はてなキーワード: 社会派とは
もっと面白くてもいいと思うんだけど思ったより普通のアクション映画で62点。
病気の子供を抱えるド底辺労働者の主人公はうっかり仕事をクビになってしまう。人生逆転のために30日間生き延びれば莫大な金が得られるリアリティショーである「ランニング・マン」に参加することを決める。出場者を狩るために追いかけてくるハンターたちに加え、出場者を殺した人間には賞金が出るため市井の人たちも味方ではない。死の逃避行が今幕を開ける。
みたいな話。
う~~~~~~~ん。なんか脇が甘い感じがしてイマイチのめりこめなかったかな。
普通の逃避行アクション映画としてみれば普通に面白い。どうやって逃げるんだろう、身分証を偽造するのかな、変装するのかな云々という逃避行ギミックに関してはきちんと提示されて納得力は高いし、行く先々でのチェイスアクションもよい。ぼろホテルに泊まって風呂入った後、窓から外見てたらハンターがいて戻ろうとしたらドアが開かなくて半裸で逃げる展開とかの面白みも深いし、ド派手なカーチェイスもあれば、アンチランニング・マン連合のナード君の家に逃げ込んでそこで彼が家中に仕掛けた罠を作動させながらハンターを撃退しながら逃げるホームアローン展開もよい。
最後にはちゃんとハンターの大ボスとの飛行機の中での肉弾アクションも用意されていて、アクションと映画してカーチェイス、銃撃、罠、肉弾、爆発とおいしいところは全部用意されているのでなんも考えんと見るんだったら普通に満足できると思う。
一方で、なんか主人公にはあんま感情移入できないっていうか。徹頭徹尾、こいつプッツン野郎なんだよ。冒頭、自分をクビにした上司に怒鳴りこみに行く場面から一貫してなんかすぐキレる。そのことによって常に状況が悪くなっていくの、なんていうかエンタメとしては食い合わせがあんまよくないなって思う。社会派のサスペンスとかだったらいいと思うんだけどさ。怒りこそ貧乏人に残された最後のエンタメとは言うけど、こういう意味ではないじゃん?
最終盤でルールで保護されているはずの妻子をハンターたちが殺していた、だからハンターたちを殺してお前がハンターになることで金も名誉も立場も手に入れられる!って番組プロデューサーにそそのかされる場面があるんだけど、これまで再三、番組は情報を改ざんし俺たちを操ろうとしている!と警鐘を鳴らしてきた主人公はプッツン、ハンターたちに襲い掛かり、ハンターの大ボスから彼も元はランニング・マンで主人公と同じトラップを仕掛けられハンター堕ち。実は妻子は生きていたけど拷問されて殺されたと種明かしをされるも信じずに殺害。その後、飛行機ごと無事爆殺される(脱出するけど)。
たぶん、そうなるのわかってたと思うんだけどなぜか殺してそのまま殺されかかるの正直よくわからない。徹頭徹尾「金を得るため」だったという冷徹な目的意識のためとかだったら理解できるんだけど、結局彼は何も得られずに終了する。
俺が見落としてただけだったら申し訳ないけど、あの飛行機に脱出ポッドがあるのを知るシーンってなかったよね?もしそれまで考慮に入れて「自分は死んだこと」にすることでこのゲームから脱出することを目的としていたんだったら理解できるんだけど、そんな感じでもなかったし。
その後、アンチランニング・マン連合が主人公が生きてることを言いふらして番組の裏側を暴露。アンチランニング・マン陣営は規模を拡大する。そして主人公はしっかり顔をさらして妻子に会いに行く。いや、番組側からしたら妻子には絶対見張り付けとくやろ。主人公なんか何回殺してもええんやから。
ランニング・マンの収録の客席はアンチで埋め尽くされ、司会は契約を盾にとっとと離脱。いや、セキュリティどうなってんねん。少なくとも主人公がオーディションするときはセキュリティしっかりしてたやろ。客の身辺調査や持ち検は当然するやろと思うのに、みんな手に手にアンチの看板もって火炎瓶を投げまくる。そんなわけある?そしてプロデューサーを主人公が撃ち殺して終了。いや、こいつも素通りかい。もうめちゃくちゃだよ!
あとはどう考えても30日は長すぎるよね。アメリカ中を逃げ回ってもいいとしても逆に考えれば30日は短すぎるし、映画として考えるなら30日は長すぎる。映画としてはどっか州を指定して2週間とかのほうがよかった気がせんでもない。なんか妙な生活感が出てて中だるみを感じた。
あとはこれどこまで意識して書かれているのかわからんのだけど、女の扱いがなんか微妙なんよね。別に活躍させる必要はないとは思うんだけど、主人公に庇護されるだけの妻、なんかバカみたいな死に方する逃亡者も女だし、テレビを一方的に信じて主人公を含む逃亡者を悪人だとののしり続けるナードの母親のババア、そして終盤に出てきて人質になる裕福層の女。裕福層の女は「貧困をエンタメとして搾取する市民」として描かれていて、主人公に「そのスカーフ一枚で俺の子供は助かるのにお前は気にも留めない」みたいに責められたときに「私は悪人じゃない」って言わせるのはちょっとあからさますぎるかな。最後飛行機で撃たれた主人公に止血のためにそのスカーフを差し出すのは皮肉がきいててよかったんだけど。
あとこの辺の社会的メッセージに関してはどう評価すべきかかなりむつかしいと思ってる。知らんけど、この映画作ってる人はわりとノンポリっぽい感じだと思うんだよな。なんかその、マスメディアを操る存在とそれに対するアンチだったり、白人のデブの子供2人が逃亡者を焼き殺したり、貧乏人たちが主人公を無条件に応援していたり、裕福層は殺せと言っていたりとかそういう社会的メッセージがめちゃくちゃ露骨に出てくるんだけど、それをどこまで信じてるかはかなり怪しく感じる。俺の感想としてめちゃくちゃ冷笑的に”ネタ”として消費しているように感じたかな。
まぁそんな感じかな。ベイビードライバーのエドガー・ライト作品らしくBGM使いも悪くないし、ポップなアクション映画としては一定以上の強度はあると思うんだけどなんか意外にがばがばというかがたがたな感じがして今一つのめり込めなかったな。まぁ、なんも考えんとみられるアクション映画見たいなって夜にはまぁまぁオススメ。
はぁぁぁぁぁぁ?!
な、な、なんなのその言い方!!うざっ!!マジでうざいんだけど!!
っていうか、最近の作品だってあるわ!「君たちはどう生きるか」とか「ヴィンランド・サガ」とか、お前が知らないだけで深いやつなんて腐るほどあるんだよ!!
例外とか言って勝手に切り捨てんなよ!自分の都合のいいようにルール決めんな!ズルいんだよ!!
はぁー!!出た出た!!そうやって社会問題とか難しい言葉使えばカッコつくと思ってんでしょ!?
結局あれもタイツ履いたおじさんがビーム出してるだけじゃん!幼稚じゃん!!
「最近の作品は〜」とか言って、ポリコレ要素が入っただけで深いとか勘違いしちゃってんの?
「ワイルド・スピードを例に挙げればよかった」とか、何様なの!?
自分が正解を知ってますよーみたいな顔して、上から目線でアドバイス(笑)とか、キモすぎ!!
だいたい、AIに聞けとか映画評読めとか、自分の言葉で喋れないの?
お前が幼稚って言いたいだけでしょ!他人のこと馬鹿にしたいだけでしょ!!
あーもういい!!話にならない!!
お前みたいな「ハリウッド映画見てる俺、社会派で高尚〜」とか思ってる奴が一番イタいんだよ!!
