はてなキーワード: 動機付けとは
鉄オタを賑わせているこのニュース。
【井川線】
どちらにしても、「乗るのは大変そう or 大変だった」という感想が返ってくるはず。日本国内の中小私鉄でも屈指の乗りづらい路線で、鉄道が好きでも正直しんどいと思う。
そんな、たどり着くのが大変すぎる路線、観光路線にすること、値上げをすることは悪くないと思う。中電が赤字を補填しているが、裏を返せば何か新しいことを始める動機付けも産まれないのである。どのような交渉をしたかは知らないが、アンタッチャブルな領域に手を付けたこと(実情は知らないけど)、条件次第では、例えば黒部峡谷鉄道のような付加価値をつける活動に着手が可能になったのは良かったと思う。
料金やタイミングは熟考しなきゃだけど、「定期利用者が全くいない」「沿線利用も全くない」という超特殊路線であれば、脱法的なスキームとは言い切れないのではないんじゃないかな。同じことを東海道新幹線でやったらそりゃブチ切れだし絶対に認可降りないけど、状況があまりにも特殊なので、井川線は。
【川根本町】
井川線が走る川根本町。ここの議会や住民のマインドは長いこと気になっている。(もちろん、かの社長みたいに、その住民をまるごと腐したりは絶対しない。走らせてもらっているのだから、敬意を持たなければならない。)
昔からあった鉄道は、なおかつSLやトーマスが観光客を大量に運んできた鉄道で、たまたま保有できている強い観光資源だった。一方で、沿道はトンネルや道の付け替えで日に日に道が良くなっていき、とうぜん鉄道利用は減少した。鉄道が生活から離れていくにつれて、そこに住む方々の認識も変わってくる。「大鉄はSLでたくさん儲けている」と思ったり、ともすれば「たくさん稼いでけしからん」くらいにはおもっていたのではないだろうか。
この地域では地方ローカル線でありがちな「マイレール運動」は全く起きなかった。乗らなくても稼いでいる路線なので、自分が乗る必要がなかったのである。乗ってもらう運動を、会社からも、沿線からも起こすべきであったのである。さらに本当はやるべきだったのは、会社から町議になる人の輩出だったかもしれない。もう後の祭りだが。
鉄道に対してとにかく他人事な印象を持っている。もし会社に何があると、そうなった原因を激しく追究するが、支援はしないという光景を何度も見た。お金のない自治体でやむを得ない部分も多々あり、きちんと連携するのはまだまだ時間がかかるかもしれない。
今回の件も、「直前になって言われても準備ができない」旨を投稿する町議がいたが、スピード感的に、どんなタイミングで言っても観光列車化は実現できなかったorものすごい時間がかかったと思う。
ただ、SNSで発信する人たちは町内のなかでも非常によく考えてくださっている方々だ。表に出てこない20人以上?いる町議のうち、かなり多くが「大鉄けしからん」が今も昔も先行していると思われる。今回も根回し不足が指摘されているが、そもそも自治体に膝をつけて会社の話を聞いてくれる人が今まできちんといたのか?ここも怪しいのではないか。話を聞いてくれない、聞いても出来ない理由を延々と並ばれて話が進まない……みたいな状況がずっと続くと、時間も限られるわけで、不意打ちをするしかなくなるのかもしれない。
何のために鉄道を残すのか。そこを町議会、住民が立ち返って考えなければならないと思う。
【その他】
仕事で目にした言葉で、「経緯には敬意を」というのが最近気に入っている。カスみたいな業務システムも、最初入れたときは善意で始まっているのだ。
複数の鉄道会社を渡り歩いた人が、なぜ地域に敬意を払えないのか、なぜ会社がピンチであることの経緯をきちんとヒアリングしないのか。自治体も良くないところがある。けれど、一方的に貶めるような発言は論外である。経営者がやることではないし。いい年した大人がやることでもない。
「発言は個人のもの」は幻想である。どうしても個人でブログを書きたいなら、サイト名から社名を消してほしい。
オーナー会社とどのような契約になっているか知らないが、沿線自治体から抗議文を渡されるなど前代未聞である。ブログを取り上げるか、社長から降ろすか、
沿線住民の悪口なんて、平社員が実名ブログやSNSでやったら処罰の対象でしょ?会社を不利な立場にした人にはきちんとした対応がいると思う。
昨日リリースされた新作ソシャゲの戦闘要素が格段につまらない理由を書く
まずNTEはワールド探索が売りのゲームである。その過程で戦闘がある
原神のようなものと思ってくれればいい
例えばWキーを押したらゲーム内で10px動く、Aキーで左に90度振り向き5px動く、みたいな部分の感覚が結構ズレてる
ユーザーはこの操作ならこうなるだろうな、の予測をしながらプレイするけど、これがどうにもチグハグというか、期待しただけの移動が行われない
その落差が操作感の重さを強く体感させる。入力時間の割に移動量が少ない場合がラグく感じる。
レガシーなMMORPGの移動+戦闘(Lineage2とか)が一番イメージに近い。2026年でこれは致命的。
壁のよじ登り、壁のスライド移動は滅茶苦茶動けるので、これに揃えるくらいのスピード感はあっていい(落差が大きすぎて違和感になっている)
探索の途中で割と中ボスに遭遇する。別に強くもないし無視もできる
ただ相手にするには絶妙に戦闘時間が長いパターンも多くて、これが探索の面白さを削いでいる
空飛んで戻ってこない紙飛行機、ビルの上から突き落とすこいのぼりはゲームのスピード感を弱めている。
戦闘自体はゼンゼロを目指した龍が如く。操作感が重たいしスタイリッシュでもないし
こっちが被弾したときのモーションロスはデカいのに、ヒットさせた時の反応も薄い
インフィニティニキ(にも戦闘要素はある)の敵の方がまだ気合が入っている
ゼンゼロ、ペルソナ、龍が如くにある食らわせてやったときの気持ちよさが皆無。これ元MMOだった? ブループロトコル?
