『河内国・西代陣屋跡』
大阪府河内長野市の西代町から本多町にかけて江戸時代に西代(にしだい)藩の陣屋があった。
近江国膳所藩第2代藩主の次男本多忠恒が、河内国錦部(にしこり)郡や近江国において1万石を分知することになり、譜代大名として西代藩を立藩した。
そして藩2代目の忠統が西代陣屋を構えた。
上の写真は長野小学校の裏門で、陣屋門を模したものである。
陣屋はこの小学校の運動場の向こうの校舎から、その向こうの長野中学校にかけて築かれていた。
その後、忠統は若年寄に昇進し伊勢国神戸(かんべ)藩に転府したため西代藩は僅か50余年で廃藩となったという経緯を辿る。
この模擬陣屋門の隣には国之常立神(くにのとこたちのかみ)を主祭神とする古くからの西代神社が鎮座する。
国之常立神は東京の日枝神社や京都の城南宮の祭神でもある。
この神社は藩主の崇敬が篤く、当時を物語る唯一のものである。