによってまとめられ、『道徳経』として伝えられました。ただし、老子自身が書いた可能性も否定されていません。
イエス自身は何も書き残していませんが、彼の教えや生涯については弟子たちによって書かれた新約聖書に記録されています。
イスラム教の創始者であるムハンマドは自ら書を残さず、彼の教えは弟子たちによってまとめられ、『クルアーン』として伝えられました。
これらの人物は直接著作を残さず、弟子や信者が彼らの教えをまとめ、後世に伝えました。そのため、彼らの思想は間接的に伝えられています。
原始神道では、神が宿る対象は特定の巨木や山などに限られていたのは増田の言う通り。
しかし平安時代初期(8世紀~)から中世にかけて神仏習合が進むにつれて、森羅万象に神が宿るという思想に変わっていった。
特にこの時代の神道は密教の山岳信仰と密接に結びついていて、山中のあらゆるものに神が宿ると考えられるという思想が、現在まで続く概念の起源となる。
その後は伊勢神道(9世紀~)が「森羅万象に神は宿る」という思想を広め、
江戸時代の吉川神道の開祖である吉川惟足(1616~1695)が明確に「神は幽玄にして森羅万象に充満し、一草一木もこれ神ならずということなし」と表明した。
2500年ほど前に生まれた宗教。「生きることは苦しみであり、その苦しみから逃れるにはどうすればよいか」という問題に、開祖は「思索を深めて悟りを開くことで苦しみから解脱する」ことを説いた。僧侶となり厳しい戒律を守ることで悟りを開くことができるとする派閥と、過去に悟りを開いた人たちが神のような存在となって僧侶でない人でも助けてくれるとする派閥がある。
2000年ほど前に生まれた宗教。神と開祖は同一の存在であるとする。世界が終わるときに神による裁判が行われるが、開祖が全ての人の罪を背負って死んだので、開祖の言うことを信じて生きれば救われる、と説く。当初から国家によって保護されたので、キリスト教の指導者と世俗の君主との棲み分けがなされ、そのため倫理・道徳としての側面が強くなった。
1500年ほど前に生まれた宗教。神と開祖は異なる存在であり、人ならざる神の気持ちを推し量ることはできないので、ただひたすら神が命じたとおりに行動するしかない、と説く。また、開祖自身が国を打ち立てた指導者だったことから、イスラム教は国家・政治と一体化しており、その教義がそのまま法律として運用されている。
侵攻編でググったらFF14らしいが、俺はFF14は無料のβしかやってないぞ。FF11もβしか触ってない。
FF民はFFこそがMMOと思ってて他の世界を全然しらないんだな。傲慢で鼻につくぜ。
俺がやってたのは8割が韓国産だ。マビノギとかAIONとかは3年以上やってたな。
まあAIONあたりが典型的なロールに応じた動きが求められるMMOでFF系に近いとは思うが、FFより全然面白い。飛べるしな。
戦争ゲーだとAIKAあたりは多対多なのに異様に軽くて技術的特異点だったな。
飛べるっていうとFlyffなんかも飛べる系ではほぼ開祖だったはず。マビの飛行ペットもよく出来てたけど。
国産で印象的だったネトゲはMaster of Epic、FEZ、コンチェルトゲートフォルテ、MHF、PSO2くらいだな。あとすぐ終わったけどメビウスオンラインもエロくて良かった。
雰囲気的に一番好きだったMMOはシールオンラインだ。あとはMOアクションならエルソードあたりかな。音楽はROやアスガルドやTWが優勝。シールもかなり良いけど。
一番熱中してた時期はメイプルとかの全盛期で、黒い砂漠やToSが出てきた頃にはまあ一通りやったけどスマホゲーに移りつつあった。
新年だし新しいことでも始めてみようかと思ってる君たちへ贈る
https://zebrack-comic.shueisha.co.jp/title/243
自律型囲碁ロボットが1/5囲碁の日から、高島屋、囲碁サロン樹林で先行予約開始
https://twitter.com/SRobot90498/status/1740263218130682256
棋士も自分の対局日をよしろーさんのTwitterから知ることもあるのだとか
https://twitter.com/yoshiro_kaba
囲碁の別名
信長・秀吉・家康に仕え信長より名人の称号を授かる。本能寺の変で信長の首を算砂が持ち出した説もある
最高が7段だった時代に実力13段と言われた。現代でも歴代最強の声もある棋士。段位制度の開祖
秀策がよく打っていた「秀策のコスミ」は、江戸時代と違ってコミのある現代碁ではぬるいとされ廃れていたがAIによって評価され復権した。
秀策曰く「この先どんなに碁が変化しても碁盤が19路である限りこの手が悪手になることはないだろう」