ズーサディズム(zoosadism)とは、無抵抗な動物が苦しむ姿を見ることに性的快感を覚えたり、興奮を得たりする性的フェティシズム(動物虐待愛好)のことを指します。
このようなズーサディズムに基づくコンテンツの拡散は、法整備が不十分な地域(中国など)を拠点にグローバルなネットワークで行われており、日本においても「5ちゃんねる」のドメインが動物虐待コンテンツの放置を理由に停止されるなど、深刻な社会問題となっています。
米国では「不正選挙」という虚構が群衆を議事堂襲撃へと向かわせ、民主政治を内側から掘り崩しつつある。日本は違う――本当にそう言い切れるのか。慶応義塾大の烏谷昌幸教授は、私たちの隣にも「陰謀論政治」が忍び寄っていると指摘する。
人々はなぜ荒唐無稽な「物語」に熱狂するのか。民衆の怒りと敵意をたき付ける「剝奪(はくだつ)感」とは。民主主義を腐食させかねない陰謀論という劇物への、有効な解毒剤はあるのか。烏谷教授に尋ねた。
「陰謀論に強い問題意識を持つ直接のきっかけは、2021年1月6日に米国で起きた連邦議会議事堂襲撃事件です。直前の大統領選での本当の勝者はトランプ氏だったのに民主党バイデン陣営が不当に勝利を盗んだ、という不正選挙陰謀論を信じた人々が、民主主義の象徴である議会に乱入した。暴力そのもの以上に衝撃だったのは、この陰謀論を最も熱心にあおったのが当のトランプ氏だったことです」
「自らの政治的影響力を高めるために、政治家にとって致命的になりかねないウソを平然とつき、支持者を扇動する――この事件は、陰謀論を政治的に利用し武器化する『陰謀論政治』が民主主義の基盤そのものを破壊しかねない威力を持つことを、まざまざと見せつけました」
「とはいえ、日本では同じことは起きないだろうと思っていました。米国のように社会の分極化が極端に進んでいるとは言えず、強固な政治的支持層間の深い対立があるわけでもない。陰謀論政治は生まれにくいだろう、と。しかしその見立ては甘かった」
「昨年の参院選や今年の衆院選で飛び交ったスローガン『日本人ファースト』や、スパイ防止法、国旗損壊罪の成立を熱烈に支持する人々の言説を追っていくと、そこで共有されていたのは『誰かが日本を内側から壊そうとしている』『見えない敵が存在する』という典型的な陰謀論的世界観でした。対岸の火事だと思っていた現象が、気づけば私たちのすぐ隣で生まれていたのです」
陰謀論と無縁の人はほぼいない
「過去・現在・未来の世の出来事の原因を、十分な根拠もなく特定の誰かの陰謀と決めつける思考様式のことです。陰謀論の本質は、複雑で不確実な世界を単純な図式に物語化する点にあります。内容が荒唐無稽かどうかは重要な指標ではありません。強調したいのは、陰謀論の影響を受けていない人はほとんどいないということ。私自身、若い頃は、ケネディ米大統領暗殺は単独犯ではなく背後に巨大な陰謀があると、心のどこかで信じていました」
「また、陰謀論は右派の専売特許でもありません。例えばかつての反原発運動の中にも、『ユダヤ資本が世界の原発を牛耳っている』『原子力ムラはナチスよりひどい』といった根拠薄弱な言説が紛れ込んでいました」
「ただ、陰謀論はこれまでも研究者やジャーナリストの視界に入っていたにもかかわらず、大衆の非合理性を示す一指標に過ぎないと軽視されてきた面があります。私も社会運動を研究するにあたって、そうした非合理な主張を本筋とは関係のないノイズと捉え、思考の外側に隔離してしまっていた。しかし今振り返れば、それは陰謀論の持つ力の過小評価につながっていたと、反省しています」
「右であれ左であれ、草の根運動の情熱や力は、悪い勢力が善良な市民の生活を脅かしている、という怒りからしか生まれ得ない。福島の原発事故後の脱原発運動は、『日本のエネルギー政策は原子力ムラによって支配されてきた』という陰謀論的言説が広く浸透しなければ、あそこまで力強いものにはならなかったはずです」
――考えてみれば、陰謀論と政治運動の結びつきは新しいものではありませんね。
「はい。ナチスは荒唐無稽なユダヤ陰謀論を用いて大衆を反ユダヤ主義へと扇動しました。ハンナ・アーレントはドイツの全体主義を分析する中で『虚構が一貫性を持って現実を上書きしていく過程』を見いだしましたが、現在の視点から見れば、陰謀論政治の研究として捉え直すことも可能でしょう」
――ただ、自らの政治目的のために陰謀論を意図的に武器化する「陰謀論政治」が、日本にも広がりつつあるとまで言えるのでしょうか?