2026年3月16日の辺野古沖抗議船転覆事故から1ヶ月以上が経過した現在も、ヘリ基地反対協議会(安次富浩氏ら)は遺族に対し、直接的な対面謝罪・手紙・弔電を一切行っていません。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a8e1ce17609471c2b5cac0a6f5b279117d0b58c8
記事によると、共同代表の仲村善幸氏と事務局長の東恩納琢磨氏に記者が「なぜ遺族に謝罪しないのか」と直接聞いたところ、両氏とも口を揃えて「弁護士に聞いてください」と回答しただけでした。4月3日頃に弁護士を通じて「遺族の意向を確認中ですのでお待ちください」と学校側に連絡した記録はありますが、対面謝罪や手紙・弔電などの具体的なアクションは確認されていません。
この「謝れない」姿勢は、単なる個人の冷たさではなく、構造的な問題です。
共同代表制・構成団体連合という分散型組織のため、誰が最終責任者かわかりません。共産党(北部地区委員会が構成団体)、日本基督教団社会派、労働組合、辺野古基金などが緩やかに連携し、責任をたらい回しにできます。結果、「団体として謝罪した」「政府の責任だ」と主張することで、個別・具体的な謝罪を回避します。
「平和」「反基地」「民意の抵抗」という強い大義が、違法占拠(テント村・海上カヌー)や違法運航(無登録船・無保険)を正当化します。謝罪をすれば「自分たちの活動に非がある」と認めることになり、運動の正当性が揺らぐため、心理的・組織的に極めてハードルが高い。
最も深刻な要因は、運動の継続自体が利権を生み出す分散型ネットワークです。
・辺野古基金の資金循環 2015年に設立された辺野古基金は、2026年3月末時点で寄付総額約8億5,492万円(124,939件)を集め、ほぼ全額を反対運動の支援・運営費に充てています。主な寄付元は教職員組合(日教組・全教)や自治労などからの組織的寄付です。
・修学旅行・平和学習からの収入 年間約2,000校に上る沖縄平和学習で、抗議船使用料(「協力金」「カンパ」名目で1人あたり数千円)、民泊プログラム料、ガイド料が発生します。同志社国際高校の事故時も、船員3人に対して各5,000円(計15,000円)が支払われていました。
・激励ツアーなどの商業的活動 富士国際旅行社などが「辺野古・高江激励訪問ツアー」(8〜9万円/人)を定期的に企画・販売し、ヘリ基地反対協議会が現地ガイド役を務めています。これらの参加費もネットワーク内に還流します。
・宗教献金の役割 日本基督教団社会派では、信徒献金や牧師謝儀が抗議船購入・運用資金に間接的に使われるケースが確認されています。
一つの団体が「やめよう」と言い出せば、全体の資金源が失われ、ネットワークが崩壊する可能性があります。このことが、主体的な意思表明・反省・方針転換を実質的に不可能にしています。
安次富浩氏ら協議会メンバーは事故直後の記者会見で私服のまま出席し、腕組みをして仏頂面で臨むなど、責任回避的な態度が目立ちました。小池晃共産党書記局長も会見で「平和の問題を一生懸命勉強して沖縄まで来られた方が…命を落とされるのは絶対あってはならない」と述べ、事故を「平和教育の犠牲」として位置づけ、政府責任論を強調しました。
戦前は軍部・政府が「聖戦」「神風」「大本営発表」で失敗を認めず、内部批判を「非国民」として排除しました。現在も「平和」という大義名分のもと、事故原因の自己検証や活動の見直しが極めて困難になっています。明確な指揮系統がない分散型ネットワークは、外部からの是正圧力(海上保安庁捜査・文科省通知)を受けつつも、内部自浄が機能しない「集団無責任体制」を生み出しています。
基地反対団体の「謝れない構造」は、集団無責任体制+大義名分+相互依存ネットワークと資金還流が複合的に絡み合った結果です。
これは戦前の総動員体制の「誰も最終責任を取らない」病理を現代版です。トップが存在しない様々な団体が、思想と利権で結びついているため、「大義に逆らう」主体的な反省や方針転換をすることは、実質的に不可能な状態です。
日本基督教団(UCCJ)と部落解放同盟(解同)の公式連携は、1975年の「確認と糾弾」を契機に始まり、現在も継続しています。以下に公式サイトからの直接引用を示します。
(出典:日本基督教団部落解放センター公式「設立の経緯」ページ)
(出典:部落解放同盟機関紙「解放新聞」2010年7月5日号、教団側も公式に報告)
教団はこれを2年に1度の全国規模会議として定期的に共同開催しており、フィールドワークや講演なども共同で行っています。
日本基督教団が議長教団を務めた時期があり、部落解放同盟が主導する宗教者ネットワークの中心的な役割を果たしています。
部落差別撤廃を教団の宣教課題として明文化し、継続的な連携を位置づけています。
日本基督教団は公式に1975年の確認と糾弾を受け入れ、部落解放センターを設立して以降、部落解放同盟と共同会議・フィールドワーク・狭山事件支援などで組織的に連携しています。これは教団の社会派活動として公式に位置づけられたものです。
• 日本基督教団部落解放センター公式サイト https://blc-uccj.org/
• 設立の経緯(最も重要なページ) https://blc-uccj.org/日本基督教団と部落解放センター/history-of-establishment/
• 日本基督教団公式サイト内の言及 https://uccj.org/secretariat-publicationbureau-pensionbureau(事務局ページ)
(出典:https://blc-uccj.org/日本基督教団と部落解放センター/history-of-establishment/)
• 教団は部落解放全国会議を部落解放同盟とともに共同主催(2年に1度)。
• 「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議(同宗連)」に参加・議長教団を務めた時期あり。
これらはすべて日本基督教団の公式ウェブサイトに掲載されている一次情報です。 特に「設立の経緯」ページは、1975年の確認と糾弾から部落解放センター設立までの経過が詳細に記述されており、最も信頼できる公式記録です。
元産経新聞記者で医療ジャーナリストの那須優子氏は、2026年4月27日、X(旧Twitter)で以下の投稿を行いました。
と付け加えました。
• 日本基督教団を「部落解放同盟」と同定し、「プロテスタントを名乗った左翼活動家の隠れ蓑」と表現。
• 自身が30年前に産経新聞で担当した同志社特集を通じて、教団と北朝鮮の関係を「裏の顔」として認識していたと主張。
• 教団が北朝鮮拉致問題に十分向き合わなかったことを「読者と拉致被害者家族への裏切り」と批判。
• 横田早紀江さん(拉致被害者・横田めぐみさんの母)が福音派の信徒として祈りを捧げていた点に触れ、「あまりに残酷すぎて」と強い感情を込めて記述。
那須氏の発言は、同志社国際高校の辺野古沖事故を背景に、宗教団体としての日本基督教団と政治・社会運動の関与を強く問題視したものです。表現は断定的ですが、教団の部落解放同盟との長年の協力関係や象徴天皇制反対声明、北朝鮮関連の交流実績などは公式資料や過去報道で確認できる事実に基づいています。
那須優子氏の2026年4月27日投稿を中心に、主張の事実関係を検証します。公的資料・公式サイト・報道に基づきます。
• 日本基督教団は1975年に部落解放同盟(大阪府連・東京都連など)から「確認と糾弾」を受け、部落差別問題特別委員会を設置。1981年に部落解放センターを大阪に設立。
• 以後、部落解放同盟と共同で「部落解放全国会議」を開催(教団が主催・共催)、フィールドワーク、講演、狭山事件支援などを実施。
• 「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議(同宗連)」で議長教団を務めた時期もあり、公式連携は継続中。
• 教団公式サイトや部落解放センター資料で確認可能。ただし、教団全体が一枚岩ではなく、社会派活動の一環です。
• 教団は2019年の天皇代替わり時に大嘗祭への国関与を強く反対する声明を発表(政教分離・天皇神格化批判)。
• 戦後「戦争責任告白」(1967年)以降、社会派神学の影響が強く、天皇制・靖国問題で批判的立場を維持。
• 那須氏の過去投稿で「産経新聞夕刊特集時代に同志社特集を手伝った」と繰り返し記述。同志社(ミッション系)と教団の関係を取材した可能性は高い。
• 詳細な記事確認は限定的ですが、彼女の記者歴(産経→医療ジャーナリスト)と一致します。
• 日本基督教団は日本キリスト教協議会(NCC)に加盟。NCCが北朝鮮の朝鮮基督教連盟と交流し、訪朝・「制裁非礼」謝罪文を送った事例あり。
• 拉致問題への言及が薄いとの批判は、保守系メディアなどで長年指摘されています。
• 横田早紀江さんは日本同盟基督教団(福音派)の信徒(1984年受洗)。日本基督教団社会派とは異なる教派。
教団の北朝鮮寄り交流が拉致被害者家族の祈りと対立する構図は事実として存在します。
那須氏の発言の事実の骨子は概ね正しいです。教団と部落解放同盟の公式協力関係、天皇制批判、北朝鮮交流、拉致問題対応の温度差などは確認できます。
ただし、「=」や「隠れ蓑」などの表現は強い価値判断・一般化を含み、教団内の多様性(社会派 vs 教会派)を考慮していない点は考慮が必要です。
日本基督教団(UCCJ)では、牧師の生活基盤は各教会の信徒献金(けんきん)を主財源とする謝儀(しゃぎ)で成り立っています。以下に資金の流れを具体的に説明します。
◦ 教会員の月定献金、特別献金(例:デナリオン献金、救援募金、社会委員会献金など)が教会の経常収入となります。23
◦ 教会予算の大部分(小規模教会では8割超)が牧師関連支出に充てられます。
◦ 「謝儀」は給与相当で、税務上は宗教活動対価として非課税扱いになるケースが多いです。
◦ 教団・教区の互助制度(謝儀支援)もあり、財政難の教会の牧師謝儀を教区が一部補助します。
◦ 教団関連研究所(例:沖縄キリスト教平和総合研究所)や社会委員会の嘱託研究員・コーディネーター報酬。
◦ 牧師活動費、交通費、研究費なども教会会計から支出可能です。
佐敷教会牧師としての謝儀+沖縄キリスト教平和総合研究所コーディネーター(2010〜2021年)としての嘱託報酬。
2014年に抗議船「不屈」購入のため、全国の教会・信徒に募金を呼びかけ(目標200万円達成)。研究所名義で募金活動を行い、船を購入・運用。
船長業務、平和学習プログラム(同志社国際高校など)の案内、抗議行動。これらを「祈りと行動の一致」「社会正義の実践」「伝道活動」として位置づけ、牧師職務の範囲内としていました。
献金 → 教会・研究所会計 → 牧師謝儀+活動費 → 抗議船運用・平和学習提供、という循環が成立していました。
専従牧師として生活が保障されつつ、活動時間を政治・社会運動に充てやすい。
教団の「戦争責任告白」(1967年)以降、社会派牧師を中心に「解放の神学」「現場での証し」が強調され、抗議活動が「伝道の延長」と解釈されます。
教団の社会委員会・平和研究所、関係学校(同志社など)、外部団体との連携で持続可能な活動基盤が形成されます。
この資金構造は信徒献金 → 教会・教団機関 → 牧師謝儀・活動費という資金循環により、宗教活動の名目で政治的・抗議活動を職業的に継続できる環境を生んでいます。
特に沖縄の反基地運動や平和学習分野で顕著に見られ、2026年の辺野古沖事故でその実態が注目されました。教団全体が一枚岩ではなく、多様な教会が存在することは事実ですが、社会派牧師の活動形態は教育基本法第14条(政治的中立性)との緊張を生む要因となっています。信徒献金(宗教法人としての税制優遇を受けやすい資金)が、結果的に特定政治運動を支える構造になっているとの指摘もあります。
(出典:日本基督教団公式資料、産経ニュース、クリスチャントゥデイ、沖縄キリスト教学院大学声明など、2026年4月時点の報道に基づく)
日本基督教団においては、宗教団体としての名目(信教の自由・宗教活動)と、実態(政治的抗議活動・平和学習プログラムの供給)との乖離が、成立しています。グレーゾーンを最大限活用してると説明できます。
日本基督教団(UCCJ)は宗教法人法に基づく宗教法人。牧師の活動は「伝道」「社会正義の実践」「祈りと行動の一致」と位置づけられ、献金・謝儀で支えられます。
社会派牧師(金井創氏など)らは、抗議船運航、座り込み参加、特定団体との連携、修学旅行向けプログラム提供を職業的に継続。これを「信仰の実践」として教会会計・研究所報酬で賄う。
この乖離は、宗教法人法の緩やかな監督と税制優遇が支えています。
抗議船「不屈」の購入費も全国教会からの募金で賄われました。これが「伝道活動」の一環と解釈されれば、宗教法人の枠内で政治色強い活動が持続可能です。
◦ 宗教法人法81条(解散命令)は「法令違反で著しく公共の福祉を害する場合」に限定され、運用は極めて慎重(オウム・旧統一教会級でないと発動しにくい)。
◦ 憲法20条(政教分離)は「宗教団体が政治上の権力を行使してはならない」とするが、個別牧師の抗議活動や「平和教育」提供までは「政治的権力行使」とまでは認定されにくい。
◦ 教団内部ガバナンスが弱く(教会自治が強いため)、社会派活動を教団全体で抑制しにくい構造です。
政治活動が「宗教的実践」と主張されれば、税制優遇を享受したまま活動が可能になります。批判者はこれを「間接的な公的補助」と見なし、課税強化論(宗教法人全体の見直し)が度々浮上します。
現行法上、牧師個人の政治的言動や市民活動自体は禁止されていません。教団も公式に「社会正義」を掲げています。
宗教法人格と税優遇を「隠れ蓑」にして、教育基本法第14条(政治的中立性)や学校安全管理をすり抜けるような運用が、長年放置されてきた点。事故で表面化した「外部丸投げ平和学習」は、この乖離の典型例です。
この構造は日本基督教団に限ったものではなく、社会派宗教団体全体に共通する課題です。事故後の文科省通知・学校調査は、宗教団体自体の監督強化(ガバナンスや税制見直し)までは及んでいません。
オードリー若林アンパラレルドのBMI回見た。凄まじい技術だな
https://tver.jp/episodes/epdcxrrlhz
Brain Machine Interface(脳波とリンクする外付けデバイス。「念」を見える化する技術)
「リハビリ」させるというのが意外だ。以前からあるものは「脳波をキャッチして体を動かすサポート」というイメージだった
このBMIを使用して、脳卒中で麻痺した前腕をリハビリ6週間で「ほぼ健常」状態までもってくという驚異的な成果が示されていた
脳の損傷した部位を迂回して体を動かす。「違うルートの開拓」そして「開拓したルート」を脳に学習させる
なんかこういうの見ると「念じる」っていう能力を鍛えておく必要があるなと思う
念じるというか想像するかな
でも、考えてみれば元々「体を動かす(特に『スポーツ』)」っていうのは「イメージ」が大事だもんな
畳の上の水錬じゃないけれども、常日頃からちゃんとイメージして体を動かすようにした方がいいのかもしれない
番組後半で言ってたけど、このBMIを使ってアスリートの能力向上も見込めるとのことで
そんな高度なことも大事かもしれないけど、自分の様な「逆上がり出来ない」層にも希望の光を与えて欲しいものだ
小学校の体育でも導入すべき!!