家元制の本因坊としての最後の跡目本因坊。終身名人制の最後の名人。
当時世界最強棋士・李昌鎬との意見会で李昌鎬含めアマチュアが見ても、どう見ても白のほうが良さそうに見える場面、李昌鎬が「黒は投了レベル」とまで言った局面を「黒のほうがいい」と断言。
33年経ったいまAIにかけてみるとたしかに藤沢秀行の感覚が優れていたことが判明した。
https://youtu.be/KRnedlmloqo?t=1964
中韓棋士を熱心に育成したため、中国には藤沢秀行記念館がある。
読売新聞が中国から連れてきた天才棋士。読売の嘱託棋士として紙面の対局企画で日本棋院棋士たちを次々と破った。
木谷實とともに「新布石」を生み、それまでの碁を一変させた。
棋戦中継
韓国の囲碁チャンネル。仲邑菫の対局は今後こっちで見れるようになる
1月2日~4日には🇯🇵仲邑菫(14)VS🇨🇳呉依銘(17)VS🇰🇷金恩持(16)の日中韓天才少女対決の新春特別企画が行われた
https://www.youtube.com/watch?v=qhz7ix0nGgo
藤沢里菜がタイトル挑戦常連の余を破りベスト8まで進んでいる、ベスト4になれば女性初
実は現代は囲碁の歴史上かつてないほど覚えやすい環境が揃っている
普通の囲碁(日本ルール)を覚えるならこれがオススメ。無料で広告もなし
なんとこのアプリ、開発費2000万を囲碁篤志家の全額負担によって作られた
https://www.asahi.com/articles/DA3S15626082.html
囲う囲わないという言葉に混乱してる人は純碁から入るのがいい。
囲碁は純碁の石で埋める過程を省略しているだけだというのがわかる
正直、いまの技術水準で言えば、手塚治虫のマンガのレベルはどれぐらいだろうか?
断言して言うが、決して高くないと思う。
開祖ではあるかもしれない。しかし、神として崇めるのは無理だ。
誤解しないでほしいのだが、人物として偉大だったと思うし、すごい人だったとも思う。
日本のストーリー漫画は手塚治虫先生がいなければ、別のものになっていたということは理解している。
その上で、作品を読んだ上で言うのだが、源流ではあっても神ではない。
例えば、他のジャンルに置いて大山倍達は近代フルコンタクト空手の開祖だが、その技術レベルは、果たして現在の格闘技レベルにおいてどれぐらいのものだろうか。
決して高い水準にあるとは言えない。
しかし、その弟子から派生した近代空手、総合格闘技の歴史において大きな存在感がある。
その発展に、意味があるのであって、神格化することには違和感を感じずにはいられない。
尊敬していないわけではない。当時にすごいことをやっていたということは感じる。
ガンダムなんかも、名作だと言われるが、たしかに名作だったと思う。
しかし、いまの技術レベルで見ると正直作画崩壊のように感じられるし、キツイと思う。
水星の魔女について、中学生は普通に楽しめるが、現状、ガンダムを見る場合「古典として、色々我慢して、視聴する」必要がある。
手塚治虫先生の作品は、時代の流れを超越した存在か? と言われると、決してその水準ではないと思う。
過去に対するリスペクトを神格化という形で創作者にやるのは、なんか違和感を感じている。
ラーメン再遊記の塩匠堂のような扱いをしているのではないかという気持ち悪さを感じる。
近年、創作は極めて大きな発達を遂げている。その面白さの水準に、過去の手塚マンガは残念ながら達していない。
しかし「漫画の神様」というフレーズは、違和感を大きく感じる。
羽生会長のこのインタビューを見た後だと、余計に違和感を大きく感じる。
なんか流行ってるらしいので元ネタを知らないが、「当時は斬新だったが後に主流になったもの」の意で囲碁のゾルトラークを挙げてみる
要はコロンブスの卵だろう
江戸時代~大正期までの囲碁において隅に打つ手といえば小目だった
ヒカルの碁でも「一手目が星など秀策の時代には考えられなかった」というセリフがある通り、江戸時代の棋譜を見れば笑っちゃうくらい猫も杓子も小目しか打っていない
昭和期に入ってそこに大変革をもたらしたのが木谷實と呉清源という二人の天才である
木谷と呉は『新布石』を宣言し、星や三々、天元など今までの囲碁の常識を覆す変則的な布石を打ち始めた
昭和期までの囲碁といえばコミがなく、黒は比較的ゆっくり構え、白は黒の先手分の有利を崩すために積極的に隅に攻撃をしかけていくのが主流だった
それが白番にコミが与えられるようになり、黒もスピード展開を求められるようになった
隅を一手で済ませる星、三々が現れたのはこのためと思われる(小目はシマリと二手セットで地になる)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B8%83%E7%9F%B3