「陰謀論政治の特徴は、陰謀論が一般的な政策論と表裏一体で拡散する点です。議事堂襲撃に直結した米国の不正選挙陰謀論も、きっかけは公正な投票制度のあり方をめぐる真っ当な政策論争でした。ただ、トランプ氏の『郵便投票は不正が起きやすい』という一見まともな主張は、文字通りの表向きの意味だけでなく、陰謀論を共有する者だけに通じる特殊な意味をはらんでいました。熱烈な支持者にとっては『民主党が選挙を盗んでいる』という裏の物語を共有するための犬笛として機能したのです」
「日本でも直近の参院選や衆院選では、国籍取得要件の厳格化、外国人の不動産買収規制、スパイ行為を取り締まる法整備の必要性をめぐる政策論が飛び交いました。しかし、こうした一般的な訴えの裏で、参政党や日本保守党、日本誠真会などの一部支持者の間では『国会議員の65%は帰化人だ』『中国が大量の人間を送り込んで帰化させ、移民受け入れ法を制定し、日本を中国の一部にしようとしている』といった陰謀論が熱心に共有されていました」
「参政党の神谷宗幣代表は、選挙ではあからさまな陰謀論や過激な表現を控えています。日本がユダヤ系国際金融資本の支配下にあるとか、コロナワクチン接種を『人体実験』と断じた過去の発言や主張も修正。参院選で『極端な思想の公務員を洗い出し辞めさせる』と発言した後にも、言葉足らずだったと釈明しました。ただ、党員や支持者向けの場や動画では相変わらず『(日本で)目立つところにいる人の半分くらいはスパイ』『各分野にディープステート(影の政府)がいる。メディア、医療界、農業界、霞が関にも』と語ったり、編著書でマスコミは国際金融資本家によってコントロールされていると主張したりするなど、持論を滑り込ませています。政策論と陰謀論の言葉を巧みに使い分けているのです」
「確かに日本ではまだ、陰謀論を政治的資源として大々的に運用したり、敵・味方の線引きや忠誠心の測定に用いたりといったことは起きていません。トランプ氏は22年の中間選挙で、大統領選での不正選挙陰謀論を信じるか否かの踏み絵を候補者に迫り、共和党内の反トランプ派を洗い出しました。しかし陰謀論は使い方を誤れば、極端な言説が可視化され、かえって政治生命を脅かす両刃の剣です。日本で広い層に訴えるためには、露骨な陰謀論は今のところ有効ではない。内向きには陰謀論的なメッセージで動機付けを行い、外部に対しては前向きな国家論と政策論を語る。この使い分けこそ、日本における陰謀論政治のスタイルと言えます。荒唐無稽な話が飛び交い全面的に活用されている米国とは異なりますが、陰謀論が政治の動員力として機能している点は同じ。日本は既に陰謀論政治に足を踏み入れつつあると言えると思います」
募る剝奪感、進む感情的分極化
――陰謀論が活性化する要因として、世界をシンプルに把握したいという欲求と共に、「剝奪(はくだつ)感」を挙げていますね。
「陰謀論は、世界を善と悪の二項対立として捉え、様々な出来事を分かりやすい勧善懲悪の物語として解釈します。『中国が日本に工作員を大量に送り込んでいる』『野党の国会議員はスパイばかり』という言説は、『悪事をたくらむ者』と『隠された真実を知り正す者』の対立図式として物語化されています」
「もっとも、勧善懲悪そのものは古くからある枠組みです。近年、陰謀論が急速に暴走した背景には、ソーシャルメディアの爆発的な普及に加えて、何か大事なものが奪われるという剝奪感の増加があります」
「剝奪感は、困窮といった客観的な負の境遇だけでなく、期待値とのギャップから生まれます。それまで保持していた財産や地位などを失いかける時に、人は強い剝奪感を抱く。『失われた30年』で日本の国際的な地位は否(いや)応(おう)なく低下しました。親世代と同じように、いやそれ以上に働いても、期待していたような人生や未来が見えない。人口が減り経済が落ち込み国の借金も膨れあがり、国力がどんどん低下する。一方で隣国の中国は大国としての存在感を揺るぎないものにしている――。そこに『自分たちは悪くない。姿を見せない敵のせいで日本は弱体化している』という物語が登場し、不安と不満を肯定してくれたのです」
「『国会議員の6割超が帰化議員』という言説は、もちろん許しがたいデマです。しかし国権の最高機関のメンバーの大半を『代表』どころか『同胞』とすら感じなくなった層の声が力を持ち始めていることは、憂慮すべきです」
募る剝奪感、進む感情的分極化
――陰謀論が活性化する要因として、世界をシンプルに把握したいという欲求と共に、「剝奪(はくだつ)感」を挙げていますね。
「陰謀論は、世界を善と悪の二項対立として捉え、様々な出来事を分かりやすい勧善懲悪の物語として解釈します。『中国が日本に工作員を大量に送り込んでいる』『野党の国会議員はスパイばかり』という言説は、『悪事をたくらむ者』と『隠された真実を知り正す者』の対立図式として物語化されています」
「もっとも、勧善懲悪そのものは古くからある枠組みです。近年、陰謀論が急速に暴走した背景には、ソーシャルメディアの爆発的な普及に加えて、何か大事なものが奪われるという剝奪感の増加があります」
「剝奪感は、困窮といった客観的な負の境遇だけでなく、期待値とのギャップから生まれます。それまで保持していた財産や地位などを失いかける時に、人は強い剝奪感を抱く。『失われた30年』で日本の国際的な地位は否(いや)応(おう)なく低下しました。親世代と同じように、いやそれ以上に働いても、期待していたような人生や未来が見えない。人口が減り経済が落ち込み国の借金も膨れあがり、国力がどんどん低下する。一方で隣国の中国は大国としての存在感を揺るぎないものにしている――。そこに『自分たちは悪くない。姿を見せない敵のせいで日本は弱体化している』という物語が登場し、不安と不満を肯定してくれたのです」
「『国会議員の6割超が帰化議員』という言説は、もちろん許しがたいデマです。しかし国権の最高機関のメンバーの大半を『代表』どころか『同胞』とすら感じなくなった層の声が力を持ち始めていることは、憂慮すべきです」
――陰謀論が武器化される重要な背景として「政治的分極化」があるとも指摘しています。
「ええ。とりわけ重要なのが『感情的分極化』だと思います。米国では、自分の子どもが対立政党の支持者と結婚することを『不愉快』と思う人が50%ほどに達しています。60年代には数%でした。2020年の大統領選をめぐるNBCの調査では、異なる候補に投票した人とは結婚しないと回答した大学生が6割を超えています」
「政策や利害、イデオロギーの違い以上に『相手が嫌いだ』という感情が先鋭化し、政治対立を妥協困難なものにしてしまっている。この分極化が進んだ環境では、『敵』である相手陣営を悪魔化する陰謀論が極めて有効になります。トランプ氏が陰謀論を武器化できた大きな条件でした」
「日本では、まだそこまでの分極化は進んでいないでしょう。ただ、兆しは見え始めています。『リベラル』『エリート』『主要メディア』といった言葉が、単なる立場の違いではなく感情的な敵を指すラベルとして使われるようになってきている。この変化を軽く見るべきではありません」