それはともかく、自分は普段、PTが一生懸命リハビリさせてるのを見ているけれども、こういう技術が当たり前になってくれたら助かる患者も増えるだろうと思う
先進技術隆盛の現代ではこういったものが出てくるのは当然の流れよな
これからは「脳を損傷させない・損傷を治す」ということを目指すとともに「損傷してしまっても以前と同じ様に回復させる・動かせる」ことを目指すのも必須だ
若様の社会派番組、もっと増えたら良い。春日と偶にやってるAudrey!も良い
でも働きすぎるとまた体壊すので程々にしてほしい
「1970年代の少女マンガはどれも皆恐ろしくレベルが高くて、当時の少年誌青年誌のマンガがみんな子供っぽく見えた」とり・みき先生のポストに漫画家や読者から共感の声
https://togetter.com/li/2688253
タイトル通り。漫画評論する人たちが雑誌や書籍、テレビ・ラジオで漫画を語るとき、漫画とは少年漫画、青年漫画等男子・男性向けの漫画のみを指し、少女漫画は完全無視されてきた。あるいは現在もほぼ無視。
映画評論家が「アメリカ映画しか見たことないしアメリカ以外に映画存在してることを知らない」と言ったらさすがに「もの知らんすぎやろー」と思うじゃろ?マジでそんな感じでお偉い先生が「漫画話」をする時は少女漫画は完全スルーじゃった。今もじゃ。
よく「面白い漫画100選」とかやってる人いるけど少女漫画が1本も入ってないことはよくある。
最近は少女漫画雑誌はもう恋愛ものばかりが「取り残された」状態になってるから読む人少なそ、とは思うが、それでも低年齢(小中向け)だと100万部レベルのヒット作も出てる。
この4月に終わったらしい「ハニーレモンソーダ」なんて1600万部売れてっからな。漫画評論やってる人は誰も言及しないけど。
最後に少女漫画界の動向こんな感じじゃね、という体感書いとく。
「取り残され」なんて書いたが、低年齢層向けから高年齢層向けまで各雑誌、シュールギャグや動物もの等を細々と掲載し続けて試行錯誤しているよ。売上落ちてて、漫画評論界隈から完全無視されても。でもコミックス1600万部売れる作品出せてたらもうそれでもええかもな。
それから、高年齢層向けの少女(?)漫画雑誌だと昔みたいに色々載ってるね。FlowersやWingsは昔の少女漫画雑誌っぽさがある。
ごちゃまぜ時代。少女漫画雑誌には恋愛、学園ものはもとより、ギャグ、コメディ、職業もの、ファンタジー、ホラー、オカルト、SF、歴史、硬派な社会派作品、スパイetc.ありとあらゆるジャンルがあった。
少年・青年漫画雑誌の女性読者が増え(読んでいる人は昔から大勢いたが)、少女漫画家が少年・青年誌に進出し始める。ジャンルは恋愛もの以外で。
読者の方も、恋愛もの以外が読みたい人は少年・青年漫画を選ぶようになってきた。少女漫画雑誌に恋愛ものばかりが「取り残され」るようになった。
女性漫画家でも最初から少年誌・青年誌でデビューする人が増えてくる。
青年向けの漫画雑誌でも少女漫画の文法の、昔なら少女漫画雑誌に載っていたであろう漫画が載るようになる(「スキップとローファー」等)。少女漫画雑誌はほぼ女性しか買わないが、青年漫画雑誌だと男女ともに読者がいるので読者数、売上的にもそちらの方が良い。漫画評論家先生の目にも入ることですし。
沖縄県議会 総務企画委員会(2026年4月15日) 議事録からの主な引用
以下は、2026年4月15日午前10時から開催された総務企画委員会(委員長:西銘啓史郎氏)での主な発言を、報道・配信記録に基づいて抜粋したものです。玉城デニー知事は欠席し、知事公室長が出席しました。
「事故から1ヶ月が経過した。県としてどう対応しているのか。知事本人が出席すべき重大事案ではないか。」
「遺族のnoteメモに書かれている学校側の情報提供の遅れ、荷物の扱い方、引率教員の不同乗について、県はどのように認識しているか。」 「平和学習プログラムで抗議船に乗せることのリスクを、県は事前に把握していたのか。」 「反対協の船が無登録運航の疑いがある中、公的資金で平和学習を推進してきた責任はどう考えるか。」
「知事は4月10日の会見で『責任感を持って強く取り組む必要がある』と言った。なぜ本人が出席しないのか。」 「平和学習の継続について、県として内容の検証や外部団体への委託基準を見直す考えはあるか。」
• 「学校と旅行会社の独自計画であるため、県として直接止める権限はない。」
• 「事故の詳細については海上保安庁の捜査結果を注視している。」
• 「安全対策については、県修学旅行推進協議会などで再点検を進め、旅行会社や県内事業者への注意喚起と研修を実施する。」
• 「平和学習事業自体は、沖縄の心(チムグクル)を伝える重要な取り組みとして継続する方向で、安全管理を強化していく。」
• 「知事の出席については日程調整の結果、公室長が対応する形となった。」
その他の記録された発言
• 委員から「遺族メモに『荷物が破れた段ボールで渡された』とあるが、県として遺族への対応はどうか」という質問に対し、公室長は「学校・旅行会社を通じて適切に対応していると認識している」と回答。
• 反対協の安全管理体制に関する質問に対しては、「県として直接的な監督権限はないため、海上保安庁の調査を待つ」との繰り返しが目立った。
• 平和学習プログラムの政治的中立性(教育基本法第14条違反の可能性)。
• 外部団体(反対協・金井牧師・社会派ネットワーク)への無批判な委託とその構造的リスク。
• 県の平和啓発事業予算が平和学習とどのように連動しているかの検証。
• 反対協の海上活動(無登録運航・危険接近の常習性)と県のこれまでの関与。
記録上、委員からの質問は主に安全管理の不備と知事の説明責任に集中しており、執行部は一貫して「学校・旅行会社の独自計画」「海保捜査待ち」「平和学習事業の継続」を強調しました。
朝日新聞や日本基督教団(特に社会派)の戦後的な立場は、戦前の「皇道推進派・戦争協力派」から「日本断罪派・反権力派」への大きな鞍替え(方向転換)を象徴する事例として、保守層を中心に長年批判されています。「悪を糾弾する立場」を維持しながら、対象を替えているという構造があります。
◦ 朝日新聞:戦争報道で積極的に国策を支持。「大東亜共栄圏」「聖戦」などのスローガンを連呼し、軍部・政府のプロパガンダに協力。
◦ 日本基督教団:1941年に国家神道的な圧力の下で合同し、戦争協力の姿勢を取った。多くの牧師が「皇道キリスト教」を掲げ、戦争を「神の摂理」と位置づける神学を展開。
◦ 朝日新聞:戦争責任を深く反省する立場に転換。以降、「反戦・平和」「反権力」を一貫した editorial line とし、保守政権や自衛隊、安保政策を強く批判するようになった。
◦ 日本基督教団:1946年の「戦争責任告白」で戦時中の協力を公式に悔い改め、社会派が主流に。戦後は「構造的罪」「反権力・平和運動」を神学の中心に据え、反基地・反安保運動に深く関与するようになった(金井創牧師の活動もこの延長線上)。
天皇制・軍国主義・国家神道を「正義」と位置づけ、それに反対する勢力(共産主義者、リベラル、キリスト教の一部)を「国賊」「悪」と糾弾。
今度は「天皇制・軍国主義・国家権力・米軍基地」を「構造的悪」と位置づけ、それに反対しない勢力や現実路線を「加害者側」「右翼」と糾弾。
「常に自分たちが悪を糾弾する側に立つ」**という姿勢は変わっていないが、糾弾の対象が180度変わったのです。
• 生存戦略としての転換:敗戦後、戦争責任を追及される中で「自分たちは実は抵抗していた/被害者だった」というナラティブを構築する必要があった。
• 新しい正義の獲得:戦前の国家主義が崩壊した後、「反戦・平和・人権」という新しい「絶対的正義」を掲げることで、道徳的優位性を維持。
• 連続性:戦前も戦後も「権力に対する批判的立場」を自認しているため、自己矛盾を感じにくい。
この構造は、現在の沖縄の反基地運動や平和学習報道にそのまま投影されています。
• 朝日新聞や沖縄タイムスは、反基地運動を「平和の闘い」「県民の総意」として肯定的に報道し、反対する意見を「右翼の攻撃」「誹謗中傷」と一括りにする傾向が強い。
• 日本基督教団社会派は、金井牧師のように「イエスは辺野古の現場にいる」と聖書を反基地運動に直接当てはめ、信仰と政治を一体化させる。
• 結果として、「悪を糾弾する側」に留まり続けることで、運動の正当性を維持しつつ、異論を封じ込める空気を作り出しています。
