『大和街道・長池宿』
中世から近世にかけて、京都と奈良を結ぶ街道は「大和街道(奈良街道)」であった。
京都から奈良までは十里の旅程(約40km)があり、その中間点の「五里五里の里」である現在の城陽市に一夜の宿を求め、それが「長池宿」として隆盛した。
今回はその「長池宿」を訪ねてみる。
長池宿はJR奈良線の長池駅(下図の②)の西側の大和街道にある。
このあたりの大和街道は古代の「山背古道」と重複している所である。
先ずは「長池駅」で下車する。
駅前には、その長池宿の説明パネルが掲示されている。
(上図の上は西方向)
また、見どころポイントに番号が振られ、説明もある。
①は「長池の道標」 ②は「長池駅」 ③は「森山地蔵堂」 ④は「旧旅籠 松屋」 ⑤は「北清水 放示邸のヨコメガシ」 ⑥は「旧長池郵便局」 ⑦は「大蓮寺」 ⑧は「新町地蔵堂」 ⑨は「梅村泰一家」 ⑩は「森山遺跡」 である。
この順に、長池宿を訪ねてみる。
スタートは上の地図の国道24号線から大型スーパーの所で別れる府道の大和街道の地点である。
大和街道はカラー舗装されている。
スタートの右手には、旅程標柱、説明パネル、そして江戸時代の後期に伊能忠敬が立ち寄ったと云うパネルもある。(①)
街道を進む。
右手には「茶問屋 芳香園」がある。
そして、左手の駅方向への道に入ると、「森山地蔵」(③)が祀られている。
元の大和街道に戻る。
そこにはかつての旅籠「松屋」(④)がある。
現在は菓子舗である。
また、松屋の前には、趣のある町屋もある。
街道を更に進む。
右手には「旅篭 大和屋跡」がある。
更に進むと、右手の民家の庭に「北清水 放示邸のヨコメガシ」の木がある。(⑤)
樹齢100年のアラカシの園芸種とのことである。
進むと右手に郵便局がある。
その隣に「旧長池郵便局」がある。(⑥)
また、「旅篭 菱屋」の跡もある
更に街道を進んで行く。
趣のある町屋が順番に現れて来る。
更に進んでも同様である。
茅葺をトタン屋根に変更した民家の手前を右折すると、「大蓮寺」の門前である。
山門、標柱が建つ。
山門を潜ると右手には本堂が構えている。
境内には庭園、そして江戸時代に「寺田芋」の栽培に成功した「嶋利兵衛」の墓もある。
元の街道に戻り、進む。
街道を横切る電車が見える。
右手に「新町地蔵堂」がある。
そして趣のある町屋もある。
更に進むと、右手に「木戸孝允公御中飯処」の石碑の町屋がある。
そして、最後の町屋と云うべきであろうか、「梅村泰一家」の町屋がある。(⑨)
JR奈良線の踏切に達し、この地点で「長池宿」の探索を終了した。
京都から奈良までは十里の旅程(約40km)があり、その中間点の「五里五里の里」である現在の城陽市に一夜の宿を求め、それが「長池宿」として隆盛した。
今回はその「長池宿」を訪ねてみる。
長池宿はJR奈良線の長池駅(下図の②)の西側の大和街道にある。
このあたりの大和街道は古代の「山背古道」と重複している所である。
先ずは「長池駅」で下車する。
駅前には、その長池宿の説明パネルが掲示されている。
(上図の上は西方向)
また、見どころポイントに番号が振られ、説明もある。
①は「長池の道標」 ②は「長池駅」 ③は「森山地蔵堂」 ④は「旧旅籠 松屋」 ⑤は「北清水 放示邸のヨコメガシ」 ⑥は「旧長池郵便局」 ⑦は「大蓮寺」 ⑧は「新町地蔵堂」 ⑨は「梅村泰一家」 ⑩は「森山遺跡」 である。
この順に、長池宿を訪ねてみる。
スタートは上の地図の国道24号線から大型スーパーの所で別れる府道の大和街道の地点である。
大和街道はカラー舗装されている。
スタートの右手には、旅程標柱、説明パネル、そして江戸時代の後期に伊能忠敬が立ち寄ったと云うパネルもある。(①)
街道を進む。
右手には「茶問屋 芳香園」がある。
そして、左手の駅方向への道に入ると、「森山地蔵」(③)が祀られている。
元の大和街道に戻る。
そこにはかつての旅籠「松屋」(④)がある。
現在は菓子舗である。
また、松屋の前には、趣のある町屋もある。
街道を更に進む。
右手には「旅篭 大和屋跡」がある。
更に進むと、右手の民家の庭に「北清水 放示邸のヨコメガシ」の木がある。(⑤)
樹齢100年のアラカシの園芸種とのことである。
進むと右手に郵便局がある。
その隣に「旧長池郵便局」がある。(⑥)
また、「旅篭 菱屋」の跡もある
更に街道を進んで行く。
趣のある町屋が順番に現れて来る。
更に進んでも同様である。
茅葺をトタン屋根に変更した民家の手前を右折すると、「大蓮寺」の門前である。
山門、標柱が建つ。
山門を潜ると右手には本堂が構えている。
境内には庭園、そして江戸時代に「寺田芋」の栽培に成功した「嶋利兵衛」の墓もある。
元の街道に戻り、進む。
街道を横切る電車が見える。
右手に「新町地蔵堂」がある。
そして趣のある町屋もある。
更に進むと、右手に「木戸孝允公御中飯処」の石碑の町屋がある。
そして、最後の町屋と云うべきであろうか、「梅村泰一家」の町屋がある。(⑨)
JR奈良線の踏切に達し、この地点で「長池宿」の探索を終了した。