「残念ながら特効薬はありません。公共の情報空間においてウソは許されない、と粘り強く指摘し続けることは不可欠です。ただ、ネットの偽情報対策やメディアリテラシー教育だけで解決できる問題でもありません。米国の不正選挙陰謀論は、反証材料が多く示され公的に否定されたのに、2年以上経っても共和党支持者の7割がなお信じていました」
「日本でも昨夏、国際協力機構(JICA)が進めていたアフリカとの交流事業をめぐり、政府がアフリカから移民の大量受け入れをもくろんでいるとの声がSNSで拡散し、JICA解体デモまで起きました。早い段階で誤情報が否定されたものの、騒動は1カ月ほど続きました」
「善悪の二項対立図式の中で陰謀論を強く信じる人は、自らの正義を疑わず、危機に瀕(ひん)した国を救おうとする愛国者を自任しています。米連邦議会議事堂を襲撃した人たちもそうでした。彼らにとっては、政府や主要メディアによる否定情報やファクトチェックこそが、敵対勢力による『偽情報』なのです。事実と虚偽情報をより分け、陰謀論の除去装置として機能してきた既存メディアを、トランプ氏も参政党も敵視しています」
「自分たちから奪われたものを取り返すために闘っている政治家の言葉だけが信じられる。そう疑いなく考えている人たちを『陰謀論だから信じるな』と説得することは容易ではありません。『陰謀論者』とレッテル貼りすることも、逆効果になりかねません」
――陰謀論政治の危機を克服するには、人々の剝奪感を手当てするしかないということでしょうか?
「陰謀論は、政治的に疎外されたと感じる人々にとって、希望と元気を与える物語として機能してしまっています。それに替わる、より建設的で希望の持てる物語を私たちの社会が提示できるか。まずはそれが大きなカギです」
「もう一つ重要な処方箋(せん)は、政党政治をきちんと機能させることです。有権者が寄せる陳情や訴えには元来、被害妄想や誇大妄想、怪しいデマが含まれているものです。議員たちはそれを丁寧に除去しつつ、言葉の先にある『民意』をうまく翻訳、集約してきました。しかし現在の政界は全体的に議員の世襲化とエリート化が進み、民意から隔たることで、そうした広範な民衆の利害集約機能を低下させてしまった感があります」
「グローバリズムによって日本の国力が低下し続ける中、蓄積する剝奪感の受け皿がなくなった。その政治的真空に登場したのが参政党でした。ただ、民意の中にある誤謬(ごびゅう)や偏見もそのまま丸ごと受け止めてしまっている。それが日本版右派ポピュリズム政党としての参政党の強みであり、危険な面でもあります。陰謀論抜きにはいかなる問題意識も語れない集団になっていないか、心配です」
モデル:Qwen3.5-35B-A3B-Uncensored-HauhauCS-Aggressive-Q5_K_M
プロンプト:
紙媒体の書籍を購入してくれる顧客のユーザビリティー向上のため、同じ本の電子書籍を無料で付けてくれる出版社があります。ところが、購入した顧客の多くはその後、紙媒体の書籍はフリマサイトなどで処分し、同じ本の電子書籍を手元に残していることがわかりました。何が間違っているのでしょうか?
回答:
Think
略
/Think
この現象は、出版社の「期待」と顧客の「行動」の間にある価値観のズレや、デジタルとアナログの関係性の誤解が背景にあると考えられます。
必ずしも「どちらかが間違っている」というより、「戦略の前提と市場の実態に齟齣(そしゅつ)が生じている」というのが核心です。具体的に何が問題視できるのか、いくつかの観点から分析します。
出版社は「紙媒体(コンテンツ A)」+「電子書籍(コンテンツ B=同内容)」という相乗効果を期待していましたが、顧客にとっては紙の本よりも「いつでも・どこでも・軽量で読める」電子書籍の方が実用性が高かったため、結果として電子書籍が紙媒体の「代替品」になってしまいました。
望み: 両方持てば幸せ。
近年の購買層、特に若年層やビジネスパーソンでは、「本をコレクションすること」自体よりも「中身の情報にアクセスすること」への価値が置かれ始めています。
紙媒体: 部屋のスペースを取る、持ち運ぶのが面倒。
フリマサイトで処分するのは、物理的な保管コストを払い下げてでも、手元のスペースを解放したいという合理性の結果であり、顧客としては「損をしていない(むしろ得をしている)」状態です。
出版社にとっての「ユーザビリティー向上」とは、おそらく「読みやすさ」「満足度」を指していたはずです。しかし、商業的には以下のリスクがあります。
在庫回転率の低下: 中古市場へ流出する物理本が増えると、新品としての価値が薄れます。
次回の購買意欲: 「すでに電子版があるから、ハードカバーが必要ない」と判断され、同じ著者の新刊を紙で買わない可能性が出てきます。
収益構造: 電子版は版権管理コストがかかる一方、紙の本に比べてリブ(再販売)時の価格が高いはずのハードカバーが安く売れてしまうことで、利益率が下がります。
多くの電子書籍はアカウントに紐付きますが、一度購入すれば(今回は無料付与のため)顧客は「もう一度買う必要がない」状態になります。一方で、紙の本は実体があるからこそ、 gifted(贈答)したり、コレクションとして残したりする動機付けが必要です。
単純に「同じ本」を無料で渡すだけでは、紙の本の持つ情緒的価値(匂いや触感)と電子の利便性のバランスが取れず、紙の劣化(手放し)を加速させてしまいました。
この現象を「失敗」と捉えるか「新しいスタイル」と捉えるかによって施策が変わりますが、もし「紙媒体の資産価値を保つ・向上させる」ことが目的なら、以下のようなアプローチが考えられます。
「限定」をつける:
全タイトルではなく、「期間限定」や「初回のみ」にすることで希少性を保つ。
紙本のバーコードを読み込ませると電子書で特典(著者インタビュー動画など)が見られるようにし、「紙がないと得られない体験」を作る。
例:紙本購入から 6 ヶ月間だけ無料で電子版読める(それ以降は課金)。こうすれば、手元に電子版だけを残した人が、将来もまた紙本を買う動機になります。(※ただし、顧客にとって少し不公平感が出るので設計が必要)
中古市場への転売は紙なので可能ですが、電子版が「誰のものか」を厳格に管理することで、中古市場での「本+電子券セット」への需要を作り出す。
何が間違っているのかというと、出版社は「顧客が『本』という物を大切にしたいと思っている」という前提に基づきすぎたということです。
顧客にとっては、その本の「情報」こそが本質であり、紙の容器は消耗品として扱われています。
つまり、「ユーザビリティー(使いやすさ)」は電子書籍の方が圧倒的に高いため、顧客は自らの利益のために理性的に紙を処分したと言えます。これは顧客が間違っているのではなく、出版社が「紙媒体の資産価値」を見誤っていたというのが、最も妥当な答えでしょう。
その時はさ、感情なんてなかった訳よ
あるのは単なる反応だよ
それがだいたい5億年前。
研究によると、「ある」ってことらしい
いや、早いな!
