神戸高速鉄道2・花隈駅
兵庫県神戸市に乗り入れる私鉄4社(「阪急電鉄」、「阪神電鉄」、{神戸電鉄」、「山陽電鉄」)の相互接続を取り持つ「神戸高速鉄道」の各駅を順次訪ねてみる。
(神戸高速鉄道のHPより転載)
今回は、「阪急電鉄神戸線」から接続される「花隈駅」である。
「花隈駅」で下車する。
駅ホームは地下で、2面2線の相対式である。
そして駅からの出口は南側である。
駅前の道路は、「若菜神戸駅線」と云い、その東方向、西方向の風景である。
そして、西方向へと進む。
最初に現れる小路へと右折すると、モダンな建物が現れる。
浄土真宗本願寺派の「本願寺神戸別院」、通称「モダン寺」である。
外観は、両袖に会議室や書院があり、屋根にはブッタガヤの大塔を模したような特徴が見られる。
建物の中に入ってみる。
1階は、ピロティ-、そしてその奥はホールである。
そして3階に「本堂」があり、参拝することができる。
「モダン寺」はこれ位にして、「花隈駅」の東方向へ向かう。
そこには、石垣が積まれ、「花隈公園(花隈城跡)」がある。
「花隈城」は、近畿から西国を支配せんとした「織田信長」が摂津国の「荒木村重」に築かせた城で、「信長」、「村重」の対立時に池田氏に攻められ落城したとされる。
この地点は、海に突き出た「ハナクマ」という名にふさわしい台地で、城域は、東西約350m、南北約200mであったとされる。
石垣の上へと登ってみる。
上部は平地となっていて、「花隈城跡」の石板が設えられている。
また、震災により倒壊した「花隈城趾」の石柱の復元、「東郷井」の石碑も建っている。
尚、「東郷井」とは、「東郷平八郎」が「戦艦大和」の建造の指揮のため、この北にあった「神戸倶楽部」に1年間滞在したことを記念したものとされている。
石積みもある。
大きな石積みは、天守のものかと推察される。
広場からは、南側の「JR神戸線」の線路が良く見える。
そして、石垣の傍を北側へと降りて行く。
そのまま城跡の北側を西方向へと進む。
石垣の北に「長狭北向地蔵尊」が祀られている。
また、戦国時代の石済みと、その後の石積みの対比も見ることができる。
そしてこの地点で、「花隈駅」のミニ探索を終了したのであった。
(神戸高速鉄道のHPより転載)
今回は、「阪急電鉄神戸線」から接続される「花隈駅」である。
「花隈駅」で下車する。
駅ホームは地下で、2面2線の相対式である。
そして駅からの出口は南側である。
駅前の道路は、「若菜神戸駅線」と云い、その東方向、西方向の風景である。
そして、西方向へと進む。
最初に現れる小路へと右折すると、モダンな建物が現れる。
浄土真宗本願寺派の「本願寺神戸別院」、通称「モダン寺」である。
外観は、両袖に会議室や書院があり、屋根にはブッタガヤの大塔を模したような特徴が見られる。
建物の中に入ってみる。
1階は、ピロティ-、そしてその奥はホールである。
そして3階に「本堂」があり、参拝することができる。
「モダン寺」はこれ位にして、「花隈駅」の東方向へ向かう。
そこには、石垣が積まれ、「花隈公園(花隈城跡)」がある。
「花隈城」は、近畿から西国を支配せんとした「織田信長」が摂津国の「荒木村重」に築かせた城で、「信長」、「村重」の対立時に池田氏に攻められ落城したとされる。
この地点は、海に突き出た「ハナクマ」という名にふさわしい台地で、城域は、東西約350m、南北約200mであったとされる。
石垣の上へと登ってみる。
上部は平地となっていて、「花隈城跡」の石板が設えられている。
また、震災により倒壊した「花隈城趾」の石柱の復元、「東郷井」の石碑も建っている。
尚、「東郷井」とは、「東郷平八郎」が「戦艦大和」の建造の指揮のため、この北にあった「神戸倶楽部」に1年間滞在したことを記念したものとされている。
石積みもある。
大きな石積みは、天守のものかと推察される。
広場からは、南側の「JR神戸線」の線路が良く見える。
そして、石垣の傍を北側へと降りて行く。
そのまま城跡の北側を西方向へと進む。
石垣の北に「長狭北向地蔵尊」が祀られている。
また、戦国時代の石済みと、その後の石積みの対比も見ることができる。
そしてこの地点で、「花隈駅」のミニ探索を終了したのであった。