はてなキーワード: ダメダメとは
最近、「増田で音声サークル主とバトルしてから4ヶ月が経った話」という増田を書いた。
その増田では、この人がいかに成果と発言が乖離し、発言に食いついた人に自分が作った赤字を肩代わりさせているかを書いたわけだが…今回はこの人の発言のヤバさについて紹介したい。
この人は、自分がシナリオライターとして頑張った一年を振り返って
という文章で振り返ってる。
「メスだなぁ〜」
と正直思った。
男にとっては、涙は勲章じゃない。恥ずかしいことだ。
だが、女は泣けば許されるし、自分で泣いたことを暴露すると「がんばったね」という空気になる。
いま書き込みが残っているかどうかは知らないが、サブアカウントに使っていたアカウントでは、様々なフェミ発言をしている。
私に言わせれば、「フェミニスト」を名乗る割には、女性だから許されているものの上でふんぞり返っているようにしか見えない。
男は涙を流すほど悔しいこと・努力したことがあろうとも、表で「泣くほど厳しい環境でがんばりました」なんて言わない。
泣いた時点で、負け判定されるから。
泣きたくなるような努力は私にも、他の男性たちにもあるだろうが…男はそんな事は言わない。
だから、女であることをいいことに「がんばった」などという結果以外を評価して欲しい子どもみたいな心情を、「死ぬほど泣いた」と表現したようにしか見えない。
…いや、その文章を覚えていたからこそ、その先についても語るべきか。
と本人が書くほどに頑張った割に、結果がついてきてない。
そもそもの話、「死ぬほど書いて」も、「泣かせる」ぐらいの返答になるものしか書けない時点で、その人はその仕事に向いてない。
ハラスメントを肯定したいわけじゃないが、「仕事で泣く」ほど失敗する人は、その仕事に適性がないよ…。
仕事とは、誰かができることだから職業として成立してるはず。あなたにとって泣くほど辛いことも、頼むべき人にとっては日課に過ぎない。…その適正差・実力差が問題なんじゃないの?
それを、誰が頼んだわけでもなく、自分で続けて
と努力だけを誇る独りよがりにしか見えない(少なくとも客観的な評価や結果がそのつぶやきの中に組み込まれていない)ことしか言えない時点で、ダメダメだったんじゃないですか?
男なら書くこともはばかれるほど恥ずかしいことを、女の人は書ける。
この時点で、フェミニズムなんて存在しないほど日本は女尊男卑だよ。
それをあなた自身の言動で証明しておきながら、何がフェミニストなのか…。
えこひいきという下駄を吐いて、自由・平等・博愛の精神を説かれても、そんなもの寝言だよ!
フェミニズムに謝れ!
フェミニズムはフランス革命の時に、「女性だって革命に参加したのに、選挙権が男性だけなんて平等でも博愛でもねえぇよ」と憤慨した女性たちが作った思想だよ。
日本の女尊男卑の社会の上でふんぞり返っている人が、安易に使うこと自体がフェミニズムへの侮辱だよ。断頭台に送られるべき冒涜だよ…。
文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え
https://anond.hatelabo.jp/20220114133403
の筆者です。三年後の現状を追記。
当時叱ってくれた人、励ましてくれた人には心から感謝しています。
当時たくさんの方からいただいたアドバイスを元に、学部四年生ながらにできることはたくさんやってみました。手遅れ感はすごかったけど、もうこのまま色々なことから逃げてはいけないと思ったので勢いだけはあった。
・教職を取る
・ボランティアに参加する
・長期インターンで働く
・バイトをする
・心理学の本を読む
教職はめちゃくちゃ大変だった。大学四年生にもなって(しかもあそぶんがくぶ)、教職=専門科目+教職科目で時間割はいっぱい。毎日朝9時から夜8時まで授業が詰まっていて、土日も現職教員が教えてくれる授業に出ていった。
ヒーヒー言いながら頑張ったが、教職はとてもいい人間関係のリハビリにもなった。教職科目には大体グループ活動があるから、強制的に人と話さなければならない。四年生という引け目がないわけではなかったが、もうそんなことは言ってられないので自分なりに必死で喋りました。幼稚園児ですかねマジで。
バイトは販売。これがまあ、コミュ障の俺にとっては試練だった。仕事も覚えられないし、勉強しかできない自分の無能さを思い知った。
心理学の本を読むのも、コメントでアドバイスしてもらったことだ。アドラーや加藤諦三を読んだ。今となっては極端な自責に繋がりかねない書籍のような気もするが、でも他責クソ野郎の俺には根本的な考え方を改めるのにとても役だった。
とにかく反省を活かそうと、いただいたアドバイスを元にたくさん行動してみた四年生だった。
あれだけけなしていた文学分野でアカデミアに進むというのは、当時呪詛を吐きまくっていた俺を知る人からすれば晴天の霹靂というか、お前全然教訓活かせてねえじゃんアホかという感じだろうか。
でも行動してみて、色々考え方も変わった上での決断だ。理由はいくつかある。思いつく三つを挙げておく。
第一に、企業勤めをするのが俺にとって、社会にとって良いとは限らない気がしたこと。