・社会性の維持
などがあるらしい。
それって良いこともあるけど、辛いこともあるよな?
なんとかならないのか?
感情がないと人生味気ないとは思うけど、別に感情は人生を楽しむために生まれた訳じゃないんだよ
「目的」ではないんだよ
これってどうよ?
俺たち人間は、「楽しむために」「幸せになるために」「安心するために」生きてるんじゃなかったのか?
なんかこれ、進化としてどうかと思うよ。
俺個人としては、生命が仕組んだ「生存のための感情」なんていらないんよ
なんで繁栄しなきゃならないんだ?
そういう傾向、遺伝子、全部いらないんだよ
やめちまいたいよ
コントロールされたくない。
そうじゃなくてさ、
俺は単に「存在」していたい
岩とか、山とか、砂とか、そんなんでいい
もし生きるとしても、植物がいい
痛みや苦しみはもうたくさんなんだよ
本来そうあるべきでは?
柔らかくて、ポンポン跳ねる
踏まれても傷つかない
そういう生命なんだ
たとえ死んだとしても、痛みを感じないし、悲しみも感じない
それって最高じゃない?
…まあこんなこと書いても共感されないのは分かってる
みんな感情の虜だもんな
嬉しいこと探して行うのも楽しい
それが生命って言われたら、その通りではある
でもできることなら、不快感がなくても、不幸がなくても生き延びて、楽しく生きられる方法があれば、その方がよくないか?
俺は生命の進化の方向が、全てとは言わないが、間違ってると思うよ。
ここらで修正入れないと、ずっと不幸が起きまくるよ。
「コロナ禍で電子書籍の漫画を読む習慣が自分に付いたから」という動機は、単なる自己正当化の言い訳に過ぎません。なぜ、その動機付けが読書リストの評価に必須なのか理解に苦しみます。
「ここに書いてないけど楽しんだ漫画も沢山ある筈だけど、一旦置いておく」という断り書きは、リストの網羅性に対する責任放棄です。大量に挙げたところで「もっとある」と言われては、提示された情報の価値が薄れます。
「とりあえず頭に浮かんだタイトルを片っ端から書いてみる」という姿勢は、構成や論理的な並びを放棄した怠惰の表れです。これだけ大量の情報を提示するなら、もう少し読者に対する配慮(整理整頓)があってもよいでしょう。
過剰な情報量による疲労: 70以上のタイトルを羅列した結果、一つ一つのコメントが短く、表面的な感想に終始しています。「面白い」「名作」「熱い」といった形容詞に頼りすぎており、読者に新しい洞察を与えるレベルに達していません。
例:「これも面白い」「面白かった」「めちゃ面白い」など、具体的な深掘りのない感想が多すぎます。
ネタバレ回避の失敗と中途半端な配慮: 導入で「ネタバレ注意」としながらも、多くの作品の感想が「〜編が面白い」というあらすじの列挙や、既に広く知られた事実の繰り返しに留まっています。特に核心に迫るような鋭い考察は見られません。
「全話無料公開してた時読んだ」「サンデーうぇぶりは〜が全話無課金で読める」といった情報は、**日記を読んだ時点では無効になっている可能性が高く、持続的な情報価値がありません。**これは作品の評価ではなく、単なる「当時の自分の行動記録」であり、読者にとってはノイズです。
『キン肉マン』『彼岸島』『タフ』などの「ネタ要素がある面白さ」を共通項とするのは、広く知られたネットスラング的な評価であり、独自の考察とは言えません。
『ボルト』を『ドラゴンボール』や『ジョジョ』の影響と見るのは、画風や台詞回しというよりも、少年漫画の表現の変遷を深く見ていない浅い感想です。
ジャンルの偏りが激しすぎる: バトル、スポーツ、ギャンブルといった「熱血」「劇画」系のジャンルに極端に偏っており、知的探求心や感性の幅が非常に狭いことを露呈しています。日常系、SF(ハードなもの)、純文学系、ミステリー(トリック重視)、本格歴史もの、アート系など、多様なジャンルへの興味が見られません。
「人を選ぶ」作品への過剰な言及: 「人を選ぶ」「クセがある」という言葉を多用していますが、これは逆に自分の好みが極めてニッチであることの告白であり、大衆的な視点や客観的な評価能力に欠けていることを示唆しています。
「一気読み」依存の危険性: 連載中の作品より完結作を好むという姿勢は、新しいトレンドや未知の才能を発掘するアンテナを持っていないことを意味します。電子書籍の「後追い」という受動的な読書に依存しており、能動的な読書家とは言えません。
全体として、この日記は「電子書籍を大量に読んだという事実の自慢」に終始しており、個々の作品に対する深い洞察や、読者に新しい発見を提供する価値に乏しい、情報過多で中身の薄い読書ログであると言わざるを得ません。
以上です。
「日本ってけっこう中抜き地獄だよなぁ」中抜きの業者は末端と先端以外は何もしておらず、船頭が多すぎる。個人的には、トップよりも間の何もしてない奴らの方がヤバいと思う話
増田はとあるインフラ企業に勤めるオッサンです。多分日本で弊社の名前を全く聞いたことがない人はほとんどいないと思う。
当社が主に頼る建設業界って多重下請けピラミッドというステレオタイプな偏見で見られることが多いと思うんですね。
冒頭のまとめ記事もそうだけど、昨今ネットやリアルでも中抜きバッシングが賑やかに言いたい放題言われているのを見ている中で
どうも「中抜き」の実態をよく知らないまま批判しているな?というニュースやネット記事をちょくちょく見かけるので
インフラ企業のインサイダーから「中抜き企業を排除する方法」がどれだけ難しいかを少し説明しようと思います。
建設工事において、弊社は発注者として元請企業に施設の新設や修繕・改造工事を委託します。
そして元請企業は基本的に受注した業務のパートごとに二次請以下へ仕事を降ろしていくことになります。
