『伊勢路の城・安濃城』
三重県津市の郊外、田園地帯の安濃川の左岸の60m弱の小山に築城された安濃城跡である。
戦国時代に国人領主長野氏の一族の細野藤光が安濃城を築きこの地の統括の主城とした。
織田信長の中伊勢侵攻の時、この安濃城は攻められたが、細野氏の主家長野氏は信長の弟信包を養子とすることで、一旦和解が図られた。
しかし反抗を止め無い細野藤敦を長野氏が攻めたが、返り討ちに合い長野氏は止む無く逃亡した。
名実ともに長野氏の当主となった信包は、細野が築城した安濃川三角州の安濃津城に入城し、城を改修して本拠とし、この安濃城を攻め、細野藤敦は城に火を放って落ち延びたと云われる。
城もそのまま廃城となるという歴史を辿っている。
城跡へは西口にある阿由多神社の参道を登る。
しばらく行くと頂上広場に出るとそこには神社の本殿があり、安濃城跡の説明看板もある。
ここは本丸である。城主の館があった場所である。
山頂の神社本殿から東はなだらかな通路になっている。
その両側は階段上の土地となっている。この場所は家臣など幾つかの曲輪があったところである。
曲輪跡を降りていくと道は最後は西へと曲がり、真宗高田派松原寺の境内へと降り、城下へと戻る。
なお予断であるが、真宗高田派とは聞きなれない派であるが、この津市の 専修寺を総本山とする浄土真宗の派で、蓮如が布教活動を始めるまでは本願寺派を凌ぐ門派であった。
室町、戦国時代を通じて本願寺派の一向一揆などと対決したと云われる。
伊勢路には、多くの高田派の寺院が存在している。