研究とお勉強は違うが、それでも俺は昔から学ぶことばかりしてきた身だ。しかも、我儘を言って実学ではない分野で学ばせてもらった。
ならば、急カーブで別分野に就職するよりも、過去を活かして学びの分野にとどまり続けることの方が、俺にとっても社会にとってもいい結果になりうるんじゃないかと思った。
これだけ親から投資を受けて学ばせてもらったのだ。ならばそのまま学問を追求し続けることもあながち無駄ではないだろうう。
文学研究が分かりやすく社会に実利をもたらす行為だとは思わない。でも、俺が過去に培ってきたことを活かすという点においては、アカデミアも立派な将来の選択肢になるはずだ。それがお先真っ暗であろうと。
またバイトとインターンをして思ったが、俺は実務ができない典型的な(?)勉強バカだと思う。必死でメモをとってそれをマニュアル化し、いちいち参照しないと仕事ができない。自作マニュアルを参照してもノロいし、小回りが利かないから役に立たない。試験はあれだけホイホイできるのに、真面目に働こうとしてもなぜダメダメなまま成長しないのか。応用が効かないわ怒られるわヘマするわ、周りの社員にも「こいつ○○大なのにこれかよ」って思われてた気がする。
こんな俺なので、社会に出て企業勤めしたところであまり役に立てないように思う。
第二に、クソ大変だったが何とか教員免許を取得したので、博士課程に進んで落伍してもまだ道はあるだろうということ(現代日本は教員不足だから)。
学んだことを活かせる仕事に就ける保険があるのは、かなり心強い。
第三に、やっぱり文学が好きだった。
文学ができることの一つに、「目に見えないものを表現できる」というのがあると思う。
俺という人間は、履歴書に書けば「文学部修士二年生」というただの一身分しか持ち合わせていない。
だけど、その称号の裏には「文学部生という経歴によって就活が台無しになったと思ったが、己の他責思考や逃避癖や高すぎるプライドが原因で先延ばしにしていた挫折を一気に食らっただけだった」という物語があるわけで、この物語の前にも途中にも後にも色んな感情が存在している。焦り、恐怖、驕り、不安、自己陶酔、万能感、劣等感、諦め。
こういった説明し尽くせない心持ちを表現するのが芸術で、その一分野が文学ではないか。
不要だと切り捨てられかねない人間の心情や葛藤や倒錯が好きだ。それを内包する表現形式を、文学をもう少し研究してみたいと卒論を書きながらそう思った。
そして二年たっても「もうちょっと研究したい」が終わらず、このまま博士課程に進むことに決めた。
修士一年のときに父が先立ち、一人親になった。親類も一人亡くなって経済的にかなり困窮している。
博士課程からの奨学金にはなんとか内定したが、それでも母を安心させてあげられなくて申し訳ないと思う。奨学金なんて、人間一人がギリギリ生活する分しか出ないから。
でももう、この先文学やった結果路上で野垂れ死んでも構わない気がしている。俺は元々がクソ性根人間だし、社会の役に立とうとすること自体が思い違いかもしれん。実利や効率とはまるで関係のない文学と数年を共にしただけで御の字だ。どうせこのまま運良くアカデミアに留まれたところで40になっても低収入だろうが、それでももう構わん。
最初は「文学部に行っても報われない」と書いたが、本当は誰に報われなくてもいいということにやっと気づいた。
これが最後の報告になると思います。この先アカデミアに残れずにお先真っ暗になっても、研究職を諦めて教職についても、どうせ俺は社会的無能ですすいませんと開き直りながら生きていきたい。
誰かこれを読む人がいるんだろうか。もしいるならば、当時叱責や励ましの言葉をくれた人に、心からありがとうと伝えたい。変な方向に開き直った感じがしないでもないが、あなたたちのおかげで色んな経験を積めたし、少し変われたと思う。
何より、人と関わることを億劫だと思わなくなったし、怖くて不安でも行動してみる習慣がついた。貴重な教えをくれて感謝しています。
俺は変わらず役立たずとして生きていきます。どうかお元気で。
定年後にどれくらい生きるだろうかということを見るのに平均寿命は絶対に使ってはならないし、平均余命ですら若年層ほどより発展した医療を受けられる期間が増す効果を含まない分だけ過小な推計になっているものだ。年金の話に平均寿命を持ち出す時点でダメ解説。
そして年金財政の説明もダメダメ。GPIFは金融市場ではクジラと呼ばれるくらい巨体なものであるが、それでも年金制度という海の中では小粒である。積立金からの収益やその取り崩しは年金全体として大した意味を持たず、その大部分は積み立てとは関係のない賦課方式によって賄われている。だから厚生年金は財政が健全とか国民年金は厳しいとかは大した話ではそもそもないのである。厚労省も、厚生年金や国民年金の積立金は現在の各制度加入者が積み立てたものではないという認識をしている。だからよく厚生年金から別に持っていかれたりするわけだ。大した意味がないからこそ勝手に付け替えなんかやってる。
そして基本的に賦課方式である以上、「現役世代の負担∝年金受給者の数÷現役世代の数×現役の何割の年金がもらえるか」が全て。全部ここを中心に説明しないとならない。この負担がどこまで行くか、とか、人口が動かせない中で負担に上限を設定したらどうなるか、とか、人口は動かせないけど定年を弄って受給者や現役世代の数を変えたらどうなるか、とかね。なのに無駄な話が多過ぎる。