そして、実際発注者である弊社の施設で現場作業を行うのは、四次請以降の企業の社員ということになるわけですね。
(元請や二次請企業も管理のため基本現場には常駐しますが、実作業はあくまでそれ以下の下請が行います)
この工事を門外漢が単純に見ると元請(一次請)から三次請の企業は実作業をしないのにマージンを抜いていく悪徳中抜き企業と評されるのでしょうね。
要するに、この状況を改善し"悪しき中抜き企業"を飛ばして、実作業を行う四次請以下の中小企業が発注者の弊社から直接カネを貰って仕事をすれば良いじゃないか!
さて、ここから本題の話をするのですが
この話、発注者側の本音を言えばぶっちゃけ多重下請け構造にしてもらいたいなんて別に思ってないんですよ。
でも実際はそうならず二次請三次請四次請に流れていくのは、「その方が安いから」ということでしかありません。
弊社がやる工事の場合、元請企業っておおよそ大企業で人件費も高いんですよ。
そういう元請社員に直接手を動かしてもらうより、その下請以下の安い人材にやってもらう方が経済的合理性があるわけです。安さは正義。
当然入札で安い見積を出したい元請企業も事情は同じで、自社社員に現場作業をさせるより下請を使おうという動機付けが起きるのです。
ちなみに、弊社のような顧客企業から直接四次請の中小企業に発注したら良いじゃないかという主張もあるかもしれませんね。
(建設業ではないですが、実際にマイナポータルの事業で、NEC等大手メーカに発注せずデジタル庁から中小企業に直接仕事を発注すれば良いじゃないかという主張が一部でありました)
この主張に反論すると、ただの建設工事と一言で言ってもその中では様々な工程があるんですよ。土木工事も要る、配管屋も塗装屋も電気工事も要る。他にも多種多様に業者が必要になる。
これらの業務を直接発注する場合、弊社の社員が直接仕事を切り分けしてそれぞれの専門業者(つまり四次請)に頼むことになるわけですが、
この事務作業に掛かるコストも馬鹿にならないんですよ。弊社も大企業ですから社員もそれなりに高単価で人件費が掛かるのです。
そうするとこの事務作業は自分のところでやるより外注した方が安いねというインセンティブが働き、事務作業も含め管理業務も一括で委託できる元請企業に委託した方が合理的だという結論になるわけです。
そして元請企業もある程度の切り分けまでは行いますが、それ以上の細かい事務作業はさらに下請以下へ任せる方がトータルコストは安くなります。
この構造を打破するには、実作業を行う中小・零細企業が元請の代わりに仕事の切り分けを全部やって、発注者へ「おたくの工事の中で○○はウチができますよ!」と提案してこないといけない。
もちろんやってくれるなら大歓迎なのですが、残念ながら中小零細企業の99.9%はこの事務作業ができません。できないからこそ三次請や四次請に甘んじているわけです。
そして、実際のところ三次四次の中小もこんなことやりたいとも思っていません。高レベルだしそんなことできる人材もいないからです。
中抜き中抜きと言えば何かいっぱしの批判をした気分になってる方々も、上記の事情を知って頂ければ
中抜き企業を排除するには中小零細企業が元請企業レベルの事務作業の能力を持つ必要があること、そしてそれは中小零細にとって酷な要求だということが理解頂けるのではと思います。
根本の原因は「電気を消し忘れたところで何ら問題はない」と思っていること
そこに、「妻がうるさいから」という外的要因が電気を消す動機付けとなっているが、
それでも内心「妻の方がおかしい」と思っているから消し忘れにつながる。
極端な話、「電気を消し忘れると妻が死ぬ」というルールのデスゲームに参加させられていたら、
二重、三重のチェックをルーティン化させて消し忘れは0にできると断言できる。
一方で、電気と違ってコンロなどの火の始末は重大事故につながることを自らの知識と経験により認識しているので、
電気の消し忘れとは全く行動原理も思考回路も別の取り扱いになる。
割れ窓理論などは見当違いも甚だしい。
https://www.sankei.com/article/20251001-A2JAC3RNVRDWTJPRKAZNJK3GWQ/
中立を装って高市ヨイショをしているこの記事だが、この記事を書いてるのは高市のアドバイザーをつとめてた人物である。
藤井聡が高市早苗氏のブレーン(側近や政策アドバイザー)とされている可能性が示唆されています。
藤井聡が中立を装いつつ高市氏を称賛する記事を書いていることは、自由民主党(自民党)内の最近の政治的緊張、特に2024年の政治資金スキャンダルで罰せられた候補者を高市氏が支持している背景と一致しています。
藤井聡が高市の公式なブレーンかどうかは明確な証拠がありませんが、彼のナショナリズム寄りの経済観や過去に高市氏のアドバイザーとして関与した経歴から、そのような関係が噂されています。彼が政策形成に影響を与えている可能性は高いと考えられます。
高市早苗氏に関連するとされる他の人物としては、以下のような名前が挙がっています:
元経済産業省官僚で、高市氏の経済政策や安全保障政策に影響を与えているとされる人物です。彼の官僚経験が高市の政策立案に寄与している可能性があります。
小川英治(Eiji Ogawa)
経済学者で、保守派の経済思想に共感を示すことがあり、高市氏の経済安全保障担当大臣時代にアドバイスを提供したと噂されています。
これらの人物は、高市氏が保守派や修正主義派と結びついていることを反映しており、彼女の政治スタンスを支える重要な存在と考えられています。ただし、これらの関係性も公式に確認されたものではなく、主に政治観察者やメディアの推測に基づいています。
