『菅公聖蹟・三本松天神社跡』
淀川の右岸で、大阪市東淀川区の北に隣接、そして対岸には守口市や寝屋川市がある摂津市鳥飼(とりがい)の三本松天神社跡である。
淀川堤防と道路を挟んで隣接している。
堤防上からは、跡地が個人住宅となっているが、雰囲気は漂っている。
道真公が大宰府に左遷され赴任の途中にこの鳥飼の地に上陸し、昼食を取った後、楊枝3本を植え、松の木が育つことを願い旅立ったという逸話がある。
後、松の木が育ったので、村人たちは道真公を祀る天神社を建て、三本松天神社と名付けたのが起こりである。
それらの松は、下り松、義経松、踊り松と名付けられ、以後昭和の時代まで崇敬された。
淀川堤防上からの付近の景色である。
守口市大日の高層マンション、遠くに生駒山、そして少し上流に架けられている斜張橋の淀川新橋である。
昭和の時代になって淀川の改修が行われた。
これにより神社の地は無くなってしまうため、天神社は西にある藤森神社に合祀され、現在に至っている。
当時は淀川には、数多くの渡しがあった。
この地は鳥飼の渡しの港である。
港には鳥居が設けられ、藤森神社への参道が始まる。
しばらく進むと藤森神社に到着する。
元々の藤森神社は舎人親王を祀る神社であが、現在は道真公も祀られ、神紋は梅鉢と下がり藤が用いられている。
そしてこの2神は学問の神として崇められている。
境内には、神牛、なで牛も祀られていて、天満宮の雰囲気が漂う。