当方、齢37である。来月末に引っ越しをする。大学卒業から約15年、暮らしてきた実家近くのアパートを離れるのである。
社会人としての稼ぎが少なすぎて、実家の手を借りなければ生きられない。よくメシを食べに行っていた。情けない社会人だった。それは結婚しても変わらなかった……幸い、子どもはいない。
妻は、いいやつだ。こんな貧乏暮らしの人間と結婚してくれた。見栄っ張りなのが玉にキズである。親戚や近所同士の集まりでも、コモンカード(MTGで言うと「モグの狂信者」 わかったぞ! わかったぞ! わか……)に等しい私を、高年収の正規サラリマンとして紹介することがあった。
よくできた妻だと思う。私にはもったいないくらいの。悪態をつくことはあるけど、裏切ったりしない。近所の実家にお米や野菜をたかりに行く時も、一緒に付いてきてくれた。
もし、この世界がエロ漫画の世界で、あらくれ氏が描くみたいなオッサンに妻が寝取られてしまったとしても、私は許すと思う。私に尽くしてくれる良妻である。
大学時代、ぜんぜんダメな子だった。偏差値50台の二流以下の大学で、学生時代はアルバイトばかりやっており、部活もサークルもせずにダラダラ過ごしていた。就職活動はひどいものだった。
「Fの就職チャンネル」で就活生の動画(ex.大学4年の6月から就活始めたりする)をたまにやってると思うが、まさにあんな感じの、圧倒的ダメダメ就活生だった。
さて今回、引っ越しをするのは、晴れて正社員としての採用が決まったからである。関西の南の方に住んでるのだが、隣県での採用が決まった。大まかな括りだと機械操作オペレータである。年収+はなんと約200万円。
今まで、この田舎にある小さい製造会社で毎日毎日、機械や仕様書・図面と格闘してきた。25才の時、契約社員として雇ってもらった。それまでは近所にある町中華の店でアルバイトしていた。
正直キツかった。専門知識は一切ない私立文系人間である。マジで辛かったよ。しかも、小さい会社なのに出張まであるんだからな……だがしかし、ついに培ってきたワザが評価されたのだ!!
今年の4月になってから(妻の強い勧めで)転職サイトに登録してみたところ、私のワザというのは、意外と需要のあるスキルだったようである。(ビズリーーーーーーーーーーチッ!!)
大したことは思いつかなかったが、とりあえずやってみたことを列挙する。
・少し高級な中華料理屋で暴飲暴食
・昔の思い出グッズを漁る(MTGカード、進研ゼミ中学版、ガラケーの写真など)
・地元神社の奉納祭り役員への立候補。当日記を書き始めた頃に無事終了
あとは、里山登りかな。幼い頃、祖母に連れられてよく里山散歩をしていた。小高い山の頂上から見下ろす町並みは壮観だった。
なにぶん田舎なので、里山がたくさんある。グーグルマップで見てみると、東京の方でも端っこの方は青々とした山が広がっている。あんな標高数百メートル以内の山を、ひたすらに登っていく。
自宅の裏から繋がる山道の入口から始まって、よいしょよいしょっと里山を登っていく。私が子どもの頃は、近所の人はみんな林業してたから、開けた地形がけっこうあった。里山というよりは丘陵に樹木が生えてる感じだった。
亡き祖父の話によると、戦時中はどの里山もはげ山状態だったらしい。戦争で石油燃料が不足したため、国民単位でみんな柴刈りをやりまくったのだ。グーグルマップで言うと、あの青々とした山がほぼ肌色だったということだ。
今は林業をする人はおらず、里山は荒れ放題である。てっぺんまで行っても町の景色など見えやしない。雑木の群れが頂上を覆い隠している。
樹木が生い茂ってないところだと、町の景色が見えたりする。山の標高は低いけど、限界効用が低いとでも言えばいいのか、珍しい景色なので壮観である。汗ダラダラで意識が朦朧としてるのもある。脳がマヒしている。
https://tadaup.jp/15183559802496/
高校時代の卒業アルバムも読んだっけ。柔道部に籍を置いていた。
高校卒業式の直後、部活メンバーみんなで柔道場でお祝いをするのだが――その時の写真が出てきた。
なんと、みんなからの寄せ書きも残っていた!! 超恥ずかしいけど公開してみよう。別にいいだろ。増田にこういう投稿するの、人生最初で最後なんだからさ。
(部員一同)
増田さんは、□△高校の相川さんがロリロリで好みなんですよね!!
相川さんを是非モノにしてください
増田先輩の行動で一番驚いたのは、■▲高校の藤田さんの写真をこっそり撮って、救急箱に貼っていたことです
閉会式の時、柔道着の藤田さんが目を閉じて、優勝旗に顔を傾けているやつです
とにかく3年間お疲れ様でした。先輩にはクソお世話になりました!!
増田先輩の柔道、粘り腰で凄かったです。どんな時でもあきらめずに、ベストを尽くしてました
冬の大会で4人抜かれてから5人抜きした時はマジでびっくりしました!
増田先輩の変態エクストリームハートには緊張させられっぱなしでした。
早く警察に捕まってください!!笑
増田先輩へ
増田先輩
お疲れ様でした!!
