『姫路城リニューアル』
「平成の大修理」中の世界遺産国宝姫路城の天守が覆いが外されその姿を現した。
真っ白な漆喰で塗り固められたその姿は、まさに白鷺城である。
「白過ぎ!」との意見もあるが、これが本来の姿であろう。
年月とともにくすんで来るので、今の間にその白い姿を見ておきたいものである。
表紙も下の写真も大手門を入った三の丸広場から見たものである。
天候はどんよりとしていたため、写真がくすんでいるのは残念である。
工事用の搬送機が取れないのは、内装工事が継続している証しであろうか…。
城の裏側には清水門跡がある。
鷺の清水という井戸もある。
この地点からは姫山原生林の上に天守の頭が少しだけ見える。
城と逆側に城山の姫山より少し高いくらいの男山59mがある。
登って行くと、千姫天満宮、男山八幡宮、頂上広場は姫路市水道配水池となる。
少し遠くなるが男山の頂上から天守の全容が良く見える。
裏姫路城である。
姫路城の原型は播磨の領主赤松氏が築いた城である。
赤松氏が本城を置塩城とした後、家臣の小寺氏が城代となった。
小寺氏が御着に城を新たに構えたので、家臣の黒田職隆、孝高(官兵衛)が城代として入城した。
その後、秀吉の中国侵攻の拠点となり改修が加えられた。
関ヶ原の後、藩主となった池田輝政、そして家康の孫千姫と再婚した本多忠刻が大改修を行い、現在の姿となっていると云われる。