『京都市・夷川発電所』
京都市左京区の琵琶湖から取水された琵琶湖疏水本流が、平安神宮や美術館のある岡崎地区を抜け鴨川へと近づいた手前にある疏水夷川(えびすがわ)発電所の建物である。
明治になって、京都復興事業の一環で第1疏水に次ぐ第2疏水開削とともに建設されたもので、先に建設された蹴上発電所に次いで、この夷川と更に下流の伏見の墨染に発電所が建設された。
夷川発電所は、東大路と川端通りの間にある。
東大路から疏水南岸の遊歩道を発電所に向かうが、じきに建物が見えてくる。
もう少し行くと「白河南殿跡」の石碑が建っている。
白河上皇が僅か8歳の堀河天皇に譲位し院政を行った御殿であり、疏水の北側の京大熊野寮構内にある北殿と対をなしている。
もう秋色である。
水面に木の葉が映える。
その先、疏水溜りがあり、いよいよ発電所であるが、溜りの向こうにこの琵琶湖疏水開発のリーダーである時の京都府知事北垣国道氏の銅像が建てられている。
この発電所は今も現役で、関西電力の一事業所である。
そして300kwの電力を発電している。
そして疏水の管理事務所もこの場所にある。
発電所の放水口も秋色である。
蔦であろうか、綺麗に色づいている。
発電所を後に、遊歩道を鴨川の方向に振り返りながら歩く。
そして行き着くところは鴨川の手前の川端通りである。
川端通りが疏水を越える橋は田邊橋という。
名付けは、北垣知事の下で疏水開発を行った若き技術者の田邊朔郎氏を称えたものである。
琵琶湖疏水はこの後、鴨川の手前で左折し、鴨川に沿って一部暗渠となり、伏見の墨染発電所を経由し、酒蔵の伏見の町の濠川となって宇治川に流れ込むのである。