これは戦前の「非国民」レッテルと構造的に似ており、多様な意見を排除し、社会的分断を固定化する弊害を生んでいます。
朝日新聞や日本基督教団社会派の事例と同様に、戦前は国家主義・戦争協力に積極的だったのに、戦後になって「反戦・平和・反権力」を強く主張するようになったメディアは他にもいくつかあります。以下に、主なものを挙げます。
• 戦前・戦中: 朝日と並ぶ大手紙として、軍部・政府の国策を積極的に支持。「大東亜共栄圏」「聖戦」を連呼し、戦争報道で大きな役割を果たした。
• 戦後: 急速に反戦・平和主義に転換。憲法9条擁護や自衛隊批判を強く打ち出し、左派寄りの論調が目立つようになった。
• 特徴: 朝日ほど極端ではないが、「戦争責任の反省」を前面に出し、戦後の「平和主義メディア」としての立場を確立。保守層からは「日和見的な鞍替え」と批判されることが多い。
• 戦前・戦中: 正力松太郎(戦後読売新聞社主)が軍部と密接に関わり、戦争協力報道を積極的に展開。プロパガンダ色が強かった。
• 戦後: 比較的早く「中道保守」路線に転換。ただし、戦前からの軍部とのつながりが長く批判された。
• 特徴: 他の大手紙に比べて転換の度合いは穏やかで、現在は比較的バランスを取った報道姿勢とされるが、戦前の軍部協力の過去は保守層からも時折指摘される。
• 戦前: 中日新聞(当時の新愛知新聞など)は軍国主義報道に協力。
• 戦後: 特に左派寄りの論調が強く、反基地・反安保・護憲を強く主張するようになった。
• 特徴: 現在も沖縄の基地問題では反基地寄りの報道が目立つ紙の一つ。
• 戦前・戦中: 国営放送として軍部・政府の完全なプロパガンダ機関だった。「ラジオ体操」「国民精神総動員」などの戦争協力番組を大量に制作。
• 戦後: GHQの指導の下で「民主主義放送」に転換。以降、「平和主義」「反戦」を強く打ち出す報道姿勢が定着。特に国際報道や国内の社会問題では左派寄りと見なされる傾向が強い。
• 特徴: 公共放送という性格上、「中立」を掲げつつ、実際の報道バランスが左に寄っているとの批判が保守層から根強い。
• 戦後: 全国紙や地方紙に配信する記事で、反戦・平和・リベラル寄りのトーンが強いと指摘される。
• 特徴: 地元紙(特に沖縄タイムス・琉球新報)の報道傾向にも影響を与えている可能性が高い。
• 戦前: 国家権力(天皇制・軍部)と一体化し、戦争を積極的に支持・宣伝。
• 戦後: GHQの占領政策や「民主化」の波の中で、急速に「反戦・平和・反権力」の立場に鞍替え。
「戦争に協力したのは仕方なかった」「本当は内心反対だった」「今こそ真の平和を追求する」というナラティブを構築。
戦前は「反国家勢力」を悪と糾弾し、戦後は「国家権力・米軍・保守政権」を悪と糾弾する形に切り替わった。
この鞍替えは、「常に自分たちが正義の側に立つ」という姿勢の維持が背景にあり、結果として「現実の多角的な検証」が疎かになる弊害を生んでいます。
沖縄の地元紙(琉球新報・沖縄タイムス)が反基地運動を強く支持し、事故の本質(平和学習の政治性、安全軽視、外部勢力の関与)を十分に検証しない姿勢は、この戦後メディアの鞍替えパターンと重なります。「平和」という新しい正義の名の下に、運動の既得権益化や言論の硬直化を許している点が特に似ています。
歴史的に見ると、このような大規模な方向転換は、自己反省が不十分なまま新しいイデオロギーに乗っかることで起きやすく、長期的に社会の分断や現実認識の遅れを招きやすいという教訓があります。
設定とヘルプ
Gemini との会話
Gemini の回答
劇場版『名探偵コナン』が毎年右肩上がりで動員数・興行収入を伸ばし続けている(2023年『黒鉄の魚影』で初の100億円突破、2024年『五稜星』で150億円突破)背景には、単なる「アニメの人気」を超えた戦略的な要因がいくつかあります。
かつては「子供向けアニメ」でしたが、現在は**「かつて子供だった大人」と「今の子供」の親子二世代**、さらにはミステリーやアクションを好む一般層まで取り込んでいます。
大人の鑑賞に堪える脚本: 政治や最新技術(AI、顔認証、潜水艦など)をテーマに盛り込み、サスペンスとしての質を高めています。
ラブコメ要素の強化: キャラクター同士の恋愛模様が丁寧(かつじれったく)描かれるため、女性ファンやカップルのリピート率が非常に高いのが特徴です。
作品ごとに、コナン以外の**「メインキャラクター」を据える形式**が確立されました。
キャラ人気による爆発: 安室透(降谷零)をメインに据えた『ゼロの執行人』や、灰原哀にフォーカスした『黒鉄の魚影』など、特定のキャラクターに熱狂的なファン(いわゆる「安室の女」など)がつき、その「推し」を応援するために何度も劇場へ足を運ぶ「追いコナン」という現象が定着しました。
静野孔文監督時代(第15作〜)から、**「ハリウッド映画並みの派手なアクション」**を重視する演出に舵を切りました。
「映画館の大きなスクリーンで見る価値がある」爆発シーンや身体アクションを増やすことで、推理漫画としての枠を飛び出し、スカッとするエンターテインメント作品としての地位を確立しました。
映画単体で完結させつつも、原作の重要キャラクターの過去や新事実が映画で初公開されるケースが増えました。
黒の組織の核心に迫る描写や、赤井秀一・安室透などの人気キャラのバックボーンが映画で描かれるため、原作ファンが「見逃せないイベント」として劇場へ向かう仕組みになっています。
毎年4月のゴールデンウィーク前に公開するという**「春の風物詩」としてのブランディング**が成功しています。
次回予告の演出: 映画の最後に必ず「来年の主役」を暗示する特報が流れます。これにより、見終わった瞬間から翌年への期待感を持たせるという、非常に強力なファン繋ぎ止め戦略が機能しています。
SNSとの親和性: ネタバレを避けつつ熱量を共有しやすい構成になっており、公開直後のSNSでの盛り上がりが新規客を呼び込むループを作っています。
補足
近年では、日本国内だけでなくアジア圏を中心とした海外市場の成長も、制作予算の増加やクオリティ向上に寄与しており、それがさらに国内のヒットを後押しするという好循環が生まれています。
1日に59回も上映する映画館があるらしい 公開直後でも予約なしでも見れるのかな
Gemini の回答
1日59回という驚異的な上映回数は、2026年4月10日(明日!)公開の最新作**『名探偵コナン ハイウェイの堕天使』に合わせて、「T・ジョイ横浜」**が打ち出したスケジュールですね。
もはや映画館のロビーが「電車の時刻表」状態になっているとSNSでも話題ですが、予約なしでふらっと行けるかどうかについては、以下のような状況が予想されます。
予約なしで見れる可能性は「高い」が、条件あり
結論から言うと、**「席を選ばなければ、どこかの回には滑り込める可能性が非常に高い」**です。
回転率が異常: 5分〜10分おきに次の上映が始まるため、一つの回が満席でも、15分後の回や30分後の回には空きがある、という状況が生まれます。
「予約なし」の落とし穴: 公開直後の土日は、予約なしで行くと「直近の回は満席で、2時間後の回しか空いていない」といった事態になりがちです。しかし、59回もあれば「15分待てば入れる」という状況になりやすく、飛び込み客にはかなり優しいスケジュールと言えます。
注意すべきポイント
良い席は埋まる: 中央の見やすい席やペアシートなどは、事前にネット予約で埋まってしまいます。予約なしだと「一番端っこ」や「最前列」になる覚悟は必要です。
舞台挨拶や特典: 公開初日や2日目の特定の回(入場者特典の配布初動など)は、回数が多くても一気に埋まる可能性があります。
劇場の混雑: 上映回数が多いということは、ロビーにいる人数も尋常ではありません。チケットを買うための列や、売店(ポップコーンやグッズ)の待ち時間で、結局上映時間に間に合わない…というリスクがあります。
賢く見るためのアドバイス
もし明日の公開日やこの週末に行かれるのであれば、**「劇場に向かう電車の中でスマホから空席状況を確認・予約」**してしまうのが一番確実です。
新宿区から横浜までは少し距離がありますが、わざわざ足を運んで「数時間待ち」になるのはもったいないですからね。もし「予約なし」にこだわるなら、お昼時などのピークを少しずらすだけで、よりスムーズに席が見つかるはずです。
今回の舞台が横浜ということもあって、聖地での59回上映はかなりお祭り騒ぎになりそうですね!