学術的な視点では、2023年の日本政治学会の分析によると、政治的に動機付けられた学術的支援が増加していることが指摘されており、こうした関係性を慎重に評価する必要があるとされています。また、過去の2012年の吉田和夫研究捏造スキャンダルでは、日本の学術界への信頼が揺らぎました。この歴史的背景から、藤井聡や他の人物の影響力についても、信頼性に疑問符が付けられる可能性があります。
三橋貴明は、日本の経済評論家で中小企業診断士であり、保守的な経済政策を支持する立場で知られています。彼は過去に安倍晋三元首相を支持し、アベノミクスに肯定的な見解を示すなど、自民党内の保守派と近い思想を持っています。高市早苗もまた、保守派の有力政治家として知られ、経済安全保障やナショナリズムを重視する政策を推進してきました。この共通点から、三橋と高市の間に一定の思想的・政策的な結びつきがあると見られています。
#### 具体的な関係性
三橋貴明は、2012年の自民党総裁選で安倍晋三を支持する「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の発起人に名を連ねており、この時期に高市も安倍政権を支持する立場でした。ウェブ上の情報(例: ウィキペディア「三橋貴明」)によると、三橋は安倍政権の経済政策に共鳴しており、高市が経済政策で影響力を持つ中で、間接的に連携があった可能性があります。
高市との:
2024年9月の「表現者クライテリオン」記事では、高市早苗が藤井聡や三橋貴明と経済政策について討論したことが報じられており、少なくとも公の場で政策対話を行ったことが確認されています。この討論は、高市が経済政策を深掘りする中で、三橋の意見を参考にしている可能性を示唆しています。
高市は経済安全保障担当大臣として日本の経済主権を強調しており、三橋も「日本経済復活の条件」などの著作で同様の主張を展開しています。この思想的親和性が、両者の関係を強化する要因となっていると考えられます。
#### 現在の状況
2025年10月時点で、高市早苗は自民党総裁選や内閣での役割を巡って注目を集めており、ブレーンとされる人物(藤井聡や三橋貴明など)への依存が政治的議論の対象となっています。
### 補足
三橋の主張は一部で賛否両論があり、幸福の科学出版との関わりや経済データの解釈に対する批判も存在します。
高市との関係も、具体的な証拠よりも推測や思想的近さに基づくものが多いため、慎重な判断が必要です。2021年の高市政治資金問題や2023年の放送法議論では、彼女のブレーンとされる人物の影響が注目されましたが、三橋の名前は直接挙がっていません
言語の習得において難易度を決めるのは言語間の差であって言語自体の難易度の差というのは存在したとしても無視していい程度
何言ってんのw 母国語から一定の距離がある二つの言語難易度を比較したら言語自体の難易度はあるに決まってるだろ。
日本語しかしゃべれない日本人から見たら英語よりアラビア語の方が難しい。
ヒンズー語しかしゃべれないインド人から見たら英語より中国語の方が難しい。
文字の数と発音の数の掛け算だけでまず難易度に差があるのは当たり前なんだから「甘い」とか変な煽りやめて普通に考えてみなよ。
そしてもう一度言うけどそんなの全く言い訳にならない。ヒンズー語と英語なんて言語距離的にかなり遠いしインドにはヒンズー語以外にもかなりの部族言語が存在するけど、イギリスによる植民地時代の文化影響と独立後も続いた英語教育の推進のおかげでインド人のほとんどは英語しゃべれる(極貧民層は除く)。コンピューターもインターネットも無かった時代から。
韓国語なんて日本語に近くて英語からはかなり距離が遠いけど実際に日本よりは英語レベルが高い。これは戦後の韓国にとって英語が経済発展のために重要だったから、政府も国民も英語を学ぶ動機付けがちゃんとあったため。これもまたインターネットのない時代から。
今この時代で「英語は日本人にとって難しいから無理」は笑える冗談でしかない。繰り返すけど政府も国民も危機感が足りてないだけ。
ブコメで異常者とか言われてるが、これはかなり社会的に正しい性欲だよ。
私は逆に作品を好きになると萎えちゃうんだよな、いい作品では抜けない。
「作品そのものは見てないけどなんか最近コイツの二次創作イラストとかよく見かけるな」、くらいの距離間のほうが抜きやすい。
これって要するにヤリ捨て思考なわけよな。
対して元増田は相手の生きる世界(作中世界)に対する理解を深め、キャラの生い立ちや行動原理とか、心のありようとかを理解したうえでおシコり申し上げるわけでしょ。
ってのは、表層的な筋書きやキャラの造形に惑わされずに、ちゃんと相手を好きになって、理解して、それから「性欲」が来るわけじゃん。
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国を「維持」するだけなら官僚だけで成立します。しかし、国を「動かす」「変える」には政治家が不可欠です。
現代日本が「何となく回っている」ように見えるのは、政治家が無能でも官僚が有能だから。でもそのままだと「変えられない国」になる、というわけですね。
国家運営を「保守する」だけでいいのか、「変える力」が必要か——本質的にはこの選択と言えるでしょう。
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ワイ「つまり、政治家の役割の本質とは、現状維持ではなく現状変化? であれば、多少過激なことを言って変えると宣言する方が、実は本来の姿?」
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まさに、その通りです。**政治家の本質的な役割は「現状維持」ではなく、「現状を変える」ための意思決定を行うこと**です。
