『京都市・隼神社』
京都市中京区壬生梛ノ宮町の「元祇園梛(なぎ)神社」の境内に鎮座する式内社大社の「隼神社」の社名標柱である。
隼神社は、元々は三条と四条の間の朱雀大路の西にあった天皇の隠居所「朱雀院」の内に祀られていた神社と云われ、その後何度かの遷座の後、最終的には大正時代に現在地に鎮座したと云われている。
神社は四条大宮駅の西の、四条通りと坊城通りの交差点の西南角に鎮座している。
隼神社の拝殿本殿は梛神社本殿の北に境内社として隣接鎮座していて、主祭神は建甕槌神(たけみかづちのかみ)、配祀は経津主神(ふつぬしのかみ)である。
本社の元祇園梛神社であるが、入り口は東と北にある。
東が正面で、鳥居を潜ると参道の正面に本社と隼神社の拝殿本殿が並んでいる。
左側(南側)が梛神社の拝殿本殿で、主祭神は素戔嗚尊、配祀は宇賀御魂命、伊弉冉命、誉田別尊などである。
元祇園と云われる由来は、京に疫病が流行した際、悪疫を払い病を鎮めるため、播磨国廣峰神社より牛頭天王を勧請し、その分霊を乗せた神輿を梛の林中に安置し祀ったことからである。
また、牛頭天王の神霊を八坂に祀って祇園社を創建する際に、梛の住民が花飾りの風流傘を立て、神輿を八坂に送ったと云われる。
これが現在の祇園祭、祇園会の起源であるとされている。
境内には、神饌を供えたと云われる御供石(ごくいし)も祀られている。
神社の北の入り口である。
標柱、鳥居、狛犬が祀られている。
境内には、境内社が祀られている。
先ずは川上稲荷神社である。
そして、田中神社である。
神社東の坊城通りを南へ下がると、新撰組で知られる地域がある。
屯所の前川邸や壬生寺などである。