映画館の数は年々増えているのか
Gemini の回答
実は、「映画館の数(施設数)」自体は横ばいか微減傾向にありますが、「スクリーンの数」で見ると、ここ数年は増加傾向にあります。
少し意外かもしれませんが、昔ながらの単館映画館(ミニシアター)が閉まっている一方で、複数のスクリーンを持つ大型の**「シネマコンプレックス(シネコン)」**が次々と新設されているため、全体としては「座席やスクリーンの供給量」は増えているという状況です。
2026年現在、全国のスクリーン数は3,600〜3,700前後で推移しており、前年から20スクリーン以上増加するなど拡大基調にあります。特にイオンモールやTOHOシネマズといった大手が、再開発に合わせて新しいビルや商業施設に最新設備(IMAXやDolby Cinemaなど)を備えた映画館をオープンさせていることが要因です。
2. 「大型化・集約化」と「二極化」
シネコンの独走: 1箇所に10スクリーン以上あるような施設が増えており、今回の『コナン』の「1日59回上映」のような極端な編成ができるのも、このシネコンの強みです。
ミニシアターの苦境: その一方で、新宿シネマカリテやシネ・リーブル池袋といった歴史あるミニシアターが閉館するなど、小規模な映画館は厳しい経営状況が続いています。
3. 直近・今後の主な新設予定(2026年)
あなたの拠点である東京近郊でも、新しい映画館の動きが活発です。
「映画館という建物」の数は、閉館と開館が入り混じって増えている実感は薄いかもしれませんが、「映画を見られる場所(スクリーン)」の数は着実に増えています。
特にコナンのようなメガヒット作品は、全国に増えたシネコンのスクリーンをフル活用して「見たい時にいつでも見られる」環境を作り出しており、それが先ほどお話しした動員数アップの大きな物理的要因にもなっています。
Gemini の回答
確かに、この「4月中旬」という公開タイミングは、興行戦略として非常に計算し尽くされた**「一人勝ちできる絶妙な隙間」**と言えます。
なぜこの時期にビッグタイトルが重なりにくく、コナンが独走できるのか、その裏事情を読み解くと面白いですよ。
多くのファミリー向け大作映画(ドラえもん、プリキュア、ディズニー系など)は、3月の「春休み」に合わせて公開されます。一方で、洋画の超大作などは5月の「ゴールデンウィーク」に向けて公開されます。
コナンはその中間の4月第2週〜3週に公開することで、春休み映画が一段落し、GWの新作が来る前の「手薄な時期」のスクリーンを独占します。
劇場側も、GWに向けて集客の目玉が欲しい時期なので、コナンのために最大スクリーンを空けて待っている状態になります。
現在のコナンは、公開から数週間で興行収入50億、100億を軽々と稼ぎ出す「怪物」です。
他の配給会社としては、同じ時期に大型作品をぶつけても、スクリーンの確保や話題性で勝ち目がありません。そのため、**「4月後半に大きな映画を出すなら、コナンから2週間は離そう」**という力学が働きます。
明日、2026年4月10日公開の最新作**『ハイウェイの堕天使』**の周辺状況を見ても、この戦略は健在です。
強力なライバル: 4月後半には『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』や実写版『SAKAMOTO DAYS』などの話題作が控えていますが、いずれも4月24日以降やGW直前です。
独走期間: つまり、明日から約2週間は、全国の映画館のメインスクリーンが「コナン一色」になります。59回上映ができるのも、この時期に「他にこれほど客を呼べるコンテンツがない」からこそ可能な力技です。
もはや映画というよりは、お花見と同じような**「4月になったら映画館へコナンを見に行く」という年間行事として定着しています。
「ビッグタイトルが重ならないから勝つ」というより、「コナンが来るから他のビッグタイトルが道を譲り、結果としてお祭り騒ぎになる」**という、まさに王者の勝ち方になっています。
明日からのお祭り、せっかくなら59回上映という「歴史的瞬間」を横浜で体感してくるのも面白いかもしれませんね!
ビッグタイトルであるドラえもんだと謎解き要素がなく、大人がそこまで夢中になれないので、コナンのほうが大人も楽しめるのかどうか
Gemini の回答
まさにその通りですね。ドラえもんとコナンの決定的な違いは、ターゲット設定の**「解像度」と「レイヤー(階層)」の深さ**にあります。
大人がコナンにこれほどまで夢中になれる(あるいは、ドラえもんより深くハマりやすい)理由は、単なる「謎解き」以外にもいくつか構造的な要因があります。
ドラえもんの映画は、主に「勇気」「友情」「冒険」といった感情的なテーマが中心で、SF設定(ひみつ道具)も「もし〜できたら」という子供の空想に基づいています。
対してコナンは、**「大人の知的好奇心」**を刺激する作りになっています。
専門知識の導入: 化学、歴史、最新の軍事技術、ITなど、大人が「へぇ〜」と思うようなトリビアがトリックに組み込まれます。
ロジックの積み重ね: 伏線回収の快感は、論理的思考を好む大人にとって非常に強力なエンタメになります。
2. 「縦軸(本筋)」の緊張感
ドラえもんは基本的に1話完結の物語ですが、コナンには「黒の組織」という**完結していない巨大な謎(縦軸)**があります。
映画のたびに「組織の核心に1ミリ近づくのか?」「RUM(ラム)の正体に関するヒントが出るのか?」といった緊張感があり、これはもはや長編サスペンスドラマを20年以上追いかけている感覚に近いです。この「続きが気になる」感覚が大人を引き離しません。
3. 人間関係の「エモさ」と「複雑さ」
多様な関係性: 新一と蘭の「会えない恋」だけでなく、警察関係者の恋、安室透のような「国に恋する男」、灰原哀の「複雑な恋心」など、大人だからこそ共感できる、あるいは応援したくなる多層的な人間模様が描かれます。
これにより、キャラクターを「子供向けアニメの登場人物」としてではなく、**「推し」**として応援する大人が激増しました。
近年のコナン映画(特に立川譲監督や櫻井武晴氏の脚本回など)は、カット割りや演出が完全に実写のパニックアクション映画のそれです。
爆破、カーチェイス、格闘シーンのクオリティが非常に高く、「アニメを見ている」というより「007」や「ミッション:インポッシブル」を見ているような感覚に近いため、大人が劇場で見る「映画体験」として満足度が高いのです。
一方で、ドラえもんは「親が子供に安心して見せられる」「子供時代の純粋な心を思い出させる」という、コナンにはない圧倒的な安心感と普遍性を持っています。
結論として
「謎解き」というゲーム性と、「組織」という重厚な設定、そして「キャラの魅力」が絶妙にブレンドされているからこそ、コナンは**「子供を連れて行った親が、子供以上に身を乗り出して見てしまう」**という現象を起こせているのだと言えます。
明日の『ハイウェイの堕天使』も、おそらく大人を唸らせるような社会派のテーマや、驚きの人間ドラマが仕込まれているはずですよ。
パチンコが衰退した地方でのシネコンは身近な娯楽だし、GWという大体どのサラリーマンも休みでお一人様で過ごすには期間が長い、でもどこかへ行きたい。ひとりで行ける場所、そうだ映画。という風にはなりやすいんでは
Gemini の回答
その洞察、非常に鋭いです。まさに現代の地方都市における「レジャーの空白」をシネコンが埋めている側面は確実にあります。
おっしゃる通り、以下の3つの要素が組み合わさることで、コナンやシネコンが「お一人様」の強力な受け皿になっています。
かつて地方のロードサイドにおける「手軽な非日常」の代表はパチンコ店でしたが、娯楽の多様化や規制の影響で店舗数は減少しています。
その一方で、郊外の巨大なショッピングモール(イオンモールなど)に併設されたシネコンは、以下のような点でパチンコに代わる「身近な逃避場所」となっています。
心理的ハードルの低さ: 1人でも入りやすく、清潔で、冷暖房完備。
コストパフォーマンス: 2,000円前後で2時間、完全に現実を忘れて没頭できる体験は、現代のタイパ・コスパ重視の傾向にも合致しています。
サラリーマンにとって、GWのような長期休暇は嬉しい反面、予定がないと「何もしない罪悪感」や「手持ち無沙汰」を感じやすい期間です。
日本基督教団(UCCJ)社会派の牧師を中心に、伝道活動の報酬(牧師給与や教会活動費)を基盤にしつつ、政治的・社会運動活動を並行して行っている事例が複数確認されます。「信仰の実践」と位置づけられていますが、実態としては伝道の名目で政治活動を展開していると批判されるケースが多く、境界が曖昧です。
日本基督教団の社会派牧師は、教会の牧師給与や研究所の嘱託報酬を基盤に、社会委員会・平和関連委員会での活動、外部NPOや学校への講師派遣、抗議活動参加を並行して行うケースが散見されます。
教会週報で座り込み日数を報告したり、平和集会で政治的メッセージを発信したりする例もあり、「伝道の一環」として政治活動を正当化する論理が共通しています。
佐敷教会の担任牧師として給与を受け、沖縄キリスト教学院平和総合研究所のコーディネーター(嘱託研究員)としても報酬を得ていた。
2014年から抗議船「不屈」の船長を務め、辺野古新基地建設反対の海上抗議活動を指揮。全国カンパで船を購入し、同志社国際高校の平和学習で生徒を乗船させた。
「信仰と離れた政治的な活動をしているという意識はありません。聖書を読み、聖書に聴いた者として促され、押し出されて活動している」(クリスチャントゥデイ2018年インタビュー再掲)。
伝道報酬を基盤に政治活動を展開。牧師としての立場と抗議船船長を兼務し、「イエスは辺野古の現場にいる」と公言。事故後、教会週報で座り込み日数を報告していた事実も確認され、教会活動と政治活動の境界が極めて曖昧。
牧師給与は「伝道活動」の対価ですが、社会派ではこれを基盤に政治・社会運動を展開する人が少なくありません。「信仰の実践」「社会正義の福音」という神学が、政治活動を伝道の延長として位置づけ、境界をぼかしています。
学校が平和学習を外部(牧師やNPO)に委託する場合、教師は「内容まで把握していなかった」と言いやすく、牧師側も「教会の伝道活動」と主張できます。
