気ままに途中下車:堺東駅から妙國寺
関西の鉄道路線において、各駅下車をほぼ終えたので、引き続き気になった駅周辺の再訪問を行っている。
今回は、南海電鉄高野線の駅で、大阪府堺市の「堺東駅」の周辺のミニ探索である。
「堺東駅」で下車する。
駅の南側は、ロータリーで、幾つかのバス停やタクシー乗り場がある。
駅の西側の道路の南方向・北方向の風景である。
南方向直ぐの右手には堺市役所の高層ビルが建っている。
また、駅の西向いには、銀座通りというアーケード商店街の入り口がある。
この堺の「銀座」は我が国で最も古い「銀座」であるとされている。
駅前道路を北へと進む。
右手にデパート「高島屋」がある。
そして進んで行くと、左手に新しくできた「シマノ自転車博物館」がある。
「博物館」の玄関から入ってみる。
1Fのロビーには、かつての自転車が並んでいる。
貴重なものであろうと思われる。
尚、㈱シマノは堺市に本社を置く自転車と釣り具のメーカーで、創業は約100年とされている。
この博物館は、昨年、大仙公園に隣接していたものを、この地にリニューアル移転したものである。
博物館を後に、一本北側の道を西へと進む。
行く手に高架の高速道路が見えて来る。
そして、高架の下は細長い公園となっている。
この公園は、かつての堺の環濠を形成していた「土居川」が埋めたてられたものとされている。
公園のモミジを眺めて、北へ進むと左手に伽藍が見えて来る。
「日蓮宗本山 妙國寺」である。
山門前に進む。。
山門両脇には、仁王像が建ち、塀の裏側の境内には、「日蓮上人像」が祀られている。
山門を潜ると、右手に末寺の伽藍が、そして正面に寺務所が建っている。
また、右奥には、鐘楼も建っている。
そして左側(東側)に「本堂」が祀られ、右隣に宇賀徳正龍神を祀る「徳正殿」が祀られている。
また。その右隣に、「土佐藩十一烈士之英霊」、「佛國遭難将兵慰霊碑」が祀られている。
これは明治維新当時の1968年の「堺事件」に関わるもので、フランス軍艦の水兵100人が堺に上陸し、市民に乱暴狼藉を働いたため、堺警備隊の土佐藩士が応対し銃撃戦となり、フランス兵11名の死者を出すに至った。
その結果、フランスに賠償金を払うと共に、土佐藩士20名に切腹が命じられ、妙國寺において実行された、11名の切腹が終わった時点で、その凄絶の様を見るに忍びず、切腹は急遽中止となったとの経緯を物語るものである。
有名な樹齢1100年以上の大蘇鉄は「本堂の庭園」にあり、拝観が必要となる。
この蘇鉄は「織田信長」が安土城に持ち帰ったが、「堺に帰りたい」とつぶやく声を発するので、信長の家来が切り倒そうとしたが、逆に血を吐いて倒れたという。
そのような経緯があり、堺に返されたとされるものである。
立派な蘇鉄が見られたが、撮影禁止とのことであった。
また、余談であるが、「織田信長」の本能寺事件の時、堺見物をしていた「徳川家康」はこの寺に滞在していたとの話もある。
御朱印を頂き、「土佐烈士の墓」の場所を訪ねたところ、斜め前の「宝珠寺」の境内にあるというので、訪問した。
このあたりの住所地は「木材町東」という。
また、門前の道路には、幾つかの案内の石標も見られる。
そしてこの地点で、「堺東駅」のミニ探索を終了したのであった。
今回は、南海電鉄高野線の駅で、大阪府堺市の「堺東駅」の周辺のミニ探索である。
「堺東駅」で下車する。
駅の南側は、ロータリーで、幾つかのバス停やタクシー乗り場がある。
駅の西側の道路の南方向・北方向の風景である。
南方向直ぐの右手には堺市役所の高層ビルが建っている。
また、駅の西向いには、銀座通りというアーケード商店街の入り口がある。
この堺の「銀座」は我が国で最も古い「銀座」であるとされている。
駅前道路を北へと進む。
右手にデパート「高島屋」がある。
そして進んで行くと、左手に新しくできた「シマノ自転車博物館」がある。
「博物館」の玄関から入ってみる。
1Fのロビーには、かつての自転車が並んでいる。
貴重なものであろうと思われる。
尚、㈱シマノは堺市に本社を置く自転車と釣り具のメーカーで、創業は約100年とされている。
この博物館は、昨年、大仙公園に隣接していたものを、この地にリニューアル移転したものである。
博物館を後に、一本北側の道を西へと進む。
行く手に高架の高速道路が見えて来る。
そして、高架の下は細長い公園となっている。
この公園は、かつての堺の環濠を形成していた「土居川」が埋めたてられたものとされている。
公園のモミジを眺めて、北へ進むと左手に伽藍が見えて来る。
「日蓮宗本山 妙國寺」である。
山門前に進む。。
山門両脇には、仁王像が建ち、塀の裏側の境内には、「日蓮上人像」が祀られている。
山門を潜ると、右手に末寺の伽藍が、そして正面に寺務所が建っている。
また、右奥には、鐘楼も建っている。
そして左側(東側)に「本堂」が祀られ、右隣に宇賀徳正龍神を祀る「徳正殿」が祀られている。
また。その右隣に、「土佐藩十一烈士之英霊」、「佛國遭難将兵慰霊碑」が祀られている。
これは明治維新当時の1968年の「堺事件」に関わるもので、フランス軍艦の水兵100人が堺に上陸し、市民に乱暴狼藉を働いたため、堺警備隊の土佐藩士が応対し銃撃戦となり、フランス兵11名の死者を出すに至った。
その結果、フランスに賠償金を払うと共に、土佐藩士20名に切腹が命じられ、妙國寺において実行された、11名の切腹が終わった時点で、その凄絶の様を見るに忍びず、切腹は急遽中止となったとの経緯を物語るものである。
有名な樹齢1100年以上の大蘇鉄は「本堂の庭園」にあり、拝観が必要となる。
この蘇鉄は「織田信長」が安土城に持ち帰ったが、「堺に帰りたい」とつぶやく声を発するので、信長の家来が切り倒そうとしたが、逆に血を吐いて倒れたという。
そのような経緯があり、堺に返されたとされるものである。
立派な蘇鉄が見られたが、撮影禁止とのことであった。
また、余談であるが、「織田信長」の本能寺事件の時、堺見物をしていた「徳川家康」はこの寺に滞在していたとの話もある。
御朱印を頂き、「土佐烈士の墓」の場所を訪ねたところ、斜め前の「宝珠寺」の境内にあるというので、訪問した。
このあたりの住所地は「木材町東」という。
また、門前の道路には、幾つかの案内の石標も見られる。
そしてこの地点で、「堺東駅」のミニ探索を終了したのであった。