泉北高速鉄道3・栂・美木多駅
「南海電鉄高野線」の「中百舌鳥駅」から分岐する「泉北高速鉄道」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
今回は、起終点の「和泉中央駅」から2つ目の駅で、堺市南区にある「栂・美木多(とが・みきた)駅」である。
「栂・美木多駅」で下車する。
「美木多」とは、先の「光明池駅」で関連があった「和田(みきた)」を読みやすい漢字として当てはめたものであろう。
駅ホームは、1面2線の島式である。
駅ホームから北方向に、「南堺警察署」、「栂文化会館」が見える。
駅構内から続くり陸橋を出る。
その出口の斜め前には、「南区役所」が建っている。
その市役所前の道を北東方向へと進む。
「石津川」を渡り、約1.5km進むと「小谷城跡」へと到着する。
「小谷城」はこの泉北地域では最も古い城と云われている。
平安から鎌倉時代にかけて、「平家」の係累の「小谷氏」が、「小谷城」、「東の城」、「西の城」の三つの城を築いたのが始まりとされる。
現在の城跡は大部分が「阪和泉北第一病院」となっているのはファンにとっては残念である。
「小谷城」は南北朝時代には南朝方として戦った。
また戦国時代は、紀州根来寺に与した根来党であったため、織田信長の軍に攻められ、三つの城(鼎城ともいう)は落城したと云われている。
その後に「小谷氏」は大坂夏の陣に徳川方として参戦し、武功をたて郷士となった。
そして江戸時代は、「伯太藩主渡辺家」に仕えるとともに庄屋も務めたと云われる。
その後も「小谷氏」はこの場所に住み続け現在に至っていて、住宅を「小谷城郷土館」として開設している。
館正面の長屋門は「藩主渡辺氏」の「伯太陣屋」のものを移築したものである。
郷土館を西に回ったところにも小谷氏の御殿の石碑と登城口がある。
こちらは「西小谷氏」の居館であったと云われる。
そしてこの地点で、「栂・美木多駅」のミニ探索を終了したのであった。
今回は、起終点の「和泉中央駅」から2つ目の駅で、堺市南区にある「栂・美木多(とが・みきた)駅」である。
「栂・美木多駅」で下車する。
「美木多」とは、先の「光明池駅」で関連があった「和田(みきた)」を読みやすい漢字として当てはめたものであろう。
駅ホームは、1面2線の島式である。
駅ホームから北方向に、「南堺警察署」、「栂文化会館」が見える。
駅構内から続くり陸橋を出る。
その出口の斜め前には、「南区役所」が建っている。
その市役所前の道を北東方向へと進む。
「石津川」を渡り、約1.5km進むと「小谷城跡」へと到着する。
「小谷城」はこの泉北地域では最も古い城と云われている。
平安から鎌倉時代にかけて、「平家」の係累の「小谷氏」が、「小谷城」、「東の城」、「西の城」の三つの城を築いたのが始まりとされる。
現在の城跡は大部分が「阪和泉北第一病院」となっているのはファンにとっては残念である。
「小谷城」は南北朝時代には南朝方として戦った。
また戦国時代は、紀州根来寺に与した根来党であったため、織田信長の軍に攻められ、三つの城(鼎城ともいう)は落城したと云われている。
その後に「小谷氏」は大坂夏の陣に徳川方として参戦し、武功をたて郷士となった。
そして江戸時代は、「伯太藩主渡辺家」に仕えるとともに庄屋も務めたと云われる。
その後も「小谷氏」はこの場所に住み続け現在に至っていて、住宅を「小谷城郷土館」として開設している。
館正面の長屋門は「藩主渡辺氏」の「伯太陣屋」のものを移築したものである。
郷土館を西に回ったところにも小谷氏の御殿の石碑と登城口がある。
こちらは「西小谷氏」の居館であったと云われる。
そしてこの地点で、「栂・美木多駅」のミニ探索を終了したのであった。