『重伝建・徳島県脇町』
徳島県美馬市脇町にある戦国時代に築城された阿波九城の一つ脇城の城下町として栄えた「重要伝統的建造物群保存地区」の「うだつの町」である。
脇町は吉野川の北岸の港と、池田と鳴門を結ぶ撫養(むや)街道と讃岐へ通じる街道との水陸の交通の要衝で、阿波の国のほぼ中心位置にある。
そして藩主蜂須賀公が藩の産業として藍を保護したことがこの町の栄えた由縁である。
この町には、自家に財力が付いたことを示すために、一階屋根の両脇の二階屋根との間に卯建(うだつ)という屋根つきの塀を設ける風習があった。
その卯建が所狭しと並んでいる景観は見事なものである。
またそれぞれの町屋の玄関口には、妻入りと平入りがある。
下の左側の妻入り町屋は、将棋名人の小野五平翁の生家「平田屋」ある。
右側は平入りで、卯建の他、二階部分に虫籠窓(むしこまど)が設けられている典型例である。
この町で一番大きな家は吉田家という。藍問屋で屋号を「佐直」と云う。
裏には吉野川と繋がる船着き場も持っていた。
町屋は公開されていて、一部ショップにもなっている。
その他、最古の町屋と云われる国見家(1707年)、そして野崎呉服店、明治末建築の饅頭店川田光栄堂などが並んでいる。
丁度祭りの会期中であったのであろう。
この脇町の通りで、阿波踊りの「連」が見事な踊り、鉦・太鼓の囃子を披露していた。
脇町の通りの東には川が流れているが、その川を越えたところに脇町劇場「オデオン座」がある。
今も現役である。
明治時代になって吉野川の向こう岸に鉄道が走り、穴吹駅もできたため経済の中心がその方に移った。
その結果近代化から取り残された形で江戸時代の町並みが残ったのであろう。
尚、蛇足であるが、うだつにはもう一つ「梲」という漢字を当て嵌めるのが一般的である。
この梲は、大抵の日本家屋にあるもので、天井の梁に垂直に立てその上に屋根の棟木を乗せるものである。
このことから棟上げをする、即ち家を建てることを「うだつが上がる」と云うこともある。
混同される場合があるので、注意を要する。