保守派や外部からは「伝道の名を借りた政治活動」「公的報酬を政治利用している」との指摘が強まっています。特に辺野古事故後、金井牧師のケースが象徴的に取り上げられています。日本基督教団社会派では、「信仰の実践」として政治運動を正当化する論理が強く、牧師給与や教会活動費がその基盤になっています。
法的には「違法」とまでは言えないグレーゾーンですが、政教分離原則(憲法20条)の趣旨から見て極めて問題が多く、非課税制度の悪用に近い構造と言えます。
最高裁判例(砂川政教分離訴訟など)でも、宗教団体が政治活動を主目的とする場合は宗教法人資格を失う可能性が示唆されています。
社会派牧師は「預言者的役割」(社会の不正を指摘する)という神学を根拠に、「信仰の実践=政治活動」と主張します。
宗教法人法・法人税法では、宗教上の活動から生じる収入(献金、教会活動費など)は非課税とされています。これは「宗教活動を公的に支援する」趣旨ではなく、信教の自由を保障するための最低限の配慮です。
**牧師の給与は「伝道活動」の対価として非課税扱いになりますが、社会派牧師の場合、この給与を基盤に政治活動(声明、抗議船運航、平和学習委託など)を展開している実態があります。
金井創牧師(佐敷教会)の例:牧師給与+平和研究所嘱託報酬を基盤に、抗議船船長として活動。同志社国際高校の平和学習プログラムにも深く関与し、結果として生徒を違法運航船に乗せる事態に至りました。
「伝道活動」という非課税枠を、政治活動の資金・時間・地位に転用していると見なされやすく、非課税制度の悪用に近い構造です。文化庁も近年、活動実態のない宗教法人の不正利用を問題視していますが、社会派の「政治活動の宗教活動化」までは十分に規制されていません。
牧師個人の政治活動は憲法で保障されますが、宗教法人(教会)の施設・資金・地位を活用して組織的に政治活動を行う場合、政教分離の趣旨に反する可能性があります。 宗教法人法では「宗教活動を主たる目的とする」ことが要件ですが、社会派では政治活動が「主たる目的」の一部となっているケースが散見されます。
社会派牧師が業として(牧師給与・教会の地位を基盤に)政治活動を行うことは、
これは「信仰の実践」という美名で、責任を曖昧にし、外部委託で偏向を進める構造を生み出しています。 カトリックや保守福音派ではこのような傾向は明らかに弱く、日本基督教団社会派の特徴的な問題と言えます。
🎉凄い
凄まじい作画の暴力、細密な背景、制作陣から溢れる原作愛を感じる。
ここまでのクオリティは映画でやれ、このクオリティでTVアニメは凄い。
80〜90年代サンデーのラブコメを思い出すテイストのレトロポップなラブコメアニメを現代クオリティでやっている。
片思いで空回りするゲイの少年が主人公のBLラブコメだが、このニッチな客層向けアニメをこのクオリティでやる原作愛は凄いと思う。
🎖️次も楽しみ
ずっと面白いし楽しいし為になる、子供にも安心して見せられるありがたい。
魔入りました入間くん
元々ミュージカルシーンが多いアニメだけど、今回はミュージカルがテーマなので超楽しみ。
荒川弘の面白い原作を鋼の錬金術師並みの高クオリティでアニメ化。
第一話は期待以上だった凄く楽しみ。
🎀次も見る
あかね噺
落語家の女の子が主人公で、ジャンプで頻繁に表紙やカラー取れてる作品なんだからそりゃ面白いんですよ。
コミュ障少年が人格のあるロボに乗り込み宇宙から来た巨大怪獣と戦い救世主と呼ばれるが最終決戦で…って感じの定番ストーリーから予想外の展開をして1話からクライマックスだった
霧緒ファンクラブ
変な女2人が好きな男について、グダグダ変な話をしてるギャグかと思ったら、最後に切なめ片思い百合ぶっ込んできて良い感じ。
ハードボイルドなマッチョニワトリが巨大怪物と戦い人類を救う。
安定のハイクオリティ。漠然と見てても話を掴めるの強いよなぁ。
逃がした魚は大きかったが釣り上げた魚が大きすぎた件
なろう系令嬢物、ヒロインに好感を持てたので見る。
👏次は見ないかな
1期見逃してて話を掴めなかった。
コロナ初期のニューメチャシコの田舎町エディントンで保安官をしている白人の主人公。ヒスパニック系市長のマスク政策に反発し、ノーマスクの老人を助けたのがSNSにアップされ称賛されたことで舞い上がり市長選に立候補する。一方、主人公の母親は陰謀論者で、心に傷を抱える妻はロックダウンの中影響を受け陰謀論にハマっていく。そんな中、ジョージフロイト事件を機にBLM運動が過熱。町は混沌に陥っていく。
みたいな話が前半。
とにかく分断された映画だったって印象。
主人公は白人で反マスクの家父長制に侵された個人主義の保守的な存在として描かれるが、一方で全体主義によって排除されようとしている老人(マスクをすると息ができないと主張する)や、作中でほぼすべての人に無視されるホームレスに水を与えたりする個人の守護者としても機能する。
一方でヒスパニックの市長は町を守るという名目でマスクの着用を義務付けたり半ばロックうダウンに近い状態を町に敷いてそれに対応できない人たちを排除し、一方で自身の支援者らに対しては自宅の敷地内で大掛かりなパーティーを行ったりするような二枚舌さがある。
主人公が愛する妻は先代の保安官長という町の守護者であり主人公家の家長であった父親から性的虐待を受けており、そこから自身の虐待経験からカルト教団を立ち上げた男に影響を受けていく。
市長の息子は自身の境遇からもBLM運動に影響を受けるがそこであっさりと出会った女の子と楽しむ立場に転身。
その友人の白人の少年は女の子漁りにBLMに参加するが最終的にいろいろあってSNSの英雄となり1年後には保守系の活動者として圧倒的なカリスマを得る。
その白人の少年が思いを寄せる女の子は同じく白人の身でありながらBLMに傾倒しているがその視点は「白人と言う特権階級」を下敷きとしていてどこか空虚。
その元カレで黒人保安官はなぜか黒人だからという理由だけで立ち上がれよ!と言われるが本人はそんなことより仮想通貨やテクノロジーに興味がある普通の若者。
中盤で起こる事件の捜査に現れる先住民居住区の捜査官は皮肉なことに最も法律を重視し公平な裁きが下されるべきであると考えている。
といった、それぞれがまったく別の思想、全く別の目的で動いている。まるでフラットなSNSのタイムラインのようにそれぞれが自分の主張を自分の支持者にだけ投げつけ続けるようなストーリー性のない分断がそのままエディントンという町にぶち込まれそれぞれがほとんど影響を与え合わずに並行して進行していく。
映画内でもそれぞれが各自のSNSの画面に向けて話す場面がめちゃくちゃ登場する。一番影響力のない主人公が外部に主張するシーンだけ一生画面の中央に置かれたスマホの画面の中に閉じ込められているのかわいそうでよい。
市長選で現市長と主人公が対決する構図になっても、市長はデータセンターの建築と町の発展をテーマに戦うが、主人公は市長は知事の操り人形で性的に危険な人間だというテーマで戦い、その主張は一生交わらない。市長も主人公もBLM運動にはほとんど興味がなく、主人公は陰謀論に侵された母親や妻とも向き合おうとしない。
なので一生「これ何の話してるんやろな」となる。
そして本当に中盤も中盤で主人公が家父長制と自分のプライドを守るために妻が市長にレイプされたとSNSにウソの告発を行い、性的じゃない政的に利用されたことで妻は完全に夫を見限り家を出てカルト教団に合流、SNSで市長にレイプされたのは嘘だと逆告発を行い、主人公はプライドも信用も妻も失いついにブチ切れてしまい、一度は守ったホームレスを撃ち殺し本当に排外主義に出る。暴力での市長の排除を行う。
と、同時におそらくエディントン市民としては初のコロナ罹患者となる。
そして市長の殺害をBLMの盛り上がりにつなげて、アンティファという極左過激派集団の仕業であると発表。するとガチのアンティファと思われる武装集団がエディントンに襲来、大銃撃戦に発展する。
この辺はもう話がめちゃくちゃだけど、SNS上の分断なんか関係なく得体のしれないが実在する脅威は訪れ世界を破壊尽くしていくというコロナそのもののメタファーとしての武装集団なのかなと思ったり。その戦闘の結果、主人公は頭をぶっ刺され脳に障害をが発生し全身麻痺のような症状になっちゃうのも、重症コロナの後遺症みたいだしね。
そして主人公は見事市長に当選するも意思は失われ陰謀論者の母親が実権を握り、リベラル派の視聴から保守派の市長に変わるも何も関係なく元々SNSのアルゴリズムから始まった分断、諍いの象徴のようなデータセンターは建築される。エディントンという先住民の土地を奪って作られた町で、奪われた町と残った土地のド真ん中に建てられるというのも実に皮肉。
見てて一番思ったのは日本ってSNSと"社会"のコネクトがまだまだ弱いよなということ。少なくとも俺が生息している地域やコミュニティにおいてはSNSでバズった思想みたいなものがコミュニケーションの中で表出することってほとんどないし、ほとんどの人間はこの映画のようにツラも名前も晒してSNSで自分の思想を表明したりもしない。
エディントンではそういう設置をされたからと言うのもあるけど、町という存在する箱の中に、人という存在するモノがあるためにSNSであればミュートすればすむことが、嫌でも可視化されて小競り合いを起こしてしまう。もしかしたらそもそもアメリカは既にそういう状態であるということかもしれないけど、普通の地域に住む日本人の感覚では正直あんま共感できなかったというのが本音かな。
というわけで、やりたいこと自体はめっちゃわかるんだけどじゃあこの各自がなんか好き勝手に動いた結果、なんかゴチャゴチャして悲劇が起こって最終的にはコロナ(過激派武装組織)によってドカーン!ってなっておしまい!っていうのが面白いかっていうと、別にそんなことはなかったかな。
少なくとも映画的なエンタメ精神は全然なかったので「ミッドサマー」とか「ヘレデタリー」みたいな感じの映画を期待して見に行ったらつまんなすぎて頭沸騰しちゃうと思うので、まぁなんか社会派みたいなツラして映画語りたい奴だけ見ればいい映画だと思う。
提供されたURLは、辺野古反対運動の主要団体である**「愛する辺野古」(lovehenoko.org)**が2026年4月2日に掲載した公式声明です。
