琵琶湖線10・守山駅
「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
今回は「京都駅」から9駅目の滋賀県守山市の「守山駅」である。
「琵琶湖線」は、「草津駅」からは「旧中山道」に沿うように北東へと進む。
この「守山駅」の北側の街は、その「旧中山道」の宿場町である「守山宿」であった。
「守山宿」は中山道の67番目の宿場で、京都からは「草津宿」で東海道と別れて最初の宿場である。
今回は、それを駅前から反時計回りに訪ねてみる。
「守山駅」で下車する。
駅前の広場には、「少年赤十字団発祥の地」と云うモニュメントが建っている。
そして「駅前グリーンロード」を梅田町交差点まで進み、左折する。
左折した道は、「ほたる通り商店街」と云う。
「旧中山道」と交差する。
そこには、道標があり、「すぐいしべ道」、もう一面に「高野郷新善光寺道」と刻まれている。
道路にも表示があり、左手に進んで行く「旧中山道」を見渡すことができる。
「旧中山道」を進む。
右手にはセトモノ店、左手頭上には中山道の表示がある。
その先左手は「うの家(け)」である。
江戸から明治にかけての宇野本家の建物である。
元内閣総理大臣 宇野宗佑氏の実家と云うことで知られている。
宇野本家は、江戸時代は宿場に馬や人足を提供する家業を行い、その後荒物屋、そして明治になって酒造りをしていたとされている。
現在は守山市に移管され、市民交流・活動の場として整備され、レストランやカフェなども運営されている。
内部を少し覗いてみる。
宿場のミニチュア、かまど、そして信長像も見られる。
「うの家」の斜め向かいは「天満宮」である。
「守山宿」の鎮守であろう。
境内には神牛や境内社が祀られている。
拝殿、中門・本殿である。
本殿の祭神は菅原道真公である。
「守山宿」の説明板も建てられている。
更に「天満宮」の斜め向かいが「守山宿本陣跡」である。
また井戸は、この「守山宿」は野洲川の堤防上の高台に造られたため、水利が悪く、井戸は宿場の人々に欠かせないものであったとのことである。
少し進むと、左手に町屋を改装した「中山道街道文化交流館」がある。
中を覗いてみると、井戸があり、屏風などが展示されている。
「中山道」の両側には、起こ向きのある町屋が建っている。
手は加えられていると思うが、中には商店として営業している町屋もある。
道端には道標も建っている。
「右 中山道 并 美濃路」、左側面には「左 錦織寺四十五丁 こ乃者満ミち」と刻まれている。
その先右手に寺院がある。「比叡山 東門院 守山寺」と云う。
祀られているのは「観音菩薩」で、毎月17日に縁日が開かれると云う。
境内正面は本堂で、左手には、重要文化財の石造り五重塔がある。
「東門院」から西へと進むと今宿川を渡る。
その先右手は「樹下神社」である。
鳥居を潜ると拝殿・本殿である。
祭神は、稲田姫命で、元は十禅師宮と云われた神社で、栗東の大宝神社が本社とのことである。
境内には、境内社の他に安産石が祀られている。
また、境内には、「停車場道」の石柱が移設されている。
明治45年に開設された「守山駅」と中山道を結んだ道が建設されたとのことである。
今宿川を渡り返し、東へと広い道路を進む。
この道路は、「守山銀座商店街」と云う。
途中右手に小学校もある。
ビルが立ち並ぶ、現在的な商店街である。
しばらく歩いて、「守山駅」へと帰着し、ミニ探索を終了したのであった。
今回は「京都駅」から9駅目の滋賀県守山市の「守山駅」である。
「琵琶湖線」は、「草津駅」からは「旧中山道」に沿うように北東へと進む。
この「守山駅」の北側の街は、その「旧中山道」の宿場町である「守山宿」であった。
「守山宿」は中山道の67番目の宿場で、京都からは「草津宿」で東海道と別れて最初の宿場である。
今回は、それを駅前から反時計回りに訪ねてみる。
「守山駅」で下車する。
駅前の広場には、「少年赤十字団発祥の地」と云うモニュメントが建っている。
そして「駅前グリーンロード」を梅田町交差点まで進み、左折する。
左折した道は、「ほたる通り商店街」と云う。
「旧中山道」と交差する。
そこには、道標があり、「すぐいしべ道」、もう一面に「高野郷新善光寺道」と刻まれている。
道路にも表示があり、左手に進んで行く「旧中山道」を見渡すことができる。
「旧中山道」を進む。
右手にはセトモノ店、左手頭上には中山道の表示がある。
その先左手は「うの家(け)」である。
江戸から明治にかけての宇野本家の建物である。
元内閣総理大臣 宇野宗佑氏の実家と云うことで知られている。
宇野本家は、江戸時代は宿場に馬や人足を提供する家業を行い、その後荒物屋、そして明治になって酒造りをしていたとされている。
現在は守山市に移管され、市民交流・活動の場として整備され、レストランやカフェなども運営されている。
内部を少し覗いてみる。
宿場のミニチュア、かまど、そして信長像も見られる。
「うの家」の斜め向かいは「天満宮」である。
「守山宿」の鎮守であろう。
境内には神牛や境内社が祀られている。
拝殿、中門・本殿である。
本殿の祭神は菅原道真公である。
「守山宿」の説明板も建てられている。
更に「天満宮」の斜め向かいが「守山宿本陣跡」である。
また井戸は、この「守山宿」は野洲川の堤防上の高台に造られたため、水利が悪く、井戸は宿場の人々に欠かせないものであったとのことである。
少し進むと、左手に町屋を改装した「中山道街道文化交流館」がある。
中を覗いてみると、井戸があり、屏風などが展示されている。
「中山道」の両側には、起こ向きのある町屋が建っている。
手は加えられていると思うが、中には商店として営業している町屋もある。
道端には道標も建っている。
「右 中山道 并 美濃路」、左側面には「左 錦織寺四十五丁 こ乃者満ミち」と刻まれている。
その先右手に寺院がある。「比叡山 東門院 守山寺」と云う。
祀られているのは「観音菩薩」で、毎月17日に縁日が開かれると云う。
境内正面は本堂で、左手には、重要文化財の石造り五重塔がある。
「東門院」から西へと進むと今宿川を渡る。
その先右手は「樹下神社」である。
鳥居を潜ると拝殿・本殿である。
祭神は、稲田姫命で、元は十禅師宮と云われた神社で、栗東の大宝神社が本社とのことである。
境内には、境内社の他に安産石が祀られている。
また、境内には、「停車場道」の石柱が移設されている。
明治45年に開設された「守山駅」と中山道を結んだ道が建設されたとのことである。
今宿川を渡り返し、東へと広い道路を進む。
この道路は、「守山銀座商店街」と云う。
途中右手に小学校もある。
ビルが立ち並ぶ、現在的な商店街である。
しばらく歩いて、「守山駅」へと帰着し、ミニ探索を終了したのであった。