けど、引退した後もたくさん乱取り付き合ってくれて、たくさん寝技も教えてくれて、感謝してます
いままでありがとうございました♡
増田君が入部してきた頃にはどうなることかと心配をしました。ご卒業おめでとうございます。キャプテンとしての重責、大変ご苦労様でした。柔の道は、将来どこかで役に立つ時がきます。力必達(※つとむればかならずたっす)。何事も最後まで諦めず努めてください
・先輩ご卒業おめでとうございます これからも頑張ってください
・3年間お疲れさまでした 面白い先輩でした笑
・これからも今までみたいに頑張ってください
これはひどいwwwwwwを地で行く内容である。こんなん、人に見せられるもんじゃねーだろ。
でも、いいよ。増田民へのサービスだ。いつもお世話になってるからな。
そんなこんなで先月に就職が決まってから、結局最後までできなかったことがある。大学時代の思い出の開封である。
それ以外の思い出BOXはすぐに開封できた。実家にある元自分の部屋にある段ボール箱のテープを、ビリッとやればそれでよかった。でも、大学生時代は後味が悪すぎる。就職すらできずに、逃げるようにして卒業したんだから。正直、嫌な思い出である。トラウマと言っていい。
いや、大学の卒業式は出席したのだ。謝恩会にも。問題は、マクドナルドでの思い出である。
マクドでアルバイトしてたんだけどさ、卒店式っていうのがある。文字どおり店舗からの卒業式である。毎年3月にある。
卒店式だけど、マクドナルドって経営や店舗運営が外資ルールだから、エリア内の店ごとに売上を競わせるんだよな。
それで、いい結果を出してる店舗だとそれなりの貸館施設で、いまいちな結果の店舗だと近所の公民館を無料で借りて、ジュースやお菓子をテーブルに並べて卒店式をやる。
大学時代にアルバイトをしてたマクドの店は、成績がいいところだった。京都にある四条河原町店という名門店舗である。店舗番号は100番以内、つまりマクドナルド黎明期に作られたお店のひとつだ(今でもあるのかな)。
当時の私は就職活動に失敗して、無職neatでの卒業が決まって落ち込んでいた。
そんな時、自分のひとつ年下の後輩のスウィングマネージャー(※できるアルバイトが社員の仕事をする。時給+50円)から話があった。「増田さん今までお世話になりました。卒店式、ホテルグランヴィア京都でやりますからね。店長が、すげー男を見せてくれた(※足りない分は自腹切ったらしい)んすよ!! 自分、増田先輩のために送辞読みます」とか言ってた。
でも、私は嬉しくなかった。就職活動に失敗してニート確定の自分が、そんな場で送辞を読まれたって嬉しくもなんともない。畜生というやつだ。
結局、卒店式には出ないって後輩君に伝えた。すごくガッカリしていたよ。だって、彼が初心者の頃、私がずっと付いて教えていた。彼が嫌なことあって、アルバイト中に不貞腐れてる時でも、構わずにとにかく、いろいろ教えていったよ。
この子は才能があるから、すぐにうまくなるだろうと思ったけど、やっぱりすぐに上手になった。
ただスキルがあるだけじゃなくて、なんというか、仕事の本質がわかってるというか。能でいうところの上手(うわて)みたいな感じである。世阿弥がさ、『風姿花伝』で伝えてるような、社会人技能について嵩があって丈もあって(※今でいうとT型人材)、本質的なことがわかってる子だった。
一度だけ、後輩君から催促を受けた。二度だったかもしれない。あの時のことは覚えてる。
あれは事務所だった。「卒店式出ましょうよ」というシンプルなものだった。しかし私の答えは……。
「そんな気分じゃない。早く就職しないと。すぐにできないかもしれんが」と言ったら、「増田さん。AJCCで2回も勝ったじゃないですか!! 余裕っすよ」と言ってた。
※AJCC…マクドナルドの技能大会。「2回勝った」とは、地区大会と府大会で部門別優勝したの意。関西大会では、府大会と違うメンツでオペレーションになったので、コミュ障だった私はボロボロの成績だった
その後の後輩君とのやり取りは覚えてない。最後の方だと「あのな、後輩君。どんだけ綺麗に、上手く、速く、素早く、ハンバーガー作れたってな。社会じゃ何の役にも立たねーんだよ!」と悪態をついた。
それで、後輩君は黙ってしまって、それ以来やつとは会話していない。最後の勤務日も、淡々と仕事を終わらせて――いや違う、確か女性の学生客がトイレでゲロ吐いたんだっけ――それの片付けを夜に終えて、私にとってのマクドナルドは終焉を迎えた。
帰りに、同じくマクドナルド河原町三条店(※こちらは関西最古の店舗らしい。今でもあるのかな)に寄って、チョコパイかベーコンポテトパイを買って帰った。マックポークだったかもしれない。マックチキン……( ;∀;)
しんみりしてしまった。
学生時代の思い出を開封するのは心理的にキツイ。けど、時間は限られている。いったん妻とこのアパートを出たら、帰ってくるのは十数年後になるかもしれない。妻はうちの実家嫌いなので……。
そんなのはちょっと、想像したくなかった。というわけで、アパートの自室の押し入れを開けて、学生時代の禁断に近い思い出の段ボール箱を開封した。
そしたら、いろんなものが出てきた。当時のガラケーとか、大学時代の成績表とか、学位記とか、マクドナルド辞めてから郵送で届いた卒店式の寄せ書きとか、昔の授業ノートとかだな。産業社会学部のゼミのみんなで撮った記念写真もあった。京都駅の近くで行われた社会科学の研究展示会で賞を取った時のやつだった。当時の日記も出てきた。
