阪神なんば線10・大物駅
「大阪難波駅」から「近鉄奈良線」を引き継ぐ形で「尼崎駅」に向かう「阪神なんば線」を各駅下車で訪ねてみる。
今回は、「大阪難波駅」から9番目駅の、兵庫県尼崎市にある「大物(だいもつ)駅」である。
「阪神なんば線」は、「神崎川」、「左門殿(さもんど)川」を渡り、兵庫県尼崎市へと入る。
その最初の駅である「大物駅」で下車する。
この駅で「阪神なんば線」に左側から「阪神本線」が合流する。
駅の北側には、右手直ぐに病院、左手遠くに100m高さの白いビルが見える。
ビルはホテルとのことで、その左手に「尼崎アルカイックホール」も見える。
今回は、この「大物駅」の周辺を、反時計回りに探索してみる。
先ずは線路の北の西側である。
公園の端に、「大物くづれの戦跡碑」が建てられている。
「応仁の乱」に引き続き行われた細川家の内紛の戦跡である。
「赤松政祐」「細川晴元」「三好元長」の連合軍が、「細川高国」「浦上村宗」の連合軍を破った戦いであった。
そして「高国」は自害したことで、細川家の内紛は終了し、統一されたとのことである。
その公園から線路を潜り、右手に阪神電鉄の車両基地を眺めながら南下する。
住所地は「大物町」である。
「大物」とは、この後に訪れる「大物主神社」に由来するものであろうと思われる。
少し東へ行くと、「深正院(じんしょういん)」という浄土宗の寺院がある。
この寺院は、尼崎に入封した尼崎藩主「松平忠喬」が先代の「忠倶」の菩提を弔うためその院号を寺名として建立したとされている。
以後、尼崎藩主桜井松平氏の菩提寺となり、境内には松平氏一族や家臣の墓が祀られている。
東へと進む。
「若宮公園」と云う公園がある。
その公園に隣接して、「大物主神社」が鎮座している。
この神社の創建は不詳であるが、「崇神・垂仁天皇」の時代に、疫病退散を願い、「大物主命」の子孫の「大田田根子」のさらに子孫となる「鴨部」がこの地に、大和の「大神神社」から「大物主大神」を勧請したのが始まりとされている。
その後、平清盛が「厳島神社」から宗像三柱神」を勧請合祀しとされている。
また、源義経もこの神社に宿を取り、平家討伐に向かったとされている。
鳥居を潜ると拝殿・幣殿・本殿である。
本殿の祭神は、主祭神が「大物主大神」、配神は宗像三神の「市杵島姫命」、「田心姫命」、「湍津姫命」である。
そして相殿には、「西宮大神」、「菅原道真公」などが祀られている。
更に東へと行く。
「浄土真宗本願寺派 西教寺」がある。
戦国時代にこの地に移転し、隣の常念寺とともに、石山本願寺のもとに有力な武力を有し、大物総道場として一向一揆の拠点であったとのことである。
付近には「大物川緑地 歴史の散歩道」がある。
かつて、「大物浦」と呼ばれた入り江で、「源頼朝」に追われた「源義経」が「静御前」に別れをつげて船出をした場所とされていて、能楽「船弁慶」にて演じ継がれている。
そして、南方向へと進み、この緑地を横切る。
緑地から少し南下した所に、「ユニチカ記念館」がある。
「ユニチカ記念館」とは、1900年に尼崎最初の大工場「有限責任尼崎紡績会社」(現ユニチカ㈱)の本社事務所であり、経済産業省の「近代化産業遺産」などに指定されている建物である。
「ユニチカ記念館」でUターンする。
「大物川緑地」の東側を歩き、駅舎の南口へと到着し、「大物駅」のミニ探索を終了したのであった。
今回は、「大阪難波駅」から9番目駅の、兵庫県尼崎市にある「大物(だいもつ)駅」である。
「阪神なんば線」は、「神崎川」、「左門殿(さもんど)川」を渡り、兵庫県尼崎市へと入る。
その最初の駅である「大物駅」で下車する。
この駅で「阪神なんば線」に左側から「阪神本線」が合流する。
駅の北側には、右手直ぐに病院、左手遠くに100m高さの白いビルが見える。
ビルはホテルとのことで、その左手に「尼崎アルカイックホール」も見える。
今回は、この「大物駅」の周辺を、反時計回りに探索してみる。
先ずは線路の北の西側である。
公園の端に、「大物くづれの戦跡碑」が建てられている。
「応仁の乱」に引き続き行われた細川家の内紛の戦跡である。
「赤松政祐」「細川晴元」「三好元長」の連合軍が、「細川高国」「浦上村宗」の連合軍を破った戦いであった。
そして「高国」は自害したことで、細川家の内紛は終了し、統一されたとのことである。
その公園から線路を潜り、右手に阪神電鉄の車両基地を眺めながら南下する。
住所地は「大物町」である。
「大物」とは、この後に訪れる「大物主神社」に由来するものであろうと思われる。
少し東へ行くと、「深正院(じんしょういん)」という浄土宗の寺院がある。
この寺院は、尼崎に入封した尼崎藩主「松平忠喬」が先代の「忠倶」の菩提を弔うためその院号を寺名として建立したとされている。
以後、尼崎藩主桜井松平氏の菩提寺となり、境内には松平氏一族や家臣の墓が祀られている。
東へと進む。
「若宮公園」と云う公園がある。
その公園に隣接して、「大物主神社」が鎮座している。
この神社の創建は不詳であるが、「崇神・垂仁天皇」の時代に、疫病退散を願い、「大物主命」の子孫の「大田田根子」のさらに子孫となる「鴨部」がこの地に、大和の「大神神社」から「大物主大神」を勧請したのが始まりとされている。
その後、平清盛が「厳島神社」から宗像三柱神」を勧請合祀しとされている。
また、源義経もこの神社に宿を取り、平家討伐に向かったとされている。
鳥居を潜ると拝殿・幣殿・本殿である。
本殿の祭神は、主祭神が「大物主大神」、配神は宗像三神の「市杵島姫命」、「田心姫命」、「湍津姫命」である。
そして相殿には、「西宮大神」、「菅原道真公」などが祀られている。
更に東へと行く。
「浄土真宗本願寺派 西教寺」がある。
戦国時代にこの地に移転し、隣の常念寺とともに、石山本願寺のもとに有力な武力を有し、大物総道場として一向一揆の拠点であったとのことである。
付近には「大物川緑地 歴史の散歩道」がある。
かつて、「大物浦」と呼ばれた入り江で、「源頼朝」に追われた「源義経」が「静御前」に別れをつげて船出をした場所とされていて、能楽「船弁慶」にて演じ継がれている。
そして、南方向へと進み、この緑地を横切る。
緑地から少し南下した所に、「ユニチカ記念館」がある。
「ユニチカ記念館」とは、1900年に尼崎最初の大工場「有限責任尼崎紡績会社」(現ユニチカ㈱)の本社事務所であり、経済産業省の「近代化産業遺産」などに指定されている建物である。
「ユニチカ記念館」でUターンする。
「大物川緑地」の東側を歩き、駅舎の南口へと到着し、「大物駅」のミニ探索を終了したのであった。