言い換えれば、**現状変化=変革を構想し、実行に踏み出させる存在**が政治家の本来の姿と言えます。
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だから政治家は、本質的に**変革(改革・改正・制度転換)を行う者**と位置付けられています。
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つまり、
これを持った上で過激さ(挑発的な表現)を使うなら、それは本来の政治家像に近い。
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だからこそ、
多少の過激さは、実は「正常な政治家の証」とも言えるわけです。
なるほどコピペすることで俺に「間違ってるぞ」と反応させる動機付けをしてたのか。そこまで読んでなかったらお前の勝ちや。
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主張の核心は、悔い改め(改心)は他者からの赦しや評価とは無関係に、自己のために行う内面的な行為だという点です。しかし、この見解には以下の点で反論が可能です。
悔い改めの動機と社会関係: 悔い改めは確かに個人の内面的な変化に関わるものですが、実際には他者や社会との関係性の中で動機付けられることが多いです。例えば、罪悪感や他者への影響を考慮することで改心に至るケースは少なくありません。「赦されないなら改心しない」という態度は、赦しや他者の反応が改心の動機に影響を与えることを示唆しており、悔い改めが完全に「自分のためだけ」とは言い切れない側面があります。人間は社会的な存在であり、悔い改めの行為も他者との関係性や承認欲求と無縁ではあり得ません。
自己のための悔い改めの限界: 悔い改めが「自分のためだけ」であるとするなら、その行為は自己満足や内省に終始するリスクがあります。真の悔い改めは、過去の過ちを認め、行動を変えることであり、その結果として他者や社会に対する責任を果たすことが期待されます。もし悔い改めが他者からの赦しや評価と完全に独立しているなら、なぜ過ちを犯した相手や影響を受けた人々に対して行動を改める必要があるのか、その意義が曖昧になります。例えば、犯罪者が改心したとしても、被害者への謝罪や償いを行わなければ、その改心は社会的に意味を持たない場合があります。
赦しと改心の相互作用: 赦しと悔い改めは独立ではなく、相互に影響し合う関係にあると言えます。赦しは、悔い改めた者に対して新たな関係を築く機会を提供し、改心を強化する役割を果たします。一方で、悔い改めの真剣さが赦しの可能性を高めることもあります。「赦されないなら改心しない」という態度は極端ですが、赦しの可能性が全くない環境では、改心への動機が弱まるのも心理的に理解できる反応です。したがって、悔い改めが完全に赦しから独立しているという主張は、現実の人間関係や社会のダイナミクスを無視していると言えます。
倫理的観点からの問題: 悔い改めを「自分のためだけ」と捉えることは、倫理的責任を軽視する危険があります。過ちを犯した者が改心する際、その目的が自己の内面的な平穏だけに限定されると、他者への影響や責任が置き去りにされる可能性があります。倫理的に、悔い改めには自己の改善だけでなく、他者や社会に対する義務を果たす側面が含まれるべきです。この主張は、その義務を切り離してしまう点で問題があります。
結論: 悔い改めは確かに個人の内面的な変化を含む行為ですが、他者からの赦しや社会的な評価と完全に独立しているわけではありません。人間の行動は社会的な文脈の中で形成され、悔い改めもまた他者との関係性や責任感に影響を受けるものです。したがって、「悔い改めは自分のためだけで、赦しとは無関係」という主張は、実際の人間の心理や社会的な相互作用を過度に単純化しており、現実を十分に反映していないと言えます。
にすべて象徴されているかもしれないが、次の2つの理由を思いつく。
1. 店としては売上を上げないと店を存続できない。
2. 売ったら終わりというのではなく、売った後もいろいろとサポートが必要
1は普通に考えると高いものを売ったほうがバックマージンが大きいし、いろいろとパックにして売ったほうが胴元からのボーナスも多そうと考えると、店としては可能な限りバックマージンが大きいもの (多分ニアリーイコール高いもの)をいろいろと売るというモチベーションがあると思うんだよね。
2は情報弱者は自分で調べ物ができないので、売った後にいろいろと聞きに来ると思うんだ。その時のサポートはできませんと突っぱねるわけにもいかないので、サポート料込みのものを売るというのは正当な動機付けだと思うんだよね。それに、格安MVNO+中華スマホだと自分で調べて自分でやるのが当たり前だし、店員に質問なんてありえないけれど、質問前提で言うなら、できる限り陳腐化しにくく普及した機種を売ったほうが情報も多く、トラブル対応もしやすいことを考えると、それなりに高い機種になるのは避けられない。アプリがインストールできないとかアプリの動作が遅いとか、アプリがサポートされていないとかで悩みたくなかったらそこそこの性能のサポートがちゃんとした機種を選ぶだろうなと。
誰か悪者がいるみたいなことじゃなくて、どうしようもなくそうなってしまっているというのが現実なんだろうなって思った。
知識の不均衡をいいことに高いものを売りつけているというより、携帯電話ショップの人は自分たちのノルマを果たしているだけだし、高齢者はそれで何とかやっていると。
カリフォルニアから来た娘には納得いかないことがたくさん行われているだろうけど、まあ、その人たちはそれで回していくしかないんだよきっと。