その日記、最後の方だけパッと読んでたんだが、どうやら学生時代の私は卒業時に108万円の貯金があったらしい。なんでそんなにあったかというと、大学1回生の時からマクドナルドで週5で働き続けていたからである。いわゆる超修行をしていた。ここまで働いてると、身体が脳をハックするようになる。
……厨房の注文画面が「ピッ」と鳴ったら、考えるよりも前に身体がハンバーガーを作り始める。考えるんじゃなくて、調理行程を『感覚』が捉えるようになる。トングとか、ソースガンとか手に取るんだけど、なんかさ、感覚がさ、一体感がすごい。トングが身体の延長というか、もはやマクドナルドというお店自体が、自分と一つになってるような、そういう感じ。
例えば、トングを握ってパティ(肉)を掴んでる時って、体のどこがそれを認識してるのだろうか。
指先だと思うかもしれない。けど、その指を支えているのは筋肉組織と関節であり、それらをさらに骨組織が支えている。物質に触れている指先というのは、入口である。
骨組織と言ったけど、トングでパティを掴んだ時の刺激って、関節の中を電気信号が走って、最後は脳に伝わる。ということは、刺激というのは、結局は指先じゃなくて『脳』が認識している。
でも、その刺激って指先が認識してると人は解釈することができるし、実際にしている。脳が認識してると捉えることもできるし、体の先っちょが認識してると捉えることもできる。
こういう解釈が成り立つということは、指先が触れてるトングそのものが、パティの感触を認識してるってことにもならないだろうか。
剣道の達人だと、竹刀が体の一部みたいになっていたりする。サッカー選手だったらボールである。そうだ、ここでの私にとっての肉体の最延長は、指先じゃなくて、トングなのだ!!
もう少し延長すると、店舗で働いている自分というのは、床に立っている。呼吸をしている。ほかの従業員やお客さんの存在を感じ取っている。ということは、其処に存在している以上は、その床を、空気を、ほかの店舗スタッフを、お客さんを、なによりマクドナルド四条河原町店という、その存在が――私という人間の延長として考えることはできないだろうか。
実際、国際赤十字とか、国連とか、国際NPOとかで働いている人、それ以外にも人類福祉のための活動してる人って、地球とか、人類社会そのものを自分の延長として捉えてるんじゃないか? そう感じざるを得ないようなニュースがたまに飛び込んできたりする。
それはさておき。108万円の貯金、結局どうしたんだっけ。
あー、そうだ。グータラだった自分は、フリーター生活とともに2年もしないうちに霧消したんだった。でも、あのお金があってよかった。あれがなければ、秋から始まる奨学金の返済に対応できなかった。
あの頃(23~25才)の私は、アルバイトではダメだと、奨学金の返済に耐えられるだけの仕事を探して、探して、探しまくって、ようやくたどり着いたのが今勤めている金型の製造工場だった。
始めは出荷場での勤務だったけど、オペレータの給料が高いというので転属を申し出たのだ。これらは当時の日記を読み返して初めてわかった。案外、人は記憶を改ざんするものである笑
ちなみに、まだ奨学金を返済できていない。普通の社会人だったら、繰り上げで30前半くらいには全額返済できていると思われる。今はその程度の稼ぐ力すらないけど、これから妻と一緒に創り上げていきたい。
そして!
そしてやっぱり気になる
NIKKEの課金パック何があるのかな?って見るだけ見てみようと思って、
私は絶対に絶対に『ステラーブレイド』とのコラボでイヴがくるまで絶対に課金しない!って決めたでお馴染みってことは周知の事実中の事実だしさ。
でも本当に本当に見るだけよ見るだけ!
課金はもちろんしないけど、
私!
パンドラの箱を開けちゃったみたいな気分!
ぱかーん!
そしていろいろ見てみると、
その中で得になんか誘惑を誘うような煌びやかな課金アイテムがあんの!
30DAY補給品パック800円とキャンペーンクリア3200円。
これめちゃお得じゃない?
つーか今買っておかないと損するんじゃね?って思わせて錯覚に陥らせる作戦!
実際もうこの2つは絶対にお得!って
数学なんて一所懸命勉強しても世の中の何に役に立つか分かんないわよねー意味ないわーなんて言うけれど、
初めて私の中で世の中で数学やっても意味ないじゃんを地で払拭する事態なのよ。
このお得な2つの課金アイテムに限っては1円で3ジュエル相当の値になってるのでお得じゃない?
私割り算間違ってないわよね?
こう見えて割り勘の女王なのよ!
30DAY補給品800円パックは30日間100ジュエル毎日もらえるってやつ。
キャンペーンクリア3200円はチャプターをクリアするごとに10回まで800から1000ジュエルもらえるらしいの!
明らかに得じゃね?いや得なのよ。
私初めて生まれて初めて割り算したわってぐらいの衝撃!
きゃー!社長安ーい!って夢グループばりのそれ級にそう思うわ。
1ジュエルが何円になるのかしら?っての。
こんな誘惑に惑わされたら、
実際にお得感を知って計算してしまうとこれ今課金しておかないと損じぇね?って思わせる作戦に。
でもNIKKEで儲かったお金で莫大な開発費をつぎ込むことが出来て『ステラーブレイド』が完成させたのだとしたら!
