『菅公聖蹟・綱敷天神社(大阪)』
大阪市北区神山町に鎮座する「綱敷天神社」である。
この神社は元々、嵯峨天皇がこの地に行幸した時に一夜を過ごした所とされ、天皇の死後に皇子であり、源氏物語の光源氏のモデルと云われる源融(とおる)が天皇を偲び神野神社を祀ったのが始まりである。
道真公が大宰府に左遷されたとき、この地に船を着けこの神社に参った時、紅梅があまりにも美しかったので、船の艫綱(ともづな)を円形に巻き上げ、伴の者と座して花を賞賛したと云う謂れがある。
そして伴の者数名にこの地に残る様に伝え、道真公は西に向け旅立ったと云われる。
道真公が大宰府で死去という報を受けた部下たちは、紅梅の下に小さな祠を建て、梅塚天満宮と称し、道真公を祀ったと云われる。
その後、神野神社と合祀となり、綱敷天神社の社殿を建立したという経緯がある。
以降、梅田キタの氏神として広く地元の人達から崇敬を受け、現在に至っている。
境内は都会地であるので、そう広くはないが、筆塚、歌碑などが祀られている。