『摂津国・堀城跡』
大阪市淀川区十三(じゅうそう)にあった堀城の跡である。別名中嶋城とも云われる。
この辺りは、かつては中津川、神崎川が大坂湾に注ぐ中州で、摂津国の中心であり、西国と京を結ぶ水路、陸路の要衝であった。
室町時代に細川氏の一族がこの地に堀城を構えたと云われる。
現在での場所は、阪急電車十三駅を降りてアーケード街を抜けた十三公園の周辺と云われている。
公園の南側の道路淀川通りを挟んだ「府立北野高校」、また淀川通りと十三バイパスの交差点「北野高校前」も城跡の一部と云われている。
余談であるが、北野高校は最近に新しい校舎に建て替えられている。
コンクリート打ちっ放しの超近代的な校舎に生まれ変わっている。
残念ながら公園とそれらしき辺りを見回しても城の遺構は見当たらない。
大都会十三である。道路と建物そして公園に埋没してしまっているようである。
堀城は、細川氏同士の戦いを経た後、本願寺の一揆衆が立て籠もったり、三好長慶の江口の戦いの砦となったりした。
また、石山本願寺の戦いではその時の城主細川信良は信長側に付き、野田・福島城に対抗したと云われる。
その後、信長により京を追われた足利将軍義昭が立て籠もったが敗れ、以後廃城になったと云われている。