多少のお布施としてNIKKEに拝んで課金しても悪くはないわよね!ってよからぬナイスなアイデアが私の中で張り巡らされるの。
私はぶんぶんと顔を横に振りながら、
絶対『ステラーブレイド』とのコラボでイヴがやってくるまで「待つんだもん!」って確固たる意志をここで強く強く括弧でくくるほど強く表明するの!
つーかこれで、
コラボやるかもーって言っておきながらやんなかったら怒るわよ!
だれに!?って感じでもあるけれど。
でも、
明らかに考えて
30DAY補給品800円パックは早期にゲットしておく方が得じゃね?って
誰がどう考えても、
ひっくり返っても逆立ちしても、
お得なのよね。
いや、
『ステラーブレイド』のイヴがNIKKEにやってくるまでの我慢!
いつになるか待ちきれないわ!
まあ今日は数学がいかに日常に役に立つかって少しお利口になるお話で、
す!凄いわ!
ChatGPTちゃんで
何が一番お得?って尋ねたら
ああ、
そんで、
本当にChatGPTちゃんが言ってることが正しいのか、
私も割り算をしてみたワケなのよ。
世の中こんなに割り算が役に立つとは予想もしなかったわ。
家を出発する兄と弟は玄関を出ていきなり2人ともそれぞれ逆方向に向かって走り出す!って
それは青雲!
なんだか今日は割り算を使ったアカデミックなお話になっちゃったわね。
たまには私も賢いところを
トミーフェブラリーさんの掛けている赤いフチのメガネをかけながら
クイッとメガネを上げる仕草をして賢さをよりアピールする次第なの。
こんなことを書いて私はなんとか、
課金したい欲を紛らわせているところよ。
早くイヴきてー!って感じだわ。
うふふ。
バラエティーに富んだ具で私を満たしてくれるわ。
朝の美味しさは元気の源よ!
最近またやっぱり朝寒くなってきたので、
NIKKEを立ち上げながら資材回収しつつ沸かすお湯のホッツ白湯ストレートウォーラーは格別な味よ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
増田:「いや〜選挙行ってきたんだけどさ、障害者目線で各党のマニフェスト見てみたんよ。」
友人A:「おぉ、増田もちゃんと国民の義務果たしてるやん!で、どうだったの?」
増田:「自民とか公明、まあほぼ論外やな。見出しレベルで障害者のこと触れてないんよ。ワンワードで福祉とかにチラっと障害って文字見えたけど、『いや、どこ!?』ってなるわ。」
友人A:「それ…なんの探し物やねん。『ウォーリーを探せ』の難易度やないか。」
増田:「で、立憲は結構ちゃんと書いてて、これはいいなって思ったんや。でもれいわ新選組のほうが障害者議員出してるやんか?で、期待したのにさ、解像度低めで、まあまあがっかり。」
友人A:「え、それどういうこと?障害者議員出してるのに、ぼやけてんの?」
増田:「そうやねん!『なんとな〜く障害者応援してるで』みたいな感じや。逆にアクセシビリティ…っていうよりモヤモヤビリティやわ。」
増田:「ほんで比例はどうするか悩んだわ。いや、無党派層の宿命やな!『どの党も納得いかんけど、選ばないとあかん』って感じで、結局立憲に入れたんや。」
友人A:「無党派層ってさ、迷える旅人やな…。『気に入ったパスタがないから、最終的にうどんにした』みたいな。」
増田:「そうそう。でも今回の選挙で気づいたわ、無党派層こそが国民主権を体現してるんちゃうかって!」
友人A:「え?それなんか偉そうに言ってるけど、結局どこに入れても不満ってことやろ?」
友人A:「あんたの票で国の未来決まるんやで?最終的に『しゃあない、立憲でええか』って…居酒屋のメニュー選ぶくらいのノリやんか!」
移動体通信(当時は自動車だけ)なんて儲かるわけねーだろ社長向けにセコセコ作ってろ、って感じでグループから切り離されて
そこから臥薪嘗胆で発展してきたから持株との人事交流が全然なかった
幹部もみんな社内昇進だしインフラも自前、研究開発も自前でやってて持株は携帯網の研究って全くやってなかった
そういう関係性でLTEまでは上手くいってたんだけど5Gの検討ぐらいのときに持株側から人事交流が始まって
一部の研究者がdocomoに行ってそこそこ活躍したりして仲良くなってたんだけど
幹部ランクの交流が始まったぐらいでおかしくなってきて持株の意味不明技術とかを導入したりして業績が悪くなってきた
それを現職幹部のせいにして社員の給与を減額(グループ内でdocomoはダントツに好待遇だったのに標準に合わせられた)して
とか言ってる人いるけどむしろ逆でグローバル展開してたdocomoをドメスティックにしてしまったゴリゴリの右翼だよ
例えば中国企業のスパイ疑惑が盛り上がった時期にHuaweiとかの中国企業を締め出したんだよね
でもどのレベルで中国製品使っちゃダメなのかさっぱり分からないし決められる訳も無いのでただただ現場が混乱しただけ
そうなると5GなんてNokiaかEricssonしかないのに国産だなんだと言い出して
挙げ句にはO-RANとかの研究所が好きそうな海外出張のためだけのアライアンスとかに投資しまくって陳腐化