星の弱点は地に甘いことであり、三々にもぐられるとまるごと隅をとられてしまう
しかしあまりに早く入ると相手に厚みを与えてしまう、三々に入った側が得られる地に対し相手の厚みが強大で入るタイミングが重要とされた
そんな風潮の中忽然と現れたのがAlphaGoによるダイレクト三々である
開始早々に星へ三々入りするAIの手はおおいに注目を集めた
元々この手が悪いとされた原因に、「二線は敗戦」と呼ばれるくらい、二線を這う手と三線をノビる手では二線を這った側の損が大きく、出来るだけ二線を這って生きる手を打ちたくないという思い込みがあった
そのため二線を這う手ではなく、ハネツギを打つことで生きるのだが、それが相手に強大な厚みを与えるので序盤早々に入るのは不利だったのである
二線を1本多く這って生きてハネツギを省略することで、相手の厚みが緩和されるので互角の分かれになるという大発見をもたらした
この囲碁界の常識を覆したAlphaGoによる「ダイレクト三々」はいまや囲碁界の主流となっている
https://www.youtube.com/watch?v=mmK1_5bxblI
本来、隅を重視するのが囲碁のセオリーだが、そのセオリーに反して中央を重視する「宇宙流」の使い手・武宮正樹が得意とした布石
地に甘いとされる星を隅、隅、辺に三連打して悠然と構え中央に大勢力を築く
武宮はこの三連星と宇宙流を武器に本因坊5連覇、および国際棋戦の富士通杯、TVアジア杯の連覇を果たし一時代を築いた
または道策流とも。本格的な中国流の開祖は安永一とされ、中国には陳祖徳が広めたとされる。
1965年の日中囲碁交流の際に非常に注目され、日本に逆輸入された
一種のハメ手的な要素があり、相手が対策を知らずに隅にかかってきたら挟み、予め辺に開いていた石を活用して相手の石を圧迫していく
攻防を兼ねた手堅い一手で、江戸時代に流行したがコミのある現代碁では足が遅く、甘いとされた
しかしAIがこの手を示すようになってプロの間でも再評価され復権。再び打たれるようになった
元増田さんはこの歌詞が歌われている曲を知りたいのだろうけれど、それは生憎存じ上げないのだが。
ただ、宗教というものを考えると、開祖がいる宗教は、その開祖が作ったわけで、それは「手作りの宗教」と言えるのかも知れない。そう思うと原始宗教のような自然発生的に生まれた信仰以外は全て手作りなのかも知れない。
はたして自分が神様を作ってそれを信仰することができるのだろうかということも考えてしまう。
俺は自己評価が低いタイプの人間なので、自分が作ったものには一定の不信感というか、どこか間違っているんじゃないかという疑念を完全に払拭することができない。仕事で客先に製品を納品した後も「何かチェック漏れがあるのではないか」と思っていて、客先から電話があったりするとドキッとしてしまう。しかし仕事であればそのくらいの用心深さがある方が良いとも思っている。
だから自分で神様を作ることができたとしても「この神様どこか間違ってるんじゃないだろうか」と思ってしまうだろうからうまくいかないだろう。信仰は盲信することが必要なのに。
しかし世の中には、自分の考えていることや自分のやっていることは完全に正しいと信じて疑わない人もいる。自己評価の高い人。彼らは、自分の行いや考え方の正しさを信じて疑わない。己を盲信しているとも言える。
そういう人が神様を作れば「これは完璧な神様だ」と何の疑いもなく思えるんじゃないだろうか。
しかし自分が作ったものというのは自分という創造主よりも下位にいるわけで、そうなると信仰のような気持ちを持てるだろうかという気もする。やはり神様は絶対的な上位にいてそれを崇めることで信仰は生まれるだろうから。ブッダもキリストもムハンマドも神を作ったわけではなく、神という存在は既にあって、その解釈や神様に近付くための教義を作ったといえるのかも知れない。
それでも敢えて神様を作るとすれば、どういうのがいいだろうか。世界中にある宗教の良いところを抽出して採用して、受け入れられない禁忌は除外していく、そういう方法が良さそうだ。
豚肉は好物なので食べてもいいことにしよう。
日曜日は遊びに行くか休みたいので、教会にいかなければならないみたいなのもなしで。
婚前交渉はあってもいいでしょう。ありで。
あまり自堕落にしていると軽い天罰みたいなお叱りはあった方が良いかもしれない。
こんな風に考えていくと、基本的に自由でいさせてくれて、堕落しそうな時は叱ってくれる。そしていつも暖かく見守ってくれる。そういう神様が良さそうだと思ったけれど、それってオカンやん。