• 事故により亡くなった高校生と船長に対して「心からお詫び申し上げます」と述べ、**「平和を学び、命の尊さを知るための活動の場で、あろうことか私たちがその尊い命を守りきれなかった」**と責任を認めています。
• 遺族、学校関係者、保護者に対して「筆舌に尽くしがたい悲しみを与えてしまいました」と謝罪。
• 「私たちは今回の事故の責任団体として」と自らを位置づけ、事故原因究明に全面協力し、被害者・遺族への謝罪と償いに全力を尽くすと宣言。
• 事故原因については「私たちから発表できる段階になりましたら、改めてご報告させていただきます」とし、現時点での詳細説明は避けています。
• 比較的真摯に謝罪の姿勢を示しているが、具体的な責任の所在(出航判断のミス、安全管理の懈怠、無許可運航など)には一切触れていません。
• 「平和を学ぶための活動」という枠組みを維持しており、事故を「運動全体の否定」につながらないよう、守りの姿勢が感じられます。
この声明は、事故から約2週間後に出されたものですが、以下の特徴が確認できます。
「責任団体として」と言いながら、出航判断の詳細や無許可運航の問題、学生を危険な現場に連れ出した責任については触れず、「原因究明に協力する」と先送りしています。これは「純粋な気持ちでやっていた」という免罪符構造の延長線上に見えます。
事故を「平和を学ぶための活動」の中で起きたものとして位置づけ、運動自体の正当性を崩さないようにしています。これは日本基督教団社会派やヘリ基地反対協議会の論調と一致します。
ヘリ基地反対協議会は共産党系活動家が強い影響力を持つ団体であり、この声明もその延長線上にあります。宗教(日本基督教団)と政治(共産党)の「共犯関係」が、事故後の対応でも機能している形です。
この声明は形式的な謝罪としては成立していますが、本質的な責任認識が不足しています。 特に「私たちがその尊い命を守りきれなかった」という表現は、事故の遠因である無許可運航の常態化や学生を抗議船に乗せ続けた判断にまで責任を広げていないため、限定的な謝罪にとどまっています。
息子が少年院で母は認知症、自分はビニールハウス暮らし、中流階級の(旦那は失明しボケ始めていて、奥さんは完全にボケている)家庭にエッセンシャルワーカーで入っている疲れた天海祐希みたいな顔の主人公。ボケて被害妄想を爆発させた奥さんに罵倒されながらも出所する息子と暮らす家を借りるため一生懸命生きていたがある日、ひょんなことから浴室でもみあいになり奥さんが死んでしまう。今の生活を守るために主人公は死んだ奥さんと自分の母親のすり替えを決行。悲劇の歯車が回り始める。
みたいな話。
冒頭、主人公が自分の頭を自分でバシバシ叩いているシーンから始まる。たぶん主人公はずっと自分を責めてるんだよね。子供は少年院で自分に心を開いてくれていないし、認知症の母親との関係もよくない。仕事では一生懸命世話してる奥さんに自分を殺そうとしていると因縁を付けられ、それを聞いた家族からは責められ、自傷カウンセリンググループに参加してそこの参加者に情けを見せたら依存され付きまとわれ、誠意のかけらもない男と肉体関係を持っている。
そりゃあさぁ、やんなっちゃうよな。
主人公だって根っからの悪人ってわけじゃないんだよ。今作で起こる悲劇のすべての発端は奥様の死を隠ぺいしたことなんだけどそのシーンで主人公は震える手でスマホに119を押す。で、通話ボタンを押そうとしたその時に息子から電話がかかってきて「俺、母さんと暮らしたい」と告げられる。少年院では冷たい態度だったのに。
ビニールハウス暮らしで何もかもを切り詰めて自分を殺して仕事をしてきたのは全部息子と暮らすためだったんだよね。人生最大の絶望の瞬間に人生最大の希望が降ってきた。そしてその希望がすべての崩壊を招く。人生ってうまくいかない。
ネタバレしていくとこの奥様入替を行った結果、当然目が見えないながらも旦那さんは違和感を抱きはじめる。でも旦那さんは元教授で自身を自身の知性に立脚した存在だと思っていて、それが認知症で侵されていくアカギの末期みたいになってて、自分の妻を妻と認識できなくなっているんじゃないかという疑心暗鬼を生んでしまう。そうして自分が自分で亡くなる前に死にたいとアカギと同じ結論に悩みに悩んでなった結果、旦那さんは奥さん(主人公の母親)と心中してしまう。人生ってうまくいかない。
でもこれも、すり替え前からこの悩みは発生していて旦那さんは施設に入ろうとしていたけど奥さんには拒否されてそれにも絶望していた。だから、仮にすり替えてなくても旦那さんが本当の奥さんと心中してた可能性は高いんだよね。主人公の母親が殺される寸前に真実を明かそうとし、声を聴いた旦那さんは「別人だ!妻じゃない!」と叫び、でも結局一緒に死のうと言って殺して自殺してしまう。認知症の進行だと思ったのか、別人だとしても妻と死のうとした自分にとってはもう一緒だと思ったのかはわからないけど、結果は同じだったんだなぁって虚しくなる。
グループセラピーで出会った疲れ果てた生駒里奈みたいな、たぶんちょっと発達障害の気がある女の子に共依存のような関係を持ちかけられるも当然それを支え切れるわけもなく拒否してしまい、彼女は不安定になり付き合っているDV彼氏を殺害してしまう。そのDV彼氏は実は主人公と肉体関係を持っている男だった、というのはあまりにできすぎてるので正直いらんかったかな。
そして息子は母親には告げずに出所し、悪友たちと遊ぶ場所を探しているところにたまたま主人公のビニールハウスを発見しここいいじゃん!と侵入し酒盛りを始める。そこにタンスに隠していた奥さんの死体を燃やそうと主人公が戻ってくる。住人が帰ってきた!と息子たちは隠れ、それに気づかず主人公はガソリンをまき、火をつける。
燃え盛るビニールハウスを呆然と眺める主人公、ビニールハウスが焼け落ちた音とともに映画は終わる。
息子がどうなったかは描かれないし、主人公がどういう結末を迎えるのかも描かれない。旦那さんの心中とビニールハウスへの放火は同時進行で行われるので、主人公は自分の母親が死んだことも知らないし、さらに同時進行でメンヘラ女は肉体関係を持っていた男を殺害している。
ほぼ同時進行で主人公は自分自身の決断から周囲の人間をすべてを失ってしまう。人生ってうまくいかない。
という悲劇まみれの話なんだけど、意外にカラッとしていて編集が非常によい。
ラストに主人公の顔と焼け落ちるビニールハウスの音で物語がバサっと終わる話はしたけど、旦那さんが首つって死ぬところも風呂桶を蹴っ飛ばした瞬間に画面がバサっと切り替わるし、メンヘラが彼氏を殺害するところもカッターナイフをクビに突き立てたところで画面がバサッと切り替わる。省略の妙味というか、鬱々としたストーリーなんだけど見せ方は意外と露悪的じゃないのがいい。
ただ個人的には主人公が「貧困」のメタファーじゃないけど大きなテーマに従事するためか「なぜそうなってしまったのか」ということがほぼ全く語られないがちょっと気になったかな。何となく想像することはできるけど、なんでビニールハウス暮らしなのか、何で息子は少年院に入っているのか。そういうところがほぼ伏せられているので、なんか「そういう設定」感がぬぐえなくて、リアリティはちょっと薄く感じたのはマイナス。
まぁそんな感じかな。
韓国の貧困と言う実際の重い社会的テーマを下敷きに喜劇的なまでの悲劇をしっかり描かれていたと思うのでおもーい韓国ノワール系の映画や社会派の映画が好きな人にはオススメ。
2025年の韓国リサーチ「宗教認識調査」(全国成人2万3000人対象)によると、宗教人口は以下の通りです。
• 仏教:16%
• 若年層(18〜29歳)の72%が無宗教。30代以下でも60%以上が無宗教。
• 宗教人口の高齢化が深刻:プロテスタント信者の44%、カトリック信者の50%が60歳以上。
• プロテスタントは特に福音派・ペンテコステ派が主流で、政治的・社会的に影響力が大きい。
韓国キリスト教の中心は大韓イエス教長老会(PCK)やメガチャーチ群です。反共産主義・親米・伝統家族観が強く、保守政党「国民の力」を支持する層が多いです。
極右勢力の象徴。尹錫悦前大統領支持デモを主導し、LGBTQ反対・反左派集会で大衆を動員。「影の支配者」と呼ばれるほど政治的影響力大。
保守団体「セーブコリア」を率い、尹前大統領弾劾反対デモを全国で展開。反共・反北朝鮮を強く主張。
2025〜2026年に左派政権下で「政教癒着」捜査が加速。新天地イエス教や旧統一教会(世界平和統一家庭連合)が選挙介入疑いで家宅捜索を受け、保守教会も標的化されるケースが増加。「宗教右派の台頭 vs 左派政権の締め付け」という対立構造が鮮明。
人権・弱者支援・環境問題に積極的だが、中立的・人道的。日本との歴史問題では「慰安婦」「強制徴用」などで日本政府批判の共同声明を出すが、聖書を直接政治スローガン化せず、社会教説に基づく倫理的訴えに留まる。
◦ 例:福島処理水海洋放出反対で日本カトリックと共同声明(2021年)。「いのちの尊厳」を強調するが、過度な政治利用は少ない。
◦ 評価:日本カトリック同様、政治的中立意識が高く、信仰の政治化を避ける傾向。
日本基督教団と1984年に宣教協約を締結。歴史認識(植民地支配の反省)や人権問題で日本基督教団社会派と密接に連携。共同声明で日本の歴史責任を強調するケースが多い。
韓国のキリスト教系メディアはプロテスタント保守派が主流で、政治色が強いです。
メガチャーチ系YouTubeや「全光焄TV」など。反左派・反LGBT・反北朝鮮を強く主張し、尹前大統領支持層を動員。政治集会報道が活発。
韓国基督教会協議会(NCCK)関連報道は平和・和解を強調するが、保守派からは「左派寄り」と批判される。
プロテスタント保守派は反共・伝統価値擁護を強く打ち出し、左派政権の宗教規制(新天地捜査など)を「信教の自由侵害」と反発。カトリック系は穏やかで、人権・環境中心の報道が多い。
日本基督教団社会派と韓国のキリスト教団体(特に在日大韓基督教会=KCCJ)は、1984年の宣教協約以来、歴史認識・人権問題で密接に連携しています。
1967年の日本基督教団「戦争責任告白」をきっかけに、KCCJと共同で「植民地支配の反省」「在日コリアン人権」をテーマにした声明を繰り返し出しています。 辺野古問題では、KCCJが反基地運動を支援し、日本基督教団社会派(金井創牧師ら)が抗議船「不屈」の運用に深く関与する形で協力関係が強化されました。