ようやく巻き返しを図ってるけどそろそろ6Gなんじゃ?っていう感じ
そもそも5Gだって最初は大容量・低遅延・IoTとか言ってたけど結局は大容量のeMBBしか出てないし
ミリ波も全然ダメダメなんだけど、Softbankもauもそんなの最初から分かってて
「大容量!低遅延!IoT!」って言いながら大容量しかやってなかったんだよね
持株って役所の人間と同じなのでクソ真面目に全部やろうとしてしまって、結果として全部全然ダメっていういつものパターンですよ
6Gは100Gbpsとか言ってるんだけど、そんなの誰も欲しがってないし必要無いっていうのをみんな分かってるのに
たぶん持株だけ頑張ろうとするんだと思うな
https://anond.hatelabo.jp/20220110111939
上の記事のその後の顛末と、そこから2年以上過ぎた現状を自分の備忘録程度にまとめる。
(注意:雑文、長文)
上の日記を書いたあと、なんとか気持ちを落ち着かせて、担当教員に泣きつきながら、卒論提出にこぎつけた。
ほぼ先輩のコピペだったけど、先生としても最低限の親身な対応はしてくれて、なんとか卒業最低ラインの卒論に仕上げられるよう、親身に指導をしてくれた。
2回目の院試だけど、卒論で精一杯だったのと、やっぱり全然勉強に集中できなくて、結局ほぼ1夜漬けで受けて、また落ちた。
受ける2,3日前に、初めて両親に現状について説明した。お金をかけて学校に通わせている子どもがそんな事になっているということで、それなりにショックだったようだけど、
怒られたり、理解できない!と拒絶されたりすることはなく、「大学院行きたいなら応援はするけど、別にいかなくてもいいんじゃない」というスタンスだった。
この対応には、正直すごく救われたし、自分は環境に恵まれているんだな、と感謝したのを覚えている。
院試に落ちたのが4年の2月中旬だったが、先生には来年以降就活浪人のような形でやっていこうと思うと相談して、大学の就職担当を紹介してもらった。
本当に運が良く、たまたまその年の4月から希望するような国内ニッチ産業大手のメーカーに勤務することができた。
今は、そこで働いて3年目。もともと興味があった業界で、やりがいはある仕事なのだが、
・時間拘束の長い業務が多い(24時間寝れない試験などがザラ)
ということで、拾ってもらった御恩はあるものの、また先月ぐらいから鬱再発症してメンタルクリニックでお薬をもらいつつ、過食症気味になりながらも欠勤と遅刻しながらの勤務中である。(テヘペロ)
なかなか人生うまくいかないダメダメな感じだが、幸い健康と引き換えに300万弱ぐらい貯金することができたので、
私にはキャパオーバーの仕事だったということで休職でもしながら、転職を考えているところである。
年2回もくひょうたてて面談して、年2回じぶんで評価コメントかいて面談する
それがもーいやすぎる
年にたった2回、そんときかいたことを常に意識して仕事なんかしないしさあ・・・
ごめんね結局ダメな自分を見せつけられる感じがするのがいやってはなしなんだよね
学生のテストのかわりみたいなもんで、よほどダメダメじゃない限り赤点になることはない、
それでもさーやっぱり目標に資格取得みたいなの入れさせられてその勉強のためにプライベートで勉強するのとかほんといやなのよ
ああああああああああああああああああああああああ
もうまじでいや
あ、これでもアラフォーだから年4回面談として10年以上で40回はやってんだけど
年々ほんといやになってくのよねえ
目標設定とかなんもなかったもんなー
どうせ独身だし
はあああああああああ
それ以前にもう仕事したくねんだわ
もう消えろよ
あああああああああ
はあ
だ、そうです。解像度低ー。
接客する仕事って大別すると4コマンドしかない。
準備・応対・提供・取次。この4つ。
コンビニで言うと、
品出し・補充・発注が準備。
お客と直接やり取りが応対。
企業単位・業種単位の差は「準備」と「提供」で差が開くが、「応対」「取次」は個人差がつく。
ここは業種によっては自分のせいだけで差がつくとも言い切れないところがある。
ところが、「応対」「取次」は個人差がつく。
職場で信頼されるか、お客とトラブルを起こさないかどうか、自分の代わりに人にじょうずに働いてもらえるか・・・
ここで言う、「コミュ力」は「友達の多さ」とか「好印象を与える仕草やルックス」とかそういう話じゃない。
取り次いだ相手になんで取り次いでどうしてほしいかを伝える能力のことだ。
これはどこに行こうが、必要になる。
要望が伝わっていなかったり、自分が何をしてほしいかを伝えられないと他人と仕事ができない。
と言ってるのは、【お店にない・禁止されてるサービスは提供できない】から。
ただ、「そのサービスを提供してよいか・できるかを(??に)聞き出す」とか
「担当者がサービスを提供し易いように(??と??を)つなげるか」は個人の能力だ。
人と接する仕事をしてる以上、そこは抑えないと回らない。
コミュニケーションの軸ができると、超ラク!
