『摂津国・淡河城跡』
兵庫県神戸市北区淡河(おうご)町の小高い山150m/比高30mにある淡河城趾である。
東側にある道路から見上げると、上掲の櫓風の建物が見え、それと良くわかる。
東側は搦め手口であろうと思われるが、登城の案内板があるので、そこから登ってみる。
細かい石で積まれた石垣があるが、近代の造りであろうか?
登城道は木階段が整備されていて登り易い。
登り詰めると櫓風の建物の横を通り、本丸跡に出る。
その場所からの下界が良く見える。
本丸跡の右手の一層高い部分が天守台跡である。
本丸跡を通り抜けるとそこは本丸門のあった正面の虎口である。
案内版が設置されている。
天守台跡は広場となっていて奥に稲荷神社、そして西側に城趾の碑がある。
本丸門の西、そして南に回り込んだ堀跡である。
夏草が生い茂っていて水の存在は確認できていない。
堀の南は二ノ丸跡である。
現在は田圃となっていて、この時期、稲が実ってたり刈取りが済んでいたりしている。
二ノ丸跡の東側に寺院風の白壁瓦葺きの塀が見える。
当初の城主であった淡河氏の菩提寺跡竹慶寺廃寺である。
塀の中には淡河氏歴代の墓がある。
淡河城は南北朝時代に北条氏の直系である淡河氏によって築かれた城である。
その後、赤松氏そして戦国時代には三木の別所氏の配下となった。
そして秀吉により三木城とともに攻め滅ぼされ、その後は秀吉配下の有馬氏が城主となった。
関ヶ原の後、有馬氏が三田藩に移封されたため、淡河城は廃城となった。