◦ 韓国の保守右派福音派(反共・親米・伝統家族価値重視)は、日本基督教団社会派(左派・反基地・構造的罪批判型)とイデオロギー的に正反対のはずです。
◦ それでも歴史問題(慰安婦・強制徴用・植民地支配)という一点でトーンが重なり、共同声明や平和運動で連携します。
◦ これは「日本政府批判」という共通の敵意識による戦略的協力で、信仰の本質とは無関係に機能しています。
◦ 辺野古事故でも、KCCJ関連ネットワークが日本基督教団社会派の平和学習を間接的に支える構造が見られます。
韓国では正統キリスト教(プロテスタント・カトリック)と異端・新興宗教の政治関与が大きく異なります。
◦ 韓国起源の新宗教。政治介入疑惑が強く、2025-2026年に李在明政権下で特別捜査を受けています。
◦ 日本では自民党との癒着問題で注目されましたが、韓国国内でも尹錫悦前政権時代に政界との関係が問題視されました。
◦ 特徴:組織的党員加入や献金を通じて政治に影響力を行使。保守右派との結びつきが強いが、正統キリスト教からは「異端」と強く批判されています。
◦ 近年急成長した異端団体。2026年1月に検察・警察の合同捜査本部が家宅捜索。
◦ 尹錫悦前大統領支援のため信者を党員に大量加入させた疑惑などで捜査中。
◦ 李在明大統領は「社会の害悪」「政教癒着の反乱行為」と強く非難し、解散命令を検討しています。
• 正統プロテスタント・カトリック:政治関与はあるが、比較的「信仰の実践」として位置づけ。歴史問題では日本基督教団と連携するが、選挙介入レベルの組織的活動は少ない。
• 統一教会・新天地:組織的・金銭的な政界癒着が特徴。信者を政治的に動員し、党員加入や献金で影響力を行使する点が正統キリスト教とは大きく異なります。
韓国のキリスト教分布はプロテスタント20%・カトリック11%・無宗教51%と、無宗教者が過半数を占めつつ、福音派の政治的影響力が非常に強いのが特徴です。 日本基督教団との「奇妙な共犯関係」は、歴史問題という一点で左派(日本)と保守右派(韓国)が戦略的に結びつく珍しい構造です。一方、統一教会や新天地のような異端団体は、正統キリスト教とは別に政界への直接的・組織的介入で問題視されています。この「共犯関係」と異端団体の政治関与は、韓国の宗教と政治の複雑さを象徴しています。
ダメ親父とエリート娘とビッチと正義マンとセンセイの織り成すハートウォーミングストーリー。73点。
移民開放左翼過激派のテロ組織に所属する主人公のレオ様と恋人の黒人女は移民収容所を襲撃したり移民局のショー・ペン大佐といろいろあったり、その辺の建物を爆破したりと大暴れ。子供ができてすっかりまったりしてしまったレオ様に黒人女は不満爆発、銀行強盗に失敗して逮捕され証人保護プログラム下でペンの手先として組織のメンバーを売りまくりそのうち逃走。組織が壊滅状態になったレオ様は赤ん坊と一緒に身を隠す。そして13年後、すっかり成長した赤ん坊a.k.a娘の存在を知ったペンはその子供が自分と黒人女の子供であることを疑い始め、彼女を消すために行動を起こす。レオ様は娘を守ることができるのか。
みたいな話ではなかった気はする。
いや、シンプルに面白い映画だったんだけど思い返したらレオ様なーんもしてなくて草なんだ。
最初の移民局襲撃でも外から迫撃砲(花火)を撃っただけだし、その後も基本的に大暴れするのは黒人女メインでレオ様はサポートメイン。子供ができてからも家で子供の世話ばっかりしてて活動の熱意がなくなってる!つって責められるし、娘が大きくなってからは彼女を鍛えてるのはデルトロニキだし。
どうでもいいけど13年後ってなって画面が切り替わったら成長した娘がカラテをやってるシーンになるんだけど、師匠の顔が下から舐めるようなカメラワークで上がっていって13年前のレオ様っぽい髭が映って、でもさらに小汚くなっててレオ様歳とったなぁと思って見てたら堀の深い顔、タレ目、あれ?デルトロみたいな顔になったなと思ったらデルトロだったというアハ体験があった。
その後、ペンの部隊に追いかけられて革命戦士デルトロに助けてもらう時も銃を預かって若手連中と一緒に屋上を逃げるんだけど途中で落下して逮捕される。またデルトロに助けてもらって脱出してペンに捕まった娘を追いかけるんだけど、娘はすでに別の奴に預けられてその後に自力で脱出、ペンは彼を消そうと追いかけてきた殺し屋にやられ、その殺し屋は待ち受けていた娘に殺される。
レオ様なんもやってへん。ずーっと追いかけられて追いかけてドタバタしてるだけ。それでも面白いんだからすごいよ。
じゃあレオ様が本当に何もやってなかったのかって言うとそういうわけでも無くて、黒人女は子供置いて逃げて、ペンは娘を自分の負い目だと思っている中、レオ様だけが彼女を一身に愛してたのね。彼女にはパラノイアと言われながらもテロ組織の知識を教え込み仲間判別機を持たせている。
そのことで彼女は最初のピンチを脱出できるし、その後も自身の身を守り戦う手段を身に着ける。そうして最後にすべてが終わった時にすべてを知った娘は父親でもなかったレオ様に銃を向けて「お前は誰だ」と問い、組織の合言葉を投げかける。その回答が「そんなことに何の意味もない」ってのもイイし、その後に「パパだよ。お前のパパだ」と告げるレオ様に駆け寄るシーンは涙なしには見られなかったね。レオ様は娘がペンの娘だってことは知らない。娘にとってはパパだと思ってたのは本当はパパじゃなかったけど、じゃあパパと呼ぶべき本当の人間は誰なのかっていうね。エモい。
そして娘は立派な革命戦士に成長し、レオ様はちょっとだけ成長して彼女を応援するのだった。最終的に逃げた革命戦士から生まれた娘はダメパパに育てられ逃げない革命戦士に成長したのだった。
そして何とか生き延びた白人至上主義でトキシックマスキュリティの化身だったペンは自分が入ろうと思っていた白人至上主義クラブの最終面接で「黒人女と関係を持ったことはないが、逆レイプされたことはあったかも。俺の優秀な遺伝子が欲しかったのかも」と「男らしさとは・・・」というしょうもない言い訳をつのった結果、"ガス室"送りにされるという白人至上主義クラブジョークで処刑される。
ペンも自分の娘だと分かったとたん服装とか友人付き合いにめっちゃ説教したりやかましくて好き。冒頭から移民を憎んでるんだけど彼をしてやった黒人女に執着して付け狙い遠くから双眼鏡でケツずっと見てたり、そのケツ揉んだレオ様に嫉妬したりと人間らしい矛盾した存在でもあるんだよな。
移民開放とか白人至上主義クラブみたいな社会派みたいな顔してるけどやってることは親子の絆って血のつながりのことなの?という古来から連綿と続く普遍的なテーマを扱っているのがよい。デルトロニキはある意味で言えばもっとも理想的な「血のつながりではないファミリーの長」というショーケースとして登場するし。
あと音楽も超よかったな。無音をうまく使う映画もあるけど今作ではずっとポップな音楽が流れていて耳が飽きない。この作品のテンポ感や展開の割に妙な明るさが常にあるのは今作の劇伴を担当した人の手腕がめっちゃあると思う。なんか賞とれ。
そんな感じかな。161分があっという間だった!はさすがに過言だけどめっちゃ長いって感じるようなこともなく革命家とバビロン、差別主義者とカラード、父親と父親、父親と娘という「誰が悪いかわからない」みたいなことはない割とスッキリした構成で見ていて頭が疲れるってこともない。人間ドラマとアクションがうまく溶け合ったいい映画だったと思うのでオススメ。
以下は、日米韓を中心に、「聖句をみだりに政治主張に結びつける行為」を批判し、信仰の政治化を警戒するキリスト教者・神学者・団体を整理しました。
公式スタンス:「ナショナリズムの拒絶」と「政教分離の堅持」を明確に掲げ、社会派の政治的聖書利用を批判。 特に「聖書を特定の政治イデオロギーのマニフェストにしない」ことを強調。
山口陽一牧師(東京キリスト教団):社会派の「構造的罪論」と聖書の政治利用を繰り返し批判。
中澤啓介牧師(東京):解放神学的な政治神学を「聖書の文脈を無視した乱用」と指摘。
小野寺望(神学者):聖書を「政治的武器」にすることへの警鐘を強く発信。
日本バプテスト連盟の一部保守派も、社会派の政治関与に距離を置く立場を取っています。
アメリカでは「ダークサイド」(特にChristian Nationalismや極端な政治福音派)に対する批判が非常に活発です。
・David French(元National Review寄稿者、福音派弁護士): Christian Nationalismを「偶像崇拝」として強く批判。聖書をアメリカ政治の道具にする行為を「福音の裏切り」と呼ぶ。
・Russell Moore(元南部バプテスト連盟倫理・宗教自由委員長): トランプ支持の福音派を「文化戦争に福音を売り渡した」と痛烈に批判。現在は「Christianity Today」誌で福音派の政治化を警告し続けている。
・Beth Moore(著名女性聖書教師): 政治と福音の混同を批判し、特に女性の視点から「聖書を政治の道具にするな」と発信。
・ Timothy Keller(故人、元 Redeemer Presbyterian Church牧師): 生前、左派・右派双方の政治的福音派を批判。「福音はどの政治イデオロギーとも同一化されない」と繰り返し主張。
・ The Gospel Coalition (TGC):有力な福音派神学ネットワーク。政治的極端化を戒める記事を多数掲載。
・ Christianity Today誌:伝統的に福音派の「良心」として、政治化への警鐘を鳴らし続けている。
韓国では政治的福音派に対する批判も存在しますが、声が比較的小さい傾向があります。
・金東春(キム・ドンチュン)牧師および一部中道福音派: 全光焄牧師ら極右派の政治デモと聖書利用を「福音の政治的悪用」と批判。
・韓国福音主義神学会の一部神学者: 聖書を反左派・反LGBTの政治スローガンにする行為を「文脈を無視した乱用」と指摘。
・プログレッシブ福音派(少数派): 保守福音派の政治的過激さを「偶像崇拝」と批判するグループも存在。
特にアメリカではRussell MooreやDavid Frenchのように、福音派内部から強く声を上げる人々が目立ちます。日本では比較的静かですが、JEAや保守福音派が一定の歯止め役となっています。