自分を責めてしまいやすい性格の人は「こうすればよかったのか」とか「ほぼ俺のせいじゃねぇじゃん」と
コミュ強気取って人のせいにしてくる人はだいたい他責思考だけれど、
伝えられてない時点で勘違いくんなんだし気にしなくていい。
「コミュニケーションの正解」はケースバイケースだから一つではないというが
「ここはやってほしい」や「ここをやらないと話が回らない」という最低限のラインは存在する。
その最低限さえ踏まえておけば「そこからズレてる話は、気にしなくていい」という軸ができる。
そうすれば、他の人とのやり取りとか自分のメンタルが安定してオススメ!
人からの印象が良いことをコミュ力が高いと言いがちだが、仕事で求められるコミュ力はあくまでも仕事でのコミュニケーションができること
好印象なことを「コミュ力」といいがちなのですが…
変な時間に投稿したのにこんなに読んでもらえてありがたいのともっと明るい話題のが書けたら良かったのにという後悔と...優しい内容も厳しい内容もありがとうございます、あと自分も似たような環境だったという内容もチラホラあって、結構あるんだなと思ったのと、みんな辛いよな...頑張ろうみんなで
良い年して親のせいにするのも我ながら大概残念な奴だが、匿名で書けることが利点の場所ゆえどうかご容赦を...
パパもとい父は昭和の営業マンで朝から晩まで家にはおらず、ママもとい母は専業主婦です、鋭いコメントがあってビックリした
過保護じゃなくて過干渉というのもなるほどと思い...たしかに弟にはよくも悪くもあまり何も言っていなかったかもしれない、弟も家庭があり子どももいて、母は今は孫がたくさんの良いおばあちゃんという感じです、でも孫にもわりと「ダメダメダメダメ!」は言う
あと本当に全然関係ないのですが、Twitterも追いかけてて発売日に本を買うくらい好きな作者さんからブコメが来ててわーってなってる変な追記ですみません
以下本文
増田はそれはそれは過保護に育てられ、今もママは増田のことを3歳女児だと思っている。今年で35歳になるよ。
過保護にもいろんなタイプがあると思うが、増田のママは「子どもに何もさせない」型だった。家の手伝いね。
お手伝いやりたい!と言ってもダメダメダメ、危ないでしょうと止められる。台所に入ろうものならキャアー!ヒィー!と悲鳴を上げながら止められる。
中高の頃バレンタインは友チョコをたくさん作っていってクラス中の子と交換する文化があったが、台所は危ないからと全てパパかママが作ったのを持たされていた。今思うと少しおかしいな。
洗濯も洗濯機壊したらダメだから触っちゃダメで、掃除機も同じ理由でダメで、洗濯物を畳むのだけは逆にやりたくなくても任されていた。弟は洗濯畳まなくてよくて、お料理も掃除も好きな時に好きなだけしてたから羨ましかった。別に何か壊したような前科はない。ママにも確認済みだ。
弟との比較もあり増田が何かしら障害があるから止められてる感が出ているが、ネットではバカにされているMARCHを出て就職、から数年して結婚妊娠出産で増田もまた母となり正社員で復職もしているので、そこまで著しく何かが足りない...ことはない、はず、と思いたい。とは言え、後述する能力はまったく足りていないのだが...。
家では普通に料理をし、掃除をし、育児をして生活している。家事は得意では無いが、家を出てから10年弱、1度もゴキブリが家に出たことは無いくらいの衛生環境は保てている。
が、ママは増田のことは3歳児だと思っているので、子ども連れて実家に遊びに行った時に食洗機を回したらママがすっ飛んできて「洗剤入れたかな!?水だけだと汚れが落ちないけど!本当に出来たのかな!?あ〜もうアンタにやらせたら怖い怖い怖い」という言葉を頂いた。もちろん洗剤を入れて回していたので綺麗になっていた。もう中年なんだからそれくらい出来ます...。
遅くなりましたが、本題に入ろう。
過保護に育てられるとどうなるか。じゃじゃん!!考える力が圧倒的にカスになる!!!!
自分がカスなのをママのせいにしているだけかもしれない...が、影響は0ではないと思うので、本記事では思いっきりママのせいにさせてもらおう。
何をするにもキャアー!ヒィー!と止められる状況で育ったせいか、考えて行動する、ということが本当に下手くそなのだ。それこそ仕事なぞ考えて自分からどんどん動かなければならないのに、考えられない、動けない。お客様に提案を持って行ってお金を作らないといけないのに、何をどう考えて良いのか分からない。社内の人にものを頼もうにも動けない。キャアー!ヒィー!が前提にあるせいか、動かないことを良しとしてしまっている気がする。そもそも挑戦したいと思うたびに危ない!と止められているので、親から信用がない=自分は信用してはいけない人間、となってしまっているのか、どうも行動も言動もよく考えず、軽い。
だから当然社内評価もイマイチだ。育休後よく戻れたなと思う。会社の人本当にすみません。
というわけで、増田は子どもにはやりたいことは全部させてあげたいと思っている。キャアー!ヒィー!と止められるのは、少し悲しく、少し寂しい。自分が何も信用されていないということだから。ママのことは大好きだが大嫌いで大好きで、自分のことは小さな頃からずっと信用出来ず、他人軸でばかり動いてしまって疲れる。多分付き合わされている他人も疲れていると思う。すみません。
我が子は今日はおりょうり!と言ってきたので半分に切ったピーマンをたくさん渡して、中のわたと種を取ってもらった。2歳でも台所に立てるのだよ、ママ。